85 園島西高校文化祭:ガーデネシア・ウェスト・コレクション!
『それではこれより、被服部主催体育館イベント──【ガーデネシア・ウェスト・コレクション】を始めます!』
アナウンスと共に会場が暗くなる。パッとステージがスポットライトに照らされ、そしていかにもといった軽快な音楽が流れだした。
尤も、その音楽の出だしを聞けた人間はほとんどいないだろう。なぜなら、アナウンスが終わるか終わらないかの内に、体育館の中にいる観客たちが一斉に大きな歓声を上げたのだから。
『初めてのお客さんも、そうでないお客さんもいるから一応説明しておくぜ! このガーデネシア・ウェスト・コレクションは被服部の面々が全力をかけて作った作品のお披露目ファッションショーだ! 作品を輝かせるのに最もふさわしいとモデルに抜擢されたメンツがこのランウェイを歩いてくれちゃうぜ!』
スポットライトが動き、体育館のど真ん中を走る一本道──卒業式の時によく出現する入り口からステージまでの一本道だ──を意味ありげに照らす。ついさっきまではなかった赤い道が殊更に強調され、観客たちの期待をさらに膨らませた。
何をどうやって作ったのかはともかくとして、まるで本物のように高さを付けられており、ここを歩くであろうモデルの人たちの姿が良く見えるような造りになっている。たとえ最後尾の人だったとしても、ここを歩く華苗の姿を見ることに何の支障もきたさないことだろう。
よくよく見れば、それは即席で作られた安っぽいものだと気付けるのだが、この雰囲気が、迫力が、熱気が、それを本物以上の逸品に仕立て上げていた。もはやどこからどう見ても、それは憧れのスターたちが歩く栄光の道にしか見えない。
『このファッションショーでお披露目された作品は被服室の被服部展示でも見ることが出来るぜ! もちろん、ここでお披露目できなかった珠玉の逸品もそっちでは展示されている! 詳しい場所はパンフレットを確認してくれよな!』
司会の彼の話をきちんと聞いていたのは、果たしていったい何人いたことだろうか。みんながみんな熱に浮かされ、舞台袖から人が出てくるのを今か今かと待ち構えている。
司会の彼もそのことがよくわかっているのか、軽く苦笑するとはっきりとした声で宣言した。
『それでは早速行ってみましょう! ──私が着なきゃ誰が着る!? 作ったものは自分で着たい! 初手からまさかの掟破り! 被服部二年の菊野さんの【昔本で見たすっごくかわいいやつ】!』
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「行ってくる」の一言だけを残し、黒マントの一人が舞台へと向かっていく。華苗のいる舞台袖からはその様子──ランウェイを歩いているところは見られないが、直後に大きな歓声が上がったことを考えると、きっとそれなり以上にはうまくいっているのだろう。
「よし、良い滑り出しだ。後はあいつを参考に適宜自由にやる感じで。終わった後もあいつの隣にそれっぽく並べばいいから」
「おっけ、任せとけ。……うん、ここらへんまでなら観客側からはほとんど見えないな。三、四人くらいまでなら前の人が歩いてるの見られるぞ」
時間にして三分も経たないうちに、次の人の名前が読み上げられる。順番がある程度近づけば、ギリギリなんとかランウェイの様子をこっそり見ることが出来るらしいのだが、華苗の順番はもっと後の方である故に、今はただその時を待つことしかできない。
「うー……」
「なんだ、華苗ちゃん。緊張しているのか?」
「そりゃあ、まぁ……」
大きな歓声が上がる度に体を竦める華苗が気になったのか、柳瀬が優しく華苗の背中を叩いてきた。柳瀬自身は緊張を微塵も感じていないようで、それは華苗を気遣う余裕がある所からも見て取れた。
「可愛い服をお披露目するだけだよ。それに、みんな浮かれている。ちょっとやそっとのことじゃなんとも思わない。仮に失敗したところで死ぬわけでもない。……ほら、緊張する必要なんてないだろ?」
「そう考えられるのは柳瀬先輩だけですよ……」
「なぁに、こんなものただの慣れだよ」
