91 園島西高校文化祭:クスノ・キッチン!
「ここ、みたいだね……」
「う、うん……」
そうしてやってきた、楠のクラス。表の看板には大きく【クスノ・キッチン】と書かれており、そこが食べ物を提供するお店であることを示していた。
実際、そこからは何やらおいしそうな匂いがしている。お店の名前にキッチンとついている──しかも明らかにネーミングが楠を意識している──となれば、それはもう疑いようのない事実だろう。
ただし、この【クスノ・キッチン】は普通のお店とは思えない、ある意味では園島西らしいコンセプトに溢れたお店でった。
「ね、ここ……」
「うん。すっごく重圧感があるというか、良い子は入っちゃいけなさそうというか……」
薄暗い店内。オレンジの明かりが灯っている。机も椅子も木目がキレイで重厚感があり、何度もニスを塗って艶出ししたのか、オレンジの光を受けて妙に艶やかに煌めいていた。
どうやったのか、教室の床も高級そうな板張りのようになっており、全体的にウッディな感じがしている。それは華苗に、昔家族旅行で訪れたウィスキーの貯蔵庫のような印象をもたらした。
そして──そんな机の上に、妙に使い込まれている奇妙なコインが山盛りになっている。ゴツい指輪やアクセサリーも無造作に置かれているうえ、ヴィンテージっぽいボトルがずらりと並んでいた。
「おんやぁ? 好奇心の強い子供がこぉんなところまで入り込んでいるみたいだぜぇ?」
「そいつぁ面白れぇ! おう、いっちょ俺たち流の歓迎をしてやろうじゃねぇか!」
黒いベストに、黒いサングラス。現れた二人は、そんな恰好をしていた。
「ようこそ、お客様! ここは【クスノ・キッチン】! 怖がっちゃった子がいたから一応説明しておくとだな──!」
最大限譲歩すればウッディでレトロな雰囲気。普通の人が言葉を濁して説明するなら西部劇の酒場風。
真っ当な感性の人が、言葉を偽らないで告げるなら──
「──マフィアやギャングのアジトをコンセプトにしたお店だ! 存分に楽しんでいってくれよな!」
そう、まさしくギャングのボスが豪華なソファに座ってペットのゴツい犬を撫でているような──そんな空間をモチーフとしたお店であった。
「う、わー……!」
「凝ってるなぁ……!」
マフィアの構成員風の格好をした二人に案内され、華苗と柊は席へとついた。薄暗い店内は、机の所だけオレンジの雰囲気のあるライトで照らされていて、何ともムードがある感じになっている。
触ってみた感じ、やはり机も自前(?)で用意したものであるらしかった。学校の机はこんなにもつるつるしていないし、もっと落書きや傷でいっぱいだ。だからこそ、華苗たちのクラスはテーブルクロスを使ってそれを隠したのである。
だけれど、この机は根本から違う。つやつやしていて触り心地が良いし、何よりこの空間にとてもとても馴染んでいる。まるで本場からそっくりそのまま空輸してきたんじゃないかってくらいだ。
「見てよ、この小物……どれだけこだわったんだろ……?」
ほら、と柊に手渡されたコイン。裏取引の現場でも模したのだろうか、箱にも入れずそこらに無造作に山積みになっているコインの一枚だ。
「なに、これ……? おもちゃじゃない、よね……?」
「重さ的に普通に金属だね。しかも僕でもわかるくらいに掘り込みがしっかりしているし……こう、ところどころ擦り減っているというか、作り物にしてはあまりにも使い込まれている感じがする」
「アンティークショップとかで買えるやつなのかなぁ?」
「どうだろう。でも、もし仮に買えたとしても……」
柊はちら、とあたりを見渡した。
「こんなにたくさんも扱っているものなのかな。これがおもちゃのコインだったらわかるんだけどね」
「は、はは……」
小道具一つとってもこのクオリティ。華苗たちだったら、こんなコイン一枚用意するだけでも苦心しただろう。手に入れる伝手も無ければ、作ることだってできはしない。
この段階でもう、二年生との力の差を見せつけられた気分だった。
「それに華苗ちゃん……並べてあるボトル、よく見ればペイントしたり色水入れたりしているみたい」
