87 園島西高校文化祭:インターミッション
『──ただいまを持ちまして、園島西高校文化祭、一日目の一般公開を終了します。お帰りになるお客様は、金券所で余った金券の清算を忘れずに行ってください。本日分の金券は明日の文化祭ではご利用できませんので、ご注意ください』
特徴的なメロディが校舎に響き、そんなアナウンスが華苗の耳に届いた。
時刻は十六時。まだまだ日は十分に高く、夕方と呼ぶにはちょっと早いくらいの頃合い。実際この園島西高校を照らす太陽は昼間のそれとほとんど変わらない強さを保っており、とても祭りのお開きを感じさせる雰囲気ではない。
しかしながら、園島西高校の生徒──華苗たちには明日の支度がある。反省会もしなきゃいけないし、各種打ち合わせや補修・点検だってしなくちゃいけない。もちろん、それは先生たちとて例外ではなく、一般公開が終わったからと言っても──否、一般公開が終わったからこそ行わなくてはならない業務が山ほどあったりする。
話が少し長くなったが、つまるところ、日が暮れるよりずいぶんと前に、園島西高校から一般のお客様の姿は無くなったということである。
「おつかれーっ!」
「なんとかなったね!」
「疲れたぁ……!」
華苗のクラスでは、各々が思うままに互いを労いあい、そして机に突っ伏したり椅子に腰かけたりしてリラックスしていた。
カレーやミートソース、それにナンのいい香りは未だなお漂っているものの、ほんの十数分前まではたくさんいたお客さんの姿は、どこにも見受けられない。
そんな様子がなんだかちょっとおかしくて、華苗は小さくくすりと笑った。
「ご機嫌だね、華苗?」
「そりゃあ、あれだけ気持ちよく売れればね……!」
エプロンを豪快に脱ぎ去り、よっちゃんが華苗の横に腰を下ろす。ついさっきまで頑張っていたのか、よっちゃんは華苗が見てはっきりわかるほどに汗だくで、額には玉のように雫が浮き上がり、うなじには髪がぺとりと張り付いてしまっていた。
ちらりと周りを見渡してみれば、程度の差こそあれど、だいたいみんな同じ感じになっている。ずぼらな男子はかいた汗を拭おうともしないから、黄緑色のはずのクラスTシャツが深緑になってしまっていた。
こんなのでもまだマシな方で、中にはお客さんがいなくなったことをいいことに半裸になっている奴もいた。ただ、お祭り特有のテンションのためか、男子はおろか女子でさえ、その様子をケラケラ笑って見つめている。
「みんな頑張ったもんね~!」
「なんだろう……私も、文化祭でここまで達成感みたいのを覚えたの、初めてだよ。まだ一日目なのにね」
同じく華苗の横に腰を下ろした清水が、しみじみと感じ入るように呟く。どこかで調達してきたのであろうフライドポテトをもぐもぐと頬張りながら、雛鳥のように口を開けて構える華苗とよっちゃんの口に同じものを突っ込んだ。
「で、これ何の時間?」
「ゆきちゃんとかっちゃん待ちかな? 片付けは一応あらかた終えたはずだから、全員そろったところで報告と明日の打ち合わせって感じ」
そんな感じで三人で雑談することしばらく。時間にして十分もしないうちにゆきちゃんと柊がクラスへと戻ってきた。
華苗に詳しいことはわからないが、一日目の終了ということで、営業終了の報告をしに委員会の方へ顔を出していたらしい。委員長じゃないけれどクラスの委員長的存在である柊は、こういった諸々の手続きや事務作業を一身に引き受けてくれているのである。
さて、そんな柊とクラス担任であるゆきちゃんが戻ってきたとなれば、華苗たちクラスメイト一同もダラダラしているわけにはいかない。特に誰かが声をかけるまでも無く、二人の姿を見た瞬間にみんながそちらに注目し、姿勢を正してお話会の空気を作っていた。
あるもの椅子に座って。あるものは壁に寄りかかって。またあるものは象の像の華苗に腰かけて。みんな体勢こそ違うものの、その目に宿る真剣さだけは変わらない。
「えっと……みんな、そろってるみたいだね」
教室を一瞥し、柊は満足そうにうなずいた。
「とりあえず、一日目の終了報告は無事に終わったよ。委員会からも特に注意事項の伝達は無かった」
「これはウチのクラスに限らず、この文化祭全体で言えることだな。来校者とのトラブルはなかったし、変な事案も発生していない。強いて言うなら迷子が何件かあったが……まぁ、これはいつも通り簡単に解決している」
柊とゆきちゃんの言葉に、クラスのみんながホッと息をついた。なんだかんだで、こういった人が多く出入りする時は思いもよらぬトラブルが起きるものなのだ。事前にどれだけ可能性を検討しても、本番に絶対起きないという保証はない。ましてや、トラブルなんてものは向こうからやってくることの方が多いのだから。
