89 園島西高校文化祭:繋がりと噂
楠の言う所の「悲しいお知らせ」──主婦の集団は、華苗が数回瞬きをする間に園芸部のお店の前まで来ていた。誰も彼もが歴戦の風格を漂わせていて、今この瞬間から血で血を洗うタイムセールが始まったとしても、奮迅の活躍を見せてくれるだろうことは疑いようがない。
「は、はは……」
今現在捌いている主婦の集団。そして、新たにやってきた主婦の集団。もともとそんなに大きくない園芸部のスペースはとうの昔にいっぱいになっていて、これ以上は明らかにキャパシティを超えている。
仮にそうでなかったとしても、華苗には自分がこの集団を問題なく捌けるヴィジョンがまるで浮かんでこなかった。
「ねえ──」
「は、はいっ!」
そんな、新規集団の一人からかけられた言葉。思わず背筋を伸ばし、華苗は精いっぱい明るい笑顔で受け応えた。
「この籠一杯に詰め放題で五百円って聞いたんだけど、ホント?」
「ええ、その籠一杯に詰め放題で──え?」
「……やっぱり、嘘だったの?」
「…いいえ、詰め放題できっかり五百円です」
華苗の後ろから、ぬうっとはい出てきた楠が受け応える。歴戦の強者の成せる業だろうか、その主婦は不愛想でおっかない大男が出てきたというのに、顔色一つ変えていなかった。
「そだよー。詰め放題だよー。ちょうお得だよー」
ぴょこん、と黒い頭が人影の中から飛び出てきた。
美術部部長の草津である。
「美術部と園芸部の夢のこらぼー。美術部で一定額以上のお買い物をした人にはこの特製の麦わら籠をぷれぜんとー」
「……」
「さらーに! 自分で籠をあみあみしてもおーるおっけー! 時間が許す限り好きなだけ大きいの作っておっけーよー」
「……」
「ぐっへっへー。ちょうおおもうけ―」
「…そういうことだ」
「いや、わかりませんって」
華苗が混乱している間にも、主婦たちは我先にと籠に野菜や果物を詰めていく。一番の狙いは普通に買ったらかなりお高くなってしまうメロンやスイカ。元よりサイズが大きくて嵩が張るものだから、これを中心に戦略を組み立てているらしい。
スイカやメロンをベースとしてがっちり固定した後は、各々目的の物を詰め込んでいく。旬の野菜を中心に、旦那や子供の好み──ひいては自分へのちょっとしたご褒美も鑑みて。
ジャガイモやニンジンといった比較的硬いものを下にして、キュウリやトウモロコシといった棒状のもので隙間を埋める。上の方にはトマトやさくらんぼ、イチゴなどの柔らかいものを。果物の比率が多いのは、やっぱりこれだけの質のものを安く手に入れられる機会がないからだろう。
「ああもう、なんだかんだでパックがないと不便ねえ……!」
「家でグータラしている息子を連れてくればよかった!」
「メロンが欲しいけど……これを入れたら、他のが入らなくなっちゃうわ……」
主婦のみなさんが持っていた籠はそれなりに大きい。だけれども、それはあくまで常識の範囲内の話である。見た目以上に物が入る籠なんて、それこそ園島西高校の不思議な部活が関わっていなければ存在しえないはずだ。
しかし、主婦の皆さんはみな凄まじいテクニックを持っていた。一体全体、どこでそこまでの技術を培ったんだって華苗が叫びたくなるくらい、想像を絶する量の戦果を籠に詰め込んでいる。華苗にはどうしても、詰め込んだ量と籠の大きさのつり合いが取れていないように思えてならないのだ。
「…実はだな」
しばらくは手が空くと踏んだのか、楠は唐突に語りだした。
「…去年、購入したはいいが入れるバッグが無いと問題になってな」
「はぁ」
