88 園島西高校文化祭:八百万屋
文化祭一日目が終わり、そして二日目がやってくる。
今日も今日とて空は気持ち良いくらいに晴れていて、風が心地よい。朝の光を受けた校舎はキラキラと輝いているようで、いつもはそこにない屋台や装飾と相まって、まるで校舎自身がどこか余所行きの装いをしているかのようだった。
園島西高校の生徒の大半は、やっぱり朝早くから登校して、文化祭二日目……いわば、本当のかきいれ時、クライマックスの準備をしていた。一日目の営業で起こってしまった問題──例えば壊れてしまった備品や飾りの修理をしたり、あるいは単純に営業のための下準備をしたり。一日目で得られた教訓や反省点を活かし、昨日よりもさらに上のクオリティを目指そうと、誰もが意気込んでいる。
もちろん、華苗とてそれは例外じゃない。華苗自身に具体的に何か出来ることがあるというわけじゃないが、昨日よりももっといろんなことを上手くやりたいという意気込みだけはある。ただ単に、それを具体的に挙げることが出来ないというだけだ。
なんせ、華苗は基本的にチキンでビビりな大人しい性格の子なのである。大きなことや大変なことは出来る人に任せて、言われたことを自分のできる範囲で精いっぱい努力する方が、性に合っているのである。
そんな華苗は、そうも言っていられない事態に直面していた。
「……」
「…どうした?」
華苗は自分のクラスじゃなくて、外にいる。隣にいるのも、クラスメイトじゃない。
「いえ、なんでも」
「……」
色黒で無表情で口数が少なくて何を考えているかわからない大男──我らが園芸部長の楠を横目に、華苗はぼんやりと空を見上げた。
華苗はクラスの力になりたいと思っていた。
クラスのみんなと一緒にナンを作ったり、売ったりしたいと思っていた。だから朝早くに学校に来て、いろいろ諸々準備をして、青春の一ページとなる楽しい思い出を作ろうと思っていた。
だけど、華苗はすっかり忘れていたのである。
「…営業が始まったら、しゃきっとしろよ」
「私がちゃんとしないと、お客さんみんな逃げちゃいますもんね」
「…………」
文化祭。そう、文化祭。
それに出店するのは、何もクラスだけじゃあない。
ある意味当然のごとく、部活単位での出店もある。
そう──園芸部の出店、すなわち自分の部活の出店があることを、華苗はきれいさっぱり忘れていたのだ。
「…不満か?」
「って、わけじゃないんですけどぉ……」
華苗がそれを思い出したのは、登校してきたとき──まさに、この校門から昇降口にかけての長い道に連なる出店の一群で、楠が夏祭りの時にも見たような天幕を張っているのを見た時であった。
別に、華苗が殊更忘れっぽいというわけではない。園芸部も文化祭で出店することを楠は本当にさらっとしか言っていなかったし、『準備することなんてほとんどないから気にするな』……と、今の今までまるで準備らしい準備もしなかった。その上、出店するのが二日目だけだとなれば、自分のクラスの催しごとで忙しい華苗がすっかりそのことを忘れてしまうことに、そこまで不思議はない。
単純に、自分がすっかり忘れ去っていただけ。意気込みを新たにしていたのに、それが削がれただけ。
ちょっぴりの情けなさと悔しさと、大いなる拗ねた気持ちがごちゃ混ぜになって、今の華苗の心を満たしていた。
「ところで、先輩」
「…どうした?」
「いえ……うちの出店って、何やるのかなって」
「…………」
楠は無言で、後ろを親指で指した。
イチゴ、梅、ビワ、さくらんぼ、レモン、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、桃、すいか、メロン、パイナップル、マンゴー、バナナ、キウイ、なし。