「だから、学校側からのお話ってのはもうないんだ。後は明日も滞りなくって感じだな」
「そんなわけで……ウチのクラスとしての報告会を始めよう。まずは……やっぱり、今日の収支からかな?」
柊の視線を受けて、帳簿を預かっていた男子が立ち上がる。自然とみんなの注目がそちらに行き、田所はさりげない動きで黒板の前に移動してチョークを取った。
「すでにみんな知っていると思うけど、今日一日だけで準備しておいた二日分の材料はすべて使い切った。途中で荒根先生に買い出しに行ってもらったくらいだ」
ほう、と誰かが息を漏らす。
華苗はまさにその現場に居合わせていたから今更そこまで驚かないが、それにしたって一日で二日分の材料の全てを使い切ってしまうというのは、なかなかの快挙である。それも、こうなることを見越して材料は多めに用意してあったのだ。これは例年の文化祭の資料から割り出した数字であるため、華苗たちが来校者数を過小評価したわけではない。
単純に、今年の来校者が例年以上だったことと、華苗たちのお店が繁盛したということだろう。
それがわかっているからこそ、クラスのほとんどの人間が緩くなる頬を隠せないでいる。戻ってくるお金はどれくらいだろうか、これはもう優勝間違いなしなのではないか──なんて、気の早い考えを抱いているものもいた。
が、しかし。
「……水を差すようで悪いけど、だいたいのクラスがウチと同じ状況だ」
しん、と教室が静まり返った。
かつかつかつ、と田所が黒板にチョークを打ち付ける音だけが教室に響く。
「まあ、それだけウチの文化祭が盛り上がってるってことだからな。別に悪いことじゃあないんだぞ?」
困った様に笑いながら、ゆきちゃんはクラスに呼びかけた。
「でもゆきちゃん、やっぱり……ねえ?」
「こう、俺たちとしてはゆきちゃんと共に一等賞の栄誉を……なあ?」
「どうせなら勝ちたいし、なにより勝ち確定だと思ったのにこれは……ね?」
「まあ、私個人としてはその気持ちもわからなくはない」
困った様に笑いながら、ゆきちゃんは組んだ腕を指でとんとんと叩いている。きっと顔に出していないだけで、内心ではかなり悔しがっているのだろう。
「ともかく、売り上げとしてはどんななんだ? 先生としては、ぜひとも数字で実感したいところなんだが」
「……ミートコーンセットが当初予定の4.3日分。カレーセットが4.6日分。ジャスミンティーは4日分です」
「……えっ」
ざっくり計算すれば、全体として当初予定の倍以上も売れたということになる。それも、たった一日で。昼間の状況を鑑みればそこまで不思議に思う数字ではないが、それにしたって異常な話である。
ゆきちゃんが絶句するのも、ある意味じゃ当然だろう。
「最後の方はナンを焼くのが追い付かなくなって……それで、カレーについてはナンをちょっと小さくする代わりに、カレーの方を大目にしたって話です」
「現場の判断で勝手に決めちゃってごめんね……どうしても間に合わなくて……」
「別に問題ないよ~! むしろ、ナイス判断!」
「そうそう! 結果的に無事に切り抜けられたんだし!」
華苗もあのあと少しだけ調理室を覗いたから、あそこがどれだけてんてこまいだったのかを知っている。もちろん、教室の方もお客さんで一杯で、行列が出来たのはもちろんのこと、肝心の物が届かなくてかなり待たせてしまっていたから、臨機応変に対応してくれた調理担当に文句なんてあるはずがない。
「と、ともかく。たくさん売れて先生も鼻が高い。……明日はもっとたくさんの材料を用意したほうが良いな。例年、一日目よりも二日目の方がお客さんは多いから」
「……となると、今すぐにでも業務スーパーに行って材料を確保したほうが良いのかな? ……えーと、五日分くらい買えば大丈夫かな。ちょっと多いかもだけど、余ったらみんなで食べればいいし」
どうだろう、と柊が会計担当に目で問いかける。会計担当の彼は無言で頷いた。
「野菜の方も収穫しないとだよね。……華苗ちゃん?」
「ん。いつでも連れていけるから任せて。楠先輩も他の人たちを集めたら畑に行くって言ってたし、明日の朝も時間はあるから」
ほかでもない、華苗の一番の大仕事である。クラスのみんなのためになるのなら、華苗は早起きだって厭わない所存であった。
ちなみに、例え野菜の収穫作業が無かろうとも、諸々の準備のために早起き自体はしなくてはならない。基本的に、文化祭はどれだけ準備の時間を設けられたかで勝敗が決まると言っても過言じゃないのだから。
