6-7 仏装完了~VS.アハル・ダンヒル〜 その1
蒼天機関統合司令本部の、そのまた更に地下に、ヴェーダ・システムは存在した。暗黒色の複雑怪奇なモニュメントから煌々と紫色の光を放つその姿は、まさに、幻幽都市の不動なる番人そのものであり、同時に、人々の常識の範囲から逸脱した存在でもあった。
ヴェーダ・システムが都市のインフラ設備の維持管理機能を宿している事からも、その重要性が十分に伺える。しかしなれど、ヴェーダ・システムの『本格的な』メンテナンスを行うのに、現実世界からの干渉というのは、全く論外な話であった。
その理由は、ヴェーダ・システムの内部機構の特異性にある。
ヴェーダ・システムは『知性』の集合体だ。知性とは、人間の深層心理。即ち、非計算領域にある『意識』と同義の存在であると見なすことが出来る。
意識という概念的物質が、一体何から構成されているのか。その謎についても、幻幽都市の学問は説得力のある解を導き出すのに成功している。
意識を構成する基本最小単位とは、我々人類がいかなる手段を以てしても正確に客観的観測が不可能な『特殊な素粒子』の事を指す。『心霊力学論』の第一定義とされるそれは、同時に心霊工学の根幹としての役割も担っていた。
どうして心霊力学論の第一定義が、意識について論じる際の定義と成り得たのか。その理由は一つしかない。心霊力学論が、現実世界側からのヴェーダ・システムへの干渉が何故に不可能であるかの理由について、説得力を与えているからに他ならない。
前述した理論に基づいて考えるなら、つまりこうだ。意識とは、人類がどう頑張っても正確に観測出来ない『特殊な素粒子』から構成されている。そして、その『特殊な素粒子』が寄り集まって構成された意識と同義の概念的物質――即ち知性を、ヴェーダ・システムは宿している。
いや、知性だけではない。ヴェーダ・システムそれそのものが、人類が観測不可能な『特殊な素粒子』で構成された、マクロな知性構造体なのである。
客観的観測が不可能とされるミクロな素粒子が寄り集まった結果、マクロスケールではしっかりとした形や物体として、現実世界に存在性を固定化されている。あり得ない話のように思うかもしれないが、しかし事実である。
外部から、つまり『マクロな視点』から『ミクロな視点』に干渉する作業が成功するのは、ひとえに、マクロな存在を構成するミクロな存在が一体何であるのかというのを、我々人類が正しく知覚可能な場合に限られる。
ざっくばらんな例えになるが、自動車を解体する時を考えてほしい。自動車という『マクロな物質』の解体を正しく行う際、解体業者は、自動車が一体どれだけの数の部品が、どういった組み合わせで構築されているのかを予め知っておく必要がある。
全体を把握するには、まず部分的な所をしっかり把握するのが鉄則とされる。よって、人類の知覚範疇から外れた『特殊な素粒子』という『部品』でヴェーダ・システムが構築されているのなら、全体――マクロ側からの干渉が不十分な結果となるのは当然の帰結。
ヴェーダ・システムの挙動をデジタル信号化して管理することはある程度可能だが、本格的なメンテナンスを外部から行うのは、技術的に不可能だ。ではどうするか。自ずと答えは見えてくる。
マクロが無理なら、ミクロスケールからの干渉という考えが出てくるのは自然だ。
そして、その鍵を握るのが、電脳技術であった。
電脳技術は、量子脳理論に基づいて開発された情報工学技術だ。サーキット・チップを脳内に注入して電脳端末に繋ぐことで、脳細胞中のマイクロチューブルを活性化させて波動関数を収束。それにより、人間の脳は量子的運動を顕在化させ、意識そのものを肉体から外す事が可能となる。それが電脳技術というものだ。
人間の意識。