トマト、キャベツ、玉ねぎ、枝豆、ジャガイモ、ピーマン、キュウリ、トウガラシ、ナス、小豆、カボチャ、トウモロコシ、ニンジン。
アサガオ、バラ、ラベンダー、ほうき草、ひまわり、アラビアジャスミン。
今まで育てたきた作物が、これでもかというくらいに山積みにされている。まさしく園芸店……というよりも、果物や野菜の比率的に八百屋のような有様だ。それも、季節感ガン無視なうえ、どれもこれもがただの八百屋が用意したとは思えないくらいにどっさりある。
「…見てわからんか?」
「信じたくないから、聞いたんです」
園芸部の──楠が考案した出店。大量に用意された作物を見れば、誰にだってわかる。
「…八百屋──ならぬ、八百万屋だ。八百屋じゃ花は売ってないから、それも加味してちょっとシャレを利かせてみた」
「……」
「…園芸部らしくて良いだろう?」
華苗は園島西高校以外の園芸部を知らない。
だけれども、普通の園芸部は文化祭でこんなことをしないってことくらいは、わかる。
「ひねり、無さすぎませんか?」
「…しょうがないだろう。ウチには俺とお前しかいない。互いに時間は限られているし、人手もない。…なら、これが精いっぱいだ」
「それはそうですけどぉ」
これじゃあ文化祭じゃなくて、どこぞの農協の朝市だ。楠はいつものオーバーオール姿で麦わら帽子を被っているし、何よりもその姿が似合いすぎてしまっている。きょろきょろと周りを見渡してみれば、園芸部のそこだけ明らかに雰囲気が違うことが見て取れた。
こっこっこ──
「……」
あやめさんとひぎりさんが、そのエクレセントなワガママダイナマイトボディをゆっさゆっさと揺らされながら、華苗の足元をウロウロされていた。レディチキンであるお二人は、特徴的なリズムで頭を前後に動かされ、時折思い出したかのように大地を突かれている。
きっと、楠がここに連れてきたのだろう。このお二人だって、立派な園芸部の一員なのだ。別に禁止されているわけでもないし、おそらくきちんと許可も取っている。だとしたらこのお二人だってこうして天幕の下でウロウロされていても、なんならちょっとそこらを優雅にお散歩されても、まったくもって問題ない。
なんてのどかで、朴訥な光景なのだろう。
こっこっこ──
「ありがとうございます」
あやめさんもひぎりさんも、そのエクセレントワガママダイナマイトボディをゆさゆさと華苗の小さな足に押し付けになられた。ほんのちょっぴりの温かさとくすぐったさに、華苗の心が幾分か軽くなる。
園芸部ヒエラルキー最上位存在であるお二人は、部下(?)のメンタルフォローも怠らないのだ。
「あやめさんとひぎりさんだけですよ、私の味方は」
こっこっこ──
華苗はそっと、あやめさんとひぎりさんの背中を撫でた。思っていた以上にふわふわで、そして温かい。いつまでもずっと撫でていたくなるような、そんな気分。
「…ところで」
「なんでしょう?」
園芸でも何でもないことで楠が話を振ってくるのは、かなり珍しいことだった。
「…昨日のそれ、気に入ったんだな?」
途端に、華苗の顔が真っ赤になった。
何を隠そう──華苗が今まさに来ているのは、ファッションショーの時に着ていたあの白ワンピースなのである。
もちろん、こんな素敵な白ワンピース姿であるのだから、クラスとしての正装であるジャスミンの花飾りは着けていないし、おでこのシールもつけていない。麦わら帽子と、ちょっぴりのアレンジとしてそれに飾り付けた小ぶりのヒマワリだけが、今の華苗のオシャレアイテムの全てである。
それで十分であり、逆にそれ以上は邪魔にしかならない。
「せ、先輩が! 売り子として目立つから着て来いって言ったんじゃないですか!」
クラスと同じくらい、華苗はこの部活が大好きだ。