「それじゃあ、売り上げについてはこんなもんかな。また細かいところは文化祭が終わった後にお願いします。……次は設備について、だね」
設備と言っても、なにもそこまで大掛かりな話じゃない。調理器具は基本的に調理室にあるものを借り受けているから、別段メンテナンスや借り受け品のように手入れや確認事項があるわけではない。
ここでの設備とは、どちらかというと小道具や内装のそれだった。
「しょうがないっちゃしょうがないけど、テーブルクロス代わりの布がだいぶ汚れちゃってるねー。カレーのシミとか、ミートソースのシミとか」
「荷物がぶつかったりとかして、壁に貼り付けた石壁が破けちゃってる。あと照明用のオレンジ色のフィルタ、熱でちょっと溶けてるから変えたほうが良い」
「外回り用の看板も、だいぶくたびれてきちゃってるかな。まだ使えるけど、余裕があるなら直したほうが良いかも」
「この子……象の華苗ちゃん、こんな感じで小さい子が何度も乗って遊んでいたからちょっと背中がすりむけかけてるの。今は布を被せてごまかしているけど、誰か直してくれると嬉しいな!」
「はいはーい! ジャスミンの花が一部寂しいことになっちゃってます! あと、明日の飾りのためにも、是非新しい花を……!」
予想通りと言うべきか、それとも予想がつかなかったからこそこうなったと言うべきか。クラスのあちこちからそんな問題点が指摘されていく。不幸中の幸いだったのは、そこまで致命的なトラブルはなかったことだろう。その大半が小道具の破損や劣化であり、少し時間をかければなんとかなりそうなものがほとんどであった。
「テーブルクロスのシミは……被服部に頼めばなんとかなる、かな? とりあえずこの後挑戦してもらって、ダメそうだったら今日の夜か、明日の朝イチで手の空いてる人に調達してもらおう。……数百円くらいだし、売り上げから補填で大丈夫だよね?」
そんなのいちいち確認するまでもない。華苗たちは頷き返すことも無く、力強く柊の顔を見返した。被服部に至っては、もうすでに件のテーブルクロスを手に取って、何やら検分を始めている始末である。
「破損や劣化は手の器用な人が適宜対応する形で行こう。自分が作ったものならなんとかなるって、僕はみんなを信じてる。フィルタは演劇部だっけ? 新しいのを何とか都合をつけてもらおう。華苗ちゃんは……」
「なぁに?」
「……象の華苗ちゃんは、女子たちでお願い。園芸部の華苗ちゃんは、ジャスミンを──」
「えいっ」
何か暖かな風のようなものが吹き、そして教室にジャスミンの花が咲いていく。真っ白な純白が少し傾いてきた日差しを力強く跳ね返し、その甘く神秘的な香りが教室に溜まっていた人の匂いと料理の匂いをいずこかへと消し去っていく。
「……改めてみると、やっぱりすごいね」
「えへへ、もっとほめて!」
「「……」」
クラスメイト達が向ける意味深な視線に、華苗は気づかない。その理由は、改めて語るまでもないだろう。
「売り上げ、設備、あとは──」
「現場での反省会」
「そう、それそれ」
田所の言葉を受けて、みんなが顔を見合わせる。報告したいことはあるのだが、さて、何から報告するべきか──と言った顔だ。
「まずは接客の方から行こうか。……なんか、感じたこととか共有しておきたいこととかある?」
「あー、花飾り造り講座を急遽開くことになってたじゃん? やっぱアレ、専用で人を割いておいた方がいい」
「レジで注文を聞くのもいいけど、待ってる人にも注文を聞いて、伝票と引換券みたいな感じのシステムにしたほうが効率良いかも」
「それに関連して、出来ればナンの焼き上がり時間がわかるといいかな。焼き立ての人とそうでない人が出来ちゃって、ちょっと残念そうな人がいたり、ちょうど目の前で売り切れになって『時間がかかるなら別のところに行く』って人が……」
「外回りは問題なかったと思うよー。見た目としてもだいぶ目立っていたし、なんか香りでかなり印象に残っていたって声がチラホラ」
「田所、メモ」
「やってる」
教室のあちこちから上がる声を、田所は一つとして漏らさず黒板に記入していく。効率を重視しているのか、気づけば反対の手にもチョークを装備していた。表情を崩さず機械的に左右の手を使っているものだから、凄いというよりも不気味に近いオーラを放っている。
いかにも田所らしいと言えばそれまでだが、もはやクラスの誰もそんなこと気にしていない。
