93 園島西高校文化祭:フライドベジタブル
「やーっとかなちゃんに会えたぁ! もう、ずーっと探してたんだから!」
中学生くらいの背丈で、やっぱり中学生くらいにしか思えない顔立ちのその女性。着ている服は落ち着いた雰囲気で大人っぽいけれど、ちょっとした動作にあどけない笑顔、全身から発するオーラが大人のそれとは思えない彼女。誰もが見惚れるような、文字通りの満開の笑みを浮かべて華苗のもとへとたたた、と駆け寄ってきた彼女。
華苗とよく似た顔立ちの彼女のことを、ここにいるみんなは──とりわけ華苗自身は、よくよく知っていた。
「おかあさん! なんでここにいるの!?」
「えっ、なんでって……ぶ、文化祭来てみたかったのっ!」
八島 美桜。誰がどう見てもせいぜいが中学生にしか見えない彼女こそが、ほかでもない華苗の母であった。
「…そこで、ふらついているのを見つけてな。必死にぴょんぴょん飛んでいて妙だと思っていたら、見覚えのある顔だった」
「……あっ」
椅子に座っていた澄香が、やっちまったとばかりに顔を崩す。
「そういえば、途中まで一緒に来てたんだった……」
「しょうがないですよー! これだけの人混みですし、はぐれちゃうのもよくあることです!」
聞けば、例によって例のごとく、美桜は澄香と約束し、楠の家に車を置いてこの園島西高校までやってきたらしい。が、校舎内に入って早々人混みによってはぐれ、おまけに当初の目的地であるこのクスノ・キッチンについた後も、そのあまりの人の波に中の様子をうかがい知ることができず、おろおろと付近をうろつくことしかできなかったとのことだ。
「なんとなーくかなちゃんの声がするなって思ってたんだけど……中、全然見えなくて……」
抱きすくめるように華苗の肩に両手を置いた美桜が、ちょっぴり泣きそうな声でそんなことをつぶやいた。一方で華苗は、母とは全く別の理由で泣きたくなってきている。
いったいどうして、高校生の文化祭にもなって親が同伴することになるのだろうか。しかも澄香のように大人っぽくってカッコいい親ならまだしも、子供に間違われることのほうが多い、過保護で泣き虫な母親だ。
いいや、百歩譲ってそこは良いにしても……。
「あ、柊くん! もしかして……かなちゃんとデートだったりするのっ!?」
「おかあさん!!」
これだ。これがあるから、華苗は美桜に来てほしくなかったのだ。いいや、遊びに来るのだとしても、どうしてデートの最中だなんていう最悪のタイミングで見計らったかのように現れるのか。もし昨日訪ねてくれたのだったら、少しくらいナンをサービスしてさっさとおなかいっぱいにさせて帰らせたのにと、そう思わずにはいられない。
「えー……別に、そんな恥ずかしがることないのに……」
「おかあさんはそうでも、私は違うのっ! ……克哉くんも、そうだよね?」
「あ、あはは……」
柊からしてみれば、いろんな意味でやりづらいことこの上ないだろう。どっちの味方をしても、あまりいい未来は見えてこないはずだ。そして残念なことに、そういった柊の心情を慮れるレベルには華苗は至っていない。だって華苗は、まだまだ青くて微笑ましいのだから。
結果として、柊がとった行動は。
「そ、それよりも。……楠先輩の持っている、それって」
「…ああ、注文の品だな」
美桜の登場というインパクトのありすぎる出来事のせいですっかり影が薄くなっていたが、改めてみてみると、楠が手にした大きなお盆には平たく大きな──どこぞの無駄に高級なレストランとかでありそうな、実利性を一切無視し、お洒落だけを追求したようなお皿が乗っていた。
どうやったのか、お盆の上にはお皿が二枚も乗っている。楠が視線で促すと、同じく店員である佐藤がさっとそのうちの一枚を受け取り──そして、華苗たちの目の前へと置いた。
「お待たせしました。こちらが【西の野菜王の秘宝】です」
赤。オレンジ。黄色。緑。
鮮やかな──鮮やかすぎるきれいな色が、華苗の目に飛び込んできた。このちょっぴり薄暗い店内の中で、それは比喩とは思えないくらいにキラキラと輝いていて、まるで本物の宝石のように……否、それ以上に美しく思えることさえできた。
