密談モード
ルカは自治団構成員に言い包められて攫われて行った。
「黒ドレスは自治団構成員に言い包められて攫われて行った」
僕が思ったままを発言すると、サクは人聞きが悪いと不機嫌な声で言った。
「実際見事な言い包め方だったじゃないか。何の変哲も無いダンジョンが凄く魅力的に聞こえたし」
山頂の周辺にはダンジョンが多い。
多いのだが、出現するモンスターがほぼ死霊系であるが為に人気が無い。
「誰かがやらねばならんのだ。リスクにリスクをぶつける事を合理的と言うのだよ」
サクはそう嘯いて嘲笑うモーションをした。
「そんな事よりも、さっさと話しを済ませてしまいたい。密談の承認を」
僕の眼前にウィンドウが表示された。
ウィンドウには【プレイヤー サク より密談の要請】と文字が表示されている。
あまり密談は好きでは無いのだが、この状況では承認するより他無い。
承認すると一瞬で周囲の風景が深緑で染め上げられる。
深緑の景色の中で意味ある形を有するのは僕とサクだけ。
過去に幾度と無く繰り返された実験の結果は、この深緑の景色の中で流れた時間が外界では零か限り無くそれに等しい時間としてカウントされる事を証明している。
【密談するなら黒ドレスを僕から引き離す必要性無かったんじゃないのか】
僕の横に赤い縁取りのウィンドウが出現し、発した言葉は全て文字となって表示された。
僕もサクもグラフィックは静止した状態で、音は一切発生しない。
隔離された時間の中で行われる文字だけのコミュニケーション。それが密談。
【用心だヤヤの知らない事情が幾つかある】
ああ、厄介事の匂いがする。
【これ事を知っているのは自治団の中でも極一部の構成員だけだがあの黒ドレスに類似した特徴を持つ異常なプレイヤーに関する目撃情報が存在する】
驚き、と諦観。
趣の異なる二つの感情が僕の中で融合されて、言葉として出たのは感情とは関係の無い内容。
それすらも文字に変換されて、赤い縁取りのウィンドウ内で無機質に表示される。
【ただの建築士に何を期待しているのだ】
【稀少な建築士の中でも更に稀少な高レベルプレイヤーに対して自衛を推奨している】
どこかにレベルを下げるアイテムとか、職業を変えるアイテムが落ちていない物だろうか?
【発端は今から二百時間程前に報告された渓谷ZZFにおける異形の異常発生だ】
知りたくも無い、しかし興味深い情報。
【建築士には異形を処理するスキルは無いけど】
建築士で無くともそんなものは無いのだけれども、何と無く言っておかなければならない気がした。
サクはその内僕に異形の処理まで依頼してきそうな、そんな根拠の無い未来図が思い浮かんだからだ。
そして僕の発言は当然の様に無視される。
【報告を受けた自治団は数名の逃げ足の速い構成員を派遣した俺はその一人だ】
サクは自分が話したい事を話し終わるまで人の話を聞かない。密談中は特に。
密談中の場合は話を見ていないと言うべきなのだろうか。
【渓谷ZZFで俺達が発見したのは異形の群れとそれと交戦する黒い鎧のプレイヤーだった】
黒い鎧。
その抽象的な言い回しから連想される装備は幾つもあるが、恐らくそれはルカのドレスと同じ様に見た事の無い物だったのだろう。
そして僕はサク程防具系の装備に精通しているプレイヤーを知らない。
【異形の正確な数は数える事が出来なかったが少なくとも五十を下回らない事だけは確実だった】
そりゃまた多い。そうなると現在渓谷ZZFは封鎖中か。
【黒い鎧は一度はそれらの異形を一掃したしかし追加で発生した別種の異形によって消滅した】
……異形との戦闘行為は未帰還者確定条件だと、先程ルカに説明したばかりなのだが。
知られなければどうと言う事も無いか。密談中の会話は一切ログが残らないのだし。
【別種の異形に倒される直前黒い鎧は異常な転送を実行しようとしていたそれは黒ドレスがヤヤと共に宮殿から脱出したのと同じエフェクト具体的には大量の捻じれた魔法帯を伴っていた】
あの異常な転送についてサクがあの場で説明しなかったのはそう言う事か。
この情報自体が自警団内部ですら制限されているのだろう。
【あとこれは俺しか知らない事だが】
その文字が表示されてから少しの間、文字は更新されなかった。
サクが言い淀んでいるのか、或いは表示の遅延か。
こう言った所が分からないのが密談の面倒な点だ。
前に誰かが言っていたが「私は沈黙を嫌って喋り続けるが、真に饒舌な者は沈黙で喋り続ける物だ」とは真理なのかも知れない。
これは誰の言葉だったか?