「ふむふむ……概ね、中の接客そのものには問題なかったみたいだね。良かったところは明日も心掛けていこう。役割分担については、次のシフトの人たちでうまく調整していくしかないか。焼き上がりや注文システムについては……とりあえずいったん後回しにして、後で細かく詰めていこう」
柊が黒板のメモに目を通し、テキパキと指示を与えていく。確認事項は関連する人たちに直接声をかけることで詳細を全体と共有し、反省点や改善点は全員に問いかけることで強く印象付けさせていた。
そんな姿が格好良くて、華苗は反省会であることをいいことに柊を心行くまで鑑賞した。悪いことをしているわけじゃあないのだと、自分に言い訳する始末である。
「やっぱり人が多すぎて、需要に供給が追いつかないのが一番の問題か……。でも、さすがにこればっかりは……」
「かっちゃん、嬉しい報せがあるんだけど、聞きたい?」
「皆川さん?」
ここで、今までほとんど話を聞くばかりであったよっちゃんが声をあげた。
「みんな聞いて! さっきかっちゃんも言ってたけど、あたしたちの一番の問題は需要に供給が追いついてないってところなの! そこで、じゃあ具体的にどうするんだって話になるんだけど……」
「どうもなにも、今まで以上に頑張るしかないんじゃないのか? ジャスミンティーは淹れるだけ、ミートコーンやカレーは鍋で作るだけ。ナンだって焼くだけだろ?」
「たしかに……工夫しようにも、工夫するところが無いよね……」
よっちゃんは、文化祭でのメニューとしてミートコーンやカレーのレシピを考案する際に、【どんな人でも作れるように出来るだけシンプルである】ことをコンセプトにしていた。それはすなわち、工程が少なく、工夫や改善できる点も少ないということに他ならない。
さっき誰かが言った通り、基本的に混ぜたり焼いたりするだけで全部なんとかなってしまうのだ。そうなると、悪くなることはない代わりに、今まで以上に良くなることだってない。
「んっふっふー! そこをなんとかするのがプロの役割でしょ?」
お、とクラスがにわかにざわめき出す。
自信満々のよっちゃんが、みんなの期待を裏切るはずがない。
「まず、工程が基本的に変えられないのはしょーがない。ジャスミンティーは工夫しようがないし、カレーもミートコーンもあれ以上時短するのは無理……っていうか、今更変えたらみんな混乱する」
みんながみんな料理が上手いわけじゃないからね──と、よっちゃんは告げる。だからこそレシピがあって、きっちりと手順が確立され、ある一定の品質を保てるようになっているのだ。
「だけどね、ナンはいける」
「マジで?」
「うん──というか、そもそも変えるべきはナンなんだよ。ほら、最後の方だって足りなくなったのはカレーじゃなくてナンなんでしょ? そりゃあ、一気に作れるカレーやミートコーンと違って、ナンは一度にたくさんは作れないし、発酵の時間もかかる。追いつかなくなるのは、ある意味じゃ自然な事なんだ」
「でも、具体的にどうするの? それこそ、ナンなんて混ぜてこねて焼くだけ──」
「「……ベーキングパウダー」」
そうつぶやいたのは清水と──意外にも、我らがゆきちゃんであった。
「わかったぞ、頼子。ドライイーストの代わりにベーキングパウダーを使うんだな? これなら発酵の時間を取らなくても生地は膨らむ」
「多少食感は変わるだろうけれど……そこは、お菓子部が何とかできる。というか、ベーキングパウダーならこっちのほうが専門だし」
ナンのあのもちもちふわふわの食感は、ドライイーストによって生地が発酵することで生み出されるものである。より正確に言うならば、発酵によって生地が膨らむことで生まれるのである。
そして誰もが知っている通り、ベーキングパウダー……和名にしてふくらし粉には、名前通りの効果がある。生地を膨らませるというその一点だけを鑑みれば、むしろベーキングパウダーこそ主役と言っても過言じゃない。
「セリフ取られた……まぁいいや、とにかく代わりにベーキングパウダーを使うってこと! レシピの変更はほとんどなし! 細かい調整はあたしと史香でやるから、それに則るだけでおっけー!」
「なるほど……皆川さん、僕は料理については全然わからないけど、どれくらい短縮できるのかな?」
「ん。発酵工程を丸々カット」
「え……じゃ、じゃあ、もしかしてお高かったり……」
「ピンキリだけど、先生の近くのスーパーではドライイーストと大して変わらない値段で売られていたな」
となれば、それを使わない道理はない。ドライイーストじゃないということは本格的なパンではなくなってしまうかもしれないが、そこはきっとよっちゃんと清水がなんとかしてくれる──と、華苗たちクラスメイトは心の底から信じることが出来た。
