95 園島西高校文化祭:小さな幸せ
「我ながら……結構なボリュームだね……」
「だ、だね……」
ジャスミンの白い花が咲き乱れる、インドの秘跡──ではなく、華苗たちのクラス。文化祭を巡るうえである意味決定事項である、自分のクラスへの売り上げ貢献を、華苗と柊は多くの例に漏れることなく実行していた。
準備の段階から何度も見ている店内の内装だけれども、お客さんとして見てみると、なるほど、裏方としての目線とはまた違った目線で見ることができて、なんだか妙に新しい印象を受ける。自分たちを招き入れる白い花の海は本当に幻想的だし、目をつむれば甘い香りが鼻をくすぐって、まるで夢の中を揺蕩っているようだ。
花飾りを一生懸命作る小さな子や、明るく接客をしているクラスメイトの存在が無ければ、本当にそこが不思議な遺跡だと勘違いしてしまうことだろう。
だがしかし、ここが現実であると突き付けてくる──圧倒的なボリュームのナンのセットが、華苗たちの目の前にはあった。
「気のせいか、昨日よりもちょっと大きくないかな?」
「うーん……もしかしたら、外の石窯で焼いているから、そのせいでナンも膨らみやすくなった……とか? あるいは単純に、ベーキングパウダーのほうが膨らみやすいとか」
「そっか。作り方そのものも変えていたっけ」
その大きなナンには美味しそうな焼き目がついている。また、強く優しい香ばしい香りが華苗たちの体を抱きすくめるかのように満ちている。こちらは気のせいではなく確実に、昨日よりも強いものだ。おそらく、石窯焼き(?)にしたことで、その香りがより際立ったのだろう。
昨日とは違う。だがしかし、昨日よりも確実にクオリティは高い。華苗も柊も、そう断言することができた。
「じゃあ、さっそく……」
「ん」
大きなナンが二枚。カレーとミートコーンが一つずつ。食べ歩きをしてそれなりにおなか一杯になっていた二人は、それぞれ別のセットを頼み、はんぶんこすることで手を打った。そうでもしないと、この一枚を食べただけで動けなくなるほどおなか一杯になりかねない。
なお、つい先ほどまで嗜んでいたカチワリは今ここにはない。誰が何をどうやって処理したのかは、華苗たちのみが知っていることである。ついでに言えば、ここまでに来る道中、さらには二人で入店したその瞬間からいろんな意味で囃し立てられたので、二人とも意識的にそれを考えないようにしていた。
「美味しい……!」
ふわふわでもっちりした食感のナン。香ばしさの中にほんのわずかな特有の甘みがあって、これだけでもうずっと際限なく食べていられそうなくらいに美味しい。
その上さらにミートコーン。肉の旨味とトマトの風味、そしてアクセントのように効いてくるコーンの甘み。濃い目の味付けがナンと絶妙にマッチしていて、お互いがお互いを引き立てている。ピザソースのような見た目で、味も確かにそれに似ているのだが、しかし決してピザソースとは思えない深さとコクがそれにはあった。
指についてしまったそれを、ぺろっと華苗は舐める。
こんなにも美味しいものを、自分たちが……一介の高校生が作っただなんて、とても信じられない。もしかしたらここは本当に高級なレストランなのではないかと、華苗はそう思ってしまいそうになった。
「克哉くん、そっちのちょうだい」
「ん」
柊が頼んだドライカレーの攻略。スパイシーで容赦なくおなかの虫を刺激する香りが、華苗の鼻孔をくすぐった。香りだけで美味しいとわかってしまうから、反則もいいところだと華苗は思う。
「ほぉ……!」
「うーん、ミートコーンも美味しいね。カレーの後だからか、余計に甘く感じるや」
ドライカレーも文句なしに美味しい。ミートコーンの甘さとは違う、刺激的な味がなんともクセになる。玉ねぎの甘さ、ニンジンの甘さ、ジャガイモの味に肉のうまみ……と、複雑怪奇でいろんな味が常に見え隠れしているのに、しっかりと調和がとれているというからすごい。
なにより、やはり本物(?)であるカレーとナンの組み合わせ自体が最強だ。ともすれば辛すぎるきらいのあるドライカレーのその強さを、ナンがしっかりと受け止めている。これがあるからこそ、手が止まらない──いや、止められない。
「昨日ちょっと試食したんだけど……その時よりもナンが香ばしくなっているかも」
