8 調理部の青梅先輩と梅 ☆
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】です。
本当にありがとうございます!
「うそぉ」
華苗がそう漏らすのも無理はない。
麦わら帽子、オーバーオール、軍手、汗ふきタオル。それがこの園芸部員のユニフォーム、というか作業着だ。場合によってはこれらのほかに鋏、鍬、ぞうさんじょうろなどが加わるが、基本的にはこの四点が標準装備である。
この四つさえあれば、立派な園芸部であると言えるだろう。もっとも、部員が二人しかいない時点で共通の作業着といってもあまり説得力はない。
しかし、今問題なのはまさにそこだ。
たった二人しかいないはずの園芸部なのに、遠目からでも見える大柄な楠の横に、華苗とは別のだれかが立っている。それも麦わら帽子、オーバーオール、軍手、汗ふきタオルといった園芸部の標準装備をして。
秋山かと最初は思った華苗だが、近づくにつれてそれはないと確信する。秋山にしては楠との身長差がありすぎるし、なによりそのシルエットが妙に丸みを帯びている。男らしい角ばった感じが一切ない。
そう、まるで女のような……。
「うっそぉ」
さらに近付いてはっきりと視認したとき、先ほどよりも大きな声が出た。その麦わら帽子からは、肩を覆うようなふわふわな茶色い髪がはみ出していた。
「…紹介しよう。こちらは調理部部長、三年の青梅先輩だ」
「青梅 渚です。よろしくね、華苗ちゃん」
なにやら作業をやっていた楠達は華苗が近づいてくるのに気付くと、作業をやめ、自己紹介をしてきた。
人がいることにも驚きだが、華苗にとって一番の驚きは楠が女の人と一緒にいることだ。秋山以外の人と一緒にいるところを見たことがない華苗にとってはなんだか非常に斬新な光景だった。
「…今日は青梅先輩が手伝ってくれる。とりあえずは玉ねぎ、キャベツ、トマト、イチゴの収穫を行う」
「了解です!」
「…そのあと、青梅先輩のアレをやりましょう」
「うふふ、ようやくだね、楠くん」
「アレ?」
「…まぁ、お楽しみということにしておけ」
なんだか不思議な気分だが、とりあえずはいつも通り収穫作業をしていく。
トマトは鋏でぱちん、イチゴは指でぷつん、玉ねぎはひっこぬけばよし。キャベツは楠が根元を包丁のような鉈のようなもので切り取っていた。あいかわらず収穫作業だけは何も考えずにおだやかにやることが出来る。
リズミカルにイチゴが収穫できた時の快感はやった人間にしかわからないだろう。ふと横を見れば、青梅も鼻歌を歌いながらトマトを切っている。その手つきをみると、今回が初めてというわけではなさそうだった。
「あの、青梅先輩ちょっといいですか?」
「どしたの、華苗ちゃん?」
にっこりと笑いながら振り向いてくる青梅は、女の華苗から見ても別嬪さんだった。部活動紹介のときは茶髪でちょっと怖そうな人だなと勝手に思ったりもしたが、間近で見れば全然そんなことはない。むしろなぜちゃっぴぃ、八島家で言うギャルのように髪を染めているのかわからないくらいだ。
「ここの作業、とっても大変ですよ。どうして手伝ってくれるんですか?」
「ん─っとね、一つは楠くんにはいろいろ助けてもらっているから。もうひとつは……」
「もうひとつは?」
「ヒ・ミ・ツ♪」
ガクッと肩が崩れる。この先輩、なかなかにお茶目らしい。
とことんこの場にいることが似合わない。というより、こんな可愛らしくて素敵な人と楠が知り合いであることが信じられない。
「オーバーオールはどうしたんですか? これ、特注品ですよね」
「こないだ新しく買うって聞いたから、ついでに買ってもらっちゃった。もちろん、お金は自分で払ったよ。それに、五着以上で割引きが効いてお得になるんだって楠くんがいってた。それよりも華苗ちゃん、手が止まってるよ?」
「おっと」
気づけば青梅はすでに籠をトマトでいっぱいにしている。喋りながらもちゃんと作業をしていたようだ。楠ほどではないものの切り口も丁寧にそろえられていて、ちゃんとヘタを上にしてきれいにみっしりと置かれている。
作業の丁寧さでいえば華苗とそうたいして変わりはないのだが、一応プロ(?)である園芸部の華苗と調理部である青梅が同等というのはすごいことだろう。秋山に至ってはおそらく華苗よりも実力がある。
「華苗ちゃんこそ、どうして園芸部に? あまり大きな声では言えないけど、ここに人が来れるなんて思ってなかったよ、私」
「先輩もですか。私は部活動紹介の後、どこに行こうかパンフレットみながら悩んでいたらいつの間にか迷い込んじゃいまして、そのまま……」