もうここには頼りになる椿原はいない。ほとんどの被服部──係の者を除く──は、被服部特権で会場の一番良い席でファッションショーを楽しんでいる。となるともう、あとは全部華苗の動きにかかっているということになる。
頭ではもう準備は万端で、心配することなんて何もないと華苗自身もわかっているのだが、だからといって緊張しないというわけではない。それとこれとは話が別だ。
「華苗ちゃんの前には桜井先輩も森下先輩もいる。私や佐藤だっている。何かあったらすぐに助けられるし……なんだったら、一緒に歩いてあげよっか?」
「や、さすがにそこまでは……」
「む、残念」
そんな話をしている間にも一人、また一人と黒マントの姿が減っていく。人数が人数なうえ、やることそのものは基本的に歩くだけだから、思っていた以上に進行ペースは速い。
きっと……というか、間違いなく柳瀬は華苗の緊張をほぐそうとして話を振ってきたのだろう。待機時間なんてそう長くはないのだから、それは一番ベストな方法であるといえる。
ちなみに、華苗の直属の先輩はひたすら無言で虚空を見続けていた。華苗の緊張なんて知ったこっちゃないらしかった。
「……お、そろそろ俺の番かァ?」
時間にしてどれくらい経っただろうか。周りにいる黒マントが随分と減ってきたころ、ようやっと森下の番が回ってきたらしい。
「──行ってくらァ」
黒マントに身を包んだ森下は妙に軽快な動きで舞台の方へと向かっていく。やっぱり緊張なんてまるでしていないようで、華苗と同じくちょっと硬くなっていた佐藤の肩を小突いてからかう余裕すら見せていた。
「……よし、せっかくだから森下先輩のを見ておこう。緊張と無縁のあの人を見ていれば、華苗ちゃんの緊張もほぐれるんじゃないか?」
「ナイスアイディアだね、円ちゃん! せっかくだから私もみよーっと!」
そんなわけで、柳瀬が華苗の手を引いて舞台袖──の、【観客からはあまり見えないけどランウェイは見える】という都合の良すぎる場所へと向かう。順番の近い桜井、佐藤もそれに伴って四人で物陰にこっそりと潜んだ。
『さぁて、ファッションショーもとうとう佳境に入ってまいりました! 次の作品は……【現代道化】! ちょっと捻ったタイトルにピンときたあなた! 協力者はもちろんあいつ! さぁ、最高の拍手でお出迎えください!』
ひょこっと華苗はその場所からランウェイを覗き見た。
「ん~~ッ! やっぱ視線ってのは気持ちいいなァ!」
悪だくみが成功したかのようににんまりと笑い、森下がステージに躍り出る。そのままの勢いで、黒マントを豪快に脱ぎ去った。
その下から現れたのは。
──うぉぉぉぉぉ!
──よくわからんけどなんかカッケェ!
──原宿にいそう!
白と黒のチェック模様をした、酷く奇妙なパーカーのようなもの。いや、果たしてそれはパーカーと呼んでいいのだろうか。左半身はケープともマントともとれるひらひらした造りになっており、右半身はイングランド辺りの伝統ある学園の制服にでもありそうな、妙に格式ばった気品あふれる造りになっている。
白黒のチェックももちろん左右非対称で、造りだってマントなんだか制服なんだかわからない感じなのに、なぜか全体で見るとパーカーのように思える……という、奇抜さを追求したような、ある意味ファッションショーにとてもふさわしい斬新な格好であった。
「不思議な造り……だけど、なんか妙にしっくりくるな……。遊園地のスタッフであんな服を着ているのを見たことがあるような無いような……」
「なんだろ、フードがあるからパーカーっぽく見えるのかな? 佐藤くん、あーゆーのって男子の中で流行ってるの?」
「いや……僕も初めて見ますよ……」
そんな白黒チェックを身に纏い、森下は気取った感じでランウェイを歩いていく。意識しているのかはわからないが、まるでどこぞのストリートでバスケかヒップホップの野良試合でも仕掛けてきそうな雰囲気だ。それが妙に服の空気と相まって、一種独特の魅力を醸し出している。
「フゥ──ッ!? 盛り上がってるかァ──ッ!?」
──うおおおおお!
「聞こえねえなァ!?」
──おおおおおおおお!
