ルカ
黒ドレスは僕よりも移動速度が速かった。
見る限り何かのスキルが発動している様子は無いので、何かしら僕の知らない装備品によって高い補正を受けているのだろうか?
いずれにせよ追い付かなければならない。
黒ドレスが逃げた方向、それが良く無かった。
何を考えたのかあの黒ドレスは宮殿の奥へと向かっているのだ。
僕は走りながら防具を極長衣から法衣へと変更する。
殆どのステータスは落ちるが、補助魔法系統のスキルレベルに対する補正が先程より上昇する。
「補助魔法、全体加速」
僕は僕自身に補助スキルを掛けた。
僕の頭上に四対の翼を携えた天使が出現し、その翼で僕を抱擁して消失した。
天使の消失と同時に僕の周囲に緑色の粒子が纏わり付く様に発生する。
これは僕の行動速度が上昇している事を示す演出だ。
その状態で僕は防具を長衣へと戻す。
一気に加速した僕は一瞬で黒ドレスへと追い付き、その肩を掴んだ。
「■■■!」
黒ドレスから発せられた言葉は奇妙な物だった。
発音は明瞭でありながら不明瞭。
聞き取れたと確信する一方どんな発音だったのか全く分からないのだ。
ひょっとしたら言語野との接続が不安定なのかも知れない。
「今すぐ宮殿の外に出るんだ! 死にたいのか!?」
通じてくれと願いながら僕がそう叫ぶと、黒ドレスは明らかに狼狽した。
「■■? ■■■■■■■■■■■■■■■■?」
相変わらず黒ドレスの言語は理解出来なかったが、この反応はこちらの言語は通じている様に思える。
言語の出力系のみに何らかの齟齬があるのかも知れない。
「もうすぐこの構造物は消滅する。遁走の覚悟は持っているか?」
僕の問い掛けに対して、黒ドレスは小首を傾げた。
「遁走の覚悟? ■■■?」
唐突に意味が理解出来る単語が飛び出して一瞬僕の思考が停止し掛かった。
こちらの発音を真似する事は可能なのか?
もしそうであれば出力系の異常では無い。
否、今はそんな事を考えている場合では無い。
余分な思考を脇に置いて切り替える。
ニュアンスから察するに、遁走の覚悟と言うアイテムの存在を知らない様に思る。
もしそうであれっても遁走の覚悟を渡すしか黒ドレスを助け出す方法は無い。
「分からなくてもいいからこれを使え!」
僕は黒ドレスに対して取引申請を申し込む。
発生したウィンドウに迷う事無く遁走の覚悟を差し置いた。
これを渡してしまうと僕が使う分が無くなるが、それは仕方ない。
数十秒前に新規ダンジョンとなったオアシスZZZAの宮殿から自力で脱出可能な者は探索士の称号を持つ者か建築士だけだからだ。
しかし、黒ドレスは迷う様な素振りを見せて取り引きを承認しない。
そうしている間に宮殿は濃い灰色まで黒化が進んでしまっている。
「早くしろ!」
僕が取引を促すと、黒ドレスの側に何かのアイテムが表示された。
アイテムの詳細を確認する前に取引を完了させる。
貰ったアイテムの事が少し気になったが、今はそれより先にする事があった。
脱出経路の確認だ。
マップを確認し、最短距離を移動すれば多分脱出可能だと判断する。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■?」
踵を返そうとした僕の長衣を、黒ドレスが何かを言いながら掴んだ。
「本当に時間が無いんだ! お前はとっとと脱出しろ!」
本当に時間が無い。語気もどんどん荒くなってしまう。
半ば恫喝とも言えるその言葉に、黒ドレスは怯まなかった。
出現当初僕やサクの声に怯えた仕草を見せた黒ドレスが、今は真正面から僕を見据えた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■」
どこと無く怒った様に黒ドレスが何かを言うと、僕と黒ドレスを絡め取る様に魔法帯が出現した。
魔法帯は通常よりも幅が広く、そこかしこが捻じれていた。
それは明らかに異常なエフェクトで、僕は反射的に効果範囲外へと逃げようとしたが、黒ドレスが抱き着いてそれを阻止した。
僕が黒ドレスと振り解こうともがく間に魔法帯は際限無く増殖し、まるで繭の様になった魔法帯の壁の中に僕と黒ドレスは閉じ込められた。
そして、猛烈な吐き気が込み上げて来た。
内臓を搔き混ぜられる様な嫌悪感に堪らず苦痛の悲鳴を上げる。
「■■■!?」
黒ドレスが何かを叫ぶ。
こいつは平気なのだろうか?