それがヴェーダ・システムへ干渉するための鍵に、他ならない。
ヴェーダ・システムの中枢が人間の意識と同義の存在である『知性』であるとするなら、意識だけの存在となった人間が、システム内部から干渉出来ない筈がない。
事実、大なり小なり問わず、ヴェーダ・システムの諸問題に対応してきたのは、魂のみで活動することが許された存在――超現実仮想世界の平穏を預かる、電脳部隊のみであった。
当然、今回も。
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暑い。
後部座席に座る須菩提大隊第三中隊長・真船司狼は、頬を伝うべたつく汗を軍服の袖で軽く拭った。仮想の世界とはいえ、この熱砂と乾燥しきった空気は紛れもなく現実だ。じりじりと照り付ける太陽のしつこさといったら不快感極まりないが、今はそんなことに構っている場合ではない。
大型ジープをイメージして構築された戦闘用量子大型車両を自走モードで運行させながら、司狼は辺りをつぶさに確認した。
視界一面に広がるのは、砂の丘。砂漠である。それ以外には何もない。時折吹きつける熱風が僅かずつ砂原の形状を変えていく姿は、海風に煽られて白波を立てる大海に、近いものがあった。
目印代わりになりそうな量子構造物もない。位置情報をしっかり把握しておかなければ、迷うのは確実と断じて良かった。そう思ってしまうほど、砂以外には何もない、実に殺風景な空間だった。
「(……深度5クラスの汚染にしては、やけに平穏だな)」
睨みつけるようにして目線を彼方へやりながら、いつ襲撃が来ても良いように、緊張感を高める。
だがいくら待てども暮らせども、敵らしき存在は見当たらない。致死性電子蜂が襲ってくるような、剣呑とした雰囲気も無い。
司狼の後方からは、部隊内の仲間が搭乗している戦闘用量子大型車両が二台追従しているが、異変を察知したという通信も届いていない。
「不知火。様子はどうだ?」
目の前の運転席に座る部下に、何気なく問いかけてみる。
「索敵を続けていますが、何も反応はありません。位置欺瞞をしているようにも……思えませんね。恐らくですが、このエリアはハズレの可能性が高いかと」
多重展開させた赤透明ウインドウに高速でコードを叩き込みながら、不知火は司狼の方を振り返った。
「ところで、まだ大隊長から連絡は無いんですか?」
「ああ。外部の方でコード入力しているから、それの結果待ちだろうな」
「……あまり、効果があるとは思えませんけど」
愚痴る様にして正面へ向き直る不知火。思わず司狼は苦笑した。
「そう言ってやるな。向こうは向こうで、色々考えがあるんだろう。たとえ雀の涙ほどの助力でも、尽くしてくれるだけ有難い」
「相変わらずなんですね。三佐は」
バックミラー越しに、クスリと不知火が笑みを見せた。
『こちらチーム・アルファ。応答せよ』
唐突に、ヘッドセットを通じて司狼の耳に聞き慣れた声が響いた。
ようやく来たか。そんな思いが、司狼の脳裏を過る。
「こちらチーム・ブラボー。どうしました? ボス」
眩く照りつける太陽光を疎ましく感じつつ、呼びかけに応じる。
『大嶽機関長から連絡だ。普遍階層のメインルートが《幹》から遮断された。今から十秒後、我々が走行している汚染箇所……ルートブロック023から1980は、完全な孤立状態へ突入する』
「いよいよ作戦開始って訳ですね?」
『浮足立つ暇などないぞ中隊長。《振動》に気をつけよ』
「ラジャー」
通信を待機状態にしつつ、司狼は、運転席に座っている不知火の帽子を軽く叩いた。不知火は振り返る事なく、バックミラー越しにアイコンタクトを送る。
「聞いたか?」
「ええ。ルートブロックが切り離されたようですね」
「そうだ。《振動》に気を付けろ」
