検索
ルートの説明によると、体育館が落ちたのは一時間程前の事らしい。
原因は不明との事。
しかしあれは体育館だったのだ。
そう、体育館。
七千時間程前に支都で発掘された六面体は、未知の原理で浮上し断層天井を突き破っても止まらずこの区画でやっと静止した。
浮上した理由も静止した理由も不明なのだから、当然落ちた理由も不明だろう。
そんな考えを口にすると、ルートは渋面を作って大音響で唸り声を上げた。
凄く煩い。
「ヤヤ、ちょっと付き合え」
突如として景色が九十度回転し、伸ばされた。
現状を認識する暇も無く脳が激しく揺さぶられ、目眩と吐気が沸き起こる。
気が付けばルートが僕を小脇に抱えている。
ルートの顔を見るとどこかを見詰めていて、僕もそのどこかへ視線を向ける。
視線の先に道路は無く、支都の断層天井が発する光が霞の底に見えた。
ルートが僕諸共道路から飛び降りたのだと気付くのに数秒の時間を要した。
怖すぎて悲鳴は出て来なかった。
幸いな事に、僕が硬直している間に自由落下は滑空へと移行した。
風に掴まれるような浮遊感。
ぐるりと視線を巡らせると、ルートの背に翼の様な物が生えていた。
「生体改造」
僕がそう呟くとルートは付近の構造物が割れるのではないかと心配になる声量で笑った。
「そうだ、最近再現されたばかりの技術だ」
誇らしげにそう言うルートは、翼の角度を巧みに調節しながら道無き空中を飛んだ。
その後しばらくの間ルートは無言だったが、行き先は容易に推測出来る。
ルートは会話を聞かれない場所へ移動しているのだろう。
その強化された声量は内緒話をするには不向きだからだ。
十分程滑空を続けて到達したのは、普段僕が徘徊する層よりも二キロ程下方の層。
透明なチューブが縦横無尽に張り巡らされたこの層には会議室が多数存在していた筈だ。
ルートは翼の角度を調整してチューブとチューブの隙間を縫う様に飛ぶが、徐々に密度を増すチューブが時折翼を掠める。
チューブの密度はどんどん増して行き、そろそろどこかへ着地した方がいいのではないかと、そう提案しようとした矢先に大きな衝突音が響く。
その音源は僕等の背後だった。
視線を背後に巡らせると、チューブとチューブの間を金属の服に身を包んだ何かが落下していった。
いつからそこに居たのか。否、最初から追跡されていたのだろう。
あの装備は支都の発掘部隊の物だ。
見た限り翼の様な物は生えていなかったのだが、飛べるのか。
そんな事に感心している僕の視線の先で、金属服はチューブに何度も衝突しながら見えない場所まで落ちて行った。
「降りるぞ」
ルートが大声でそう言う。
それまで進行方向に対してほぼ垂直に調整されていた翼が、九十度向きを変えた。
大きな抵抗を感じるのと同時に、飛行速度が激しく減衰する。
それが揚力を得られない水準まで減衰するのは一瞬で、滑空は自由落下へと速やかに移行した。
今度は恐怖を覚える事は無かった。
今度はそんな暇も無かったからだ。
自由落下に移行してから十メートル程は落ちただろう。
それは着地と言うよりは着弾と言う方が相応しい衝撃。
僕の胴体程の太さに膨張したルートの足が、その衝撃を真っ向から受け止めた。
道路が罅割れる程の衝撃。
その衝撃の一部が僕の身体に伝播した。
【Abnormality】
網膜に文字が表示される。
僕の内部器官の何かが異常を示したらしい。
まあ、Warningでは無いのだから大した事は無いだろう。多分。
思考はクリアだが身体制御はぼろぼろな僕を、ルートが乱暴に開放した。
僕は数歩よろめいて、顔から道路に倒れ伏す。
忘失した平衡感覚を気合で取り戻して立ち上がると、ルートが重厚な扉を強引に開いていた。
ルートが視線で中に入れと促して来る。
あんな乱暴な扱いされて直ぐに動ける訳も無いのだが、発掘部隊の追跡者が他にいもるかも知れない。
僕がふらふらとした足取りで扉を潜ると、背後で扉が閉まる音が響いた。
同時に照明が点灯する。
定期的な清掃が行われている様で埃一つ無いこの会議室は、中から見る限り立方体である様だった。
会議室の四つの隅に一人ずつ屈強な半裸が立っていた。
僕の外見が明らかに現実主義者では無い為か無遠慮な警戒の視線が注がれるが、背後のルートの存在があるせいか即座に無力化される事は無かった。
会議室の中央には人形の物体が一つ寝かされていた。
全身金属光沢のそれは一瞬発掘部隊かとも思ったが、よく見れば全く違う。
身長は三メートル程でその体躯は細く白い。
下肢部は損傷が激しく、脚部は所々断絶している。
頭部に顔の構成要素は殆ど無く、正面中央に目の代わりと思しきレンズが一つ、側面に用途不明の突起が複数見て取れた。
両腕が非常に長く、関節部分は灰色の球体で構成されている。
手の先には鋭い爪。その爪と腕の先端部分が赤黒い液体で汚れていた。
部屋に漂う金属臭と腐敗臭から、それは現実主義者の循環液だと気が付いた。
僕はルートの方を振り向いて、見上げた。
「これは、何だ? 何に僕を巻き込む気だ?」
問い掛けながも予想はついていた。
「これの集団が体育館を落とした」
反響する大音響が僕を襲ったが、それに辟易する余裕も無かった。
集団。これが大量に出現したと言う事か。
「僕にこれを検索しろと?」
僕がそう問うと、ルートは神妙に頷いた。
この様な非公式な頼み方をすると言う事は、これに関して支都に情報を開示する気は無いのだろう。
