96 園島西高校文化祭:夢の時間
いったい何を話せばいいのか、華苗にはわからなかった。
今この席についているのは、自分と柊の二人しかいない。お互いに向き合うように座っていて、既に注文も済ませている。というか、ここではガトーショコラしか取り扱っていない。だからもう、あとはその時が来るまでゆったりとおしゃべりを楽しむだけでいいはずだ。
そう、それだけのことだ。そして華苗は、何よりもそれを楽しみにしていた。この、なんとなく特別な雰囲気の中で柊とおしゃべりすることを心から渇望していた。いいや、そうでなくとも柊と心行くまでお話したくて、聞きたいことや聞いてほしいことなんてそれこそ山のようにある。
だというのに。
「……」
「……」
何も、口から言葉が出て来ない。何かを言おうとするたびに、喉の奥でそれが閊えてしまう。焦って次の言葉を探せば探すほど、余計にそうなって、結果として長い沈黙がこの机に降りることとなっている。
そしてそれは、柊も同じだった。
「あの……華苗ちゃん……」
「なっ、なぁに?」
「あ……その、注文したやつくるの、まだかな」
「ど、どうだろうね……?」
そこでまた、会話が途切れる。柊が必死になって次の話題を探そうとしているのが、華苗にはありありとわかった。
辺りには同じように、ガトーショコラが運ばれてくるのを楽しそうに待っている人たちがいる。その大半が華苗たちと同じように男女ペアで、何も知らない人が見ても「そういうこと」だと解ってしまう独特のオーラを放っていた。お互いに妙に照れて恥ずかしそうに……それでいてあんなにも幸福そうな顔を、華苗は他に見たことが無い。
ともすれば、美味しそうにガトーショコラを食べるあの人達よりも幸せそうな顔なのではないか……と、そんな風に思えてしまえさえもする。
──そう言えば、克哉くんは知っているのかな。
なんとなく華苗の中に浮かんだそんな疑問。この超激レアでめちゃくちゃに美味しいガトーショコラを想い人と一緒に食すと、その恋が成就するというロマンチックな噂。三十年以上も引き継がれたガトーショコラだけにその信憑性もなかなかのもので、その噂がガトーショコラの人気に余計に火をつけていると言っても過言ではない。現に、文化祭の裏では何人もの人間がどうにかしてその優待券を入手せんと動いているともいう。
つまり、柊が知っていてもおかしくない。
「……」
知っていたとして。
もし、知っていたとして。
知っていて──一緒にこの席に着く意味が、解らない柊ではない。
「……っ!!」
「か、華苗ちゃん? どしたの、そんなそわそわして……」
「な、なんでもないっ! ちょ、ちょっとガトーショコラが楽しみなだけっ!」
「もしも」のことを考えて、華苗はたちまち真っ赤になった。これほどまでに相手と自分が同じ気持ちであったらいいと思ったことはない。自分が誘った意味を知ってほしくもあるし、知らないでほしくもある。この、焦燥にもスリルにも似たドキドキする気持ちに、華苗はまだ名前を付けることが出来ない。
ちなみに。
傍から見れば、何をいまさら──と吐き捨てられる案件であった。ガトーショコラのお誘いが無くても華苗が柊のことを好きなのは火を見るよりも明らかだ。そもそもその手の類の経験値がまるでない華苗は、駆け引きと言うものを知らない分感情がダダ洩れなのである。
そして柊も、華苗が「勘違い」してしまう程度には「そう」であった。いくら男子高校生とはいえ……いや、だからこそ、全く好意のない相手に学ランを貸したりしないし、内緒でこっそり一緒に文化祭を巡ろうなどと持ち掛けたりはしない。こうして一緒に文化祭を楽しんでいる時点で、既に勝負は八割方「勝ち」であることは間違いない。
つまるところ、何を言いたいかと言えば。
──微笑ましいなぁ。
──私たちも、昔はあんな感じだったっけ……。
──あんな小さな子も、立派な女の子ってわけか。……なんかショックだ。
