気怠げな赤珊瑚
月長石の秘め事を書いていた途中に書いた軽いノリの与太話です。なので、時系列的になんか色々おかしかったり、文体が安定してなかったりと、目も当てられない部分が多いのですが、多めに見て下さると助かります。
「うーっす」
風吹は白衣をはためかせて、ドアベルを鳴らしながら極楽堂薬石店の敷居を跨いだ。
「あら、風吹先生。いらっしゃいませ」
西洋風の女給の服を着た千代は、喫茶スペースのテーブルを拭く手を止めて来客に声を掛けた。
「やあ、千代さんおはよう。元気そうだね」
風吹は案内されてもいないのに、喫茶スペースの椅子に座ってテーブルの上の角砂糖を口に入れる。ふたつめを手に取ろうとしたところで、ピシャリと千代に手を叩かれた。
「お陰様です。風吹先生は今日は如何されましたか? 薬をお渡しする日は来週だったと思いましたが」
「うん、ちょっと野暮用でね」
そういうと、風吹は店内をぐるりと見回した。いつもこの時間には店に出ている、目当ての人物がいないようだ。
「旦那は?」
「奈落先輩なら、まだ上で休んでらっしゃいますよ」
「ええー、まだ寝てるの? あ、わかった。また飲み過ぎたんでしょ? もー、ダメだなぁ旦那は千代さん1人にお店の準備なんかさせちゃって。弱いくせに飲み過ぎるんだから。よし、じゃあね、僕がガツンと言ってあげるからね。なに礼はいらないよ僕と旦那の仲だからね」
「えっ、いやあの……」
千代が制止する間も無く、風吹は店奥の居住階に続く階段をズカズカと登っていってしまった。
「ど……どうしよう……」
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「だーんな。あーさでーすよー」
風吹は奈落の寝室の襖を開けると、妙な節をつけて声をかけた。
部屋の奥の布団がもぞもぞと動く。やがて、ボサボサ頭の奈落が少しだけ顔を見せた。
おや、と風吹は首を傾げた。何やら、いつもの覇気が無い。昨夜相当飲んだのだろうか。普段なら深酒しても自分で酔い覚ましを調合するような人間なのに。
「上がっていいと言った記憶はないんだがな」
白い顔で、それでも悪態はついてみせる。
「ダメだよ旦那。酒は百薬の長なんていうけどね、飲み過ぎはダメダメ。薬屋の旦那がそんなんじゃ示しがつかないでしょ。可哀想に千代さん下で1人で店の準備してたよ?」
「……あぁー……、まぁ、千代さんには申し訳ないと思っているよ。彼女も今大変な時なのに、私の補佐までしてくれているからね。休んでいろと言ってくれたのも彼女だ」
「もー、旦那には過ぎたお嫁さんだよ千代さんは。女手ひとつで娘さんを育てながら旦那の面倒まで見てるなんて」
「嫁、か……」
奈落はそう呟くと、布団を持ち上げて上体を起こした。
風吹はまた更に違和感を感じた。寝巻き浴衣姿の奈落の体に、いつもと違うものを感じる。が、なんだろう? どこかで見覚えのある違和感のような気がするのだけれども。
「……どうかしたのか?顔は白いし、覇気はないし、なんだか妙だぞ」
「ほう、腐っても医者か。私が体調が優れないということによく気付いたな」
「なめとんのか」
奈落の寝起きで崩れた浴衣の襟元から、白い鎖骨がのぞく。風吹はふいに、やましい感覚に襲われた。そして風吹は別に、その感覚を否定もしない人間だった。
「……おい、何をしている」
「んー?」
風吹は奈落の両手を掴んで、再び布団に縫い付けた。その鎖骨に顔を近づけ、ちろ、と舌を這わせる。
「……ッ、ふざけるな。なんのつもりだ」
「いやだって君、こんな時でもないとこういう事させてくれそうにないじゃん?」
「見事な下衆の言い分だな」
「あはは、そうだねぇ」
軽く笑いながら、そのまま奈落の首筋を舐めあげる。奈落が漏れそうな息を飲み込むのがわかった。感じるのを堪える様というのはまた、これはこれで。
しかしその瞬間、風吹は激しい力で奈落に突き飛ばされた。一瞬、何が起こったのかわからなかった。直後、奈落の方から物凄いえづき声が聞こえてきた。