こんな厄介な要請は断りたい所だが、僕にとってこれは他人事では無い。
体育館があった場所と八式接続器の距離が近過ぎるのだ。
「構わないが、一応聞きたい事がある」
ルートを真っ直ぐ見詰めて僕がそう言うと、四隅の半裸が各々喚いた。
その脅迫的な喚き声を、ルートは視線一つで無力化した。
「取り敢えず聞こうか」
内容次第、と言う事か。そんなに難しい事を聞く積りは無いのだが。
「こいつらはどこから来たんだ?」
ドームから降って来たのか、支都から昇って来たのか。
質問に対する答えは簡潔だった。
「分からん」
堂々とそう答えたルートに冷たい視線を送る。
「そんな目をされた所で分からない物は分からない。唐突に発生した、としか言いようが無いそうだ。そうだなコール」
ルートがコールと呼んだ半裸、四隅に立っている現実主義者の一人がルートの発言を肯定した。
コールと呼ばれた半裸は体育館が落ちる直前内部に居た様だ。
「これを何体確保してある?」
一見する限り人型は現実主義者よりも接続主義者に近い印象を受ける。
接栓座があれば、無くても外皮を剥いで内器官に直接接続すれば、身体を乗り換える事も出来るかもしれない。
「我々が確保出来たのはこの一体だけだ。大半は体育館と一緒に落ちて行ったし、この区画に残存していた物は発掘部隊の奴等が回収して行きやがった」
発掘部隊の手際が良過ぎる。
そもそもルートが現場に駆け付ける前に調査を開始していたと言う事自体が異常だ。
体育館が落ちるのを予見していたのか、或いはずっと監視していたのか。
何にしても一体しかないのであれば人型を譲り受ける事は出来ないだろう。
それはさておき、検索をするか。
僕は人型に意識を向けるのと同時に、意識を外側に広げて行く。
僕等接続主義者が保有する特殊技能。通称検索。
何かに意識を向けた状態でその意識を拡張した時、出自不明の情報が思考に割り込んでくる現象。
その原理は不明。
欠点は使用後に一時的に意識を失ってしまうと言う事だ。
そこまでして得た情報が必ずしも役に立つ保証は無い。
検索は手詰まりになった時に縋る手段の一つでしかない。
支都の学者は検索を自在に使いこなすらしいが、僕等接続主義者は精々数秒の検索が限度だ。
意識の拡張を初めて数秒後、以前検索した時よりスムーズに検索が開始された。
【分断】【VRMMOファースト】【二層複合金属】【娯楽】【分岐】【意識】【西日本産業公社】【軟化多層陶器】【肉体】【原子変遷】……
何かがおかしい。通常ならば数個の単語を知覚するのが限度だった筈だ。
情報が大挙して押し寄せて来る。それは止まる事を知らず、僕にそれらを精査する余力は無い。
余力は無いのだが、一方で意識を失う事も無い。
【眼鏡】【基底現実】【出生率低下】【保護外殻】【環境】【二重現実理論】【主観時間】【増強者】【接続施設】【惑星開発財団】……
「おい、どうした?」
ルートの声が聞こえる。
それはどこか焦った様な響きで、豪胆で感情を染め抜いた様なルートにも焦ると言う感情が存在する事が新鮮でもある。
そしてルートの声が聞こえる事自体もまた異常なのだ。
検索中はその様な事に構っている余裕が無いのが常なのだから。
しかし、僕は今ルートだけで無く部屋の四隅に控える四人の挙動までも知覚する余力がある様だ。
【昼夜】【簡易ハブ】【磁気浮上式鉄道】【信電社】【人工食料】【昇次薬剤】【並列統合収束統治】【電基化魂魄】【圧縮言語】【電人】……
ルートを含めた五人が、身構えた。
下肢部が破壊された人型が、両腕で上半身を支えて起き上がろうとしていた。
四隅の四人が素早く人型との距離を詰めてその身体を抑えた。
人型はそれを振り解こうとする素振りを見せたが、四人で必死になって抑え込む圧力を払い除ける事は出来なかった。
【雨】【無線神経接続】【食糧事情】【調整】【非拡散力場】【制限】【三層都市計画】【虹】【昇降機】【警察機構】……
四人の体表には循環液を流す管が筋肉に圧迫されて浮き出ている。
その色は異様な程赤味を帯び排熱を行っていた。
接続主義者のそれに比べると幾分効率の落ちる現実主義者の排熱方式だが、狭い空間と言う事もあって周囲の温度を押し上げるには十分な量の排熱が行われている様だ。
そうやって彼等が人型を抑え込んでいたのは数秒程。
「あああああああああああっ!」
奇矯な叫び声と共にルートの生み出した風圧が僕の左側を通り抜けた。
そう感じた時には、ルートの硬質化した拳が人型を打ち砕いていた。
人型が爆発する様に砕け散り、それを基準に行っていた検索は強制的に打ち切られてしまう。
僕の意識は通常のそれへと戻ったが、検索を行った代償である筈の意識断絶は訪れなかった。
だからと言って検索が成功したのかと言われればそうでもない。
通常であれば知覚出来た数個の単語を伝えればそれでよかったのだが、今回は数が多すぎて全部を覚えていない。
数個の単語を抜粋すれば表面上僕の仕事は終わるのだろうが、その数個を選ぶにしても母集団が多過ぎるのだ。
緩やかに緊張が解けつつある半裸の五人を眺めながらそんな事に悩んでいると、僕の脳裏に一つの単語が浮かび上がった。
【守衛】
破壊された人型の事であると確証の無い確信で僕の思考が上書きされた。
「守衛」
僕の口が勝手にその単語を紡ぐのと同時に、ルートが恐ろしい表情で僕に振り向いた。