ランウェイの端っこ。夢の舞台の最先端。そんな場所で森下は吠える。ガラの悪いヤンキーが相手をおちょくるように舌を出し、華苗たちにはとてもできない方法で観客たちの心に火をつけた。
「ッしゃあ! 良い声出せるじゃねェか!」
その場でくるりと一回転。もちろん、横ではなく縦に、である。まるでブレイクダンスでもおっぱじめるのかと思えてしまうくらいに滑らかな動きに、観客のほとんどが目を奪われていた。
当然、いつもならパフォーマンスの一環としてそのまま踊りだしていたことだろう。
だがしかし、森下は自分を──より正確に言えば、その衣装を観客たちに見せつけただけだった。否、ダイナミックに動くことで静の魅力と動の魅力を同時に見せつけたのだろう。もちろん、最後にしっかりカッコいいポーズを取るのも忘れない。
────ッ!?
しかも、それだけにとどまらない。
なんと──森下の衣装が、きっちり反転していたのだ。
左半身にあったはずのケープのようなひらひらは、いつの間にか右半身に移っている。当然のごとく白黒のチェックも反転しており、それだけでもうずいぶんと見た目の印象が異なって見えた。
そして、ケープがあったはずの左半身は、古い西洋の映画に出てくるジプシーが身に纏っていそうな、そんな民族衣装の如きテイストになっている。もちろんこれも白黒チェックのモノクロトーンであるため、まるでピエロや道化師のような格好だな、という印象を華苗は抱いた。
『ここにきてまさかの変わる服ッ! リバーシブル……じゃなくてなんて言えばいいんだッ!? 一粒で二度おいしいとかずるいだろッ!!』
──おおおおおお!
盛り上がりすぎて、もはや言葉を聞き取ることが出来ない。誰かが熱にうかれて叫んでいるのはわかるのだが、みんなが思い思いに叫んでいるために、一つとしてその言葉が聞き取れないのだ。
森下は、間違いなく己の仕事を果たして見せた。普通の人なら着こなせない服を着こなし、その魅力を十分に理解したうえで、服の雰囲気と己の行動を持って一つの作品に仕上げたのだ。
「──さて、次は私の番だな」
ギミックが施された服の登場に湧き上がった会場。満足そうにステージに戻ってくる森下を目の端に捉えて、柳瀬が猛々しくにやりと笑っている。
こんなにも熱い空気の中だというのに、やっぱり柳瀬はまるで緊張していないようだった。ただでさえ、森下が盛り上げに盛り上げまくった後なのだ。もしこれで失敗してしまったら──と、華苗だったら足ががくがく震えて歩くことさえできないだろう。
というか、実際今も足が震えている。
『盛り上がってきたところで次の作品に行かせて頂こうッ! 作品名は……【ツラヌキカイカ】! あえて多くは語るまいッ! 協力者は剣道部二年の柳瀬さん!』
「──行ってくる」
そして、柳瀬は舞台袖からステージへと歩いていく。しっかりと胸を張り、確かな足取りで。
そのまま滑らかな動作でステージの真ん中へと立つと、身に纏っていた黒マントを盛大に脱ぎ捨てた。
──おおおおお!?
「わぁ……っ!」
男装の麗人。それが、会場にいた人間全員の共通認識だろう。
柳瀬が身に纏っていたのは、まさにそんな言葉がぴったり似合う軍服を模した衣装であった。大正時代の人が着ていそうな、レトロでモダンな雰囲気も併せ持っている。
上等なお店で手入れしたかのように全体がパリッと仕上がっていて、それがなんともまた軍服が持つ気品とでも言うべきものを強調していた。色合い自体は全体として深緑のごくごくありふれたものなのだが、胸元から肩にかけて伸びている金色のチェーンと、前面にいくつか着けられている銀のボタンが華やかさを演出している。
──うそ……あれどうなってんの……!?
──初めて見るけど……カッコいい……!