僕は不安気に抱き着く黒ドレスに身体を預けて、ただただこの苦痛に耐えるしかなかった。
恐らくそれは数秒の事だったのだろう。
ひょっとしたら一秒に満たないのかも知れない。
それでも僕には永遠であったかの様に感じた。
気が付くと僕は自治団構成員に囲まれていた。
「――――!」
サクが何かを言っていたが、僕はそれが聞き取れなかった。
「■■■?」
僕に抱き着いたままの黒ドレスが何かを言っていた。僕はそれを聞き取れた筈なのに聞き取れなかった。
僕の異常は数秒で回復した。
会話ログを呼び出すと、サクは「無事だったか!」と発言していた様だ。
一方黒ドレスの発言を見ると、全て黒い四角形で表現されていた。
ますますもって出力系異常の可能性が高い。
だが、それだけでは説明出来ない事象もあった。
「サク、僕はどうやって脱出してきた?」
若干残存している不快感を気力で抑え込みながら、僕はサクに尋ねる。
サクは一瞬固まってから溜息を吐くモーションをした。
後で話すと言う意味だろうが、聞かなくても推測出来た。
やはり異常なエフェクトだったのだろう。
「■■■■■■■?」
黒ドレスが何かを訪ねた。
僕はそれを無視して周囲に視線を向ける。
自治団以外のプレイヤーは多数いる様だが、解体作業に巻き込まれるのを恐れて過剰に距離を取っている。
毎回過剰反応だと呆れていたが、今回に関しては都合が良い。
あれだけ離れていれば会話ログを拾えていないだろう。
「■■■■■■■?」
黒ドレスが少し不満気な表情で何かを訪ねた。
「少し黙っていろ。お前の異常な会話ログを見られるのは不味い」
僕がそう言うと、黒ドレスは小首を傾げた。
「会話ログ?」
まただ。どうやら黒ドレスの出力異常は僕の発言を復唱する際は発生しないらしい。
「何だ、普通に喋れるのか」
自治団構成員の一人が安心した様な声で的外れな事を言っていた。
黒ドレスは自治団を無視して虚空に視線を固定していた。
そのまま十数秒程何にも反応しなかった黒ドレスだが、不意に視線を僕に向けると、華が咲く様に笑った。
「言語基盤を同じ物に変更したけど通じている?」
通じている。
そう言おうとしたが曖昧に頷く事しか出来なかった。
僕の中に発生した驚愕は、自治団構成員には全く共有されない。
僕も黒ドレスも無事で問題無いと判断され、皆は事後処理へと移行する。
「ヤヤ、構造物を再設置した後でいいから自治団本部に来てくれ。……一人でな」
サクの視線は僕に抱き着いたままの黒ドレスへと向けられていた。
「ああ」
色々な事があり過ぎて、僕は曖昧な返事を返す事しか出来なかった。
他の構成員の元へと移動するサクの後ろ姿を見ながら僕は再び会話ログを呼び出した。
驚く事に、ついさっき確認した時には黒い四角で表現していた黒ドレスの発言が、全て理解出来る文字へと置き換わっていた。
宮殿の外に出た後の二回の発言はどちらも「ここは安全なの?」と表記されていた。
会話ログを遡ると、腕を掴んだ時には「やめて!」と言っていた様だ。
その次に宮殿からの脱出を促した際の返事は「死ぬ? ネットワークの中でも死ぬ事がある?」と聞き返されていた。
視線を自分の腹部へと向ける。
まだ黒ドレスは僕に抱き着いていた。
「宮殿からの異常な転送はお前の仕業か?」
僕の質問に黒ドレスは不満気な表情をした。
「ルカ。私の名前」
どうやらお前呼ばわりが気に食わなかった様だ。
面倒な奴だが、特に反発する利点も無いので素直に訂正する事にした。
「宮殿からの異常な転送はルカの仕業か?」
呼称を改めたのにも関わらずルカはまだ少し不満気だったが、質問には素直に答えてくれた。
「異常でも何でも無い。ただの転送処理」
何と無くだが、何を聞いても無駄な様な気がしてきた。
そもそも僕はどこにも所属しないソロの建築士だ。
異常なプレイヤーが居たとして、それの対応は僕の責務では無い。
「そうか、じゃあな」
虹の踊り子を眺める作業に戻ろう。
そう思って話を切り上げてルカの手を解こうとしたが、がっちりと抱き着かれていてどうにもならない。
それはこの装備の僕よりもステータスが高いと言う事を意味している。
言動からは信じられないが廃人の類なのだろうか。
「……離してくれないかな?」
困った表情を作って僕がそう言うと、ルカは不敵な笑みを浮かべて嫌だと言い捨てた。
「丁度良い、どこでもいいから案内して」
こいつは話が通じない輩だと確信した。
サクもその類だが、ルカはもっと酷い。
この手の輩には逆らうだけエネルギーの無駄だ。
とっとと飽きて貰うに限る。
「……宮殿の再設置終わってからね」
何だかどっと疲れが出て来た僕はそう言って溜息を吐く。
宮殿の替わりになる様な構造物はあっただろうかと思案する片隅で、何故だかルカを砂漠Nに連れて行ってはいけないと言う思いが自然と湧き出た。
そう、何故だか僕はそう思っていた。