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寝転がっているウィルフレッドの上で、スヤスヤと眠っている黒ずくめの少女。
遮るもののない雪原の中にいるのだから離れて見てみれば、それは一幅の絵画のようです。
タイトルは……シンプルに『少女と竜』とか。
魔法で空気を調節して温度は一定に保たれているので、風邪を引くことはないとは思いますけど、それでも無防備です。
初めて出会った男の前で眠るとは、一体どういうつもりなのでしょうか?
僕は紳士のつもりではありますけど、紳士ではないので、イタズラなんかしません──いや、もちろん、成人女性でも手を出すことはしませんよ。
べ、別にヘタレなんかじゃないんだからね!
…………。
……。
くっ、殺せ! 使いどころを間違えてメッチャすべっちゃったよ!
「ぴゅ」
ぐは。
マシロに失笑されました。
もう、生きていけません。
……はぁ。
冗談はさておき。
これから、どうしましょう?
まさか、少女をここに放置するわけにもいきませんし。
かといって、街まで連れていくとか、それっていわゆる誘拐? お巡りさんを呼ばれてしまいますよ。
むむむ。
仕方ありません。
少女が起きるまで、もう少し待ってみましょう。
単なる昼寝でしょうから、いくらなんでも暗くなるまで起きないということはないでしょうから。
万が一起きなかったら、適当な時間に起こします。
そうしましょう。
さすがにこんなところで僕まで寝てしまう勇気はないので起きていますけど、マシロは休んで良いですよ?
なにかあったら、即座に起こしますがね。
「ぴゅっ! ……ZZZ」
はやっ!?
寝付き良いな、マシロ……。
まぁ、良いか。寝る子は育つ、と言うし。
僕は……そうだな、暇潰しに借りていた本でも読みますか。
魔術について書かれたものです。
初級の初級、子供向けの本ですが、シアもヴィッキーも魔術の適性はほとんどなかったそうですし、他のエマーソン家の方々も同様だったので、仕方ありません。
こんなのでも、なにかの参考にはなるでしょう──なると良いな……。
僕はウィルフレッドの背にごろんと横になり、本を読み始めました……けど、すぐに起き上がります。
……鎧を纏っているから、寝転びにくい。
全身鎧を外すまでもないので、このままで良いか。
ではでは、しばしの休憩タイムです。
ごゆっくり……。
「うぅ……ん。あふ……」
午後2時になったところで、少女が起きました。
アクビをして大きく全身を伸ばし、目尻に浮かんだ涙をぐしぐしと手の甲で擦る姿は、年相応で可愛らしいですね。
キョロキョロと周囲を見回し……そこで僕の存在を思い出したようです。
パッとスイッチが入ったように、表情が切り替わりました。
年相応だったあどけない少女の顔から、目を細めて片側の口角を持ち上げる張り付けたような微笑みへと。
「すまない。眠ってしまっていたようだ。
面倒をかけたかな?」
男性のような口調ですけど、無理をしているような感じではないから、言葉を覚えるときに、周りにこんな口調の人たちばかりだったのかな?
「いえいえ、お気になさらず。
元々、ここで休憩するつもりでしたから」
「そうは言っても……いや、とにかく感謝する。
それと……食事まで頂いてしまって、遅くなったが、ありがとう。ご馳走になった。
名乗り遅れたが、妾はローズマリーという。
以後、よしなに」
そう言ってペコリと頭を下げる少女──ローズマリーさん。
「これは、ご丁寧に。
僕はシータです。よろしく」
「ぴゅっ!」
「あ、この仔はマシロ。なんの種族かわからないけど蛇です」
「ぴゅぴゅっ!」
マシロは、ローズマリーさんに首を伸ばして挨拶をします。
「え? マフラーではなかったのか?」
突然のことに驚いた様子で、恐る恐るマシロに手を伸ばすローズマリーさん。
そのフワフワモフモフの毛並みに触れて、思わず目を見開き、次に陶酔したように目を細めて、堪能してしまっています。
うん。
マシロの毛並みには、恐るべき魔力が備わっているのです。
なかなか手放せないのですよ。
気持ちはわかりますけど、その辺で。
「さて。
僕らはそろそろ街に戻るのですが、ローズマリーさんはどうしますか?」
「う、む……こほん。
そうだな……妾も戻ろう」
ローズマリーさんはそう言いながら、名残惜しそうにマシロから手を離しました。
「そうですか。
街に行くなら、ご一緒にどうです? お送りしますが」
「いや、それには及ばない。
妾の目的地は、街ではないからな」
ふむ?
まぁ、気になりますが……詮索はしないとなったので、聞きません。
ですが……。
「1人で大丈夫です?
そもそも、どうやってここまで来たのですか?
さっきも、足跡もなく、突然現れたように見えたのですけど……」
『どうして』は聞きませんが、『どうやって』は気になります。
答えられないなら、ムリに聞き出しませんけど……さすがにここから1人で歩いて行くなら、僕としても看過できないです。
「む?
いや、それもムリはないか。
この見た目だし仕方ない。
妾も逆の立場なら、聞かずにはいられないからな」
腕を組んで、頷くローズマリーさん。
「そうだな、食事をさせてもらった礼に、答えよう。
実は妾は……空間転移魔術ができるのだ」
これは内緒だ、と前置きして言った内容は、かなりのことでした。
思わず、ポカンと間抜け面を晒してしまいました。
僕の顔を見て、ローズマリーさんは破顔しました。
よっぽと、僕の顔が面白かったようです。
こほん。
思わず赤面してしまい、顔を逸らしましたけど……なかなかのことを聞かされましたね。
空間転移魔術──ようするに、ワープです。
なるほど。
それなら、あれに説明が付けられますね。
あ!
「そうだった!
ゴーレムをぶつけてしまって、ごめんなさい!」
急いで、頭を下げます。
忘れてた!
忘れちゃいけないことを忘れてしまいました!
いや、言い訳させてもらえるなら、ぶつけてしまってパニックになってしまって、なんとか回復魔法を使ったところで、意識を取り戻したローズマリーさんに僕がハイエルフであることが簡単にバレたし。
特に後者のことから、急激に警戒心が上がったことで、衝突したことがどっかに行ってしまったのです。
ううむ……いかんなぁ。これは反省せねば……。
「いや、気にしなくて良い。
妾も急に飛び込んでしまったからな。
転移魔術を使う上で、最も気を付けなければならないことを怠ってしまったのだ。
お互い様だ」
でも、そうは言いますけど……。
「ふむ。それなら……食事をさせてもらったし、昼寝にまでつき合ってもらったのだ。
それでチャラにしよう。
良いね?」
む。
被害者の方から示談を求められては……僕に否やはありませんし、できません。
「……それに、妾はほとんど怪我などしないから、気にしなくて良い」
ん?
それは……どういうこと?
僕の疑問符だらけの顔を見て、ローズマリーさんは表情を改めると、ウィルフレッドから降りて、
「それでは、な。
機会があれば、また会おう、シータ」
そう言って、音もなくその姿が消えました。
「ぴゅ?」
姿が見えなくなる直前に、ローズマリーさんの浮かべた表情。
すぅっと目を細めて片側の口角を持ち上げる、貼り付けたような微笑み。
僕にはそれが……どこか寂しそうに見えたのでした。




