10 中央大食堂
時計の針は18:00を指している。すっかり暗くなった通路を歩きながら、俺はゆっくりと後ろを確認する。自分のすぐ真後ろを歩くポーカーフェイスと目が合い、そのまま視線を正面に戻す。
これを何度か繰り返しながら俺は道を進んでいた。俺の真後ろを歩くのは、今は199番の元28番だ。
向かう先はこの学園に幾つかあるはずの食堂だが俺たちは経路を把握していないので、とりあえず来た道をひたすら引き返している。後ろにいる28番に「食堂ってどこにあるか分かるか?」と聞いてみたのは数分前の事だ。答えは「さぁ」の一言だった。だが辺りから料理の匂いはしてくるから、近いところまでは来ていると思う。
俺がこの元28番について知っている情報と言えばヴァンパイア族であるという事だけだ。対して元28番は俺が男性である事くらいは察していると思う。俺は昼休みに行った診療所での出来事を思い出した。
だがここで元28番の正体について考えたところで仕方がない。今は食堂に向かう時だ。そろそろ見覚えのある建物が見えてくる。この辺りからは今日の学園案内で説明された場所だから、道はもう大体把握出来ている。
「えっと…食堂はどの辺だっけ?」
だが、物覚えが悪い俺は相変わらず迷子だった。ここに来たのは覚えているが、1回の説明では中々道を覚えられない。
「あそこだと思いますよ」
元28番が指で示す方向を確認すると、見覚えのある大きな建物があった。あれこそ学園案内でも説明された『中央大食堂』であり、その名の通りこの浮遊島の中心エリアにある最も大きな食堂だそうだ。ここから500mくらい先にある。
「アレか… はぁ…そろそろ休みたいな」
思えば学園案内が始まった時からずっと歩きっぱなしだ。つまり数時間は歩いているという事になる。
「ずっと歩きっぱなしでしたね。私は走ったり飛んだりしましたが」
俺を見つける為に、そこら中を駆け回ったのだろうか。だがそんな元28番の表情に疲れは見えない。
「そのわりには涼しい顔してるな…」
「もうへとへとですか?」
「ついでに腹も減っている」
疲労と空腹。今日はきっとぐっすり眠ってしまう事だろう。そう思うと眠気さえ感じてくるような気がしてきた。
「あと少しでご飯が食べれますよ」
「あぁ」
元28番に背中を軽く押されつつ、俺はもうひと踏ん張り歩を進めた。
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そして5分ほど歩いて、俺たちはようやく『中央大食堂』へとたどり着く。その名に相応しい大きな扉から中にはいると、外よりは少し暖かい温度と、レストランのような内装が俺たちを出迎える。ここは学園案内の時にも見たが、夜に来るとまた雰囲気も違うものになる。
食堂の利用方法はこうだ。自動販売機で食券を買い、カウンターに渡す。近くの椅子に座って5分くらい待つと自分の生徒番号が呼び出されるから取りに行く。
俺はとりえあず自動販売機から『野菜スープセット』の食券を取り出しカウンターへと渡した。後は自分の生徒番号が呼び出されるまで待つだけだ。ここでも生徒番号を活用するのは如何にもこの学園らしいと思う。
カウンター近くの椅子に座ってようやく一息つきながら、この広い食堂を眺める。席は意外と半分も埋まっていない。今日は新入生以外は休みのようで、半数近くが学園の外に出ているらしい。いつもならもっと混んでいるのだと思う。とりあえず席を見つけるのに苦労するという事は無さそうで安心した。そして元28番が隣に座ってくる。
「やっと休めますね」
「あぁ、いい席も見つかりそうだな」
空いているとはいえ、この食堂の中にはそれなりの人数がいる。だが「グループが集まってワイワイ歓談している」というあり触れた光景は、ここでは殆ど見当たらない。黙々と1人で食事をする者が殆どだ。おしゃべりが全く聞こえてこないというわけでもないが、やはり基本的に物静かだ。
