01 マネキンの世界
その学園は今、世界のどこを浮遊しているのだろう。
――俺は空を見上げながらふと思った。
俺の名はノエル。
外出する時はいつもフードで頭を隠しているから「フードの人」とかで覚えられる事もある。
ゾルト歴2312年4月1日 午前9時半。
晴天の空だった。まさに絶好の入学日和だ。
だがそれはあくまで、今俺が立っているこの場所の話だ。あの学園は地上には存在していない。「ガーディス多種族学園は」遥か6000m上空を浮遊し、移動し続けているのだ。
俺の右手は今、ある石板を握っている。
そこに刻まれたガーディス多種族学園の紋章を、俺は改めて眺めてみる。
これは俺の入学が決定した時に学園から送られてきた「転移石」と呼ばれるものだ。文字通りどこかにワープする為に使われる。
この転移石にはワープ先の座標が組み込まれていて、空に掲げながら自分の波長と石の波長を共振する事で発動させる仕組みになっている。
俺はその転移石を、晴天の空に掲げた。出発の準備は整っている。あの学園へと旅立つ時がようやく来たのだ。だがこれを発動させるにはそれなりの集中が必要で、1分ほど掛かっても俺は転移石を発動させる事が出来ずにいた。
転移石というものは、ワープ先の場所が遠ければ遠いほど発動させるのが難しいものだ。
その行き先である「ガーディス多種族学園」は浮遊島に存在し、天空を常に移動し続けている。そして今頃世界のどこを浮遊しているのか分からない。もしかしたらこの星の反対側かも知れない。
だから発動するのに手間取っても、それは仕方のない事だ。
それを考慮してか、この転移石は特殊な作りになっていて素人でも簡単に扱えるようになっている。…という事を学園の者から説明され渡されたのだが、今のところ発動に成功する兆しはない。
「はぁ… どういう事だ?」
まさかワープに失敗し、学園の敷地内に入る事すら出来ないまま今日1日が終わるのではないか。この1分で早速そんな不安が出てきた。
転移石は発動の前触れとして軽く発光するはずなのだが、それすらもない。俺は一旦中止して、しばらくその理由について考えてみる事にした。
_____
転移先の――「ガーディス多種族学園」は特殊な学校だ。
浮遊島の全体が敷地になっている寄宿学校で、試験に合格さえすればどんな種族でも入学する事が出来る。
入学テストは難しいのかと思えばそうでもなく、わりと優しいものに設定されている。そして世界中から生徒が集まってくるのに、倍率は決して高くはない。その理由は正直分からないが、恐らくは多種族が通うような異質な学園にわざわざ入りたいと思う者は一部の物好きだけで、基本的に何のメリットもないから…というのが理由の大半ではないかと思う。
そしてテストや簡単な面接は本校でやるわけではなく、世界の各地で行われる。
俺もガーディス多種族学園の入学試験を受ける為に、わざわざ180キロほど離れた都市へ行くのには苦労した。「転移門」と呼ばれるワープ駅を利用すれば一瞬だが、その転移門がまた遠い場所にあるのだ。結局、目的地にたどり着くのに丸2日は掛かった。
浮遊島にあって多種族が通う。それだけでもう相当に風変りな学校なのだが、この学校の真の特殊性に比べたら、そんなものは些細な事にしか思え得なくなる。
それは“カモフラージュ制度”だ。
全生徒・教員・従業員・そして来客は、特殊な魔術が組み込まれた「首輪」を身につけなければならない。
その首輪を身につけると外見がマネキンのような無機的なものに統一され、姿、種族、性別、身長、声、体臭、の見分けがつかなくなる。そして額などには生徒固有の数字と記号が刻まれる。
その学園の敷地内では「自分の正体を明かしてはいけない」という決まりがある。そして学園の敷地内と言えば浮遊島の全体を差す。だから"例の首輪"を身に着けていない状態でガーディス多種族学園に入る事は出来ないようになっているのだ。
_____
俺はそこまで考えてようやく気付く。そうだ、例の首輪を身に着けるのを忘れていた。この転移石はかなり特殊な作りになっているらしい。つまり「首輪を身に着けていないと発動しない」ようになっていたのだ。
「なんだよ…ははっ そういう事かよ」
俺は軽くため息をつきつつ例の首輪を身に着ける。途端に聞きなれない魔術音が首元で鳴り響き、俺の外見がウネウネと波打ちながら変化していく。自分の手足が白く、マネキンのような無機的なものになっていく。やはり慣れないものだ。
一度、ガーディス多種族学園の見学会に参加した事があるが、全員がこの姿で統一されている空間は、やはり気味が悪く落ち着かないものがあった。
なるほど、学校見学を体験してから入学を断念する者が後を絶たないわけだ。
これを身に着ければ巨人族だって身長は縮むし、人魚族だって陸上を歩けるようになる。
しかしケガをすれば、そのダメージはそのまま肉体に届くし、自分の筋力以上の力が出せるようになるわけでもない。詳しい仕組みは分からないが、変化魔術とはそういうものだ。
そういうわけで、俺は首輪をしっかりと首に装着させ、改めて転移石を空に掲げる。意識を集中し始めた途端、今度こそ転移石は発光し始める。
テレポーテーション特有の重い振動音が地面を揺るがしていく。転移石を握る右手の振動はやがて全身を満たし、視界全体が光に包まれていく。