「…高校の文化祭にエコバッグを持ってくる人なんているはずがない。…そして俺も、買った後のことなんてまるで考えちゃいなかった。その結果……」
「自分のバッグに無理矢理突っ込んでビリってなったりー? そのまま抱えて持ってこうとしてごろごろーってなったりー?」
「げ」
「…この人混みだ」
「おむすびころりんすっとんとんー?」
「…危うく尻でスイカ割りをする人が出そうに」
「そんなのもうテロじゃないですか」
「…………」
ともかく、無理矢理持っていこうとして野菜や果物が転がっていき、大変なことになりかけたらしい。幸いにも大事にはならなかったものの、しかし依然として根本の問題は解決していない。さすがに大量のビニール袋を用意する伝手なんて持ち合わせていなかった楠だが、幸か不幸か、ここは園島西高校であった。
「ちょうど美術部でねー? あみあみ籠の体験教室やっててねー?」
「…夢のコラボをもちかけられた」
「ぐへへー!」
ちょうど、美術部の文化祭の出し物の一環として編み籠の体験教室をやっていたらしい。ただ、どうしても時間がかかるうえ、あまり子供向けとは言えないものだから、美術部の方もいくらか暇を持て余し気味だった。
そんな中、入れ物が無くて困っているという園芸部の話が入る。お互いにとって利益のある話だったので、手を結ぶことになったというわけだ。
「ウチで籠を作ったら、その中に五百円で詰め放題だよーって宣伝したのー。おかげで集客効果がばっちぐー!」
「…ちょっとでも得をしたいなら、先に美術部に行けと言った。…入れ物を用意する手間が省けた」
「……」
美術部は客を集めることが出来た。園芸部は客の不満が消え、結果的に売り上げを伸ばすことが出来た。そうして増えたお客さんは、園芸部の作物がたくさん入った美術部の籠を片手に校内を練り歩くこととなり──生きた迫力ある宣伝として申し分ない働きをしてくれる。実に隙の無い計略だったと言えるだろう。
「でも、本気でそれをやるとか……」
「…強制はしてないぞ?」
そうなのだ。そんな突拍子もないことを、このお客さんたちは好き好んでやっているのだ。それは決して、楠たちが強要したわけじゃない。
「華苗ちゃんにはちょっと変わって見えるかもだけどさー? みーんなが満足してるならそれでよくないー?」
「……そうですね」
ほんにゃりと笑う草津を見ていれば、確かに些細な事なんてどうでもよくなってしまう。それに実際、先程までとは違ってお会計の手間もずいぶん楽になっているから華苗としても文句の言いようがない。目の前に置かれた籠を軽く検分して、五百円分の金券を受け取るだけでいいのだ。こんなの目を瞑っていたってできることである。
どしん、どしんと重量感たっぷりに置かれていく籠。まるで子供のようにはしゃぎ、大特価の果物や野菜を詰めていく奥様方。夕餉の食材をたんまりと仕入れることが出来てにっこりしている人もいれば、立派で見事な……文字通り、抱きかかえないと持てないほどの大きさの花束にうっとりしている人もいる。
幸せがたったの五百円。それも、怪しいブツやサービスを扱っているわけじゃない。どこにでもある身近な小さな幸せが、大きく大きくなっているだけなのだ。
「それにしても、よく売れるねー?」
「…ありがたいことです」
会計での手間が大幅に減ったからか、さっきまでとは比べ物にならないくらいに客の回転が速くなっている。元より、主婦の皆様方は少しでも良いものをなるべくたくさん買おうと躍起になっているのだ。必然的に、その行動は早くなるというものである。
そして、それゆえにちょっとだけ問題があった。
