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アナザポリス・オリジナル-怪力乱神幻瞑録-  作者: 浦切三語
第一幕 獅子原琴美、幻幽都市へ赴く
2/78

1-1 魔都の門番と触手乱舞

 少女は耳にしていた。意識の向こう側。遠い昔の懐かしい記憶が、言葉となって蘇る。


 父と母の声が聞こえるも、表情は無い。暗闇の中で二人が交わす微かな会話が、少女の鼓膜を力なく叩いた。それは、水底から海面へ湧き上がろうとする気泡の様に、ある種の必然性と儚なさを孕んでいた。


 声の調子で、おのずと分かった。父は沈痛な表情を受かべ、母は瞳に涙を浮かべているのだろうと。似つかわしくないと思った。暖かな空気に満ちていた家族の風景が、音を立てて崩れていく気配がした。例えようの無い不安感が支配する夢の中で、少女はどうすれば良いか分からなかった。


 父と母の声はどんどん小さく、遠くなっていく。やがて、不気味なほどの静寂が訪れるに至った。無音の世界。夢幻の世界。


 闇の真っ只中に、一人残された。


 少女の頬を、暖かな雫が伝った。

  




△▼△▼△▼△▼





 二〇四〇年、十月二十日。午後一時頃。


 一台のタクシーが、幻幽都市へと続く寂れた国道の路肩で、ゆっくりと停止した。公道たる六十八号線も、ここまで伸びてくると非常に異質な道路に成り代わる。アスファルトはどこもかしこもひび割れていた。加えて、極彩色に染まった雑草が茫々と茂っていて、なんとも気味が悪い。


 どこからか轟く怪鳥の哭き声。左を見ても右を向いても、目に映るのは死に枯れた大地と、寒風吹き荒ぶ秋空のみ。タクシーの運転手は、それらの死んだ風景から逃げるように目を逸らすと、バックミラーに目を向けた。後部座席で、一人の少女が横になっているのが目に入った。猫のように丸くなり、小さな寝息を立てている。悲しい夢でも見ていたのか。少女の薄桃色の頬に、涙の痕が滲んでいた。


 アイドリングを切り、しばし様子を伺う。だが、どうにも起きる気配がない。完全に熟睡してしまっているのか。運転手は仕方なく振り向くと、痰の絡んだような掠れた声で客をせっついた。


「ちょっと、お客さん。何時まで寝てるんですか! 着きましたよ。早く起きてくださいよ」


「ふぁ?」


 現実に肩を叩かれて、少女がむっくりと身体を起こす。瞼を何度か瞬かせて、自分がいる場所をおぼろげながら認識するも、頭の中にかかる霞はまだ晴れない。大宮駅からタクシーを拾ってきたは良いが、長旅の疲れはまだ抜けきっていなかった。


「早く。ほら早く、運賃を払ってくださいよ。何時までもこんな所にいたら、気が狂いそうなんですからね」


「あ、はい。どうもすみませんでした」


 少女は申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべ、脇に置いたショルダーバッグに手を突っ込んで財布を取り出した。皮にパッチされた可愛らしい花柄模様が目を引き付ける。十歳の誕生日に、母に買って貰った大事な財布だ。


「お客さん」


 あわただしく支払いを済ませ、荷物を抱えてタクシーから降りる少女に向かって、運転手は心配そうに忠告を投げ掛けた。


「お節介が過ぎるかもしれないけど、今からでも間に合いますよ? 引き返した方がいい。ここは貴方みたいな年若いお嬢さんの来るところじゃない」


「お気遣い、ありがとうございます。でも、どうしても私、あの街に行かなくちゃいけないんです」


「だけどもねぇ」


「すみません。失礼します」


 少女は丁寧にお辞儀を済ませると、ひび割れた一本道の道路を脇目も振らずに歩き出した。左肩から黒いショルダーバッグを提げ、旅行用ケースバッグを細い腕で引きずりながら。


 運転手は暫くの間、少女の行く末を案じるかのように、その小さな背中をフロントガラス越しに見送っていた。だが、それも束の間の事。はっと我に返ると、アクセルを踏み込んでUターン。逃げるように元来た道を走り去った。後に、ただ黙々と歩き続ける少女だけを残して。


