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Canon

執着―刻まれた罪の証

作者: 悠木おみ

 陶器が触れ合う微かな音を聞きながら、明良あきよしは“彼女”の背に視線を向け続けていた。

 この村で唯一の薬師くすし志央姫密月華仙女しのうきみつげっかせんにょの巫女名を受け継いだ少女、西園寺白薇さいおんじびゃくび

 その白薇の、影武者を務めることを強要された「つばさ」という名の少女の背に。



「今度は、どんな物を作っているんだ?」

「“いつもの”」

 薄暗い蔵の中、光源は“白薇”の手元にある蝋燭の灯りと、明良が寝そべっている畳の囲炉裏。白薇は手元に集中しているのか、明良に視線も向けずに言った。

 端的に返された言葉に明良はため息を吐いたが、それすらも手元に集中している白薇の耳には届いてはいないようだった。

琥珀こはく様の、か」

「暇なら囲炉裏の側にあるそれ、すり潰して粉末にして」

 白薇にかけられた言葉に、爪先ほどの大きさの木の実がゴロゴロと入っているすり鉢に視線を向けた明良は、しばらくそれを見て首を傾げた後に白薇の背に視線を戻した。

「琥珀様の薬にこんなの使ったか?」

「……」

 基本的に質問には素早く応対する白薇が返したのは、沈黙だった。珍しくも調合の手も止めている様子から、明良は自分の質問が聞こえなかったわけではないことを理解した。

「……つば」

「……それは、西長にしおさに頼まれた物の、材料」

「あぁ、そっか」

 明良の呼びかけを遮るかのように、躊躇いながらも告げられた言葉に明良は頷いてすり鉢を手に取った。


 西長に依頼された仕事。薬師であると同時に薬術師やくじゅつしでもある“白薇”は、その優秀さも相まって“そういう”仕事も回されていた。



――水無鬼内部での、暗殺に使うための薬作り。



 それが“白薇”に、白薇の身代わりになることを強要された“翼”に課せられた重要な仕事の一つだった。





××××





 動かすのに邪魔にはならない程度に、それでも指先から肘上まで念入りに包帯を巻きつけた白薇は、その薬を綿棒にまとわせると、その綿棒を板の上に置いて手を離した。

 手の届く範囲に置いてあった木箱からビロード張りの小箱を取り出した白薇は、包帯を巻きつけたままの手でシンプルなペアの指輪を取り出した。

「何だ、それ?」

 訝しげな表情で訊ねる明良にため息を一つ吐くと、白薇は揃いの指輪を愛しそうに撫でた。

「洗礼名を受ける前に、留学していた時に仲良くなったドクターの奥様から教えてもらったの……夫婦となる時に交わすもの。左手の薬指は心臓とか心に繋がっていて、そこにはめるの。自分には、心を捧げた相手がいますって言う証……女の子は、喜びそうな話でしょう?」

「へぇ……確かに、彩香とかは好きそうな話だな」

 興味深げに指輪に視線を向ける明良の言葉に、一瞬、白薇の胸は痛みを訴えた。けれど白薇はその痛みに気づかなかったふりをして、一回り大きい方の指輪を箱の中に戻した。

「そっちが昴のか。女の子が好きそうな話と物。おまけに兄にべったりで好かれていないと思っていた翼からの贈り物が、最初で最後のあの世への切符」



くすくす



 言葉と同時に嘲笑交じりに笑い出した明良に、白薇は一回り小さい方―彩香へ贈る方の指輪を手にしたまま、明良を睨み付けた。

「黙りなさい。あなたに言われる事じゃないわ。諏澤すみさわの双子……昴と翼は死んだのよ。彼は西家せいけ当主代行、白真びゃくま様。私は、白薇。志央姫密月華仙女」

「嘘吐き」

 耳元で声がしたのと同時にかかった呼吸と、背後から明良に抱きしめられた白薇は、今度は無視ができないほどの胸の痛みを覚えてその場に立ち尽くした。

「白真の死体は俺と西長、諏澤の父親が隠した。だから昴は白真だ。でも白薇は死んでいない。翼は、死んでなんかいないだろう?」

「っ」

 白薇が息を呑んだことに気がついたのか、明良はどこか楽しげに白薇に抱きついたまま、人差し指を胸の谷間に突きつけた。

「西園寺白薇は西長に反発して村を飛び出した。けれど彼女は央雅おうがに反旗を翻してはいない。……彼女の忠誠心は他の守人もりびとに比べて髄一で、彼女は君よりも優秀だ。戻れば罰は免れなくとも、戻れないわけではない」