言った傍から、目の前の空間が急速に歪み始めた。続けて、目に見えない衝撃波が、空間全体を嬲るような感覚。
ヴェーダ・システムが有する膨大な演算領域。その大部分を補っている《根》と呼称される領域を構成しているルートブロックが、一時的に他のブロックから切り離された時に生じる『摩擦』。それこそが、眼前から迫ってくる衝撃波の正体であった。
衝撃波そのものの威力は穏やかだが、スピードは速い。がくん、と車体全体が揺らいだが、戦闘用量子大型車両に搭載されたオートバランサーが振動を感知。四輪のタイヤとエンジン出力系統に微調整が加わり、危なげなく砂の海に着地する。
司狼は首だけを回して後方を確認した。他の仲間が乗っている二台の戦闘用量子大型車両は、一定の距離感を保って、司狼と不知火の乗った車両の後に続いている。どうやら彼らも、難なく衝撃波をやり過ごしたようだ。
『こちらチーム・アルファ。応答せよ』
再び、須菩提大隊大隊長の叢蛾天元から、司狼のヘッドセットに通信が入った。
「こちらチーム・ブラボー。《振動》を無事にクリアしました」
『よし』
やや間があってから、叢蛾のクリアな音声が耳元に届く。
『確認だ。現在、チーム・アルファはルートブロック0983を走破中。会敵は無し。他のチームも会敵には至ってないようだ。そっちはどうだ?』
「こっちもですよ、ボス。現在、ルートブロック1275を走破中ですが、索敵結果はシロ、シロ、シロですね。他の区域に潜んでいる可能性が高いと思われます」
『本当だな?』
「こっちには《電脳の女神》がいるんですよ? 疑う事なんて何も――」
『買い被るなよ、中隊長。所詮は、過ぎた力を持ってしまった小娘に過ぎん』
「そ、そんな言い方をしなくても……」
慌てた様子で声を顰め、司狼は運転席の方を盗み見るようにして伺った。通信音量は最大に設定しているから、大隊長の心ない一言は、当の不知火にも聞こえている筈だ。
『まぁ、いいだろう』
ヘッドセットの向こう側で、溜息交じりの声がした。
『兎に角、敵の位置情報が掴めたら、即刻こちらに連絡を寄越せよ。こちらも、何か進展があったら連絡する』
「ラジャー」
通信が切れた途端、司狼は運転席の背もたれに手をやり、居心地が悪そうな声色で部下の機嫌を伺った。
「聞こえてた……よな?」
「何がですか」
「……怒ってる……だろ?」
「だから、何がですか?」
何かありましたっけ? とでも言いたげなとぼけた口調で、間髪入れずに不知火は答えた。整った小顔には冷静さが張り付いているが、瞳には、不満げな色がありありと滲んでいる。
女性の扱いに只でさえ慣れていない司狼にしてみれば、美女の怒りを宥めるというのはかなりハードルが高い。それが例え、長い付き合いになる部下が相手だとしてもである。
「いつもの小言だ。気にする必要ないって」
と、努めて明るい口調の司狼。
「気にしていませんよ。どこかの誰かさんが私に向けて小言を口にしようと、私には聞く耳がありませんから」
「だから、気にするなって言ってるだろ?」
「お言葉ですが、三佐、今は作戦行動中ですよ? もう少し、緊張感を持って臨んでください」
突き放すような科白だった。この一連の会話の中でも、ウインドウをタップする不知火の両手は止まる気配を見せない。考え得るだけの索敵コードを打ち込み続けている。
「……はいはい」
適当な返事を寄越しつつ、司狼はもっと周囲を良く観察しようと、座席から腰を上げた。まさに、その刹那であった。
二人の乗った戦闘用量子大型車両の後方で、激しい衝突音が轟いた。続けて、硬い何かが砂の上を激しく擦る音と爆発音が、空間全域に雪崩れ込む。
「何だッ!?」
叩きつけてくるかのような熱風の存在を感じながらも、司狼と不知火は驚いて背後を振り返った。瞳に跳び込んできたのは、火炎に喰われた戦闘用量子大型車両の姿だった。それも二台だ。車体を横倒しにして、赤々と炎柱を上げているではないか。
