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薔薇石の情事

インカローズの回。

インカローズの和名は菱マンガン鉱なのですが、それだと色気がないので作中では「薔薇石」としています。

時間軸は「月長石の秘め事」から数年後ぐらいでしょうか。後半にちょっとおいろけ表現があるので注意してください。

「ねえお姉ちゃん。媚薬ってあるの?」

きっかけは、由乃が言い出したそんな一言だった。既に閉店の札がかかった店内で、由乃は片付けに店内を歩き回る姉の奈落に声をかけた。

「あるぞ」

由乃の方を見向きもせず、事も無げに奈落はそう答える。その奈落の返答に、由乃は身を乗り出して姉に詰め寄った。

「えっ、嘘!?本当に!?」

しかし奈落は、その妹の額を指で弾いて窘めた。

「なんだその反応は。学業が本分の女学生がそんなはしたない行動を取るものではない」

「あら、色恋に関わる事に興味を持たない女学生なんていないわ。お姉ちゃんだって学生の頃は恋のひとつぐらいしてたでしょう?」

「黙秘権を行使する」

ええー、つまんなーい!と騒ぎ立てる由乃を、呆れた目で眺めながら奈落は店仕舞いの準備を進める。

若い少女のはつらつさはとても瑞々しく微笑ましいが、この、なんでも色恋に繋げていく短絡さはなんとかならないものか。 いや、だからこその「青い春」なのかもしれないが。

「こう…意中の相手を自分に夢中にさせるようなさぁ…折角薬屋なのだもの、そういう薬のひとつやふたつ、あってもいいと思うんだけど!」

なんだか、わけのわからない事を言い出した。というかつまりこれは、意中の相手がいるのだな、と奈落は思った。しかし妹の移り気は奈落も把握しているところで、先日話していた相手が今日は変わっている、という事はしょっちゅうだ。そしてそれがどれも「女学校の先輩たち」なのが彼女の可愛らしいところである。

まぁ、その割に今「媚薬」などという不穏な言葉を口走ったような気がするが。

ふむ。媚薬か。

「薔薇石、を知っているか?」

「薔薇石?」

キョトンと聞き返した由乃に、奈落は薄紅の石を取り出して見せた。

「正式名称は菱マンガン鉱。インカローズなどとも呼ばれる。最近掘り出させるようになった石で、赤みが強いものが効能が高い。薬効は内分泌系やホルモンの調整だが、あまり知られていない効能がひとつある」

奈落の説明に、由乃は息を飲んでその薔薇石を見つめる。奈落は手の中の薔薇石をつまみあげて、顔と同じ位置まで持ち上げた。

「催淫作用だ」

おおお、という由乃の感嘆の声が漏れた。明らかにその目がキラキラと輝いている。それと同じぐらいの情熱で勉学に励んでくれれば両親も安心するだろうに、と思った。

「一番効果の高い使い方は、まずこれを口に含む。そして意中の相手に接吻して口移し…」

その瞬間、奈落の手から薔薇石が何者かに奪われた。反射的に振り返った奈落の目線の先で、いつのまにか来ていた風吹が奪い取った薔薇石をぽい、と口の中に入れた。そして即座に奈落の手を掴んで引き寄せ、その頭を逃げられないように掴んで強引に接吻してきた。

きゃあきゃあと黄色い声を上げる由乃の声が聞こえてくる。風吹の口から薔薇石をねじ込まれて、奈落はそれをただ受け入れるしかなかった。

しばらく経って、ようやく風吹が口を離す。由乃はその様子を、顔を真っ赤にしながら見守っていた。

「どお?」

しかし、その瞬間に奈落の拳が風吹の鳩尾にめり込んだ。風吹は凄い音を立てて、声も出せずにその場に倒れ込む事になった。奈落は口の中から薔薇石を出すと、空いているカップの中にころん、と入れてすかさず、床に転がる風吹を足蹴にした。

