4-7 ストリート・チルドレン
「さぁて、完成だ」
注文してから十分後。出てきた料理は、とてもほぼ全ての工程を機械の手で行ったとは思えない程の、華麗な出来栄えであった。この店オリジナルのタコライスとポトフ。琴美の鼻孔をくすぐる濃厚な香りが、連鎖して食欲を激しく増進した。はやる気持ちを抑えてスプーンを手に取り、琴美はまずタコライスを口に運ぶ。
「……美味しい」
少女の口から、素直な感想が思わず漏れ出た。
「そうか、そりゃあ何よりだ」
嘘偽りない言葉を聞いてジーンが満足げな表情を浮かべる中、琴美は夢中でタコライスを頬張った。そんな二人とは対照的に、再牙はスプーンを手に取る事も無く、店の窓を通して外の様子をじっと窺っている。
「食べないんですか?」
「ん……」
琴美の問いかけに、再牙は生返事を寄こすに留まった。まだ、火門涼子なる人物の思い出に浸っているのだろうか。そんな事を考えたが、どうやらそうではないらしい。何か気がかりな事でもあるかのような、複雑な表情を浮かべている。
再牙は、店の前を横切る通行人を厳しく監視するかのように、鋭い目つきを湛えていた。琴美はタコライスを口に含みつつ、再牙と同じ方向に顔を向け、窓越しに外の様子を伺った。
埃一つない玄関脇に取り付けられた窓に映るのは、パンクなファッションに身を包んだ若者ばかりであった。ある者はイヤホンを耳に差し、またある者はサイボーグ手術を終えた自身の体に違和感が無いのを確かめながら、店の前を通り過ぎていく。特に、目を光らせるような出来事は無いように見えた。
「ちょっと外行ってくるわ」
おもむろに、再牙が丸椅子から立ち上がった。洗い物をしていたジーンが、不満の籠った声で問い詰める。
「おい、せっかくお前の分も作ってやったんだから、ちゃんと食べろよ」
「分かってるって。なぁに、直ぐに戻るよ」
ドアノブに手を掛けると、再牙は仏頂面を寄越して言った。
「煩そうな蝿がいるみたいだから、追っ払ってくるわ」
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秋葉原の路地裏は、華やかな大通りとは様相を異にしていた。鼻が曲がりそうになるほどの酸っぱい匂いで充満している。機械製義肢開発研究所の排水溝から、違法に垂れ流された使用済みの生体癒着油が、時間の経過と共に少しずつ気化しているのが、主な原因とされている。
何れにせよ、『カエルの飯処』から十数歩離れた先の路地裏は、長年放置されたゴミ溜めのように不潔だった。そういう土地柄の為だろう。秋葉原の裏路地は、夜はともかく、日中は殆どの人が近寄らないような場所だった。
ストリート・チルドレンの多くは、こういった所を好んで巣窟としている。現に、『カエルの飯処』を出てすぐ左に曲がった先の路地裏にも、同類と見られる少年達が待ち構えていた。
再牙は、やや離れたところで彼らの様子を観察した。数は十人弱。年齢は十~十三歳。全員日に焼けているのか、肌は浅黒い。褐色や灰色を基調としたシャツ。ケミカルウォッシュのジーンズ。所々が虫に食われている。
貧相な身なりだ。全員が全員、瞳の奥で鈍い光を放っている。電子的処置が施されていることを示す、機械的な光ではない。その眼光は、彼らが日々の生活の中で培ってきたものだ。法を破ることがどういうことか、鼻から考えようともしない者に見られる、特徴的な目つきだった。蛮勇を振るうことに快楽を覚えていることの、何よりの証拠。
「なんだよおじさん。俺らに何か用?」
少年の一人が再牙の存在に気づくと、卑しい笑みと共に、挑戦的な言葉をぶつけてきた。口元から除く前歯。何か所かが欠けていた。人工宝石の材料として売り飛ばしたのだろう。それぐらいの事、彼らは平気でやってのける。
