94 園島西高校文化祭:陽気な海賊たち
澄香たちと別れ、再び二人きりとなった華苗たちは、文化祭で盛り上がる園島西高校の校舎をあてどなく彷徨っていた。
どこかのクラスのお店から軽くつまめる軽食を買ったり。たまたま時間が合った演劇を見てみたり。美術部の展示を見て絵の世界に引き込まれたり、被服部の展示……ファッションショーではお披露目できなかった珠玉の作品を見に行ったり。
目につく楽しげなところ──楽しくなさそうなところなんてないのだが──を手当たり次第に見ているために、華苗たちの足取りは意外なほどにゆっくりだ。
「改めてみると、本当にいろんなお店があるね……」
「同感。この手の文化祭ってどうしても似通ったお店があると思うけど……全然そんなことないね」
おまけにその一つ一つが、びっくりするほどの高クオリティだ。楠のところのフライドベジタブルを扱うマフィア風のお店に、どこかのクラスがやっていた色の変わる焼きそばを扱う研究所風のお店。もちろん、華苗たちの素敵なナンを楽しめるインドの遺跡風のお店……など、そのどれもが普通の高校の文化祭だったら一等賞を取れるほどに凝っている。
もちろん、部活主催のお店も負けてはいない。空き教室で行われていた演劇部の演劇は教室の中であるはずなのに背景も天井も無限の広がりがあった上、食卓のシーンでは本当に美味しそうな匂いがしたし、森の中のシーンでは葉擦れや獣、虫の声も聞こえた。
登場人物が語り掛ける言葉は自分に言われたかのようにびりびりとした迫力をもって伝わってきて、本当に演劇の空間に飲み込まれたかのように、その世界に引き込まれてしまったと錯覚するほどであったのだ。
というか、半ばそれは間違いないのだろう。だってここは、園島西高校なのだから。
そして、演劇部の紹介を受けて行った文化部──演劇部のシナリオを担当したらしい──も、これまた凄まじかった。華苗は本来あまり本を読む性質ではないが、短編集だという部誌を手に取り、数ページそれを読んだだけで心を奪われた。
書かれていたそれは、詩人と踊り子のお話だった。甘くて切ない、ビターエンドの恋物語。目の病気を患ってしまった詩人に、幼馴染である踊り子が取った優しくも残酷な行動。時間にして五分ほどで読み切ってしまう程度の長さしかなかったのに、しかしそれは感動と形容するにはあまりにも難しい、何か大きな心の動きを華苗にもたらした。
自分と同じ高校生が書いたとは思えない、この小説。心に感じたことを上手く言葉にできないこの悔しさを、華苗はあの時初めて知った。せめて、何か一言いいたくて作者の人を聞いてみたけれど、休憩中でいないといわれてしまえばもうそれ以上はどうしようもない。
言葉にできないなら、買ってあげるのが一番のお礼になるんじゃないかな──という柊の言葉を聞く前に、華苗は金券を財布から出していた。読み返したいと思った小説は、これが生まれて初めてだったのだ。
もちろん、同じものを読んだ柊も華苗と同じくその部誌を買っていた。ちなみに、その部誌にはいつぞやの部活会議で話題になっていた二作も載っている。あとで絶対ゆっくり読んでやるんだと、華苗が誓った瞬間であった。
そして、その部誌の表紙を描いたという漫画研究部に、やっぱりいろいろと関りのあったらしい映画研究部へ──と、華苗たちは文化祭の名にふさわしくあちこちの文化部へと顔を出した。
時間も順番も忘れるくらい、ただただ楽しさと驚きがあったことを華苗は覚えている。それらは紛れもなく、今の三年生が高校生活最後の総仕上げとして、三年間分のすべてをぶつけて作り上げたものだ。華苗にはそれを表現することができず、ただ漠然と『すごい』と言うことしかできない。文字通り、すごすぎてそれ以上の言葉が見つからないのだ。
「どの文化部も……本当に、すごかったよね」
「……これが、三年生にとっては最後だからね。元々園島西は部活が盛んだし、余計にそう思えるんじゃないかな」
「……うん」
なんとなく、しんみりした空気。体験した時間は数十分ほどなのに、実際ぶつけられたそれは強すぎる思いが込められた何人もの三年分だ。それに引きずられて、華苗の気分もちょっぴりおセンチになったのだろう。
そんな空気を吹き飛ばすかのように、柊は優しく笑いかけた。
「そろそろ、合気道の部長のところへ行ってみようか」
「……うん!」
柊に手を引かれ、華苗はその教室へと向かう。
