エピローグ
「あああああああああああああんんもおおおおおおおおお!」
フレンドリア城下町のバーで、栗毛の女性が瓶入りの果実酒を一気に呷り、絶叫した。
もっとも、彼女こと“セアラ”は酒の味こそわかるもののアルコールが全く効かない体であり、酔っているわけではない。
ただ雰囲気がそうさせているだけだ。
彼女の向かいに座っているのは、地味だが高級な素材の服で身を包み、見事な剣を携えた見るからに堅気ではない強面の中年男性。
名をノーマンという彼は城下町外周、南西地区の顔役であり、“セアラ”の知人……というか部下である。
「セアラさん、最近どうされたので……」
「どうってね、なかなか言いにくいわ、ともかくノーマンにゃ一生わからないことよ」
「誰かに振られでもしたんですかい」
「あなた、それ、わかんないどころかしょっちゅう恋破れてるじゃないの。
はあ、そんな事だったらどんなにいいかしらね……」
冗談を完全にかわされ、かける言葉が無くなったノーマンが難しい顔で料理に手をつける。
“セアラ”はため息を付きつつ、“ちらりとバーの壁を見て顔をしかめた。
そこには、大きな額縁に収められた絵がかけられている。
“フレンドリア守護アバター”あるいは単に“幼女”と呼ばれるその絵のモチーフは、ここ一年で急速に広まったものだ。
およそ人のものと思えないほど美しいプラチナブロンドの髪に、サファイア色のオーラを纏った六、あるいは七歳の少女として描かれ、ときに氷の剣を担いでいたり、巨大な女人像の肩に乗っていたりする。
……つまりセレストの姿であり、人気モチーフになった原因は当然、例の戦争だ。
絵だけならばまだいい。
城前には、嫌になるほど精密な巨大銅像が立っている。
守護竜の瞳を通して顛末を見ていたフレンドリア王クレメンタイン二世と、宮廷魔道士たちが手掛けたものだ。
像も絵も、フレンドリアでおよそ人が住んでいる場所ならどこでもあり、一体どういう理由でか想像もつかないが、セレストに色々と潰されたはずのサーディアンにすら存在が認められる。
何と言うべきか、恥辱は恥辱だが過去に責め苛まれるというほどでもなく、実にくだらない。
くだらないのだが、それゆえに立ち向かう気概が全く湧かない。
仮にこれがセレストの生活を直接脅かすものであったなら、彼女は国を敵にしてでもすぐに解決したであろう。
そういうものなのだ。
彼女のストレスは、リッチの精神攻撃耐性をもってしても限界に達していた。
「決めたわ、退職して引っ越す。
文句いう奴は一匹残らず消してやる」
「おい、ちょっと、何言ってんですかセアラさん?!」
「うるさい、ノーマンあなたも明日から自由よ、よかったわね。
今までの分のお礼あげるわよ、金一封」
「はあ……」
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フレンドリア王国の港は、城下町から少々離れたところにある。
もっとも、フレンドリアにしろサーディアンにしろこの大陸は他からかなり離れており、それほど不足しがちな資材もなければ、逆に輸出するほど各種資源に余裕があるわけでもないため海を越えての交易は活発でない。
船はほとんどが漁船であり、たまに来る長期航行用に魔力強化を受けた貿易船の積み荷はほとんどが嗜好品か、あるいは単に補給が目的だ。
「のう、セレストよ、考え直す気はないのか」
サーディアン装束に身を包んだリッチモンドが、数度目かになる説得を試みる。
視線の先にはフード付きローブに身を包んだ二つの人影。
「ないわ高祖父様、わたしとスナッチは新天地に安息を求めるの。
ここ一年で賞金首の気持ちが、心の底から理解できたわ。
それに、一通り因果の整理も終わったしね、あの絵以外……」
「リッチモンド先生もさ、国中に自分の銅像や絵が晒されたらきっとわかるぜ」
「わしは元々魔法研究で有名だからな、その感覚が理解できんぞ。
なんにしろ、たまには顔を見せに来てほしいものだ」
「そのために連絡用マーカーとして、リンちゃんを切り離して置いていくんでしょ。
あっちで落ち着いたら念話飛ばすわよ、距離によっては転移もできるし。
そういうことだからさ、あの貿易船に乗るわ。
今逃したらまた半月ぐらいは待たなきゃいけない」
「そうか、そこまで言うなら止めんが、何故船なのだ……飛んだ方が百倍は早かろうに。
しかも密航で」
リッチモンドが肩をすくめる。
「単に道がわかんないのよ。
とりあえずは知的生物のいる場所に行きたいじゃない?