熱に浮かされたようなささやきが、なぜだか会場に響き渡る。その理由は、軍服を模した衣装……ではなく、柳瀬の着用している下衣にあった。
「あれって……振袖?」
「振袖っていうよりも、袴?」
やっぱり華苗たちには形容する言葉が見つからないが、軍服テイストの上半身に対し、下半身は袴のようなものを着用していた。大正時代の女学生や、あるいはハイカラ美人が着ていそうな、そんな袴だ。
こちらもやっぱり深緑で、全体との調和がとれている。軍服と袴という男物衣装と女物衣装のはずなのに、両方が和風のものだからか、不思議とちぐはぐな感じはしない。
──いや、おそらく、その違和感を覚えさせないように色々と工夫がなされているのだろう。よくよく見れば、軍服の袖のところが振袖のように膨らんでいる。華苗たちにはわからないだけで、随所に調和のための細工が施されているのは明らかだった。
凛とした足取りで、柳瀬は夢の舞台の最先端へと歩いていく。ある意味当然のように、柳瀬の片手には軍刀──ではなく、たいそう立派な木刀が握られていた。舞台の小道具よろしく見慣れない装飾がなされているものの、アレは間違いなく園芸部由来の枇杷の木刀だろう。
ある意味予想通り、柳瀬はその木刀を正眼に構えた。その姿だけでもう、芸術的な美しさがある。柳瀬がもともと持つ雰囲気その物が衣装にぴったりあっているものだから、華苗にはそれが本当の現実──柳瀬の生業が軍人で、柳瀬の正装がその衣装であるかのように思えて仕方なかった。
そして、柳瀬は木刀を振る。
たった一回だけの、美しすぎる動き。
──!
熱狂していた観客たちが、一斉に息を飲んだ。あれだけ騒がしかったはずの会場が、一瞬で静まり返った。
そして──会場に、桜吹雪が舞った。
冗談や比喩ではなく、柳瀬の一振りに呼応するかのように、華苗たちの目の前が桜の花びらで一杯になったのだ。
──おおおおおおお!!
熱狂の渦に誘われるように、ひらひらと桜の花びらが舞っている。どこまでも幻想的な桜吹雪の中に、凛とした深緑の柳瀬はとても良く映えていた。
「すっごい……! 円ちゃん、カッコいい……!」
ぽわんとした表情で、華苗の隣にいた桜井が呟く。
一方で、華苗は──というよりも、佐藤の方は目をまん丸にして驚いていた。
「ねえ……あれって……」
ちょちょいと肩を突かれて、ようやっと華苗は夢心地から現実へと引き戻された。
「あの桜、まさか……」
「や、でも、桜なんて育てた覚えは……」
「…あるぞ?」
当たり前のように背後に控えていた大男に、部活の後輩である華苗と、親友である佐藤は驚かない。
「…お前の入学式の時、桜、満開だっただろ?」
「……あれ、先輩が絡んでいたんですね」
「…道具係で呼ばれたって言っただろ?」
「ああ、小道具じゃなくて、この手の……大道具? も任されてたのか」
二人ともそれなりに付き合いが長いだけあって、無口で言葉足らずな楠が言わんとすることを正確に理解することが出来ていた。もちろん、普通は真っ先に言及するはずの【意図的に桜吹雪を起こした】という事実を追及したりはしない。
どうせこいつは楠なのだ。まごころさえあれば、多少突拍子もないことくらいいくらでもやってみせるだろう──それが二人の共通認識であった。
「…今朝の段階ですでに桜の枝を天井に忍ばせておいた。あとはちょっと早めにここにきて、気づかれないようにまごころをこめ──枝を成長させ、開花させ、散らすだけ」
ほどほどの成長速度を保つように加減してまごころを込めるのも、散らすために一気に集中してまごころを込めるのも大変だった──なんて楠は言っているが、そんなこと佐藤も華苗も聞いていない。普段は無口なのに、園芸に関することだけはやたら饒舌となるのが楠という男だった。
『なんという予想外のパフォーマンス! びっくりするのはこの花吹雪さえも引き立て役にしかならない衣装とモデルのチョイスかな! ──さぁて、このテンションのまま次の作品……【おとぎの国のおひめさま】! モデルは吹奏楽部三年の桜井さん!』
「──行ってくるね」
なんて話をしている間に桜井の番がやってきた。桜の余韻をほどほどにはらすためだろうか、おそらくは司会のアドリブで少しだけ呼ばれるタイミングが遅くなっている。
とたたた、と元気にステージへと走っていった桜井は、前の二人と同じく、にこりと笑ってマントを脱ぎ去った。
──きゃあああああ!
──うっそおおおお!?
──モノホンかよ!?
ピンクのフリルに可愛いリボン。豪華なレースがあちこちに施され、コサージュだろうか、胸元にはやっぱりピンクの大振りの花飾りがある。スカートの裾はふわりと大きく広がっていて、一方で上半身は体にフィットするかのようにきゅっとしまっていた。
おそらく、誰が見てもそれが何なのか、あるいはたった一言でそれを説明することが出来ただろう。
「女の子の憧れ! ……えへへ、一度着てみてかったんだぁ!」
──ずるいいいいい!