「あっ、ホントだ……ラベルをわざわざ作って貼ったんだね。……“Koubaiha Yakisobapanga Umai”って、お酒の名前じゃなくて、なにこれ……」
「“You kun Daisuki Drink”……お酒のラベルっぽく見せかけた、おふざけメッセージばかりみたいだ」
ほかにも『ウチのクラス最高!』だとか、『製作費三百円』だとか、『ウチの父さんはいつもコップを洗わない』だとか、いかにも雰囲気のあるラベルに見せかけてそんなメッセージが書かれている。
「いらっしゃいませ、お客様」
「……わ、お?」
メニューを持った店員がやってきた。これはまあ、普通のことだろう。重要なのは、それが華苗たちもよく知っている人物であり──同時にまた、華苗たちが知っているその人物とは思えない、ある意味では妙にしっくりとした格好をしていることだった。
「何やってるんですか、佐藤先輩」
「ごめん、真顔でそれを言わないで……!」
佐藤がいた。楠のクラスなのだから、同じクラスである佐藤がこうして接客に出るのも何ら不思議はないだろう。
ただ、今日の佐藤は──
「えっと、その、佐藤先輩? 僕が言うのもなんですけど……すごく、明るくて活動的な印象がする格好をしていますね」
「ありがとう、柊くん。言葉を選んでくれて」
整髪料でも使っているのだろう。佐藤の前髪はあげられていて、いかにもそれらしくセットされている。着ている白いシャツは制服のそれに比べて高級感に溢れており、首元の第一ボタンを外しているだけなのに、いつもに比べてどことなく露出が激しい。それをごまかすように銀の首飾りが煌めいていた。
良く言えばバーテンダー風。実際、佐藤は日本人らしからぬ明るい茶髪をしていることもあって、外国のバーで働いていたとしても違和感を覚えないくらいに、その格好は様になっている。
しかし、純然たる第一印象を述べるとしたならば。
「チャラいホスト……」
「華苗ちゃん。わかっていても言葉に出さない優しさってあるんだよ……自分でもそれはわかってはいるんだよ……」
そう、まさにチャラいホストのような格好だった。それは佐藤の顔の良さを示すものでもあり、彼のクラスメイトが、彼のことをどう思ってこの服装をさせたのかを示すものでもあった。
「や、その、でも、この格好をここまで着こなせるなんて、そうそうできないことですよ!」
「同じ言葉を、クラスメイトにゲラゲラ笑いながら言われたよ……。初めてこの服着せられて、頭のセットまでやられたとき……ツーショット撮影会とか開かれたよ……」
柊の必死のフォローも、佐藤の傷口を抉るだけであった。よくよく見れば、端っこの方にいるスタッフが、こっちの方を見て必死に笑いをこらえている。きっと毎回のように同じやり取りがあったのだろう。
それほどまでに、佐藤のこの格好は──良い意味でも悪い意味でも似合いすぎていたのだ。
「ごほん。まぁ、僕のことはいいんだ。それよりも……はい、こちらがメニューです」
「わぁ……凝ってるなぁ」
佐藤から手渡されたそれ。西部劇に出てくる賞金首の手配書を模したものだろう。古びた紙(のようにみえる紙)をラミネート加工したそれには、お値段の所にはそれっぽくEat in or take away(店内外問わず)と書かれている。
「【黄金のニクいやつ】……店内外問わず、懸賞金五十円。三つ子の巨漢、めっちゃ凶悪?」
「【橙一本柱】……店内外問わず、懸賞金三十円。一本とか言いつつ十人で徒党を組んでいる極悪集団。子供の天敵……ってなにこれ?」
「うん、わかんないよね……だからこうして毎回店員が説明に入るんだよね……」
どれを見ても、そんな感じで指名手配犯(?)の懸賞金と説明が書かれている。どんな料理なのか、何を使っているのかはさっぱりわからない。
そもそもとして、ここはギャングのアジトをコンセプトとしたお店だったはずだ。手配書を眺めて注文を決めるのなら、それは保安官や賞金稼ぎ側の話ではないのかと華苗はぼんやりと思う。
「ええと……まぁ華苗ちゃんたちだし、あえて詳しい説明はしないけど……とりあえず、【極悪賞金首セット】が良いと思うよ」
──数多の人間を堕落の道へ屠ってきた最恐の賞金首たち。奴らの誘惑に君は耐えきれるか!?