東棟三階、三年生の教室。校舎の一番端っこに位置するそこには──海が広がっていた。
「よーう、いらっしゃーい!」
いや、正確には海ではない。
「さぁさぁ乗った乗った! 出航の時間はもうすぐだ!」
頭にバンダナ。だぼっとしたズボン。ベストのような、ジレのような、なんだか妙に古い……否、アンティーク調のそれ。腰に布を巻いている者もいれば、よくわからないところに革のベルトを巻いている者もいる。
一つだけ共通しているのは、腰に差している大きく反りあがったサーベル。派手に決めている人も、民族衣装風な古びた装いをしている者も、そこだけは変わらない。
ドクロのついた三角帽子を被った彼は、高らかに宣言した。
「ようこそ、【海賊船:園島丸】へ!」
そのお店は、海賊船を模したお店であった。何をどうやったのかはわからないが、教室の壁が全て木の板になっていて、そこに錨や浮き輪、大砲の発射口などが設けられている。ご丁寧にも喫水線も描かれているうえにヒトデまでも引っ付いているものだから、外から見れば教室があるべきそこに海賊船がそのままめり込んでいるかのように見えた。
まるでどこぞのテーマパークの一角のようだが、しかし驚くべきはそこだけじゃない。
「あれ……なんか……」
「海の音……? それに、妙に賑やかなような」
教室の中から喧騒が聞こえる。それも、ただ人が喋っているという感じではない。
海辺で聞こえる波の音。あるいは、強い波が船を打つ音。それを打ち消すような、陽気な歌声。旋律なんて無茶苦茶な、だけど妙に体に馴染む愉快でリズミカルな楽器の音。
「う、お……」
「すっごぉい……」
教室の中。
そこでは文字通り、海賊の宴が行われていた。
海賊に扮した店員が、業務なんてそっちのけで樽に腰かけ愉快に歌っている。赤ら顔──メイクをしたのだろう──の店員が心地よさそうにギターをかき鳴らし、木製の大きなジョッキ(よく見れば何も入っていない)を持った店員がそれをわいわいと囃し立てていた。
コインを積んでカードゲームに勤しんでいる海賊たちもいれば、海賊よろしくお宝を見て笑っている者もいる。普段なら教卓のある位置に設えられている操舵輪のところでは、付け髭をつけた女子生徒がしかつめらしい表情で古びた海図とコンパスを眺めていた。
部屋のあちこちには樽が置いてあり、いくつか宝箱も混じっている。中からちらちらと金銀財宝が見えるが、一番端の目立たないところにおいてある宝箱には、工具や絵の具、その他雑貨類が入っていた。まさしく道具箱として流用しているのだろう。
乱痴気騒ぎをする海賊。お宝や航海の道具であふれた、ウッディでアンティーク調な室内。もう本当にここは海賊船の中なのではないか──そう思えてしまうほどの空間に、大きな違和感のようにお客さんが混じっている。
「一応、説明しておこう!」
三角帽子を被った彼が、高らかに宣言する。
「見ての通り、ここは海賊をコンセプトにしたお店だ。海賊たちの宴に、ゲストとしてお客さんがお呼ばれしているって感じかな。店員はみんな、遊んでいるように見えるが海賊としての役割を演じ続けている。メイド喫茶ってわけじゃないが、似たようなものだと思ってくれていい」
「……」
「もちろん、常識の範囲内で中のアートを触ったり調べたりしてもかまわない。店員さんに話しかけるのもOKだ。割とガチで世界観と設定は作りこんでいるから、調べれば調べるほどのめりこめると思うぜ?」
店内ががやがやしているせいで、その説明も聞き取りづらい。宴を演じているというよりかは、もう本気で宴をエンジョイしているんじゃないかってくらいに上機嫌で騒いでいる者もいる。
結局、ここはいったい何を取り扱っているんだ──と華苗が聞きに行く前に、そいつはやってきた。
「おおん? 見習いクルーが二人も紛れ込んでるじゃあねえか!」
がしっ、と柊の肩に腕をかける男。手の先は見事なフックになっている。聞き覚えのある声に振り向いてみれば、その男の左目には黒いドクロの眼帯があった。
「よっ! 来てくれて嬉しいぜ!」
「秋山先輩」
サッカー部長、秋山耕助。自称園芸部の次の次に畑に詳しい男が、この部屋にたぶん三人くらいいる海賊の船長に扮して明るく笑っていた。
どうやら、合気道部長の葦沢と秋山は同じクラスだったらしい。
「なんだよ柊ぃ! お前、なんだかんだいってがっちりデートしてるじゃねえか!」
「い、いや! そうだけど、そうじゃなくて……僕はただ、部長に会いに……!」
