表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

黒い天鵞絨と猫睛石の瞳

友人に頼まれて書きました。風吹が猫を飼うお話し。

今ではとんでもないですが、昔は割と猫や犬の子を川に捨てるとか、普通だったらしいですね。

「みゃあ」


 老人に抱えられた目の前の黒い毛玉は、不満げにそう鳴いてこちらに意義を申し立てた。


「……なんだい、それは」

「見てわからんかい、猫だよ」


 その猫を抱えた老人(確か、彼は二丁目の角の佐渡と言った)は、そう言って尚も猫をこちらに向けてくる。こちらのしかめた表情など、まるで見えていないとでも言うかのように。


「そんなのは見ればわかるよ。そういうことを言ってるんじゃないだろう」


 自分でも声が苛ついているのがわかった。そう、問題はなんで今、自分はこの猫を向けられているのか、ということなのだ。


「鼠除けに飼ってた猫がな、先だってこっこを産んだんだ。川に流しちまっても良かったんだが、孫が嫌がるもんで忍びなくてな。とはいえ、うちで何匹も飼う訳にもいかねえ。死神先生のところでどうかと思ってな」


 この辺りの老人たちは、自分のことを死神先生と呼ぶ。先の長くない病人の看取りなんかをやっているからだろう。それならそれでもう少し怖がれば良いものを、なぜこの辺りの老人たちはこうして声をかけてくるのか、理解に苦しむ。


「やだよ。猫なんて飼った事がない」

「そんなに難しいこったねえよ、ねこまんま食わせておいて後はほったらかしておけばいい。犬みてえに散歩させる事もねえしな」

「だったら佐渡さんとこで飼えばいいじゃないか」

「やなこった、うちは一匹でたくさんだ」

「もう一匹ぐらいなんてことないだろう」

「そう言わず、頼むよ先生」


 そう言って尚も猫を向けてくる老人を、顔をしかめて睨み付ける。そのまましばらく沈黙が続いたが、やがて老人は溜息をついて背を向けた。


「わかったよ。あーあ、他のこっこは貰い手がついたんだがな。黒いとどうにも駄目だな」


そういうと、老人は猫を入れてきた箱に戻し、その箱を無造作に抱えた。


「仕方ねえ。孫には悪いが、こいつは川に……」

「え、ちょ」

「なんでぇ、貰ってくれんのかい?」

「いや、そういう訳じゃ」

「じゃあしょうがねえよ。このまま外に放せばまた増えちまうだろう?どうせコイツは貰い手なんかつきゃしねえよ」


 老人のその言葉に、何故かカチンときてしまった。


「わかった、そいつ置いていけよ。僕が貰い手を見つけてやる」


 老人が診療所を立ち去った後で自分の発言を後悔する事となるのだが、何せこの時の自分はそんな事など知る由も無かった。



************************



「あら、可愛い。猫ですか」


 週に一回ほど診療所の手伝いにきてくれる千代さんは、その黒い毛玉を見ると心底可愛らしいと言いたげに目を細めた。


「今、貰い手を探してるんだ。千代さん、どう?」


 彼女の反応ならいけるかもしれないと思ってそう声をかけてみたが、返ってきたのは残念そうな表情だった。


「御免なさい……うちで飼えたらいいんですけれども、その、娘が……猫が駄目で」

「へっ?」

「何故か昔から、猫が近くにいると咳が悪化してしまって。娘も猫は大好きなのですが……」

「あぁ……」


 一定数、猫の毛でそういう症状が出る人間がいるらしい事は聞いた事があった。意外と身近にいるものらしい。


「まあ、それじゃあ仕方ないね。他に猫が欲しそうな人がいたら紹介してよ」

「ええ……でも、どうでしょうね。この子……黒猫じゃないですか」

「?」


 なんだろう。また、「黒」だ。そういえば佐渡老人も「黒いとどうにも駄目だな」と言っていた。


「黒猫は不吉だって、聞いた事ありませんか?」

「何それ?」

「この辺りの迷信だとは思うんですけれどもね。黒猫が道を横切ると不幸が起こる、とか」

「ふぅん……」


 なるほど。くだらない迷信の類だ。しかし、都会とも言い切れないこんな地方じゃ、そんな迷信を信じる家がたくさんあるのも事実だろう。

 困った。これは、思いの外飼い主探しは難航しそうだ。

 毛玉は、千代さんが作った餌(多分あれは、僕の昼餉の残りに汁をかけたものだ)をうまそうにがっついている。乳は必要なさそうだ。佐渡老人も、ここまで育てたならいっそ自分の家で育てればいいのに、と思ったところで、「川に……」の発言を思い出して、また沸々と腹立たしさがこみ上げてきた。