そんな美しい宝物が、文字通り目の前に山積みにされている。白いお皿を埋め尽くし、自らのきらびやかさを見せつけるかのようにその姿を華苗たちの前にさらしている。
そして、視覚だけでなく嗅覚からも訴えてくるその魅力。思わずおなかがきゅうとなってしまいそうになるような、食欲を刺激する香ばしい香り。こんなおいしそうな匂いをしているものが、どうして未だ無傷で佇んでいられるのかと、華苗はそう思わずにはいられない。
そう、これは食べるためのものだ。今すぐこの場で華苗においしく食べられるためだけに存在するのだと、華苗は確かにその瞬間、心の底からそう思うことができた。
「…見てわかるだろうが、一応説明しておこう」
野菜王の秘宝の正体を、色黒で不愛想なギャングのボス自身が告げる。
「…こいつは《フライドベジタブル》。いわゆる野菜の素揚げ、あるいは野菜チップスとか言われている奴だな」
フライドベジタブル。それが、このクスノ・キッチンで売られている商品だった。
内容としては、別に取り立てて珍しいものでもない。輪切り、細切り、いちょう切り……スティック状や一口サイズなど、食べやすい大きさにカットした各種の野菜を、カラッと気持ちよく素揚げしただけの代物である。
【黄金のニクいやつ】はジャガイモの素揚げで、【橙一本柱】はニンジンの素揚げ。本来ならばあまりにそのまますぎるネーミングのそれらを、ギャングのアジトというコンセプトに従ってそれっぽくリネームし、メニューに記載していたというだけの話だ。
そして、クスノ・キッチンの特別メニューである【西の野菜王の秘宝】とは。
「うわぁ……! お野菜が、こんなにいっぱい……!」
「へぇぇ……! 高校生の文化祭だって高をくくってたけど……どうしてなかなか、最近の高校ってのは豪勢なものだね!」
ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、ピーマン、カボチャ。珍しいところで言えばキュウリにトウモロコシ、トマトにナスまで。
文字通りクスノ・キッチンで提供されるすべての野菜を盛り合わせにした超豪華なお得セット──それこそが、【西の野菜王の秘宝】の正体であった。
「すごいね……どれも、瑞々しくって鮮やかに見える……ホントに新鮮なんだって、感覚で理解できる……」
発色がよく見えるのは、油で揚げられたことで熱が通ったことも一因であるのだろう。さらに言えば、この薄暗い店内の中、野菜の表面にわずかに残った油が光を妖しく、艶やかに反射しているのも大きなウェイトを占めているはずだ。
そしてもちろん、それ以上に。
「そりゃあ、私が育てたお野菜だもん! 新鮮だし、すっごくおいしいんだから!」
「…お前が、じゃなくて俺たちが、だろう」
華苗たちが──園島西高校の園芸部がまごころを込めて育てた作物だ。そんじょそこらの野菜と一緒にされてしまっては困るし、見なくても、食べなくても美味しいと断言できる代物だ。当然、どんな風に調理したって最高の一品に仕上がってくれることは語るまでもない。
最高品質の野菜に、その野菜の魅力をそのまま活かす調理方法。これで美味しくなかったら、それこそ詐欺だというものだ。
「さぁ、出来れば揚げたての美味しいうちに……」
「わぁい!」
佐藤が笑顔で促す。なぜか当たり前のように美桜が華苗の隣に座った。
一応、四人掛けの机だ。別にそこまで不自然なことではない。
だけれども。
「……おかあさん? なんで、普通に座っているの?」
「えっ……」
何が悲しくて、楽しいデートを母親同伴で過ごさなくてはならないのか。おまけにおまけに、なぜこの母は当たり前のようにご相伴にあずかれると思っているのか。
このスペシャルメニューは、澄香がその腕でもぎ取ったものだ。そしてそのきっかけを作ったのは、ほかならぬ華苗自身のジーニアスでファイトあふれる勝負である。
つまり、この秘宝はみんなの力でもぎ取ったに等しいわけで、そしてその「みんな」の中に美桜は入っていない。
「このメニュー、普通は頼めないやつなんだよ? それに、ほかの人は普通に並んでいるんだよ?」
だから、きちんと順番に並びなおして、従来のメニューを頼めばいい。そのころには、こっちも退散しているから──と、華苗が言外に告げたつもりであった。