「デートなのは変わらないじゃん? ホレ、華苗ちゃんの目を見てもう一回言ってみ?」
さすがに三年の先輩相手に、柊が叶うはずもない。華苗もろとも真っ赤になった柊を見て満足そうに頷いてから、秋山は語りだす。
「ま、別に悪いことでも恥ずかしいことでもないじゃん? 青春真っ盛りで最高だろうよ」
「……そう思ってるのなら、変に茶化さないでくださいよ」
「それはそれ、これはこれ。それにほら、俺は今悪ーい海賊だし? あと、個人的にお前らのクラスに若干の恨みが」
「恨み?」
はて、恨まれるような真似なんて記憶にないぞ……と、華苗も柊も首をひねる。文化祭においてスパイ行為をしたわけでもないし、迷惑行為だってやっていない。他の学校はどうだか知らないが、園島西高校はその辺だけはみんなしっかり守っている。
「いやさぁ……そっちのインド風の衣装と海賊風の衣装ってちょっと被ったなって……。あと、楠のところの西部劇なギャングと海賊も雰囲気がだいぶ似てるなって……」
言われてみればそうだ。特に民族衣装風、あるいはアンティーク風のそれなんて、ゆったりした布を使っているからかほとんど一緒である。店の雰囲気も、宴という賑やかさが無ければ楠のところとあまり変わらない。それこそ、船に関する道具があるかないかくらいしか違いはないだろう。
「ま、いいや。とりあえず座れって!」
秋山に通され、華苗と柊は椅子代わりの樽に腰かける。机はやっぱり木製で、妙にでこぼこしていて傾いている。どこからか拾ってきたのか、あるいはわざわざ手作りしたのか。いずれにせよ、ある意味じゃ珍しくもなくなってしまった雰囲気のある机だった。
「タイミングが良かったな、華苗ちゃんたちは」
「はい?」
面白いものを見つけたかのように、秋山の口角が吊り上がる。もしこの時の華苗に十分な注意力があったのなら、秋山の視線の先──教室の入口のところで、係の生徒が意味ありげなサインをしていたことに気づけただろう。
にやにやと笑ったまま、秋山は大きく息を吸う。
あ、と華苗がそれに気づく前に。
「野郎どもぉぉぉぉ! 準備はいいかぁぁぁぁ!?」
「「Yoooohooooo!」」
叫んだ秋山に応えて、その場にいた海賊全員が声を上げる。持っていたジョッキを高く掲げ、そのたくましい拳を天に振り上げるように。タイミングなんてみんなバラバラで、声の上げ方も、そのリアクションだって全然違うのに、不思議と奇妙な一体感があった。
「全然聞こえねえなァ!?」
「「Yoooohooooo!」」
「まだまだ足りねえなァ!?」
「「Yoooohooooo!」」
「…………」
意味ありげに、海賊たちがこちらをちらちらとみている。
「お前らそれでも園島西かァ!?」
「「Yoooohooooo!!」」
「よ、よーほー!」
「よーほー!」
華苗も柊も、海賊たちと一緒に大きな声を上げた。少々恥ずかしいと思えないことも無いが、この手のノリ、案外華苗は嫌いではない。それにこういったものは恥ずかしがれば恥ずかしがるほど恥ずかしい思いをすることになるのだ。いっそ開き直って存分のノったほうが、相手もこちらもすっきりといい気分になるというものである。
もちろん、そう思ったのは華苗たちだけではないのだろう。同じように宴に紛れ込んでいたゲストたちも、少々照れくさそうに海賊の掛け声を上げていた。
「いい返事だ! これだけの仲間がいて、これだけのエネルギーに満ちている! きっと今回の冒険も上手くいくぞ!」
「おおおおお!」
「信じてるぜキャプテン!」
「てめえらは何を望む!? 地位か!? 名誉か!? それとも素敵な青春か!?」
「彼氏! すっごい優しい彼氏が欲しい!」
「いつまでもずっとみんなで高校生活をしていたい!」
「第一志望合格! せめてC判定をBに!」
「おいバカそういうマジなのはやめろぉ……ッ!」
アドリブなのか、それとも最初から仕組まれていたのか。船長と船員のそんなやり取りに、ゲストたちがくすりと笑う。
「望みを、願いを勝ち取りに行くぞ! 俺たちのお宝を、この手につかみ取るんだ! 目指すは西の果て! 行くぞ野郎ども──面舵いっぱい!」
「「Yoooohooooo!」」
秋山が操舵輪をぐるぐると回す。それを合図に、喧騒の質ががらりと変わった。
「なるほど……」
「すごいね、これ……」
乱痴気騒ぎで愉快気ままに奏でられていたそれとは打って変わった、勇猛果敢な冒険心あふれるメロディー。映画の始まりに流れているようなそんな曲を、お道化ていた海賊たちが各々楽器を手に取って奏でているのである。