だが、そんな物静かな光景の中で、一か所だけやけに賑やかな空間があった。大きなテーブルに8人くらいの新入生と上級生が集まって、何やら盛り上がっているようだ。よく見ると、そのテーブルに座る新入生の1人の番号はI-571だった。あの数字には見覚えがある。
あいつだ。数時間前、重い空気に包まれていたクラスメイト達を鼓舞した生徒だ。ここからあのテーブルまでは数十メートルは離れているが、辺りが静かだからか会話も良く聞こえてくる。早速571番の聞き覚えのある活発な口調がここまで聞こえてきた。
「ははっ面白い。つまり少人数の部活内では、番号シャッフルはもはや意味を成していないと言うのですね?」
「あぁそうだ。意味がないね。すぐに誰なのかバレる。」
571番の質問に答えるのは赤色のマントの生徒。つまり3年生の者だ。571番はクラスメイトを食事に誘うだけでなく、上級生さえとも打ち解けてしまっているのか。あの生徒には本物の統率力があるのだろう。俺から見たら眩しい存在だ。あのテーブルに集まる約8名も、571番を中心にして集まった者たちだろう。
気づけば俺の隣にいる元28番も、あのテーブルを無言で眺めていた。この静まった食堂の中で、あの空間だけはキラキラとしている。
「お互いに待ち合わせ場所とサインを決めてしまえば、シャッフルなど問題にならないと?」
「あぁ、この学園ではそれは常識さ。2年にもなれば、シャッフルに翻弄される事もなくなる」
そう答えるのは紫色のマント。つまり4年生だ。あのテーブルに集まっているのは学年さえもバラバラのようだ。一体どんな経緯であの場に集まったのか気になる。
「まぁ…何だかんだ言って、誰とも連まない奴らもいるけどな。この学園でぼっちは恥ずかしい事じゃないぜ?」
テーブル周辺が笑いに包まれる。新入生と上級生たちが歓談しているあの場面も、本来なら当たり前な光景なのかも知れない。だが今日この学園に来てからは、そんな賑やかな場面はついぞ見る事は無かった。
俺と元28番はあの集団たちについて特に何も言う事もなく、ただ眺めるだけだ。そして気づけばカウンターのほうから俺たちの生徒番号が呼ばれる。
「183番ー、199番ー」
そういえば今の俺の番号は183だったなと思いつつ、俺は腰を上げてカウンターへと向かった。
出来立ての料理をカウンターのスタッフから受け取り、元28番も続けて受け取る。言うまでもないが、スタッフ達もマネキン姿をしている。俺が注文したのは、わりと両が控えめな野菜スープセットだが、元28番が注文したものは更に簡素な、丸いパンと豆サラダがセットになったものだ。
そんな少量で足りるのだろうか?食券を選ぶ時に量の指定も出来るが、その量を見る限りは恐らく一番少ないものにしている。もしかしたらヴァンパイア族は小食なのかも知れない。或いはただ単に元28番が小食なだけなのか。
「わりと控えめなメニューだな」
「今日に限っては、これでも多いくらいです」
もっと少なくてもいいという事だろうか。ともかく今は俺たちが座るテーブルを決めなければならない。空いているとは言え、俺は可能な限り人が少ないところのほうが落ち着く。
例のグループ達の会話が聞こえるところに座ってもいいかも知れないが、それよりもこの大食堂の構造を空いているこの日のうちに把握しておきたい俺は、そのまま2階に上がる階段へと進んだ。
しかし、わざわざ別の階に移動する必要もないくらいに席が空いているわけで、「何故2階へ上がるのです?」という指摘を元28番がしてくるのを俺は待っていた。だが元28番は特に何も言わず俺に付いてくるだけだった。
2階に上がると、そこには200席以上はありそうな広い空間が広がっていた。だがほぼ無人だ。辺りを見渡せば1人で黙々と食事を取っている生徒もいるが、それもせいぜい10人程度しかいない。
それらの生徒はマントの色からしてみんな新入生だ。わざわざこんな人気のない場所に来るくらいだから「静かなところで1人になりたい」人達なのだろう。
