第9話 『幼児の好奇心は自制できない』その1
さて、昨晩はやり過ぎたかもと少し反省したアナスタシアだが、夜になると昨日の興奮が抑えられず、またまた深夜に散歩することを画策する。
昨日同様レビテーションで街を抜け出し、汚れの森へと向かったアナスタシアだったが、そこで異変に気がつく。
人気がないはずの汚れの森に、多くの兵士が入り込み、たいまつを持って森の中を徘徊している。
よく見てみると、兵士が調査している場所は、昨日アナスタシアが魔法をぶっ放して森が浄化されている地域だった。
広大な汚れの森からすると外縁部に近いのだが、それでも炎の柱を立てたところは森の入り口から2~3キロメートルは入り込んでいそうだ。
兵士たちは転がっている魔石を拾いながら、あたりに満ちている聖属性の光る粒子を不思議そうに観察している。
『これは……
やっぱりやりすぎだったかな……』と、調査のためかり出された兵士たちにすまない気持ちになる。
『今日は、痕跡が出ないようにしなくちゃね……』
反省はしても、魔法の試しうちをやめるつもりはないようだ。
『こう人が多くちゃ、かなり奥まで行かないとだめかな』
奥まで行くとそれに比例して危険な魔物が多くなるのだが、魔法を撃ちたい気持ちでいっぱいのアナスタシアはそのことに気がつかない。
とりあえず兵士に見つからないように十分な高度をとり、外縁部から10キロメートルほど入り込んだところに一際黒く見える場所へ降下する。
ある程度高度を落として、調査の兵士から見えない高さまで来たところで、降下予定地にホーリーブライトを一発撃っておく。
瞬時に直径100メートル程の土地が浄化される。
アナスタシアが降り立ったのは、真っ黒な水をたたえた沼のほとりだった。この沼が上空から黒く見えていたようだ。沼からは黒い瘴気が湧き出し続けている。
ここは汚れの森にいくつもある瘴気発生地点の一つのようだ。
瘴気が発生する場所は、洞窟であったり沼であったりすることが多い。
『どうやら、瘴気沼の一つみたいね。
ここなら聖属性魔法の使い手以外は近寄らないでしょう』
アナスタシアはどうやらこの沼で今日の魔法練習を行うことにしたようだ。
この判断がやがて人知の及ばない存在を目覚めさせることになるのだが、現在のアナスタシアはそんなことに気がつくはずもない。
『さて、ここが瘴気沼なら、まずは浄化魔法を浴びせてみましょう』
そう考えるやいなや、アナスタシアは得意のホーリーブライトを瘴気沼に打ち込む。
沼は白く輝き、瘴気の発生がなくなったと思われたが、すぐに水底から新たな瘴気が沸き立ち始める。
『これは相当の量の瘴気がありそうね。
どうせならもっと強いのを試してみましょう』
そう考えたアナスタシアは、二つの魔法を同時に行使する。昨日試した火魔法と聖魔法の融合だ。
『右手にホーリーブライト、左手にフレイムフィールド……
えい!』
今日は無詠唱で2つの魔法を起動させ、魔方陣が融合するやいなや沼に向かって白色の炎を打ち込む。昨日の反省から、音がしない程度に魔法力を弱めての魔法行使だ。
しかし、さすがは水をたたえた沼だ。白い炎は沼の上部の瘴気は焼き尽くしたが、沼の中にまでは効果を及ぼさない。
『それならこれはどうかしら右手にホーリーブライト、左手にホーリーブライト……
えい!』
両手に聖魔法を発生させて魔方陣を融合させると、白い魔方陣は一回り大きくなり、そこから発生した聖なる浄化光は沼の中へと染み渡っていくようだ。
しばらくすると沼からの瘴気の発生がほとんど止まった-----のみならず、代わりに清らかな光があふれ始める。
『瘴気沼から浄化の光があふれてきたわね……
やり過ぎたかしら……』
汚れの森には似つかわしくない聖なる沼を完成させてしまったアナスタシアはさすがにまずいと思い始める。