「あの、先輩……」
「…どうした?」
会計係としての負担が減り、余裕が出来てしまった華苗は、その事実に気付いてしまった。
「もう、在庫がありません……!」
そうなのだ。チラッと後ろを見てみれば、あれだけ山積みにされていた野菜や果物がすっかり姿を消している。ほうき草やピーマンこそまだいくらか余裕があるものの、イチゴやメロンといった人気商品は、今しがた楠が陳列したものが最後だろう。
そして、お客さんはまだいっぱいいる。お店はまだ、始まったばかり。
どう考えても、詰んだようにしか華苗には思えなかった。
「すごいねー。この短時間で売り切れってそうそう見られないレベルだよー?」
「…これでも、去年より多く用意したんですがね」
華苗の不安をよそに、部長二人は呑気にそんなことを話している。この男は現場の最前線の空気がわかっていないのかと、華苗は思わずそんなことを口走りそうになった。
「…まぁ、そんな心配そうな顔をするな」
「でも……!」
珍しく、楠の方からそんなことを口にする。
──どこか遠くから、がたごと、がたごと……と、聞き覚えのある音が聞こえてきた。
「…ここに用意してあったのは、初期ロットだ」
「ちわーっす! 野球部、第二ロット持って来ましたーっ!」
リヤカーが三台。大きな大きなリヤカーだ。うち一つは我が園芸部で普段使っているものだが、残り二台はおじいちゃんが所有しているものだろう。少なくとも、華苗は園芸部のスペースにあのリヤカーが置いてあるのを見たことが無い。
そして、そのリヤカーの全てにこれでもかというくらいに野菜や果物が敷き詰められている。高校生三人が乗ってもかなりゆったりできるほどのスペースがあるということを鑑みれば、一台当たりの積載量がどれだけのものか想像できるというものだろう。
──否、下手をすれば、このリヤカーだって手作りの可能性がある。一般的な規格に当てはまらない、すなわちちょっと想像できないほどの量を積載できてもおかしくない。
「…うむ、助かった」
「いやいや、園芸部には世話になってるからな! あの暑い日に食ったスイカマジでうまかったもん! 荷物運びくらい任せろっての!」
野球部──おそらくは二年生だろう──の男子生徒が、にこにこしながら楠に語り掛ける。ズボンのポケットからなにやら伝票のようなものを取り出すと、それを楠に差し出した。
一方で、一緒にやってきていた同じく野球部の人──リヤカー一台に三人ほどついていた──は、額に流れる汗をぬぐい、軽く息を整えてからリヤカーに乗せていた荷をせっせと運び出した。
「なぁ、これってどこに持ってきゃいーの? ……今更だけど、一年だよね? いや、見かけはするけど名前は知らないっつーか……」
「あ、う、うん……」
チラッと華苗は楠にアイコンタクトを送る。
が、それに反応したのは楠と話していた方だった。
「おうコラ、一年! 今はあくまで仕事の関係なんだからきちんと敬語を使え! お客さんの前でもあるんだぞ?」
「えっ!? いや、先輩も今普通にタメ口で……!」
「俺と楠は友達だからいーの! お前、初対面の女の子にそれじゃあモテないぜ?」
「えー……理不尽過ぎる……」
「…その番重ごと、入れ替える形で並べてくれ。…ああ、元の棚に残っているやつはサービスだ。手間賃代わりにやる」
商品の補充をしますね、と奥様方に声をかけ、楠はそんな風に指示を出す。もとより奥様方は唐突に登場した野球部とリヤカーに驚いて動きを止めていたため、移動・退避は実に速やかに行われた。
「すまねえな、礼儀のなってないやつらで」