もちろんその大半は吹奏楽部でも何でもないものだ。持っている楽器も、怪しいエスニックなお土産屋さんで売られているような──ようは、きちんとした楽器ではない。しかしそれが逆に、海賊としての妙なリアリティを醸し出している。
──風も知らない、果ての果て。未知すら超えた、その先に。夢のお宝眠ってる。
一人の女子生徒がマイクをもって滔滔と語りだす。それに合わせて曲調も変化し、教室の前の方では小芝居が進んでいく。未知の怪物を力を合わせて倒したり、大嵐をみんなの力で乗り越えたり。シリアスあり、コメディありの寸劇は、意外なほどに練り上げられていた。
「演奏したり、演劇したり……これ、ミュージカルってやつなのかな……?」
「うーん……それにしては、ゲスト参加の気が強いというか……いや、そもそもとして一つを仕上げるだけでも大変なのに、両方ともやるってのは……」
「相当前から、長い時間をかけて練習してきたんだね……」
華苗と柊がそんなことを話している間にも寸劇はどんどん進んでいく。時間にしてほんの五分も経っていないが物語は終盤に差し掛かり、数多の苦難を乗り越えてきた海賊船:園島丸はとうとうお宝の眠る秘境へとたどり着いた。
「とうとう見つけたぞ! こいつが俺たちのお宝だぁ!」
「Yeahhhhh!」
屈強な男子生徒が、大きな宝箱を掲げて教室へと入ってきた。一人、二人、三人……いや、四人もである。
見せつけるように持ち込まれてきたその宝箱は、一つ一つが微妙に装飾が異なっている。一つは赤色を基調としたもので、残りはそれぞれ黄色、オレンジ、そして紫色の金具やエムブレムで飾り付けられていた。
「それじゃあ皆の衆! お宝の山わけじゃああああああ!」
「Yeahhhhh!」
宝箱が開かれる。中に入っていたのは。
「うそっ!? 本物の宝石……!?」
赤い宝箱から取り出された、真っ赤な宝石。透き通ったその深紅は、スポットライトに照らされてキラキラと輝いている。その美しさだけでも驚愕に値するというのに、そいつは冗談でも比喩でも何でもなく、バスケットボールと同じくらいの大きさであった。
「ひゃっはああああ! こいつは上物だぜええええ!」
「これだから海賊はやめられねえぜ……!」
続いて残りの宝箱も開封されていく。黄色い宝箱には黄色の宝石が、オレンジの宝箱にはオレンジ色の宝石が、紫色の宝箱には紫色の宝石が入っていた。そのどれもが最初の赤い宝石と同じく透明に輝いており、そして普通の宝石だったら百億円でも買えなさそうなくらいに巨大である。
「この赤の宝石は──レッドクリスタル! 決して結ばれぬはずの運命にあった敵国同士の王子とお姫様に幸せをもたらしたという、恋愛運を司る宝石……! まさか、生きてこの目にできるとはな……!」
「こっちのオレンジのは──オレンジクォーツじゃあねえか……! 不死の龍が抱えていたという、幻の宝石……! 身に着けておくだけであらゆる病魔から身を守るという、健康運を司るジュエル……! 実在したとはな……!」
「黄色のこの子は──フラーウムジェム! 古今東西、あらゆる大富豪の傍らに常にあり続けた……いや、この子自身が凄まじい金運を司る至高の宝石! こりゃもう、大金持ち待ったなしじゃん……!」
「紫色のこれは、まさか、噂に聞く麗紫輝晶では……! あらゆる英知が詰め込まれて生み出されたといわれる、これさえあればこの世のすべてが紐解かれる……わかりやすく言うと、勉強運を司りまくっているという、あの!」
海賊たちが、口々に宝石に対する評価を述べていく。どうやらこの宝石一つ一つにそれなりにバックストーリーがあったらしい。先ほどまでの小芝居に伏線(?)らしきものはあったし、隣でハッとした顔をしているお客さんもいることから、きっとこれまでのいろんなところにそれを示唆するものが隠されていたのだろう。宝の地図か、あるいは海賊同士の会話か。もしかしたら、なんてことのない船の備品の中にそのヒントはあったのかもしれない。
最初に案内の生徒が言っていた通り、世界観はかなり綿密に作られているようだった。
「でも? でも? でもでもでも?」
「これじゃあ山わけ、できないね!」
「それじゃあどうする、どうしよう?」
「決まってるだろ? こういう時は──」
「「はんぶんこの時間だあぁぁぁ!」」
──Yoooohooooo!
