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黒いなにかは、ウィルフレッドを正面からぶつけられ、ポーン、クルクルと宙に舞い、ドサリと雪の上に落ちて埋もれました。
そのまま、ピクリともしません。
「や、やっちゃった……」
僕は、サーっと血の気が引くのがわかりました。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!
警察に連絡しないと!
いや、その前に、救急車が!
いやいや、ここは異世界だから、そんなものはない!
ど、どうしよう!?
「ぴゅっ!」
上から覗き込むようにして、その黒いなにかを恐る恐る見ました。
……女の子ですね。
黒く見えたのは、全身黒ずくめの服装だったからです。
フリルの付いたワンピースに、帽子、手袋、タイツ、ロングブーツ。
その上には、外套──インパネスを纏っていました。
インパネスといえば、世界的に有名なロンドンはベーカー街在住の名探偵を思い出します。
鹿撃ち帽にインパネス、口にくわえたパイプがトレードマークですが、実は著書には当初、ああいった記述はなかったようで、連載する際の挿し絵に描かれた姿が有名になっていったそうです。
本当か嘘かはわかりませんが、僕が読んだ本にはそう書かれていたのを覚えています。
そんな逸話が思い出されるインパネスを眺めていたら、唯一露出している部分──顔が目に入りました。
とてもキメ細やかな肌で、色白で……というか、血が通っていないんじゃないかと思うほどの白さです。
鼻筋は通っていて、小さい唇とふっくらとした頬、目は瞑っているのでわかりませんが、長い睫毛が綺麗なカーブを描いています。
年の頃は、11〜2歳くらいでしょうか?
身長は150cmもなさそうですが、これから成長すると、とてつもない美人さんになりそうな逸材かと思われます。
雪に埋もれてわからなかったですが、よくよく見ると髪の毛は白銀です。
黒ずくめの服装だから、その肩まである白銀の髪が映えて、とっても綺麗ですね、うん。
…………。
……。
いや、違うでしょ!?
なにをのんびりと眺めてるんですか!
色白の肌で……じゃない、僕!
明らかに顔色が悪いです!
ひぃっ!?
こ、呼吸してますか?
いけません、最悪の事態かも……?
どこかにお医者様はいらっしゃいませんか!?
だ、誰か! 誰か助けてください!?
「ぴゅっぴゅっ!」
──待て、落ち着け!
僕には回復魔法がある!
まずは、それを使え!
まだ頭の中はパニックですけど、慌ててウィルフレッドから降りて、駆け寄りました。
うわぁ……雪に埋もれてしまっています。
急いで雪を掻き分けようとして……だから、魔法を使おうよ!
──『エリミネイト』──
魔法で目の前の雪のみを排除します。
ドチャ、とドロドロの地面の上に、女の子が横たわりました。
ぎゃーっ!?
なんてことを!?
ど、ど、ど、どうしよう!?
──『エリミネイト』──
短絡的ですが、魔法で泥を排除させます。
もはやなにも考えられません。
けれど、上手くいったようで、泥がなくなり乾いた地面が露出しました。
〈道具〉から綺麗な布を取り出して、そこに女の子を寝かせます。
──『クリーン』──
自分と女の子の汚れを落として、僕は籠手を外して、女の子の頬に触れました。
うひゃっ、冷たい!?
ヤバい。
この冷たさはマズいかも……。
「ぴゅ!」
落ち着け。
すーはー、と深呼吸して……。
少し冷静になれました。
さっきからマシロが声をかけてくれていたようですが、それすらずっと遠くの方から聞こえたいたような感覚だったから、相当パニックになっていたみたいです。
マシロのフワフワモフモフの身体を撫でて、無理矢理に頭を落ち着かせました。
よし。
──『ストリームコントロール』──
──『エアコンディション』──
気流を操り空気の層を作って、その内部の温度を調整します。
それから、女の子の首筋と手首に触れました。
脈拍は……あれ?
ちょっと、よくわからなかったです。
おかしいな……。
じっと集中すると、ちょっと感じられました。
口と鼻の辺りに掌を当てると……んー、呼吸してるのかな、これ?
微妙過ぎて、わかりにくいです。
でも、胸の辺りを見ると、僅かに動いているから……最悪の事態ではないですが……。
あまり僕の知識は当てにできませんが、どうにも反応が薄すぎです。
極端に弱っているのか……?
──『キュアオール』──
とりあえず、回復魔法を使ってみます。
一応、上位の回復魔法なので、これで効果がなかったら……。
──『メディカルチェック』──
魔法のリストから見付けた診断する魔法で確かめると、意識がないだけで異常なし、とわかりました。
たぶん、少しすれば覚醒するのではないでしょうか。
はぁ……良かった。
本当に焦りました。
と、胸を撫で下ろしていると、女の子の目がパチリと開きます。
数回瞬きをしてから──彼女の黒い瞳が僕を捉えました。
僕はその黒曜石のような漆黒の瞳に吸い込まれそうで、目を逸らせません。
しばらく、僕たちは見つめ合っていました。
そして、ふっと女の子は僕から視線を外し、周囲を見回しました。
呪縛から解かれたように、僕も女の子から目を逸らすことができて、知らず知らずにそっと深い呼吸を吐きます。
……なんだ?
今のは、一体……?
「ぴゅ〜?」
どうしたの、というようにマシロが声を出しましたけど、僕は答えることができません。
自分でもよくわかりませんけど、あの瞬間、僕が僕でなくなったかのような……?
でも、それは不快などではなく、どちらかといえば、眠りにつく間際の微睡むような感覚で……。
言葉にならないあの瞬間を思い出していると、
「君は誰だ? ハイエルフのようだが……?」
女の子に声をかけられたのでした。




