アーンは誰に?
「・・・四十五℃。立派な風邪ですね」
夜叉王丸が銜えていた体温計を取り上げてジャンヌが冷静に言った。
「情けない。たかが風邪で寝込むとは・・・・・」
夜叉王丸は情けない声を出した。
「そんな事ないですよ。風邪は万病の源って言うではないですか」
ジャンヌの隣にいたエレナ侯爵令嬢が夜叉王丸の額に濡れタオルを置いた。
「飛天様は普段が丈夫だから、たまに風邪を引くのは良い事です」
エレナの隣で夜叉王丸に布団を掛けるヴァレンタイン子爵令嬢。
「今日一日は大人しくして下さいね」
ジャンヌが優しく夜叉王丸の額に掛った髪を撫でた。
「お前が俺の傍に居るなら大人しくする」
何時もの声とは違い弱々しい声で夜叉王丸が言った。
ちなみに“お前”とはジャンヌであり二人ではない。
しかし、そんな事とは関係なく普段の夜叉王丸と違い何所か弱い姿が妻たちの母性本能を刺激した。
「分かりましたわ。今日はずっと傍に・・・・・」
「お傍に居りますからご安心くださいっ」
エレナとヴァレンタインは夜叉王丸の願いを聞き入れた。
しかし、当の本人であるジャンヌは
「いけません。私が居ては眠れないではないですか」
ぴしゃりと夜叉王丸の願いを却下した。
「・・・・・・・」
夜叉王丸は悲しそうな表情をした。
それは捨てられた子犬のような潤んだ瞳で更に妻たちの母性本能を刺激した。
「ジャンヌ様。それはあまりに酷過ぎですわ」
「そうですよ。飛天様が悲しんでいます」
いつもはジャンヌに従順なエレナとヴァレンタインが刃向かった。
「いいえ。いけません。さぁ部屋を出ますよ」
威厳ある口調に二人は何も言えずにジャンヌに引き摺られる形で部屋を後にした。
「・・・・・・・・」
一人、残された夜叉王丸は暫くふて腐れていた。
「ちょっとジャンヌ様、酷くないですか?」
「そうですね。飛天様がせっかく頼んだのに」
「そうじゃのう。それはジャンヌ殿が悪い」
「えぇ。それはジャンヌさんが悪いわ」
部屋を追い出されたエレナとヴァレンタインは他の妻たちと茶会を開き愚痴を溢していた。
妻たちはジャンヌの態度を散々に言った。
しかし、年長者の玉藻は何所か不に落ちない様子だった。
「・・・・ジャンヌちゃんが飛天の願いを断るなんて可笑しいわね」
顎に指を当て思案する玉藻。
当のジャンヌは一人で台所に籠っているのも不に落ちなかった。
「・・・・何か匂うわね」
この予想は見事に的中する事になった。
「・・・・・・・・」
夜叉王丸は自室で一人、今だにふて腐れていた。
二千八百歳の良い歳した大人がふて腐れる姿は滑稽だ。
『・・・・ジャンヌの馬鹿野郎』
むすっとして心の中で毒づいた。
ふて腐れていると襖越しから声が聞こえてきた。
「・・・ジャンヌです」
夜叉王丸は直ぐに布団を頭から被った。
こんな姿を見られたら魔界中の笑い者になるだろう。
「・・・飛天様」
中に入ると布団を頭から被った夜叉王丸にジャンヌは嘆息した。
『お気を悪くさせてしまった』
と長い夫婦生活から直ぐに理解した。
本当なら夜叉王丸の願いを叶えたかった。
だけど、自分がいたら眠れないだろうと思ったのだ。
一度だけ風邪を引いた自分を看病した夜叉王丸に襲われた過去がある事から警戒してしまったのだ。
しかし、結局は心配して粥を作って来てしまった。
「・・・・お粥を持って来ましたので、お顔を出して下さい」
怒っていると分かっていながらも近づいて布団に手を掛けると直ぐに動いた。
「・・・・・・」
どこか怒った表情の夜叉王丸にジャンヌは内心で苦笑した。
自分の主人は本当に子供だ。
だけど、そんな所が可愛いくて仕方がないと思う。
スプーンで粥を掬うと息を吹き掛け夜叉王丸の口に運んだ。
つまり男なら誰しも憧れるであろう“アーン”だ。
「・・・・・・・」
夜叉王丸も例外ではなく怒っていた顔が直ぐに笑顔になった。
『やっぱり子供ね』
自分の夫の仕草を見て笑ったが嘲りではなかった。
この男が子供染みた姿を見せるのは心から気を許した者だけ。
つまり自分は心を許した者だという事が嬉しかった。
「・・・はい」
「アー」
夜叉王丸が口を開けて粥を食べようとした時だった。
バッン!!
閉じられていた襖が勢いよく開きジャンヌを除く妻たちが全員、眼を吊り上げて立っていた。
「・・・・やっぱり、ね。こんな事だろうと思ってたわ」
先頭にいた玉藻がニヤリと笑っていた。
「ジャンヌちゃんが飛天の願いを拒否するなんて怪しいと思ったら・・・・・一人で飛天の看病をしようとするなんてね」
「・・・・・うっ」
ジャンヌは言葉に詰まり何も言えなかった。
「・・・・本当にジャンヌさんたら飛天様の事になると油断できないわ」
「そうね。今度からは気を付けないと・・・・・・・」
「今夜は“お仕置き”じゃな」
「・・・・そうじゃな」
妻たちから非難の声が上がった。
「・・・・・・・・」
夜叉王丸はというと、せっかくの楽しみを邪魔されて怒っていた。
「そんなに怒らないで。飛天。直ぐに看病して上げるから」
『私たち全員で!?』
と仲良く声を合わせて言うと静かに襖が閉められた。
そして夜叉王丸は一日中、代わる代わる妻たちから手厚い看護を受けて一日で完治した。
屋敷の者からは
『主人さまは奥様たちから愛されてますね』
などと言われたがジャンヌとのラブシーンを邪魔された事から暫くの間、ジャンヌ以外の妻とは口を開かなかったそうだ。
その八当たりとしてジャンヌが他の妻たちから意地悪されたのは言うまでもない。