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書簡  作者: いちはつ
16/25

ミノムシ

部屋の中は静かであった。

時折、女中が隣室からストーブの火を確認し、薪をくべる。もっと時折、侍女が様子を見に訪れて、あたたかい飲み物を勧める。彼女たちが立ち去ると、また静けさが戻る。聞こえてくるのは、部屋の隅に据え付けられた円筒型ストーブの中の薪が爆ぜる音と、遠くの廊下から聞こえる誰かの足音、それから鳥の鳴き声だけだ。


イリスは一人、ベッドに横たわっていた。やっと咳が治まり、何も考えずに呼吸ができるようになった。その幸せをかみしめつつ、北方牧畜帯の産だという手触りの良いショールで顔までぐるぐる巻きにして――正しく言うと、イリスのほうが大判ショールの上を転がって出来上がった自家製簀巻きである――居心地よくうつらうつらすごしていたのだ。


しかし、その静かな昼下がりは、性急なノックで断ち切られた。



ここのところイリスは、病み上がりをいいことにぐうたらしていた。

今朝も着替えはしたものの、ベッド周辺からほとんど離れることなく過ごしている。

実を言うと、そろそろ病気前の生活を始めても良いかな、と思っていたが、父をはじめ屋敷の人々がもう少し安静にしていなさい、というからそれに甘えていたのだ。甘えていたので、最近あまり大きな声を出していない。だから大きな声が出せない。だからノックに対して返事ができない。ついでに言うと返事をする気もそれほどない。隣室には侍女が控えているはずだし、まあ誰かが対処してくれるだろう。

しかし、そんな甘い考えはあっさりと裏切られ、誰が対処する気配もないうちにドアが開く音がした。


「イリス?」


分厚いショール越しに聞こえてきたのは、意外にも若い男性の声のようだ。てっきり父か侍女かと思っていたイリスはびっくりした。この館にいる若い男性など、従兄しかしない。イリスとそう歳の変わらない従兄は、子供の肺炎がうつる可能性があるという理由で、この部屋への出入りを禁じられていた。その禁が解かれて快気祝いにからかいに来たのだろう、とあたりを付けたイリスは、先に声をかけることにした。従兄とのふざけた会話には、先制攻撃で動揺を誘うことが大事なのだ。しかし、レディの部屋に入り込むなんて、と怒ろうとして、身動きが取れないことに気づいた。


「イリスはミノムシになりましたの」


イリスは怒っていることを主張すべく、ツンとして答えた。そしてそっぽを向こうとして、これは本当に動けないぞ、まずい、と気づいた。そこで少し怒りを和らげることにした。


「助けてくださったら、レディの部屋に断りなく入ったことは許して差し上げますわ」

「一応お父上に許可はいただいたんだけどな。……まあ、助けてあげるよ」


その返事にイリスははて、と首をかしげた……つもりになった。簀巻きにされているせいで首が動かなかったのだ。

従兄ならば、イリスの父をお父上と呼びはしない。ならばこれは誰なのだ。父が娘の部屋への立ち入りを許すような人がいただろうか。医者はもう少ししわがれた声をしていたし、そのほかの知人男性は私室にまで立ち入らないだろう。

