第2話 朝
「びの、びの」
私は、定刻通り、7時に起こした。
「覧、いつも悪いな」
「あ、びの、起きた?」
「ああ」
少し機嫌が悪そうだ。何かあったのだろうか?
「あれ? 声から察するに、びの、朝から機嫌悪いね」
「分かるか?」
「当然。何年一緒にいると思ってんの?」
私が小4の時にびのの家に来て、かれこれ2年。
声を聴くだけで、びのの機嫌がわかるようになってきた。
「何でだと思う?」
意地悪をするかのように、ししし……と笑いながら、私にクイズを出してくる。
よしっ、ここは当てに行くか。
びのは朝が弱いわけじゃないから、『起こされて機嫌が悪い』……という可能性は低い。
うなされるわけでもなく、ぐっすりと眠っていたから、『悪夢をみた』とか『寒くて寝られなかった』……というわけではなさそうだ。
あと考えられることは……分かった!
「昨日筋トレしすぎたから筋肉痛じゃない?」
「残念。筋トレは関係ねーよ」
「じゃあ、どうして?」
「むかつく女神が夢に現れてな」
夢見が悪かったってことか……
「女神? 何で女神の夢で機嫌が悪いの?」
悪魔ならわかるけど、女神の夢を見て機嫌が悪くなるなんて聞いたことない。
「カシズって女神が現れて、そいつが、夢の中で異世界へ行けって言うんだよ。まあ、夢オチだったから、異世界に行かずにすんだんだがな」
「その女神、可愛かったんじゃないの?」
むー、びのが私以外の女の夢を見るなんて、あってはならないことなんだからねっ。
「美人ではあったな」
美人の女神が夢に現れたってことを私に伝えて、オレはこんなにモテますよアピールってこと?
「でも、覧には到底及ばねーよ」
「え? それって、どうい――」
「覧のほうが美人で素晴らしいってこと」
私が質問し終える前に、即答するびの。
こんなの胸キュンですわ……
いやいや、待て待て。
大抵の男は、適当で抽象的な返事をすることが多い。
ここはどこらへんがそう思うのか具体的に訊かなくては。
「ちなみに、どこら――」
「小学6年生で165cmという高身長で大人のように整った顔に加え、モデル並の長い美脚に、美ボディな上にノーベル賞も受賞しちゃう才色兼備なところ」
また、私が質問し終える前に、返答するびの。
本当に惚れちゃうぞ。
「ふふふ、そんなことないよ。本当にお世辞がうまいな、びのは」
……と、言葉にしながら、内心は嬉しさでいっぱいだ。
やっほー、毎日の努力が実ったよ。
美脚を維持するためできる限り椅子に座ってるし、筋トレも毎日しているからね。
謙遜した手前、にやけ顔が隠しきれていればいいんだけど。
「おいおい、お世辞『も』うまいの間違いだろ?」
「そういうこと言ってるから、もてないんだよ」
私は言いながら、びのにデコピンする。
私だけがびのの良さを知ってればいいから、他の人からもてなくていいんだけどね。
「違いない」
びのは、はははと笑ったあと、急に真面目な顔になり、私の顔を覗き込む。
あ、まずい。これは、夜更かしを指摘されるパターンだ。
コンシーラで、クマを隠しておけばよかった。
きっとまた余計な心配をかけてしまう。
「覧、オレの部屋のおしいれで、また夜更かしか?」
「うん……まあ……」
私は言葉を濁してこたえる。
「睡眠不足は肌にも成長にも悪いぞ」
「研究を始めたら、やめられなくなって……」
たしなめているのは、私の体を気遣ってだろう。
「だから、研究が悪いってか?」
「そのとおり、私を夢中にさせる研究が悪いんだよ。びのも手伝ってくれればいいのに」
びのだって、中学生の中では、かなり頭の良い部類に入る。
私はびのの意見に同意し、可愛くアピールしてお願いした。
「それは無理。覧の研究は、中学生の理解できる内容を越えすぎてるからな」
「えー、そこは、冗談でも話にのってよ。オレに任せとけ……みたいにさ」
「ゴメン。オレのモットーは、できないことはできないって正直に言うことだから」
ウー
家の遠くで、パトカーのサイレンの音がした。