華苗たちにとっては焦りの元であるこの沈黙も、それを見守る第三者から見れば実に実に微笑ましいということだ。単純に、華苗たちにはまだこの沈黙を楽しめるほどの余裕と経験値が無いというだけの話である。
「あーもう……これが公の場じゃなかったら、今すぐにでもぎゅ! ってしてたのにぃ……!」
「あ」
華苗たちの沈黙を破ったのは、メイド服姿の双葉であった。お菓子部の部長だからか、他の人のそれと比べてちょっぴり装飾が多めである。さしずめメイド長のコスプレと言ったところか。
「はいはい、お待たせしました! この園島西高校に代々伝わる……【Petit bonheur】の《ガトーショコラ》!」
そんな双葉が華苗たちの目の前に置いたのは、それはもう立派なガトーショコラであった。ずっと見ていると引き込まれそうな深いチョコレート色に、新雪のパウダースノーのように真っ白な砂糖。三角形のオーソドックスなシンプル過ぎる形のそれは、たったそれだけで芸術品のような完成度を見せつけている。
「わぁ……!」
なにより、いつもと違って……いいや、いつも以上にオシャレだ。お皿は調理室にあるいつものやつじゃなく、本当に喫茶店で使われている様な綺麗な縁取りのそれだし、小さなフォークも持ち手の所に豪華で上品な装飾が施されている。超有名店からお皿ごとここに持ってきたと言われても、華苗は全く疑わなかったことだろう。
お皿の上には、彩のためかブルベリーとラズベリー、そしてストロベリーが数粒ずつ置かれている。本来なら主役級であるそれらは、しかし今日に限って言えばガトーショコラの引き立て役に過ぎない。
「お、思った以上に本格的だね……。僕、こういうちゃんとしたやつ初めて食べるかも」
「実は私も……」
少し前まで、華苗は中学生……義務教育を受ける側であったのだ。そんな子供が喫茶店なんてお洒落な場所に行けるはずもない。金銭的な面はもちろんとして、なんというかそういう場所は子供が行っていい雰囲気ではない。
無論、ケーキの類を食べたことが無いわけじゃあない。一般的な家庭の例に漏れず、誕生日やクリスマスの日は八島家でもケーキが出る。手作りだったり買ってきたものだったりその時によってまちまちだが、ともかくそれは紛れもない事実だ。
だがしかし、こうもちゃんとしたケーキを、こうもそれらしい場所で食べるのは華苗にとっては全く未知の、初めての経験であった。
そうまるでこれは……喫茶店でデートしている、オトナな高校生のようである。
「んっふっふ! お褒めにあずかり光栄です! ……じゃ、ごゆっくりと幸せなひと時を楽しんでね」
馬に蹴られるようなヤボな真似はしたくないからね、と双葉は口の中で呟き、そして意味ありげに華苗の肩を優しく叩いて去っていく。あとに残ったのは、美味しいガトーショコラが二つと華苗と柊だけである。
「え、っと……」
こういう時、どうするのが正しい作法なのか華苗にはわからない。まずはひとしきりガトーショコラの見た目についての感想を言えばいいのか。それともこう、向こうが何か言ってくるまで待つべきなのか。普通に流れで食べてしまうのはなんか違う気もするし、かといってあまりに気取ったことをするのもよろしくないような気がする。
さっきまで同じようにいろいろと飲み食いしてきたはずなのに、どうしてこうも緊張してしまうのか。お祭りを巡っているのではなく、喫茶店に二人でいるからか。それともこの場の雰囲気か……あるいは、この伝説のガトーショコラが醸し出す空気そのものか。
この時ほど、華苗は自身に経験がないことを呪ったことは無い。恋愛漫画やデート指南の雑誌の記事なんてまるで当てにならない。これならまだ、「デートは基本的に相手がリードしてくれるから、自然にそれに応えるだけでいいんだよ!」……などという、頭の中がお花畑なおかあさんの実体験の方がはるかに現実的なことだろう。
そして幸か不幸か、柊にはある程度の良識があった。結果として、役に立ったのは特殊事例過ぎて役に立たないだろうと思われていた、おかあさんのアドバイスに他ならなかった。
「しゃ、写真でも撮る?」
「う、うんっ!」