「…そうか? 俺は別に気にしないが」
「ポーズだけでもそうしとかないと、先輩や先生がうるさいの!」
「……」
そんな無駄話をしている間にも、野球部の下っ端は楠の指示通りに商品を補充していく。リーダーを務めているのであろう男子生徒も、先程渡した伝票を楠から受け取るとすぐに、その作業に加わった。
「先輩、さっきの……」
「…伝票。きっちり納入した確認のサインをした。あと……」
「あと?」
「…次のロットで必要になる商品の指示を」
ほれ、と華苗に見せつけられたそれ。
今の時刻。意外と丁寧な楠のサインに、取り立てて特徴も無い【野球部】のサイン。それに加えて【果物:五、野菜:四、花:一 メロン多め、イチゴ多め、ほうき草は除外】……そんな言葉が、備考欄に書かれている。
「これ……まさか、商品の補充って……」
「…いちいち畑で採るのには限度がある。ある程度の量をまとめて収穫しておいて、じいさんのところに。…まごころをこめているからこその芸当だ」
聞けば、楠は事前に運動部に商品の補充係を頼んでいたらしい。園芸部として屋台から離れることが出来ない以上、そうするしかなかったとのこと。
元々は去年、同じように早々に品切れを起こして困り果てていた楠に対し、それを知った運動部の有志が名乗り出てくれたことに起因するらしい。ただ、今年は同じ憂き目に遭わないようにと、あらかじめシステムを考え、こうして伝票のようなものまで作ったのだとか。
「…なんだかんだで去年は問題が多かったからな。補充が確立された後も、売れる商品の偏りのせいで在庫が偏ったり、あるいは純粋に収穫しに行かなきゃならなくなったり」
「あの時はけっこーみんながんばってなんとかしたよねー。そーそー、楠が収穫している間、なぎちゃんとしおりんが受付やってたっけー」
「なんという……」
どうやら華苗が思っていた以上に、この園島西高校では部活同士のつながりが強いらしい。園芸部と美術部が文化祭でコラボするというだけでも驚きなのに、そこに文化部ですらない、元来園芸部とは一切関係のない野球部まで協力しているというのだ。これを驚かずに何を驚けと言うのだろう。
「先輩、運び出し終わりました!」
「おう、それじゃあ引き上げるぞ。……売れ残りロットはそのまま俺たちへのご褒美だ。きちんと礼を──」
「「ありがとうございますッ!」」
「…うむ」
「あー……ともかく、これで約束は果たした。……次は陸上部に伝票を渡せばいいんだよな?」
「…ああ」
短いやり取りの後に、野球部の面々は販売スペースから身を引いていく。ほんの一瞬静寂が訪れた後、我に返った奥様方がまた一斉に園芸部の汗と努力の結晶に群がりだした。
「ひょいぱくー」
「あっ、こいつ……! 何勝手にうらやましいことを……!」
「バカ野郎! ここにおられるお方をどなたと心得る!? 美術部の部長様であらせられるぞ!」
「うむ。くるしゅうないー。……でも、お詫びに『あーん♪』したげよっかー?」
「ええ……この人、三年だったの……?」
そんな茶番と共に、草津と野球部が立ち去っていく。華苗はそんな様子をぼんやりと見ながら、ただただひたすらに受付係としての仕事を全うした。さすがにこれだけ数をこなせば、もう手間取ることも、驚くことも無い。
──陸上部、追加ロット持って来ましたーっ!
──…ありがとう。次の伝票は、サッカー部に。
──サッカー部、指示通りパイナップルとマンゴーをありったけ!
──…すまんな。次の伝票は……テニス部に。
──テニス部! お花いっぱい! あとおみやげサービスしてほしい!