ひときわ大きい叫び声。普通だったら思わず耳を塞いでしまいそうになるくらいのそれだが、しかしその場にいたゲストの全員が、別のことを考えただろう。
「え……はんぶんこ? 砕くの、アレを!?」
「あああ……もったいない……!」
隣の席から聞こえてきた声に、華苗も柊も思わずうなずいた。いったいどうして、あれほど大きな宝石を手にして、あの陽気で勇敢な海賊たちは嬉々として槌と鑿を持ち出しているのだろう。そりゃまあ、理屈としてはわからなくもないが、そんなことをしたらせっかくの巨大な宝石の価値が半減である。
「そいじゃあ、割っちゃいまーす!」
そして。
無慈悲にも、華苗たちの目の前でその綺麗な宝石たちに槌が降ろされた。
「……割っちゃったね、克哉くん。あんなにきれいだったのに」
「うん……いや、待って」
宝箱の中で、思いっきり砕かれた宝石。一口大と大して変わらない程度の大きさに砕かれたそれは、その断面でよりいっそうキラキラと光を反射して輝いている。
ちょっと不思議なのは、そのきらめきがより強くなっていることと──何やら、甘い香りが強くなっていることだ。
「それではみなさん、お待ちかね! ご注文が決まりましたら、お近くのクルーに声をかけてくださいね!」
マイクを持っていたナレーションの女子生徒のアナウンスで、ようやく華苗は気づくことができた。
秋山のクラスの出し物は、体験型のイベントでも、演劇でも、演奏でも、ましてやミュージカルでもない。ここまでのすべては、これにつなげるための布石でしかなかったのだ。
「よう、華苗ちゃんたちはどうするよ? さすがにここまでくれば、ウチが何をやっているかわかるだろうけど……」
器用にフックにメモをひっかけて、秋山がやってきた。
──そのメモには、【イチゴ・マンゴー・レモン・ベリー】と書かれている。
「見ての通り、カチワリ氷だ。メニュー名としては【パイレーツ・トレジャーアイス】ってことになっている。味は好きなの選んでいいぜ。二種でも三種でも、贅沢に全部でもいい──だって俺たち、海賊だからな!」
カチワリ氷。それが、秋山たちのお店──【海賊船:園島丸】で提供されるメニューだった。海賊が大冒険の末に手に入れたお宝……伝説の宝石に見立てた氷を、山分けという体で砕いて分かち合うというものである。
よくよく見れば、宝石に見立てられていた氷が入っていた宝箱は、クーラーボックスを改造したものであった。宝箱とは構造も形もかなり似ているし、仕立て上げるのもそう難しくなかったことだろう。むしろ、一から作るよりかははるかに簡単で、そして機能性も保証されている。
「ちなみに、ちょっとマジでヤバいくらいに果汁たっぷりだからな。下手するとそこらのアイスよりも味は強いぞ。もちろん、かき氷シロップみたいないかにもって感じのやつじゃないぜ?」
「それってやっぱり」
「園芸部の果物だな。そうじゃなきゃ、ここまでの味と色は出せなかった」
園芸部の極上の果物から贅沢にたっぷりと絞った果汁。そいつをなんやかんやしてうまい具合に凍らせたのが例の綺麗な宝石の正体だ。普通のこの手のカチワリ氷と違い、果汁が含まれているというよりかはむしろ、水がいくらか含まれているといったほうがいいくらいにそれは濃い。おそらく、透き通って宝石に見えるギリギリまで果汁を加えているのだろう。
「んで、どーするよ?」
「うーん……」
ちら、と華苗は周りに目を向けてみる。
隣の席では、イチゴとレモンのそれを選ぶことにしたらしい。わざわざお客さんの目の前まで宝箱が運ばれてきて、ざっくりとすくい上げられた大粒の宝石が、金魚すくいでもらえるような袋に詰め込まれていく。仕上げに炭酸水──こちらも色が付けられている──を流し込めば、完成だ。
「へぇ……キラキラしていて、本当に宝物みたい」
「いけねーなぁ? 宝物みたいじゃなくて、宝物だぜ?」
「……そうですね!」