「ああ、やっぱり? 竈で焼いたからかな。……なんだろうね、このちょっぴりの煙の匂いっていうのかな。それがすごく本格的と言うか……なんか、ワクワクしてくるような」
「あは、それなんかわかる」
一口、二口、三口。気づけばどんどん手が進んでいて、あっという間に華苗の前からナンは無くなってしまっていた。楽しくおしゃべりもしていたはずなのに、どうしてあんなにも大きなものがこの短時間で消えてしまったのか、世の中は不思議なことでいっぱいである。
「どうしよう……ちょっと、物足りない……」
「同感。……でも、それくらいでちょうどいいんじゃないかな。他にもまだまだ、巡るところはあるわけだし」
「……だね!」
あまり自分のおみせでゆっくりしていられないのも事実。時間は有限で、あと数時間も残されていない。たったそれだけでこの文化祭の全てを楽しみつくすのは到底不可能だ。そうなると、足で稼いだうえでピンポイントで行きたいところを狙っていく必要がある。
「それに、結構混んでいるし……あんまり長居するのも良くないや。……調理の方、大丈夫かなあ」
「……」
「外での調理は問題ないみたいだけど……昨日と勝手は違うし、火加減だって難しいだろうし……。正直、今も結構カツカツなんじゃないかな……」
むぅ、と華苗はわかりやすく膨れた。
無論、それに柊があせらないはずがない。
「あ、あの? 華苗ちゃん?」
「……今は私と」
その続きとなる言葉を言う勇気は今の華苗にはない。だけれども、幸いなことに柊は察してくれた。
「あ……ご、ごめん」
「ん、よろしい」
そのことが堪らなくうれしくて、華苗もついつい笑顔になってしまう。普段よっちゃんたちと過ごしているときのものとはまた違う、特別な笑顔だ。それを見ることができたのは柊のほかに、近くに座っていた外部からのお客さんしかいない。
「克哉くんと会う前に、収穫ついでにちょっとだけ見たんだけど……普通に問題なさそうだったよ。おじいちゃんもいたし、他の人たちとも協力してたから」
「そっか。それなら安心だ」
がたりと席を立つ柊に合わせるように、華苗も席を立つ。真っ白のワンピースに汚れが無いことをしっかり確認し、さりげなく柊の横へと立った。
この空間に溢れるジャスミンの甘く神秘的な香り。白い花が目の前一杯に広がっている。そんな中、飛び切りの笑顔で佇む白ワンピースの少女は、ともすればジャスミンの花の妖精のように見えたかもしれない。
そんな妖精の少女は、手の甲をそっと隣に立つ彼の手の甲に触れさせる。一拍置いた後にやってきた温かく力強い感覚。この場にあるどのジャスミンよりも可愛らしくて大きな花が、満開となった。
「……行こうか」
「うん!」
「……教室の中でイチャつくの、止めてもらえませんかねえ?」
「あんなに小さかったウチのかなちゃんがこんなにも大胆になるなんて……!」
「「あ」」
文化祭の魔力に飲まれていた華苗も柊も気づいていなかった。
ここはインドの秘跡などではなく、華苗たちのお店──【はらぺこゆきちゃん! ~Nan・Cool・Nice!~】の中である。つまりは、周りには働いているクラスメイトがいるということに。
「柊ぃ、てめぇあとでいろいろ覚悟しとけよ?」
「華苗ちゃんも、詳しく聞かせてもらうからね!」
華苗と柊がダッシュで逃げ出したのは、語るまでも無い。
▲▽▲▽▲▽▲▽
そして──とうとう華苗たちはそこへやってきた。より正確には、華苗がさりげなくそこに行くように誘導した……と言ったほうが正しい。
「す、すごい行列だね」
校舎の角部屋(?)に当たるその教室。普段は確か、多目的教室として数学や地歴など、二手に分かれる授業で扱われているはずの場所だ。幸か不幸か華苗のクラスではこの教室を使う機会はないが、別のクラスの人がここで授業を受けている姿を華苗は何度か見ている。
そんな面白みのない教室に、びっくりするほどの行列ができていた。
──最後尾はこちらでーす! 通行の邪魔にならないようにお願いしまーす!
──抽選は一人一回となっています! また、いくらかお時間がかかることをご承知おきください!
──場合によっては途中で売り切れになってしまうこともございます! その場合も補償などはございませんのでご注意ください!
