接続主義者
どのくらいこうしていただろうかと、僕はそんな事を思った。
目の前では虹の踊り子が延々と踊り続けている。
褐色の肌に短い黒髪。
装備は露出の多い艶舞布系装備で統一されているが、顔だけは目元以外を隠す暗殺頭巾。
その瞳は深い緑で、僕を見ていない。
くるくると回っていたかと思うと、突如身体を沈ませてしなやかに跳ねる。
身体を極端に反った姿勢でゆったりと滞空したかと思うと、柔らかく着地してさっきとは反対方向に回り出す。
時折ゆったりと滞空するのは装備のどれかに付与された落下速度軽減系のスキルなのだろう。それも恐らく最上位の滞空。
その踊りはどれだけ見ていても飽きない。
虹の踊り子は僕と違い操作能力の高い人なのだろう。
虹の踊り子の事をノンプレイヤーキャラクターだと言う人も多いが、僕はプレイヤーキャラクターであると思っている。
以前一言だけ言葉を発した事があるからだ。
誰に言っても聞き間違いだと言われるが、僕は確かに聞いたのだ。
ま、何と言っていたのかは聞き取れなかったんだが。
本当に彼女を見ているのは飽きない。
でも、その至福の時は長くは続かない。
ログイン制限が掛かるからだ。
【連続接続制限規定により自動ログアウト処理を行います】
いつの間にか九十五時間が過ぎ去っていたらしい。
無骨なメッセージに遮られて、僕の意識は現実へと連れ戻される。
ぶつり。
そんな音が実際に発生した訳では無い。
僕のイメージがそんな幻聴を聞かせているのだ。
ネットワーク上に存在していた僕の意識が本来の器に戻される。
いつも通り接続器内は真っ暗だった。
五感を抑制する接続信号が途絶え、僕の身体は全ての感覚を思い出す。
空圧機構が作動して八式接続器の隔壁が外へとせり上がる。
実に九十五時間振りに現実世界へと戻って来た。
九十五時間は接続器の連続稼働限界とされている。
事実九十五時間の連続接続は強制遮断を引き起こす。
再接続するには十七時間の休息時間が必要となる。
現実へと帰還しても限界まで接続していた僕の身体は直ぐには動かせない。
身体の端から徐々に筋肉を動かして行き、立ち上がれるようになったのは凡そ三十分後。
今回は比較的早かった。ファースト内部でずっと座っていたのが良かったのだろう。
接続器の淵に少し震える手を掛けて、身体全体を軋ませながら立ち上がる。
おぼつかない足取りで接続施設を出ると、外も暗かった。
夜の時間だ。
ドームの内壁は昼の時間と比較して百分の一以下しか発光していない。
発光システムは星空をイメージした発光パターンをプログラムされているらしいが、僕は本物の星空を見た事が無い。
現実主義者の知人曰くそれはとても美しい物らしいが、生憎と僕はそんな物には興味が無い。
僕は今や少数主義者でしかない接続主義者なのだから。
浅く呼吸を繰り返して現実世界に身体を馴染ませながら、僕は接続施設の外に這い出る。
近くの体育館から現実主義者達の張り上げる喧噪が聞こえて来る。
道路へ全身を引き摺り上げた僕はその喧噪を避ける様に身を縮めて道路を歩く。
人影は疎ら。否、疎らと言えるくらいには人影はある、と言うべきか。
大昔には夜の時間が睡眠を取る時間と定められていたらしい。
そんな規定は今となっては面影も無く、主義に関わらず皆自分のサイクルで生きている。
薬楽主義者辺りはむしろ夜の時間に活動する事を好むし、僕等接続主義者はそもそも現実世界がどうなっているかがあまり関係無い。
比較的時間を守る現実主義者も、体育館の発掘に伴い少なくともこの区画においてはその限りでは無い。
身を縮めて歩きながら、体育館の方へと視線を向ける。
薄ぼんやりと光る六面体が道路の無い場所に浮いていた。
付近の道路からは六面体には浮橋が伸びている。
支都の発掘部隊が繋げた浮橋は鋼鉄製の頼りない物だったが、この区画の現実主義者達はこぞってそれを渡るのだ。