日々の日銭を稼ぐ為に、人目を盗んで強盗と殺人を犯す。時に店の売り場から電子チップを奪って、余所で転売する。それでも足りない時は、文字通り、身を切り売りする。親の愛情を知らないで育ったストリート・チルドレンは、調教を受けていない野犬も同然だった。他人と己を傷つけるのに一切の躊躇がないのだ。
「見世物じゃないんだ。とっとと失せろよ」
「とぼけるなよ」
感情を抑えた声色。再牙は周囲に人がいないのを確認しながら、少年たちに近づいた。先頭に立つ少年の顔が少し引き攣るものの、舐められてたまるかとばかりに、虚勢を張る。
「とぼけるって、何をさ」
「大通りにあるゲームセンターの辺りから、俺の事を尾け回していただろう? 何が目的だ。言え」
「さすがだ。俺達の尾行に気付いていたとはね」
路地裏の一番奥から声がした。湿気のこもる地面を舌なめずりするかのような足音。壁と壁の隙間が作り出す濃い影の向こうから姿を現したのは、他の者より一回り小さい体躯の少年だった。
小さめの頭部とは不釣り合いな程の、大きめの迷彩サングラスを掛けている。少年の細い右腕は、機械製義手に挿げ替えられていた。
「俺の名は海流。マキシム・海流だ。どうぞよろしく」
少年の差し出してきた左手に目もくれず、再牙は堂々と不快な表情を浮かべた。少年は、不思議そうに首をかしげた。
「あれ、もしかして握手が嫌いだとか?」
「嫌いも何も、尾行の挙句に宜しくはねぇだろ」
「ノリ、悪いんだね」
「で? なんで俺を――」
「単刀直入に言うよ。俺達の用心棒になってくれないかな。スカー・フェイスさん」
自身の通り名をはっきりと告げられ、流石の再牙も眉間に皺を寄せた。その反応が面白かったのか。海流と名乗った少年が、声を押し殺して笑った。
「あんたの噂、ここまで届いているんだよ。スカー・フェイスさん。アンタ最近、伊原っていう売人をしばき上げたでしょ?」
再牙はだんまりを決め込んだ。少年の表情を窺おうとする。しかしながら、サングラスには自身の醜い顔が映るばかりで、少年たちの意図が見えない。
「正直言って、俺たちあんたに感謝してるんだ。大助かりなんだよね。伊原の奴、練馬に戻る前はここいらで好き放題暴れてたからさ。あいつ、大人の癖に結構臆病でね。ヤクザ相手に自分を売り込む勇気が無いからって、俺らみたいな孤児を脅して縄張り奪って、無理やり麻薬売買の使いっ走りをさせてたんだよ。せっかく金が入っても、上納金だとか言って売り上げの殆どを奪いやがるし。でもある日、トチっちゃってさ。ヤクザに目つけられちゃったらしいんだよね。だから、練馬に逃げ帰った訳だけど、俺達、ずーっと恨みを忘れずにいたんだよ。だから、あんたには本当に感謝してるんだ。でね――」
「長い。さっさと用件を言え」
「……はぁ」
興奮気味に語り続けていた少年が鼻白む。苦虫を噛み潰したように、口元が歪んだ。しかし、直ぐに落ち着きを取り戻して、やや声の調子を落として本題に入った。
「最近、運の良い事にでかい仕事を、この近辺を締めてるヤクザ組織から任されてさ。軍資金として百万円戴いたんだよ。それで、あんたを雇いたい。別に難しくないよ。簡単な仕事だ。旧東京湾近郊で電子麻薬五十キロの取引があるんだ。その交渉の席についてもらいたい。ただ横に立ってくれさえいれば、それでいいから。百万円だよ? 凄い額だと思わない?」
「お前らのおままごとに、付き合えってか」
徹底して相手を馬鹿にする態度を貫く。マキシム海流と名乗る少年は頬を若干赤く染め、気色ばんだ。自分の思い通りに事が運ばず、肩を小刻みに震えさせて苛立っているようだった。この年にして、碌な躾を受けていないが故の、幼い態度。
「悪い話じゃないと思うんだけどなぁ。それに、あんたは人相がとんでもなく悪人面だろう? 取引相手があんたの顔を見たら、きっと交渉もスムーズに運ぶと思うんだけどなぁ?」
