第四百三十八話 -20℃の世界
「エェ……。これはないんじゃないの…………」
階段を下りた先には、一面の銀世界が広がっていた。
少々のことでは物怖じしないフェルとドラちゃんとスイのトリオも、これにはさすがに唖然としていた。
「さっぶっ」
あまりの寒さに階段を駆け上り44階層へと舞い戻った。
『おい、何故戻る?』
後からやって来たフェルが不機嫌そうにそう言う。
『あるじー、どうしたのぉ?』
実は暑さにも寒さにもかなり耐性があるスイも不思議そうにそう聞いてきた。
しかし……。
「あんなに寒いんじゃこの格好じゃ無理。ってかこのまま行ったら俺は凍死しちゃうって」
一面の銀世界だった45階層を思い出してブルリと震える俺。
『俺もあれはちょっと勘弁だわ……』
あの光景を見た寒さが大の苦手なドラちゃんもいつもの元気はどこへやらという感じだ。
「あのさ、探索を止めて地上に戻るって選択は……」
もしやと思いそう聞いてみるが、フェルはきっぱりと『ないな』と言い切った。
だよなぁ。
ここのダンジョンも踏破するって意気込んでたし。
『ドラも根性を入れろ。寒いというだけでダンジョン踏破を諦めるのか? そんなことでは我とスイには付いてこれぬぞ』
『チッ、そんなぬくぬくの毛皮があるオメーには言われたくないっての。でもなぁ、そこまで言われたらヤルっきゃないだろ。俺も男だ、やってやるぜ!』
フェルに焚き付けられて俄然やる気を出したドラちゃん。
『おい、行くぞ!』
そう言って階段を下りてそのまま45階層へと飛び出しそうな勢いのドラちゃんと、それに続こうとするフェルを慌てて止める。
「コラコラ、待て待て待て待て! 準備もなしにそのまま行ったらフェルはまだしも、ドラちゃんは動けなくなるだけだぞ!」
鱗に覆われたドラちゃんはどっちかっていうと変温動物に近いんだから根性でどうにかなるもんでもないんだってば。
荒野や砂漠の夜の間だけの寒さにも文句タラタラだった自分を思い出せっての。
「寒いのに耐性があるフェルやスイと違って、進むなら俺とドラちゃんはしっかりと準備しないといけないの」
『むぅ、しょうがない。それならばその準備とやらを早く済ませろ』
「へいへい、言われなくてもしますよ。俺の生き死にがかかってるんだから。確かネットスーパーにある程度の防寒着が売ってたんだよな……」
俺は準備に取り掛かるべくネットスーパーを開いた。
「あったあった。いやぁ、ホントにネットスーパーがあって助かった。防寒着がなかったら、俺なんて凍死しちゃうよ。えーと、これも、これも……、これも必要だな。そしてこれもだ」
惜しみなく次々と防寒着やらを買い込んでいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うう、さすがマイナス20度。これだけ着込んでいてもまだ寒い」
準備を整えて一面の銀世界の極寒の45階層へと舞い戻ってきた俺たち一行。
どれくらいの寒さなのか興味本位でネットスーパーにあった温度計で気温を測ってみると……。
何とマイナス20度。
極寒も極寒、何でこんな階層があるんだよと喚きたくなるくらいだった。
『我の結界があるのだからそこまで寒くはないだろう。我慢しろ』
「まぁ、それはそうだし結界についてはホント感謝してるけどさ、寒いものは寒いんだって」
知ってるか?