「そのまま?」
「イチゴにつられて入っちゃいました」
なにそれぇ、と青梅はけらけらと笑う。なんだかお姉ちゃんが出来たみたいで華苗は喋っていてとても楽しかった。
華苗が求めていたのはこういう部活風景だ。こう、きゃっきゃいいながら楽しく部活する風景だ。決して小屋の中で延々と芽きりをするのを求めたわけではない。
「でも、いいなぁ。私もあのイチゴ食べたけど、ホントにおいしいよね。私もここに入ればよかったかもって、今でもときどき思うもん。もちろん、調理部も好きだよ?」
「先輩の時はなかったんですよね、ここ」
青梅は三年だ。楠が二年、かつ園芸部に三年がいないところを考えると、この園芸部を立ち上げたのは楠ということになる。青梅が一年のときにはまだこの園芸部はできていない。
「…こっちは終わった。そっちはどうだ?」
「終わったよ、楠くん。これでいいんだよね?」
「さすがにいままでさんざんやってきましたからね。これくらいはちょろいもんです」
籠いっぱいのトマト、イチゴ、玉ねぎ。それとキャベツ。玉ねぎはこのあと干して乾燥、イチゴとトマトとキャベツは小屋の中だ。力仕事はなぜか毎回楠がやってくれるので、華苗の作業は玉ねぎを干すくらいである。
「…じゃ、アレに取り掛かるか」
「うん!」
「あれってなんです?」
華苗の言葉に答えるのが面倒だったのか、楠はついてこいと低く小さな声で言うと、すたすたと歩き出す。
向かっていったのは畑の隅のほうだ。華苗の知らないものが植えられているところのさらにはずれ、学校の敷地の境界線となっている、ちょっとした林のように
なっている場所だ。ここから数メートルほどで林の中に入ることになる。
「…ここだ」
「ここですか?」
「ここなのよ」
嬉しそうに青梅が言う。ここはそんなに特別な場所だっただろうか。確か、少し前まできれいな白のような、ピンクのような花が咲いていたのを華苗は覚えている。
日当たりがよく、ここでハンモックでもつけてお昼寝したらさぞや気持ちいいだろうな、と思っていたら本当にハンモックがついていたからびっくりした。だが、今は花も散り、めぼしい物といえばそのハンモックくらいしかない。
「…この木がなんだか知ってるか?」
「気になる木?」
「…梅の木だ」
ちょっとふざけてみたが、楠は笑うどころか表情一つ変えない。反対に青梅は肩をふるふると震わせていた。ちょっと寒いと思ったが、意外とうけたらしい。
「…青梅先輩の希望でな。去年梅の苗を植えたんだ。さすがに梅を冬に咲かせるわけにはいかないからだいぶかかってしまったが」
「梅って苗からこんな大きな木になるまで一年で育つものなんですか?」
「…まごころをこめたからな」
「咲かそうと思えば咲かせられたんですか?」
「…まごころをこめればな」
まごころとやらは畑の土以外の植物、それも野菜ではなく木にも通用するらしい。青梅も驚いていないところをみると、もうすでにまごころのことは知っていたようだ。
「…ともあれ、もう花も咲いたことだし、剪定も十分に行った。間引きも、受粉だって済ませたからな」
「だいたいどんなものも間引きとか剪定とか芽摘みとかがあるんですね。というか、いつのまにやったんですか?」
「…この前だ。お前が帰ってからだな」
「なぜ」
「…木に登りたいとかいいかねんからな。危ないし」
よくよくみれば、結構枝がすっきりとしていて遠くのほうまで見える。割と等間隔に枝が突き出ているので、遠くから見たときほど枝がびっしりとしているわけではなかった。
「木に登るって……そりゃ、出来なくはないですけど、この年でそんなにはしゃぐはずがないでしょう?」
楠は華苗が木に登りたがると本気で思っていたのだろうか。女子供はみな危なっかしいと思いこんでいるんじゃあるまいかと華苗は心の中で愚痴る。
と、ここで楠が華苗を見ていないことに気付く。視線の先は青梅だ。
「青梅先輩、まさか……」
「あ、あはは」
「…去年大きくなった木に喜んで登って、足を滑らせた人がいてな」
「大丈夫だったんですか?」
「楠くんが受け止めてくれなきゃ危なかったかもしれない」
楠なら青梅くらい、余裕で受け止めることは可能だろう。もしかしたら華苗と青梅が一緒に落ちてきても受け止められる可能性がある。
「…前科があるだけにハンモックをつけたいと言ってきたときは本当に困った」
「でも、つけてくれるあたり楠くんはやさしいよね。そんな楠くんが大好きっ! きゃっ!」