問題なのは、美桜がその言外の言葉を聞き入れてくれなかったこと──ではなく。
「え……かなちゃん、ママを仲間外れにするの……?」
むしろ、聞き入れすぎてしまったことであった。
「ママ、今日、すっごく楽しみにしてて、ようやく、ようやくかなちゃんにも会えて……! いっしょに、ごはん、食べれるなあって……!」
くしゃりと、文字通り泣きそうになりながら美桜は絞り出すように告げた。ここで泣いたらそれこそ迷惑をかけてしまうことを、きっと頭の片隅では理解しているのだろう。だからこそ、娘からのぞんざい(?)な言葉に耐え、平静を保とうとしているのだ。
「う、ううん。そうだよね、ちゃんと順番は守らないとだよね。それにママ、邪魔、しちゃった、よね……」
しくしく、めそめそ。今の美桜の表情を表現するなら、きっとこんな言葉がふさわしいだろう。たぶん、あと数十秒もすれば、これに「ポロポロ」も加わるはずだ。
いくら頭の中で理解はしていても、心がそれに追いつくことなんてあまりない。とりわけ、美桜はその傾向が強かった。
「ごめん、ごめんね、かなちゃん。ママ、これから並びなおしてくるから──」
「う……」
目に涙をいっぱいに溜めて、それでも泣くまいと必死で堪えながら美桜は立ち上がり、そして背を向ける。さすがの華苗でも、この様子にはいくらか心がちくちくした。
そして、それ以上に。
「あ、あの!」
「……ん、柊くん?」
「もしよかったらですけど、ご一緒しませんか……? 華苗ちゃん、僕が……あー、その、華苗ちゃんのお母さんとお話ししたいんだ」
前半の言葉は、美桜に向かって放たれたもの。後半の言葉は、華苗に向かって放たれたもの。
中学生とほとんど変わらないくらい幼げに見える女の子。しかもその娘は、華苗とよく似た顔立ちをしている。そんな人が涙目になっていて、柊が黙っていられるはずもなかった。
「……優しいんだね、克哉くん」
「いや、その……ね? 別に僕は気にしないし、さすがにちょっとあのまま見過ごすのは……」
「華苗ちゃん、私からも頼むよ。こんなにたくさんあるし、おばさんのおなかじゃそんなに入らないからさ」
同席している二人に言われてしまえば、華苗も下手に意地を張ることなんでできはしない。元より、華苗だって母を仲間外れにしたいとは思っていないのだ。ただ単に、美桜が華苗の思春期特有の照れくささと恥ずかしさをこれ以上なく刺激してくるというだけの話である。
ともあれ、こうして逃げ道と妥協点が示されたのならば。
「……おかあさん」
「は、はいっ!」
「克哉くんと澄香さんに感謝してよね。あと、余計なことを話したり、変なことしたり、わがまま言ったり、この後もついてきたりとかしないって約束すること! できる!?」
「うんっ! かなちゃん、だいすきっ!」
後ろからぎゅーっと抱き着いてくる母親に、華苗はさっそく自分の言葉を後悔しはじめた。いったいどうしてこう、家の外であるにもかかわらずこうも子供扱いしてくるのか、華苗はさっぱり理解できない。せめてもっと、大人っぽく子供扱いしてくれればまだ納得できるのに、毎回毎回こんな様子なのだ。
「…お前、親は大事にしろよな」
「おう瑞樹、それ、アタシの目を見て言ってみな」
「…………」
さて、そんな一幕が終われば、いよいよもって実食タイムである。先ほどから随分と「まて」を食らっていただけに、いい加減華苗も我慢が利かなくなりつつあった。
見た感じ、フォークやナイフといった洒落たものは見当たらない。申し訳程度に爪楊枝だけが用意されている。アツアツなものをワイルドに手づかみで食べてほしいという戦略的な思想か、あるいは単純に予算的な都合で爪楊枝しか用意できなかったのか。
いずれにせよ、これだけあれば十分であり、そして華苗はワイルドでも問題ないくらいには鍛えられている。
「んじゃ、食べよっか……んー、やっぱり最初は無難にジャガイモかね?」
「腹持ちが良さそうなのは後に回すって手も……いや、これくらいならどれから食べても問題ないか」
澄香はジャガイモを、柊はニンジンをつまんだ。華苗の隣では、美桜が楊枝にせっせと玉ねぎを刺している。となれば、華苗が選ぶべきは……。
「私、これにしよっと」