夢見る乙女たちの絶叫が、会場を塗りつぶしていく。
──そう、桜井が着ていたのは、もはやステレオタイプと言っていいくらいにコテコテの、【おひめさまのドレス】であった。
図書館に行って適当な絵本を一冊手に取ればすぐにでも見つかるような、そんなごくごくありふれた(?)デザインのお姫様ドレス。しかしやっぱり随所に工夫が施され、目の前でひらひらと踊るフリルやあちこちにあしらわれているリボンが見た目に飽きをこさせない。
ピンクを基調とした全体的に可愛らしいデザインでありながらも、レースの部分は気品が溢れていて豪華な感じだし、華やかさで見ればウェディングドレスのそれにも劣らないだろう。
ちょっぴりの色気の演出だろうか、胸元は鎖骨がしっかり見える程度には開いている。しかしそれはモデルである桜井の天真爛漫な空気と合わさったからか、むしろ思わず微笑んでしまいそうなくらいに無邪気な雰囲気を醸し出していた。
スカートの部分はふわっふわで、華苗は思わずそれに飛び込んでしまいたくなる衝動にかられた。
──なにあれ……幻想的……!
──くそう、ずっこいぞ……!
桜井はにっこりと笑いながらランウェイを歩いていく。女子たちの羨望と、ちょっぴりの妬みが入り混じった視線を浴びながら。
問題──否、普通と違うところを一つだけ挙げるとするならば、まるでおとぎ話の魔法かのように、桜井が歩を進めるごとにランウェイに何かの蔓が伸び、そして白い花を咲かせていくところだろうか。
そう、文字通り、桜井が歩いたところにリアルタイムで蔓が伸びていくのだ。
彼女が一歩進めば、少し遅れてそこに蔓が伸び。
進めば進むほど、ランウェイに緑のレースが編み込まれ。
そして、彼女が過ぎ去ったところには白く可愛らしい花が咲き、素敵なうっとりとする香りを漂わせている。
「……華苗ちゃん、あれって」
「……イチゴ、ですね。いや……ラズベリーもブラックベリーも混じってます」
「…実はあらかじめ即席舞台に種を仕込──」
「もういいですから、そういうの」
楠に最後まで言わせず、華苗は話を遮った。
さて、そんなやり取りをしている間には桜井は夢の舞台の最先端へとたどり着く。もはやランウェイはすっかりその姿を変えていて、どこぞの有名な庭園のお散歩コースかのような状態になっていた。それっぽいアーチやドームがあれば、ここが一高校の体育館の中だと思う人なんて一人たりともいないだろう。
桜井はすうっと大きく息を吸う。
そして、大きな声で言い切った。
「女の子はぁーっ! みぃんなぁーっ! おひめさまなのーっ!」
白い花が一斉に、色鮮やかな果実になった。
──うおおおおおおおお!
──結婚してくれーっ!