「……は?」
吐いたかと思ったが、どうやら吐くまではいかなかったようだ。口を押さえて、背中を丸めている。どうやら相当に、具合が悪いらしい。
「おいおい、本当に大丈夫なのか旦那」
今押し倒していたやつの言葉ではない、というツッコミをしないのは暗黙の了解か。しかし、その後に放たれた奈落の言葉は、風吹の頭を混乱させるのには充分だった。
「いやなに、ちょっと妊娠してな」
「……は?」
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「……にんしん」
奈落の口から溢れた単語が予想外過ぎて、風吹はしばし「妊娠」とはなんだったか頭を悩ませた。
「妊娠……って、腹の中に子どもができるアレだよな」
「それ以外に何があるんだ」
「いや……てっきり君は子どもを孕ませるほうかと思ってたよ」
「貴様は私をなんだと思ってたんだ?」
風吹も奈落も間違われやすい風貌だが、女である。だがお互い仕事柄、性別を気にせず働いていることもあり、あまり気にしたことはなかった。(この時点で「じゃあ何を思って押し倒したのか」などツッコミどころは満載なのだが)
だから、奈落が女としての第一次産業に従事したという事実は、風吹にとっては晴天の霹靂だった。
「父親は誰なんだ?」
「うちの女給」
「いやごめん全く何言ってるのかわかんない」
「そうですよ、奈落先輩。ちゃんと風吹先生にも面倒臭がらずに説明してくださいまし」
いつのまにか、千代が水を持って上がってきていた。それを見て、風吹がポンと手を打ち、千代を指差す。
「違います!」
千代の声と共に、奈落の拳が風吹にめり込む。あれ? 旦那は具合が悪かったんだよな? と鈍痛を顎に受けて、風吹はそんな事を思った。
奈落は千代に手渡された水を少し口に付けると、一息ついて話し始めた。
「うちにもうひとり、背の高い女給がいるだろう?」
「あー。なんていったっけ、おいちちゃん?」
「本名は利一だ。アレはなんか色々拗らせた男でな。だがじい様に気に入られて、うちの入り婿になったんだよ」
「ほう。しかし、よくそれで君が承諾したな」
「それは……まぁ……アレだ。色々あってだな……」
途端に奈落が口籠った。隣の千代はやたらとニヤニヤしている。あぁ、つまり満更でもなかったってことなのか。
しかしそうか。さっき感じた奈落の妙な色気。あれは男を知った女のそれか。風吹は得心がいった、と心の中で納得していた。口に出せばまた奈落の拳を食らうだろう。
「とにかく、奈落先輩は大事な体です。先程のようなお戯れはお控えくださいませ、風吹先生」
名指しされて、風吹はビクッとした。見られていたのか。そう思って千代の方を伺うと、怒気を孕んだ愛想笑いを顔に貼り付けている。あ、これは奈落の体を案じているというより嫉妬のそれだ、と、風吹でもわかった。男に対しては嫉妬しないが、同性に対して嫉妬するとは、千代もなかなか難儀な人格だ、と風吹は思った。口にしたらこちらも殴られそうなので、黙っていたが。
「……で? その肝心の旦那の旦那は……ええ、ややこしいな。父親はどこいったんだい?」
「おいちさんは、ちょっと……旅に出てしまいまして」
「旅?」
「今は琉球に行っている。予定では、昨日か今日帰宅するはずなんだがな」
「琉球? なんでまたそんなところに」
「なんでしたっけ。青と緑の……ほたるがなんとかって?」
「なんじゃそら」
「ああ、帰ってきたな」
風吹がまだなんだかよくわからないといった顔をしていると、突然背後で襖が開いた。
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「おかえり、利一」
奈落が、風吹の背後に声をかける。心なしか、その声は普段聞くそれよりも柔らかい。風吹は背後を振り返ってみた。そこには、中折れ帽を被り眼鏡をかけた、黒い外套の男が立っていた。
「ただいま、奈落さん」
