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わたし──アナスタシア・エマーソンの危機を救ったのは、偶然にも姪であるヴィクトリア・エマーソンとその連れだった。
驚くことはなく、どちらかというと、腑に落ちたものだった。
さすがは、巫女様の神託である。
むしろ驚いたのは、姪が一緒にいた人物だ。
なんと、エルフだったのだ。
しかも、姪も危機から救われたというのだから、尚更だ。
シータというエルフは変わっていた。
見たことのない白い蛇を首に巻き、全身鎧を身に纏った上、魔術を使いこなすのだという。
さらに、エルフの住む森から出てきて(それも家出らしい)、とにかくそこから離れたいと、とてもおかしなことを言うのだ。
しかし、それはわたしにとって好都合だった。
それに聞けば、姪も面倒なことがあり、この辺りから早く離れたいのだと言う。
そこで2人を護衛として、雇うことにした。
さすがにわたしの事情を話して巻き込むつもりはないけれど、それくらいは良いと判断した。
まぁ、そうでなくとも、姪は必ず連れ帰るけれど。
それに、護衛のゴーウェンがもう限界だ。
怪我はシータの魔術で回復したものの、ほとんど休むことなくいたので、戦闘を任せるのは厳しくなってきていたのだ。
シータは索敵に長けていて、魔物との戦闘を可能な限り避けられる、ということも一緒に来てもらうには十分な理由である。
あの『男』のことは話していないけど、シータはわたしが何か事情があることを悟ったようだ。
馬車の中で、2人で話しながらだけど、わたしを労りつつ周囲の警戒を怠ることはなかった。
それが奏功したのか、焦燥しながらも先に進み、人造ワーウルフに襲われることなく、国境の町に到着した。
もうすぐにでも国境を越えたかったけれど、山に異変があり、封鎖しているのだと聞いたときは、目の前が暗くなった。
その調査にシータが山に登るのだと聞いて不安になったが、ここでわたしが駄々を捏ねてはおかしい。
送り出すしかなかった。
尤も、護衛には姪がいるし、宿の部屋に籠っていれば、あの『男』にだってできることはないだろう。
シータが戻ってくれば、すぐに国境を越えられるし、問題はないはず。
──それが甘い考えだと気付いたのは、翌日のことだった。
朝、目が覚めると、外が少し騒がしかった。
どうやら、町の外にいた魔物の数がかなり少なくなっているとのこと。
恐らく、シータが何かしたのだろう。
さすがはエルフだ。
ただ、昼を過ぎても、騒がしさは変わらない。
宿の従業員に聞くと、町長の孫娘の姿が見えないのだそうで、住民が探しているのだとか。
大変だな、とそのときはそうとしか思えなかった。
それからしばらくして、シータが帰ってきた──それもとても綺麗な女の子を連れて。
事情を聞いたら、その娘はホムンクルスだという。
脳裏にあの『男』がよぎったけれど、さすがにそこまではしないかと思ったし、何よりもドラゴンが関わっているというので、その娘のことは気にしないことにした。
これで国境の封鎖は解除されるだろうから、明日には越えられるはずだ。
もう心配はいらない。
そう考えていたところに、従業員がわたしに手紙を届けてきた。
安心していたので、何も思わずに封を切って読んだ。
はたして、そこには──
『この町の町長の孫は俺が預かった。
何も思わないなら、国境を越えると良い。
僅かにでもお前に慈悲があるなら、1人で宿を抜け出し、これから書いてある場所に向かえ』
とあった。
署名も何もないが、すぐにあの『男』だとわかり、血の気が引いた。
今は部屋に1人しかいないから良かったけれど、誰かいたらすぐにこの手紙のことがわかっただろう。
そうなっては、全く関係のないのに捕らわれた子供の命がどうなるか……。
とにかく今は何も考えられない。
すぐに指定の場所に向かわなければ、何が起こるかわかったものではない。
幸いにも、誰にも見付からずに、宿から抜け出せた。
そして──今に至る。
やり直せたら……と思える場面がいくつかあった。
でも、もう遅い。
もうどうしようもないのだ。
そう思ったら、少し冷静になれた。
何を優先するかといえば、無関係な子供のことだ。
わたしはどうなっても良いが、その子供に何かあれば、死んでも死にきれない。
とにかく、子供を解放することに注力しよう。
ようやく指定の場所に着いた。
慌てていて明かりの類いを用意していなかったので、夜道を慎重に歩かざるを得なかったのだ。
ただ、『男』はそれを想定していたのか、特に焦りや怒りは見せなかった。
静かに小脇に小さな女の子を抱えて、佇んでいた。
その女の子が、行方知らずになったという町長の孫娘なのだろう。
見たところ、怪我はないようだけど、意識もないみたいだ。
「来たわ。その子を離しなさい」
「もっと近くへ」
……話が通じないかもしれない。
わたしは一歩二歩と『男』に近付く。
「早くその子を離して、わたしに渡して」
「そうはいかない」
「……っ」
早計だった?
もう少し話ができるかと思っていたけれど……。
仕方ない。
わたしは隠し持っていたナイフを取り出し、自らの喉に当てた。
「その子を離しなさい!
でないと、この喉を貫きます!
あなたが欲しいのは、わたしなのでしょう!?