黄色い、いや、黄金色の宝物。バーベキューでもよく見るそいつは、その名をカボチャと言った。よく揚がっているのか、表面は硬く、どこか乾いたように硬質的であり、その表面には軽く振られた塩がキラリと輝いている。
誰が見計らったわけでもなく、ほとんど同じタイミングで四人はその秘宝を口にした。
「わ、ぁ……!」
甘い。いや、しょっぱくもある。ぎゅっと閉じ込められていたカボチャの旨味が一気に解放され、華苗の口の中で全力でその産声を上げている。熱い味とでもいうべきそれが、華苗の舌の上で暴れまわり、その美味しさをこれでもかとばかりに伝えていた。
この、野菜特有の自然味あふれる甘さ。とりわけ、カボチャは野菜の中でも甘みが強いほうではあるが、素揚げになったことでよりそれは強く、確かに感じることができた。表面に振られた塩がよりいっそうその甘みを強調させて、もはや悪魔の誘惑に等しい魅力を引き出している。
味だけで、味だけでこれだ。ただ油で揚げただけだというのに、これなのだ。
「パリパリしてて、けっこうクセになる食感だ。普通の副菜みたいなイメージだったけど……スナック感覚だね」
「ああ、わかるわかる! 映画のお供にゃ最高だね! 気づいたらなくなっちゃってそう!」
野菜を食べているというよりかは、スナック菓子を食べているような感覚。実際、華苗が食べているカボチャのそれも、パリポリしていてスナックに近い。それでいて、中心部の方だけはわずかにホクホクとしているというから侮れない。
柔らかな感触が生み出す甘さ。硬い表面が生み出す塩味のある甘さに、爽快な食感。風が吹けば飛んで行ってしまいそうなくらいに小さく、ちっぽけな一口の中に、どうしてこうも深く繊細で豊かなそれらが詰まっているのだろう。
どちらか一つだけでは、絶対にこの高みには至れない。ここまでの感動は得られない。華苗は、全力を持ってそう断言することができた。
「ね、ね、かなちゃん! こっちの玉ねぎさんも美味しいよ!」
母がせっせと串刺しにした玉ねぎ。目の前に差し出されたそれに、華苗はほぼ無意識的にかじりついた。
「……!」
生の玉ねぎ特有の辛みはほとんど抜けきっていて、じんわりした甘さだけが華苗の舌を幸福でしびれさせる。鼻から抜けていく香りは香ばしく、カボチャのそれとはまた異なるどこかシャキシャキした食感も面白い。
「もういっこ」
「はい、あーん」
これは単純に華苗の好みだろうが、やはり揚げ物は甘いものよりもしょっぱいものや辛いもののほうが美味しいように思えた。スナック感覚がより強いというか、実に好みに、舌に馴染むような感じがするのだ。
「すごいねえ、おいしいねえ! ……かなちゃんのそれは、どうだった?」
「ん」
華苗もまた、手元にあったカボチャの一切れを目を母の口元へと近づける。目をキラキラさせた美桜は、幸福で満ち足りた表情で──それが自然の摂理だと体現するかのように、ごくごく自然な動作でそれにぱくっとかじりついた。
「わぁっ! こっちのも甘くておいしいね! ママ、こっちのほうが好きかも!」
「そーぉ? 私、玉ねぎのほうがなんとなく好みかも……」
夢中になった華苗は気づいていない。澄香も、柊も、佐藤も。いいや、それどころか周りにいたほかの店員やお客さんたちまで。その場にいた大半の人が、母娘のやりとりを微笑ましいもの見るような温かい表情で見守っていたことに。
くどいようだが、美桜は中学生くらいにしか見えないような幼げな風貌だ。とても、四十代の主婦とは思えないくらいである。それは、授業参観のたびに運転免許証や保険証といった身分証に合わせ、母子手帳を持ってくることからも明らかだ。
そして、華苗は小学生くらいにしか見えないような幼気な容姿であり、今現在は夏の思い出から飛び出してきたかのようなかわいらしい真っ白のワンピースを着ている。
何が言いたいかって、この母娘のやり取りは見るものを大変穏やかで優しい気持ちにさせ──そして、それはたいそう目立っていたということだ。
この事態に動じていないのなんて、それこそ鉄面皮で何を考えているかわからない楠くらいしかいない。
「…………八島」
「「なぁに?」」
楠の呼びかけに、二人の声が重なった。
「いや、今のは明らかにおかあさんじゃないでしょ」