男子全員の熱狂。もはやだれも正気を保っていない。桜井の言葉だってまるで意味が通じない──というか、その場の空気とノリだけで紡がれているものだが、もはやそんなの誰も気にしちゃいなかった。
桜井は夢見る乙女らしい笑顔を浮かべ、足元に大きく実っていたイチゴを手につかむ。小道具としてまごころがふんだんに込められていたのか、明らかにそのイチゴだけ他の物よりもサイズが大きい。下手したら小ぶりなレモンくらいの大きさがあるのではないか──と、華苗の園芸部で培った眼力はそう判断した。
「ごめんねーっ! 私にはもう、王子様がいるからっ!」
あからさま過ぎる落胆の声。だけれども、不思議と盛り下がった感じはしない。
「だけど、みんな誰かの王子さまで、誰かのおひめさまだからっ! それを絶対忘れないよーにっ! 採るべきイチゴを間違えちゃダメだぞっ!」
大ぶりなイチゴにキスをして、桜井は小さくそれにかじりつく。
まるで絵画のように出来過ぎた光景に、今まで以上の大歓声が上がった。
「…ふむ。ベリーを伸ばして素敵な道を作って……だなんて言われたときはどうするものかと思ったが、どうしてなかなか、うまくいったな」
「まぁ……イチゴの道を進むおひめさまってのは、普通に可愛いし憧れちゃうところありますよね。どうせならブルーベリーも一緒な所を見たかったくらいですよ」
「…俺には女子の考えることはよくわからん。が、役に立てたのならなによりだ」
「まさか先輩たちも、服以外でここまで仕込んでいるなんて……楠? まさかとは思うけど、僕のやつには何もしないよな?」
「…………」
「……おい?」
『会場が一気に甘酸っぱくなったぁーっ! ほのかに香るコイツは各種ベリーの香かな!? それともまさかの王子さま持ち宣言が残したものか!? このままのテンションで次の作品……に行く前に、最前列の人は三種のベリー食べ放題を味わってくれ!』
「…俺が残った意味、そしてお前が今この瞬間まで残っている意味を考えろ。俺から言えるのはそれだけだ」
「ねえちょっとまってそれきいてない」
『すっげえ! あっという間に全部片付いちまった! さぞかし甘酸っぱいことだろうね! ……それじゃあ次の作品行ってみよー! 作品名は直球ストレートに【スウィート☆プリンス】! モデルはやっぱり文化研究部兼お菓子部兼料理部……の、二年、佐藤くん!』
「…お前の番だ。…腹をくくれ」
「──行ってきます」
なんだかんだと言っていた佐藤も、司会に呼ばれた瞬間には顔が切り替わっていた。その仕事を果たすことだけを考えている、園島西高校の先輩たちが見せる特有の表情だ。
その真剣なまなざしに思わず華苗の背筋がピンと伸びる。こんな状況だというのに、数か月後の自分がこんな雰囲気を身に纏うことなんて出来るのだろうか──なんて場違いな考えが華苗の頭の中をぐるぐるとめぐりだす。
──大本命きたああああ!
──ゆめひとーっ! わかってんだろうなぁーっ!
──サービスよろしくぅーっ!
先程までとは少し趣の違う大歓声。真剣だったはずの佐藤の表情が一瞬ぎこちなく引きつり、そしてすぐにまた元通りの──否、先程とは比べ物にならないくらいにさわやかな笑顔になった。
「──やるからには全力で、ってね? ウチの嘘吐きジジイの言葉だよ」
もったいぶるように佐藤は黒マントを脱ぎ去る。
──ぎゃああああああ!
──結婚してくれええええ!
女子生徒の獣じみた(?)興奮の声と、男子生徒の明らかにふざけた声援。
それもある意味しょうがないことではあるのだろう。思わず求婚の叫びをあげてしまうほど、佐藤はそれにふさわしい格好をしていた。
『まさかまさかの──マジもんの王子さまスタイル! こんなところで実物を拝めるとは誰が思ったことだろう!? その上であえて言わせてもらうぞ! ──佐藤、お前マジでどこの王子さまだ!? 似合いすぎるだろ!』
王子様の服。佐藤の衣装を形容する言葉はこれしかない。他の言葉でそれを表現しようとすれば、きっと少なからずその衣装が持っている印象を崩してしまうことだろう。
それでなお、あえて陳腐な言葉で表現するのなら──それは白を基調とした、ヨーロッパの貴族風の衣装であった。前面には豪華な金のボタンがいくつかあり、袖や襟のところには金の刺繍が施されている。
肩にもやっぱり豪華絢爛な肩章があって、それがまたなんとも王子様らしさを醸し出していた。ジャボを模しているのか、ふわりと胸元に広がったひだのような胸飾りが実にエレガントで、腰に巻いた装飾溢れるベルトは上半身の雰囲気をしっかりとまとめ上げている。
衣装そのものが本物(?)と遜色ない出来栄えであることもさることながら、何よりそれを着用している佐藤があまりにも適役過ぎていた。日本人とは思えない自然な茶髪に、王子様のように甘い顔立ち──ついでに背丈も高めに見えるものだから、見事にその上級者向け過ぎる衣装を着こなしている。
服のディティールとクオリティ、モデルのビジュアルとオーラ。いつも見慣れているはずの佐藤の顔がなぜだか日本人離れして見えてくるような、そんな圧倒的な全体としての迫力。
舞台やミュージカル、テーマパークのキャストとして出てきても何ら問題ない──どころか、あまりにも本物らし過ぎて、逆に違和感を覚えてしまうのではないかと思ってしまうほど、ランウェイを歩く佐藤は【王子様】であった。
──こっちむいて! 手ぇふって!