頬を赤らめて乙女らしく両手を頬に当てる。青梅が全力でハートマークを飛ばしていた。さっきからうすうす感づいていた事ではあるが、どうも青梅は、そういうことらしい。
対する楠は相変わらずの表情だ。これほどわかりやすいのにもかかわらず、冗談としか思っていないようだ。いやむしろ、ここまでわかりやすいからこそ、だろうか。
「…………」
「そ、そんなに見つめられると……!」
「いや、これたぶん何も見てませんよ。この人がそんな情熱的なわけありませんって」
と、ここですぅっとそよ風が吹く。同時にふわっと甘いような独特な香りが鼻腔をくすぐった。果樹園のなかのような、花のような不思議な香りだ。思わずうっとりしてしまいそうになる。
「…今ので分かったと思うが、もうすでに実は採りごろだ。周りをよく見てみろ」
言われたとおりによく見てみると、なるほど確かにそこらじゅうに梅の実がなっている。直径3cmくらいある、なかなか大ぶりな実だ。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
これだけ大きなものが鈴なりになっているのにどうして気付かなかったのか不思議なくらいだ……と思ったところで、華苗はあることに気が付いた。
「先輩、まだちょっと青いですよ?」
「華苗ちゃん、梅は青いときに収穫するの。場合にもよるけど。それに、梅って均一に赤くなることはまずないんだって」
「へぇ」
青梅の言った通り、梅は一様に色つくことはまずない。だいたいの場合、青から赤のグラデーションになってることが多い。
梅は色味の具合をみて収穫し、そこから様々なものに加工する。
青梅の場合、梅酒やカリカリとした食感の梅干しだ。黄色くなった梅の場合だとやや軟らかく、ジュースやゼリー、軟らかめの梅干しに使われる。完全に色づいてしまうとべとべとになってもはや使い物にはならなくなってしまう。
「…俺が登って上のほうにある実を収穫する。二人は届く範囲の実を採って……いや、俺が収穫した実を下で受け取ってくれ」
華苗のことをちらりと見て楠は言いなおす。どうせチビだと言いたいんだろう、と華苗は頬を膨らませるが、そういう気配りが出来るのになぜ、青梅のことには気づけないのだろうかとも思う。
大柄な体に似合わずするすると楠は梅の木を登っていく。一つの太い枝にまだがると、腕を伸ばして青い梅をもぎ取りだした。
「あの人、意外と身軽ですね」
「楠くん、運動できるからね。それにここはホームグラウンドで、プロフェッショナルだし」
いくつかもぎ取り、オーバーオールのフックにつけた小さめの籠をいっぱいにすると、フックにワイヤーのようなものを通して下にいる華苗達に送る。華苗たちはときおり送られてくる籠の中身を大きな籠に移すだけだ。
ありていに言って、暇であった。そして、少しのヒマがあればおしゃべりの花を咲かせてしまうのが女子と言う生き物である。
「青梅先輩って楠先輩のこと、どう思います?」
「もちろん大好きだよ! 運命ってやつかな!」
「やっぱりですか……。こういうのもあれですけど、あれのどこが?」
「えっとね、私、ちょっといろいろあってどうしようもなくその……落ち込んだ? 状態でいつの間にかここに迷い込んでたの。人もいないしちょうどいいやってここでわんわん泣いてたの」
「おおぅ、私が聞いちゃっていいんですか、その話」
「いいのいいの。それで、わんわん泣いていたら楠くんがやってきてね。そのまま無言でじっと見てたの」
「相変わらずですね、あの人」
「でね、いつの間にか隣に座ってたらしくって、ようやく泣きやんだ私に……」
「私に?」
「『…ようやく泣きやんだか』って」
「……ほんとに何がしたいんでしょうかね」
「私も流石にびっくりしたんだけど、よく見たらもう結構暗くなってたんだよね。私が泣きやむまでずっと待っていてくれたみたい」
「言葉通りの意味だった、と」
「それで『これでも食べろ』ってイチゴ渡されたの。あまりにもおかしくて、おいしくて、もうなんだかどうでもよくなっちゃたわ」
「先輩もイチゴで落とされたんですか」
「まぁ、ね。あの時のイチゴの味は、今でも忘れられないよ。……それでね、それからちょくちょく私を学校で見かけるたびに、イチゴをくれたり花をくれたり野菜をくれたりするの」
「楠先輩の中で青梅先輩はどうなってるんでしょうかね」
「まぁ、ともかくいつのまにかそれがたまらなく待ち遠しくなって、体育から戻るときなんか、わざわざ遠回りして楠くんのクラスの前を通るように心がけたり、部室行くときもそれとなく楠くんを探したりしたわ」