「あらやだ、ママったら! ついつい学生気分になっちゃった!」
「…一応聞くが、お前のそれは素なのか? 家ではそれが普通なのか?」
「……えっ」
「…別に俺は構わん。が、さっきまでのお前の態度を鑑みるに」
「あああッ!?」
ここでようやく、華苗は自分が今まで何をしていたのかを、客観的に悟ることができた。
あんなにも、あんなににも子供っぽい母のことを恥ずかしく思っていたのに、そんな母と一緒に食べさせあいっこをする。しかも自分はあの時、まるで何も疑問に思わず、ごくごく当然のようにその母の行動を受け入れ、そして母にも同じことをしたではないか。
それってつまり、口では偉そうなことを言っていても、実際は──
「ち、違うの……!」
華苗は首筋まで真っ赤になることを自覚しながら、半分涙目の状態で柊に訴えた。
「こ、これはおかあさんがこうしないと寂しがるからで……! 別に、普段からこーゆーことしているわけじゃなくってぇ……!」
いまさら何を言っても遅い。それは、この場にいた誰もが感じたことだろう。
ただ、華苗にとって幸いなことに、それをはやし立てる人間はこの場にいなかった。それどころか、味方になる人間さえいたのだ。
「あはは、女の子ならそれくらい普通なんじゃないのかな。僕の姉も、母さんとは似たようなやりとりをしょっちゅうしているし……ここだけの話、僕の母さんも家ではふざけて僕にそういうことを……」
「そうそう。アタシだって未だに瑞樹の口に食べ物突っ込むことあるからね? 唐揚げとか作ってるとさ、こいつ部屋からのそのそやってきて、じーっと見てきてうっとおしいんだよ。だから、入れてやるんだ。……こいつ、アタシが差し出せばろくに確認せずなんでも口にするからね?」
「…いや、母さんが味見させてやるって呼ぶから……」
「うっさい」
「むぐっ!?」
澄香はひっつかんだジャガイモを、押し付けるようにして楠の口へと入れた。俗にいう、母から息子への『あーん♪』というやつだろう。偉大なる母からの、愛情たっぷりの一撃だ。息子である楠にそれを拒否する権利はないし、抗うことも逆らうこともできはしない。
「ね? こんなむっさい男子高校生でもやってんだ。恥ずかしくない、恥ずかしくない!」
「…………」
楠の目は死んでいる。後輩やクラスメイトの目の前で、母親からそんなことをされてしまっては、男子高校生としてのプライドはズタボロだ。
「いやぁ、うらやましいな! 楠、お前もけっこう可愛いところあるじゃないか!」
「…………ほう?」
またとないチャンスと思ったのか、珍しく佐藤が楠を煽りにかかる。
結果として、それは悪手であった。
「僕なんかは、一人でご飯食べることのほうが多かったからね! それに、今は一人暮らしだから。この年になってもお母さんとの愛のあふれるやり取りがあるだなんて……いや、もう本当に羨ましいって」
「…………母さん」
「んもう! なんていじらしい! アタシでよければ、いくらでもやったげるのに!」
「……あっ」
満面の笑みで、澄香は素揚げにされたピーマンをつまみ、そして佐藤の前へと差し出した。実の息子の時は半ば無理やり口に入れたのに、きちんと片手を添えた、恭しくも見える所作である。
「ほら、遠慮なんてすることないから! 今だけは恥ずかしいとかそういうの気にしなくていいんだよ?」
「あ、いや、その……」
華苗も柊も、しっかり見ていた。
最後の瞬間、楠がさりげなくピーマンを──佐藤が最も苦手とするそれを澄香の手元へ寄せていたことを。
「……なんだい? やっぱり、こんなおばさんからじゃ嫌か……」
「あ、いえ、そうではなく……」
澄香は露骨にしゅんとする。佐藤は見てわかるほどに動揺し、そして楠は子供が見たらチビりそうになるほどの獰猛な笑みを浮かべた。
「…母さん。こいつはこんなチャラいホストみたいな見た目だが、これでさみしがりの恥ずかしがり屋だ。そして、いきなりのことに照れている。親友の俺が言うんだ、間違いない」
ここぞとばかりに、楠は母親に告げた。道連れを増やすためなら、楠は親友を平気で巻き込むし、実の母親でさえ道具のように利用する悪漢であった。
(…よぉ、人の母さんのを食えないってか?)