 わざと区切ることで“白薇”の心を煽ると同時に、明良は面白いのか笑い混じりに白薇の耳を舐めた。

「白薇が帰ってきた時、それまで央雅を欺いていた“翼”とそれに加担していた白真は、どうなるだろうね?」



ドンッ



 明良のその言葉を聞いた瞬間、白薇は何を考える前に明良の体を勢いよく突き飛ばしていた。

 突き飛ばされた明良は、その力のまま“白薇”の体から抵抗することなく離れ、その衝撃を緩和させていた。



 明良の言葉は、“翼”の心を深く抉った。



 西家の当主は病弱ながらも直系の血を持つ西園寺琥珀。白真と白薇は西園寺筋、琥珀の兄と姉ではあるが、妾腹から生まれている。

 病弱な琥珀の代行として異母兄である白真が西家をまとめているが、その白真の双子の姉である“白薇”が偽者だったら――

 この事態を引き起こしたのは西長だが、西長は白真を擁護しても“翼”の事は切り捨てる。双子の姉である“白薇”の異変に気づかなかった“白真”である昴は、きっと罰せられる。



 “翼”という存在のせいで――



 手にしていた指輪ごと自分自身を抱きしめるかのように両腕を握り締めた“翼”は、硬く目を閉じるとゆっくりと開き、姿勢を正してから明良を見据えた。

「――私は、志央姫密月華仙女。西園寺、白薇よ」

 告げた態度は、瞳は毅然と明良を貫いていたが、発せられた言葉は塗り固められて強制された立場でしかなかった。



 事実、“翼”にはその立場が全てだった。



「嘘と偽りで塗り固めて、大切なものは全て捨てて。可哀想だね、翼をもがれたカナリアは」

 明良の言葉に、白薇は一瞬、驚愕の表情を見せ、次の瞬間には明良を睨み付けていた。

「翼の名前がお気に召さなかったようだから変えたのだけれど?」

「……なんで、明良が……」

 鋭い表情を崩した白薇は、どこか呆然とした様子で言葉を零した。明良に対する疑問でありながら、白薇の意識とは別に零された言葉だと気づかないはずがないのに、明良は愉しげに笑った。

「気に、なったから。……オレが村に帰ってきたときに湖の廃墟で歌っていた、金色の羽根を持った小鳥――」

「っ」

 全てを言い終える前に指輪を作業台の上に置き、慌てて包帯を巻いたままの手で明良の口を塞いだ白薇は、明良に顔を近づけて、声を潜めた。

「一度目だから、警告をあげる」

「警、告……?」

「どんな状況であっても、今後一切カナリアの存在も名前も口にすることは許さない。次にその名を口にすれば、私が殺すわ」

 手のひらを口に押し付けられ、いつもより低い声で、鋭い視線で告げられたはずの明良は、それでも愉しげに笑ってみせた。

「可憐な金色の小鳥の存在すら口に出すな、とは……“姫蜜月華きみつげっか”は小鳥が嫌いなのかな?」

「ふざけないで」

 挑発交じりの冗談交じり。明良の言葉に神経を逆撫でされつつも、ため息をひとつ吐き出して明良から離れた白薇は、明良を睨み付けた。

「私は花響はゆら様と昴以外の存在を手にかけることを厭わないし、躊躇わない。予見師よけんしとしては力の弱い“私”は、けれど薬師としては特出している」

「なるほど、薬師としての姫蜜月華は花響様の姉君である依花よりか様も、思い人である玻璃はり様も、西長の命令があれば躊躇っても殺してしまうという事ですか。怖い、怖い。せいぜい気をつけることにしますよ」