「あら? ……この子、よく見たらお目々が奈落先輩みたい」

「はえ?」


 千代さんの言葉に、餌を食べている毛玉の顔を覗き込む。なるほど、その瞳の虹彩が半分で分かれて、右は青、左は金色になっていた。


「本当だ。旦那の目は同系色だからわかりづらいけど、こいつははっきりと分かれてるな」

「これだと、余計敬遠されてしまうかもしれませんね……」

「うん、とりあえず暫定でこいつは『猫の旦那』とでも呼ぼう」


 毛玉、改め猫の旦那は、ひとしきり食べて満足したのか、その場を離れてぴょんと跳ね、窓枠に飛び乗った。そこでしばらくぐるぐると回ると、くるんと丸まって寝る体制に入ったようだった。

 このふてぶてしさもまるであの薬屋の女主人のようで、思わず、ふ、と鼻で笑ってしまった。



************************



 千代さんが予想した通り、猫の旦那の飼い主探しは難航した。診療所を訪れる老人たちに片っ端から声をかけてみたが、猫と聞いて興味を持つのがいても、実際に「それ」を見ると気味悪がって逃げてしまう。

 猫が悪い訳ではない。ただ黒猫に生まれついてしまっただけだし、目の色だって本人のせいではないのに。


「難儀だなぁ、お前……」


 ぼんやりと猫の旦那を眺めながらそう呟くと、こっちの思いなんか知らないそいつは、我関せずと大きな欠伸をした。

 随分と微睡んだ、陽気な午後だ。入院してる患者もいないし、差し当たって急ぎの用もない。(いや、やるべき事は探せばあるのだが、そんな気にもならないというのが今の心境だ)

 睡魔が訪れてくるのも、当然の摂理ってもんだろう。そして、特段その睡魔に抗う理由もなかった。




泣いてる。これは、赤子の泣き声だ。

この泣き声には覚えがある。

あの頃、嫌というほど自分の心を追い詰めた、あの子の声。

何故こんなにも泣くのか、耳を塞ぎたくなる。


『いいんだよ。少し、休んでおいで』


突然かけられた声にはっとして顔をあげると、そこに六堂の姿があった。

何故、と声を出す間も無く、六堂は赤子を抱き上げる。


『え、待っ……』


手を伸ばそうとしたが、六堂の柔らかい微笑みに怯んでしまった。


『夜の間もずっと見ていたのだろう? お前が倒れてしまっては大変だ』


そう言って六堂は、抱き上げた赤子の両脇を掴み、高い高い、と掲げ上げた。

しかし、赤子は更に泣き声を上げてしまう。


『……すまん。困ったな……』


戸惑う六堂の表情に、笑いがこみ上げてきた。


『多分、腹が減ってるんだよ。貸して』


自分が両腕を伸ばすと、六堂は降参だ、といった顔で赤子をこちらに寄越した。

温かい。そうだ、この子はこんな温かさをしていたっけ。

自然な流れで胸をはだけ、子に乳を含ませる。

一生懸命に乳を吸うその子の姿に、何故か涙が溢れてきた。


あの時、僕が意地を張らなければ、こんな時間もあったのだろうか。

あの子と、六堂と、そして僕。三人で生きる道もあったのだろうか。

だけど、僕は選べなかったんだ。

こんな幸せを、選ぶ事ができなかったんだ。

僕は……




「みゃあ」


 一瞬、まだ夢の中にいるのかと思った。気がつくと、僕が抱いていたと思った赤子は黒猫になっていて、六堂の姿はどこにもなくなっていた。

 猫の旦那が膝の上で不思議そうにこちらを覗き込んでいる。そうか、赤子の泣き声と思ったのはこいつの鳴き声だ。猫の鳴き声は赤子の声に似ていると聞いた事がある。

 頬が濡れていた。無造作に白衣の袖で拭うと、深いため息をついた。窓の外は日差しが弱くなっていて、だいぶ時間が経っている事を思わせる。ぽつ、ぽつと雨の音さえ聞こえ始めていた。


「そうか、お前寒くなってきたからここにきたんだろう?」


 猫の旦那は、みゃ、と小さく鳴くと、ゴロゴロと喉を鳴らす。その重さは、ちょうど産まれたての赤子ぐらいだろうか。天鵞絨(ビロオド)のような毛並みにそっと手を乗せると、猫は気持ち良さそうな顔でうねうねと動いた。