「なあ」
「……ん?」
時短もできる。お金も変わらない。それていで工程もほとんど変わらないというよっちゃんの夢のようなアイディア。そんなアイディアを聞いて盛り上がっていたクラスの中で、どこまでも冷静な田所が声をあげた。
「実際問題、それで解決できるのか?」
「ミキぃ、アンタ話聞いていた? 今まで作るのに一時間かかっていたナンが、十分もかからず作れるんだよ? それだけ手が空くのがどれだけすごいことなのか、わからない?」
自分が得意になれる分野の話だからか、清水は田所を小馬鹿にしたように語りだす。きっと、普段いろいろ驚かされていることに対しての意趣返し(?)のつもりなのだろう。
もちろん、田所と清水のそんなやり取りは今に始まったものじゃない。だから、本人たちも、周りのクラスメイトも、清水の口調そのものは特に気にしていない。
問題だったのは、田所の次の発言だった。
「そんなに早くナンが作れたら、今度はカレーが追いつかなくなるだけじゃね?」
「──あ」
「ナンよりかは早かったとはいえ、カレーやミートコーンだって煮詰めるのに時間はかかる。注文が入った傍からナンを用意できるようになれば、自ずと──」
「ごめん、私が悪かった」
「うむ」
事実、調理室は終始てんてこ舞いであったのだ。カレーやミートコーンより先にナンの方でキャパオーバーになったというだけで、そっちに余力があるとはとても言えないということは誰だってわかるだろう。
もしナンの問題が解決したら、何の改善もされていないカレーやミートコーンで供給不足になるのは目に見えている。ナンの効率化があまりにも良すぎたために、返ってその問題が浮き彫りになってしまったのだ。
「……で、史香でも皆川でもいいんだけど、何か良い案はあるか? おれ、指摘は出来ても解決案は出せねえんだよ」
なんか悪いな、とほんの少しだけ申し訳なさそうに田所が呟く。
ほんの小さな呟きだったのに、それは教室にいた全員が耳にすることが出来ていた。
「ど……どうする?」
「で、でっかい鍋を用意すれば……!」
「それじゃあ火の通りが悪くなって、逆に効率は落ちるよ!」
「レシピの改善は?」
「それが出来ないから、今までの話があったんだろ?」
「ベーキングパウダーみたいに、なんか魔法のアイテムとかないの? こう、振りかけると増える粉とか」
「それ、絶対いろいろヤバい粉だよ」
「カセットコンロだ。単純に、作れる場所を増やせばいい!」
「文化祭規定でアウトだな。そういうのはレンタルのちゃんとしたやつ──外部の屋台で使うものしか認められていないし、それだって正式な届を出す必要がある」
「そこをゆきちゃんの先生権限でなんとか……!」
「無理なもんは無理だ。これは安全のためだからな。……それに、仮に普通のカセットコンロが使えたところで、あの調理室のどこにそれを置くスペースがあるんだ?」
「うっ……」
次から次へと意見は出てくるが、そのどれもが打ち砕かれていく。さすがのよっちゃんであっても根本的な作り方は変わらない以上レシピの改善は不可能だったし、使えば量が倍になる質量保存の法則をガン無視した材料が存在するはずもない。
唯一現実的なカセットコンロだって、文化祭規定という法律的な問題と、作業スペースという物理的な問題を同時にあげられてしまえば、それ以上どうしようもない。
「う……マジで、どうするよ?」
「さすがに他のクラスにスペースを譲ってくれ、なんて言えないしね……」
誰もが諦めかけたその時。
聞き覚えのない──特徴的な、ここでは聞こえちゃいけない声音が響いた。
「──いや、場所を増やすってのはなかなかいい線をついている。なんだかんだで、量を増やすだけならそれが一番手っ取り早いからねェ」
「「──ッッ!?」」
男のようにも、女のようにも聞こえる声。いつもは安心できるはずのその声音は、今この瞬間に限って言えば、何よりも恐ろしいものであった。
「ま、まま、まさか──!?」
クラスの全員が、声をした方向に顔を向ける。
真っ白の頭髪。丸みかかった眼鏡。紺色の作務衣に身を包み、この世の誰よりも【おじいちゃん】というそれを体現した──園島西高校文化研究部部長のおじいちゃんが、にこにこと陽だまりのような笑みを浮かべて立っていた。
「……じじ様? いったいどこから入ってきたんだ? いくらもう隠し通せる段階は越したとはいえ──さすがに、おいたじゃ済ませられませんよ?」
「ええ。文化祭においてのスパイ行為は許されざる悪だ──って、合気道部の部長も言っていました」