 怖がるそぶりは欠片も見せずに、肩をすくめて両手をあげるモーションをしてみせた明良に侮蔑の視線を向けた白薇は、興味を失ったかのように明良から視線をはずし、作業台の前に戻った。

 彩香に渡す方の指輪と、ジェル状の半透明な薬をまとわせた綿棒を手にした白薇は、指輪の裏側に刷り込むように薬を塗りつけながら、口を開いた。

「バカね……そうだわ、ひとつ秘密の話をしましょう」

「秘密の話?」

 珍しくも作業中に、しかも直前の不愉快な会話を忘れたかのような愉しげな声に、明良は軽く両腕を組んで真剣な白薇の横顔を眺めた。

「“白継しらつぐ”様と“わたし”の話」



ドンッ



 囲炉裏の近くにある細い柱から響く鈍い音。音の発生源が明良にあることを理解していた白薇は、ただ嘲笑わらった。

 いつものふざけた態度で交わすことはおろか、まともに声を上げることもできないのは、告げられた明良だった。驚きが大きすぎて唇を震わせていた明良だが、白薇の表情を見て呼吸と鼓動を整えた。

 白薇は脅すためにその名を口にしたのではない。あくまで対等に話をするために持ち出した名前だということが、明良には理解できた。

「そういうことか……わかった。悪かった。で、その秘密の話とは?」

 早々に全面的に降伏を示した明良に、白薇はやはり愉しげなまま、視線も向けずに頷いた。

「私が西長の命令に従順なのは、今の関係がお互いの利益になるから。絶対的な意味でわたしが優先するのは西長ではなく、花響様」

「なるほど、な。西長は昴……白真を押さえる事で猫の首に鈴を付けていると思い込んではいるが、その猫は西長を監視するための小虎といったところか」




くすくす




 指輪の内側、その全面に薬を塗りこみ終えた白薇は、愉しげに笑いながら指輪を小箱に戻し、綿棒と腕に巻きつけていた包帯の処分にかかった。

「西長に従属しているはずの少女が、西長にとっては最大の刺客でもあるわけか」

「……彼は、敵が多いから」

 独り言と大差ない音量で零した明良の言葉に、白薇は綿棒と包帯をダンボール箱に捨て去り、明良に視線を向けた。

「私たちにとって西長は共通の“敵”であると同時に、偽りの“飼い主”……ね? 似通った秘密を隠し通すのには、組んだほうが有利でしょう」

 問いかけるような白薇の言葉は、断定にも近い提案だった。白薇の言葉に、明良はただ肯定を示すかのように頷いた。

「じゃあ俺は西長の“片腕”として、祈ることにするよ」

「どんな事を?」

 細工の終わった“彩香用”の指輪を対の指輪の入ったビロードの小箱の中にしまいこみながら、顔も向けずに酷薄に笑った。

 ぞくりとする毒々しい白薇の横顔に魅入られながら、明良は感嘆とも諦めとも思えるような溜息を吐いていた。

「西長が花響様を含む、花響様の愛している存在を排除する事を決定しないことを、かな」

「……それだけじゃ、ダメかもね」

「なぜ?」

 作業台を片付け、ビロード張りの小箱を手にした白薇は、首を傾げた明良にようやく視線を向けた。

「彼が花響様――ひいてはある意味で“央雅”に弓を引く、そんなことを愚考した瞬間、その日が彼の命日よ」



 ポツリと、呟くように零された白薇の声、その言葉は、他の何よりも真摯でありながら鋭かった。

 けれど手にしているのは、その西長から命じられた彩香を暗殺するために薬師として“白薇”が細工した道具。

 そのアンバランスさに明良はただ、酷く切なさを覚えた。





××××





 そう、西野白継が神楽かぐら明良の名を与えられたあの日。

 諏澤翼が西園寺白薇の身代わりという役割を与えられたあの日、あの瞬間から、二人は西長のために罪を背負った。

 その胸を過ぎる痛みは、切なさは、二人に刻まれた罪の「証」に他ならない。

 ただ、それだけの事。


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