「ほら、びのが嘘つくから、詐欺罪の容疑でパトカーが迎えにきたよ」
「いや、夏でもないのに、へそ出し白衣を着てる、露出狂の覧を迎えに来たに違いない」
「それはないですー」
今日の私の格好は、スポーツ施設で着るようなチューブトップに上から白衣を羽織っているだけどさ。
「見てるこっちが寒いんだけど」
「それなら見なきゃいいじゃない」
「まあ、そうなんだけど……」
「だけど、何?」
「風邪をひかないか、オレは心配だ」
それって、私を心配してくれてるの……胸キュン。
「大丈夫。私だって、もう小学校6年生なんだから、自己管理くらいできるよ」
「いや、小学校6年生なら、子どもだろ」
「そんなこと言うなら、びの君だって、中学校2年生の子どもだよね?」
「中学に入ったら大人なんだよ。小学生はまだ子ども」
出たよ。中学生は大人理論。
中学生になるとすぐにそれを言いたがる。
そんで、私が中学生になって、びのが高校生になると、高校生大人理論が展開されるんだ。
高校生は大人で、中学生までが子どもっていう暴論。
「子どもじゃないです。12歳は青年期に入りますー」
ここは、青年期を盾にして、私も大人入りしたことをアピールするのが最善だ。
「はいはい。お年頃だな。青年期だな、青年期」
私を適当にあしらう、びの。
「あー、その言い方酷い。もう、びのなんか知らない。実験に戻る」
胸キュンから、胸イラに変わりましたわ。
「今の覧を夢中にさせてる実験ってなんだ?」
機嫌を取るためか私に実験の内容を訊いてくる、びの。
「何? 私を夢中にさせている実験に嫉妬してくれてるの?」
「そうだな。覧を夢中にさせるアイスキャンディーと同じくらいには嫉妬してるぜ」
「そっかー、アイスキャンディーと同じくらいに嫉妬してくれてるのかー……って、それ全然嫉妬してないよね?」
びのが『くっそー、アイスキャンディーのやつめ、オレの覧をメロメロにしやがって、許さないからな』……みたいに嫉妬したことなんか見たことない。
「これで、『覧の実験』と『オレの覧への愛情』を比べるのがそもそもの間違いだって気づけた?」
「うわっ、アメリカンジョークで返してきた。朝なのに」
「朝は関係ないだろ? ところで、何の実験をしてるかそろそろ教えてくれないか?」
「ここで、びのの夢の中に女神を出す実験って言ったら驚く?」
「ウワー、スゴイ、スゴイ。マジ、テンサイ」
片言でびのは驚いた。
「もちろん、冗談だよ?」
「オレの反応も、もちろん冗談だからな?」
きー、びのに馬鹿にされたようで、むかつくー!!
「そういう態度なら、きちんと一から説明するから覚悟しなよ、びの。……えっと、昨晩作成した資料は、どこへ置いたっけか……」
私は本気で説明をしてやろうと意気込む。
「朝なんだから、オレにもわかるように説明してくれよな?」
「朝は関係ないよね?」
昼だろうと夜だろうと、びのはいつも私にわかるように説明してくれって頼んでくるよね?
「関係するよ。オレ、学校行かないといけないから、サクッと説明してくれると嬉しいな」
「オッケー、6時間コースね」
本当に簡単に説明すれば5分もかからないが、大げさに言っておこう。
「おいおい、朝の説明で6時間かよっ。昼と夜ならどれくらいかかるんだよっ」
「え? 18時間コースの説明を訊きたいの? それなら1時間かかるけど?」
「あ、いや、説明はなしの方向でお願いできないかな……」
くっくっくっ、困ってる、困ってる。
さっきの意趣返しだ。
「私がびのを逃がすと思っているのなら、それはアイスキャンディーより甘い考えだよ……おっと、アイスキャンディーと比べるのはそもそも間違いだったかな?」
私はにやっと口元を歪めた。
「義兄ちゃんが全面的に悪かった。勘弁してくれい」
拝むように手を合わせ、頭を下げるびの。
しかたないなー、反省しているようだし、許してあげるか。
「それじゃあ、私の期待を裏切った罰として、びのには実験に協力してもらいます」