「おやおや、穏やかじゃないねェ……?」
田所と柊が、真正面からおじいちゃんに向き合った。陸上部と野球は教室の入り口をふさぎ、武道部ほか運動部系の男子がおじいちゃんを取り囲む。同じく運動部系の女子は率先しておじいちゃんの後ろに回り込み、無慈悲なるダイレクトアタックを撃ちこむ構えを取った。
男子はともかくとして、おじいちゃんは絶対に女子には強く出れない。それがわかっているからこそ、女子たちはたとえ差し違える一歩手前まで行こうとも、おじいちゃんを無事に帰すわけにはいかないと意気込んでいた。
「内情を知られたからには、ただじゃあ帰せない。帰さない」
「ここから無事に帰りたければ……わかってるよねっ?」
文化祭は戦争なのである。そこに正義も悪もないのだ。
「ひどいねェ……せっかく耳寄りな話を持ってきたっていうのに……」
わざとらしく泣くふりをしながら、とてもとても楽しそうにおじいちゃんは言葉を紡ぐ。実際、おじいちゃんほどの人がこの忙しい時間に、何の用も無く華苗たちのクラスに遊びに来るなんてことはあり得ないだろう。
つまるところ、スパイ行為以外で何かしらの要件があるのは、火を見るより明らかだった。
「実はね、二年や三年の連中の間でも同じ問題が起こってるんだ。どうも今年は例年に比べて来校者が多いみたいでね、こりゃあ、ウチの調理室でも捌き切れそうにないな……って」
今までの経験があり、入念に準備していた三年生──例えば白樺のクラスだって、見積もりを誤り途中で荒根に急遽買い出しを頼むことになっていたのだ。いくら園島西高校の調理室が一般の高校のそれよりも広いとはいえ、限度ってものがある。
そうなるともう、例年以上に来校者が多いというのは純然たる事実……いや、それ以上の現実として学校運営側に響いてくる問題となる。生徒の力ではもうどうしようもないことならば、学校側で対応しなくてはならない。
「でも、どうするんですか? どこのクラスも火が足りないとなると、本格的にどうしようもないと思うんですけど……」
「なぁに、文字通り、増やせばいいのさ」
「増やす?」
「調理室の裏手──中庭があるだろう? あそこに新しい竈を作る」
「「えっ」」
ガスコンロが使えないのなら、普通の竈を使えばいいじゃない。それが園島西高校の事実上の最高権力者──すなわち松川教頭先生が、ほかならぬおじいちゃんに相談してたどり着いた答えであった。
「えっ……じいちゃん、それアリなの?」
「別に、文化祭規定で禁止されてはいないさね。あれで禁止されているのは、【一般的なガスコンロを使用すること】だけさ」
それもそうである。どこの世界に竈の使用について謳う文化祭規定があるというのだろうか。
「や、でも……消防法とか衛生的にどうなんだ?」
「藤枝先生、それはこの文化祭を開くにあたって既にクリアしている問題さ。そうじゃなきゃ、外で調理している屋台は全部だめになっちまうだろう? ……もちろん、昼間の間にすでに松川教頭が関係OBと連絡を取ってくれている」
「それでも……竈ですよね? それで、調理するんですよね?」
「中庭での調理ってだけなら、すでにこの学校には実績がある。竈造りだって私が教える。……尤も、教えなくても大丈夫な子もいるがね」
「いや、そんな、ナチュラルに竈造りなんて知ってる人がいるわけ──」
「おれ、しってる」
「……私も」
「「えっ」」
既に華苗は──華苗、よっちゃん、清水、田所、柊は夏休みのキャンプで竈造りを経験している。手頃な大きさの石がある程度あれば、そこに棒だの鉄板だのを上手くやりくりして、実用に十分耐え得るそれを作ることが出来る。
「僕も……材料があれば。作ったこともあるし」
「ワイルドなスタイルでの火加減も任せて!」
「ま……マッチなくても火を入れられる!」
「なにこのひとたち」
「華苗ちゃん、サバイバル部兼部してたの?」
それどころか、火打石と火口さえあれば、マッチやライターなんて使わなくても竈に火を入れることだってできるのだ。どう薪を組めば火の勢いを保ちやすいのかだって知っているし、薪に相応しい樹の判別方法だって頭の中にはしっかり残っている。
このクラスにおいて……いいや、この学校において、華苗たちほど竈に関する知識が豊富な人なんてそうそういない。いるのだとしたら、あのキャンプに一緒に行っていた先輩たちだけだ。
「網だの鉄板だのはこっちで揃えるから心配しなくていい。必要なのは竈を作る人手だけさ。……無論、いくら中庭とはいえスペースには限りがある。動線を考えて作っていかなきゃならん。だから、私がこうして必要があるかどうかを聞きまわっているのさ」