だから今朝方に天幕の準備をしている楠からそう通達されて、ちょっぴり恥ずかしいけれど売上貢献のために着てあげてもいいかな……なんて、そう思ったのである。
それは単純に自分が可愛い、あるいはこの姿が似合っていると褒められていい気になっていた部分もあるけれど、少なくとも貢献したいというその気持ちに偽りなんてない。
だのに、この大男は一体どうしてこんな風な物言いをするのか。
華苗は心底、理解できなかった。
「…確かに言った」
「そうでしょうよ!」
「…でも、今日も持ってきているとは思わなかった。冗談のつもりだったんだ」
「あ」
「…もう着るはずがないものを、どうして持っていたんだ? アレか、デートの時に着るつもりだったのか?」
「んもう!」
華苗の渾身の肩パンが楠に決まる。
が、どっかりとパイプ椅子に腰を下ろした楠は、瞬き一つしなかった。覆しがたいウェイトの差という現実は、あまりにも無常であったのだ。
そして現実は無常でも、華苗には心強い味方がいた。
こっこっこ──
「うぉっ!?」
あやめさんとひぎりさんが、猛烈な勢いで楠の脛を突かれた。いつものスキンシップである甘突き(?)ではない、野生の本気が感じられるガチなやつである。
「…何するんですか、お二人とも」
こっこっこ──
お二人は優雅でエレガントなレディチキンだ。乙女心を理解できないやつに、容赦なんてするはずがなかった。
《たいへん長らくお待たせいたしました。これより第四八回園島西高校文化祭、二日目の部を開催いたします。生徒の皆さんは速やかに各持ち場についてください。一般来校者の皆さんは、最初に金券販売所にて金券を──》
そんなアナウンスが流れた瞬間、その場の空気が変わった。明るくざわついていた屋台の一群が、ぴりりと緊張する。浮かれて呑気に話していた人たちの雰囲気が一斉に切り替わって、園島西高校生特有の、真剣なまなざしになっていた。
もちろん、それは華苗と楠とて例外じゃない。おふざけムードはすっかりどこかへと行ってしまい、華苗はすまし顔で受付へと座り、楠はあやめさんとひぎりさんのゆっさゆっさと揺れるワガママダイナマイトボディをむんずと掴んで、後方のあまり目立たないところへと追いやった。
「…始まったぞ」
「ですね」
言われるまでもない。
だって、遠くに見える校門から、結構な量のお客さんが入ってきているのがこの場からでも見えるのだから。
その一団は屋台群に目移りしながらも、まっすぐ昇降口に向かっていく。きっと金券所で現金と金券を引き換えるのだろう。先頭の集団がそのように行動しているからか、後に続く集団も不思議とわき道にそれず、案内係がいるわけでもないのに綺麗に動いていた。
小さい子供も、ご年配の方も。受験生と思しき少年少女に、他校と思われる同年代の者。自分の親くらいの年代の人間──明らかにOBっぽい雰囲気の人もいる。
老若男女、多種多様。そんな言葉がふさわしいくらいに、いろんなお客さんが来ていた。
お菓子部に行ってみようだとか、体験講座に行ってみようだとか、昨日はどこそこがよかっただとか──ちょっと耳をすませば、そんなことが聞こえてくる。きっと、昨日楽しんでくれたお客さんが、二日目の今日も友達を誘ってきてくれたのだろう。
華苗はまだ園島西高校に入学して半年程度しか経っていない。
それでも、その事実が堪らなくうれしかった。
「──ねえ、可愛いお嬢ちゃん!」
「は、はいっ!」
いきなりかけられた、元気な声。
商店街では珍しくも無いけれど、高校の敷地内で見かけるのはかなりレアだと言わざるを得ないような、そんなおばさんが華苗の前に立っていた。
「ここ、園芸部のお店よね? ……去年と同じように、お野菜なんかを売っている……であっているかしら?」
「ええ、もちろん!」