ふわりと外套を翻し、柔らかい声で男は言葉をかけた。風吹の横を通り過ぎて、男は奈落の前に座り彼女の手を取る。それは大切そうに、大事な宝物のように。
「遅くなってごめ……グフッ!!」
しかし突然、男は腹を抱えてうずくまった。奈落の拳が男の鳩尾に入っていた。
「琉球は楽しかったか? 利一」
奈落は笑顔で男に声をかける。しかし、目は笑っていない。怖い。怖すぎる。男は声も出せずにうずくまってもがいていた。
しかし、奈落が拳を引こうとすると、腕が動かなくなっていた。何度引いても動かない。うずくまっていると思っていた男が、奈落の手首を掴んでいた。
「……っ、離せ!」
「ごめんね、奈落さん。千代さんがいるからと言っても、大事な時に1人にして寂しかったよね」
「そんなわけ……! もう、いいから離せ!」
「俺も悪いと思ってるんだよ? でもこういうのは良くないよ。女の人が暴力を振るうのは良くないし、まして1人の体じゃないんだよ? もっと自分を大事にして欲しいな」
なんだろう。この男、怖い。さっきの奈落の笑顔も怖かったが、あの怖さとは段違いだ。あの奈落が、小刻みに震えて動けなくなっている。千代は何故かあらぬ方向を向いていた。
「それに……こんなことをされたら、俺が痛いじゃないか」
風吹は背筋にゾワっとした寒気を感じた。ヤバイ。何だかよくわからないが、この男はヤバイ。
「ご……ごめんなさい……」
風吹は耳を疑った。聞こえてきた消え入りそうな声は奈落のものだった。今なんて言った? ごめんなさい?
すると男は突然奈落を抱き締めて、頭を撫で回した。
「わかればよし」
目の前の展開に風吹はついていけなかった。よく見ると、奈落は顔を赤らめている。風吹の中の奈落像が瓦解した。奈落とはこんな人間だっただろうか。
「はい、おいちさん。帰宅早々いちゃつくのは結構ですが、風吹先生がいらしてますからご挨拶して下さいますか?」
この一連の流れを「いちゃつく」で切り捨てる千代も相当だ。それともこれはかなり日常的に繰り広げられている光景なのだろうか。
「ああ! すみません私としたことが!」
突如、女言葉になった男が振り返る。そこでようやく風吹は男の顔をきちんと認識した。
「……おいちちゃん……なのか? なんだか随分と雰囲気が違うなぁ……」
突っ込みたいことはたくさんあったが、ようやく出てきた言葉はまずそこの確認だった。
「ええ、おいちですわ風吹先生。旅に出る時は流石に女物の服や化粧一式を持ち歩くのは嵩張りますし、旅先での交渉は男の姿の方が有利に進みますので」
外套を外しながら利一が答える。しかし、面影はあるとはいえどう見ても男の格好で女言葉を使われるのは、どうもしっくりこない。さっきのアレを見ているから尚更だ。
風吹はそっと千代に耳打ちした。
「あの2人は、いつもああなのかい……?」
「ええ。私も薄々気付いていましたが、奈落先輩は強引にされるのが弱いみたいで。最初から高圧的に来られるとなしのつぶてなんですけど、おいちさんはそのあたりがお上手なんですよね」
「はぁ、そうですか。お上手ねぇ……」
しかし、多少は心当たりがあった。確かに風吹では、あの奈落の反応は引き出せないだろう。
奈落の咳払いが聞こえて、風吹と千代は密談を止めた。
「利一。頼んでいたものは調達できたのか?」
「はい! ちょっとまって下さいね」
利一が携えていた旅行鞄を広げて、その中から麻袋をひとつ取り出し奈落に手渡した。
「こちらです。質の良い赤色の物を探すのは苦労しましたよ」
奈落が受け取った麻袋を開いて、中から取り出したのは赤珊瑚だった。美しい朱色を湛えたそれは、様々な形をしている。
「ほう、これはなかなか良いものを仕入れてきたな」
「最近は乱獲が進んでいるそうで。この質のものをこれだけ揃えるのは今後難しくなるそうですよ。そもそも、生物ですからここまでのものになるのに時間がかかりますからね」
風吹は麻袋の中の珊瑚をひとつ摘むと、しげしげと眺め回した。
「珊瑚?」