まあわたしは永久機関だし、将来的には空に飛び出して別の星とか、スナッチたちの故郷、帳の向こうとかを狙うのもいいかもだけれど。
……うん、高祖父様今までお世話になりました。
じゃあ、行ってきます」
言うが早いか人影の片方がローブごと輪郭が歪んでゆき、青い小鳥の姿に変化した。
この時期ならどこにでもいるありふれた渡り鳥だ。
もう片方の大柄な影、つまりスナッチの姿はじわじわと薄まっていく。
彼はとうとう変化魔法を完全に覚えることはできなかったが、かわりに身体の色を変化させる能力を得た。
珍しいタイプの悪魔である彼の翼は元々透明であり、それに色を合わせればよほど注意しないと見えなくなるのだ。
「俺も行くよ、リッチモンド先生」
完全に透き通ったスナッチも別れを告げる。
彼はセレストと異なり、特に今のフレンドリアとサーディアンに不満があるわけではない。
だが、スナッチの安住の地とはすなわちセレストが居る場所なので、ついて行かないということは有り得なかった。
二人の気配が完全に消えるのを待ち、ぽつりとリッチモンドが呟く。
「さらばだ、我が生前の末裔にして最高傑作」
セレストとスナッチが乗り込んだと思しき貿易船を見つめて感傷に浸るリッチモンドに、もはや慣れ親しんだ、しかし不快な声がかけられた。
肉体の同居人であり、敵でも味方でもあるセヴァンだ。
「リッチモンド、お前はリッチモンド式魂魄格納型強化精神不滅体にはならんのか。
奴の、セレストの元の魔力容量がどれほどだったかは知らんが、この肉体でも魔力的には足りておるだろう、既に人の領域ではないのだぞ。
それに、お前の話を聞く限りリッチの製造には骨、魂、今わの際の魔力があればいいのだろう?
そうなれば俺の肉体も戻ってくる、多相生物の神髄は骨ではなく肉にあるからな、フハハハ!」
「……わからん」
「は?」
いまだ船を見続けているリッチモンドが、悔しそうに吐き捨てた。
背中から生えたセヴァンが気の抜けた声を上げる。
「わしは、完全なリッチモンド本人ではなく、あくまで分霊なのだ。
そして、老リッチモンドが最後にわしに複写した記憶に、リンガーリング本来の魔力回路情報は含まれておらぬ。
奴はその部分、最も重要な部分のみは墓の中に持っていきやがった。
今のリンガーリングは優秀なミニオンではあるだが、所詮抜け殻なのだ。
わしがリッチモンド式魂魄格納型強化精神不滅体の生成方法を知ることは不可能。
わしは確かに天才だ、大抵の奴が認めるであろう。
だが、本物には及ばぬ、よってわしは何物でもない……永久に」
「くだらん」
「なんだとセヴァン、負け犬の分際で」
「定命の精神を脱却できないクズだと言っている。
自分が何者か、などと、そんなことは多相生物の初歩の初歩ではないか。
自我が足りんのだ、なに貴様なら十年もあれば理解できよう。
それにだ、リッチの製法を作り出したのは確かに生きたリッチモンドかもしれん。
だが、素のリッチは、魂をただ一つの霊気抽出機に込めたリッチは、決して究極の仮想生物などではない。
正直、多相生物の方が、俺の方が優秀な存在だと言い切れる。
生きたリッチモンドの功績ならば、影の魔法を含めた魔法体系の方が何倍も重要な発明だ。
あの怪物、“セレスト”の強さと究極性に、生きたリッチモンドは関係無い。
何故貴様は研究を怠った」
「う……む……まあ、そうなのかもしれん。
何にしろ、その辺はサーディアンが完全に安定してからの課題だ。
……さて、戻るか」
「ふん、まともな顔になったな」
「黙れ、いや、すまん」
気を取り直したリッチモンドが空中に門転移の魔法回路を描く。
長距離転移に備えて硬質化した身体が、光の粒となって消え去った。
たぶん別の大陸で暴れて新しい国でも作ってると思います。




