14 全力疾走
記念写真を撮っている間に時間は21:52になっていた。門限は22時だから、残り8分も無い。ここから寮までは、走っても10分は掛かるだろう。
「門限まで後8分くらいだね」
「それは、間に合いませんね」
俺はこの浮遊遺跡に来るときに通った約300mの『浮遊する通路』を眺めた。これを全力疾走で渡り切った後に、寮までのあの距離を7分以内に移動するなど無茶もいいところだ。もっと時間に注意しながら語らうべきだった。まさか入学初日から門限破りをする事になってしまうというのか。
「…ごめん、時間確認しておくべきだったよ」
「俺も注意しておくべきだったな、エリス1人の責任じゃないぜ」
俺やエリスはともかく、カレンはただでさえ謹慎処分を喰らっているのだ。その上で新たな校則破りなどすれば、どんな処罰が待っているのか分かったものではない。それは避けなければならない。
「カレンだけでも間に合わせるようにしないと…」
俺はそう言うが、しかしカレン本人は首を横に振る。
「私に考えがあります。私が二人を担いで、ここから全力疾走すれば3分も掛かりません」
カレン本人は冷静な顔でそう言った。ヴァンパイアの身体能力を生かせば、この短時間で寮まで辿り着けるというのだろうか。だがそれは無茶ではないのか。
「…そんな事出来るのか?」
「今のままでは無理ですね。それを行うには、多くの血を吸って力を得なければなりません」
つまり『2人を担いで超高速ダッシュをする』というとんでもない作戦を実行するには、血を吸って力を得る必要があるという事か。
「あぁ~なるほどね。もうボクの血で良ければあげるよ。これはほとんどボクのせいだしね」
「ですが、それを可能にするには1人から吸い取るには危険な量の血が必要になります」
「俺とエリスの血があれば可能なのか?」
「そういう事です」
つまり選択肢は2つしかない。目の前のヴァンパイアに血を与えるか、初日から門限破りをするかのどちらかだ。この得体の知れない学園で、いきなり校則違反をするのは出来るだけ避けたいものだ。それにカレンから向けられる、どこか覚悟のある眼差しと目が合ってしまえば後者を選ぶ事はもはや出来ない。
「そうだな…カレンには負担をかけるが、その作戦は試してみる価値はあるな」
「う~ん。ごめんね2人とも。じゃあ時間ないし、カレンはボクの血吸って」
責任を感じているエリスは、自分の左肩の上にある服を躊躇なく手でどかす。エリスの肩半分と鎖骨、そして下着が視界に入り、俺は咄嗟に視線を逸らす。
「…ではやってみますね」
カレンの声にはどこか緊張感が含まれていた。この作戦は彼女にとっても賭けなのだろう。カレンはそのままエリスの肩に噛みついた。
「うっ…」
エリスの顔が少し歪んだ。やはりヴァンパイアに吸血されるのは痛いのだろう。俺はその光景を眺める。5秒ほど経っても吸血は続く。結構な量が吸われているに違いない。そして8秒ほど…体感としてはそれ以上の時間の吸血が終わり、カレンはエリスの肩から口を離した。
「いったぁ…」
ここからではエリスの左肩の様子は確認出来ないが、痛そうに右手で肩を抑えている。
「不思議な味ですね」
一言そんな感想を言って、カレンはそのまま俺のほうを向く。口には血がついていて、その姿はいかにもヴァンパイアだった。
「つ…次は俺か…」
あの痛々しい吸血を見た後だとさすがに怖気づく。だが時間も無いからここで立ち止まっている場合ではない。俺は覚悟を決めて、目の前の同級生に右肩を差し出した。カレンの純白の顔がそのまま接近してくる。
「…では、頂戴しますね」
カレンの純白の顔が急接近する。その半開きの口から覗かせる牙は、エリスの血で赤く染まっていた。純白のヴァンパイアは、そのまま俺の肩に牙を食い込ませる。
「…ッ!」
鋭い痛みが俺の肩を襲った。2つの牙が突き刺さるのだ、それは痛いに決まっている。だが次の瞬間その痛みの感覚はどこかへと消えた気がした。今のこの状況では、そんなものは些細な感覚に過ぎなかったのだ。そんな事よりも重大な感覚が、俺の全身を麻痺させていた。
それは『女子が密着している』というこの状況の事である。同い年の女子が、今こうして俺の肩にくちびるを接触させているのだ。ヴァンパイア族は平均体温が一回り低いようだが、そこには確かな温もりと暖かな存在感があり、今吸血されている事を忘れてしまいそうになった。
俺は肩の痛みではなく、この温もりのほうに意識を集中させる事にした。それから何秒この時間が続いたのかは分からない。エリスの時は8秒ほどだったはずだが、もっと長く感じられた。肩を通して血と共に別の何かが吸い取られていくような感覚さえある。
牙が俺の肩から離れると、そこでようやく鋭い痛みが襲ってきた。吸血中よりも、された後のほうが痛いようだ。肩に出来た2つの穴から血が滴り落ちる。
「はぁっ…」
カレンの瞳は赤く光っていた。それは何やらさっきまでとは違う別人を前にしているかのようだ。
「だっ…大丈夫か?」
ヴァンパイアが普段どれ程血を吸っているのかは分からないが。今こうして同時に2人分の血を吸う事など滅多にないのではないだろうか?