よかったぁ、なんて大袈裟に胸に手を当て、そのおばさんは笑顔で言った。
「それじゃあ、トマトときゅうりとカボチャと……せっかくだし、その立派なメロンとスイカも頂いちゃおうかしら?」
どれにしようかしらねぇ……なんて言いながら、そのおばさんは目当ての品の前に立って、真剣なまなざしで目利きを始める。
ややあってから、おかしくておかしくてたまらないとばかりに噴き出した。
「どれも全部ご立派ね! スーパーじゃ絶対お目にかかれないわ!」
「あ、ありがとうございます?」
メロンを二つ、スイカを二つ、カボチャも二つ。トマトときゅうりは数えきれないくらい。熟練の手つきで、おばさんはそれらを華苗の前に置いた。
「おいくらかしら?」
「えっとぉ……」
ちら、と華苗は楠を見る。
なんせ、ここには値札なんて気の利いたものは一切ないのだ。
「…………三百円?」
「「さっ!?」」
華苗もおばさんも、楠の言葉が信じられなかった。
「そ、そんなに安くていいの? このメロン一つでさえ、三百円じゃ買えないわよ?」
「そーですよ、先輩!」
華苗の目利きが確かなら、この大きさのメロンなら最低でも三千円はする。一番お求めやすい価格の、庶民御用達の激安スーパーで買えるそれだ。品質のことを考慮するならば、もう一ケタ繰り上がってもおかしくない……というか、そうじゃないとおかしい。
そんなメロンが二つに、プラスアルファじゃ収まりきれないくらいの量の野菜と果物があるのである。どう贔屓目に見ても、三百円じゃ絶対に釣り合いが取れない。
「…そんなに不思議か?」
「スーパー、行ったことあります?」
「…ここはスーパーじゃない」
「……は?」
「…ウチの文化祭で、一度に三百円も使う所なんて見たことあるか?」
「…………」
「…充分高い方だと思うが」
そう言われてしまっては、華苗としても反論が出来ない。華苗の所だって、あんなに大きなナンと至高のカレー&ミートコーンを、ボリュームたっぷりであるにもかかわらずたったの五十円で売っているのだ。あまりにも安すぎることは今更確認するまでもない。
「でも、他のクラスのが安いのは、そもそもの原価が……!」
「…原価?」
「あ」
他のクラスがお安く商品を提供できるのは、原価がほとんどかかっていないからである。調理に必要になる野菜や果物に、お金がまるでかかっていないからである。
そんな野菜や果物を卸しているのは、ほかならぬ園芸部だ。
文字通り、原価なんてゼロなのである。
「ほ、本当にいいの? 後でやっぱりダメ……なんて言わないかしら?」
「…値段は気分で決めています。これから高くなるかもしれませんし、安くなるかもしれません。…それでも、普通に買うよりかは十分にお得だと自負しています」
「お得って言葉じゃ収まりきれないわ……すっごく安いから店が閉まる前に絶対に寄っておけって言われたんだけど、まさかここまで安いなんてねぇ。てっきり相場の半額くらいかなって思っていたんだけど」
買ったばかりであろう金券を丁寧に綴りから切り離し、おばさんはそれを華苗に手渡した。華苗は金券の枚数を確認し、脇にあるお菓子の缶にしっかりと入れる。
「…その代わりと言ってはなんですが、大きなお買い物は一人一回までとさせてもらっています」
持参したのであろうエコバッグにジャガイモをせっせと詰め込んでいたおばさんが、ぴしりと固まった。
「今から旦那を呼ぶのはアリかしら? 一人一回なら、問題ない……でしょ?」
「…初めてのお客さんですし、それくらいはサービスしましょう」
どうせ持てる量にも限度がありますし、と楠は愛想笑いの一つも無く、淡々と言葉を紡ぐ。持たせて見せるわ、とおばさんは豪快に笑った。
まだ見ぬおばさんの旦那さんに、華苗は心の底から同情した。
