12 生身の会合
真下には雲海。
標高6000mくらいを浮遊しているのに、風は穏やかだ。気温もそこまで寒くはない。
それは浮遊島が持つ特有の結界の効果である。強風を押さえ、適度な気温を保つ。そして空気も薄くならない。大抵の浮遊島にはそんなバリアが自然と発生するのだ。これを「気象結界」と呼ぶ。
浮遊する石板が並ぶだけのこの通路は、端から端まで大体300mの距離がある。俺はその真ん中あたりまで来たわけだが、例の2人はとっくに渡り終えていた。
もしかしてあの2人はこういう危険な道は歩き慣れているのだろうか?
ともかく、俺は全身に冷や汗をかきながらゆっくりと歩を進めていた。
『気象結界』が存在しない浮遊島もあるそうだが、そのような島は空気が薄く常に強風が吹き荒れているという。自分は行った事がないが、きっと立っている事も難しい環境なのだと思う。俺はこの浮遊島にある気象結界に感謝しつつ、なんとかこの道を渡り終えた。
ゴール地点の浮遊遺跡にて俺を待っていた2人は、ここから見える夜景を眺めていた。夜空。満月。雲海。そして心地よい風。ここが6000m上空であり落下すれば命の保障がない事を除けば、開放的で居心地のいい場所だ。
「ねぇ、全身でこの風を感じてみようよ」
もう全身で感じているじゃないか。と思ったが、元02番はそういう事が言いたいわけではないのだろう。
このマネキンのような姿では、生身と同じ感覚で風を感じる事が出来るわけではない。生の姿と変化魔術で変化した姿とでは、全身の感覚に微妙な違いが生じる。
「まさか…本当に外すのか?」
元02番は何も言わず、そのまま自分の首輪に触れる。本当にここで外すつもりらしい。最初からそのつもりだったのだろうけど、その思い切りの良さは凄いと思う。
今日何度も聞いた独特な魔術音と共に、ウネウネと波打ちながら元02番の変化魔術が解かれていく。
茶色と赤。セミロングの髪が風に揺られる。そこには獣人族の少女の姿があった。
「ははっ やっぱり全然違うよ」
姿を見るのは当然初めてだが、何かしっくりくるものがあった。その姿は紛れもなく、今朝俺を道案内したあの元02番だ。
彼女は腕を広げて、いかにも気持ちよさそうに風を感じている。首輪の変化魔術を外したらそんなに変わるのだろうか?実際に自分で外してみない限りは分からない。
「そんなに違うのか?俺もやってみよう」
そんな堂々と恥ずかし気もなく姿を明かされては、こちらも首輪を外さないわけにはいかない。俺もそれを見習って堂々と自分の首輪を外す。そろそろ聞きなれてきた魔術音と共に、俺の変化魔術が解けていく。吹いてくる風の質が、どこか変わったような気がした。
一番の違いは、髪の感覚だ。変化魔術でのマネキン姿には毛が無いから、髪が風に揺られる感覚もない。そして肌での感覚もやはり少し違う。より鮮明な感じになった気がする。
「やっぱ違うな」
目の前の少女は、腰に手を当ててニッコリと笑みを向けてくる。
「やっぱり、きみハーフエルフだったね」
「俺の正体はお見通しだったってわけか?お前も印象通りの獣人族で安心したぞ」
獣人族の少女は、俺のその言葉に小首を傾げる。
「わたしが獣人族に見えるの?」
いや、その耳はどう見ても獣人族だと思うが…俺はもう少し注意深く、少女の姿を眺めてみる。獣人族自体あまり見慣れていないが、言われてみればどこか違和感を感じる部分もある。例えば…
「獣人族にしては、あまり毛深くないですね。…もしかして貴女も混血なのでは」
まだ首輪を外していない元28番が、彼女の全身を眺めながら言う。そう、その肌と体つきに獣人族特有の毛深さは無く、むしろ華奢なエルフ族を前にしているかのような印象さえある。
「正解だよ。ボクもこの子と同じ混血なんだ。ライト・エルフ族と獣人族のね」