改めてみてみると、本当に飲食店とは思えない文句である。
「じゃあ、とりあえずこれを一つ……で、いいかな、華苗ちゃん」
「うん。足りなかったら追加で頼めばいいし。えと、お金は……」
「ああ、それについてはちょっと特殊でね」
懐から金券を取り出そうとした柊を制し、佐藤は机の上に置いてあるコインを指した。
「そのコイン……グラスに入っているやつ。全部で十枚あるでしょう? それをチップに、ちょっとした賭けをしてもらおうか!」
「賭け?」
「……雰囲気のためにそれっぽく言ったけど、ちょっとしたミニゲームだよ。店員とゲームをして勝てば、半額になったりオマケしてもらえたり……あるいは、秘密の裏メニューを頼めたりするんだ」
佐藤曰く、このチップを使って常駐している店員にゲームを挑むことが出来るらしい。店員によって担当しているゲームは異なり、またゲームによってコインのレートも異なって来るとのこと。当然、レートの高いゲームの方が勝った時の特典もおいしくなるのだとか。
「もちろん、やってもやらなくてもいい。ただ、負けてもデメリットは特にないから、気軽に参加してくれるとうれしいな」
「ちなみにですけど、佐藤先輩はどんなゲームを?」
「僕の場合は簡単なトランプの勝負だよ。せーので山札からカードを引いて、高い数字の方が勝ちってやつ」
佐藤のそれは一番レートが低いものらしい。得られる特典は【ちょっぴり増量】とのこと。
ほかにもコインの裏表をあてるオーソドックスなものから、一試合限りのポーカー、じゃんけんにクイズ対決、はたまた数学の早解き対決など、その時お店にいる店員によって様々なゲームがあるらしい。
よくよく見れば、インテリアや演出の一種として、壁には佐藤のクラス全員の顔写真付きの手配書が飾られている。適当に付けられたと思しき懸賞金や特技欄に交じって、挑めるゲームも書かれていた。
「んー……まずは無難に、佐藤先輩に挑もうかな?」
柊がそう言うと、バーの中にいたスタッフの一人ががっくりと肩を落とした。
「……みんな、自分が挑まれないかってそわそわしているんだよ」
「へぇ……あ、これコインです。佐藤先輩は二枚でいいんですよね?」
「うん……はい、たしかに」
「それにしても、ずいぶん本格的なコインですよね。使い込みみたいなのもしっかりしているというか……」
「……そりゃあ、本当に使われている本物の銅貨だからね」
「……えっ」
「ああいや、なんでもないんだ」
そして、柊は佐藤がポケットから取り出したトランプから、カードを一枚引く。出てきたのはハートの五。対する佐藤が引いたのは──
「──スペードの十、ですか。まぁ、五じゃ勝てないよなぁ」
元より運任せの勝負だからか、柊は特に気にした様子もない。華苗としてはぜひとも勝ってほしいところではあったが、逆にここは自分が良いところを見せつけられるチャンスだと思い直すことにした。
「はは、残念……華苗ちゃんはどうする?」
「そーですねぇ……」
壁の手配書と現在お店にいる店員を見比べ、なるたけ自分に有利なゲームで挑めないか、華苗は考えた。少なくとも真っ向勝負での勝率は低いだろうことを鑑みると、ここは自らの体格を活かしたゲームか、あるいは女の子であるという事実そのものを活かしたゲームが望ましい。
さて、そんな都合のいいゲームは無いか……と、まさに華苗が思った時だった。