「恋する乙女ですねぇ」
「そうよ、恋する乙女なのよ。なんだかんだ言っても彼はずっと私のことを気にかけてくれたから、いつのまにか惚れちゃったみたい。それに信じられる? 探すと見つからない癖に、あっちはどんなに遠くても視界にわずかでも映ったらまっすぐ来てくれるのよ」
「本当に不思議な人ですよね」
「それで、最終的には合法的に会えるよう、部活に入れてくれっていったの」
「合法的ってそういう使い方でしたっけ?」
「でも、ダメだって。手伝いならともかくちゃんと調理部をやれってちょっと叱られちゃった」
「娘の自立を促す父親のきもちだったんでしょうかね」
「けど、かわりに定期的な手伝いは許してくれたし、採れた野菜なんかを調理部に引き渡すってことまで約束してくれたわ。それだけだとこっちがもらいすぎるから、私は調理部の備品使用許可を出したの」
「ああ、だからあの人我が物顔で調理室使ってたんですか」
「お野菜ってなんだかんだ高いし、とっても助かっちゃった。調理室使用許可も出したし、これでもっと会う時間増えるって喜んだんだけど……」
「けど?」
「楠くん、わざわざ私のいない朝とか昼休みに使って、放課後には来てくれないの」
「そういう人ですよ。大方部活中に迷惑はかけられないとかそういうのでしょう」
「でもさぁ、お野菜とか卵とか置くだけ置いていって、私に会っていかないって酷くない?」
「それはわかりませんが……」
「…いいかげん、受け取ってくれないか……?」
その声にふっと後ろを向くと、楠が垂らした籠が目の前に浮いていた。どうやら話し込んでいて気付かなかったようだ。
わずかにぷるぷる震えているところをみると、相当長い時間その状態を保っていたのだろう。楠の手が悲鳴をあげているのが分かる。あわてて青梅が梅を回収したのは言うまでもない。
「…さて、ようやく梅の収穫が終わったわけだが」
「大量ですね!」
「これだけあれば、いろんなことに使えるね」
大きなかごいっぱいの梅。楠じゃないと持ち上げられないくらいの重さだ。今回は青梅しかとらなかったが、明日は黄色い梅も採るらしい。どうせすぐに梅もなるだろうし、しばらくは梅には不自由しなさそうだ。
「…この梅も含めて、野菜を調理部に卸す。八島、すまないがお前も運ぶのを手伝ってくれ」
「がってんです!」
そういって楠は小屋へと入っていく。中はちょっと狭いし、重いものだから外までは楠が運ぶそうだ。そこから手分けして運ぶことになる。
「そうだ、華苗ちゃん。この不思議な園芸部の不思議の一つ、知ってる?」
「もはやどれのことだか……。なんのことです?」
視界の端で楠がトマトの入っている番重を大きなリヤカーに乗せているのが映る。
「最初にもらったお野菜、キャベツとトマトだったんだけど、かなりの量があったのね」
「ほうほう」
今度は玉ねぎだ。こちらもやはり番重に入れられている。三箱同時に持ち出しているのに楠は顔色一つ変えてはいない。
「あまりにも多い量だったから、畑の全部採ってきたのかと思ったのね」
「まぁ、どうせ明日になれば元通りですもんね」
今度はキャベツだ。こちらは手に直接抱えている。五、六個くらいだろうか。どれも立派で大ぶりで、そんじょそこらのものよりも一回りは大きい。その新鮮さも抜群で、サラダにしてもロールキャベツにしても、そのおいしさを最大限に活かすことができるだろう。
「そしたら、全部小屋に保存してあったやつなんだって」
「へぇ……え? それだけですか?」
「うん、それだけなら普通だよね。でもさ、それら、あの楠くんが調理室とこことを、秋山くんとの二人がかりで五往復して持ってきたくらいの量なんだよ」
「……はい?」
「しかも、秋山くんがいうには相当前に採ったものもあったみたい。でも、わたしにはどれも採れたて同然にしか見えなかった」
「……は、は」
「これでも調理部だから、野菜の目利きにはすこし自信あるよ? それにあの小屋あれだけ入るほど大きくないし。それで楠くんにきいたら……」
──…小屋は作物を保存するために作ったんです。作物を保存していることの何がおかしいんでしょうか?
「って言われちゃった」
「あの小屋、どうなってんですか……。そんなスペース絶対ありませんよ」
「私もわかんない。実を言うと、調理室持ってくのに同行するの、初めてなんだ」
覚悟したほうがいいかもね、と青梅がいうのと終わったぞ、と楠が言うのは同時だった。振り返った青梅と華苗が見たのは、うずたかく積まれた───
20150425 文法、形式を含めた改稿。
20150620 挿絵挿入