「まぁまぁ、めんこいお嬢ちゃんだこと! 園芸部のお店ってここであっている?」
「は、はい!」
そんなやり取りをしている間に、新しいお客さんがやってきた。今度は白髪のお婆ちゃんである。顔には皺がいっぱいあって、腰も幾分か曲がっているけれど、元気の良さだけは高校生に勝るとも劣らない……そんなお婆ちゃんだ。
その傍らには、ご年配の方々の必須アイテム(?)である手押し車があった。
「えーとねぇ、桃と、梨と、バナナを頂きたいの……あらやだ、梅もビワもあるじゃない。せっかくだしこっちももらっちゃうわ」
「おいくつ必要ですか?」
「この籠いっぱいになるまで?」
「おおう……」
この籠、と老婆は手押し車を指す。上段と下段に分かれて収納スペースがあったから、単純に考えて普通の一般的な買い物かごの倍近くは入りそうであった。
「私が適当に選んじゃっても大丈夫ですか?」
「わざわざありがとねぇ」
さすがに腰の曲がったお婆ちゃんに無理をさせるわけにはいかないので、華苗は自ら動いて目的の品を受付に並べた。桃と梨はそれぞれ五つ、バナナは三房、梅とビワは両手で二回掬えるくらい。とりあえず最低限がそれで、あとは実際に籠の中に入れつつどれくらい追加が必要か様子を探っていく。
「あとねぇ、その綺麗なお花も頂ける?」
「え、えっと……!」
華苗は楠にアイコンタクトを送った。
「…どのような形がよろしいですか?」
華苗の後ろから聞こえてくる、低く、底ごもった声。そんな声にひるむことなく、老婆は揚々と言葉を返す。
「花瓶に活けられるようにしてほしいわ。華やかなのを適当に選んでちょうだい」
「…かしこまりました」
赤いバラ、白いバラ、黄色いバラ、橙のバラ。楠は数本のそれらを抜き取ると、適当に色の配置を確かめてからくるくると紐で括っていく。茎の先端の方には濡れた紙を巻き付けて、そこもまとめて紐で括っていた。
ラッピング一つない、花を紐で括っただけの簡素過ぎる造り。だけれどもバラの花が大ぶりで色鮮やかな見事な発色をしているものだから、そんじょそこらの花束に引けを取らないほどの迫力があった。
「…こんな感じでどうでしょう?」
「あらまぁ、本当にステキ! ……どれくらい持つかしら?」
「…普通に手入れをしていれば、かなり長いところ持ちますよ」
この『かなり長いところ』が具体的にどれくらいの長さになるのか、おそらく楠とこのお婆ちゃんの間ではかなりの齟齬が生じているだろう。だけれども、別に悪い方向での誤解じゃないから、華苗は黙って自分の作業に没頭することにした。
「先輩先輩、桃が八つに梨が七つ、バナナが五房で……梅とビワはいっぱい、です。……いくらになります?」
「…ふむ。こっちの十五本のバラと合わせて……」
虚ろな瞳で虚空を見つめながら、楠は答えた。
「…………五百円?」
「あらまー、去年より安いじゃない!」
ちなみに、ものにもよるが普通はバラの花一本で五百円くらいする。やっぱりこれも、明らかに桁が違っていた。
金券の綴りをぽんと景気よく手渡して、老婆は元気に手押し車を押して去っていく。その光景はもう、農協の朝市でお得な買い物をした人のそれと同じであった。
「……」
「…どうした?」
「いや……」
さすがは二日目というべきか、学校全体がこの段階でかなりの賑わいを見せている。お向かいにあるお好み焼き屋さんの屋台からはソースと火の香が迸っているし、はす向かいの焼きそば屋さんからはお祭りの象徴とでも言うべき白い湯気がはっきりわかるほどに漏れている。
道行く人たちの片手にはパンフレットか食べ物があって、恋人と一緒に巡っていたり、友人と一緒に巡っていたり、はたまたクラスの仕事で忙しく動き回っている人もいる。
そんな、いかにも高校の文化祭らしい光景の中にでんと構える八百屋さん。