「ふゥーッ! ボスのお帰りだーっ!」
「ただいまより、スペシャルボーナスタイムに入ります!」
「【クスノ・キッチン】のボスがお帰りになられました! 彼にゲームで勝てれば、裏メニューがなんとタダ! 早い者勝ちの先着三名まで!」
「腕に自信がある人はぜひぜひ! 挑戦してくれよな!」
「尤も、ウチのボスをそう簡単に倒せるとは思わないことだねっ!」
店員が囃し立て、そしてそいつはやってきた。
背が高く、ガタイの良い色黒の大男。目元にはサングラスがあるものの、その虚空を見つめる死んだ瞳の鋭さを隠せていない。学ランとは明らかに違うジャケットを羽織り、少々だらしなく派手なネクタイを締め、そして左手にはごっついチャラチャラした指輪をいくつもつけている。
一歩踏み出しただけで分かるほどの、重圧感。こいつの前に立てば、いかなる勇者も震えあがってしまいそうなほどの迫力。遠目から見ただけで『あ、なんかヤバい』と思わせるほどに無言のプレッシャーを放つそいつは、今まで意味ありげに空いていた教室奥中央の、無駄に豪華な空の椅子に腰を下ろした。
──なぜか、妙にファンシーな鶏のぬいぐるみを膝元で撫でていた。
「さぁ! 彼こそが、我ら【クスノ・キッチン】の偉大なるボス! その名も《西の野菜王》──楠だ!」
「…………」
それは、紛れもなくギャングのボスに扮した楠であった。
「う、わー……」
「様になりすぎてるね……」
「……昨日、一回だけど泣いちゃった子供が出たんだよね」
「「…………」」
既に長い付き合いである華苗だからこそ大丈夫だが、外から来たお客さんはもちろん、園島西高校の生徒でさえビビっている。少なくとも、同じ学校の生徒を見たとは思えない反応をしており、露骨に体を反らしたり、ガタッと椅子から落ちそうになっている人もいた。
「ちなみにですけど、楠先輩とはどんな勝負を?」
「それはね……あっ、ちょうどチャレンジャーが」
ちょっとチャラそうな雰囲気の、大学生くらいの男が楠の前にやってきた。ガタイがそこそこよく、また健康的に日焼けしていることから鑑みるに、野球かバスケか、その辺のスポーツを嗜んでいるのだろう。彼がいた席には同じく高校生にしてはちょっと大人っぽい感じの私服の女の人がいたことから、父兄か近所から遊びに来た──要は、この学校の生徒でないことだけは確かだ。
そうでなくとも、この学校の生徒だったら武道部でもない限り、楠に真っ向から挑もうとするやつはいない。
「っしゃ! ちょっと腕には自信あるんだが……高校生とは言え、手加減はしないぞ?」
「…ええ、こちらこそ。お手柔らかに」
鶏のぬいぐるみを撫でる指輪だらけの左手をひっこめ、楠はくい、と顎で合図する。脇に控えていたスタッフがさっと机と椅子を持ちより、そしてレフェリーよろしく──というか、まさにレフェリーとして立ち会った。
「さぁ! ボスとの対決は腕相撲だ!」
大学生風の男はにやりと笑い、わざとらしく両手を使って指の骨をぽきぽきと鳴らす。一方で楠も、いかにもこれからそのまま締め上げますよ、と言わんばかりに片手で指をごきごきと鳴らした。
「それでは両者、見合って──!」
楠と男が腕を掴み合う。レフェリーが二人の手をぐにぐにと動かし、力が入っていないことを確認した。
「──ファイッ!!」
「ぬゥんッ!!」
──わぁっ!