「断る。ガキの遊びに付き合っている暇はないんだ」
「……ふーん、なるほどね。噂通りの変人って訳だ」
本人は抑えているつもりなのかもしれないが、再牙の前では誤魔化せない。言葉の端々が若干震えていた。恐怖からくるものではない。声色に熱が込められていた。怒りと苛立ちからくる熱だ。
「しょうがないね」
路地裏に、陽気な残虐性が渦を巻いて立ち昇った。ある者は懐から拳銃を取り出し、ある者は軽量級ラピッド砲を構え、ある者はスタン・ロッドを手に持った。銃を所持しているのは、九人中七人。
海流を含む二人のうち、一人が瞬時に左腕を変形させて機関砲の形態をとった。一方の海流は、機械製義手の右腕前腕部を展開させて、刃渡り三十センチはある、セラミックの刀身を剥き出しにした。
どちらも、サイボーグ業界ではありふれた肉体武装だが、二人の表情には嬉々とした色が浮かんでいた。自身に酔いしれ、他人をいとも簡単に支配できる力を宿していると、錯覚している。
戦闘態勢を整えた彼らに、再牙の何とも言えぬ目線が降りかかる。そこに込められた想いに想像を巡らせる者が一人もいないことが、彼らの不幸にして、また幸いでもあった。
サイボーグ手術には金がかかる。集金方法が違法であろうとなかろうと、少年達はきっと、大変な思いをして手術費用をかき集めたに違いない。それなのに、代価として得た機械製義肢の性能の劣悪さには、まるで気付いていないようだった。
注意してみれば直ぐに分かる。機関砲のフレームは安物だし、セラミックの刃は不純物が残っているせいで、透明度が低すぎる。粗雑な造りの証拠だ。組み込まれている製密駆動塊は、どれもお世辞に良い物とは断じ難い。
義肢と肉体の繋ぎ目も乱雑だった。接続神経の保護液としての役目を持つ生体癒着油の量が不十分過ぎるから、こうなっている。疑似神経が壊死してしまうのも、これでは時間の問題だ。そんな簡単な事実にさえ、少年たちは気が付いていない。
なんと無知で考えの足りない奴らであろうか。そう馬鹿にするのは簡単だろう。だが再牙はむしろ、少年達に何とも言えない哀しさを抱いていた。
年頃の、それも男子にしてみれば、サイボーグ化とはある種の夢である。金を集める方法はどうであれ、彼らは夢を叶えようとした。それに対し、闇世界の業者は誠意の欠片もない、代価に見合わない適当な施術をして誤魔化そうとした。
ストリート・チルドレンは悪だ。決まって犯罪の片棒を担ぐからだ。それは再牙も重々承知している。だが、彼らにお粗末な力を与えて暴走を加速させている闇のサイボーグ技師達も、また等しく悪であり、少年ら以上に罰せられるべき存在ではないのか。
「あんたを、力づくでも仲間に迎え入れさせてもらうよ」
愚かにも、海流は粗悪な機械製義手を胸の前で掲げ、再牙ににじり寄る。他の少年たちもまた、各々の得物を構えて、海流の援護に入ろうとしていた。
再牙は落ち着きを崩さない。
海流のサングラスをじっと見据え、一つ確認をとった。
「聞きたい事がある」
「なにさ。気が変わったの?」
「お前らのリーダーは誰だ?」
「俺だよ」
海流が言う。
「そうか」
それで十分だった。
再牙は目にも止まらぬ速さで腕を振るった。海流の顎に横殴りの掌底が命中する。
脳を揺らされ、海流は何が起こったのか理解する間も与えられず、膝を折って、その場にうつ伏せに倒れ込んだ。
ぎょっとした様子を浮かべる少年らを余所に、再牙は素早く壁を蹴り上げてコートを翻し、太陽を背にして路地裏の宙を舞った。少年らの頭上に、濃い影がかかる。
宙を舞う敵の姿を視界に収めた少年の一人が、焦りの色と共に拳銃の引金に手を掛けた。そこへ自由落下による加速を利用しての、手刀による一撃。