──…他の部活には内緒にできるなら。伝票はバスケ部へ。
結構な頻度でいろんな運動部が入れ代わり立ち代わり、商品を補充していく──そんなやり取りが、いったい何回あったことだろうか。特にトラブルも無く営業を続けられたこともあって、やがて客の入りはだんだんと落ちていき、ついにはお客さんが全くいない時間さえ生まれる余裕が出来てきた。
もちろん、散発的にぽつぽつとお客さんはやってくるものの、それでもあの一番忙しかった時期に比べればなんてことはない。
ほとんどの主婦はこの園芸部での買い物を済ませたということだろう。そして、文化祭でナチュラルに野菜や果物単品を買う学生もそうそういない。
焼きそばやフランクフルトといった一般的な文化祭の客層にドンピシャな屋台が誇る集客効果に、農協の朝市紛いの屋台が真っ向勝負で勝てるはずがないのだ。
「だいぶ落ち着きましたね」
「…だな」
スイカ食べ放題の限界に挑む男子小学生の仲良し組をぼんやりと眺めながら、華苗は後ろにいる楠に話しかける。一仕事終えて疲れたのだろうか、楠はパイプ椅子にどっかりと腰を下ろしていた。
「さすがの先輩もお疲れですか?」
「…まぁ、これだけ短いスパンにあれだけの量をちょこまかと動かせばな。せめて、もっと広い場所で動けたら楽だったんだが」
「先輩にとっては狭いスペースですもんね」
「…立ったり座ったり、というのも案外バカに出来ん。油断していると腰をやられる。それに……」
「それに?」
楠は無言で、その大きな掌を華苗の方へと向けた。
赤いような、青いような。少なくとも、いつもよりちょっと大きくなっている──腫れているのは間違いない。血相を変えるほど大きなケガではないが、ちょっと心配になってしまうくらいには異様な状態である。
「うわ、どうしたんですか、その手?」
「…昨日、痛めた」
「何やったんです?」
「…お前もいただろ?」
相変わらず、楠は無口で要領を得ない。説明するにしたってもっと何とかならないのかと、華苗は声に出しそうになった。
「いつですか?」
「…ファッションショー。…お前のために頑張ったんだがな」
「はて?」
どういうことかしらん、と華苗は記憶を呼び起こす。あの時確かに楠はあの場にいたが、しかしそんな手を痛めるような重労働はしていないはずだ。せいぜいがモデルのための演出係としてまごころを振る舞い、親友で遊び、そして華苗を元気づけたくらいだろう。
「…お前の出番の時」
「はいはい?」
「…風が吹いただろ? あれ、秋山先輩の必殺技だ」
「へっ……!?」
ランウェイの最先端。緊張で頭が真っ白になり、立ち尽くしてしまった華苗。そんな華苗を手助けするように強烈な一条の光がどこからか現れ、そして温かな風が吹き荒れた。
そのおかげで華苗は我に返ることが出来て、そして最高のパフォーマンスが出来た。麦わら帽子が飛んで行って、それに手を伸ばすという──漫画やドラマでしか見えない光景を、あの場で生み出すことが出来たのだ。
「…《ブレス・オブ・ノトス》という、南風の息吹と共に強烈なシュートを繰り出す、秋山先輩の百八ある必殺技の一つだ」
「この際いろいろツッコミは置いとくとして、それ、コートの外で使って良いやつなんですか?」
「…さぁ? 俺に聞かれても、な」
楠の言うことは尤もである。華苗だって逆の立場なら、同じように返していたことだろう。
「…お前の異変を感じ取った秋山先輩と皆川が、機転を利かしたんだ。実際、それでうまくいっただろう? …あとで、ちゃんと礼を言っておけよ?」
「まぁ、それについてはわかりましたけど……結局、先輩の手の話はどうなったんですか?」
「…撃った必殺シュート、そのままだと危ないだろ」
「……まさか」
珍しく、本当に珍しく、楠は疲れたようにまぶたを閉じた。
「…………せめて、グローブと覚悟する時間が欲しかった」
「素手で止めたんですか!?」