 少女の出で立ちは可憐の一言に尽きた。栗色のストレート・ヘアは肩辺りできっちり揃えられ、透ける様に白い肌が瑞々しい。大きくて愛嬌のある瞳。薄く小さな唇。全体的に見て化粧は薄く、ナチュラルメイクに近かった。年齢は十五かそこらであろう。ほっそりとした体を白いブラウスと紺色のジャケットで包み、下にはベージュ色のチノパンを身に着けていた。格好はそれ程お洒落でなく、むしろ地味な方だが、自然と人目を惹き付ける容姿だった。


 そんな力強さとは無縁の風体をしているからなのだろうか。初対面の人に自己紹介する際、名字とのギャップに驚かれる事がしばしばあった。しかし、嫌な気はしなかった。寧ろそういった反応は自然だと感じた。


『獅子原』なんていう全国的にも珍しい、しかも肉食獣の王の名が刻まれている名字を持つ割には、少女の体躯はあまりに華奢であった。どちらかというと、両親から授かった『琴美』という名前の方が、彼女の有様を正しく定義していた。少女自身もそう感じていた。誇らしい名前だと自負している。


 だから中学校の入学式の際、クラスメイト達の前で名字ではなく名前で呼んで欲しいとお願いした。その『お願い』は、最初の内は聞き入れられたものの、時が経つに連れて名字で呼ばれるようになった。やがて、中学を卒業する頃には、誰からも名前そのものを呼ばれなくなった。


 澄み渡る青空とは対照的に、道路を囲むように広がる大地は寒気を覚えるほどうら寂しい。かつて田畑だった大地は白灰の木々を残すだけで、零落の極みを迎えていた。灰色にして茫漠。生命の漲りは微塵も感じられず、死に枯れきっている。墓場として有効活用出来そうなほどに。《外界》とは、漂っている空気の質も違っているように思えてくる。


 その昔、この辺りは東京都の一角だったのだよと口にしたところで、一体誰が信じるだろうか。そう思ってしまうくらい現実離れした風景が、少女の視界を埋め尽くしている。


 暫く歩き続けていると、やがて、視界が白い風景に侵食されていった。眠気が完全に覚めた。琴美の目の前に、それは突如として現れた。緩やかな曲面を描いて眩く輝く、白い外壁であった。


「……大きいなぁ」


 思わず、月並みな感嘆が漏れる。壁の高さは、優に二百メートルを超えていた。近づけば近づく分だけ、壁の巨大さが圧迫感と共に迫ってくる。白輝剛鉱石(レオナール・ロッシュ)を主建材として建設された幻幽都市の全域を囲む防護壁は、今日も来訪者を拒むように堂々と、死んだ大地に根を張っている。


 良く見れば壁の一ヶ所、少女の正面に位置するところに、巨大で黒に染め上げられた門があった。傍らには、衛兵とおぼしき、白い軍服を纏う四人の男性が佇立している。門の右手に二人、左手に二人といった具合で、石のように動かないのが遠目でも分かった。彼らは一様にして腰に刀剣を差し、電子素子が嵌め込まれた支援火器を肩にぶら下げていた。


 たっぷりの衣料品が詰め込まれた旅行バッグを引き摺る少女が目の前に現れても、衛兵らは誰一人として、これといった反応を見せなかった。たまりかねて、琴美は一番左端に立つ男性に声を掛けた。


「あの、《虎之門》というのは、この場所で合っていますか?」


「…………」


 問いかけに、無言で応じられた。琴美を不審者扱いして声をかけることも、敵意をむき出しにして武器を手にする事も無かった。四人の目線は依然として、漠々たる荒涼な大地の彼方に向けられていた。その無感情な八つの瞳が、琴美の心にじわじわと不安感を抱かせはじめた、その時だ。


 いずこからか、奇妙な物音を立てて彼女に近づく存在があった。犬だ。光沢感のあるメタルボディから幾つものセンサーを生やした三匹の機械犬が物陰から現れたかと思いきや、あっという間に琴美を円形状に取り囲んだ。


 機械犬達は目元を覆う電子バイザーを介して琴美の姿を認識すると、無機質な調子の合成人語を交えて激しく吠えたてた。


 たじろぐ少女を尻目に、犬達は構わず威嚇を続ける。そのうち金属製の犬歯を剥き出しにして、今にも飛びかからんとする勢いが、そこにはあった。


《あーこらこら。お前達、また勝手におイタをして……何度言ったら分かるんだ》


 男性のものと思われる紳士的な声が、少女を取り囲む機械犬達を叱咤した。その一言は、機械犬達にとって中々の威力があったらしい。彼らは咆哮をピタリと止めると、琴美の視界右端に映っている、電話ボックス程の大きさの古ぼけた小屋の陰へと走り去って行った。先ほど耳にした紳士的な声は、その小屋の方から聞こえたものだった。