きっと彼らは入学早々この学園について色々思う事があり、1人で黙考したい気分なのだと思う。そして俺も本来ならば彼らと同じように、ここで黙々と食事を取っているはずだった。
だが何故かそうなっていない。俺のすぐ後ろを歩く元28番が、俺のその未来を打ち砕いたのだ。
1階にいた例の571番を中心としたグループはともかく、この学園では「話し相手がいる」事は逆に珍しいのだろう。普通の学園だったら1人で食事をする人のほうが少ないかも知れないが、この学園では見事にそれが逆転し、共に食事をする相手がいる方が少数派になっている。
そして気づけば俺は2階の再端にまで来ていた。この周辺のテーブルは完全に無人で、薄暗さも相まってどこか不気味な雰囲気すら漂っている。ただでさえ空いている日なので、わざわざこんな所まで来る理由は何もない。
「一番いい景色が見れるところまで来るとは、あなたも粋ですね」
と思っていたのだが、自分のすぐ後ろを歩く元28番が突然そんな事を言ってきて、俺は意味が分からず首をかしげる。だが視線を前に向けた途端にその疑問は解消された。
大きな満月。俺が選んだ席のすぐ近くには広い窓があり、外の景色が一番よく見渡せる場所だったのだ。
「…おお、いい眺めだな」
持っているトレーをそのテーブルに置いて椅子に腰かける。壁にある時計を見れば18:15分を指している。ようやく飯にありつけるわけだ。元28番も向かい側に座ると、ほっと一息ついて「いただきます」と小さく言う。
ようやく本格的に足を休ませる事が出来ることに喜びつつ、俺は注文した野菜スープの香りを嗅いだ。何も考えず適当に選んだメニューだが、これはよく見たら代表的なウィンドエルフ族の料理だった。つまり、食べなれたスープである。まさかここで最初に食べる料理がこれになるとは。
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それから体感5分くらい会話もなく黙々と食べ続ける俺たち。ここに来る途中も基本的に無言だったからか、不思議と気まずさはそれほど感じない。だが、話すべき事は色々あるはずだ。「番号シャッフル」がまた起きた時の対処とか。
俺はチラッと元28番に視線を向ける。ヴァンパイアが食しているパンはまだ半分くらいしか減っていない。俺は自分のスープの皿を一旦テーブルに置いて、気になっていた事を聞いてみる事にした。
「なぁ、えっと…28番…じゃなくて199番。診療所を出た後、教員たちに連れていかれた先で何言われたんだ?」
昼食会でのあの騒動に関わった者として、これは聞いておかなければならない。
「私は明日から一週間の謹慎処分になりました」
言われた言葉の意味が咄嗟に理解出来ず、俺はぽかんとする。
「え…どういう事…?」
「私は他の生徒の首輪を無理やり外すなどという、この学園においては重い罪にあたる行為を犯してしまったわけです。一週間の謹慎処分は妥当と言えるでしょう。」
話の内容を数秒遅れて理解する俺。謹慎だと?そんな重要な話があったのに、ここまで話題に出さず沈黙していた元28番は凄いと思う。
「え、マジで…?でも首輪を外したのはある意味、正当防衛だよな…?」
俺は明日以降も元28番と情報共有しようとか思っていたわけだが、そうなると話が変わってくる。入学早々に一週間の謹慎処分はキツい。学園生活をスタートさせる重要な時期を逃し、勝手の分からない状態の中でどう授業に参加しろというのだ。
「それでも相当軽いそうですよ。本来ならばもっと重いペナルティーが課せられると聞きました。それに、今日中は自由に行動する事を許可されています」
「…そうか、一応は情け…?をくれたわけだな。教員たちもあの場面を見ていたはずだから、もっと軽くてもいいと思うけどな…」
聖水であんな事をされた挙句に一週間の謹慎処分とは、元28番はもっと不服を唱えてもいいはずだが、目の前の本人は平然とそう話す。その処罰を受けるべきなのは寧ろ24番たちのほうではないのか?