そりゃそうである。だってあの時、あの光は──秋山の放った必殺シュートは、出入り口から華苗の方、すなわちランウェイに向かって放たれたのだ。必然的にそれは舞台の方へと向かうことになったわけで、それがそのままぶつかれば大変なことになる。
そして、シュートの先にいたのは山場を越えて立ち並んでいたモデルたち……と、舞台袖、モデルたちが立ち並ぶすぐ横に潜んで華苗を見守っていた楠だ。
となるともう、強力な必殺シュートを何とかできそうな人間なんて楠しかいない。当然のごとく、裏方として呼び出された楠がキーパーのグローブなんて持っているはずがない。代わりになるものを探す時間も無いと来れば……文字通り裏方として、演出係として、その身を使って最後の大仕事をするほかなかったということである。
「…立ち尽くすお前の向こうで、大きく手を振る秋山先輩と目が合ってな。その隣で皆川がボールを持って、そして大きく投げ上げた」
「……」
「…秋山先輩がサムズアップして、壁を蹴り上げ飛び立った時……全てを察したよ」
「……なんというか、その、ありがとうございます?」
「…礼には及ばん」
楠は良い意味でも悪い意味でも無口だ。大事なことを口にしなかったせいで華苗が驚かされた回数は、両の手じゃ数えることが出来ない。今回だって、軽くでいいからもっと早くにその旨を伝えてくれれば、自分も商品の運び出しを出来得る限りで手伝ったのにな……だなんて、一昔前の華苗ならそう思ったことだろう。
「先輩、もっといろいろ自分から発信していきましょうよ。言わなきゃわかるもんもわかんないし、お互い損することになりますよ?」
だけど、今の華苗はすぐに口に出すことが出来る。少なくとも楠との間なら、無礼だとかそういった諸々のしがらみは一切ないと考えて良い……むしろ、ちょっと強めに言わなきゃわかんないとさえ思っている。
「…めんどくせえ」
「無口で何考えているかわかんない人って、そんなこと考えてるんですか?」
「…………」
華苗は気づいていない。
確かに楠は無口で肝心なことをちょくちょく言わなかったりするが、さりとて何も考えていないわけじゃあないのだ。
むしろ、いろんな人と関わりがある分──望むと望まざるとに関わらずいろんな体験をしている分、話すネタだけなら豊富にある。
そして、楠もまた、華苗に対しては無礼だとか遠慮だとかデリカシーだとか……そういったものを配慮しなくても、まぁ、いいかと思っている節があった。
「…そんなこと言って、いいのか?」
「そんなこと、とは?」
「…ひとつ、面白い話をしてやろう」
相も変わらず話のつながりがよくわからないなと、華苗はスイカ食べ放題を見事に終えた少年たちを見送りながら、耳だけを傾けた。
「…この文化祭には、都市伝説じゃないが噂があってな」
「ほお。そーいえば、島祭でも似たようなのありましたね」
「…どの出店もクオリティが非常に高いが……例年、その中でも頭一つ飛びぬけてすごいところがある。わかってるやつらはそれを目当てにこの文化祭に来ていると言っても過言じゃない」
「そんなのあるんですか?」
悲しいことに、華苗は受験の際に園島西高校のことをほとんど調べていなかった。口コミや噂でなんかいい高校だ──というのを聞いて、もうそれだけで浮かれて本気で勉強したような何とも微笑ましいおつむをしているのである。それは、園島西高校の代名詞とも言える部活動のこと……部活動の強制入部を知らなかったことからも、簡単にわかることである。
「で、なんなんです?」
「…お菓子部。お菓子部のガトーショコラ。…こいつは冗談抜きに美味い。園島西の名物で、園島西って言ったらお菓子部のガトーショコラって言われるほどにその筋じゃ有名だ。こいつを食べて園島西を受験すると決めた人間が何人もいる……くらいはまだ軽い方で、噂を聞いてやってきた有名パティシエが本気でレシピを聞き出そうとしてきたという話さえある」
「えっ……」