『このままでは……、昨日やらかしたところを調査している人たちが万一ここまで調べに来たら昨日以上の騒ぎになりかねないわ』
なんとかしなければと考えたアナスタシアに、天啓とも思える閃きが……。
いや、天啓というよりは悪魔のささやきだったのかも知れないが……。
『そうだわ。
以前回復魔法で巨大化したコガネムシは闇魔法で元のサイズに戻ったわよね。
それならこの聖魔法も闇魔法で打ち消せるかも。
まずは試してみましょう……』
アナスタシアは自分の思いつきを実践すべく、早速魔力を練って闇の魔力へ変換していく。
『右手にダーネスカオス……
左手にもダーネスカオス……
融合させてと……』
即席で二つの闇魔法を合成し、発動のキーワードを発する。
「うきゅぇぁだかきゅねうあぉうぅ」
『スクウェアダークネスカオス』と叫んだつもりが、何のことかわからない発音になってしまった。
しかし、アナスタシアの魔方陣から放たれた魔法は、そんなかわいげのあるものではなかった。
漆黒の瘴気がほとばしり、聖なる浄化光を飲み込みながら沼へと浸透していく。
闇のほとばしりが収まると、そこは以前にも増して濃い瘴気が立ち上る瘴気沼と化していた。
『今度は逆の方向にやり過ぎたかしら……』
かわいく首をかしげる1歳児であったが、現状はとてもかわいいでは済まされないレベルとなっていた。これを放置すれば、沼の周辺はおろか森の外まで瘴気があふれかねない。
どうやら融合魔法は威力が高すぎるようだ。
『仕方ないわね。もう一度適当なところまで浄化するしかないわ……』
なんだか遠い目をしつつ、アナスタシアは浄化の魔法を単発で沼に打ち込んで行くのだった。
2つの魔法を融合させたのだから2回ほど単発の聖魔法を使えば元に戻ると安易に考えていたアナスタシアのもくろみは、3回聖魔法を使っても沼から発生する瘴気濃度がまだまだ高い状態だとわかり、もろくも崩れ去った。どうやら、2つの魔法を融合させると相乗効果で2倍以上の威力になっているようだ。
浄化の魔法を連発してなんとか元の瘴気濃度に戻したとき、アナスタシアは自身が何度魔法を使ったのか覚えていなかった。
『これは少し休まないとお家までレビテーションで帰れないわね……』
自身の魔力残量がかなりきわどいところまで減少しているのを感じたアナスタシアは30分程休憩してからなんとか自室へたどり着いた。
『瘴気の残量を変えずに魔法の試しうちができるようにならないと、いつお母様にバレるか分からないわね』
かなり危ない橋を渡っている自覚はあるのだが、深夜の散歩をやめる気はないようだ。
その日はぐっすり眠り、昼間にたっぷりと魔力循環の練習をしながらアナスタシアは対策を考える。眠ったふりをして訓練を続けるアナスタシアの耳に、様子を見に来た母とメイドの声が聞こえてきた。
「奥様、もう汚れの森の異変はお聞きになりましたか」
「ええ、ミリーナ。
旦那様から夕べ聞きましたわ。
何でも、一部の森が聖なる光子で満たされていたとか……」
「そうです、それです。
ただ単に浄化されただけならいいのですが、あの森には『反逆の賢者』が封印されていると言うじゃございませんか。
なんだか、恐ろしいですわ」
「そうね、300年ほど前に王家へ反旗を翻した極悪な賢者という話だったわね。
けれど、今回は瘴気が増えたとかではなかったし、大丈夫じゃないかしら」
「そうだといいのですが」
二人は、アナスタシアが寝ているものと思い、そのまま子供部屋を離れていく。
一方寝たふりをしているアナスタシアは、冷や汗をかいていた。
『危なかったわ……
昨日、あの沼を瘴気の大発生源にしかけた身としては……
今日は気をつけなくちゃね』
自らの行いを振り返るアナスタシアだったが、今晩の外出を控えるつもりはないのだった。
次回は1500字程度と短いので、明日17時に更新します。
よろしくお願いします。