「ほお、猫か」


 不意に、背後で声がした。驚いて振り向くと、極楽堂の爺さんが煙管を燻らせながらそこに立っていた。


「……なんだ、極楽堂さんか。びっくりさせないで下さいよ」


 驚かされた事にやや苛立ちながら顔をしかめて、文句を口にする。そんなこちらの様子を眺めて、爺さんは愉快そうにくつくつと笑った。


「なに、何度声をかけても返事がないもんでな。勝手に上がらせて貰ったわい」


 そう言うとまた煙管に口をつけたが、こちらからは火が消えているのが見えている。爺さん用の灰皿を手に取って手渡すと、爺さんは小さく「すまんな」と言って、灰皿に煙管の灰をポンと落とした。


「死神先生がうたた寝とは、珍しいの。声をかけても起きんとは、随分熟睡しとったんだな」


 言われてみて気付いた。そういえば、こんなに寝起きに頭がすっきりしているのは久しぶりだ。基本的に眠りは浅く、睡眠剤のお世話にならない夜はない程なのに。


「……幸せな夢を見ていましたよ。……うん、きっとああいうのを幸せと言うんだろうな」

「ほお」


 あまり興味は無さそうに、爺さんは煙管を灰皿の上に置いた。


「そうだ。極楽堂さん猫飼いませんか、猫。別宅でもいいし、店でもいい。黒猫は不吉だって言われて、貰い手がつかないんですよこいつ」


 僕の言葉に、爺さんは奇妙な顔でこちらをまじまじと見た。


「なんだ、お前さんの飼い猫ではないのか?」

「ええぇ……なんだよ極楽堂さんまで……貰い手がつかなきゃ川に流すっていうから、今だけうちで面倒みてるだけっすよ……」

「そうは見えんかったがの」


 そう言って、爺さんはにやにやと笑ってみせる。猫は相変わらず僕の膝の上で丸まっているし、なんならやりどころのない僕の手に顔を擦り付けて、しきりに喉を鳴らしている。


「随分と懐かれているではないか」

「……どうでしょう。僕に媚び売っておかないと、行き場がない事がわかってるんじゃないですかね?」


 その言葉に、爺さんは目を細めてふ、と笑った。そういう仕草は旦那(勿論、人間のほうだ)にそっくりで、血は争えないものだと思わされる。


「なんだ、お前さんだってわかってるんじゃないか。そいつがお前のところ以外、行き場がないって事に」


 どうやら僕は自分で墓穴を掘ってしまったらしい。爺さんの言葉に何も言い返せず、ただ俯いて猫を見た。恐る恐る、その黒檀のような毛並みを撫でる。その色のせいか、とても毛艶はいいように見えた。触り心地も柔らかい。

 窓に打ち付ける雨の音が大きくなってきた。猫の旦那は雨の音に耳を傾けているようだった。


「……僕は、死神ですよ。そんな僕に生き物を育てる資格なんか」


 そこまで口にしたところで、スコンッっという小気味のいい音と共に頭に激痛が走った。びっくりして爺さんの方を見ると、呆れた顔で煙管を揺らしていた。


「ったく、阿呆だとは思っていたが、ここまで筋金入りとは思わなんだ」

「ハァ?」


 唐突に叩かれた上、罵られる謂れはない。やや怒りを込めて声をあげると、爺さんは煙管をこっちに向けて僕を睨み付けた。


「そんな生半可な覚悟なら、『死神』なんぞやめちまえ。六堂のところに行って、娘と末長く幸せに暮せば良かろう」

「そんな事……!」


 できるわけが、と言葉を続けようとしたが、煙管を更に近づけられて、うぐ、と怯む。爺さんはその煙管の奥で、ただ僕を見据えている。


「言い寄る男も、娘も捨てて死神をやってるのは、他の誰でもない、お前自身だ。誰がお前にそれを強いた? 選んだのはお前自身だろう」

「だけど……」


 無意識に僕の手は、前髪で隠した火傷の跡に触れていた。

 時間の経過は記憶を薄くしてくれる。養父は新たな生活を、楽しい記憶を、僕に上書きしてくれた。だからこそ僕は生きる事ができた。だけど、ふとした瞬間に思い出すのだ。燃え上がる街を、そこらじゅうから上がる断末魔を。


「……誰も、強いたりはしていなかったのだよ」


 幼過ぎて何もできなかった、無力な自分。苦しみ、もがいて死んでいくさまを見ている事しかできなかった。いや、今だって無力なままなのだ。僕に、何ができているというんだ。