──あっ! こっち見て笑ってくれたぁ!
「…なんだよ、意外とノリノリじゃないか」
気障っぽく笑いながら、佐藤はゆっくりと進んでいく。いかにもそれらしく手を振ったり、時折茶目っ気たっぷりにウィンクしたり、なかなかサービス精神も旺盛だ。もちろん、佐藤がそんなちょっぴりの親切心を発揮するたびに会場からもはや怒号と変わらない歓喜の声が上がったのは語るまでもない。
「…どれ、少しあそ──んん、盛り上げに貢献するか」
楠がわざとらしく咳払いする。
そして、華苗の目の前でぐっと拳を握って見せた。
──!!
佐藤が一歩進むたび、真っ赤な薔薇が後から遅れて咲いてくる。佐藤が歩を進める度に薔薇の良い香りが会場に広がっていき、目にも鮮やかな豪華な深紅が会場を染め上げていく。
くる、と佐藤が焦った様に後ろを──要は、華苗たちが潜んでいる方を見る。
色黒の大男は、そっぽを向いて受け流した。
「…俺にはよくわからんが、王子様ってのはバラがつきものなんだろう?」
「うーん……だいぶ偏ってる知識だと思いますけどね、それ。……それに、これじゃあ桜井先輩の時と被ってるじゃないですか」
夢の王子様の歩いたあとが薔薇で埋まる。なるほど、たしかにこれはロマンチックでステキなものだと言える。
しかし、既に桜井の時に似たようなことをやっている以上、今この瞬間に限って言えばそこまでのインパクトはない。
「…ふむ。じゃあ、もっと派手にしてみるか」
──おおおおおお!?
真っ赤な薔薇の隙間を縫うように、純白のバラが咲き乱れていく。それも、ランウェイだけでなく観客席の方にまで咲き乱れている。顔をひきつらせた佐藤が一歩を進める度に薔薇の波が観客席を飲み込んでいき、衣装と同じ深紅と純白で染めていく。
「…どうだ?」
「色と規模が増えただけのワンパターンじゃないですか」
「…手厳しいな。なかなかいいと思ったんだが」
やはり、楠には女の子が持っているロマンを理解できる心はないらしい。せっかく素晴らしい才能が有るのにこれじゃ宝の持ち腐れだと、華苗は心の底から嘆いた。
そうこうしている間にも、冷静さを取り戻した佐藤は王子様ムーブを崩さず歩を進めていく。バラの香りの海を気取って歩き、気障な笑顔をあたりに振りまいていた。
そして気付けばもう、ランウェイの最先端にいる。あとは何かパフォーマンスの一つでもすれば、晴れて任務終了だろう。
それはあまりにももったいない──などと、華苗には思えてしまった。
「……王子様とバラって言ったら、こーゆーのとかどうでしょう?」
黒マントに身を包んだまま、華苗はまごころをえいやと込めてみる。花壇でも畑でもない場所で振るわれたはずのそれは、しかしいつも通りに期待に応えてくれた。
「……ん?」
ちょっと間抜けな佐藤の声。何らかの違和感を覚えたのだろうか、彼はちらりと視線を下に向けた。
「……あれ?」
華苗のまごころに呼応したバラが伸び、集まり、咲き乱れ──そして、一つの花束になっていた。
いや、正確に言えば束上に連なって咲いているだけで、まだ花束じゃない。互いが互いを支柱にしあうことで佐藤の胸元くらいまでの高さまで伸び、その状態で止まっているだけだ。
──なに、あれ?
──花束、かな?