「24番はどうなったのか聞いたりしたか?」
「特に何もお咎めは無いそうですよ」
24番たちは大勢の前であんな陰惨な行為をしておいて何も罰せられず、被害者である元28番は謹慎処分を喰らうというわけか。
「彼らが行った校則違反に当たる行為は“聖水の持ち込み”だけのようです。それ以外の行為は、この学園の校則違反にはならないそうです。直接的な暴力もありませんでしたしね」
俺の右肩の傷は今も痛んでいる。それを手で抑えながら考える。この傷も俺が飛び込んだ事によるもので、ナイフを持っていた彼の罪にはならないのだろう。
「…納得いかなねぇな」
もはやその一言しか出てこなかった。だが言われてみればそうなのかも知れない。聖水を人にかける行為については校則には何も記されていない。そして彼らは目の前の元28番を焼却炉に連れて行こうとしていたが、それは未遂に終わった。捕らえたヴァンパイアを本当に“焼却”しようと考えていたかどうかは定かではないが、少なくとも人気のない場所で非道な事をするつもりだったのは間違いない。
俺は「はぁ…」と深い溜息をしつつ、残りのスープを口に流し込む。食べなれたエルフ族の料理だが、その味も本場のものに近い。この味が今の俺の心のザワつきを落ち着かせる気がした。
しかし、目の前の元28番は何故そんなに平気そうでいられるのか。まさかとは思うが、こういう理不尽な目に会うのは元28番にとって実は日常茶飯事であり、もう慣れてしまっているとか…?
「フフッ」
突然、向かいに座る元28番がそんなふうに笑った。いや…笑うような心境ではないと思うのだが。あまり被害を受けていない俺でさえ、今の話を聞いて気分が悪くなってきたくらいなのに。
「私なら平気ですよ。一週間引きこもるくらいは、いつもやっている事です」
「ど、どういう意味でだ?」
俺はその言葉を聞いて更に不安になった。まさか家庭では躾と称した虐待がいつも行われていて、部屋に閉じ込められるのが当たり前だとか。…いや、だとしたら今そんな軽やかな表情でいられるはずがない。
「読書が私の趣味、と言えば分かって下さいますか?」
俺のそんな不安を察したらしく、元28番はやれやれという様子で言う。
「なんだ、そういう事か…」
つまり、純粋なインドア派の者だったか。俺の不穏な予想が違うようで安心した。という事はこの人はやっぱり“こっち側の人”だったわけだ。俺は内心仲間と出会えた事に喜ぶ。いや、俺はあまり読書好きというわけではないのだが、性質的にはきっと同類だ。
「謹慎って、まさか部屋から一歩も外に出ちゃいけないくらい厳しいやつか?」
「そう言われましたよ。食事は運んできてくれるそうですが」
もし部屋から出れるなら俺に出来る事がありそうだったが、そんな事は許してくれないようだ。
「つまり、お前とは一週間会えなくなるって事だよな…」
この学園の寮では、他の生徒を自分の部屋に招くことが禁止されている。それを徹底的に阻止する為に、ドアに施された転移魔法は本人以外の者が通ったら入口に戻されてしまうようになっているらしい。現代には中々見ない、とんでもない魔術セキュリティである。もしかしたらそのシステムの裏をかく方法もあるかも知れないが、事実上寮の個室で他の生徒とコンタクトを取る事は不可能となっている。
「私と会えなくなるのは悲しいですか?」
どこかご機嫌そうにそんな事を言ってくる元28番。
「お前本当に謹慎処分されるのか?」
もしかして今の全部嘘だったのではと不安になってくる。それはそれで笑えないジョークだ。
「本当ですよ。教員に確認してみて下さい。」
「あの人達とはあんまりお話したくないな…」
この学園の教員たちに対する俺の信頼度は、今のところとても低い。そして教員さえもカモフラージュで正体が分からなくなっているので、信頼できる先生と出会える事にも期待出来ない。それを思うと、これからの学園生活も先が思いやられる。
だがそれはともかく、元28番がそこまで言うなら謹慎処分は嘘ではないのだろう。
俺は残り少なくなったスープを全て飲み干す。元28番の皿を確認すると、もう食べ終わっていたようで空になっている。
俺は改めて周囲を確認した。食堂2階のこの広い空間にいる者は、俺たちを除いて3~4人程度しかいなくなっていた。
「じゃあ俺たちも行くか」
ごちそうさまをしてから、俺たちはその場を後にした。最後に窓から見える大きな月を眺め、次はもっと仲間を連れてこの席に集まりたいと思った。