 古ぼけた小屋。そんなものがあるなんて、今の今まで琴美は気が付いていなかった。目の前に立つ巨大な防壁や、物言わぬ憲兵達ばかりに目を奪われていたせいもあって、自然と意識から外れていたのだ。


《いやぁすいませんね、お嬢さん。びっくりさせてしまったみたいで……》


 機械犬達と入れ替わるような形で、声の主が小屋の物陰から姿を見せた。


《あいつら、普段はあんなに凶暴な性格をしている訳じゃないんですよ。ただちょっと事情が……ええ、メンテナンスを終えたばかりで気が立ってしまっていて……なんとか、多目に見てやってくれると有難いのですが》


 琴美は我が目を疑った。現れたのは、一メートル程度のドラム缶体形をした自動走行機械だった。どうみても人間ではないのに、それがダンディズム溢れる調子で犬たちの態度を詫びる台詞を口にしたものだから、琴美はわけが分からず呆然と眺めるしかできなかった。


 ドラム缶じみた機械生命体は、人間を真似るように口を動かして喋った訳ではなかった。胴体部には口の代わりに、剥き出しになった基盤が無数に埋め込まれていて、彼が喋るたびにそこがキラキラと明滅したことから、発声器官は基盤にこそあると見てよかった。頭頂部は半円状のカプセルになっており、中に薄紫色のゼリー溶液に漬けられた金属製擬似脳が収められていた。察するに、思考を担う箇所のようだ。


 琴美は意を決し、緊張気味に、やや早口で用件を告げた。


「あの、幻幽都市への入都希望者なんですが、《虎乃門》って、ここで合っていますよね? 間違ってないですよね?」


《おっほう。なるほど、そういう事でしたか。ええ、確かに仰る通りです。ここは幻幽都市と外の世界を繋ぐ唯一の出入口。虎乃門で合っていますよ。ああ、申し遅れました。私はアルファ17と申します。この門を預かっている、まぁ、守衛的な存在と思って頂ければ結構です》


 琴美はまたもや、心の内で驚きの声を上げた。改めて耳にすると、とても体の大部分が機械で出来ているとは思えないくらい、アルファ17の声はイントネーションと感情に富んでいた。


《あの、あちらにいる兵士さんたちなんですけど……彼らは?》


《ああ、蒼天機関(ガルディアン)所属の機関員ですよ。大丈夫。怖がる必要なんてありません。あの男達が銃を向けるのは、都市からの違法脱出者と、都市への違法侵入者。それに、突発的な異変に対してだけですからね》


蒼天機関(ガルディアン)?」


《幻幽都市の政治経済を一手に担っている最高枢密院の直属組織であり、都市の治安維持活動に従事する、実質的な都市の管理機構です。それはそうと、入都についてですが永住をご希望ですか? それとも滞在でしょうか?》


「あ、滞在でお願いします」


《期間は?》


「二週間程です」


《了解しました。現在、来訪者専用の滞在用宿泊施設が全て埋まっておりますので、代わりに簡易アパートの手配をさせて頂きます。連絡通信端末の類は、所持しておられますでしょうか》


「はい。スマホを一台」


《でしたら後ほど、そちらの方へアパート周辺の地図を送信させていただきます》


 そこから先のやり取りは、実にスムーズだった。琴美はショルダーバッグから入都手続きに必要な書類を取り出した。住民票や戸籍謄本、その他諸々。入都時の審査をクリアるするのに必要な種類は、ネットに転がっている情報をかき集めて、ちゃんと準備してある。


 アルファ17は、胴体の左右から生えた無機質な汎用アームで書類の束を受け取ると、胴体上部に位置した所にある開口部へ、書類を一度に突き入れた。


 書類の読み込みが進んでいくに従って、金属擬似脳の表皮に青白い電子の文字が途切れること無く浮かび上がり始めた。それらの電子文字が記す内容は、琴美にも理解出来た。事細かな彼女自身の経歴だ。