「(敵かッ!?)」
どうして不知火の索敵に引っ掛からなかったのか。その事に思考が及ぶよりも先に、司狼は条件反射的に大声を出していた。
「チーム・アルファ、応答せよ! こちらチーム・ブラボー! ルートブロック1275で襲撃を受けました! 被害多し! 至急、応援を頼みます!」
あの様子では、残念な事だが乗っていた部下は助からないだろう。非情にもそう判断せざるを得なかった司狼は、インカムを固く握り応援を要請した。
だが――
「チーム・アルファ!? 聞こえますか!? 応答してください!」
無情にも、インカムの向こう側で流れるのは、砂嵐の無味乾燥な響きだけ。
「駄目です、三佐!」
不知火が叫ぶ。
「空間全域に高レベルの妨害電波が敷かれています!」
右手で赤透明ウインドウにコードを打ちつつ、不知火は空いた左手でステアリングを握り締めていた。自走モードからマニュアル操縦へ切り替えたのだ。賢明な判断である。
姿なき『敵』の攻撃が止むことは無い。アクセル全開で逃走を続ける戦闘用量子大型車両に縋るかのように、爆発と爆炎がなおもしつこく襲い掛かる。舞い上がる砂埃が乾燥した空気と混じり合い、視界が段々と悪くなっていく。
額に滲み出る汗に砂粒がこびりつく。不快に思いながらも、不知火は唇を噛み締め、何とかギリギリのところで攻撃を躱していた。右に、左に。ハンドルを急回転させて車体を操り、直撃を食らわない様にしている。
唸る轟音。迫りくる爆炎。肌を焼くような熱。焦熱の黒い痕が生々しい砂の大地。しかし今のところ、車体に目立った傷は無い。十数発の爆撃の嵐の中を掻い潜れているのは、不知火の運転技術のお蔭だった。
しかしながら、不利な状況に変わりはない。逃走を続けるしかない現状に苛立ちを覚え、司狼は念話を飛ばした。
『ステルス機能付きの量子ミサイルなのかッ!? だから索敵に引っ掛からないのかッ!? くっそ、訳がわからねーぞッ!』
『三佐、恐らく、違います』
バックミラー越しに確認する不知火。迫ってくる爆発現象に何らかの『おかしな点』を感じ取ったのだろうか。彼女は巧みにハンドリングをしながら、冷静な分析を述べた。
『何かが着弾して爆発しているという感じではありません。肉眼では、少なくともそんな風には見えません』
『じゃあ、一体どこから爆発が起こってるって言うんだよッ!』
『……我々は、今――』
やや間があってから、不知火は答えた。自身の考えを。何故、敵が索敵に引っ掛からないのか。その理由について。
『地中から攻撃を喰らっているんですよッ!』
『――へぇ、良く分かったね』
インカムから聞こえてきたのは、初めて耳にする少年のものと思しき声だった。突然の事に驚きを隠そうともせず、司狼と不知火は互いの顔を見合った。その得体の知れぬ声が聞こえたと同時に、さっきまであれほど激しかった爆破攻撃も収まりを見せた。
『攻撃の秘密を見破れなかったら、このまま姿を見せずに嬲り殺すのもありかなと思ったんだけど、止めたよ。やっぱり君ら相手に、小手先の小細工は通用しないようだね』
今、この広大な仮想の砂漠地帯にいるのは、目に見えている限りでは司狼と不知火の二人だけ。だが、確かに響いた。二人の鼓膜に。この場にいない『正体不明』の声が。
誰だ貴様……そう問い質そうとして、司狼は言葉を呑んだ。愚問中の愚問であると瞬時に気づいたからだ。このタイミングで蒼天機関の仮想世界専用の軍用通信に割り込んできたのだ。 敵だ。間違いなく。それ以外に何だと言うのだ。
「この電波回線を、ジャックしたわけね」
不知火が噛み締めるように漏らしたそれは、呟きに近い科白だった。こちらが困惑している気配を悟ったのだろうか。敵と思しき何者かが、愉快そうに声を上げる。