「お前さんは優し過ぎて阿呆なのだ」


 爺さんが動く気配がして、とっさに身構えた。しかし、今度はぽんぽんと、頭の上に手を乗せられただけだった。


「良いではないか。死神と黒猫。似合いだと思うがの?」


 そう言うと、爺さんはまた、にかっと笑って見せた。その言葉に、頭の中をぐるぐるしていた過去の記憶が薄れていく。膝の上の猫が、小さくみゃあ、と鳴いた。


「……なんだか、言いくるめられた気がするなぁ」

「おっ、鋭いな。別宅の同居人があまり猫を好いとらんらしくてな」

「え、何、極楽堂さんのコレ?」

「まあ、そんなもんだ」

「ははは、相変わらず元気だなぁ」


 こちらのおしゃべりに付き合ってられなくなったのか、猫の旦那は目を開けると、僕の膝から降りてどこかへ行ってしまった。


「あぁ、そうだ忘れとった。お前さん、来週までに部屋の中を片付けておけよ」

「え、なんで?」

「それは、来週になってからのお楽しみじゃ」


 そう言うと、爺さんは手をひらひらとさせて部屋から出て行ってしまった。

 自分しかいなくなった部屋の中に、雨の音が優しく響いていた。




************************



「……結局、飼う事にしたんですね」


 そう言って千代さんは、ほうきを忙しなく動かしていた。片付けろと言われても、こういうことが苦手な僕にはどだい無理な話で、結局千代さんに手間賃を多く払ってお願いしている有様だ。


「まあ、そうだね。あんまり見たことないけど、鼠でもとってくれたらもうけもんかな、と思ってさ」


 照れ臭さから適当な事を言ってるのは、千代さんもわかっているのだろう。クスッと笑って、埃を一箇所に集めていた。

 しかし、暮らしていると気付かないものだが、こうやって集められると、その不用品やゴミの多さに閉口する。よくこんな環境で過ごしていたものだと思う。

 千代さん一人に働かせるわけにもいかないので、塵取りを持って手伝っている体を装っているが、どうにも慣れない事をしているので、千代さんの邪魔をしている気しかしない。溜息をついて、猫の旦那を目で追った。旦那は、千代さんの動かすほうきが気になって仕方がないようだ。獲物を狙う体制をとって、しきりに尻尾を左右に動かしている。


 と、その時、旦那がほうきから目を離して、窓の外の方へ顔を向けた。しばらくそちらに集中していたが、突然走り出して開け放った窓の外へ行ってしまった。


「あ、おい、旦那!」


 あまりにあっという間で、捕まえることもできなかった。


「御免なさい! 私が窓を開けておいたから……!」

「いや、掃除してるんだ、それはしょうがないけど……しまったな、首輪をまだつけてなかったのに……」


 呆然としていると、外から声が聞こえてきた。いつもの老人たちの声ではなく、若い声。


「えっ」


 

 聞き覚えのある声だった。窓から外を眺めてみる。その瞬間、柄にもなく玄関に走り出していた。


「風吹先生!?」


 千代さんの声が後ろから聞こえてきた。でも、それどころじゃない。思いっきり玄関を開け放つと、そこには黒猫と戯れる少女の姿があった。

 心臓がばくばくと速打つのがわかる。多分、そこにいるのは。


「……あ、母様」


 少女は猫を抱き抱えて、柔らかくこちらを振り返る。それは、以前夢にみた赤子が成長した姿。


「はる……の……」


 喉が張り付いたようになっていて、柄にもなく声がかすれていた。


「あの、極楽堂のお爺さまが、母様のお家を教えてくだすって……父様が、車で」


 春乃の言葉が終わらないうちに、奥の方から六堂もやってきた。診療所の門の前に、白い車が止まっているのが見えた。


「お前が猫を飼い始めたと極楽堂さんから聞いてな。春乃が、どうしても見たいと」


 春乃は、可愛くて仕方がないと言わんばかりの笑顔で猫を抱きしめる。その笑顔に、気付けば猫ごと彼女を抱きしめていた。猫は苦しいと言わんばかりに春乃の腕から逃げ出したが、僕の腕はまるで自分の意思で動かなくなったように、春乃を抱きしめたままだった。


 なあ、旦那。僕は、死神のまま、幸せになってもいいのかな。


 心の中の問いかけに、旦那があの憎たらしいほど魅力的な流し目で「当然だ」と言ったような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