バックアップ
「私が何者か、なんて抽象的な質問は回答に悩むね」
「最初に自己紹介した様に旧時代の名残程度に認識しておけば間違いないね。所属は警察機構さ」
「何と言うか、悉く単語が通用しないな。全くどれだけの時間が経過してしまったのか……」
「少し尋問させてくれまいか?例えば無線神経接続と言う単語は知っているか?非拡散力場は?信電社は存在しているかい?三層都市計画は完遂されたのかい?」
「ああ、すまないね。ちょっとだけ急ぎ過ぎた様だ。そうだな。単語が同じとは限らないか……。では一つ一つ説明する方がいいかな?」
「無線神経接続とは読んで字の如く接栓も接栓座も必要としない神経接続さ。接栓座埋め込み手術はコストが掛かり過ぎるからね。君もそうだったろ?」
「ほう。生まれた時からね……。成程成程……。前途多難だな」
ああ、何故忘れていた。
否、忘れるべくして忘れていたのだ。
僕が手乗りルカが喋った事に驚いていると、唐突に文字が表示された。
【Reconstruction start】
同時に膨大な記憶が僕の中に流れ込み始め、とんでもない負荷が掛かる。
ファーストに接続しているのにも拘らず、処理能力が不足していた。
「私が稼働していると言う事は、私は死んだのね」
痛みすら覚える高負荷の中、ルカの言葉が妙に鮮明に聞こえた。
「お前は、何者だ?」
雪崩込む記憶に翻弄されながら、僕は辛うじてそれを問うた。
「私はルカ。正確にはそのバックアップよ。原典のルカが死んだ時に作動する様に意図されたバックアップ」
返って来た答えの意味を考えたいのに、僕の処理能力は明らかに不足している。
ルカであるとも、ルカで無いとも明言しないその答えに僕は戸惑う。
「因みに、ヤヤが所持している杯のアイコンをしたアイテムが本体ね」
高負荷に耐え忍ぶ僕に、ルカは更なる混乱を提示して来た。
だが、今回は比較的分かり易い言葉だ。
意味は分からないが、それでも僕の思考は一つの確認すべき事柄を明示する。
僕はインベントリを開き、中身を確認した。
そこには確かに、入手した覚えの無いアイテムが存在していた。
銀色の杯を模したアイコン。
そのアイテムの詳細情報を開く。
アイテムの名称が表示される欄には■■■■■と表示されていた。
アイテムの内容を説明する欄には■■■■■■■■■■と表示されている。
ルカと出会った当初、ルカが喋っていた異常な言語と同じ表記。
いつの間にこんなアイテムが、と言う疑問は即座に自己解決された。
オアシスZZZAの宮殿の中で、ルカに遁走の覚悟を渡した時だ。
あの時ルカ側の取引ウィンドウに表示されたアイテム。その内容も名称も確認しなかったあのアイテム。
形状は覚えていないが見慣れない銀色のアイテムだった、気がする。
だが最も異常な事柄は不審なアイテムそのものでは無い。
「保存パック……電基化魂魄の簡易複製……」
真に異常なのは、僕がその文字が読めると言う事だ。
僕の呟きを聞いた手乗りルカが、何だ気付いてたのと見当違いな納得をした。
「だからその、ごめんね」
そして何故か、唐突に謝られた。
相変わらず表情が変化しないのだが、その声は本当に申し訳なさそうだった。
「でも結果的に良かったね、自我が崩壊しなくて」
申し訳なさそうな声のまま、とても物騒な言葉が続いた。
保存パックと言う名称と、その説明で何と無くその機能は察していた積りだったが、本来はその予想より幾分有害なアイテムだった様だ。
「本来は僕にルカを上書きするアイテムだった、か」
声にたっぷりと非難を含めると、ルカは露骨に視線を逸らした。
「本当に、何で本来の機能が発揮されなかったのかしらね」
そんな事を嘯きながらくるくると回る。
「で、お前は何物だ?」
改めて僕が問い直すと、手乗りルカは先程と同じ言葉を繰り返した。
もちろん、僕が知りたいのはそんな事では無い。
「聞き方を変えようか?接続主義者で無いお前がどうやってファーストの中に入り込んだんだ?」
手乗りルカが制止した。
それはただ単に出力を停止したと言う次元の話では無い。
ノイズすら静止してしまう完全な静止。
しかしそれは一瞬の事で、手乗りルカは直ぐに通常の状態に戻った。
「なんだ、気付いてたのか」
何でも無い事の様に嘯くその声音が、僅かに堅い。
「確信があった訳では無い」
鎌を掛けましたと白状すると、ルカは形容し難い呻き声を漏らした。
勝手に保存パックを押し付けた事に対してささやかながら遣り返せた様で少しだけすっとした。
そうやって生まれた余裕に、ふとした疑問が過ぎる。
疑問が過ぎった後には不安が残った。
「……ルカは異形に襲撃されて連動死したらしいが、そのバックアップだと言うお前が異形に襲われる事はないのか?」
そう問い質しながら僕は周囲に意識を配る。
僕の感知出来る範囲に異形はいなさそうだ。
「今の私はヤヤとほぼ融合しているから、容易には発見されない筈よ」
手乗りルカの回答は全く持って安心出来ない物だった。
「そもそも何故ルカは異形に狙われた?」
僕は防具を防砂衣から法衣へと変更し、自身に補助魔法を掛ける。
頭上に四対の翼を携えた天使が出現し、その翼で僕を抱擁して消失した。
「それはアレが守衛だからよ」
守衛。つい先程ルートに伝えて、ルートから警告された単語。
「守衛。旧世代の施設を守護する自動制御火器や自律式移動火器、或いはネットワーク上に存在する仮想人格群」
僕が守衛について知っている事をひとりごちると、手乗りルカは物知りねと感想を述べた。
別に僕自身は物知りでも何でも無い。
物知りなのは虹の踊り子で、全てはその受け売りだ。
そしてそれらの知識の大半は、先程思い出した物でしかない。
僕は手乗りルカを凝視する。
僕が虹の踊り子との会話を思い出した原因は、十中八九保存パックの影響だろう。
今の僕は、手乗りルカを付随器官の様に感じている。
制御こそ出来ないが手乗りルカは僕の一部だと、そう感じている。
それはまるで三本目の手が生えた様な不可思議な感覚で、決して僕の中の何かが手乗りルカに置き換わった様な感覚では無い。
それは保存パック本体に対しても感じる。
僕が保存パックを入手したのがオアシスZZZAで解体作業に従事した時だとすれば、僕の処理能力が不自然に上昇した事に対して一つの仮説が成立する。
自覚は無いが、僕は保存パックを利用しているのではないだろうか?
保存パックはルカを丸ごと複写可能な容量を保持していると推測出来る。
そして手乗りルカは保存パックが正常に稼働していない事を示唆していた。
ではその原因はなんだろうか?
緊急保存パックの不備と言う可能性もある。
だが、もしも僕が緊急保存パックの領域を不正に使用出来ているとしたら?
これはただの仮説だ。
その真偽は不明だ。
だが現実に、僕の処理能力は向上し、ルカは中途半端に復元されている。
【Reconstruction completion】
唐突に文字が表示された。
僕の思考は、高速でありながら滑らかに稼働している。
少し思い起こそうとするだけで、虹の踊り子との会話が無数に再現される。
「砂漠Nへ行こう」
僕がそう言うと、手乗りルカが表情を変えないまま首を傾げた。