混血…?この少女も混血だったというのか。それは完全に予想外だ。ライト・エルフ族と言えば主に浮遊大陸などに住むエルフのことだ。俺の母側の種族であるウィンド・エルフ族よりも耳が長く、平均身長も高い。
俺が住んでいたエルフの街にも、数は少ないが何人か見かけた。
「なるほど、私は2人の混血に助けられたという事ですか。不思議な巡り合わせもあるものですね。」
そういう元28番はマネキン姿のままで、首輪を外す気配はない。
「ねぇ、君も早く外してよ」
「私も外さないとダメですか?」
「もし断っても、私が無理やりにでも外すよ?」
半獣人の少女は手をうねうねさせながら言う。
今日の半分くらいの時間はずっと行動を共にしてきた元28番だ。どんな姿をしているのか俺も気にはなっている。というか、昼間からずっと気になっていた。
「そ、そんなに凝視されていると、外せませんよ」
俺と半獣人の少女が、じっと期待の眼差しで元28番を凝視しているのだ。俺だったら外せない。
「君が中々外さないからだよ~?」
「あぁ、この風を感じないのは勿体ないよな」
ここで外したのは俺たちの勝手だから当然そんな義務はないが、1人だけ外さないのはこちらとしても気分が落ち着かない。
「はぁ…観念しましたよ」
元28番はため息と共に首輪を外す。魔術音が響き、変化魔術が解けていく。
「こんな無様な姿をさらす事になるとは…」
そこに現れたのは純白の肌と黒い服に身を包む細身のヴァンパイア。だが、服のあちこちが焼け落ちていて、痛々しい姿になっている。
「美少年?」
「私は女です」
半獣人の最初の感想は衣服の有様についてはスルーしていたが、その見た目は確かにボーイッシュで男だと言われても違和感はない。声も相変わらず中性的だし、女性だと言われないと正直分からない。
昼間に2人で診療所に行った時、俺はこのヴァンパイアの性別がどっちなのか気になっていたわけだが、その答えを今あっさりと知る事になった。俺はぽかんとした。だが実際に目の前にしてみるとなんて事はない。あの緊張感は何だったのか?とりあえず昼間に悩んだ『もし異性だったら今後はどう接するべきか』という件について考えるのは後にしよう。
「まさか姿をさらす事になるとは思わなかったので、服なんて着替えてきませんでしたよ」
軽くため息を吐きつつ、腕を組むヴァンパイアの少女。
昼間の例の騒動の時に聖水をかけられていたが、その中身はまさかここまで悲惨な事になっていたとは。乙女の露出した肌をあまり見てはいけないが、肌の一部は火傷していて痛々しい。
「男の子の前で見せれる格好じゃないかもね。伝言の紙に服装について書いておけば良かったかも」
例の伝言の紙に今の元28番の服装の有様まで想定して、そこまで配慮するような事が書かれていたら、むしろ怖いレベルの察し具合だと思う。ともかく、男の俺はあまり視線を向けないほうが良さそうだ。
「あまりジロジロ見ないようにしておくよ…」
「もう早速スケベそうな顔してるもん」
揶揄うように言いつつ、半獣人の少女は俺の肩に腕を乗せてジロりと顔を近づけてきた。
「ねぇ、君ずっとこんな子とデートしてたの?」
“こんな子”とはカレンの何を指して言っているのか。ボロボロな服装についてか、それとも中性的美人である事について言っているのか。その2つでだいぶ意味合いが変わってくる。
俺は数秒考え、そのどちらにも対応する返答をする。
「俺も隅に置けない奴だったわけだ」
「なるほどね」
何が「なるほど」なのかは分からないが、ともかく目の前のヴァンパイアをこのままにしておくのも悪い。
「もういいですか、首輪をつけても」
俺も目のやり場に困るから、彼女はマネキン姿に戻ってもいいと思う。
「ダメだよ?」