「琉球に珊瑚が採れるところがあってな。琉球に行くならついでにと利一に頼んでおいたのだ。血の巡りに関する症状や、特に婦人科系の疾患によく効く」
「へえ」
「それと、これは奈落さんに」
そういうと、利一は小さな袋を奈落に手渡した。奈落が袋を開けると、中からは赤珊瑚と琉球硝子の耳飾りが出てきた。
「あら素敵! 琉球硝子はこのあたりでは珍しいですよ。珊瑚も薔薇の形に加工されているんですね!」
「珊瑚は安産のお守りだと聞いたので。奈落さんは普段装飾品をお使いになりませんから、どのようなものが好みかわかりませんでしたが……」
奈落は、耳飾りを手の中で転がして繁々と眺めた。
「……いや、とても可愛らしいと思う。ありがと……」
「あっ、それね! 可愛いと思ったから私もお揃いで買っちゃいました! 今度これをつけてお出かけしましょうね!」
「……」
奈落が言いかけた何かを飲み込んだのがわかった。控えめに言って利一のテンションについていけない。それは多分、ここにいる利一以外の全員が同じ事を思ったのだろう。
「あー……なんだか、取り込んでるみたいだから僕はまた出直すよ」
風吹はそういうと立ち上がった。
「あら、すみません。何か用事があったのではないですか?」
「いやぁ、妊婦は飲みに誘えないからねぇ」
千代の制止をフラフラと手を振ってかわす。本当は違う用事だったのだが、また改めることにしよう。風吹はその考えを胸の内に留めた。
「すまないな。また来てくれ」
奈落が似合わない殊勝な事を言う。なんだかそれも、内心気に食わなかった。
「旦那らしくねぇや。いつものように二度と来るなって言って塩でも撒いてくれよ。そっちの方が気が楽だ」
背を向けたので奈落の顔は見えないが、多分いたたまれない顔をしているのだろう。彼女のそんな顔も見たくなかった。
奈落が自分の変化に翻弄されているのは見てとれた。多分、何かに縋りたいと思っている。だが、それは自分ではない。当の彼女を翻弄している目の前のオネエ言葉の優男や、隣に座っている少し嫉妬深い可憐な女給だ。それだけ支えてくれる人がいて、更に自分にも縋ろうというのは少し贅沢なのではないか。
「風吹……」
だが、奈落があまりにも儚げに自分の名を呼ぶので。
「……そのうち、精のつくものでも持ってきてやるよ」
つくづく自分も甘い、と風吹は思った。
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極楽堂の外に出ると、外は秋茜が飛び回り次の季節の気配を感じさせていた。
その姿に、先程の珊瑚を思い出す。と同時に、ふと思い出してポケットを弄った。やはり。奈落に返すのを忘れていた小さな赤珊瑚が入っていた。さてどうしたものか、と風吹は頭を巡らせたが、今更また極楽堂の中に戻っていくのも癪に触ったのでそのまま貰い受けることにした。なに、幾らかは試薬で消費するのだろう。ひとつばかり貰ったところで多分気にしないはずだ。何か言われたら返せばいい。
珊瑚を摘んでしげしげと眺めていると、秋茜が一匹、その赤い塊に止まった。風吹はふっと表情を緩めて秋茜の羽を捕まえようとしたが、蜻蛉はすぐに飛び立って手の届かないところへ行ってしまった。
はぁ、と少しため息をついて、蜻蛉が飛んで行った方をぼんやりと眺める。
「あいつ、元気かなぁ」
たまには手紙でも書くか、という風吹の独り言はどこに届くこともなく空に紛れ、消えていった。
かなり昔に書いたものなのですが、極楽堂の結末としてはここ(奈落の妊娠)を目指していました。しかし、モチベーションが上がらない状態のまま一年以上が経過してしまいましたので、一旦の区切りとしてこの話をここに置き、極楽堂のシリーズを区切らせて頂きます。モチベーションが復活することがあればまた同じ世界観で書くかもしれませんが、当面はここから離れようと考えています。僅かながらもご愛読頂いた方がいて、感謝の極みです。ありがとうございました。