「…この手の噂がいくらでもある。本当の物もあるだけに、ただの尾ヒレだと否定することも出来ん」
楠は絶対に嘘は言わない。冗談こそ言う時があるが、それはあくまで自分のことや冗談で済ませられる話の時だけだ。こういった人のことで虚偽を言う性格ではないことを、華苗は知っている。
「…お菓子部は毎年必ずガトーショコラを出している。もう三十年以上ずっとって話だ。そして……」
「そして?」
「…毎年、文化祭の総合優勝はお菓子部だ」
「え゛っ……」
三十年以上ずっと優勝。この園島西高校の文化祭で、三十年以上も不動のトップを貫いている。それも、三十年前からずっと変わらないもので勝ち続けている。
それがどれだけすごいことなのかは、おそらく華苗じゃ想像しきれないことだろう。たぶん、想像したそれを百倍すごくしてもなお足らないはずだ。
「ま、毎年優勝しているんですか?」
「…ああ。去年もそうだし、その前もそうだったらしい。遊びに来たOBもみんな、同じことを口走っている」
「嘘でしょ……」
「…おかげで、毎年のように打倒お菓子部が掛け声になっているな」
んん、と楠は小さく咳払いをした。
「…三十年以上もずっと、代々口伝で伝えられてきた門外不出のガトーショコラ。こればっかりは双葉先輩もレシピを教えてくれなかったし、お菓子部の卒業レシピ集にも収録されていない。文字通り、作り方はお菓子部の人間しか知らない……秘匿され続けた至高のレシピ。…どれだけ美味いかわかるか?」
「そ、それは……!」
そんなもん、想像できないくらいに美味しいに決まっている。あの楠がこんなにも長々と語る時点で、それは間違いのないことだ。もしこれがただの有名パティシエが作っただけのガトーショコラだったら、楠はもっとシンプルに『美味い』の一言だけしか発しない。たぶん、実物も一口で食べて表情を変えることすらしないだろう。
「ぜ、絶対に食べに行きますから!」
「…甘い」
「ええ、そりゃガトーショコラなんだから甘いでしょうよ」
「…超人気のガトーショコラが、普通に行って食えると思うか?」
「……はい?」
「…調理室はあの有様。材料の調達の問題。大きすぎる需要に対して、それを作れる人員はさて、どれくらいいるのか」
「ま、まさか……」
「…とんでもない長蛇の列だ。販売する教室から昇降口まで続く。あまりにも長くて問題になるから、販売時間の制限が学校直々に通達されている。…だから、お前は知らなかったんだな」
たまたまその時間に持ち場についていた人でもなければ、あの長すぎる行列を見逃すことなんて出来はしないと、楠は確かに言いきった。
思い起こしてみれば、昨日の華苗は午前中はクラスで働き、午後もファッションショーに出ている。その後もちょくちょくクラスの方で働いていたから、意外なほど学校の中を見て回れていない。まだまだ見ていないところの方がはるかに多い。
「…文化祭アンケートの【良くなかった点・改善すべき点】不動の第一位。ガトーショコラが売切れで食べられなかった、だ」
「散々煽って結末がそれって……酷すぎません?」
「…俺は優しい先輩だぞ?」
「は?」
「…裏技ってのはあるものだ」
考えても見よう。そんなとびきり美味しくて有名なガトーショコラの話を聞いたら、お菓子部の生徒の親御さんや友人は食べたいと強く願うだろう。お菓子部の生徒だって、相手がどんな関係であるかはともかくとして、特定の誰かに食べてもらいたいと思うことに全く不思議はない。
だけど、自分たちが作ったものがあまりに売れすぎるため、本当に食べてもらいたい人に食べてもらうことが出来ない。自分たちが作ったはずなのに、自分たちで買うことすらままならない。それではあまりにもあんまりだ。
「…だから、お菓子部の人間はあらかじめ自分たちの枠を確保する。予約……というか、取り置きみたいなものだ。例え売切れになったとしても、その分だけは自分の好きな相手に確実に食べてもらえるように」