 東北地方の片田舎出身。年は十五。血液型はA型。両親と祖父母、共に他界。最終学歴は中卒……とにかく琴美の全ての個人情報が、アルファ17の脳表皮に浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えていった。


 琴美は、ただ無表情で、自身の経歴の変遷を眺めていた。それは例えれば、見知らぬ子供が一生懸命作り上げた、出来の悪い砂の城を眺めている気分に近かった。


 中卒。


 年若い少女の心情をいやらしく責め立てるには、十分すぎる言葉だった。


 決して誉められた学歴ではないのは分かっている。当の本人も、それは感覚的に理解出来た。自分で選んだ道なのだから、今更誰かのせいにする訳にもいかない。いや、選んだというよりは、それしか選べなかったという方が正しいか。


 どちらにせよ、幸福に満ち溢れた人生と縁遠いのは確かだろう。そうなった全ての原因が分かっているだけに、余計にどうしようもない感情に支配される。父が存命していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。そんな、意味のないことを唐突に考える。


《それでは次に、これを受け取ってください》


 アルファ17の胴体部がスライド。中を覗くと、バックサイドヒップ・タイプの革製ホルスターとベルト。そして、無骨な意匠が施された黒い塊が横たわっていた。どこからどうみても、それは立派な一つの拳銃であった。


 幻幽都市に居を構える者は、永住であろうと滞在であろうと、等しく身を守るための武器として、拳銃を最低一丁は所持する決まりになっていた。日本国憲法を草案に新しく制定した、都市新法なる法律でそう定められているのだと、アルファ17は説明した。琴美の周辺では、聞いたことのない情報だった。


 琴美は、差し出された拳銃を恐る恐る手に取ってみた。何とも例え難い冷たい質感が、掌に伝わった。試しに構えてみる。引金に人差し指が上手く掛からない。アルファ17から教わって、慣れない手つきでマガジンを取り出す。弾倉は空だった。下手に弄った挙句、この場で暴発でもされたら困るからというのが、理由だった。


《弾薬は射撃訓練場などで売られていますから、そこで調達してください。日本紙幣は使えますから、安心して下さって結構ですよ。後で時間を見つけて、訓練場で試し撃ちをするのをお勧めします。この街では、自分の身は自分で守るというのが鉄則ですからね。それにこの先、あなたが生きていく上で、射撃の技能が必要になる時がくるかもしれないですから》


 最後の一言は、彼なりのジョークだったのかもしれない。金属製擬似脳と基盤が激しく明滅を繰り返した。笑っているのだろうか。仮にそうだとして何が面白いのか、琴美にはさっぱり分からなかった。


《あと、都市のガイドブックを駅の売店で買う事をお勧めします。一言でいうと、この街で暮らすのに必要な手引書になります。都市全土の詳細なマップは勿論、大禍災(デザストル)以降に新しく整備された交通網や、危険度別にランキングされた各地域の詳細情報、加えて、レジャー施設や観光所、グルメマップについても書かれていますから。一度、お目を通しておくのも良いかもしれません》


 それでは最後になりますがと付け加えて、アルファ17は自身の背後にアームを廻した。背中に取り付けられたバッグパックから指輪をおもむろに取り出すと、目の前の少女にじっくりと、それを見せつけた。

 指輪は真鍮製だった。ダイヤと思しき透明な宝石が一つ、嵌め込まれている。


《これは指輪型の端末機です》


「端末機?」


《はい。幻幽都市内でのみ使用が許可されている、個人の居場所を特定する為に必要となる端末機です。この指輪は各個体毎にシリアルナンバーが振られていまして、人工宝石部から常に特定の波長を発信しております。その波長を蒼天機関(ガルディアン)の統合指令本部が受信し、獅子原様の現在地点を管理できる仕様になっております》


「か、管理って、ちょっと……」


 不穏な発言を耳にして、琴美が焦りの色を浮かべた。しかし、アルファ17の電子音声は鳴り止まない。そこには有無を言わせぬ強引さがあった。威圧的なものではない。例えるなら、一定の速度で回転する歯車とでも言うべき、必然性があった。


《その端末機は防水性に優れているだけでなく、耐薬品性、耐衝撃性もばっちりですから、余程の事が無い限り壊れる事はないでしょう。余所から滞在目的で来た方々には、すべからく、この端末機を装着していただく運びになっております。常に肌身離さず、これを身に着けておく事を推奨します。もしこれを拒否した場合、獅子原様、ここまでの入都手続きは全て白紙に戻させていただきます》