パンパンになった袋を手に取り、隣にいた女の人はにっこりと笑った。一緒についてきたストローに口をつけることも無く、光に透かしてその煌めきを楽しんでいる。さっきまではスマホのカメラを向けていたのに、そんなことをすっかり忘れるくらいに夢中になっていた。
「私、マンゴーとベリーで。お水の色は無くてもいいかな」
「じゃあ……せっかくだし、僕はイチゴとマンゴーとベリーにしてみようかな」
「色はどうするよ? 赤も黄色もピンクも……なんなら緑も青もあるけど」
「僕も特には──」
「青で!」
「よっしゃ!」
柊が答える前に、華苗がさっとそれに答える。
「あ、あの……」
「……だめ?」
「……だめじゃないです」
にひひ、と満面の笑みを浮かべ、華苗はちょっぴり困ったように笑う柊を満足げに見つめた。
こういう何気ないやり取りが、楽しくて楽しくてたまらないのだ。こういう何気ないところで認められ、受け入れられるのが、嬉しくて嬉しくて仕方ないのだ。これはもう、しょうがないことだろう。
「華苗ちゃんもイチャついちゃってまぁ……文化祭の魔力は恐ろしいねぇ……」
そんな秋山のつぶやきは、周りの喧騒にかき消されていく。誰にもそれは気づかれることなく、やがて秋山が書いたメモが受理されると、華苗たちの前に大きな大きな宝箱がやってきた。
「ひゃっはあああ! 山分けの時間だあああ!」
「いえーい!」
「い、いえーい」
大きめのアイススコップが、宝石の山に突き刺さる。この暑さだからかそれはいくらか表面が溶けていて、その煌めきをより一層強くしていた。ここまでくるともう、本物の宝石よりもその煌めきは強いといっていいだろう。
華苗の袋にはオレンジの宝石と、紫色の宝石が。柊の袋にはそれに加えて赤の宝石が、気前の良すぎる海賊によって詰め込まれていく。そこにさらに、華苗のには無色の炭酸水が、柊のには青い炭酸水──ブルーハワイだろう──がこれまた贅沢にとぽとぽと注がれていく。
「はい、完成!」
「おおお……!」
袋の中に閉じ込められた、煌めく海に浮かぶ見事な宝石。いかにも夏らしい、清涼感を感じる見た目。そこにどことなく懐かしさも覚えてしまうのは、その袋が金魚すくいのそれを連想させるものだからだろうか。あるいは──京都や鎌倉といった古都にありそうな、ガラス細工を彷彿とさせるものだからだろうか。
両手に感じるそれは、この体の内からも外からも感じる熱気を優しく癒してくれるような、そんな心地よい冷たさである。真夏の暑い日にプールで泳いでいるような、あるいは田舎の実家の縁側で、扇風機に当たりながらたらいに足を突っ込んでいるような。残念ながら、華苗にこれ以上上手く例えられる語彙はない。
「本当にきれいだね……なんだか食べるのがもったいないや」
柊の持つそれは、華苗のよりもさらに夏らしさがあった。文字通り、ブルーハワイの爽快な青に、色とりどりの宝石が揺蕩っている。若者に人気のお洒落なお店でも、ここまで写真映えのする逸品を作り上げることは難しいだろう。夏祭りを思い起こさせる柔らかで優しい煌めきでありつつ、すごい芸術家の作品でもあるかのような気品も兼ね備えているというから侮れない。
「──んっ!」
冷たい。美味しい。
一口飲んでみれば、強く甘いマンゴーの果汁が華苗の口の中を蹂躙した。キンキンに冷えていて、口から喉へ、喉からおなかへとそれが伝わっていくのがしっかりとわかる。冷たさではっきりした頭にその香しさがダイレクトに伝わってきて、華苗の気分をうっとりとさせた。
二口飲んでみれば、そこにさらにベリーの酸味が加わった。甘みの深さが入り混じるようになり、味の立体感とでも言うべきそれがはっきりと感じ取れるようになる。もし数年後の華苗が同じものを飲んだとしたら、「カシスオレンジと似ている」と評したかもしれない。
かき氷とも、アイスとも違うこの冷たい味。手のひらと口で感じることができる、他では楽しめないそれ。見て楽しい、食べておいしい、触って気持ちいいと三拍子そろった優れすぎている優れもの。それは夏の厳しさがまだ残るこの文化祭において──陽気な海賊との冒険の熱に浮かされた今の華苗たちにとって、何物にも代えがたいほど素晴らしいものであった。