思わず出てきた助け舟。変に気取っているわけでもなければ、子供っぽい感じでもない。むしろ本当に喫茶店にいる大人なような感じがして、この場の行動として限りなくベター。
頭の中でウィンクするおかあさんに心からの感謝を送り、そして華苗はケータイのカメラを構えた。
「……あの」
「どうしたの、克哉くん」
──華苗は母のことを頭がお花畑のふわふわした天然タイプだと思っているが、それはちょっと違う。
血の成せる業か、それとも状況がそうさせるのか。ふわふわしたぽんこつなのは、無意識に欲望に忠実に行動してしまった華苗もまた同じであった。
「僕じゃなくて、ケーキの写真って意味だったんだけど……」
「あ゛」
そんなこと言われても、もう遅い。すでにパシャリとシャッターは切られた。画面の中央には困ったように笑う柊がいて、華苗はそれしか目に入っていない。お洒落なガトーショコラは下の方にそっと添えられるように謙虚に写っているだけで、その主役はどう見たって柊だ。
「ご、ごめんね!」
「や、僕は別にいいんだけど……。その、偏見かもだけど女子ってこういうおしゃれなケーキとか、写真に撮っているイメージがあったから」
「うーん、人によるかな? よっちゃんはすぐに目を輝かせて食べるタイプだし、史香ちゃんは……後で自分の勉強になるからって撮っているかも」
「あはは、確かにそんなイメージあるね。華苗ちゃんは?」
「私は……」
正直、そんなの気にしたことが無い。撮ったことが無いわけじゃないが、別に深い意味もこだわりもない。なんとなくみんなが撮っているからついでに撮ってやろう、あとでおかあさんに見せて焚きつけて、あわよくばご相伴にあずかろう……とか、それくらいの認識だ。
でも、今は。
パシャリ、と華苗はもう三回ほどシャッターを切る。それぞれ角度を変えて、じっくりと味わうように。
「──思い出に残すために、撮ってるかも」
「なるほど」
ガトーショコラと、ガトーショコラと一緒に映っている柊と、そして柊一人が写っているそれ。
なんて事の無いはずのその行為がどうしてこうも大切で愛おしく思えるのか、今の華苗にはわからない。たかだがお菓子の写真一枚がどうしてこうも大事に思えるのか、言葉で説明することが出来ない。
ただ、それは──きっと華苗にとって必要なことで、人生の宝物になるという確信だけがあった。
「後で僕にも送ってくれる?」
「う……い、いいよっ!」
ガトーショコラの写真だけね、と華苗は心の中だけで呟く。なんだか、まともに柊の顔を見ることが出来なかったのだ。
「んん……さて、そろそろ食べようか」
す、と柊がフォークを片手に持つ。慌てて華苗もケータイをぽっけに戻して、そして同じようにフォークを手に取った。
「おお……なんだろう、すごくふんわりしているのにどっしりと重い」
なるほどたしかに、と華苗は思った。一口分を切り取ってみれば、その手ごたえはこの類のお菓子にしてはかなり重いのに、見た目も質感もふんわりしていて優しい感じがする。相反するはずの二つの特性が両立していて、本当に夢でも見ているかのような気持ちだ。
何よりすごいのは、フォークを入れた瞬間に甘やかでありながらもその奥にちょっぴりのほろ苦さを持つ香りが爆発したことだろう。それは華苗たちの鼻孔を優しくくすぐって、胸の中をこれから起きることの期待とワクワクでいっぱいにさせた。
「いただきます」
──恋人らしく食べさせあいっことか、できるのかな。
そんな妄想をしながら、華苗はそれを口に入れた。
「……わ、あ」
「これは……!」
華苗の妄想をあっという間に吹っ飛ばすほどの衝撃。文字通り、この瞬間華苗はすべてのことを忘れてしまった。
濃厚な、とにかく深くてどこまでも奥行きがあるチョコレートの味が舌の上で弾ける。これでもかとチョコレートの甘さを凝縮したそれが、一切の加減なく口の中に広がっていく。
味が濃い、なんてものじゃない。甘いというよりもむしろ、「チョコレート」という概念そのものが舌に刻み込まれたかのようだ。たった一口食べただけで、頭の先から足のつま先までチョコレートが広がったような心持ちである。