「常盤診療所は随分と暇なようだな。少しそうして休んでいても良いのではないか?」

奈落はまるでゴミを見るような目で風吹を見ていた。顔を赤らめていた由乃は、今度は顔を青ざめている。忙しい。

「…あれぇ…催淫作用は…?」

痛みに呻きながらも風吹はそんな事を聞いてきた。

「お前、そんな話を真に受けたのか。あるわけ無いだろう、そんなもの。媚薬など、それこそ大昔から研究されているがついぞそんなものができたという確実な話を聞かない。これだけ欲にまみれた人間が総力を上げても無いものが、この世にあるものか。阿片など、中毒性の高い危ない薬なら別だがな」

「え、じゃあ薔薇石の話は?」

期待して聞いていた由乃が口を挟んだ。

「嘘では無いが、本当でも無い。催淫作用があるのは本当だが、普通の人間に確実に効くほどのものでは無いよ。酒のほうがまだ相手をたらしこめるぞ。残念だったな」

「なぁーんだぁー。ちぇーっ」

由乃は酷く残念そうにテーブルの上に突っ伏した。その目の前には、鉱石薬の辞典が置かれていた。

「くっそぅ…旦那をたらしこめる千載一遇のチャンスだと思ったのに…」

「貴様、そんな不穏な事を考えていたのか…」

床に転がったまま、起きる気もなくしたらしい風吹を奈落は軽蔑の目で見下した。奈落は口元を拭くと、襟を整えて帽子を頭に乗せた。

「用事を思い出した。後は適当な頃合いで鍵を閉めておいてくれ。私は出かけてくる」

「はぁーい」

やる気を無くした由乃は手元の辞典をパラパラと眺めながら、姉の方を見もせずにひらひらと手を振った。

ふと、薔薇石の項目で手が止まった。催淫作用と確かに書いてある。その下に注意書きで「但し、鉱石への感受性が高いものにのみ作用する」とあった。

「…えっ?」

由乃の周りで一番石への感受性が高いのは…先程「一番効果が高い」方法で口に含んだ、奈落その人だった。




「…成る程。いきなり茶屋に連れ込まれたと思ったら、そういう事だったんですね」

「…」

「いやおかしいと思ったんですよ。普段そこまで積極的じゃない奈落さんから誘われた上に、あんな…」

「…頼む、もう言わないでくれ…」

「いや言いますね。俺今めっちゃ感動してますから。だってあの奈落さんがですよ?あの奈落さんが自分からあんなことやそんなことを…」

「あの…うん…頼む。もうやめて…」

敢えて今どんな状況かは言うまい。奈落は両手で顔を覆って、耳まで赤く染めていた。

「うわぁ。俺めっちゃ役得だなぁ、今回」

そう呟いて、利一は内心風吹に感謝しまくっていた。今度なにか素晴らしい甘味でも奢らざるを得ない。

「しかし、そんなに効くんですか。その薔薇石とやらが」

「私が幼少の頃は、祖父は店にその石だけは置かなかったほどだ。間違いがあってはいけないと」

「そんなに」

「私もいい加減大人なのだし、滅多にそういう用途で使われるものではないので入荷はしていたのだが…まさか口に入れられてしまうとは…迂闊だった」

「うーん、やはり店には出しておかない方がいいと思いますよ。今回みたいなことがあったら大変です。俺がいない時にそんな事態に陥ったらどうするんですか」

「…」

「こう言ってはなんですが、奈落さん俺を捕まえた時にもう誰でも良さそうな顔してましたよ。凄かったです。俺がいたから良かったようなものの、あれをほかの男性にやられたら俺キレますよ」

「う…しかし、あれは薬としては…」

「奈落さん?」

利一が諭すように声をかける。顔は笑っているが、目が笑っていない。奈落は、うぐ、と声を詰まらせて、俯いた。

「わかった…」

「いい子です。そうですね、今店にあるものは全部俺に預けてください。他の人…特に常盤先生なんかの手に渡ったら大変です。いいですか?後はもう絶対に入荷しちゃダメですよ?」

「はい…」

実は今、しれっととんでもない提案をされているのだが、奈落は事の重大さにまだ気付いていなかった。目の前のこの男こそ、一番渡してはならない相手であるというのに。

奈落の頬に接吻しながら、役得だなぁ、と利一は内心ほくそ笑んでいた。



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