『ご明察。今やこのブロックのみならず、僕の致死性電子蜂で汚染された全てのルートブロックが、僕の管理下に置かれている。そこの所を、よぉーく噛み締めてくれ給えよ。電脳の女神サン』
『……!』
不知火は動揺を禁じ得なかった。ハンドルを固く握り締め、心を落ち着かせようと息を吐いた。
汚染されたルートブロック。その全てが敵の手に落ちた。その言葉を真に受けるのなら、不知火の索敵に引っ掛からなかったのも、納得がいく。
汚染したルートブロックを管理下に置いたということは、仮想空間を構築しているヌメロン・コードを、自由に操作可能である事を意味している。ヌメロン・コードの書き換えを実行したことで、地中からの攻撃が完全に隠蔽されていたのだろう。
ヌメロン・コードは、超現実仮想空間を構成する骨子となるコードだ。それを書き換えられてしまったら、ウィザード級電脳兵士の不知火と言えど、敵を見つけ出すのは困難極まる。
「おい」
座席に腰掛けたまま、司狼が低い声で問うた。
不知火ではなく、『敵』にである。
不知火は振り返って、司狼の顔を見た。圧倒的に不利な状況下に置かれたにも関わらず、司狼の瞳には力強い意志が宿っていた。
コケにされたという思いと、この『敵』を絶対に許してはならないのだという決意。双方の感情が渦を巻いて、司狼の闘争心を奮い立たせている。諦めの悪い性格と言えばそれまでだが、しかし今の不知火には、その確固たる姿勢が、いつも以上に頼もしく映って見えた。
「貴様、勝手に人様の家に転がり込んできておいて、どういうつもりだ?」
挑発的な物言いだった。やや間があって、『敵』が答える。
『これは失礼。僕はアハル・ダンヒル。先日、君達にやられた、アナザ・スカイフォールの仲間さ』
「アナザ……」
その名に聞き覚えは無かった。しかし、心当たりはある。つい先日、《ファームベルト・オンライン》で巻き込まれた騒動。あれを引き起こした男の名は結局分からなかったが、『先日、君達にやられた』という下りから、容易に推察できる。
「あの肥満男のことか」
試しにそう聞いてみる。
『へぇー、よく覚えていたね。あんな雑魚の事を』
「死人に対してずいぶんな言い草だな。敵討ちをしにきたんだろう? 違うのか?」
『敵討ち、だって?』
心外だと言わんばかりに、アハルが鼻息を鳴らした。
『笑わせないでくれよ。仲間、なんて言っちゃったけど、あんな奴、死んだところで心は痛まないね。まぁ、最後の最後で役に立ってくれたようだけど。でもだからと言って、感謝する気持ちなんかサラサラない』
「どういう事だ?」
『アイツ、自爆して死んだだろ?』
司狼も不知火も、覚えていない筈がない。あのアナザという男は、二人の目の前で電脳支配を仕掛けられたかのような挙動を示し、自爆してしまったのだ。その脳内からは、外部からの遠隔操作を可能とするチップが発見された。
『あの時……あのクソデブインキン野郎のチップを起動させたのは、この僕だよ。体内に仕込んだ液状タイプの爆弾を起動させたのもね。奴が没入する直前に、飲み物に混ぜておいたんだ』
「……」
『木っ端微塵に吹き飛んだ時、奴のちぎれ飛んだ肉片が、あの場にあったヴェーダ・システムの末端に降りかかって吸収された。それが引き金になって、こうしてヴェーダ・システムの一部掌握に成功したって訳さ』
「(最初から、それが狙いだったのか……)」
だが、有り得ない。声には出さなかったが、司狼も不知火もそう直感的に思った。
情報体の死骸がヴェーダ・システムに潜り込み、潜伏期間を待った後に外部への手引きをしてシステムに潜り込ませるなど、出鱈目もいいところだ。『普通の人間』に、そんなことは出来ない。ということは、つまり、こうだ。