PTAの出し物でもOBの出し物でもないのに、華苗にはどうしても、浮いている気がしてならなかった。
「……なんかこう、いろいろと想像と違ったというか」
「…客層が偏っていることは、まぁ、認めなくもない」
二件の買い物でごっそり減ってしまった商品を後ろの山から補充し、華苗はなんとなく思う。八百屋のバイトはきっとこんなことをしているのだろうと。
「ねえ、おねーちゃん」
「なぁに?」
自分より低い位置から聞こえてきた、高い声。
にっこりと笑いながらそちらを見てみれば、小学校低学年くらいの女の子が四人ほど佇んでいた。
なぜか、その傍らにはあやめさんとひぎりさんもいる。
「この子たちが、なんかこっちに連れてきてくれたの」
こっこっこ──
こんなふうに、と女の子たちは足元を指さす。あやめさんとひぎりさんが女の子たちの足を優しく甘突きされ、そのエクセレントなワガママダイナマイトボディを押し付けになられていた。
焦らすように、誘うように──ちょこちょこと動かれているところを見るに、きっと客引きとして動いてくださったのであろう。
げに、園芸部想いのめんどりたちであらせられた。
「めんどりさん、撫でていいの? 突いて来たりしない?」
「大人しいめんどりさんだから、優しくしてくれれば大丈夫だよ!」
「ここ、何のお店?」
「お花や果物を売っているお店だよ!」
ほら、と華苗は子供たちの前にさくらんぼとイチゴがこれでもかと積まれたそれを見せる。パックじゃ到底到達できないその迫力に、子供たちみんなが目を輝かせた。
「でも……イチゴもさくらんぼも“こーきゅーひん”だって、ウチのおかーさんは言ってたよ?」
だから、ショートケーキには一つしかイチゴが乗っていないのだと言っていた──だなんて、ちょっぴり残念そうにその子は語る。
だけど、ここは園島西高校の不思議な園芸部なのだ。
外の世界の常識なんて、通用するはずがない。
「たしかに……イチゴもさくらんぼも、高級品だよね」
ちょっぴり腰をかがめて目線を合し、華苗は真面目ぶって語る。
「このイチゴもさくらんぼも、うんと甘くておいしいやつなの。高級品じゃなくて、超高級品なの」
そして華苗は、にっこりと笑った。
「そんな超高級品が、たった百円で食べ放題!」
「「やるっ!」」
百円綴りの金券が四枚、華苗の目の前に差し出された。それを得意げに受け取った華苗は、オークショニアがメインの競売品を紹介するかのように、目の前においてあるそれを子供たちの前へと差し出した。
「好きなだけ食べて……いいんだよ?」
「わぁい!」
「あっまーい!」
「おっきぃ!」
小さな手が四方から伸びて、お皿の上の赤い宝石たちをつまんでいく。まばたきを一回する頃には、イチゴとさくらんぼの甘酸っぱい香りがあたりに広がった。子供たちはその素早さを落とすことなく、次々に口の中へとそれを放り入れ、ほっぺをまん丸にしていた。
「おいしい! すっごいおいしい!」
「食べ放題、最高!」
「イチゴいっぱい食べるの、夢だったの!」
嬉しそうに頬張る姿を見ていると、華苗としても嬉しくなってくる。生産者としての喜びはもちろん、純粋にこの幸せそうな笑顔を見るのが何物にも代えがたいのだ。今この瞬間だけに限って言えば、これ以上の光景なんてこの世界のどこにもないと言い切ることさえできた。
「…おい」
「いーじゃないですか。どうせタダ同然の捨て値で売っているんですし。値段設定だって、全部先輩の気分なんでしょう?」
「…子供に百円は高すぎるだろ?」
「そっちですか?」
華苗はまだしも常識的(?)な金額を提示したつもりであったが、楠にとってはそうじゃなかったらしい。
一体いくらが楠の中での適正価格だったのか、華苗は少しだけ知って見たくなった。
「あら! あそこかしら?」