教室内が、ざわめいた。
先手必勝とばかりに、男はいきなり勝負を決めにかかっていた。素人の華苗が見てもわかるくらいに全力を出しており、右腕がさっきの二倍くらいになったんじゃないかってくらいに膨れている。当然のごとく岩のようにガチガチになっており、ローマあたりの石像のごとき力強さに溢れていた。
「ぬゥゥ……ッ!」
みし、みしと机が悲鳴を上げている。
それもそうだろう。男の方は、腕の力だけでなく、体を倒し込むようにして力をかけているのだから。
「ぐ、ぅぅ……ッ!」
が、しかし。
男の方は必死の形相で、額には玉の汗が浮かんでいるというのに──
──あのボス、表情一つ変えてない……!?
──それどころか、ピクリとも腕が動いていないぞ……!?
──あんの、そんなこと!?
楠の方は、文字通り顔色一つ変えていなかった。延々とじゃれつく子供を無視しているかのように、微動だにしない。一方で男の方は必死なものだから、なんだか逆に滑稽にさえ見える。
「ちょっと洋二ぃ! 下手に見せ場作ろうなんてしなくていいから! 相手の子、リアクションに困ってるでしょ!」
「ち、ちが、う……! こい、つ、マジで……強いッ!」
「えっ……本気でやってるの? あんだけ自信満々で出ていて、そのザマなの?」
「ち、く、しょぉ……ッ!」
男が、より一層の力を入れた。
しかし、楠は動じない。
動じないばかりか──
「…この辺でいいでしょう」
──ダン!
まさに、一瞬。刹那の出来事。
楠がポツリとつぶやいた瞬間、男の手の甲は机に叩きつけられていた。
「──勝者、我らがボス! でもでも、健闘した勇気あるチャレンジャーに盛大な拍手を!」
大きな歓声。盛大な拍手。華苗も柊も、釣られるように拍手した。
「ってぇ~……。いや、完敗だよ。結構自信あったんだけどな……キミ、運動部だろ? 何やってるの?」
「…いえ、文化部ですが」
「うっそだろオイ……」
それが本当だというから笑えない。尤も、文化部は文化部でも、ヘタをしたら運動部以上に体力を使う、バリバリ肉体派の文化部ではあるのだが。
「さすがにあいつは強いな……挑戦者の人も、かなり力はありそうだったのに」
「うーん……純粋な腕力だけなら合気道部の部長よりあるだろうし……。それこそ、空手部や柔道部の二年以上を引っ張ってこないと勝ち目は……」
「……私、やってくる」
「「……えっ?」」
華苗は名乗りを上げた。挑戦に必要だというコイン──手持ちのコイン全て──を握りしめ、白いワンピースのスカートをくるりと翻し、ギャングのボスの前へと躍り出る。
「おおお!? なんかすっごい可愛らしいチャレンジャーがやってきたぞ……っていうか園芸部じゃねえか!」
「こいつぁ……まさかの先輩後輩対決かぁ!?」
「…………」
「よろしくおねがいしますね、先輩?」
にこりと笑い、華苗は握りしめたコインをじゃらりと机の上に置く。挑戦的に手をにぎにぎとし──そして、楠と向かい合う形で肘をついた。
「華苗ちゃん? さすがに無茶じゃ……!」
「だいじょぶ、克哉くん。それよりも……応援してね?」
華苗には勝算があった。
相手はヤクザもビビって逃げ出すくらいにおっかないギャングのボス。対する自分は、自分で言うのもなんだが可憐で華奢な白ワンピースの可愛い女の子だ。ちょっと強い北風が吹けばハワイくらいまで吹き飛ばされてしまいそうなくらい、か弱い女の子だと言い換えても良い。
普通に考えたら、華苗に勝ち目なんて万に一つもないだろう。
しかし、だ。