(楠……お前、後で覚えてろよ……!)
視線だけで行われるやり取り。字幕を付けるとしたら、おそらくこんな感じだろう。
やがて、逃げ場がないと悟った佐藤は、腹をくくったかのように澄香からのそれを受け入れた。
「あああ、もう! こーんなカッコいい子にこんなことできちゃうなんて、おばさん、なんかちょっと役得な気分だよ!」
「む……ぐ……ッ!」
「もう、そんなに恥ずかしがっちゃってさ! ……で、どうだい、感想は?」
「と……とっても……お、おいしいです……ッ!」
顔面蒼白。そんな四字熟語を連想してしまうほど、佐藤の顔は青く、そして冷や汗をかいている。それでもなお、お客さんを、ひいては善意の塊である親友の母を悲しませまいと必死で笑顔を保つところに、華苗は佐藤のプロ意識(?)を垣間見た気がした。
「……そんなに苦いかな、これ?」
柊がピーマンをぱくりと口にし、軽く首をひねる。せっかくなので、華苗も食べてみることにした。
「……あっ、結構食べやすい」
おそらく多くの子供が苦手としているであろう、ピーマン特有の青臭さはすっかり消え去っているといっていい。しっかり熱が通っているからか、その苦さもだいぶ柔らかいものになっている。ちょっぴりオトナな、後にじんわりと残る苦さの余韻がなかなか面白い。
何より面白いのが、その見た目だ。ツヤツヤテカテカしていて、まるで作りものじゃないかと見紛うほどである。食べやすさを考慮したのか、けっこうペラペラだ。それ故に、一つ食べても物足りず、二つ食べても口寂しく、そして気づけばお皿の上に何もなくなっていた……なんてことになりかねない。
というか、現在進行形で華苗たちの目の前のお皿がそういうふうになりつつある。自分が無我夢中で野菜を──それも、苦くて苦くて堪らないピーマンを食べているだなんて、十年前の自分に言っても信じないだろうなと、華苗はぼんやりとそんなことを思った。
「僕、トマトやナスの素揚げって初めて見たけど……華苗ちゃん、知ってた?」
「えっと……ナスは揚げびたしがあるから、そういうのがあるってことは知ってた。でも、トマトは初耳」
揚げ物の王様であるジャガイモ。割とよく聞くピーマンに、これまたどこかで聞いたことがあるニンジン。誰でも知っているメジャーなものから、あまり人には知られていないトマトまで素揚げにされている。この大皿はまさに、素揚げのすべてが詰まった秘宝というわけだ。
「それに……トマトって揚げて良いものなのかなぁ。水分多いから、大変なことになりそうだけど……」
「…さすがに丸ごと揚げたら危ないが、切って中の水分をある程度取り除けばいけるぞ。…自分で言うのもなんだが、こいつはめちゃくちゃ美味い」
また大皿に乗っている野菜の半分も食べていないのに、なお美味しいものがあるのだと楠は告げる。こんなことを言われてしまってはもう、華苗だってなりふり構っていられない……それこそ、すべての種類を制覇しなくては気になって夜も眠れない。
「へぇ。アンタがそこまで言うってことは、ホントに美味しいんだろうね……。野菜だけならたくさん持ってきてくれるし、今度ウチでも作ってみるかなあ」
後片付けがちょっと面倒だけど、なんて言いつつ澄香はひょいひょいぱくぱくとジャガイモやピーマン、玉ねぎなんかをつまんでいく。時折息子たちの口に恵みを与え、そしてにっこりと笑った。どうやら澄香は、変わり種よりかは定番のもののほうが好みらしい。
「そうだねえ、かなちゃんもお土産いーっぱい持って帰ってきてくれるし……ママ、今度のお休みにでも本気出して作っちゃおうかなあ? ……あっ、もしよかったら柊くんも招待しちゃう?」
「おかあさんっ!!」
美桜が、そんなことを言いながらにこーっと華苗に微笑みかける。からかわれた(?)華苗としては、たまったものじゃない。どうして余計なことを言うのか、どうして素直に大人しく食べていてくれないのかと、そう思わずにはいられない。
おまけに。
「おかあさんさ」
「ん、なぁに?」