はるか彼方の方からそんな叫び声が聞こえる。どうやらこの行列はこちらの校舎だけに収まらず、反対側の校舎……渡り廊下のほうまで続いてしまっているらしい。華苗たちが今見ているこの時点ですでに折り返しがあるところを鑑みるに、少なく見積もっても百人以上は並んでいるということになるだろう。
一応、これでも時間制限をして行列緩和対策をした結果だというから恐ろしい。
「ここは……まぁ、間違いなくお菓子部だよね」
ちら、と柊はその教室を見た。
ロイヤルなイギリスか、フランスのパリか。白を基調としたいかにもお貴族様がひょっこり出てきそうな内装。外国のそういうお屋敷の一室を切り抜いてきたかのように、その教室の中は気品があふれている。
机も椅子も、エレガントですっきりした感じのものだ。ただし、新しくこしらえたようなものではなくて、気品と共に滲み出る年季と言うか、風格がある。長い時代を愛され用いられ続けたものにしか出せない、そんなオーラだ。
テーブルクロスは、当然のように白いレースである。飾り気のない蛍光灯が輝いているはずの天井には、何をどうやったのか小さなシャンデリアが設えられていた。止めとばかりに、普段はいくらかの皺と染みが目立つカーテンがかけられているはずのそこには、厚く、威厳のある真っ赤で金の飾りのついたカーテンがかけられている。
物語に出てくるお姫様や貴族が住んでいそうなそのお部屋。本の中でしか見られないような光景。もし、華苗が世界史、あるいは建築史に詳しかったら、その部屋をロココ調の部屋だ……と、そう表現しただろう。
そんなロココ調の部屋に、メイド服姿の女の子たちがいる。いわゆる昨今のメイド喫茶に見られるようなそれじゃなくて、本当の仕事着として使われている、いうなれば機能美をとことんまで追求したものだ。昔の古いアニメに出てくる給仕のおばさんの服装と言ったほうが正しく伝わるかもしれない。
華苗にそっち方面の知識があれば、それをヴィクトリアンスタイルのメイド服だと形容することができただろう。
そんなロココ調全開でメイドも完備なお菓子部のこのお店。発足以来ガトーショコラ一本で四十年近く園島西高校ガーデンパーティの不動の一位の地位を築き続けているこのお店は、その名を【Petit bonheur】といった。
「噂には聞いていたけど……まさかこんなに並んでいるなんて」
その行列の長さは、いかにここのガトーショコラが美味しいのかを物語っている。行列には在校生はもちろん、OBと思われる人や近所のおじいさんおばあさん、小学生のグループまで……文字通り、老若男女が揃っている。どう見たって女の子向けのお店であるのに、それでも体格のいい男子が並んでいるところに、その人気っぷりが垣間見えるというものだろう。
もちろん、華苗は知っている。
この行列の本当の意味を。ガトーショコラに隠された、もう一つの意味を。それがあるからこそ、ここのお店はさらにその勢いを増すことになっているのだと。
ほかでもない華苗自身が、そのためにここへと来ているのだから。
「さすがにちょっと……並んでいる時間がもったいないか。残念だけど、今回はあきらめ……」
「待って」
くい、と華苗は柊のクラスTシャツの裾を引っ張った。
そしてそのままぽっけに仕舞い込んでいた優待券を取り出し、柊に見せつけた。
「あのっ! これっ! ……これで、並ばなくても行けるのっ!」
「え……」
その言葉を証明するように、ざわりと行列がどよめいた。近くにいてその言葉が聞こえたのだろう……というか、実際今まさに華苗が出している優待券が目に入ったのか、入り口近くで運命の時をまだかまだかとそわそわしながら待っていた人たちが、びっくりしたように華苗たちを見ている。
「あれ……優待券じゃん……!?」
「うそ……ホントにあったんだ……! 持ってる人は持ってるんだね……!」
「い、いいなあ……! ど、どうやって手に入れたんだろ……?」
あまりに注目されたからか、柊の方は若干落ち着きのない感じだ。たった一枚の紙切れでここまで羨望の眼差しを向けられるなんて思ってもいなかったのだろう。対する華苗の方も、元々注目されていることに慣れていないうえ、おまけに女子が男子に対してそれを誘う意味を知っているだけに、意識せずとも耳が熱くなるのを感じてしまっている。
「はいはーい! 優待券をお持ちのお客様ですね!」
「あ、はい!」
そんな初々しい(?)華苗のことを見ていられなくなったのだろうか。受付の所にいたメイド姿のお菓子部が、にっこり笑って華苗たちの所へとやってきた。お菓子部という時点ですでに華苗の顔見知りではあるのだが、普段とあまりに雰囲気が違いすぎる故に、華苗は思わず敬語で返してしまう。
華苗が冷静だったら、それがお菓子部長の双葉であるということに気づいただろう。こんなに近くにいるのに気づいていないというその事実が、華苗の今の心の状況を物語っている。
「ふむふむ……はい、優待券のシリアルの認証ばっちり取れました! とってもあまーいガトーショコラをすぐにご用意させていただきますね!」
カードを華苗へと返し、そのメイドさんは華苗の手を取った。そして、優しく導くように華苗たちを店内へと招き入れていく。
「……いひひ。華苗ちゃんもなかなか大胆だよね」
華苗にだけ聞こえた小さなつぶやき。ぼん、と一気に華苗の顔は真っ赤になった。
そのことに気分を良くしたのか、悪戯好きなメイドの彼女は今度は二人に聞こえるよう、大きな、明るい声ではっきりと宣言した。
「ようこそ、【Petit bonheur】へ! 甘い小さな幸せのひとときを、心行くまで楽しんでくださいね!」