「せんぱぁい? まさかとは思いますけど……女の子相手に大人げない真似、しませんよねぇ?」
「…………」
ぼそりと、囁くように華苗はつぶやく。
非常に不本意ながら、華苗は小学生に間違えられることがあるくらいに体格が貧相だということを自覚している。そして、楠はおっかない見た目こそしているものの、その実中身はごく普通の心優しい(?)男子高校生だ。
そんな男子高校生が、公衆の面前で可愛い女の子を、それも部活の後輩をけちょんけちょんにすることなどあるだろうか。
いや、いくらこの唐変木でもそれは──この唐変木だからこそそれはないと、華苗は確信を持っていた。
そう──華苗の武器は、女の子であるという事実そのものだ。
「予想外の面白いカード! タイミングが良いとはこのことだな! それでは両者、見合って──!」
華苗が構えた手に、楠が手を伸ばした。
(むぅ……)
大きな大きな、ゴツくて硬くて力強い手だった。それはあまりにも武骨で、触れているだけで握りつぶされてしまうのではと思えるほどに重圧感があった。
部活で見慣れていたとはいえ、思っていた以上に迫力がある。こんなにも大きくてゴツい手を、華苗は握ったことが無い。
ある意味当然のごとく、楠の手を握ったところでドキドキなんて全然しない。手汗も気にならないどころか、むしろ向こうの手のひらの変な所にある豆と、手に染みついた土の匂いが気になるくらいだった。
思い返してみれば、柊以外の男子高校生と手を握ったのは初めてだな──などと、華苗は場違いにもそんなことを思った。
そして。
「──ファイッ!!」
「そぉいっ!」
──なにぃ!?
裂帛。
試合開始の掛け声とともに──華苗は、禁じられた左手を解放した。
「男子対女子だもんねっ! 一年と二年だもんねっ! 先輩と後輩だし……これくらいのハンデはいいよねっ!」
──やべぇ。可愛い顔してあの娘ガチだ。
──いや、ハンデは必要だろうけど……。
──躊躇いが、一切ない……!?
「克哉くん! 佐藤先輩! 応援、応援!」
両の手で楠の腕を倒そうと試みながら、華苗は精いっぱい声を上げた。それもなるべく可愛らしく、庇護欲をそそらせる感じに。
「あ……頑張れ、華苗ちゃん!」
「ボスなんかに負けるな! やっつけちゃえ!」
──よっ、負けるな、華苗ちゃん!
──女の子、がんばってーっ!
──あっ、いいよそのアングル!
柊と佐藤につられて、やがて教室中から華苗を応援する声が上がりだした。さっき負けてしまった挑戦者の人はもちろん、お店の外で順番待ちしている人も、なんとなく野次馬に来ている人も、果てはボスの忠実なるしもべであるはずのお店の人まで華苗のことを応援してくれている。
「く、ふふ……! さぁ、せん、ぱい……? この空気の中で、どう、すればいいか……」
「…………」
「わかって、ます、よね……?」
華苗は必死に両の手に力を込めた。園芸で鍛え上げた腕力に、上半身と下半身。それに全体重までかけているのだから、楠の腕には見た目以上の負荷がかかっていることは疑いようがない。
華苗は乙女のプライドを捨ててまで──いいや、ある意味では乙女の特権をフルに利用して勝負に挑んでいる。
自分の力だけでは勝てないのなら、他者の力を借りればいいじゃない。それが華苗の出した結論であり、園芸部で培ってきた成果であった。
「…………」
「ほ、らぁ……! も、楽に、なりま、しょ……?」
──やれーっ! やっちまえーっ!
──ボス、意外と粘るなぁ……。
──完全アウェーでまだやるか……!