「そ、そんな制度が……!?」
「…【ガトーショコラ優待券】と言ってな。お菓子部一人につき三枚手配されるらしい。こいつがあれば確実にガトーショコラが喰える。逆に、こいつが無ければ長蛇の列に並び、その上で厳正な抽選という運任せでしか食べることが出来ない」
「……三、枚?」
「…その希少性故に、裏取引されることも珍しくない。お菓子部が横流しし、目玉景品として客寄せに使われることもある。何かの見返りとして要求されたり……この文化祭の中を注意深く観察してみれば、その存在を感じ取ることが出来るはずだ」
「ねえ、先輩。三枚って言いました?」
「…発行される優待券の総数はせいぜいが五十枚とすこし、といったところだろう。そして大半のお菓子部は、自分の大切な人にその三枚を配る。どれだけ入手が難しいかは、推して知るべしだな」
「上のぽっけの中ですか? それともお尻のぽっけですか? 必要とあらば、先輩の懐を弄る準備もできてますけど?」
「…………」
楠は虚空を見つめたまま、自らの懐に腕を伸ばす。
ややあってから引き抜くと、その手には二枚の可愛らしいメッセージカードのようなものが握られていた。
「…夢一と、双葉先輩に貰った」
「やったぁ!」
「…図々しい後輩だな? 俺はまだ、やるとは一言も言ってないぞ?」
「泣きますよ? 思いっきり泣いてやりますよ? 花も恥じらう可憐な女子高生が、人目もはばからず全力でわんわん泣いちゃいますよ? ……これもう、事案じゃありませんか?」
「…春のお前は、まだいくぶん可愛げがあったと思うんだが」
楠は小さくため息をつき、そのメッセージカード──ガトーショコラ優待券の一枚を華苗の目の前に差し出した。
洒落た雑貨屋さんで売られていそうな、どこか優しい雰囲気のあるカードだ。バレンタインや誕生日のケーキに添えられているそれとよく似ている。中央のやや上寄りには【Gateau chocolat】といかにもそれらしいフォントで描かれており、その下には女の子らしい特有の丸みかかった可愛い文字で【大切なあなたと 素敵なひとときを】といった文言が書かれている。
一方で、隅っこの方には不規則なアルファベットと数字から成るコードのようなものが書かれていた。おそらく、偽造防止(?)のためのシリアルコードのようなものだろう。
「…こいつを譲ってやろう。仕事を手伝ってくれた……ファッションショーで頑張ったお前への、先輩からのささやかなプレゼントだ」
「やったぁ! 先輩、大好き!」
華苗は満面の笑みでそれに飛びついた。顔は優待券に釘付けで、頭の中は夢の甘いひと時でいっぱいである。激レアな優待券をわざわざ譲ってくれた優しい強面大男のことなんて、ほとんど気にしちゃいなかった。
「…現金なやつだ」
そして、楠もそのことを大して気にしていない。優待券はかなり貴重であるものの、それ故に一人で二枚も持っていては持て余すだけである。そんな中、【後輩にご褒美として渡す】という有効活用が出来て、逆に願ったり叶ったりだったりする。
「…おっと、ひとつ言い忘れていた」
楠にしては珍しい──とぼけたような物言い。
「…ちょっと話は戻るが、噂があってな」
「噂、ですか?」
長い長い、長すぎる前フリ。
そう、優待券の有効活用──その真骨頂は、ここからなのだ。
「…それ一枚で、二人分注文できるんだが」
「ふむふむ。まぁ、普通は誰かと連れ立って動きますもんね」
もしも華苗がこの時楠の方をしっかり見ていたら。
彼にしては非常に珍しい、ちょっぴりのやさしさとたっぷりのいじわるな心が混ざった──そんな、満面の笑みを見ることが出来ただろう。
「…想い人と一緒に食べると、結ばれるって話だ。…存分に楽しんでくるがいいさ」
──華苗のほっぺが、真っ赤になった。
どこかで聞いたことがある話、だって?
……よぉ、こんなところで会えるとは思ってもいなかったぜ。文化祭、楽しかったよなァ……。




