ヨウム
イリスは荷造りをしていた。
海辺で拾ったウニの殻は、ウニを食卓でしか見たことがない殿下のためのものだ。殿下の教育はイリスの責務である、とイリスは思い込んでいる。教育者として、イリスは殿下の食育にも責任があるのだ。
生きたウニを海から引き離すのはかわいそうだったので、持って帰るのは殻だけだ。とげとげも中身もすっかりなくなって、ころんと丸い殻だけが残っている。最初に見たときはいったい何の殻かわからなくて、イリスは父と二人でずいぶん頭を悩ませた。その疑問は隣のおばあさんに尋ねることですぐに解決した。おばあさんは近くの潮だまりからウニをとってきて割ると、ウニの身がどうやって入っているか、ウニのとげがどこから生えているか、丁寧に説明してくれたのだ。イリスはそれを殿下に説明してあげようと思っている。そのための教材として持って帰るのだ。見た目も結構きれいだから、すばらしいお土産になる。
桜色の薄い貝殻は、アガタ様へのお土産にしようと探し回ったものだ。拾うと幸せになる、と隣のおばあさんから聞いて、殿下にいつも泣かされているアガタ様に、幸せをおすそ分けしようと思ったのだ。二枚貝だけれど、とても壊れやすいから二枚セットで見つかるのはとても珍しいのだという。イリスは砂浜を丹念に見て回り、欠けのない桜貝を何組か探し出した。ツメタガイに開けられた小さい穴が開いているものは、自分用に取っておき、ひもを通してどこかに飾るつもりだ。欠けも穴もなくて、瑪瑙のようなきれいな縞模様が出ているものをアガタ様へあげよう、そう思いながらお気に入りの手巾に丁寧に丁寧に包んだ。
イリスはふと思い立って、宝箱の中から波に洗われて丸くなった石をとりだし、光にかざしてみた。まだらになった青色の部分が仄かに透明で、かすかに光を通すのだ。ほとんど灰色で光に当たると青色に見えるのが、フェリクスの瞳にそっくりだった。こちらで見つけたたくさんの面白い生きものについて聞かせたら、フェリクスはどんな顔をするだろうか。その光景を思い浮かべて、イリスは一人笑みを浮かべた。
それから自分のコレクションに加えるたくさんの貝殻、枝珊瑚、一瓶の砂にイカの甲、花のような模様のタコノマクラ。小さなイリスの小さな鞄は、あっという間に宝物でいっぱいになった。
来た時と同様、三日間の馬車旅でイリスは王都に帰った。
「久しぶりだね、イリス。すこし小さくなったんじゃない?」
王都に帰り着いた二日後、イリスは殿下からの招待にこたえて王宮を訪れていた。
そこに現れたフェリクスは、大変に良い笑顔で大変に失礼な挨拶をしてきた。イリスの身長は断じて縮んではいない。むしろ伸びた。半年で2㎝。健全なる成長をしている。問題はフェリクスの方である。もともと大きかった身長差がさらに大きくなったのは、もともと大きかったフェリクスの身長がさらに大きくなったからだ。認識とは何事も相対的なものなのである。
「フェリクス様、お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです」
少々腹が立ったイリスは、小さくなったという意見を華麗に無視して慇懃な挨拶をすることにした。そしてフェリクスへのお土産はおあずけにすることにした。断じて忘れていたわけではない。失礼なことを言った罰である。
さらに慇懃な世辞でも言い募ろうとフェリクスを見上げて、イリスは口をぽかんと開いた。フェリクスの肩に、灰色の大きな鳥がとまっていたからである。そんなイリスの様子に気づいたフェリクスはにこりと笑い、鳥を革手袋をはめた手の甲に乗せるとイリスの前にしゃがみこんだ。
「手紙で話したヨウムだよ」
「ずいぶんと大きいのですね」
イリスは慇懃な態度をとることも忘れて目を真ん丸にした。小さなイリスからすると、ヨウムの大きさは驚くべきものなのだ。
「フェリクス様の握りこぶしくらいかと思っていましたわ」
「イリスの頭くらいはあるね」
ヨウムはきゅー、と鳴いてフェリクスの上で足踏みをした。
「つめ、痛くなくて?」
「手袋をしているから、全然」
「手袋をしないといけないのかしら?」
「鷹みたいに鋭い爪は持っていないから、俺は素手でも大丈夫だけど」