「人のこと気にするよりも前に、それ、どうにかしてよ」
「え゛っ?」
華苗の指摘に、美桜はわかりやすく狼狽え、そして視線をさ迷わせた。
「あれ、八島さんのお母さん……」
華苗の思いが通じたのか、最高のタイミングで──身内以外という最高の役者からのアシストが入る。
「ニンジンとピーマンだけ、全然手を付けていないですね……って、まさか」
そんなことあるのか、と柊が華苗に視線で聞いてくる。勝ち誇ったように、華苗はちょっぴり大きめの声で言った。
「そうなの。この人、未だにニンジンとピーマン食べられないの。だから、ウチじゃ絶対食卓に出てこないし、カレーにもニンジンは入らない」
「ああ……そういえば、そんなこと言ってたね……」
「もう、ホントに恥ずかしいんだもん! レストラン行っても、おかあさんはいっつもおとうさんのお皿にニンジン移すし!」
「だ、だってぇ……小さいころから、食べられないんだもん……!」
「そんなの言い訳にならないもん。私、食べられるもん。……そんな有様で、よくさっきみたいなこと言えたよね」
「うっ……」
ここぞとばかりに、華苗はピーマンとニンジンを口にして見せた。華苗も小さい頃は苦手だったけれど、今ではこうして美味しくいただくことができるのだ。ピーマンはそのほろ苦さが魅力だし、ニンジンだって野菜の甘みがたっぷり詰まっていて文句なしに美味しい。
いいや、親だって人間なのだ。好き嫌いの一つや二つ、あってもしょうがないだろう。
だけど、子供の前でくらい──子供のクラスメイトの前でくらいは、大人として大人らしい振る舞いをしてほしい。嫌いなものをこそこそと除けるなんて真似、しないでほしかったと華苗は心の底から思った。
「もし、もしもだよ? 家に誰かを呼ぶことになったとしても……おかあさんがこんな子供みたいな好き嫌いしてるだなんて知られたら、私、すっごく恥ずかしい」
「うぅ……」
(柊くん……なんか今日の華苗ちゃん、ちょっと機嫌悪かったりする? それともお母さんと仲が悪かったり……)
(いや、そんなことはないはずですけど……)
(…反抗期なんだろ、きっと)
(はー……まったく、男の子ってのは全然わかってないねぇ……)
外野がこそこそとそんな話をしているうちに、事態は動き出す。
「が……がんばって、食べてみる……」
「えっ……!?」
華苗にとっても意外なことに、美桜は大嫌いなはずのニンジンを手に取った。華苗がこの世に生を受けて約十六年ほど経つが、その間一度たりとも、華苗は美桜がそんなことをしたところを見たことがない。正真正銘、これが初めての経験だ。
「お、おかあさん……?」
「ママだって、やればできるもん。それに、かなちゃんに恥ずかしい思い、させられないもん……!」
ふるふると手を震わせながら、美桜は目の前のそいつを恨めしそうに睨む。お前なんかには負けないぞ、と気合を入れているのだろう。気持ちや気力で負けてしまっては、そもそも勝負になんてならないのだから。
ただ、目には涙がいっぱいで、幼い子が精いっぱい意地を張っているようにしか見えないのが困るところだった。
そして。
「……んっ!」
食べた。
美桜は、大嫌いであるはずのそれを、意外なことに一口で丸ごと口に入れた。
そのままもぐもぐ、と咀嚼して。
「お、おかあさん……?」
「えっと、あまり無理はされないほうが……お水とか、もらってきましょうか……?」
華苗が心配し、柊がそんなことを言ってしまうくらいに長い沈黙。
「……あれっ?」
信じられないとばかりに、美桜が目を見開いた。
「か、かなちゃん……!」
「う、うん」
「おいしい……! これ、おいしいよぉ……!」
ひょいぱく、ひょいぱく。あれほどまでに嫌っていたニンジンを、美桜は美味しそうに食べている。まるでウサギのように、その小さな手を忙しなく動かして。カリカリカリ、ポリポリポリという音が、妙に大きく華苗の耳に響いた。