食感は、間違いなくどっしりとした食べ応えのあるものだ。一口一口に重みがあって、その存在感が凄まじい。ああ、食べているんだという実感でいっぱいで、それがそのまま幸福感に直結している。
だというのに。
「ふわあ……!」
口溶けはしっとりと滑らかで、ゆったりととろけるように舌の上で消えていく。甘い幸せと言う強烈な印象をはっきりと残すのに、その実態は霞のように消え去っていく。あれほど濃厚で重厚な味わいのはずなのに、どうしてこんなにも儚い食感が両立できるのか、華苗は不思議でならなかった。
「美味しい……! これ、すごく美味しいな……!」
すっかり夢中になった柊が、思わずと言った様子で口にする。子供のように目をキラキラと輝かせるその姿を見て、なんだか華苗の方もほっこりとした気分になってきた。
「すごいな……! ふんわりしているのにどっしりしていて、すごく強烈に甘いのに次の一口が止められない……!」
生地はたぶん、しっとりしているのだろう。直接口で味わったからこそわかるが、フォークのこの手ごたえはそのしっとり感を表している。硬めの溶けたチョコレートのようなこの感じは、他のケーキではとても表現できないものだ。
なのにどうしてか、印象としてふわふわしているようにも思える。一瞬パウダーシュガーの見た目のせいかとも思ったが、フォークをぐっと押し付けた時にガトーショコラが沈み込むさまは、間違いなくふわふわしているケーキのそれだ。
「……!」
お皿に添えられていたブルーベリーを、華苗は口に放り込んだ。
幸せな甘さでいっぱいの口の中の世界に、爽やかでさっぱりした新たなる甘酸っぱさがやってくる。濃厚なチョコレートの余韻がより際立ち、同時にまた、ブルーベリーの風味がこれ以上に無いものとなって華苗の口に広がった。
「美味しい……! 本当に、本当に美味しい……!」
一口食べた時も、それが終わってしまった後も。味も、香りも、食感も……最後の余韻でさえ。いったいどうして、目の前のこの小さな三角形はこうも人を幸せにできるのか。お菓子が持つ人を幸せにする力を、華苗は今この瞬間になって改めて思い知らされることになった。
何より嬉しいのが。
「……ふふっ」
「……ん? どうかした?」
「んーん、なんでも!」
この素敵な時間を、大事な人と一緒に過ごせていることだろう。この素晴らしい体験を、二人で共有できていることだろう。きっとたった一人でこのガトーショコラを食べていたら、ここまで感動することは無かったはずだ。
「正直、まさかここまでのレベルだとは思ってなかったや……なんか、新しい扉を開きそう」
「男子ってあんまりケーキとか食べているイメージないもんね。もっとこう、ガッツリ食べているような」
「概ねその認識であってるよ。……その、ケーキってお値段の割には小さいというか、男子高校生的にボリュームが……」
「あー……」
「でも、ちょっと僕本当にケーキが好きになったかも。……そう言えばこの前、田所がケーキ食べ放題のバイキングについて教えてくれたような」
「いいね、今度一緒に行く? たぶん、それ私も知っている所かも」
「喜んで」
なんとなく、華苗はこの園島西高校文化祭……ガーデンパーティにまつわるガトーショコラの伝説について、その真相がわかった気がした。
きっと、このガトーショコラはあくまできっかけに過ぎないのだ。こんなにも甘くておいしいガトーショコラを食べれば、きっとどんなに機嫌の悪い人でもたちまちのうちに笑顔になるだろう。胸の中に幸せがいっぱいに広がって、ほっぺがにこにことなるのを抑えきれなくなるだろう。
こんなに素晴らしい気分なら、きっと会話も弾む。嬉しくて楽しい気持ちがどんどん溢れて、その気持ちは周りに伝播し、響きあう。共有した思いに触れることで、それが二人の始まりと、かけがえのない大切な思い出になるのだ。
そう、このガトーショコラは。