「一つ、宜しいですか?」


《どうぞ》


「なんでこんなものを身に着けなきゃいけないんですか。私、別に怪しい事をするためにこの街に来たわけじゃないんですけど。これじゃまるで、犯罪者みたいじゃないですか」


 琴美は指輪を掌に乗せると、毅然とした態度で言い放った。表情には、明らかに不満の色が見て取れた。可愛らしい小顔には、似つかわしくない表情だった。


《恐れながら獅子原様、将来、貴方様が他の誰かをその手に掛けないという保証は、どこにもありませんよ。人は皆、誰しもが犯罪者予備軍なのです》


「そんな言い方しなくても……」


 一転して困った様子になる琴美を見て、明滅を一層激しくするアルファ17。どうやら、また冗談のつもりだったらしい。琴美はからかわれた気分になり、少しむっとした。文句の一つでも言ってやろうかと思った所で、アルファ17が先手を取った。


《冗談はさておき、何故にこの指輪型端末機を装着する義務があるのか。その理由をお話しましょう。その前に、獅子原様》


 アルファ17は言葉を区切ると、六つの車輪を器用に操り、正面を壁へ向けた。琴美は壁ではなく、この不思議な生命体の背中にくぎ付けになった。正面だけでなく背面にも、複雑な基盤の数々が剥き出しで取り付けられていたからだ。こんな乱雑な作りで良く壊れないものだと、変に感心してしまう。


《あの巨大な壁が何時建造されたか、ご存じですか?》


「そんなの、知る訳ないじゃないですか。壁の話と端末機に、何か関係があるんですか?」


《まぁまぁ、取りあえず聞いてくださいよ》


 実に軽い調子でそう口にする。カプセル内の粘液が、ひとりでに波打っている。まるで、少女の心境を手玉に取っているかのような、そんな動きに見えた。


《この壁の建造が開始されたのは、今から十八年前の二〇二二年。ちょうど、この都市が誕生した二年後に着工され、僅か一年で完成しました。壁に期待された役目は、密入都者の防止でした。壁が出来る前は、外界から雪崩込んできた身元不明の流浪の者達が、都市の治安悪化に拍車をかけていましてねぇ。都市の治安維持活動を円滑に進め、且つ都市人口を正確に把握する上でも、壁の建造は急を要する作業だったんですよ。しかし、天網恢恢疎にして漏らさず、という訳にはいきません。壁が出来た後も、我々の目を掻い潜って、密入都をする輩が後を絶ちませんでした》


 アルファ17は再び車輪を回すと、琴美に向き直り、話を続けた。


《ある日、事件が起こりました。外界からやって来た一人の男が、都市新法で定められている危険区域へ、無断で侵入してしまったのです》


「危険区域?」


《幻幽都市では大禍災(デザストル)以降、あちこちの土地で非科学的な超常現象が確認されてきました。超常現象には、人間に対して無害なものからそうでないものまで、様々なものがあります。中でも、時空間の捻じれや大地の異形化、身の毛もよだつ程の恐ろしい怪物達の根城と化した場所は、凶悪な犯罪シンジケートと並んで、都民の絶対的脅威の一つなのです。蒼天機関(ガルディアン)は直ぐに対策を講じました。都民に対して危険度の高い区域を危険区域として制定し、立ち入りを制限したのです。ですが、人間の好奇心というものは、駄目だと言われると、どうしてもその場所へ行きたくなってしまうものです。大変、困った性ではありますが》


 琴美は、自然と頷いていた。その気持ちは良くわかった。


 小学生の頃、地元に幽霊が出るという噂の裏山があった。そこへは絶対に立ち入ってはいけないと、普段から父親に言い聞かされていた。にも関わらず、琴美は好奇心に負けて、その裏山に入ってしまった。案の定道に迷い、なんとか自力で下山した頃には、既に夜の八時を回っていた。


 家に辿り着いた時、最初に琴美が見たのは、玄関前に停まっている何台かのパトカーだった。帰りの遅い彼女を心配して、両親が警察に連絡を入れたのだと、その時知った。


 琴美は『ごめんなさい』と口にする前に、涙目の父親に玄関先で怒鳴られ、顔を思い切り平手打ちされた。あの時の頬に伝わった痛みと父親の顔は、今でも彼女の心に、深く鮮明に焼き付いている。後にも先にも、父親が本気で琴美を叱ったのは、それが最初で最後だった。