それにカレンは先ほど「自分は人の血を殆ど吸ったことがない」とも言っていた。だとすればカレンは慣れない量の血を吸った事になる。それを考えた時、俺のすぐ目の前で瞳を赤く発光させるヴァンパイアのその様子に不穏なものを感じ取る。
「!?」
そして次の瞬間、気づけば彼女は俺の肩に再び勢いよく噛り付いていた。血が飛び散る。今度は噛み千切るような勢いがあり、すさまじい痛みが俺を襲う。力が強く、振り切れない。
「カレン!?」
エリスがこっちに走り寄ってきた。俺は押し倒されるようにして壁に背中をぶつける。カレンの吸血は止まらない。そして、血を吸うスピードが明らかに早くなっている。全身から力が抜けていく感覚。視界が歪んでくる。
ドンッ
次の瞬間、強い衝撃と共に俺とカレンが地面を転がった。
「カレン! 正気を保ってよ」
「うっ……」
俺は歪んだ視界で2人の姿を確認する。エリスはカレンを押さえつけていた。どうやらエリスがこちらに飛びついて、カレンを俺から突き放したようだ。
「もしかしてヴァンパイアの恍惚衝動かな?」
エリスがそう言う。聞きなれない言葉だが、それは一体何だろう。
「ノエル君大丈夫?」
エリスが心配そうに俺の顔を覗いてきた。歪む視界の中で肩に痛みを感じる。俺の左肩には合計4つの穴と赤い歯型がついている、血が出ていて見るからに痛々しい。それを左手で抑えつつ、エリスが差し出してきた手を片手で握って立ち上がる。
「あ、あぁ…平気だ」
「ごめんなさい…そんなつもりは無かったのです」
カレンが壁に寄りかかりながら、頭を押さえて言う。俺の歪んでいた視界が治まってきた。
「うーん。血を吸い慣れていないヴァンパイアが一度に大量に吸うと、こうなるって話は聞いたことあるけど…」
カレンはその場に座り込む。いかにも息苦しそうだ。この状態で2人を担いでここから全力疾走など到底出来るとは思えない。
「わぁ…思ったよりツラそうだね…、ボクもうちょっと考えるべきだったよ」
「これはあなたの責任ではありません。私が未熟なだけです」
そう言う今も、カレンの息は粗く汗も滲み出ている。
「問題は、ここから時間以内に寮に戻れるかどうか だけどな…」
俺の肩も問題だが、それ以上に今この状況のほうがマズい。
「後4分で門限になっちゃうね」
「……」
ここから寮まで1キロくらいはあったと思う。もう間に合わないだろう。血が噴き出ている俺の左肩の傷から自分の右手を離し、俺はカレンに手を差し出した。
「…立てるか?」
だがそこでエリスが俺の手を止める。
「待って、今のカレンに血を見せたらダメだよ」
恍惚衝動に襲われているヴァンパイアに血を見せるのは確かに危険そうだ。俺は大人しく手を引っ込める。エリスはそのままカレンを後ろから抱き上げた。自分の血が視界に入らないように考慮したのだろう。
「ありがとうございます。もう平気ですよ」
今さっきまで苦しそうにしていたカレンは、涼しい顔でそう言った。
「え、大丈夫なの?」
「2人とも、私に捕まって下さい」
カレンは背筋を伸ばし、両手を広げる。残り時間はもう3分も無いだろう。まさか本当にやるというのか。
「…マジでやるのか?行けるのか?」
「私に任せて下さい」
その表情には、今さっきまでの弱々しさは微塵も感じ取れなかった。恍惚衝動は治まり、そこにいるのは血を吸って力を解放させたヴァンパイアの姿だ。
「お、カレンちゃん目覚めた?」
エリスはそのままカレンの左腕に捕まる。どうやら本気のようだ。後3分以内にここから寮まで“飛ぶ”というのか。
「覚悟を決めるしかなさそうだな」
その『覚悟』は二重の意味を含めて言った。1つは、超高速で飛ぶ事になるという事。そしてもう1つは、女子の身体にしがみつくという事。
俺は自分の頬を叩いた。今はカレンの力を信じるしかない。よし、しがみつくぞ。
「……」
