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「……四宮奏汰君。
イー君と入れ換わってしまったのは──君だ。
本当に、申し訳ありません」
管理人さんが深々と頭を下げました。
動悸が早くなるのがわかります。
大きな声を出したくなって、しかし奥歯をぎゅっと噛んで、僕は我慢します。
はーっと、大きく息を吐いて、1、2、3……と頭の中で数を数えました。
少し落ち着いた気がします。
これで冷静に話ができると良いのですが……。
「聞きたいことがあります」
僕の言葉に、管理人さんは目を少し細めました。
たぶん、僕が怒鳴ると思っていたのでしょう。
甘く見ないでください。
我慢することには、一家言ありますよ?
「はい。どうぞ」
どこか疲れたような表情で頷く管理人さん。
まぁ、彼にしたら、怒鳴られた方が気が楽になるのでしょうけどね。
そうはいきませんよ。
「では。
戻れますか?」
短い僕の問いに、管理人さんは首を横に振りました。
……でしょうね。
「次に。
僕は身体が悪く、薬を使用しながら日常生活を送るのに精一杯です。
例えるなら、故障しやすい車を騙し騙し修理しながら乗っているようなものです。
魂が入れ換わったなら、イー君が僕の身体を代わりに使うことになるのでしょうけど、大丈夫なのですか?」
管理人さんは目を閉じて、軽く考え込むようにうつむきます。
まだ、ありますよ。
「それと。
先日、父が脳梗塞で倒れました。
幸い、後遺症の類いはほとんどなく、すぐに退院できましたけど、再発の可能性が高く、目が離せません。
母も高齢ですし、父の面倒を母だけに見てもらうわけにもいかないのです」
これが、僕が事故などで死んでしまうのなら、まだ諦めがつきます。
両親には申し訳ないけど、仕方ないというか。
でも、僕が生きているのに、他人に両親を任すのは……。
お腹の奥底から嫌な感情が湧き上がってきて、それに身を任せて暴れだしたくなるけど、まだ我慢します。
目の前の管理人さんに当たっても、何も解決しませんから。
「それについては、解決策があります」
うつむけていた顔を上げて、管理人さんは言います。
伺いましょう。
「イー君の魂にある記憶を消去して、君──奏汰君の記憶を刻みます。
その上で、イー君──だった奏汰君を監視して、天寿を全うしてもらいます」
…………。
……つまり、もう一人、僕が存在するのでしょうか?
いや、もう僕は僕でなくなる……?
「イー君の記憶は消すので、自殺や逃亡などあり得ないとは思いますが、万が一を鑑みて、監視がつきます。
奏汰君のご両親を蔑ろにすることはないと誓いましょう」
……それなら、まだマシなのでしょうか?
どうなのだろう……わからないです。
「僕は、どうなるのでしょうか……?」
「……君には、異世界のイー君の身体に憑いてもらうしかありません。
申し訳ないけど……」
……ふぅ。
「小説にあるみたいに、転生とかはできないのですか?」
管理人は、力なく首を横に振りました。
「正確には、できなくはないけど、それをやってしまうと、地球の君の身体に宿るイー君の魂に、記憶をコピーできなくなるんだ。
詳しい理屈は話せないけど……」
つまり、イー君に『僕』になってもらうには、僕が異世界の『イー君』にならなければならない、と。
「それは……是非もありませんね」
「返す返す申し訳ない……」
管理人さんに何度も謝ってもらうのも、なんか違う気がします。
でも、管理人さんはそうするしかないのでしょう。
わかる気がするので、それについては、僕は何も言いません。
「お詫びというか、餞別というか、君に渡したいものがあります」
ふむ?
「まずは、魔法を使えるようにしました」
……はい?
イー君は、魔法が使えないのでは……?
「いや、イー君が使えないのは『魔術』。
君に使えるようになるのは『魔法』。
似て非なるものなんだ」
???
何を言っているのか、わかりません。
そんな僕の顔を見て、管理人さんは苦笑する。
「これは説明してない私が悪かった。済まない。
元々、あの世界では魔法が使われていたんです。とても強力で、自由で、それだから扱い難くて。
それをある男が改良──改悪かな?──しました。
魔術という、扱いやすいけど、不自由な代物に」
魔術──魔法の技術、ですか?
「魔術は、体内を循環する魔力──内的魔力を使います。
魔法は、大気に漂う魔力──外的魔力を使います
大気に漂うマナは、身体に宿るオドに比べて、とても莫大ですので、その扱いが難しいのは、言うまでもないですね。
その分、自由で、効果は大きいですが」
ふんふん。
なるほど。
だからですか。
イー君は内的魔力を扱えない。だから、魔術が使えない。
しかし、外的魔力ならば扱える。だから、魔法を使える。
「まぁ、本来は魔法を使うのは簡単ではないのですが、私の権限で、簡単に使えるようにしました。
ただ、スイッチ1つで爆弾が飛ぶようなものですから、くれぐれもその扱いには注意を」
なるほど、了解です。
「それから……一度だけですけど、容姿を変更できるようになります。
ゲームでいうなら、アバターを変えられます」
……それは。
「ただ、種族は変えられないので、エルフのままです。だから容姿変更といっても、どのようにでも、というわけにはいかないのは、了承してください」
それが、できるなら……!
「そんなことができるなら、何でもっと早くイー君を救わなかったんです……!
そうすれば、僕は……僕は……!」
ああ、ダメです。
感情が暴走しそうです。
我慢です、我慢するのです。
口を閉じて、奥歯を噛み締め、お腹に力を入れましょう。
目を閉じてしまわないと、涙が出そうです。
頭の中で、ゆっくりと数字を数えました。
1、2、3、4、5、6……。
10まで数えて、息を吐きます。
「ごめんなさい、取り乱しました」
「……いや、君にはその権利がある。
いくらでも取り乱して、怒鳴って、私のことを殴って構わない」
「管理人さんは、被虐趣味があったのですか?」
クスリと笑いながら、僕は言いました。言えました。
できれば管理人さんにも笑って欲しかったのですが……残念でした。
そんな沈痛な顔をしないで欲しいものです。
確かに、僕にはお笑いのセンスはありませんけど。
「ごめんなさい。
でも、いくら可哀想な人がいても、神様が簡単に救ったらいけませんよね。
キリがなくなってしまいますしね」
イー君を救えば、そのことで別の誰かが不幸になる可能性があります。
そうしたら、その別の誰かを救わなくてはならなくなり、またそのことで別の誰かが……と延々とループしかねません。
みんなが幸せになる。
残念ながら、ヒトに感情がある以上、そんなことは絶対にあり得ないのです。
管理人さんは、管理をする人です。
大を生かすために、小を犠牲にする。
小を生かすために、大を犠牲にする。
これは、生命にとって、仕方のないことなのです。
「……ありがとう」
何故か管理人さんがお礼を言ってきましたが、僕はそれには何も言いません。聞こえなかったことにします。
だって、僕は理解はしていても、納得してはいないのですから。
それでも、神様なんだから、イー君を、僕を、みんなを救って欲しい。
そう願うのは……悪いこと、なんでしょうか?
僕には、わかりませんでした。