《その男もまた、自身の好奇心の赴くままに危険区域へ足を運んだのです。その結果、彼は次元の狭間に飲み込まれて消え去りました。現場に残されていた財布に入っていた免許証から彼の身元を明らかにした時、蒼天機関(ガルディアン)はそこで初めて、男が密入都者であったことと、警察庁の公安部に所属していた人間だという事実を、突き止めたのです》


「公安? なんで公安の人が密入都なんか……」


《簡単な話です。幻幽都市が抱える機密文書を盗みに来たんですよ。アンドロイドの開発技術や、それに並ぶ科学技術の情報なんかをね。この街はなにかと、世間の話題に事欠きませんから。ですが都市を管理する立場である蒼天機関(ガルディアン)からしてみれば、これほど迷惑な話はありません。以降、機関は外部へ都市の機密情報が漏れるのを恐れ、密入都者を徹底的に防ぐ意味を込めて、その指輪型端末機を開発したのです》


 アルファ17の話を聞きながら、琴美は、右手指で挟むように指輪を摘まみ上げ、興味深そうに眺めた。真鍮製リングに埋め込まれた極小の貴石に陽光を浴びせてみると、結晶内部で面白いくらいに光が反射を繰り返し、眩い輝きを放った。


《お分かり頂きたい。我々は何も、貴方が都市でスパイ活動をするだとか、そうしたことをでっちあげようとしているのではないのです。ただ、『人を見たら盗人と思え』という言葉があるように、機関は都市の安全と平穏を維持するために、常に周囲に目を光らせて置かなければならない》


「……なんとなくですが、分かりました。要するに、その危険区域とかいう場所に立ち入らなければいいんですね?」


《その通りです。もし万が一危険区域に立ち寄る事があったら、貴方の位置情報を割り出した蒼天機関(ガルディアン)の機関員が直ぐに駆けつけ、獅子原様の身柄を保護させて頂きます。それ以外でも、例えば蒼天機関(ガルディアン)の許可無くして重要機密施設へ無断で侵入した場合にも、同様の措置を取らせて頂きます。それらの所在は、先ほど申し上げましたガイドブックに記載されていますので、お目を通して下さい》


 琴美は、苦笑を漏らして言った。


「大丈夫ですよ。私、そんな怪しい事をする為にこの街に来たわけじゃないですから」


《そうなると、観光目的ですか? 宜しければ、今オススメの観光スポットを幾つかご紹介致しますが》


「いえ、観光じゃありません」


《では何をしに?》


 さて、何と口にして良いものか。顎に左手の人差し指を当てて暫し考えた後、琴美は自分自身へ言い聞かせるように、その一言を口にした。


「父がこの都市で何をしていたのか、それを調べに来たんです」


 琴美は、何かの儀式に臨むかのように、ゆっくりとした仕草で右手の薬指に指輪を当てがえた。それは恐ろしいほど、少女の細い指にぴったりと嵌った。


 黒く巨大な『虎ノ門』が、重みある軋音を鳴らした。ルールに則った重みがあった。扉はゆっくりと、琴美を快く迎え入れるかの様に左右へ開闢した。


 唾を飲み込み、少女は静かに一歩を踏み出した。この扉の向こうで、一体どんな世界が自分を待ち受けているのだろうかと考え、己の想像力が乏しい事を思い知った。とにかく何をどうしてでも、父に関する記録の全てを掴めればよいのだと、その一点だけに決意を絞ることにした。


 都市に向けて足を一歩踏み出した瞬間だった。琴美はさっそく、意外な形で熱烈な歓迎を受けることになった。


「え?」


 大地がうねり、轟音が辺りに響き渡る。揺らめくほどの地鳴りと共に、足元の地面が急激に盛り上がった。驚きで声を出すよりも先に、琴美の体は宙へ浮いていた。それまで地蔵の様に突っ立っていた機関員の一人が、いつまにか琴美を抱え上げ、後方へ飛び退ったのだ。


「ひっ……!」


 地面を突き破り、襲いかかってきたモノ。それを目にしてしまった瞬間、琴美の顔が恐怖で引きつった。反射的に目を背けた。琴美の足元から唐突に姿を見せたそれは、一つ一つが巨木程の太さを持つ、黄銅色の触手群だった。まるでイソギンチャクのように、触手の一本一本が重力に逆らい、意思を持って蠢き、美味なる獲物を求めてうじゃうじゃとウネっている。


