生かすも殺すも貴方次第
狂気の沙汰を書きました。
月も星も存在しない新月の夜。
そんな暗闇の夜に小さな教会がポツンと立っていた。
その中で悪魔男爵夜叉王丸と彼に恋心を抱く大天使ラファエルは対峙していた。
「・・・・・俺を、この胸糞悪い教会に呼んで何を企んでいる?」
互いに無言だったが夜叉王丸が口を開いた。
その声には憎悪が溢れ返っていた。
彼はラファエルを憎んでいる。
自分の幸せを全て根こそぎ奪ったからだ。
初めて心から一生を掛けて愛したいと想った大切な女性を殺されたから。
その激しい憎悪と自身の無力さが彼を悪魔にした。
悪魔になった彼は復讐を誓い生きてきた。
夜叉王丸がラファエルを憎んでいるのにラファエルは逆に夜叉王丸を愛していた。
憎まれていると知りながらも彼を好きになった。
何度も殺されかけた。
それでも自分からは手を出さなかった。
否、出せなかった。
自分が・・・・・・自分たちが彼から幸せを奪ったのだ。
本来なら幸せを与える立場の自分たち天使が・・・・・・・・・・・・
それを悔み彼に殺されようと仕方が無いと思った。
しかし、駄目だった。
彼に恋をしてしまい死ぬ事ができなかった。
しかし、もう駄目だ。
もうこれ以上、彼を苦しめる訳にはいかない。
「・・・・飛天」
ラファエルは静かに口を開いた。
「・・・・・私を殺して」
「・・・・・・」
ラファエルを夜叉王丸は無言で見つめた。
「・・・・何故、と聞いても良いか?」
「貴方は私を憎んでも憎み切れない位に憎んでいる。私は貴方に殺される義務があり貴方は私を殺す権利がある」
「だから、私は貴方に殺される」
しかし、直ぐに首を横に振り否定した。
「違うわね。貴方に殺される事によって私の犯した罪を赦して貰いたいのね」
「俺に殺されたら自分を赦せるのか?」
「分からない。だけど、死ねばもう罪の重さに苦しまなくて良いから」
そう言ってラファエルは腰に差していた赤い鞘に収まった愛剣、エレメント・ローズを床に投げた。
それは無抵抗の証であり神への反逆を意味する。
以前の自分なら神への反逆など微塵も考えていなかったが、今は違う。
神など──結局役には立たない。
神など自らを救いはしない。
神など不要だ。
「さぁ、早く私を殺して」
瞳を閉じて夜叉王丸が手を下すのを待った。
しかし、幾ら待っても夜叉王丸の手が来ないのを訝り目を開けて見上げれば、虚空を凝視して歯噛みする悪魔の姿がそこにあった。
柳眉を寄せ、黒の瞳を険しくして悲哀と憎悪そして怒りが入り混じった視線でただ一点を睨みつけている。
「ひて・・・・・・・」
「赦せるものか」
地を這うような声。
「お前が俺をどこまでも好きなのと同様、俺も決して赦せはしない」
眼帯を外して曝け出た紅眼が音もなくを見据えてきた。
「だが──、安易に死を口にするな」
有無を言わさない口調だった。
ラファエルは静かに紅瞳を見返す。
悪魔の背後、夜の木立の向こうには光なき闇が沈んでいた。
「死は想えば想うだけ、口にすればするだけ、お前に近づく」
「神父みたいなことを」
「同族のことは同族が一番よく知っている」
「勝手に私の首を落としてくれるなら、それは本望・・・・・・・」
「お前は!!」
悪魔が声を荒げてラファエルとの距離を縮め彼女の首に手をかけてきた。
「お前は俺に殺される。それ以外の誰にも殺されてはいけない」
血の気を失い蒼白の首筋に力を込められ、それでもラファエルは声ひとつ上げず苦悶の表情ひとつ浮べずに、漆黒の悪魔男爵を見つめた。
それだけで人を切り刻めそうに鋭利な語気とは対照に、血よりも紅いその瞳は冷えたままで厳しい表情は変わらずに、瞳の奥は澄んでどこまでも深く凍っている。
「赦しなどあるものか。お前にも俺にも赦しなどあるものか。もし愚かな救いを求めるとすれば、お前が俺を、俺がお前を、今ここで同時に殺せばいい。互いに地獄よりも深い底へ堕ちれば良いんだよ!?」
「俺がどれだけお前を血に沈めようと思ったか分かるか?」
力が追加されたのは彼の手だが、彼女の首ではなかった。
「悔恨は永遠で、運命は唐突だ。懺悔も祈りもそして死も、何も救わない。神は誰も救わない。我々は閉じ込められているんだよ。ラファエル」
「・・・・・飛天」
「赦されることなどあり得ない。どこまでも俺がお前を赦す事などできようはずがあるまい?だが──」
険しかった顔に皮肉げな笑みが浮かんだ。
瞳の色を濃くしたを諌める如く彼が静かにその額へと口付ける。
「だが、俺はお前のその意志を受け入れよう。お前の差し出したその命、犯した罪の赦免と引き換えに完全に我が物となる」
「・・・・・・・・」
白い指が涙の流れを辿る。
「生かすも殺すも──俺次第」
「・・・飛天!!」
「お前は俺の物だと言ったろう」
明けることなき夜闇の中、悪魔が微笑と共に優しく唇を重ねてきた。
壊れ物を愛おしむように、折れた翼をいたわるように。
「決して逃がさない」
彼が、消えないようにと証の言葉を刻む。
ついばむような口付けが首筋へと降りていき、ラファエルはいつの間にか開いていた目をゆっくり閉じた。
ゆっくりと床に寝かされ身体に運命の重みと男の体温を感じて息をつく。
「私は──逃げないわ」
一瞬夜叉王丸が動作を止め、彼女の顔をのぞきこんできた。
黒髪の向こうで煌々とゆらめく紅と黒の瞳。
ふたつの視線が真っ向からぶつかり──だが先に彼が折れた。
「・・・だろうな」
あきらめの混じった嘆息が漏れ、笑う。
そしてもう一度、深く唇が重ねられた。
届く先のない祈り。
再び失うことがないようにと、再び奪われることがないようにと、願うのは愚かか否か。
抗い得ぬ流れの中にあって、それでも望むことは愚かか否か。
互いに分かたれた断崖の淵に足をかけ、それでも手を伸ばすことは罪か否か。
この闇にしか安息がないのなら、世界をこの色で染めてしまえばいい。
誰かが救われ、誰かが見捨てられる。
そんな世界ならば、愛を偽り選別の杖を振るう者になどなりたくはない。
堕ちてその杖を折ってやる方が潔い。
白い羽根が黒く変わろうとも、“悪魔”と忌諱され蔑まれても、血を血で贖う戦場に立つのだとしても。
辿る道に癒えぬ傷が残ったとしても。
その果てにやっと手に入した奇跡が、永遠であるようにと祈ること。
愚かであると、人は言うだろうか。
幻想であると、世界は嘲うだろうか。
憎悪には理由があり、しかし愛に理由はない。
悪魔は、闇の中でそう囁いた。