処理能力
「二重現実理論、と言う説が信じられている時期があった」
「しかもかなり長い期間」
「具体的には四千年程度だったな」
「結果的にそれは誤りである事が証明され、世界は基底現実しか存在しない事が明らかになった」
「電子の世界、即ちネットワークの世界は所詮仮想世界に過ぎず、それ以上でもなければそれ以下でも無い」
「そんな悲しい現実を突き付けられた後に復権した技術こそがVR、バーチャルリアリティと呼ばれる物でね」
「復権と同時に急成長し巨大化したVR世界に対して、法規制は常に後手になった訳だ」
「結局法規制が整う頃には致命的な状況は完成してしまっていて、その残念な状態のまま現在に至ると言う訳さ」
「結局私は旧時代の残滓に過ぎない訳だな」
これはいつの会話だ?誰との会話だ?
気が付くと、僕は会議室の床に横たわっていた。
「おう、気が付いたか」
大音響が半覚醒の意識を掻き回す。
ルートが僕を見下ろしている。
「僕は……?」
一時的に精神的な機能停止が起きていたのか?
それにしては肉体的な異常は見当たらない。
「急にぶっ倒れてな、半日近く眠っていた」
半日……約十二時間か。
しかし、そんな自覚は無い。
正確な経過時間を走査すると、約十六時間と言う回答が得られた。
ファーストに再接続が可能な程時間が経過していた様だ。
「そう言えば、人形はどうなった?」
僕が覚えているのはルートが人型を破壊する所までだ。
「……破壊した」
ルートが若干視線を泳がせた。口籠る様な発音でありながら煩い。
何か言いたくない事があるのか、言えない事があるのか。
僕は興味無さそうな振りをして、周囲の様子を確認する事にした。
現実主義者は多数の会議室を所有しているが、会議室の位置を僕等接続主義者に教える事を好まないのだから、僕を別の会議室へ動かした可能性は低いだろう。
ここが人型を検索した会議室であると仮定して、内部を静かに観察する。
床に僅かだが清掃の痕跡。
除去されたのは人型の残骸だけだったのか、現実主義者の体組織や体液を含むのか。
よく観察してみれば、白い粉末が残留しているのが見て取れる。
あの様な状態になる物質として思い浮かぶのは特殊陶器の類だろうか?
少なくとも複合金属ではあの様な状態にはならない。否、旧金属類が劣化すればああなるのかも知れない。
そこまで考えてから、僕は僕の異常に気が付いた。
処理速度が異常だ。
まるでファーストの補助があるかの様な高い処理能力。
喜ばしい筈の状況。求めてさえいた能力である筈なのにも関わらず、それに僕は不気味な印象を抱いていた。
それと同時に納得もした。検索があれ程大量の単語を提示した訳は、僕の処理能力が急上昇していたのが理由だったのだろう。
しかし、いつからだ?
前回ログアウトした時に異常は無かった筈だ。
軌道車両に戻る途中に現実主義者について思考を巡らせた際に処理限界に近付いた事を覚えている。
一度眠って、その後か?
否違う。
接続施設へと向かう途中、ケイの補給手段に関して思考を巡らせていた時に警告が発せられた事を覚えている。
ならば、原因は先の接続中か。
何か普段と違う事は……あり過ぎて絞り込めない。
オアシスZZZAの宮殿での事、ルカに関連した事、異形の異常発生。
「どうした、まだ体調が悪いのか?」
思考を巡らせているとルートにそう聞かれたので適当に頷いておく。
むしろ調子がいい位なのだが、処理能力の不自然な上昇は余り知られない方がいい気がする。
「取り敢えず、接続がしたい」
今の僕は現実世界でも十分な思考が可能だと思うが、それでもファーストの世界に帰りたい。
ここは僕の存在するべき場所では無い。ファーストの中こそ僕の現実なのだ。
そんな要望を言葉にすると、ルートは大きな溜息を吐いて立ち上がった。
「まあ、元気そうで何よりだ」
何をどう考えてそんな結論に至ったのかは不明だが、まあいい。
「送って行く」
僕が身体を起こすと、ルートがそんな事を言った。
僕に何か言う暇を与えず、ルートは僕を担いで会議室を出る。
視界を埋め尽くす透明なチューブ。
普段僕が徘徊する層に比べて、下からの光を強く感じる。
それだけ支都の天井が近いのだろう。
「最寄りの昇降機の場所を教えて貰えれば――」
その続きは置き去られた。
ごうごうと、空気の擦れる音だけが聞こえる。
僕とルートは風になっているのだろう。
「走った方が早い」
ルートの声が聞こえた。
それに対して僕が発した言葉は後方に置き去られた。
ごうごうと、ただ空気の擦れる音だけが聞こえる。
確かに速いだろう。風圧で身体が軋む。
信じがたい事に、ルートはただ走っているだけだ。
僕ならば立つだけでも不安定であろうチューブの上を走り、飛び、着地し、また走り、その繰り返し。
時折チューブの側面を走っているのは僕の見間違いだろうか?