「随分立派なメロンね!」
「今年も綺麗なお花ねぇ!」
「わっひゃい!」
いきなりの不意打ち。にこにこと楽しそうに果物を食べる子供たちを見ていたら、また新しいお客さんが三人もやってきていた。やっぱり在校生じゃなくて、買い物かごが似合う主婦の皆さんである。
「お安くお野菜を買えるって噂を聞いたんだけど……」
「持ちきれないくらいの量で、三百円くらいですかね?」
慌てて笑顔を取り繕い、華苗は適当に金額を告げる。どうせ原価はゼロなのだ。好き勝手値段を決めてしまっても、誰にも文句は言われない。
「果物はこの場で食べ放題もできますよー」
「「……えっ」」
「早い者勝ちですよー」
歴戦の強者たちは、その言葉を聞いて即座に動き出した。
「かぼちゃとキャベツと玉ねぎをありったけ!」
「バナナとマンゴー! できればパイナップルも!」
「枝豆とじゃがいも、あずきもちょうだい!」
「ブルーベリーとさくらんぼをたくさん!」
「しょ、少々お待ちください!」
嵐のように押し寄せる注文。その全てを華苗は捌いていく。自分にはその役割が出来ないと悟ったのか、楠はひたすら無言で商品の補充をしているだけだった。
「先輩! 値段!」
「…好きに決めろ」
言質は取れた。ならば、華苗に躊躇う理由は無い。
「三百円! 二百円! そっちは二百五十!」
「バナナ一つで!?」
「三十円!」
「トマト五つは?」
「四十円!」
「この袋一杯のイチゴは……!」
「百円!」
「スイカとキウイを……」
「スイカは八十円! キウイはおまけします!」
正直、値段なんて全部適当だ。どこぞで行われているたたき売りの方が、まだしもしっかりとした価格設定になっているだろう。華苗が行っているそれは、叩き売りも投げ売りも越えた何かであった。
「ピーマンください!」
「キャベツください!」
「桃の食べ放題!」
「三種のベリーの食べ放題!」
「メロンを持てるだけ!」
「お会計はこっち!?」
「ねえ、他に扱っているのはないの?」
「荷物持ちを呼んでもいいかしら?」
気付けば、お客さんの数が山のように増えていた。さっきまでは三人くらいしかいなかったはずなのに、今はもう軽く十人は超えている。女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだが、ここだけ明らかに、普通の文化祭とは違う──スーパーのタイムセールとよく似たそれになっていた。
もちろん、華苗のキャパシティもそろそろ限界を迎えつつある。子供相手の目まぐるしさは体験していても、大人相手の──ましてやおばさん相手の目まぐるしさなんて、華苗は一度たりとも経験したことが無いのだから。
「もう! 先輩! ちょっとは受付手伝ってくださいよ!」
「…補充要員がいなくなるぞ? どのみち、そこに二人も居られないだろ」
「そうだけど、そうだけどぉ……!」
話しながらも手を動かすことを忘れていないあたり、華苗も人間的にいろいろ成長している。最初こそちょっと手間取ったとはいえ、もうすっかり物怖じすることなく、立派に看板娘としての役割を果たすことが出来ている。半年前には考えられないことであった。
「…ここで、嬉しいお知らせと悲しいお知らせがあるんだが」
「なんなんですか!?」
唐突に、楠はそんなことを口にした。
ほとんど反射的にそちらを振り向いてしまった華苗は、楠が意味ありげにゆがめた口元を見て、やっぱり見なければよかったと後悔した。
「…お前には見えないだろうが」
「ええ、どうせ私はチビですから」
「…主婦の集団が、まっすぐこっちに向かってる」
「え゛」
お客さんの波の隙間。ちらりと見えた向こう側。
意味ありげな籠を持った主婦の集団が、脇目も振らずにこちらに向かってきていた。