骨の砕ける音。右手首を抑えて、少年は悶絶した。再牙は構うことなく腰を捻り、右腕を素早く横薙ぎに振るった。裏拳の一撃。隣でラピッド砲を構えていた別の少年の顔面に、もろに入る。鼻骨が砕けて血が噴き出し、少年は涙目で壁に強く背を打ちつけた。
すかさずスタンロッドを振りかざし、残りの少年らが奇声を上げて乱入。再牙は冷静に対処した。まず前足を槍の様に四回、極速で蹴り上げた。襲いかかってきた二人の少年の両手首を砕いた。苦悶にのたうつ少年達の襟首をそれぞれ掴み、持ち上げ、同時に壁に叩きつける。
奥で拳銃を構えつつも、臆した様子の少年には、手元に落ちていた石を力強く投げつけた。日焼けした喉元に投石がめり込み、少年は声にならない呻きを上げて、気絶した。
蹴り、殴り、叩き、突き、折り……息もつかせる間も無く、攻め手を極めていく。武装を強制的に解除された少年達は、涙目になるしかなかった。急所を突かれて弛緩した手からは、銃器が次々とこぼれ落ちていった。
薄暗い路地裏に無機質な音が木霊する。再牙の表情には何の感情も見られなかった。
二十秒と掛からず、ストリート・チルドレン達は全員地に伏せった。全員、白目を剥いて失神していた。
再牙は周囲を一瞥すると、一人の少年の元へ歩んだ。迷彩サングラスに大きなヒビが入っている。海流と名乗った少年だ。
そこで、再牙は初めて能力を行使した。身体に力を込め、途端に瞳が蒼くなる。再牙は只ならぬ力の気配を全身に纏うと、思いっきり義手を踏みつけて破壊した。衝撃で、少年は昏倒から無理やり覚醒させられた。
「ああっ! 僕の義手……!」
ばらばらに砕け散った機械部品を視界に収めた少年が、泣きそうな声を上げる。お気に入りのおもちゃが壊された事への、激しい哀しみ。それが少年の口調を、大人ぶったそれから年相応の子どもへと変化させる。
その姿に、再牙の心が僅かに揺れ動きそうになる。だが、込み上げてくる情動を堪えることは造作もなかった。心を鬼にして叱りつける。
「馬鹿野郎。こんな粗悪品のどこが義手だ。こんなもの身につけていたら腕が腐って、取り返しのつかない目に遭っていたんだぞ。それが分からないのか」
「うるさい! お前みたいなやつに、僕達の事なんかわかってたまるか!」
「黙れ」
少年の胸倉を掴んで叩き起こすと、湿った壁に背中を強く押し付けた。シャツを掴む手に力を込め、少年の細い首に手の甲をきつく押し当てた。それによって呼吸をしづらくされた少年は罵倒したいにも出来ず、反抗の意思表示として足をめちゃくちゃに振ってばたついた。
ふと、少年の動きが止まった。サングラスに隠された瞳に、うっすらと涙が滲む。その訳が、己の凶相からくるものだと自覚していない再牙は、眉間にますます深い皺を寄せ、眼光を更に鋭くして窘めた。
「いいか良く聞け。ヤクザの子飼いになんぞなったら、二度と真人間に戻れないんだぞ。嫌ってくらい弄ばされて、最後には捨てられるのがオチだ。お前、それを分かって言ってんのか」
右腕を振るって頬を殴る。少年が呻き、乾燥した頬に青い痣が出来た。
「ヤクの運び人なんぞやるな。その年で、これ以上罪を重ねるな。美味い飯が食いたかったら、お友達を連れて蒼天機関の支部に行って保護してもらえ」
「い、いやだ……」
また殴る。さっきより強めに。痣が出来るほど強く。瞳に溜まった水滴がこぼれて、少年の頬に流れ落ちた。
「いい加減にしろ。ストリート・チルドレンだろうが、自首してきた奴を不当に罰するほど、機関は腐っちゃいない。まして子供だ。お前らの現状を知ったら、ちゃんと手続きを踏んで、更生施設入居の段取りを組んでくれる。温かい飯が食える。もう寒い思いをしなくて済むんだ。それが分かったなら、とっとと日の当るところに出ろ。あと、これに懲りたら、もう二度と俺の後を尾けるな。二度と俺に関わるな」
