可視、不可視
「虹とは何か?」
「前提として確認したいのだが、君の認識する虹とはどんな物だい?」
「ああ、そう。言葉としてだけ、か」
「雨は存在するのかな?天候は?昼夜は?」
「ドーム。成程。良く分かった。面倒だな」
「虹、と言う言葉には複数の意味がある。一つは構成が一定の条件を満たしている空気に光を通過させた際に起こる分光現象。もう一つはその分光現象に付与された数多の意味。最後に当て字だ」
「……それは恐らく当て字が適用されるケースだな。それにしたって虹の踊り子ねぇ。誰が言い出したんだい?」
「その話だと、恐らく当て字としての意味が辛うじて伝承されている感じだな」
「別に大した意味は無い。基底現実に相対したネットワーク世界総体を指す用法さ。特別な意味は無いのさ」
これは会話だ。特別な意味は無い会話。
小隊長と思しき自治団構成員が異形の襲撃に遭った時の事を説明しているが、僕はそれどころでは無い。
「おい、聞いているのか?」
僕の声がどこかふわふわしていたせいだろうか、構成員にそう確認されて僕は曖昧に肯定した。
僕の目の前には自治団構成員と抽象化されたルカがいた。
抽象化、と言うよりはデフォルメされたと言った方がいいのだろうか。
黒いドレスに白磁の肌。顔に対して異様に大きい目は青緑色。
表情は笑顔の様にも見える半円の口と光沢の無い瞳が不気味だ。
目と同色の髪はそれら全てが一つの部品の様に固形化された挙動をしている。
全体の大きさは手乗りサイズで、二頭身。
魔法帯も伴わず出現したそれに、構成員はまるでそれが存在しないかの様に振舞う。
「まあ、こんな状況じゃ仕方ないか。兎も角自治団は壊滅した。生き残った構成員は他の組織に吸収されるだろうな」
他の組織。多分朋和兵団辺りだろう。
その後色々聞いた事を纏めると、異形の襲撃が収束したのは僕が接続する数分前の事らしい。
それに対して異形の異常発生は最低でも十五分前には始まっていたそうだ。
当時山頂ZZSには多数の構成員とルカが居たらしい。
そしてその半数は最初の数分で連動死したそうだ。
話を聞く限り大半の構成員は大して抵抗する余裕も無く倒されて行ったそうだ。
襲撃の収束する数分前に接続したサクもまた、何かをする間も無く連動死したらしい。
一番奮闘したのは以外にもルカで、ルカがいなければ数分と持たなかったそうだ。
その話をしている時も構成員は手乗りルカに対して何も言わない。
話し方もルカが連動死した前提の話かただ。
手乗りルカの存在が構成員には知覚されていない様だった。
「まあ、また会う事もあるだろう」
僕等は十分程話していただろうか。小隊長と思しき構成員はそんな言葉で締めくくって、片足で立ち上がった。
「お前さんはあれか?また砂漠Nにでも引き籠るのか?」
最後の最後に、何とも返答し辛い事を聞かれた。
正直な所、何も考えずに砂漠Nへと戻りたいのだが、手乗りルカの存在があるが故に砂漠Nへ行く事を躊躇している。
「ちょっと他を回ってみようと思うよ。正直今は余り砂漠Nに行く気分ではないかな」
凄く行きたいのだけれどもね。ああ、無我の境地で虹の踊り子を眺めていたい。
と、僕がそんな事を言うと、構成員は驚きのモーションをした。
そんなに驚く事だろうか?
