4-2 捜索屋
「着いたぞ」
練馬区の商店街を歩いて数十分後。『陽紅亭』と書かれた立て看板と、小洒落た外装の喫茶店が目に入った。どうやら、ここに件の捜索屋がいるらしい。
赤レンガを積み重ねて造られた小さな階段を上り、超小型監視カメラ搭載のカウベルを鳴らして、再牙と琴美は店に入った。決められた約束事を履行するように、若い男女のものと思われる従業員の軽快な挨拶が店内に響く。
モーニングに舌鼓を打つ多くの客で、店の中はごった返していた。忙しなくテーブル間を行き来する店員達の表情とは裏腹に、客達の表情は明るく、世間話に花を咲かせている。客層を見るに、若い男女の比率が高かった。
店の一角。ちょうど再牙達から見て右斜め奥の四人掛けのテーブル。その一つの席に、琴美にもはっきり分かるほどの異様な雰囲気を湛えた男がいた。
その男は、右手に持った電子ペーパーに視線を落としつつ、落ち着いた雰囲気でティーカップを口へ運んでいた。喧噪に包まれた店の雰囲気を楽しんでいるかのようなその佇まいが、只でさえ異様な恰好を、ますます浮き彫りにしている。
「(あの人、あんな格好で暑くないのかな?)」
琴美が疑問に思うのも当然である。空調のお蔭で店内は秋空の寒さとは無縁の程良い暖かさに包まれているにもかかわらず、その男は全身を黒い厚手のコートできっちりと包んでいたのだ。頭には黒い鍔広の帽子を目深に被り、遠目からでは表情すら伺えない。まるで、人前で素肌を晒すのを拒んでいるかのような出で立ちであった。
「いらっしゃいま……あら?」
席へ案内しようと駆け寄ってきた一人の女性店員が、再牙の姿を確認した途端、声を弾ませた。
「火門さんじゃないですか! どうもお久しぶりです」
再牙が物珍しそうに声を上げた。
「おや、あんたはこの間の……」
「その節はどうも、大変お世話になりました」
お世辞にも良い人相とは言えない再牙を前にして、女性店員は恐れるどころか、愛嬌たっぷりの声でお礼を述べた。事情が全く分からない琴美は再牙の後ろに隠れるようにしているしかなかったが、雰囲気から察するに、以前に再牙の世話になった人らしいことは分かった。
「ここで働くようになったのか」
「ええ、色々とありましたからね。会社の人たちにこれ以上の迷惑はかけられないし……区切りをつける意味でも、新しい職場で心機一転、頑張ろうと思って」
女性店員な陽気な声の調子を聞いた再牙は、目を細めて柔らかな笑みを浮かべた。
「元気そうで何よりだ。あれからどうだい? 元旦那さんの様子は」
女性店員は顔の前でぶんぶんと手を振り、
「もう全然! 全く連絡してこなくなりました。ストーキングされている気配もないですし」
「家の前で待ち伏せられたり、郵便ポストに嫌がらせされたりは?」
「ありませんよ。あの人、よほど再牙さんの『お仕置き』が効いたみたいで、もう再牙さんの名前を聞いただけで痙攣して、粗相をするくらいになっちゃったんですから」
クスクスと思い出し笑いをするも、女性店員は表情を一転させ、心の底から絞り出したかのような声を出した。
「あの時は、本当に有難うございました。再牙さん、貴方に相談して本当に良かったです。こうしてまた働けるようになったのも、貴方のおかげです」
「俺はただ、あんたからの依頼を遂行しただけだよ。あ、それよりもさ……」
再牙は不意に、視線の隅にある四人掛けのテーブルを指さして尋ねた。それは、琴美の視線を釘づけにした、あの黒づくめの男が座っているテーブルであった。
「あそこの席って、空いてる?」
「あ、ええ、どうぞ。すみません、話に夢中になっちゃって……」
「いいってことよ。息子さんにも宜しくな」
「お気遣い有難うございます。ごゆっくりどうぞ」
慌てて業務に戻る店員を見届けると、再牙は迷いなく、黒づくめの男の下へ近づいて行った。その後ろに、琴美がおずおずと続く。
「よぉ」
まるで、慣れ親しんだ友人にするかのような軽い挨拶。黒づくめの男はチラリと視線を再牙の方へ向けて、
「……火門か。二か月ぶりだな」
重く、それでいて静かな声色で簡単に挨拶を済ませると、再び手元の電子ペーパーへ落とした。男が口にしているティーカップの中には、明るい琥珀色の液体が注がれていた。
コースターの脇には、封を切られたシュガースティックが十本ほど散らかっている。ガムシロップと思しきブラスチック容器も。げんなりした様子で、再牙が悪態をついた。