イリスが首を傾げたつもりになり続けている間に、ショールはくるくるとはがされた。


急に飛び込んできた光に、イリスはぱちぱちと瞬いた。そして光に目が慣れるとあたりを見まわし、ベッドサイドを見上げて目を真ん丸にした。


「まあ、フェリクス様。いらしていたの?」

「小さなイリスが病気になったというんで、お見舞いにね」

「大丈夫なのかしら。その、フェリクス様が病気を持って帰って殿下やアガタ様にうつったりしない?」

「もううつらないって医者からは聞いているよ」


そう言うとフェリクスは、俺の心配はしてくれないの、とふざけてみせた。


「フェリクス様は頑丈そうですもの」


心配していないんじゃないわ、信頼しているのよ、と主張するイリスの頭を、フェリクスは両手でわしゃわしゃとかき混ぜた。


「まあ、何をなさるの!レディは優しく扱うべきなのよ!」

「イリスは今もちゃんとイリスだな」

「当り前ですわ。イリスがミノガになったりはしなくてよ」

「当り前でもね、心配したんだよ」


そう言ってフェリクスはイリスの乱れた髪を軽く整えてやると、ショールを人間らしく肩にかけてやってから、ひょいと抱き上げた。


「まあなにをなさるの!」


イリスは驚いてフェリクスの首に縋りついた。


「ずっとミノムシになっていたみたいだから、お日様に当たったほうが良いんじゃないかと思ってね」


フェリクスは笑って答え、そしてそのまま窓辺に寄る。久しぶりに見たカーテンの向こうは一面の雪景色で、イリスは歓声を上げた。雪に反射した太陽の日差しがきらきらしくて、イリスは思わず窓に手を伸ばす。フェリクスは苦笑して、イリスを片腕に座らせると、もう一方の手でショールをまきなおした。


「軽いな。もともと軽かったけど。痩せたんじゃないの」

「やみあがりですもの」

「小さなイリスがもっと小さくなっちゃったね」

「その分たくさん食べて大きくなるんですわ!」


フェリクス様よりも大きくなるのよ、と無謀な挑戦を言い募るイリスを、フェリクスは優しい目で見つめた。


「無理だと思ってらっしゃるのでしょう」

「そうだねえ」


ぷっと頬を膨らまして不満げに言うイリスに対して、フェリクスは否定しなかった。


「どちらかというと、あまり大きくならないでほしい気もするな」

「まあ、どうして」

「こうやって一緒にいられるのも、イリスが小さいうちだけかもしれないからね」


そう遠い目をするフェリクスを、イリスは不思議そうに見上げた。いつもより近くで見るフェリクスの顔は、少し寂しげに見えた。


「どうしてかしら。きっとそんなことありませんわ。だってフェリクス様はイリスの親友ですもの」

「そうかな。……そうだね」

「それに大きくなったら、馬に乗れるようになりますわ。そしたら一緒に遠乗りに行けますわ」

「それは魅力的だな」


そうでしょう、と笑うイリスに、フェリクスは微笑んだ。その微笑みに、もう寂しさは見当たらなかった。


「そのためにもしっかりご飯を食べて、元気にならないとね」

「もちろんですわ!」


そうしてイリスは、身長が伸びてフェリクス様を超えたらどうするか、という他愛のない会話をつづけた。目の前の雪景色があんまりにきれいだったから、冬の話ばかりになった。雪合戦の時は背が高いほうが有利なのだ。歳の近い従兄や一番下の従姉は昨年、イリスの雪遊びに付き合ってくれたのだが、イリスの短い腕では雪玉を投げても大して飛ばなかった。体重が軽い分雪の上を歩くのは簡単だが、短い脚ではそれほど速く動けない。結局腕力のある従兄が一番強くて、イリスは雪まみれになった。

それから雪山に全身で飛び込み、人型のくぼみをつける遊びもした。これもイリスの体重は軽すぎて、きれいな痕がつかないこともあった。従兄が作った、冬至祭で食べる生姜入りクッキーのようなきれいな人型を見て、ずいぶんと悔しい思いをしたものだ。

窓にジャック・フロストが描く羽根模様も、窓枠によじ登らないと見えない。でもそうすると侍女に怒られるのだ。だから大人用の椅子を近くの部屋から一生懸命運んできて眺めるのだけれど、それはすぐに侍女に片づけられてしまう。模様は毎日変わるから毎日観察しなければならないのだが、毎朝大きな椅子を運ぶのは重労働だ。そんな重労働も、フェリクスくらいに背が伸びたら、必要でなくなる。わざわざ椅子を持ってきてその上に膝立ちしなくても、ただ立ち上がるだけで窓の隅々まで観察できるようになるのだ。


イリスの他愛のないおしゃべりは、侍女が食事の用意が整ったと二人に声をかけるまで続いた。フェリクスはその間、イリスを抱えて嬉しそうに微笑んでいた。

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