……あれ?
……誰の言葉だった?
【俺は聴覚強化スキルを保有している】
そんな事を考えている間にサクの文字が更新された。
更新されたが、言い淀んでいたのか遅延だったのかは分からない。
そしてあの言葉を誰が言ったのかを思い出す事も出来なかった。
【聴覚強化は渓谷ZZFに派遣された構成員の中では俺だけが持っているスキルでだから黒い鎧と異形との会話を拾えたのは俺だけだった】
【待て異形が喋ったと言うのか】
そんな話は聞いた事が無い。
驚く一方で、ここ数時間で聞いた事が無い話を幾つ見て聞いたのだろうかと、そんな冷静な疑問が頭の片隅を過ぎる。
【それが会話だったと確信出来たのは黒ドレスの会話ログを見た時だ】
その言葉で、僕はサクが密談と言う形式を採用した理由が何と無く理解出来る気が。
【黒い四角形で構成された会話ログか】
つまり、ルカと同じと言う事か。
だからあんなにもルカに対して警戒的なのだろうし、この話はルカに聞かせるべきではないだろう。
【この事を俺は団長に報告していない不可思議な会話ログは黒い鎧が消滅するのと同時に消滅したからだ黒い鎧が消滅するのと同時に別種の異形も消滅した】
異形の顕現時間は数分から七千時間程と確認されているが、出現する条件も消滅する条件も判明していない。
【その黒い鎧とやらも同じ言語で喋っていたのか】
黒い鎧と異形との会話、と表現したからには黒い鎧の方も同じ言語を喋ったのであろう。
【そうだその様に見えたそれらが言語であったと言う保証は無いがな】
ルカは言語基盤を変えたと言っていた。
それを変更した結果僕と会話が可能になったのであれば、変更前のアレも言語なのだろう。
【どちらにせよ黒ドレスの身柄は自治団で管理させる方向に持って行く予定だ】
予定、と言う事はまだ確定ではないのか。
【今はまだ一般プレイヤーと同等扱いと言う事か】
何だか嫌な予感がする。途轍もなく厄介な予見が。
【それまではヤヤに監視を手伝って欲しい】
そら来た。
【断る】
一応抵抗してみる。どうせ何らかの脅しに出るのだろうが、今回こそ断りたい。
【どう考えようがヤヤの勝手だが黒ドレスの懐き様を見る限りそれは難しいと思うがね】
ああ、これは脅しより厄介かも知れない。
僕もどこかでそんな予感はしていたのだから。
【虹の踊り子を眺める生活に戻りたい】
本心から、そう思う。
あの至福の時を、安息を、再び僕に。
【……】
僕の回答を求めない語りに、サクがそんな回答を寄越した。
密談においてその様な表記が成されると言う事は、態々言語指定して表示させたと言う事だ。
【何が言いたい】
或いは言いたくないのか。
【言いたい事は山程ある】
【なら言えばいい】
【いずれそんな状況になったらな】
本当に何が言いたいのだろうか? 或いは言いたくないのだろうか?