「相変わらずの甘党だな。糖尿病になってぶっ倒れても知らねーぞ」
「カレー馬鹿に言われる筋合いはない」
「人の味覚にケチ付けるなよなぁ」
「お互い様だろうが」
「へいへい」
再牙は遠慮する様子も無く、男の正面へ回り込んでカーボン・チェアの背もたれを引いた。そうして、窓を背にする形で男の対面に腰を落ち着かせる。いまいち状況が飲み込めない琴美も、どこか遠慮がちな様子で再牙の右隣にあるカーボン・チェアに、ちょこんと浅く腰かけた。
視線を上げた途端、琴美は思わず声を洩らしかけた。黒づくめの男が、顔中を包帯でぐるぐる巻きにしていたからだ。包帯は男の口元と目元の周辺を避けるように幾重にも巻かれており、その範囲は首を通過して、コートの隙間から覗く胸元にまで及んでいた。
火傷でもしたのだろうか。それとも何か別の理由があるのか? その異様な佇まいに囚われて、琴美は視線を外そうにも外せないでいる。
「お嬢さん」
声に若干の怒気が込められていた。琴美は、反射的に姿勢を正した。
「あ、は、はい」
「あんたは、初対面の相手をジロジロ眺めるのが礼儀だと、親から教わったのか?」
「あ……」
男の苦言を受けて、琴美の表情がみるみるうちに強張っていく。琴美の方を見ずとも、まるで己を値踏みするかのような遠慮のない視線には、流石に男も気づいていたらしい。包帯越しでも分かるくらい、男の眉間には深い皺が刻まれていた。
「おいおい。あんまり俺の依頼人にきつく当たるなよ。ましてや女の子に」
その場に漂い出した気まずい雰囲気をほぐそうと、再牙が身を乗り出して間に入った。
「依頼人?」
再牙の発言を受けて、男が怪訝そうな声を洩らす。
「ああそうだ。名前は獅子原琴美。つい先日、この街に来たばかりなんだ。琴美、紹介が遅れたが、この男が例の捜索屋だ」
この人がそうなのか。琴美は、遠慮がちな視線を黒づくめの男へ向けた。
「ぶっきらぼうでひねくれ者だけど、腕は確かだから安心しろ」
「聞き捨てならんな。俺はただ、そこに座っているお嬢さんの無礼を注意しただけだぞ」
有無を言わせぬ辛辣な物言いだった。己に非があることを自覚しているせいか、琴美は言い返す事も出来ない。小さな身体を更に小さく縮こまらせ、泣きそうな顔を浮かべる。
その様子を見ていたたまれない気分になったのか、たまらず再牙が、ちょっと責め過ぎだぞとでも言いたげに、捜索屋の男を軽く睨みつけた。
「…………」
暫くの沈黙の後、捜索屋はおもむろに右手を差し出し、卓上ベルを鳴らした。その右腕にも、隙間なく包帯が巻かれていた。恐らくは、身体の到るところ全てに巻かれているのであろう。何のためにそんなものを巻いているのかは、琴美にはさっぱり分からなかった。
「琥珀茶をおかわり。あと――」
捜索屋は注文を取りに駆け寄ってきた男性店員にティーカップを渡しつつ、琴美を見やって、こう口にした。
「お嬢さん。好きな物を頼んでいい」
「え?」
「俺の奢りだ。食べ物でも飲み物でも、好きな物を選べ」
「そんな、良いんですか?」
「遠慮は無用だ。その、さっきは言い過ぎた。悪かったな」
やや早口でそう伝えると、捜索屋は視線を隠すかのように帽子を被り直し、目元を隠した。不器用ながらも、彼なりの気遣いらしい。
断るのは失礼だと感じた琴美は「それじゃあ、ホットミルクティーのМサイズを一つ」と、店員に告げる。それに乗っかり、「じゃあ俺は……」と、再牙が口を開こうとした時、捜索屋の『待った』がかかった。
「一応断っておくが、お前の分は奢らんぞ」
「えーっ!」
心外だと言わんばかりに不服を洩らす再牙を軽く睨め付け、捜索屋は呆れたように溜息をつく。
「やっぱり、どさくさに紛れて奢られる気でいやがったな」
「今の流れからして、そうだろう?」
「間抜けが。死んでもお前に奢ってなるものか」
「このけちんぼ! 俺が沢山仕事振ってやってんだから、見返りを求めて当然だろ~?」
「恩着せがましい奴だな。大体、お前は人探しや物探しになるとすぐ俺を頼る。もうちょっと自分でなんとかしようとは思わんのか」
「捜したさ。三日間。それでも手掛かりが一つも掴めなかったから、こうして訪ねて来たんじゃないか。あ、おにーさん、俺、ソリッドコーヒーのMサイズ、ホットで。砂糖とミルクはつけないでね。こいつと違って、甘党馬鹿じゃないから」
再牙の勝手な言い草を受けて、捜索屋は呆れたかのように嘆息を漏らした。そんな二人のやり取りを見て、男性店員は苦笑いを浮かべた。