_____
空気が変わった。
全身を満たしていた振動が弱まり、地面に足がついた。俺はゆっくりと目を開き、周囲を確認する。青く澄んだ空。少し冷たくなった空気。白い柱。木々。そして白い雲が視界の下側を流れている。
そこは地面に大きな魔法陣が刻まれている空間だった。生徒が持つ転移石のワープ先として設定されている場所なだけあって、直径30メートルくらいはある。浮遊島ならではの大掛かりな“校門”というわけだ。
奥には巨大な校舎が見える。どこか古代遺跡めいた雰囲気は神秘的だ。だが、その景色に違和感を感じさせる要素もあった。
それは人々だ。マネキンのような無機的な外見をした人々が歩いている。みんな同じ姿をしていて、この景色に馴染んでいない感じがある。
俺はひとまずフードを外して、風を感じてみる事にした。人前で堂々と"耳"を晒せる事に、俺はどこか感動さえ覚えた。
ここでは、俺に隠すべきものは何もない。
人間族とエルフは外見がよく似ているが、見分けるのに一番簡単なのが耳だ。人間族の耳は短く丸い。そしてエルフ族の耳は長く尖がっている。
だがハーフエルフは、そのどちらでもない。耳は中途半端な長さだし、尖がっていない事が多い。その耳はエルフ族から見たら歪んていてダサいと思われるし、人間族から見たら不気味がられる。そして何よりハーフエルフだという事が一瞬でバレる要素だ。
ハーフエルフだとバレると、経験上いろいろと面倒な事になる。態度が突然変わったり哀れみの目を向けられたりと、基本的にいい事は一つもない。
だが、ここではそんな心配はどこにもない。人と同じになる。それは俺が今まで渇望していた事の1つでもあった。どこに行っても打ち解けないというあの感覚から一時的に開放される場所があるとすれば、それはまさにこの学園の事だ。
俺は地面を堂々と踏みしめて歩く。校門には自分と同じ姿をした人々が次々と転移してくる。きっとほとんどが自分と同じ新入生たちだろう。在学生はすでに校内にいるだろうと思う。
俺は大きな荷物を背負っていたが、それは転移してくる他の人達もほとんど同じだった。
ここでは正体を晒すのは禁止だと聞いたが、しかし地方から転移した瞬間はどうしても服装や荷物までもは隠せない。実際俺の恰好ももろにウィンドエルフ族のものだし、自分はエルフ族だと宣言して歩いているようなものだ。だが、こればっかりはどうしようもない。
だからあまりジロジロ見るべきではないのだろう。しかしどうしても気になってしまう。中には、獣人族や竜人族感丸出しな恰好をしている奴だっている。そんな彼らも俺を見て「エルフ族だな」とか思っているのかも知れない。
だが、俺をハーフエルフだと見抜く事は絶対に出来ないだろう。今の俺の外見にそんな判断材料は存在していないのだ。今この瞬間、俺は堂々と「ウィンド・エルフ族」としてこの道を歩く事が出来る。それが何だか嬉しくて、俺は背筋を伸ばし胸を張りつつこの道を歩く。
とりあえず俺は学園案内のパンフレットを確認した。「本校では全ての種族が平等です」といういかにもな謳い文句がまず視界に入る。外見だけ無理矢理同じにしてしまえば、少なくとも表面上は平等になるだろう。そんなツッコミを内心で入れつつ、ページをめくり内容を確認する。
「校内に入ったらまずは自分の“持ち番号”を確認し、寮にある自室へと向かいましょう。
そこで荷物を置き、用意されているマントを身につけましょう」と書かれている。
自分の持ち番号は、自動的にこの姿の3か所(額・背中・腕)に刻まれる。
俺は自分の腕に「I-027」と記されているのを確認する。[I]は学年を現し[027]は生徒の固有番号を現しているのだろう。
外見で個人を識別できる唯一の要素がこの番号だけなのも、慣れるまで時間が掛かりそうだ。
とりあえずパンフレットの地図を見ながら、寮がある方向へと向かう。
そこで話し声が聞こえてきた。
「どうせお前も人間族なんだろ?」
「あぁ?あんな種族と一緒にすんじゃねーよ」
「なんだよ じゃぁエルフ族だってのか?」
「お前こそ人間族じゃないだろうな?」
この辺りは新入生たちがよく通るが、緊張しているのか話し相手がいないのか人の会話がそれほど聞こえてくるわけでもない。学園の敷地内に入ってから最初に耳にするが会話が、まさか他種族に対する偏見が滲み出るものになるとは。この学園の光景にどこか心が弾んでいた俺だったが、途端に気分が沈み込んだ気がした。
俺は胸のポケットに入れておいた2つのお守りを服の上から握りしめる。2つあるお守りのうち1つはウィンド・エルフ族の伝統的なお守りで、もう1つは人間族のお守りだ。
わざわざ2つのお守りを持っているのは意味がある。「エルフ族と人間族、両方の加護が受けれるのは貴方だけよ。両方もっていなさい」と母親に渡されたのは今朝の事だ。そんな都合の良いものではないとは思うが、一応は両方持ってきているわけだ。
心細さを感じた俺は2つのお守りを握りしめた。とりあえず今は寮に向かわなくては。地面を踏みしめて、押し寄せてきた重い感情を振り払おうとする。
パンフレットに記された地図と案内を改めて確認しながら。俺は道を真っ直ぐ進んでいった。