「あのっ! ニンジンの変な匂いも変な味もしないのっ! なんか、初めて感じる甘さがあってっ! 食感も、すっごく馴染みがある感じでっ!」
「…うちで作ったニンジンですからね。特有の青臭さみたいなのはほとんどありませんし、市販のそれに比べて甘さも強めです」
「それに加えて、調理しているのはわがクラスの精鋭たちですからね。ただ揚げるだけの料理だからこそ、究めるのは逆に難しい。美味しいものが作れるようになるまで、結構頑張ったんですよ」
くどいようだが、ここで提供している野菜は園島西高校の園芸部で作られたもので、調理しているのも園島西高校のプロに鍛えられた人間たちだ。野菜の野菜としての素晴らしさは最高峰に近く、それを最高に高める形で調理はなされるのである。
出来上がった料理の出来栄えのなんて、いまさら語るまでもない。それは、ニンジン嫌いの美桜がおいしくニンジンを食べていることからも、わかりきっていることだろう。
「ママ、もしかしたらこの調子でピーマンも食べられるかも!」
「それ、別に張り切って言うことじゃないと思う……」
「…おう夢一、お前もあの姿勢、見習ってみろよ」
「はは、何のことだかわからないな?」
好き嫌いを克服した美桜が、キラキラに輝いた笑顔で次の獲物を物色し始めた。華苗はそんな母の姿にちょっぴりの恥ずかしさを覚えながらも、やはりその手は止まらない。母娘そろって同じように美味しそうにほおばる姿を、柊は何とも微笑ましそうに見つめている。
「……これなら、いいか」
「…なんか言ったか、母さん?」
澄香がぽつりと漏らした一言。律儀に反応した息子に対し、母は独り言のようにつぶやいた。
「いや、当初の目的は果たせたしさ。これからちょーっと残酷なことをしてもだいじょぶかなって」
「…目的? 残酷?」
「残酷の方は、このあと美桜さんを華苗ちゃんから引き離さなきゃいけないこと。……どう考えてもアタシたち、邪魔しちゃってるからね。そこはまぁ、ケジメはつけないと」
「…目的は? 母さんたち、まだ来たばかりだろう?」
「うん。だから、アタシはまだだ。アタシがここに来たのは渚ちゃんや詩織ちゃんの顔を見て、この文化祭で楽しんで……ついでに、アンタがまともにやっているか確認するためだから。まだ全然、満足してない」
「……」
「でも、美桜さんの目的はもう達成しているんだよね」
澄香は知っている。実はひっそりと行われている澄香、美桜、青梅、双葉のグループチャットの中で、昨晩唐突に送られてきたある画像。それを見て、美桜がとても……とても、悔しがっていたことを。
「念願が叶って、本当に良かったよ」
「…母さん? 何の話だ?」
「つまり、美桜さんは文化祭を見に来たんじゃないってことさ」
「…………どういうことだ? 文化祭を見に来たってさっき言ってなかったか?」
「ああもう! あれ見りゃわかるだろう?」
澄香は羨ましそうに華苗と澄香を見つめ、そして二人に聞こえないよう、息子の耳元でささやいた。
──美桜さんはね、華苗ちゃんに会いに来たんだよ。華苗ちゃんの晴れ姿を見るの、すっごく楽しみにしてたんだから。
かなちゃんに会いたくてたまらなかったはずのかなちゃんママが、午後に文化祭に来た理由
1.夜に青梅たちからファッションショーの白ワンピースの写真が送られる。
2.美桜、悔しがる。
3.悔しくて夜も眠れない。
4.なんとなくおトイレに起きたら、華苗が内緒でこっそり洗濯機にしかけた白ワンピースを発見。
5.『これ、普通にお洗濯して乾燥機かけたらしわくちゃになっちゃうやつ……』
6.夜なべしておせんたく。しわにならないようにきれいに処理。
7.何事もなかったかのように、きれいに畳んで洗濯機の中に戻す。
8.早朝、華苗が白ワンピースを回収。バレずに洗濯出来た(と思い込んだ)ので上機嫌。
9.美桜、華苗を送り出す。
10.美桜、すぐにでも学校に行って白ワンピースの娘の姿を見ようとするも、昨日の夜更かしのせいでうっかり寝てしまう。
12.お寝坊したため、文化祭到着は午後になった。