そんな僕の疑問が伝わったのか、彼は申し訳なさそうな声で弁明した。
「いや、すまない。重症だと聞いていたのでな」
重症。そんな風に見えていたのか。
分かっていた事でもはっきり言われると内心傷付きもする。
そんな僕の心情を知らないからこそ、その次の発言が飛び出したのだろう。
「まあでも良い事だな。あの不可思議な現象の影響から脱したと言う事なんだから」
言ってから失言だと気付いたのだろう。
堅い声でその発言を忘れる様に要求された。
僕は困惑しながらも、密談中にサクが沈黙を発言した言葉を思い出した。
「サクも、虹の踊り子について何か含む所があった様だが」
僕がそう言うと、構成員は考えるモーションをして十秒程沈黙した。
そして、実質自治団は消滅したしなと自分自身に言い聞かせる様に呟いてから、僕に内部機密情報を語り始めた。
「発端は、矛盾する報告だった」
砂漠Nはプレイヤーが殆ど立ち寄らない拠点だからこそ、自治団がその矛盾に気が付くのに遅れたのだそうだ。
「虹の踊り子と言う名の、踊り続ける存在を知覚出来るプレイヤーとそうでないプレイヤーがいる」
サクは虹の踊り子の事を知覚出来ないプレイヤーだったと、そう言われて思い返せばサクは虹の踊り子の事を常に無視していた。そんな気もする。
驚愕の事実ではあったが、不思議とすんなりと受け入れる事が出来た。
僕も無意識に虹の踊り子の異常性を認識していたのだろうか?
構成員の話によれば、虹の踊り子を知覚出来るプレイヤーは三割程度なのだそうだ。
「自治団は、虹の踊り子を知覚出来るプレイヤーを感染者と呼んでいた」
そこまでは、その説明までは、僕は平静を保っていたと思う。
しかし、続く説明に、僕は脳髄を砕かれる様な衝撃を受けた。
「その中でも、虹の踊り子とコミュニケーションを取ったと言う人間を重症者と呼んでいた。これはお前を含めて六例しか確認されていない事例だ。そいつらは全員虹の踊り子に強い執着を持っていて、その中でもお前が最も顕著だった」
待て。
待て。待って。待って。
ああ、ある。
虹の踊り子が僕に話し掛けた事はある。
ある。
ある。しっかりそう認識している。
でも待って。待って下さい。
何でだ?話した事がある事をしっかり覚えているのに、話した事をまるで覚えていない。
何だ?僕に何が起きているんだ?
「まあでも、症状は軽くなった様だな?どうだ?まだ虹の踊り子と話した記憶はあるか?」
構成員にそう聞かれて、僕は反射的にまだあると答えてしまった。
「い、でも、何を話したのかの記憶は、無くて……」
話した記憶があると言うと怒られそうな気がして、つい言い訳がましくそんな事を言うと、以外にも構成員は安堵した様な声音でよかったなと慰めてくれた。
「前はその矛盾に気付いてさえいなかったからな。いくら指摘しても平行線だったんだよ」
ある。その記憶もある。
確か僕は皆が虹の踊り子と話した事実自体を認めてくれないと認識していた筈だ。
事実は話した事自体の否定では無く、話したと言う認識と話した事を覚えていないと言う認識が矛盾している事の指摘だったのか?
「まあ、でも、良かったよ。サクは本当に心配していたからな。生きていたら、喜んだだろうな……」
構成員はしみじみとそう言ったが、僕は感傷に浸る余裕も無かった。
処理能力の不自然な上昇に対して漠然と抱いていた、僕自身が内包する不可思議に対しする感情が、濃く顕現した。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
僕はおかしくなってしまったのだろうか?
今だって視界の中で浮遊している手乗りルカの存在が明確な異常だ。
否、いつからおかしかったのだろうか?
思えば最近、誰との物か思い出せない会話を思い出す事が何度かあった。
あれは誰との会話だったのだ?
僕が忘れているだけ?
それとも……?
「まあ兎も角、今後は砂漠Nに行かない方がいいだろうな」
混乱する僕に向かって構成員はそんな忠告をして、ひょこひょこと歩いて行った。
その背中を見送る余裕も無く、僕は山頂ZZSを飛び出ていた。
白い地面だけを見ながら走る。
全体加速を掛ける事も忘れて、ただひたすら走る。
視界の端には手乗りルカがいる。
そいつは表情を変える事も声を発する事も無く、ただ僕の視界に存在している。
不意に、気持ち悪さは恐怖へと転じた。
突発的なその感情に流されるがまま、手乗りルカに攻撃を加えた。
一般的な攻撃魔法である火球を手乗りルカにぶつける。
命中して炎上する。
……命中した?
「いきなり攻撃とか酷いわー」
燃え盛る手乗りルカが棒読みでそう言った。