「うー……」
「どうしたの、克哉くん?」
「いや……なんか、ストローに氷が詰まっちゃって」
なるほど、言われてみればこのカチワリの氷は結構大粒だ。それは純粋にサービス精神あふれているというのもそうだけれど、溶けにくくするという狙いもあるのだろう。もしかしたら、直接ガリガリ氷を食べる人のためのことを思ったのかもしれない。
「お前なら普通に砕けるだろ?」
「そう思ったんですけど、なかなかに強情な氷がありまして……」
「あー……思った以上に好評で供給が途絶えそうだったから、限界ギリギリまで冷凍庫の出力上げたんだよな。……今だから言うけど、冷やし加減をミスるとこの透明具合が上手く出せないんだ」
「へえ……それじゃ、用意するのって結構大変だったんじゃ?」
「そうだなあ。最初は凍らせるだけだし、みんなで頑張れば十分賄えるって試算になったんだけど……ま、お察しの通りだよ」
「ああ……でも、その割には切羽詰まっている感じしませんね」
「そこはほら、調理部に頑張ってもらったかんじだな。あと、氷系の必殺技を使えるやつも総動員だ。……ホント、なんで卓球や剣道で氷を出せるのかマジでわけわかんねえけど、この際そんなこと言ってられないしな」
「……」
あなたがそれを言うのかと、華苗も柊も口に出しそうになるが、ギリギリのところで堪えた。つい昨日だって秋山はサッカー部として南風が吹き荒ぶ必殺シュートを放っているし、この前の学校見学の時にはそのまんまフィールドを凍てつかせる必殺シュートをお披露目している。自分のことを棚に上げて、なぜそんなことを言えるのか、未だに華苗はこの高校のそういった気風だけは理解できない。
「そういえば、こういう人たちだったね……華苗ちゃんも、半分くらいそっちの気があったっけ……」
「……えい!」
「うっひゃあ!?」
なんだか堪らなくそうしたくなったので、華苗はキンキンに冷えたお宝を柊の首筋に突き付けた。見ていて面白くなるくらいに柊はすくみ上り、びくっと肩を震わせて華苗からわずかに距離を取る。
合気道部だ何だといっても、所詮は人間である。晒された弱点に武器を叩き込むことができれば、もうそれだけで華苗の勝ちだ。
「も、もう……何するのさ」
「暑そうにしてたから?」
暑そうな人に涼を届けたのだから、むしろ褒められるべきではなかろうか。熱に浮かされた華苗の脳みそはそんな結論を叩き出す。そこで止めておけばよかったのに、ついつい調子に乗ってしまうのが華苗の悪い癖だった。
「あと、せっかくだし私がその氷、砕いてあげようか?」
こう見えても鍛えているんだから、と華苗は手をにぎにぎと動かす。実際、園芸部の激務において握力というのは結構重要なステータスだ。園芸部の一員である華苗も、この数か月ずっとスコップをふるっていただけに、その握力は普通の女子よりかなり上のものを持っている。
「たぶん無理だと思うけどな……」
「やってみなくちゃわからないもん!」
なんだかんだ言いつつも、柊は自らの手に持っていたカチワリ氷を華苗に渡す。受け取った華苗はにこりと笑い、柊でさえ砕けなかった氷を思いっきり握り砕こ──うと見せかけて。
「もーらいっ!」
「あ」
ちょうどイチゴの氷が近くにあったのだろう。冷たい甘酸っぱさが口いっぱいに広がって、さっきまでマンゴーの香りが漂っていたところに、春を連想させる香りが上書きされていく。まるで本当のイチゴにかじりついているんじゃないってくらいに、うんと、うんと甘い。
それに交じっているのは、ブルーハワイのあの人工的な甘みだ。華苗は正直ブルーハワイが何から作られていて、どうしてブルーハワイと名付けられているのかはとんとわからないが、それでもブルーハワイのあの特有の甘さと香りは結構好きである。
赤の甘みと、青の甘み。嬉しいことと楽しいことがいっぺんにやってきたかのような、夢のコラボレーション。そのうえ冷たい心地よさが体をすうっと癒してくれるというのだから、最高としか言いようがない。