死なれて困るのは、あなたなのではなくて!?」
もう自身の命には頓着しない。
このままでは、この『男』に辱しめられる。
そんなくらいなら、死を選ぼう。
だけど、ただではやらない。
子供を助けてからだ。
「……くくっ」
男は俯き、身体を震わせる。
何事かと思ったら、笑いだしたのだ。
「はははっ!」
……怖い。
心の底から怖いと思った。
「ムダだよ、アナスタシア。
ああ、ムダだというのは……君が死んでも構わないからだよ」
「なん……ですって?」
「俺は錬金術師だ。君の死体を利用してホムンクルスを作るのは訳無いことなんだ」
「……っ!?」
「どうせ、君を死なせてホムンクルスにするつもりだったから、手間が省けるとも言えるな。
尤も、どうせなら、綺麗に死んでくれた方が助かるが……」
常軌を逸した考えに、しばし頭の中が真っ白になった──なってしまった。
その瞬間、何者かに両腕を掴まれ、ナイフを落としてしまった。
「あっ!?」
脇を見ると、人造ワーウルフが2匹、わたしを捕まえていた。
「まぁ、生きていてくれた方がもっと良いのだけど……ね」
ニタリと口元を歪ませ、『男』は笑う。
「……っ!」
駄目だ。
咄嗟にそう考え、衝動のまま、舌を噛みきるべく、歯に力を入れる──が、その前に人造ワーウルフに顎を掴まれる。
「おおっと!?
それは困るなぁ。
尤も、舌を噛んだくらいじゃ、人は簡単には死ねないんだ。
回復魔術もあるからね!」
「ううっ!?」
身体をよじって、なんとか拘束を解こうとするが、全く歯が立たない。
逆に、口の中に布切れを突っ込まれ、舌を噛むどころか、話せなくなってしまった。
「さて……変な魔道具を仕込まれて、反撃を許すつもりはない。
……服を剥ぎ取れ」
『男』がそう言うと、人造ワーウルフは爪を伸ばして、わたしの着ていた外套ごと、服を切り裂いた。
剥き出しになった肌が外の冷たい空気に触れ、一気に粟立った。
人造ワーウルフは役に立たなくなった服を剥ぎ取る。
「くくく。
美しい身体だな。
俺の理想とするホムンクルスにピッタリだよ」
わたしはこれからのことを思うと恐怖に苛まれるが、この『男』にそんな顔は見られたくない。
思いきり睨み付けた。
声を出せないのは、逆にありがたいくらいだった。
「はははっ。
良いな、その目は!
それでこそだ!
……心配するな。こんなところで、お前を汚したりはしない。
ちゃんと相応しい場所を用意する」
そう言うと、人造ワーウルフは新たな外套を取り出し、わたしに被せた。
……寒かったし、『男』に裸を見られなくなって、少しホッとした。
だけど、依然として状況は良くない。
何よりも、まだ子供がそのままだった。
できればこの子だけでも助けたいけれど……。
そう思っていたら、『男』は女の子から手を離して、地面に落とした。わたしを拘束できたので、人質の必要がなくなったからだろう。
何の反応も見せないので、もしかして……と思ったけれど、胸が僅かに動いて呼吸をしている。
最悪の事態にはなっていないようだが、このままでは何も変わらない。
「ようやくだ……ようやく俺の理想が手に入る。
くはは。
お前には、これからのことを聞かせてやろう」
わたしに言い聞かせるように、『男』はゆっくりと話し始める。
……気持ち悪いから、嫌なんだけど。
「これから俺とお前はホムンクルスとして生まれ変わる。
……知っているか?
ホムンクルスは自ら魔力を取り込むことができず、何もしなければそのまま死んでしまう。
お前を捕らえているそいつらも、あと数日すれば死ぬだろうな」
それを聞いても、両脇の人造ワーウルフたちは何の反応も見せない。
「だから、魔力になるものが必要だ。
今までは特別な培養槽の中に入れられ、補充してきた。
だが、これは効率が悪くてな。丸1日入っていて、ようやく2日ほど動けるようになるんだ。
無駄の極みだな。
ところが、最近、ある錬金術師が新たな方法を確立させた」
なんだかわかるか、と『男』は勿体振るように話す。
……全く興味がない。
けと、どこかで聞いたような……。
「魔術的な契約を交わすことで、その相手の魔力を体液から得ることができるようにしたんだ。
それも最も効率が良いのが、性交だ。
交わることで、様々な体液を吸収できるようになるのだ」
「これは画期的だ!
短時間で済むわりに、得られる魔力は大きい。
しかも、薬を使えば、効果はより大きくなるわけだ」
「はははっ!
少々面倒だったが、その手法は奪い取った。
あとは俺たちがホムンクルスになれば終いだ。
お前は、俺と性交するしか生きる道はない──まぁ、死なすつもりはない。望むままに、俺の体液をくれてやる」
「これで、俺たちは永遠だ。
俺がお前に、お前は俺に……。
永遠に依存し合って、生きていくのだ!
はーははははっ!」
……狂っている。
完全に、この『男』は狂っている。
わたしはこの『男』の狂気に飲まれて、最早抵抗する気力を失ってしまった。
もう諦めよう。
わたしも同じように狂ってしまえば良い。
そうすれば……。
絶望から目の前が暗くなっていき、それに抗うことなく、目を瞑る──その瞬間。
バガン!
奇妙な音と同時に、わたしの身体に生暖かいものが降り注いだ。
掴まれていた腕の支えがなくなり、力の入らなくなったわたしはそのまま地面に崩れ落ちかける。
「な、なんだ、貴様は!?」
『男』の狼狽する声が聞こえたとき、わたしの腕を誰かに掴まれた。
金属の感触が伝わり、思わず瞑っていた目を開ける。
それが何かわかったら、いつの間にか涙が零れていた。
そんなぼやけるわたしの視界に映ったのは──
「大丈夫ですか、アナスタシアさん?」
こんなときでも穏やかな声を出す、全身鎧を纏ったシータだった。