複合金属や特殊陶器製の道路や付随する施設に慣れ親しんだ僕にとって、道路の無い場所の上を繋ぐ鋼鉄製の浮橋を渡ると言う行為は理解し難い。
裏を返せば現実主義者から見た僕等接続主義者は理解し難い者達なのだろう。
僕はそこで思考を止めた。
ファーストの補助が無い現実世界では思考する事も辛い。
処理速度の貧弱な生身の頭脳に辟易しながら、あまり思考しない様にして道路を歩く。
視線を下げて乳白色の路面だけを見る。
路面に刻まれた黒く細い線が分岐しながら道路を巡っている。
路上端の誘導線に従って二十分程歩き、ようやく環状軌道へと辿り着いた。
赤と黄色の柵を潜って軌道上に降り立つと、折好く軌道車両が接近して来た。
丸い二つのライトがどんどん大きくなる。
軌道車両の進路を塞ぐ様にして立っていると、いつも通り軌道車両は腹に響く重い音を発しながら僕の数メートル手前で急停止した。
ここの軌道車両は平面型だ。
平面型は恐らく最古にして僕の知る限り一番鈍足である型式だが、乗車し易いと言う点が気に入っている。
前面に備え付けられた梯子を上り、側面の飾りを足場に用途不明の機械が並ぶ車内へと乗り込むと、軌道車両は軽快な音楽と共に発進した。
十分な距離が無い状態で軌道車両を止めようとした人が死亡する事故は意外と多い。
その為使用を倦厭する人も多いのだが、僕は軌道車両が結構気に入っている。
先頭車両から二両目へと移動すると、そこからは座席が並ぶ車両が続く。
座席には数人の人間が座っていた。
窓側の座席で外を眺めている者もいれば、通路側の座席で寝ている者もいる。
彼等は皆軌道車両を移動手段として用いている者達だ。
僕はゆっくり通路を歩いて三両目へと移動する。
三両目は居住区画になっている。
箱状の部屋が上下二段に積み重なった状態で設置されていて、何人もの接続主義者がここを寝場所としている。
僕もまたその一人だ。
「おかえり、ヤヤ」
不意に上から声が掛けられた。
声のする方に視線を向けると、右目が白く濁った女が顔を出していた。
「相変わらず随分と長い接続だったね」
目一杯接続してきたのかいと尋ねる女は、その名前をケイと言う。
一応は接続主義者を自称しているが、僕はこの女が接続している所を見た事が無い。
「そう言うケイは随分と長い時間接続してないみたいだね?」
僕が若干の非難を込めてそう言うも、ケイは気にした様子も無くひらひらと手を振って薄く笑うだけだった。
ケイは接続出来ない人種では無い。
余りに車両に長居しているので一度接栓座を見せろと要求した事がある。
その時もケイは今みたいな薄い笑いを貼り付けて首筋の接栓座を見せて来た。
それは僕と同じ八型式で、少しだけ嫌な気分になった。
その時の事を思い出して僕は顔をケイから逸らした。
「今日も眠るだけなら十時間後辺りに起こそうか?」
後頭部にケイの声が降って来た。
僕は振り返りもせずに頼むとだけ告げて、自分の居住空間に潜り込むとカーテンを閉めた。
四日前に起きた時にくしゃくしゃにして行った筈の寝具は綺麗に直されていた。
ケイの仕業だろう。
無性に苛立たしい反面助かっているのもまた事実だ。
寝具の整備も、睡眠時間の管理も、部屋割りの管理も。
ケイがこの車両を維持管理しているからこそ、僕等はこの車両に来るとそのまま寝る事が出来る。
ただ、それでも、あの言葉だけはどうしても許容出来ない。
おかえり。
ケイは僕がこの車両に来る度にそう声を掛けて来る。
おかえりはあるべき場所に返って来た者に対する言葉だ。
僕のあるべき場所は狭い軌道車両の中では無い。
広大なネットワーク世界の中、ファーストの世界の中なのだ。
僕は眠る為にその苛立ちを誤魔化しながら、寝具の中に潜り込んだ。
おかえり。
その言葉を虹の踊り子から聞きたい。
眠りに落ちる前に、僕はそんな事を考えていた。