どうするかね──と聞かれて、断るだなんて選択肢はあり得ない。この降ってわいたかのようなチャンスをみすみす見逃す人なんて、この学校には一人たりともいない。
「お願いしますっ! どうか立派な竈についてご教示いただきたく……!」
「これで売り上げアップが出来る……!」
「竈で焼いた本格ナンって触れ込みができるじゃん!」
「おやまぁ、見事な手の平返しだこと」
竈はおそらく作れて一クラス二基まで。燃料となる薪はこちらで都合をつけるが、運び出しは各々でやるほか、使用量を記録して別途報告すること。誰か一人は必ず火の番を付けるほか、何人かはおじいちゃんから直接竈を扱うための指導を受けること。
そんな感じの諸々の注意事項がおじいちゃんから語られて、調理班のシフトの中から数人が竈の責任者に任命された。もちろん、竈作業の実績がある華苗ほかいつものメンツもその中に入っている。
「まさかこんなところであの経験が活きるとは……」
「経験なんてのは活かしてなんぼさ。……華苗ちゃん、枇杷の払った枝を拝借することになると思うが、構わんかね?」
「もちろん!」
「あと、ジャスミンティーの茶葉も足りなくなってるんじゃないかね?」
「──あ」
「ひどいよねェ……私はみんなのためを思って準備しておいたというのに、みんなして私を締め出そうとして……。もう、こいつは全部私の腹に入れちまった方がいいかもねェ……」
「じいちゃん、いじわる言わないでよぅ!」
おじいちゃんの助けにより、最大の懸念は払拭することが出来た。そりゃあ、調理室での作業と勝手は違うかもしれないけれど、それだって事前確認をしっかり行い、あらかじめ動きを想定しておけば、後は時間が何とかしてくれる。さしあたって、大きなトラブルになるとは考えにくい。
となると、これでだいたいの問題は解決したことになる。あとは、実際に動くだけだ。
「それじゃあ、大きく調達班、補修・整備班、竈作成班、収穫班に分かれて動こう。調達班はすぐに足りない材料を買いに行って、補修・整備班は壊れた小道具を直して。竈作成班はおじいさんと一緒についていって、収穫班は華苗ちゃんと。特別な役割がある人は各自でよろしく。購入システム関連は僕と一緒に。この手のことに強い人、サポート願います。人員は……言わなくても大丈夫かな?」
「「うぇーい!」」
「……普通に頼もしいな。まさかここまでスムーズとは」
「先生としては、ちょっと寂しいって感じですかねェ?」
「ん……そうかも」
柊の指示により、クラスのみんながテキパキと動いていく。お互いがやることを確認しあい、各々の方針を打ち立て、各々が無駄なく最大限の実力を発揮できるように計画を立てていた。
「それじゃあ、後は各担当の作業でこのまま解散ってことで。……最後に質問とか、言っておきたいこととかある?」
最後の締めとして柊が放った、何気ない一言。実際、彼もそこまで深く考えて発言したわけではないだろう。とりあえず聞いておくかと思ったのか、あるいは定型句としてほぼ無意識のうちに出てきたのかもしれない。
しかし、そんなありきたりな一言は、燃え上がるような活力で満ち溢れていた教室を、一瞬で静まり返らせた。
「……えっ、僕なんか変なこと言った?」
「……質問?」
「……言っておきたいこと?」
ぎぎぎ、とさび付いた門扉のようにぎこちない動きで振り向いたクラスメイトが、地獄の幽鬼のように暗い声で、柊が放った言葉をおうむ返しした。
「柊よぉ、本当にいいんだな? 俺ら、いろいろあるんだけど」
「本人が──柊自身が聞いてきたんだからね? 私たちのせいじゃあ、ないからね?」
「う……」
有無も言わせぬその迫力に、柊は言葉に詰まった。
彼が怯んだのを好機と取ったのか、その男子──否、華苗を除くクラス皆が、大きな大きな声で問い詰めた。
「なんで八島さんがお前の学ラン着てるんだよ!」
「華苗ちゃん未だにファッションショーの時の格好なんですけど!? ずっとずっと柊の学ラン大事そうに着てるんですけど!?」
かーっとイチゴのように真っ赤になったのは、クラスの中で二人だけ。
「なんか今までに見たことない表情で八島さん笑ってたんだぞ!? 一人で! ずっと! へらへらと!」
「学ラン握ってさ! 周り見てからこっそりぎゅーって抱きしめたりとかさ!」
「柊、あんた私たちの大事なかなちゃんに何したの!?」
そうなのである。ファッションショーが終わってから今に至るまで、華苗はずっとあの時のまま──柊の学ランを身に纏ったままだったのである。
