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書簡  作者: いちはつ
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アコヤガイ

すべての悩みを忘れそうなくらい多彩な色が目の前に繰り広げられる南国での短い暮らしは、あっという間に過ぎ去った。イリスは南国をはなれて王都へと戻らねばならなかった。アガタ様の結婚式の準備に人手が必要なことは目に見えていたし、イリス自身の社交界デビューも差し迫っていたからだ。

王都へ向かう馬車の中で、イリスの胸には奇妙な高揚感があった。これまでは王都の暮らしにそれほど興味がなかったのに、親友に会えると思うと不思議なくらいに胸が躍った。その一方で、胸の底の方には、再会したフェリクスに感じた違和感が燻っていた。瑞々しいスイレンの苗を収めた小型の温室が倒れないよう気を配りながら、イリスは無言で車窓を見つめた。



殿下とアガタ様の結婚式は恙なく、華やかに執り行われた。

社交界デビューを済ませていないイリスは結婚式への出席こそできなかったが、大切な仕事を任されることとなった。アガタ様の花嫁衣装に合う花束を調達するという大役である。華やかな色のドレスを損なわないよう、それでいてドレスに負けないよう、イリスは南国のランと斑入りの葉が美しいツタを用意した。それは公爵家の年輩の侍女の手によってカスケードブーケと髪飾りとしてまとめられ、アガタ様の手元と髪を鮮やかに彩った。

婚礼のパレードに民衆は熱狂した。軍楽隊のファンファーレが鳴り響き、歩兵隊が太鼓の音に合わせて一糸乱れぬ行進を見せた。衛兵が立ち並ぶ中を、再びのファンファーレに応じて騎兵隊が進めば、旗手の持つ長い旗が風にはためいた。二頭の葦毛が引く馬車から王太子夫妻が笑顔を見せ、貴族の一群がそのあとに続く。そしてまた騎兵隊の一群が殿をつとめ、よく調教された馬たちが蹄の音を響かせた。


そしてアガタ様の王太子妃としての王宮暮らしが始まった。イリスもまた王太子妃の侍女として、王宮で過ごすようになった。侍女の仕事の大部分は王太子妃の話し相手や行事に応じた装いの手伝いだが、イリスにはそれに加えて応接室に飾る花を選ぶ、という重大任務があった。ただ、行儀見習いの良家の子女に対して、それほど多くの仕事を求められるわけではない。だから時には暇をもらい、母や姉の住むタウンハウスに下がることもできた。



その日もイリスは伯爵家のタウンハウスに帰っていた。イリスの社交界デビューが目前に迫っていたからだ。姉の時ほどではないとは言え、タウンハウスはいつもより少しばかり騒がしかった。イリスはその騒ぎを懐かしい思いで眺めながら、伯爵家の侍女と二人、ドレスの最終調整をしていた。

イリスが着まわすことを想定して作られた姉のデビュタントのガウンは、たっぷりと布を使っており、予想外に伸びたイリスの身長もカバーできた。ライラック色のガウンの布地はイリスも一緒に選んだものだ。お気に入りの真っ青ではなかったけれども、イリスは自分のドレスを自分らしく整えることに成功していた。


イリスは侍女の手を借りて、仕立て直したガウンに袖を通した。上半身は体に沿ってぴったりと仕立てられ、そのやさしく華やかな色合いは少女のしなやかな腕によく映えた。夜会用に開かれた襟ぐりには、一重のレースが清楚に飾られている。姉のデビューの際には、襟ぐりのレースは幾重にも重ねられていた。しかし最近の流行に従って襟ぐりのレースは一重にし、取り外したレースは朝顔のように開いた袖口に縫いつけた。

イリスは鏡の前でくるりと一回りした。コルセットによって形を整えられたウエストを強調するように、ペティコートに支えられたオーバースカートが釣り鐘型にふんわりとふくらんでいる。前開きのオーバースカートの下に見えるペティコートの裾には、青い花が咲いている。イリスが自ら縫い取ったものだ。すらりとした大輪の花を緩急つけて刺したその刺繍は、ドレスのひだが揺れるたび海が波を立てるようにきらめいた。その出来栄えに、イリスは満足していた。


首と耳の飾りも、合わせてみましょう。それから髪型も考えなければ。自分の仕事ぶりを内心褒めちぎっていたイリスは、侍女の言葉によって現実に引き戻された。

ドレスに合わせるアクセサリーもまた、姉と同じものを付ける予定だ。しかし、その選別の際に手を抜いてしまったイリスは、それに対して大した思い入れがない。大きな不満があるわけではないが、大満足というわけでもない。姉のドレスに手を入れて何とか作り出した自分らしさに、違うものが紛れ込むような気がするのだ。

イリスはふだん、着飾ることに対して強い興味があるわけではない。服の色が青色ならばそれで良い。装飾品にこだわりはない。だが、デビューの際の約束があった。一番自分らしい姿で、約束を果たしたかった。



軽いノックの音がして、父の来訪が告げられた。ドレスの調整のために広げられた道具を手早く片付けて、イリスと侍女は父を迎えた。


「どうだね、準備は順調かな」


そう言って父は、デビュタントの装いのイリスに目を細める。


「よく似合うじゃないか。あの小さかったイリスとは思えないな」


父の言葉に、イリスは口をとがらせる。小さくても大きくてもイリスはイリスだ。そんなイリスの様子に父は少しだけ苦笑を漏らし、何か足りないものはないか、と尋ねた。


「あとは首と耳の飾りを合わせて、髪を整えるだけですわ」

「ああ、それを言いに来たんだ。よかったら、これを使うと良い」


父はそう言うと、小箱を一つ、イリスに渡した。イリスは内心首を傾げつつそれを受け取った。


「何ですの、これは」

「デビューの祝いだそうだ。あとで開けてみなさい」


父は少しだけ寂しげな笑みを浮かべると、侍女にねぎらいの言葉をかけて部屋を去った。イリスと侍女は、顔を見合わせてその小箱を開けると、驚きの表情を浮かべた。


「すてき……」

「きれいなものですねえ……」


イリスは、侍女とともに感嘆のため息を漏らした。小箱の中にあったのは、細やかな透かし彫りがなされた銀色の台座の上から、無造作かつ繊細に真珠がしだれ落ちる首飾りと、そろいの耳飾り。首飾りの中央と耳飾りには、イリスの好きな青い花。


「お祝いだそうだ、と仰っていたけれど、どういうことがしら」


そう言いながらイリスはそっと首飾りを持ち上げる。それに合わせてゆるやかに留められた真珠がさらさらと揺れた。不思議な思いでその台座の細やかな彫刻を眺める。そこにあるものを見て、イリスははっとした。何の変哲もない、優雅なツタ模様を装った彫刻の葉陰に、一匹の尺取虫が隠れていたのだ。頭の傍には三対の節くれだった脚、一組しか見当たらないむちむちした腹脚、それから器用に枝をつかむ尾脚。細部まで再現された尺取虫を、イリスは震える指で撫でた。


「お嬢様、お髪はいかがいたしましょうか」


侍女の声に我に返ったイリスは、鏡台の一番上の引き出しから一つの髪飾りを取り出した。青いアヤメに、真珠の露が下りた髪飾り。フェリクスが帰ったあの日、髪に飾ってくれたもの。結局今までつける機会もなく、引き出しにしまいこんでいたのだ。


「これで結い上げてもらえないかしら」


まあぴったりですわ、早速合わせてみましょう、とはしゃぐ侍女の声を聞きながら、イリスはうれしいような、むずがゆいような、それでいて泣きたくなるような心持を抑え込んで、鏡の中の自分へと向き直った。

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