甘いお菓子としての特別な魔法を持っていて、そしてそれはほんのささやかで誰もが見逃している大事なことに気づかせてくれるだけなのだ。それが少々、大袈裟な噂になっているだけなのだ。
「……ね、克哉くん」
「どうしたの、華苗ちゃん」
ガトーショコラをぱくりと一口。今この瞬間に出せる最高の笑顔で、華苗は言った。
「来年も……一緒にここのガトーショコラを食べよう?」
それに対する、柊の答えは。
「──もちろん。今度は僕から、誘わせて」
華苗と同じくらいの、極上の優しい笑顔だった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「ふう……なんだかあっという間だったね。……いや、すごく長くも感じたような」
「うん、不思議な感覚……美味しいお菓子って、本当に魔法みたい」
楽しい時間もやがては終わりを告げる。お皿の上で輝いていたガトーショコラは、その最後の一口が華苗のおなかの中に収められたところだ。
園島西規格の普通のそれに比べてはるかに大きい……なんてことはなく、華苗のおなかにはまだまだ余裕があるほどの大きさのガトーショコラだったが、不思議と満足感でいっぱいだ。あの味わいを再び楽しみたいと思いつつも、これ以上は蛇足だ、今はこの余韻を味わうべきだ……と静かに語る自分もいる。今まで何度もお菓子部のお零れにあずかっていろんなお菓子を食べてきた華苗だったが、これはちょっと初めての経験であった。
「例年一位を取るって話も、納得しちゃうな……」
「うん、でも……私はこのガトーショコラを食べられて、本当に良かったって思ってる」
「あはは、それはもちろん、僕だって」
柊も華苗も、言葉にできない満足感と幸福感に包まれていた。やったことは二人で一緒に美味しいガトーショコラを食べただけ……デートとしてはありきたり過ぎるもので、今となっては別に取り立てて特別なことでもなんでもない。極端に言えば、お昼に机を突き合わせて一緒にお弁当を食べるのとほとんど変わらないと言っていいだろう。
だというのに、華苗の中には……おそらく柊の中にも、言葉にできない新たな気持ちが湧いている。少し前に二人で夏祭りを巡った後のような、特別なそれが確かに心の中にある。それを上手く言葉にすることは難しいが、とても素晴らしいものであることは間違いない。
そして、唐突にその瞬間は訪れた。
《ご来場された皆様へお知らせです。ただいまを持ちまして、園島西高校文化祭、二日目の一般公開を終了いたします。お帰りになるお客様は、金券所で余った金券の清算を忘れずに行ってください。金券の清算は本日のみとなり、後日の対応はいたしかねますことをご留意ください──》
特徴的なメロディが後者に響き、園島西高校文化祭が終了する旨のアナウンスが流れる。内容としては主に来校者に向けたそれで、これから規定時間以内に退場を促すものであった。
「あ……そっか、もうそんな時間か。……文化祭、終わっちゃったね」
少し名残惜しそうに……寂しそうにも見える表情で華苗はつぶやく。何かといろいろ濃密な二日間であり、楽しい思い出を作れたことは間違いないのだが……全力ですべてを楽しめたかと言うと、それもまたちょっと違う。
自分のお店はもっと調理やウェイトレスとして携わりたかった。よく考えればウェイトレスの仕事をまともにやった記憶はないし、二日目の外の竈に関してはほとんど関与していない。最初にコツや注意点を教えた記憶はあるが、それよりもむしろ食材の提供のために動いていた印象の方が強いような気もする。
そして、他のお店も全部回れたわけじゃない。自由時間はなんだかんだで二日目の午後からで、それでこの園島西高校の校舎を全て回れるわけがない。各クラス自慢の出し物を網羅していないうえに、体育館のステージイベントも普通にいくつか見逃している。近しい身内がいるところだけは何とか回りきれたはずだが、しかしそれだけで満足するような園島西高校生は一人もいないだろう。
「……もっと、ずーっと文化祭が続けばいいのに。私、まだ全然満足してない」