当然、周りがみんなクラスTシャツを着ている中、それで目立たないはずがない。いや、たとえそうでなくても、この白ワンピースは椿原の渾身の作品で、この学ランは女子の華苗が本来着ているはずのないものなのだ。どう言い繕うとも、隠し通せるはずがない。
しかしそれでも、華苗はずっとこの学ランを身に着けていた。絶対に自分から脱ごうとはしなかった。クラスに戻ってきたときも、オーバーヒートしすぎて逆に冷静になった頭で、さも当然のように開き直っていたのである。
そんな、普段の華苗からは想像できないほどに堂々とした立ち居振る舞いのせいで、クラスメイトのみんなは悶々としながらも、それをスルーしていたのだ。
「あ、や、その……いろいろあって、着てもらうことになって……」
「その“いろいろ”が何なのかを聞いてるんだよッ!」
「じ、自分から返してって言うのもなんかアレかなって……」
「へえ。じゃあ、この学ラン、もう事実上華苗ちゃんの物ってことだね」
そうなのである。あの後も柊が何も言ってこなかったから、華苗はこれ幸いと着続けていたのである。自分から返すのもなんかアレだなと思ったし、何より華苗自身、早々に返してしまうのはあまりにももったいないと思えてしまっていたのである。
「ずっとずっと聞かないようにしていたけどよぉ……ッ! 夏休みあけてから、あきらかによぉ……ッ! 柊、お前……ッ!」
「私たちの可愛いかなちゃんが、かなちゃんが……ッ! わかるの!? この、言葉にできない悔しさのようなこの気持ち……ッ!!」
からかいと、悔しさと、嫉妬と……ともかく、いろんな感情をごちゃ混ぜにしたクラスメイト達が延々とそんなことを呟いている。きっと、彼らの気持ちを正確に推し量ることは不可能だろう。「それ」は、ずっと共に過ごしてきた彼らだからこそ、覚えた気持ちなのだから。
「あー……まさか、ここで爆発するとは……」
「あたしとしては、もっと熟成させてからコイバナで収穫したかったんだけど……」
元からそれに感付いていた清水とよっちゃんは、大して動揺していない。ああ、こいつとうとう開き直りやがったな……なんて、そう思っただけである。
「ともかく、いい加減かっちゃんも華苗も頭がトマトになってきてるから、追及は文化祭後の打ち上げで、ってことにしよ? やらなきゃいけないこともいっぱいあるしね?」
「ちっ……柊、てめえ、後で覚えとけよ……」
「華苗ちゃんも……わかっているよね?」
「「うう……」」
「いやあ、青春だねェ」
「まったく、本当に高校生してるな……」
おじいちゃんもゆきちゃんも、微笑ましいものを見るかのようにして──実際微笑ましいわけだが──ぎゃあぎゃあと騒ぐ華苗たちクラスの一同を見守っていた。
「柊」
「……何だよ」
そんな中、やっぱりブレない田所は冷静に柊に声をかける。
「今のうちに学ラン回収しとけよ。……今日はもう、そんな時間ないだろ」
「……そうだね」
妙に気が抜けたように、柊は息をつく。そして、いつも通りゆったりと歩いて、華苗の前へとやってきた。
さすがにおふざけとそうでない時のオンオフくらいはしっかり切り替えられるのか、さっきまでの空気は嘘だったかのように、クラスのみんなは各々の仕事のために動き出している。あるいは、あとで厳しく追及をするために、あえて今はエネルギーを貯め込んでいるだけなのかもしれない。
重要なのは、今の華苗と柊に注意を払っている人間が、ほとんどいなかった──という、その事実だ。
「……克哉くん」
「ごめんね、なんか騒ぎになっちゃって。んん、悪いけど、学ラン……」
「ん……」
最後にもう一度だけその感触を楽しんで、華苗は学ランをふわりと脱いだ。真夏の夜のように熱く籠った空気が霧散して、空調から吐き出されたほんのちょっぴり冷たい空気が華苗の肌を撫でる。
名残惜しさと寂しさを覚えつつ、華苗はそれを柊に手渡し──否、手渡そうとして。
柊が、華苗の手を止めた。
「え──」
し、と柊は自らの口に人差し指を当てる。
にこりと笑って、学ランを自ら手に取り──わざとらしいくらい、大きくはためかせて身に纏う。
ちょうど、自らの背中でみんなから華苗を隠すような──あるいは、自身の顔をみんなから見られない位置取りを取っていた。
「華苗ちゃん」
「は、はい?」
耳元で囁くかのように密やかに。されど、その瞳だけはまっすぐ見つめて。とっておきの秘密をこっそり教えるかのように、彼は優しく呟いた。
「もしよかったら明日……一緒に回りませんか?」
文化祭一日目、終了。