もう一度殴る。ただ、今度は軽く頬を嬲る程度に済ませた。
「分かったな」
少年は怯えながらも、確かに首を縦に振った。シャツを掴む手を緩め、その場から離れた。再牙の耳に、少年の口から洩れたと思しき鈍い咳音が聞こえた。
「今度サイボーグ手術をする時には、ちゃんと正規の、それも腕の良い技師に頼めよ」
振り返って忠告する。少年は聞いているのかいないのか、壁に背をぴたりとつけて尻餅をつき、何もない虚空を恐怖に染まった瞳で見つめていた。体が小刻みに震え、股間の辺りに濃い染みができている。路地裏に溜まっている生臭い匂いとは別に、メタンガスを濃縮したかのようなきつい匂いが、再牙の鼻先を掠めた。
社会から迫害され、侮蔑の目で見られる存在。再牙はどうしても、昔の自分を思い出さずにはいられなかった。別にかつて、彼自身がストリート・チルドレンであったわけではない。止むに止まれぬ事情で、それに近しい存在に身を堕としていた時期があったに過ぎない。
そんな絶望の淵にいた時、彼に手を差し伸べたのが火門涼子だった。再牙は彼女を、心の底から尊敬していた。尊敬しているが故に無意識の中で神格化し、彼女のような存在には到底成れないと思い込んでいる。
見ず知らずの、何処の誰かも分からないならず者の人生を丸ごと背負い込む。それは神聖さと、ある種の狂気が無ければ出来ない行為である。勇気の有無に関わる問題ではない。
深層意識の奥深くに根差している『何か』が、唯一それを可能にしていると言っても良かった。その『何か』が自分には宿っていない。だから涼子先生のようにはなれない。
だがしかし、直接的に救いの手を差し伸べる事が不可能だとしても、誤った道を知らず知らずのうちに歩んでしまっている者や、どん底の状況から這い上がりたいと強く望んでいる者へ、幾ばくかの道筋を教えてやる事は出来る。
社会的弱者とされている人に対し、自分に出来る範囲の事で助言を与える。そのやり方が多少荒っぽくても、再牙の心に嘘はない。
要は受け取る側の問題だ。結局の所、自分の人生は自分で決定していかなければならない。火門再牙は万屋という職業を通して、その決定をほんの少し後押し出来れば――それでその人が、前を向いて未来を歩んでいければ、それで良いと考えている。
再牙はオルガンチノのポケットから、一枚の紙と油性ペンを取り出し、さらさらと何かを書きしたためた。未だ放心状態の海流の手に、無理やりそれを握らせる。
「ここから一番近い支部の住所と電話番号だ。必ず行け」
少年の返答を聞かぬうちに、再牙はその場を後にしようとした。
突如、けたたましく鳴り響く着信音。再牙はズボンのポケットに右手を突っ込むと、携帯電話を取り出した。ストリート・チルドレンたちから距離を取って通りに出てから、再牙は液晶画面を食い入るように見た。見慣れた三文字の漢字と見慣れた電話番号が表示されている。
「(あいつ、もう分かったのか)」
若干の驚きと共に、再牙は電話に出た。
『俺だ。錠一氏の足取りの件だが、掴めたぞ』
つい数時間前に話した時と同じく、低音が再牙の耳に届く。依頼解決への道筋に光明が差す事を心から願い、しかしそんな素振りをおくびにも出さず、再牙が応えた。
「随分と早いな。それで?」
『ホワイトブラッド・セル・カンパニーだ。お嬢さんの父君は殺される一週間前に、そこへ立ち寄っている。カンパニーを閉鎖に追い込んだ火災事故が起こる、直前の日にな』
「……何ぃ?」
捜索屋の口から飛び出た地名が意外だったのか、再牙は苦い顔を浮かべて押し黙ってしまった。
ホワイトブラッド・セル・カンパニー。通称・WBCカンパニー。
四年前に謎の火災事故によって、営業停止に追い込まれた製薬会社。
そして現在、WBCカンパニー跡地が危険区域に指定されている事を、再牙は当然知っていた。