「それについては……うん、僕も同感。……あはは、文化祭がこんなにも楽しいって知らなかったよ。ウチの中学校でもやってればよかったのに……いや」
「どうしたの?」
「──きっと、こんなにも楽しくて名残惜しい気持ちになるのは、この学校で、このクラスのみんなで作った文化祭だから、なんだろうね。……今まで青春漫画でのこういう場面の描写、全然信じてなかったけど……今なら、それがわかる。むしろ、漫画やドラマよりももっとすごいんだなって実感してる」
「克哉くん……」
少々クサいことを言った自覚があったのだろうか。柊は照れくさそうに目を伏せた。
「あと、個人的にはさ」
「なになに?」
「……その、ちょっとはデートらしいことが……華苗ちゃんを楽しませることが出来たのかなって、それが心配」
「……もうっ!」
照れくささをごまかすように、赤くなった顔で華苗は微笑んだ。
「私、まだまだ全然満足していないっ! もっともっと、二人でいろんなお店を回りたいっ!」
「あはは、だよねえ……あんまり時間、なかったもんね」
「でも……」
嘘偽りのない、華苗の心からの本心。
「──すっごく、すっごく楽しかった! 克哉くんが誘ってくれて、今までに一番楽しかったっ!」
それ以上の言葉は要らない。いや、言いたくても言えない。華苗のウブな恋心ではこれが限界でも、もう柊の目を見ることがどう頑張ってもできない。顔は燃えるように熱いし、心臓はバグってしまったかと思うほどに激しく鼓動を打っている。
でも、華苗にはこれが堪らなく心地よかった。
《えー、次に園島西高生に向けてのおしらせです》
「……ん?」
来校者向けの帰りのアナウンスをしていたはずの放送。だというのに、さっきまでの雰囲気とガラッと変わって、なぜか園島西高校の生徒に向けての放送を始めだした。
──くどいようだが、華苗は基本的にぽんこつだ。ふわっとしたイメージのままこの園島西高校を受験し、部活で有名な園島西高校に生徒全員強制入部の決まりがあることを知らず、挙句園島西高校名物と言っていい島祭りのことさえも知らなかったという、受験生としての最低限の下調べもせずに入学したという完全に舐め切った態度の人間だ。
その華苗が、中学まではあまりイベントごとに積極的でなかった華苗が、この後のことを知っているはずも無かった。
《今から一時間ほど、休憩時間を設けます。この間に各クラス共に最低限の片づけを行ってください。並行して、各クラス代表は本部に終了報告を行い、また担当者は校内に一般来校者が残っていないかの確認をお願いいたします》
「あれ……克哉くん、片付けと閉会式は明日って話じゃなかった? パンフレットにも、文化祭はもうこの時間で終わりだって書いてあったような」
なんだか妙に周りがざわざわしている。華苗のように少々しんみりした名残惜しい空気の者なんて一人もいない。むしろこれからが本番だと言わんばかりに、さっきまでとは違う熱意と活力でみなぎっている。
「……もしかして華苗ちゃん、あんまりプリントの細かい所とか見ないタイプ?」
「う……実は、そうです」
柊は、くすりと笑った。
「確かに華苗ちゃんの言うとおりだね。園島西高校文化祭はこれでおしまい。あとは明日の閉会式での順位発表を残すのみだよ」
「だよね? でもなんだろう、どう見てもみんな……!」
「文化祭は終わりでも、今日と言う日は終わりじゃない。……お客様向けの文化祭は終わっても、僕たちの文化祭はまだ終わりじゃないってことだよ」
──そう言えば、このパンフレットは元々お客さん向けに作られているから、こっちについては小さくしか書かれていないんだよね。
そんなことを言いながら、柊は華苗が持ち出したパンフレットの一番最後……小さく小さく書かれたそこを指さした。
《休憩時間の後、校庭の特設ステージで……園島西高校文化祭:後夜祭を始めるぞ! ここからは完全に身内だけの無礼講! お前ら最後まで盛り上がっていこうぜええええ!》
──華苗たちの文化祭は、まだ終わらない。