──案外、役得とか思ってたりして。
華苗に唯一誤算があったとすれば。
「…………後輩は甘やかさない主義でな」
「きゃん!?」
──タ、ン
一瞬にして華苗の体はひっくり返され、そして手の甲が優しく机に押し付けられた。華苗の全力をあざ笑うかのように、見せつけるようにして行われた鬼畜の所業。誰がどう見ても、華苗の完敗だった。
「い、いったぁ~い……」
「…嘘つけ、十分に加減しただろうが」
「…………」
──えげつねぇ……。
──女の子にも容赦なしかよ……。
──見た目通りのボスじゃねえか……。
「…おい、審判」
「は、はいっ!?」
「…俺の勝ちだ」
静まり返った店内に、楠の低く重い声が響く。
華苗の誤算。それは、楠は意外とこの手の勝負に熱くなりがちであり──そして華苗のことを、こういったどうでもいいことでは女扱いせず、周りの空気を一切読まずに叩きのめせる性分の持ち主であったということである。
「しょ、勝者! 我らがボス! 健闘した可愛い挑戦者に盛大な拍手を!」
「先輩のばかぁ……!」
「…後輩が部長に勝とうなぞ十年早い。…まぁ、わざわざ来てくれたことには礼を言う」
白いスカートを翻し、そして華苗は柊が待つ席へと戻った。もちろん、負けたことをいいことに甘え……否、慰めてもらうためである。
「ひーん……! 柊くぅん……!」
「うん、頑張った頑張った」
「……それだけ?」
「あー……これで我慢して?」
「……まぁ、許そう」
顔を真っ赤にした柊が、遠慮がちに華苗の頭を撫でる。自分で強請っておきながら、華苗自身も真っ赤になっているというからタチが悪い。
普段の華苗だったら、絶対こんなことできないだろう。げに、文化祭の魔力というものは恐ろしかった。
「はー……でも、ホントに先輩に勝てる人なんているのかなぁ?」
「一応、昨日は泣いちゃった子に負けてあげてたよ。あと、か弱そうなお婆さんにも負けてあげてたっけ」
「……あの人、なんでそっちで優しさを発揮しているのに、私には優しくしてくれなかったんですかね」
「あいつなりの親愛ってやつじゃないかな」
話題になっている本人は、再び豪華な椅子にどっかりと腰を下ろしていた。やっぱり妙にファンシーな鶏のぬいぐるみをひざもとに抱えて、意味も無く無駄に撫で続けている。たったそれだけの動作なのに、いかにも本物のギャングみたいな雰囲気を出しているというからすごい。
「さぁ! さぁ! さぁさぁさぁ! 力自慢の勇者に、可憐な美少女さえ容赦なく蹂躙した我らがボス! 勇気ある挑戦者はもういないのかぁ!?」
「ちなみにだけど、ボスを倒すと頼めるスペシャルメニュー……【西の野菜王の秘宝】は、マジでホントにおいしいぞっ! ……はい楠、セリフっ!」
「…………『我が組織に刃向かう歯応えのある奴はいないのか。俺を倒せば、俺の財宝を丸ごとくれてやる。尤も、貴様らにそんな気概があるとは思えんがな』」
この世の終わりさえ飲み込む様な低い声で、楠は淡々とセリフを読み上げる。感情がまるで籠っていない棒読みだったが、それが逆に妙なリアリティと迫力を醸し出し、教室にいたほぼ全員が竦みあがる結果となった。
誰もが恐れる西の野菜王、ギャングのボス。もはやここは、彼の絶対的暴力空間に支配されていると言っても過言じゃない。
あとはもう、誰も挑戦者は出ず、このまま楠の出番は終わるだろう。
──そう、誰もが思ったその時だった。
「──いいね、上等だ。その勝負……乗った」
野次馬の後ろから声を上げた、その人物。
「……げぇっ!」
誰もがビビるギャングのボスが、悲鳴を上げた瞬間だった。