こいつらは、『普通の人間』じゃない。こいつも、こいつらを造った何者かもまた、普通の奴らではない。これまでの経験を基に司狼の脳裏に沸いた疑念は、しかし確信めいていた。
「貴様、人造生命体か」
矢のように放たれた鋭い指摘。インカムの向こう側で、アハルは黙り込んだ。
「ついでに言うと、貴様らの背後には覚醒者も絡んでいるな? そんな超ハイレベルの電脳技術が仮に実現可能なのだとしたら、実行に移せるのは、奴らくらいのものだろうしな」
『さぁ、どうだろうね』
とぼけるアハル。司狼は一旦言葉を区切って、
「不知火三尉」
部下を呼びつけた。
「えーっと、アナザ・スカイフォール……だったか。そいつの名前を、被疑者死亡リストに登録しておけ。忘れずに、一字一句、何があっても絶対に間違えないようにな」
「……ウィルコ」
司狼の意図を理解した不知火が、やや口角を上げて軍用ツールを開いた。画面に出した璃防被疑者リストに名前を書いていくのを確認しつつ、インカムに向けて声を出す。
「それと、お前だお前。アハル・ダンヒルだったか? 名前、それで合ってるよな? あとで地獄から『おい、濁点が一つ抜けてるぞ』なんて言われちゃあ、こっちも目覚めが悪くなるからな。正確に頼むよ」
『……一体何の……』
「つもりなんだよ――って言いたそうだな。蒼天機関はちょっと変わった組織でね。被疑者が死亡したら、『被疑者死亡リスト』っていう報告書を作成しなきゃならん事になっているんだ。お役所仕事の一環さ。で、なんでそんな制度があるのかっていうと、俺達に『犯罪者殺し』の特権が与えられているからさ。都市新法に則れば、俺たちには犯罪者を発見次第、殺しても良い事になっている。無論、仮想世界にもこの法律は適用されている。お蔭様で、毎日毎日書類整理に追われる始末さ。どうにも、後先考えずにバカスカやっちまうから、ある程度は仕方がないと割り切ってはいるんだがな」
『それで、それがなんだって?』
「分からねぇのか? 直ぐにテメェも、そのリストに加えてやるっつってんだよ」
そう口にする司狼の目は坐っていた。そこにあったのは、虚勢ではなく覚悟だった。都市を混乱に貶める犯罪者に、くれてやる慈悲など無い。
「お仲間と離れ離れになって、本当は寂しいんだろ? だからよ、さっさと『あの世』に連れてってやるっつってんのさ」
「覚悟してください。残酷に殺してあげますよ」
司狼の言葉を継いで、不知火もまた、毅然とインカムを通して言い放った。
『……へっ……へ、へひッ!……ヒッ!……』
インカムの向こう側でアハルが笑う。ドス黒い感情を乗せたその狂笑からは、彼自身が生まれつき宿している残忍性が垣間見えた。
喉奥の筋肉を引き攣らせて一通り笑い、彼は口にする。その、黒い決意について。
『最高だよ《人喰い電狼》。やはり噂通りの大馬鹿者だ。それに《電脳の女神》も、そんな虫も殺さないような顔でよく言うよ。僕を、僕を残酷に殺すだって? 面白い。やってみせてよ。ただし――』
戦闘用量子大型車両の真下で、鳴り響くは巨大な振動。得体の知れない何かが、真の姿を現そうとしている。やがて、地響きは激しく空間全域へ鳴動し、そして――
『この姿を見ても、まだそんな事が言えるのかなぁッ!?』
司狼達の乗った戦闘用量子大型車両の真下にある砂が、爆ぜた。熱砂が間欠泉の如く莫大に吹き上がり、波飛沫が視界を濁す。地中の奥底にずっと隠れ潜んでいた『ソレ』が、ついに地上にその姿を現したのだ。
すんでのとこで戦闘用量子大型車両から飛び降りた司狼と不知火は体勢を立て直すと、地中から完全に姿を現した『ソレ』の姿を見て、なんとも言えずに渋い表情を浮かべた。
『量子機動戦闘体――クロガネ』
暗黒色に塗られた鋼鉄の肉体を纏ったアハルが、コックピット内で高笑いをする。その高笑いは、エコーロケーション機能を通じて、クロガネの遥か足下に佇む司狼達に届いていた。