「うーん、こっちのも美味しいね! 私もブルーハワイにしておけばよかったかなあ」
華苗が選んだ宝石は二種。入れてもらった色水は無色。
柊が選んだ宝石は三種。入れてもらった──否、入れさせられた色水は青。
下手に様子見をするよりも、海賊らしく大船に乗った気持ちで冒険するべきだったか──と華苗は思案する。少なくとも、ここは見知った園島西高校の中なのだ。何をしたって、ハズレを引いてしまうということだけはあり得ないのだから。
「あの、華苗ちゃん……」
「……あり?」
柊が、なぜだか落ち着かない様子で視線をさ迷わせている。何かを言いたそうに口を動かすも、それは言葉にならない。唯一はっきりしているのは、華苗の手にあるカチワリ氷をちらちらと気にしているということだけだ。
「えっ……ごめん、冗談のつもりで……そんなに飲んだつもりはなかったんだけど……」
慌てて、華苗は自分の先ほどの行いを思い返す。確かに少々……一口というには飲みすぎてしまった感はあった。より正確にいうなら、四口くらいは飲んでいる。イチゴのところと、レモンのところと、ついでにブルーハワイ単体のところと、最後にもう一回イチゴのところ。
嵩は確かに減っている。それは見てわかる。
でも、それにしたって気にするような量ではないような……というのが、華苗の正直な気持であった。
「いや、その……そうじゃなくて……まぁ、僕は別にいいんだけれども」
「……あっ、もしかして、私のやつを飲みたいとか?」
よっちゃんたちと接するのと同じノリで、華苗は自分のそれを柊に手渡す。
自分が今何をしているのか、何をしたのか、この娘はさっぱり気づいていない。余計に目を白黒させた柊を見て、本気で首をかしげている。
「華苗ちゃん……もう見てられないから、そろそろツッコませてもらうぜ?」
しびれを切らしたのか、いたたまれなくなったのか、それともここで突くのが一番面白いと思ったのか。海賊船の船長は、とびっきりの笑顔でただ事実を告げた。
「それをするのは、華苗ちゃんにはまだレベルが高いんじゃないか?」
「へ……あっ!!」
秋山に指摘され、ようやく華苗は自分が何をしたのか理解した。ナチュラルにとんでもないことをしでかしたのを理解した。
「う、あ、うう……!」
体が熱くなる。夏の暑さとは全く違う、今だけしか感じられない熱さだ。とりわけ顔が熱く、湯だったようになり、もう何も考えられないくらいにクラクラもしてくる。
この熱を冷ますのは簡単だ。今手の中にあるこの美しい宝物を、一息に吸ってやればいい。そうすれば、甘さと冷たさがこの甘く熱く火照った体を冷やしてくれることだろう。
でも、それはできない。そんなことをしたら、余計に体が熱くなって、たぶん最終的に心臓が破裂する。
「華苗ちゃんも大胆になったなぁ……入学当初を知る身としては、なんかこう……感慨深いというか。孫の成長を実感するかのようだぜ……!」
「……僕が言うのもなんですけど、文化祭の魔力ってやつですかね」
柊のつぶやきを聞いて、秋山はわざとらしくため息をついた。ちっちっち、と人差し指をふり、そして馴れ馴れしく、まさに海賊の陽気さで柊の肩に腕をかける。
「違う。全然違う。お前、ほんっとわかってねーなぁ? 他は知らないけど、こいつについてはお前のせいだぞ?」
「そんな、いったいどういうことですか……というか、いつまでこのノリ続くんですか……」
柊の持っているそれと、華苗の持っているそれを秋山は指さした。
「お前が今持っている……華苗ちゃんのカチワリは、オレンジと紫だ。華苗ちゃんが今持っている……お前のカチワリは、それに赤が入っている」
「……つまり?」
「──さっき言っただろ? 赤いのは恋愛運アップだってな! この顛末は、お前の秘めたる願望の表れってことさ!」
悪逆なる海賊により、茹でタコになった人間がもう一人増える。
──園島西高校文化祭終了まで、あと少し。