 触手の先端部分には切れ目が入り、そこから黄色く濁った白色の溶解液が涎のように垂れていた。溶解液の雫が地面に落ち、揮発。周囲に強烈な臭いが広がる。


《獅子原様!》


 アルファ17が脳表皮を赤く点滅させながら、慌てた声を出して琴美へ駆け寄る。その手にはいつの間にか、特殊合成繊維製のハンカチが握られていた。


《これで鼻と口を押さえてください。あの臭いを常人が嗅いだら、脳内神経が破壊されてしまいます》


「は、はい……」


《絶対に、マスクを鼻から離さないでくださいね。ナンバー01、02、03、妖貴(ヨーキ)を処分なさい》


「承りました」


 アルファ17の指令に従い、残る三人の機関員が颯爽と肩から支援火器たる長銃を降ろし、狙いをつけて発砲。三方向から連射された弾頭が、触手の群れを正確に撃ち抜いていく。


 飛び散る黄色い血が揮発するも、機関員が中毒症状を起こすことはなかった。機関の特殊な訓練法を受けている彼らは、十分間だけなら無呼吸状態での活動が可能なのだ。


 触手の動きが激しくなる。怒り狂っている。ビキバキと先端付近が剛直状態に入り、赤黒く変色。葉脈のように筋を浮き立たせて、攻撃態勢へ入る。


 が、そこで一人の機関員が動いた。回り込んで地面の付近、丁度、触手群を束ねていると思しき核へ狙いを定めて、特殊調合した薔薇色の弾丸――アンチエレクト弾を打ち込む。


 道徳遵守の真言(マントラ)が圧縮封入された弾丸は核内で炸裂すると、聖なる呪言を触手全体へ行き届かせた。


 その途端、触手の動きが変調。呪いによって女犯興奮指数(リビドー)が最低値にまで低下した事で、触手群の細胞が壊死を起こし、痙攣を起こしたかのように引き攣りを起こした。そうやっているうちに力を無くし、土煙を舞い上がらせて地面に倒れたっきりで、ピクリとも動かなくなった。


 あっという間の出来事だった。呆然とする琴美を尻目に、機関員の一人がアルファ17へ駆け寄り、報告。


妖触樹(テンタクレイ)、タイプ《妖貴(ヨーキ)》の鎮圧を完了いたしました」


《これで今月に入ってから五十二体目ですか。やれやれ、異様に数が多いですねぇ。何か悪いことが起こる前触れでなければ良いのですが》


「都市の深仙脈(レイライン)に、何らかの異常事態が発生しているとでも?」


《あるいは、これから異常が起こるのかもしれません。それをいち早く察知して、地中から脱出したというのも考えられます》


「恐れながら、あの少女に引き寄せられて、という可能性もありませんかね」


 機関員は、琴美には聞こえぬほどの小声でアルファ17に囁いた。地中に潜む妖触樹(テンタクレイ)の中でも、妖貴(ヨーキ)は女好きで有名だ。これまで、都市に住んでいた数多くの美少女や美熟女が喰われてしまっている。それを鑑みれば、機関員の発言にも一理ある。


 だが、アルファ17は明確に否定した。


《どうにもそれが理由だとは思えません。何か、とてつもなく大きな力が動き出そうとしているような気がします。まぁ、何れにせよご苦労様です》


「はッ! それで、いかがいたしましょう」


 機関員は、目の前に横たわる巨大な触手へ視線を動かし、言った。


《いつも通り、防腐剤で処理した後、三等分して下さい。配給先は、食品会社と医療機関、それに全工学開発局(サルヴァニア)でお願いします》


「了解しました」


 機関員は早速『仕事』へ取り掛かった。四人がかりで触手群を地面から引っこ抜き、連絡を受けて『虎ノ門』から入ってきた巨大な業務用搬入車に、うんしょうんしょと唸りながら、触手の亡骸を詰め込んでいく。


 ふと、アルファ17は背後を振り返った。よろよろと立ち上がり、業務用搬入車に載せられる触手になるべく視線を合わせないように俯いている琴美に向かい、優しく声を掛ける。


《ご心配ございません。幻幽都市では、よくある光景ですからね》


 脳が、またもや点滅を繰り返した。

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