見間違いだと信じたい。
「倒れる直前、守衛、と言ったな」
ルートの声が聞こえる。
一瞬何の事か分からなかったが、それは僕が伝えた単語だと言う事を思い出した。
「守衛と言う言葉は旧世代の施設を守護する自動制御火器の事だが、それ以外の意味がある事を知っているか?」
どこかでそんな様な話を聞いた記憶がある。
……あれ?どこで聞いたのだ?
「ヤヤは知らんと思うが……自動制御火器の様な固定型では無い守衛が存在すると言われている」
それは知っているし、言わんとする事も分かる。
あの人型が守衛の一種であると言う可能性は、確かにあるだろう。
「最近発掘部隊が活発的に稼働している。その事を一応覚えておいてくれ」
覚えていたからと言って、僕等接続主義者が現実世界で出来る事などたかが知れている。
「もうすぐ到着する」
そう言われた直後、衝撃を感じた。
【Abnormality】
網膜に文字が表示された。先の着地と言い今回の急制動と言い、現実主主義者の身体能力は異常ですらある。
これまではそれを肉体的な高出力に起因すると考えていたが、実際は肉体的な頑強さにあるのかも知れない。
「……いずれにせよ無茶苦茶だな」
僕がそう結論付けると、ルートが何を言っているのか分からないと言う目で見て来た。
僕の視線の先には接続施設がある。
本当に昇降機を使うより早く、ただそれだけで十分な異常である。
周囲に何人かの現実主義者がいるが、発掘部隊はどこにもいなかった。
支都に帰ったのか、或いはまだどこかで活動しているのか。
何にせよ僕が成すべき事はファーストに接続する事だ。
既に十七時間を過ぎている。遅刻だ。
「俺はやる事が山積みなんでな」
ルートはそんな事を言って去って行った。走って。
道路がたわんで揺れる程の振動を生み出す存在が、僕と同器とはどうしても思えない。
ルートから見れば接栓座を持つ僕に対してそんな事を思っているのかも知れない。そんな事は無いか。
僕は色々と考えながら接続施設へと入る。
薄暗い施設内部は、外の騒動とは無縁の様に静まり返っていた。
接続器に身体を預けると、外壁が閉じて接続が確立される。
脳の奥で何かが切り替わる音が響き、僕はファーストの世界へと帰還する。
「……ここはどこだ?」
言いながら僕は前回ログアウトした時に居た場所を思い出しつつ座標を確認する。
どちらも山頂ZZSである事を示していた。
しかし、周囲は拠点と呼べるような状態では無かった。
山頂ZZSの象徴とも言える茶色の円柱はその半数以上が折られていた。
常時自治団構成員で満たされている山頂ZZSに殆どプレイヤーがいない。
「あんた……確か建築士の……」
構成員と思しきプレイヤーが満身創痍の体で歩み寄って来る。
左半身が無かった。
「ヤヤだ。何があった?」
これはグラフィック異常ですらない。
強いて言うならばグラフィック破壊だが、何だこの状況は?
「……異形の襲撃」
そう言うのと同時にその構成員は光の渦となって消滅した。
ログアウトでは無い。
連動死と呼ばれる現象だ。
ファースト内部での死は大抵の場合ログアウトと長期に渡る接続制限と言う形を取るが、時として現実世界の死を呼ぶ場合がある。
僕は周囲を見回す。
数名の構成員が居たが、大なり小なり身体を欠損していた。
その中に一人、見覚えのある姿があった。
オアシスZZZAの宮殿で見た小隊長と思しきプレイヤーだった。
「……サクも死んだ」
僕が近寄ると、その構成員は力無くそう言った。
それは僕に聞かせると言うよりは、自分に聞かせる様な言い方だった。