半獣人の少女は、元28番の首輪をその手に持っていた。知らぬ間に首輪を奪い取っていたらしい。ここでスリの技を使うとは、本当に「隅に置けない奴」は誰の事だろうか。
「そのマントを羽織って、ここにいる男子のえっちな視線から守ってて」
この半獣の少女は、どうも生身の姿に拘りたいらしい。
「仕方がないですね…私は折角ですので風を感じていますよ」
元28番は俺に背を向けてその場に座り込む。正面よりも背中側のほうが露出は多い。俺はついその純白の肌を凝視してしまう。火傷の痕は多少は残っているものの、既に半分以上は回復しているようだ。
半獣の少女が続いて地面に座る。俺も腰を下ろす事にした。
「ボクの名前はエリスね。学校では番号で呼んでよ?」
彼女は俺が地面に座るのを確認すると、自分の名前を名乗った。この学園では校則として自己紹介をする事を禁じられているから、ここでようやく本当の自己紹介が出来るわけだ。
入学早々に俺を惑わせた少女の名は“エリス”というらしい。彼女が名前を名乗ったのなら、続いて俺も名乗るべきだろう。
「俺はノエルだ。よろしくな」
「私はカレンです」
俺ともう1人が続けて自分の名前を口にした。
今日俺と一番言葉を交わしたヴァンパイアの名は“カレン”か。まさか今日中に知る事になるとは思わなかった。
お互いに名前を名乗り終わると、数秒の沈黙の後にエリスが笑い出す。
「あはははっ ねぇほら、こうやって話したほうが絶対たのしいよね」
エリスはカレンに近づき、そのまま頭を両手で掴んだ。
「ほら見てよ!カレンちゃんなんてこんなに美人だし ペロペロしたくならない?」
エリスは俺のほうを見てそんな事を言う。頬を撫でられるカレン本人は無表情のままだが、俺は驚いた。
「ペロペロか…」
獣人族にとってはペロペロが愛情表現かも知れないが、エルフ族や人間族などはそうでもない。半獣であるエリスもそれくらいは当然知っているはずだ。
「そうだな。俺はそれよりも、エリスとカレンの2人に挟まれたほうが幸せだと思う」
返答に困っていた俺は、とりあえず適当な冗談を言ってやり過ごす。エリスはカレンを撫でる動きを停止させ、目をぱちくりさせてから元の位置に戻った。
「ノエルくんは、ボクが思った以上だね」
わざわざこんな所に来てまでする事がそれなのかと心の中でツッコミを入れる。カレンはそこで「はぁ…」とため息をついた。
「ところで、エリスさんは私たちをここに呼んだ理由があるのではないですか?」
ついエリスの自由奔放さに振り回されてしまいそうになるが、それが本題だ。俺たちは校則に違反してまでここに集まっているわけで、時間も限られている。
エリスがこうして俺たちを集めた理由と目的についてまず最初に聞かなければならない。
「ボクが君たちを呼んだ理由?」
エリスは「うーん…」と顎に指を当ててしばらく考える。
「大きな目的とか理由があって君たちを呼んだわけじゃないんだ。ただ単に、誰かとここに来てみたかっただけなんだよね」
この元02番とは朝に会った時から自由奔放な感じはしていたが、やはりそんな理由だったか。だが俺としては、こうして2人と知り合える切っ掛けを作ってくれたエリスには感謝している。
「この場所に来てみたいと思った経緯はなんだ?」
「今日は朝一番に学園に来たんだけどね、その時に待ち合わせしてた先輩たちに色々教えてもらったんだ。ここの話を聞いた時は、凄く楽しそうだと思ったよ」
この半獣の少女は朝早くから来ていたようだが、それは上級生たちと待ち合わせをしていたからか。
「まさか首輪を外してもバレないなどという場所があるとは、正直今でも眉唾ものですよ」
だが言われてみれば、この場所が本当に安全かどうかはまだ判然としていない。実は学園側に俺たちの行動は全てバレていて、翌日になれば教師たちの説教や罰が待っている可能性はゼロではない。