聞いた所で厄介事でしか無い様な気もするが、少し気になる。
【話したい事は終わった】
それが表記された直後【プレイヤー サク が退席退席しました】【密談成立要件を満たしません。密談は終了されます】と二つのウィンドウが表示された。
僕の視界が通常状態へと復帰する。
一人の自治団構成員を従わせて、山頂ZZSから出て行こうとするルカが見えた。
密談を始めてから終わるまでの経過時間は実際の所数秒以下と処理されたのであろう。
それは僕の体感では数十分だった。
この噛み合わない感じが、好きになれない。
不愉快な気分でサクを見ると、サクはログアウトする所だった。
サクのグラフィックが緩やかだが確実な変化を見せる。
最終的にそれは多彩な色彩の紐で模られた人型の様になり、解けて消えた。
それとほぼ同時に、ウィンドウが表示された。
【連続接続制限規定により自動ログアウト処理を行います】
現実への強制送還。
まだ八十時間以上あった筈の時間が、密談によって全て失われたと言う事だ。
ぶつり。
そんな幻聴と共に僕の意識は接続器内の身体へと戻されていた。
空圧機構が作動して八式接続器の外壁が開く。
僕はのそのそと起き上がる。
密談によって短縮された接続だが、一つだけいい点があるとするなら身体の感覚を戻す時間がほぼ不要だと言う事だろう。
接続器の淵を掴む必要も無く僕は起き上がる。
施設の外から侵入する、目を刺す様な明るさ。
昼の時間だ。
施設の外へ這い出るとそこには沢山の人が居た。
何人かが僕の方を一度見て、興味無さそうに視線を逸らした。
辺りを見回す。
ざっと見た感じ八十人程度の人がそこに居た。
大半は現実主義者だろう。
僕よりも一回りも二回りも大きな半裸の体躯がのしのしと歩き回っていた。
現実主義者はその肉体を晒す事を美と認識しているらしいが、僕には意味不明だ。
そんな半裸の集団は全体の九割程。
残りの約一割、数えると九人の現実主義者ではなさそうな者達も居た。
全身を金属の服で覆い、背中に大きな機械を背負った者達。
あれは恐らく支都の発掘部隊だろう。
外見上は現実主義者と同じ大きさ見えるが、果たしてあの服はどれ程の厚みを持っているのだろうか。
それにしたっていつに無く賑やかだなと思っていると、僕に降り注ぐ光量が減った。
僕の右側に、現実主義者の中でも一際大きな体躯が立っていた。
「久しぶりだな、ヤヤ」
びりびりと響く様な大きな声。
それは現実主義者にとっては当たり前の声量なのだけれども、接続主義者にとっては過剰な音圧。
「……」
これが密談であったのなら、僕は態々三点リーダを表示して沈黙を表現したのだろう。
あの時のサクもこんな気持ちだったのだろうかと思いながら、僕は視線を目一杯上に向ける。
身長は三メートルを優に超える巨体。
中身を全て刳り貫けば僕が二人以上は入るのではなかろうか?
その中身は本人からの申告を信じるのであれば、全てが最低でも倍量。
現実主義者の動力源である心臓に至っては七つもあるらしい。
そんな現実主義者のエリート、ルートがそこに居た。
「無言とは相変わらず陰気な奴だな。久々に会った同器に対してもっと積極的に会話を楽しんだらどうだ?」
ルート相手の会話で楽しめる要素等無い。
ただ疲れるだけだ。
だが、少し聞きたい事があったのも事実だった。
「何かあったのか?」
この区画唯一の八式接続器の前で何があったのか。
これが使えなくなるのであれば別の区画へと移動しなければならない。
ただでさえ残存数が少ないと言われている八式接続器を探すのはきっと骨が折れる。
「何って……接続主義者は視力でも劣るのか?」
ルートは僕の問い掛けに困惑した表情を見せ、視線を僕では無い場所へ彷徨わせる。
僕はその視線を追い駆けるが、遠くにドームの内壁が見えるだけだった。
……あれ?ドームの内壁?
「体育館はどこへ消えた?」
僕が接続する前にはそこにあった薄ぼんやりと光る六面体、体育館が消えていた。