だが勇気を知り絞って俺がしがみついたそれは、女子の華奢な身体…ではなく、固く冷たいマネキンだった。
「あ…」
そう、俺が覚悟を決めているその数秒の間に2人は首輪を装着したのだ。カレンにしがみ付くエリスは、マネキン姿で「にしし」と俺に笑みを向けてくる。
「ノエルくん。生身の身体を抱きつけると思った?」
「変化魔術を嫌いになる要素が増えたぞ」
俺はカレンの右腕へと捕まった。この体制でどう飛ぶというのか?と思ったのもつかの間、カレンは俺とエリスを軽々と持ち上げる。
「お!?」
「行きます。全力でしがみついて下さい」
凛々しい声で宣言したカレン。俺は歯を食いしばり、力の限りにしがみついた。
ドンッ
そんな音が聞こえたと思った次の瞬間、激しい風が全身を駆け巡った。
_____
残り時間3分。ここから寮までの道のりは1キロ以上あるし、消して一本道ではない。途中でいくつもの階段と分かれ道があったはずだ。
いくら高速で動けたところで、3分以内にたどり着けるところなどイメージ出来ない。一体どうするつもりなのか。
凄まじい風と衝撃を感じながらも、俺は閉じていた瞳を恐る恐る開けた。するとそこは――
壁だった。
何を言っているのだろう俺は。今自分が見ている光景を信じる事が出来ない。
「あははははっ すっごーい」
エリスの楽しげな声が聞こえてくる。そんな大声を出しては外にいるものに気づかれてしまうだろうが、そんな事を気に出来る余裕など今の俺には無かった。
タタタタタッ
というこの足音は、壁をかけ上がっていく足音だ。そこにビュウウという風の音が合わさる。空に向かって高速で進んでいく自分。ここから地上エリアまでの距離は大体500mくらいはあると思う、その距離をほんの数秒で走り切る。
地上が見えた途端に「ふわっ」と空中に浮かぶような感覚があった。壁を走り終えたカレンは、そのままジャンプして高く舞い上がったのだ。風の音が一瞬止み、また高速で落下していく。下を確認すると、建物の屋根が高速で近づいてきていた。地面に到達すると軽いステップで落下の衝撃を受け流し、再び高速のダッシュが始まる。
_____
「残り30秒だね」
エリスがそう言ったのは寮の最上階、廊下の窓際での事だった。
「…よし急ぐぞ」
門限と言っても、その時間には寮ではなく自分の“室内”にいなければならないのだ。こんな門限ギリギリな時間に玄関から入るのは明らかにマズいので、カレンはこうして最上階の窓から潜入した。幸いにも見回りは廊下にはおらず、誰にも見られていない。だが、
「はぁ…はぁ…」
カレンは息切れしていた。2人の血を吸って力を得たとは言え、1キロ以上もあるあの距離を全速力で飛んだのだ。さすがにキツいだろうと思う。
「じゃまたね」
エリスはそそくさと自分の部屋番号がある方向へと去っていった。ここで別れの挨拶をしている時間など1秒もないのだ。俺とカレンの今の生徒番号は近いから、部屋がある位置も近いだろう。俺たちはエリスとは反対方向へと速足で進む。
残り15秒。廊下を進んでいると、その途中で見回りの人とすれ違う。時間がギリギリな上に、カレンはかなり息切れしているというこの状況だ。見回りは当然ながら怪しむような視線を向けてきた。俺は咄嗟に自分も息切れしているふりをして、いかにも『一緒にジョギングしてた』という演技をしてやり過ごそうとする。
夜は図書館や銭湯などを利用する生徒もいて門限の間際まで粘る者も少なくないと聞くが、入学したての新入生が門限ギリギリのこんな時間に廊下を歩いていれば印象は悪いだろう。
残り5秒。カレンの部屋番号『199』のドアが見えた。俺はカレンの背中越しに「またな」と一言挨拶して別れる。本当なら労いの言葉をかけてやりたいが、そんな余裕などない。俺は駆け足で廊下を進み、自分の部屋番号『183』のドアがあるところまでようやく辿りつく。
残り1秒となった途端、俺は自分の部屋の中に足を踏み入れていた。