「今朝の6:00くらいかな、先輩たちがここで首輪を外してたのを見たから大丈夫だよ」
そんな早くから学園に来ていたとは驚きだ。
「あの先輩たちは種族もバラバラだったのに凄く仲良さそうで、私も同級生の誰かと来たいと思ったんだ。君たちを呼んだのはそれだけが理由なんだよ。ボクのわがままに付き合わせちゃったけど、来てくれてありがとう」
異種族同士の友情…か。エルフ族の街や人間族の街でしか暮らしたことはない俺にとってそれは眩しいものだ。
様々な種族が行き交う大都市などに行けば『異種族が集まってワイワイやっている光景』を目にする事も無い事は無いが、地方だとそんな光景は滅多にない。
「なるほど、エリスの考えは分かりました。わがままだなんてとんでもないです。私は貴方たちに救われているのですから」
カレンは昼から散々な目にあって、心身ともに堪えているだろう。
こうして人気のない場所に連れて行こうとするエリスに最初は俺も警戒していたが、蓋を開けてみれば秘密基地への招待だったわけだ。これは俺たちへの信頼がなくては出来ない事だろう。だがそこで気になる事が出てくる。
「どうして俺たちを選んだんだ?」
600人いる生徒の中で、なぜ俺たちを選んで招待したのだろうか。相手次第では「これは校則違反ですね。学園に報告しておきます。」とか言って教員に密告などしかねないものだ。俺たちがエリスに対して、そのような不義理な事をするような人ではない保証などどこにもない。
「それは簡単な理由だよ。ノエルくんは昼間にピンチだったカレンを助けようと動いたよね。少なくとも種族差別主義者みたいな人ではないと思ったからだよ。」
昼食会で見た例の過激派や、異種族に対して差別的な発言をする一部の生徒達を思い出す。そのような者がいる中で、信頼出来そうな人を見分けるのは難しそうだ。
「そしてカレンちゃんは、あんな酷い事された後も周りの人には優しかったでしょ?すごく健気で良い子だと思ったよボク」
きっと騒動の後に、カレンが平然と食事に戻った件について言っているのだろう。
「お腹が空いていただけですよ」
「あの時、まだ何も食べてなかったもんな俺たち」
だが確かにこのヴァンパイアの少女は、聖水でボロボロにされた直後だったにも関わらず周囲の者と平気そうに接していた。もし俺だったらどうなっていたのか分からない。
「あの子と友達になりたいって思ったねボク。来てくれてありがとう」
「いえ、私も同じ気持ちですよ」
エリスはカレンの手を握る。そんなやり取りを前に俺も微笑んでしまう。
だがエリスがこうして誰かをここに呼ぶのは博打でもあったはずで、種族差別主義者のような者を引き当てないように注意したはずだ。
そこで俺はある事が気になった。
1つの種族が暮らす街や学校特有の排他的な空気に飽き飽きしていた俺は、多種族が通う学園を探していた。純血のヴァンパイアであろうカレンはともかく、俺と同じ混血であるのエリスも同じような苦労してきたはずだ。彼女はどういう目的でこの学園への入学を決意したのだろうか。
「なぁ…お前らはなんでこの学園に入ろうと思ったんだ?」
エリスはカレンの手を握ったまま、笑顔で俺のほうを見る。
「それも聞こうと思ってたんだよね~ こんな学園に入ってくる人なんて普通じゃない人ばかりだと思うよ」
「そうかもな…」
浮遊島にあって、多種族が通い、変化魔術で姿が隠されている。そんな奇妙な条件が揃った学園など世界にそれほど無いだろう。ここに入ってくる者は変わり者か、変わった環境にいる者だけかも知れない。
「じゃあノエルくんはどうなの?」
エリスは俺に問いかけてくる。俺が最初に入学した理由を話すのか。まぁいい、一体どこから話すべきだろう。
俺は改めて満月を眺めてから考えた。