「どうだい!? 背面には一秒間に8千発のデリート・バレットを発射可能な三連機関砲が二門標準装備。ライトマニピュレーターには電磁圧殺鞭、ヘッドシステムには破壊音波機付きのアンテナ。おまけにブースターには空間歪曲移動装置を採用している。現時点で間違いなく、この仮想世界で最強の量子機動戦闘体さ……くっ、クククッ!」
全高が凡そ三メートル近い、西洋甲冑を模した鋼の巨人と化したアハル。見れば確かに、彼が搭乗しているクロガネとか言う量子機動戦闘体の背中から双肩にかけて、巨大な砲門があつらえてある。
さっきの爆炎は、この機関砲から離れたデリート・バレットによるものだと、司狼はそう推察した。
一方のアハルと言えば、勝ちが決まったも同然といった風に、笑い声を上げ続けるばかりだ。奢り高ぶっているというよりは、戦闘を前にして興奮が抑えられないように見える。
「僕をアナザみたいなチンカスと比較しないでくれたまえよ。僕はこう見えても、正々堂々、がっぷり四つに組んでやりあうのが好きな性分でね。偽想領域とかいう小細工は、嫌いなんだ」
「さっきは地中からコソコソ狙ってたくせに、良くそんな事が言えたものですね」
「そうカッカしないでよ《電子の女神》サマぁ~。あれは唯の挑発だって。どの程度の危機回避能力があるか、見せてもらいたかっただけだよ」
それよりもと、アハル――クロガネの頭部がキュインと鳴って足元を見やった。両眼に灯る電子光が、司狼と不知火を捕捉する。
「君らも、早く武装を完了させたらどうだい?」
「言われなくてもそうするさ。というか、随分と余裕なんだな。俺たちの準備が整うのを待ってくれているとは」
「だから、勘違いをするなよ」
一転して、不満げな口調になるアハル。
「僕は、正々堂々と、君たちと戦いたいんだ。巷で聞く君らの実力がいかほどのものなのか……それを、この目で、この拳で、この頭脳で、確かめさせてもらうよ。聞けば君達二人の量子機動戦闘体は、普通の性能じゃないらしいじゃないか。懇親会ではそんな風に噂されているよ、さぁ、見せてよ」
クロガネが、その逞しい黒腕を大きく広げて、高らかに、謡うように叫んだ。
「僕に見せてくれよ! 電脳部隊の二翼と呼ばれる、君達二人の実力を! 僕はずうぅぅぅぅっと、君達に会いたかったんだ! 僕の才能と真っ向からぶつかりあってくれる可能性を秘めているのは、君達だけなんだからッ! さぁ! さぁさぁさぁさぁさぁ! 精魂尽き果てるまで、殺り合おうじゃないかッ!」
狂人の狂言。されど、油断は大敵。
司狼と不知火は互いにアイコンタクトをとった。
どうする――
まずは、いつものやり方で――
ああ、分かった――
手短な確認。阿吽の呼吸とはまさにこの事。どういった手順で相手を殺すか。それを簡単に目線の応酬のみで終えると、戦闘態勢へと移行。
真舟司狼と不知火澪。双方の足元で、莫大な光帯が生じた。光帯はシームレスにいくつもの光輪へ分散・収縮を繰り返した。電子の歯車が鳴動し、うねり、痺れ、瞬きを繰り返す。そうして生まれた多数の六角文様が二人の全身をフラーレン状に多い尽くし、そして――
「うおッ!?」
ここ一番の輝き。その目も眩まんばかりの光の奔流に当てられて、思わずクロガネが後ずさる。
一秒か、十秒か。いやいやあるいは数瞬か。
とにもかくにも、光のヴェールが爆発散華。
彼方に姿を現したるは、凄まじい闘気を放つ二機の人型兵器である。
一機は白銀。もう一機は紅炎をその身に宿す不屈の電脳兵士。
両者揃いて、威風堂々に名乗りを挙げる。
「三番式阿羅漢型量子機動戦闘体――白羅漢」
「同じく、三番式阿羅漢型量子機動戦闘体――炎后楼」
紅白、砂上に並び立つ。
「仏装完了――戦闘開始ッ!」