マイナス20度となると、息をするのも苦しくなってくるんだぜ。
見かねたフェルがすぐに結界を張ってくれたから助かったけどさ。
そのフェルの結界の中はマイナス5度くらい。
マイナス20度よりはマシではあるけど、やはり寒いのは寒い。
その寒さを凌げるくらいの装備が準備できたのはネットスーパー様々だ。
ちなみに俺の防寒装備としては、上半身は一番下に保温性の高いストレッチ素材のハイネック長袖、その上にこっちで買ったシャツ、その上にフリースジャケット、そしてダウンジャケットだ。
前に見たときにはダウンジャケットはなかったんだけど、食材もそうだけど季節によって商品の入れ替えはされているみたいだ。
そのおかげでダウンジャケットも手に入れることができた。
下半身は保温性の高いストレッチ素材のメンズ用のレギンスを履いて、その上にこっちで買ったズボン、そして水に強いナイロン製のズボンを履いている。
そして最後は全身を覆うようにランベルトさんに頼んで作ってもらったワイバーンのマントを羽織った。
靴下も厚手のものに履き替えて、同じくランベルトさんに頼んで作ってもらったワイバーンのブーツを履いている。
このブーツも大分足に馴染んできて履き心地も抜群だし、なんと言ってもワイバーンの皮は防水性抜群なのも頼もしい。
手には厚手の手袋、頭にはニットキャップをかぶり、耳当てなんてのも売っていたのでそれも購入して装着している。
あとは、テナントのドラッグストアで貼るカイロを箱買いして、いたるところに貼り付けてある。
そして、この貼るカイロを使っているのは俺だけではない。
「ドラちゃん、大丈夫か?」
『うぅぅ、早いとここんな階層抜けてくれぇ……』
念話でも弱々しい声のドラちゃん。
フェルの『根性を入れろ』との言葉に『やってやらぁ』と意気込んで返したドラちゃんだけど、寒さに弱い種族的な壁は越えられなかったようだ。
貼るカイロを腹に背中にとペタペタ貼り付けたドラちゃんは、俺のダウンジャケット越しの背中にしがみついてマントとの間に収まっている。
「フェルー、だってよ」
『ううむ、ドラには根性を入れろと言ったが、アイスドラゴンでもないドラにはこの環境は少々きついか……』
そりゃあね、フェルみたいにモフモフの毛皮がないしさ。
それはさて置いて、何だかとっても不吉な名前が出て来たようなんだけど……。
「な、なぁ、アイスドラゴンって……」
『アイスドラゴンとはこのような極寒の地に棲むドラゴンだ』
やっぱり。
アイスっていうんだから、それ以外ないだろうけどさ。
『ドラゴン~! ねぇねぇフェルおじちゃん、そのアイスドラゴンっていうの、美味しい?』
ドラゴンと聞いて俄然ワクワクしだしたのがスイだ。
『うむ、アイスドラゴンもなかなかに美味い肉だぞ』
美味い肉と聞いて雪の上でポンポン跳ね回り興奮し出すスイ。
『うわぁ、スイも食べてみたいな~。出てくるといいなぁ、アイスドラゴン。そしたらスイがエイッてやっつけちゃうんだー!』
『フハハ、そうだな。アイスドラゴンが出てくることに期待しよう』
いやいやいや、期待しなくていいから。
そんなのは絶対に出てこなくていい。
ここのダンジョンは環境だけでもこんなに過酷なんだから、次から次へと物騒な魔物まで出さないでほしいぞ。
フリじゃなくて本当にな。
『それでは、行くか』
「ああ。…………本音を言えばこんなところ行きたくもないんだけどね(ボソッ)」
『何か言ったか?』
「な、何でもない。そ、それよかさ、スイに聞きたかったんだけど、大丈夫なの? 本当に寒くない?」
話を誤魔化すように気になっていたことをスイに聞いてみた。
『んー? 大丈夫だよー。ちょっとだけいつもより涼しいかなーって思うけど、平気!』
「アハハ、いつもよりちょっとだけ涼しいだけか」
『うん!』
マイナス20度の極寒、フェルの結界があるからまだマシにはなってるけど、それでもマイナス5度なんだぞ。
それをちょっとだけいつもより涼しいと言っちゃうスイに苦笑い。
『フフン、頼もしいではないか』
「まぁそうだけどさぁ。ってかさ、スイって熱いのは感じるようだけど割と大丈夫だし、寒いのも今見てると全然問題ないし、回復薬も作れるし、鍛冶もできるし、攻撃もバッチリだよな。なんかもうメチャクチャだなぁ」
『フハハハハハ、違いない。こんな規格外のスライムが存在するとは、我も思ってもみなかったことよ』
『ねぇねぇ、あるじとフェルおじちゃん、スイのこと話してるの~?』
「ああ、スイはすごいってな」
『うむ、スイはすごいスライムだ』
『エヘヘ~、あるじとフェルおじちゃんにすごいって言われちゃった。スイ、うれしいな』
スイが嬉しそうに高速でブルブルと震えていた。
極寒の地でそんなほんわかした会話をしていた俺たちだが、若干1名そんな会話に付いていけない者がいた。
『おぉい、話してないでさっさと進んでくれ~。とにかくさっさとこの階を通り過ぎてくれよぉ……』
頭に響く何とも弱々しいドラちゃんの声。
「ああ~、ごめんごめん。すぐ出発するから。フェル、スイ、行こう」
『うむ』
『うんっ』
俺とスイを背に乗せたフェルが走り出す。
こうして俺たち一行は極寒の45階層へと足を踏み出したのだった。