「それなら、私も手にのせられるかしら?」
「イリスの腕は細すぎるんじゃないかな」
そう言いながらフェリクスは、柔らかい声でキュイ、と名前を呼びながらヨウムの頬のあたりを軽くくすぐった。ヨウムの方も慣れたもので、すぐに目を閉じてフェリクスの胸のあたりに頭をこすりつける。
その様子を、イリスは目を真ん丸くしながら眺めた。
「なかよしですのね」
「そうだよ、なぜか私よりも仲良くなっちゃったんだ」
入口の方からそう声がかかって、イリスは顔を上げた。そして来訪者に気づくと立ち上がって――もちろん、ヨウムを驚かさないように優雅に、だ――礼をとった。
「まあ殿下、ご無沙汰しております。ごきげんよう」
「ひさしぶりだね、イリス。……ちょっと小さくなったんじゃない?」
その返事に後ろからぷっと噴き出す声がする。イリスはむっとして、後ろに立ち上がったフェリクスを睨みつけた。先ほどフェリクスに対しては華麗なる無視を実行したが、殿下は教え諭すべき哀れなる子羊である。レディに対する扱いを教え込まないといけない。だってそうしないとイリスの友人であるアガタ様を泣かせてしまうかもしれないじゃないか。そうしたらアガタ様に世界を見せるというイリスの計画がおじゃんになり、イリスは旅に出られなくなるかもしれない。
イリスはおそるべき頭の回転の速さで風が吹けば桶屋が儲かる的な若干論理の飛躍した損得の計算をし、憤然と殿下を見上げた。
「殿下、ひさしぶりに会ったレディに対してその挨拶はよろしゅうございませんわ。人の容姿をとやかく言うようでは紳士としての品格が問われますわよ」
キッと睨みつけながら言い募るイリスに対して、殿下は面白そうに片眉を上げた。
「おや、レディの容姿を褒めるのも紳士の務めだと私は習ったけどな」
「褒め言葉はまた別ですわ」
「イリスに対する小さいは褒め言葉のつもりなんだけれど」
「私はそうは思っておりませんもの。褒め言葉は言われたほうが褒められたと感じてはじめて褒め言葉になりますのよ。褒められて嬉しいのは、本人が努力していることに対してですわ。身長なんて努力しようもないものを言われても褒められた気分にはなりませんわ」
立て板に水のごとくまくしたてられて、そうか、と殿下は眉を下げた。
「それは申し訳ないことを言った。以降、気を付けることにする」
「わかっていただけて、嬉しゅうございますわ。アガタ様に対しても紳士としてふさわしい褒め方をなさってくださいませね」
「なぜ、そこでアガタがでてくる……」
「それは、」
そう言いかけてイリスはちょっと悩んだ。小さなイリスにもわかるくらい、殿下はアガタ様を特別な存在として見ていたし、アガタ様も常々殿下を気にかけている。でも、そういうのは外野があまり口を出しすぎるとよくない、と姉や従姉たちが言っていたような気がしないでもない。なのでイリスは適当にごまかすことにした。
「それは、アガタ様が私の大切なお友達だからですわ。お友達が泣いているのは見たくないですもの」
ごまかせたかどうか自分でもいまひとつわからなかったが、そうか、と殿下がどことなくうれしそうだったのでまあ良いということにした。
「イリス、俺からも謝罪を受けてくれるかい」
フェリクスに声をかけられて振り向くと、フェリクスはイリスの視線までしゃがみながら言った。
「先ほどは失礼なことを言って、すまない」
「わかってくだされば良いのですわ」
「君を貶すつもりではないことは、わかってくれ。小ささ含めて君のすべてを、俺たちは好ましく思っているんだよ」
「わかっておりますわ、フェリクス様は私の親友ですもの」
そう言ってからイリスは、そういえばフェリクスが自分の親友だというのは自分の中での勝手な取り決めだったことを思い出した。だが、すぐにまあ良いや、と思った。きっとフェリクスは笑って認めてくれるはずだ。だって親友だから。
「親友か」
案の定、フェリクスは楽し気に笑った。
「それは良い。……それじゃあ、海べでどんなものを見つけたか話してくれないか、我が親友殿?」
そして三人はイリスのスケッチブックを覗き込んだ。そしてイリスは今日見聞きしたヨウムについて記すべく、スケッチブックの新しいページにミミズをのたくらせたのだった。