ランウェイの先端でいきなり現れたバラの花束──の、卵。戸惑いとざわめきは佐藤だけでなく、観客席にも伝播している。
はっきりしているのは、後は誰かが摘み取れば、それは立派なバラの花束としてこの世に産声をあげる、ということだけだ。
「……取れってことかな?」
アイコンタクトをするまでも無く、わかりきった事実。華苗がコクリと頷くのを一瞬だけ見て、佐藤はためらうことなくそのバラの花束を両手で摘み取った。
「……普通の花束?」
大ぶりのバラが十数本束ねられた花束。それに普通ではない代物なんてあるはずがない。これから何か驚きの演出があるのだろうと身構えていた佐藤は、あっけにとられたようにその花束を胸に抱き、観客に向かって気障っぽくお辞儀をする。
それで終わり──な、わけがなかった。
「……あれ?」
戻っていこうとした佐藤の足が、動かない。
それもそのはず。
佐藤の足に、バラがびっしりと絡みついているのだから。
「……あれ? 楠? いやでも、これは華苗ちゃん?」
『……あっ』
華苗の意図──より正確に言えば、その花束が持つ意味に気付いたのだろう。未だにオンのままになっているマイクから、司会の声が漏れた。
『王子様ぁ、ちょっと聞いてくれる?』
「な、なんでしょう?」
『王子様さ、役目を果たしてないからバラに引き留められてるんだよ』
「……はい?」
『──それな、花束じゃなくてブーケだわ』
──ッッ!?
王子様。ブーケ。役目。
察しのいい人であれば、この三つの単語だけで全てを察することが出来ただろう。
──これって?
──つまり?
『ブーケトスぅぅぅ! 盛大に投げてくれよ、王子様ァ!』
今日一番の歓声が会場に響き渡る。舞台袖にいるはずの華苗の体に何か見えない圧がびりびりと伝わり、抑えきれない熱気がたちまちのうちに会場に満ちた。
──こっち投げてぇぇぇぇ!
──後で何か奢ってあげるからぁぁぁぁ!
──御慈悲を! どうか御慈悲を!
「嘘でしょ……」
ゾンビの群れに囲まれたかのような、そんな表情。実際、佐藤の目の前には何人もの女子が男子を押しのけて手を伸ばしている。ふざけてやっているのか、本気でやっているのかはわからないが、いずれにせよものすごい気迫であることは間違いない。
『ブーケトスってだけでも譲れないッ! しかも相手が王子様ならなおさらッ! こんな機会、一生に一度あるかないかだぞッ!』
司会が煽る。女子が群がる。本物の王子さまからのプレゼントに、興味を持たない乙女はいない。
「どうです?」
「…悪くない」
ブーケは一つ。狩人はいっぱい。こんな状況を創り出した小さな魔女は、誰にも知られない暗がりで悪の巨人と邪悪な笑みを浮かべていた。
「──あ」
やがて、何か恐ろしい事実に気付いてしまったのか、佐藤は傍目でもわかるほどに慌てだし、そしてみるみる青くなっていった。
そして──。
「ええい、ままよ!」
中空に放り出されたバラのブーケ。しかし、それは華苗の予想外にも途中でばらけ、一輪のバラとなってくるくると空中に踊りだす。
「──みんなが争う姿なんて、僕は見たくないな?」
甘く囁くような声。一本でも多くそれを掴もうとしていた女子たちの手が、一瞬だけ止まる。
「──ひとつのブーケを争うよりも、一輪の花を分け合おう」
深紅と純白のバラが舞う中で、王子さまは誰かに笑いかける。
「──僕はみんなの王子さま。そして──」
佐藤は右手の先を自らの唇に当てた。
「──愛しているのは、あなただけです」
──ああああああッ!!!
ロマンティックでとろけるような、そんな投げキッスをひとつ。会場にいた女子のほとんどがその仕草に胸を撃ち抜かれ、バラを掴むのも忘れて真っ赤になった。
そんな様子を見て穏やかに笑い、佐藤はどこまでもエレガントにお辞儀をする。
『おいおいおい! 血を血で洗う争奪戦を防いだのに、とんでもない爆弾を投下しやがった! この王子様、どんだけ女たらしなんだぁ!? ……せっかくだしサイドにもやってやれよ! みんなの王子さまなんだろ!?』
「ごめんね、アレはもう売り切れです」
司会にちょっぴりの軽口を叩き、佐藤はランウェイからこちらに向かって歩いてくる。一仕事終えた解放感があまりにも気持ちいいのか、先程まで振り向いていたそれよりもはるかに晴れやかな笑みを浮かべていた。
「なんだかんだで想像以上にうまくやってましたね?」
「…あれであいつ、格好つけたがりの見栄っ張りだからな」
「私としてはこう、もっと盛大に慌てる佐藤先輩も見てみたかったんですけど……ほら、ロマンチックな王子様もステキですけど、ギャップがあったらもっといいじゃないですか」
「…………」
「……なにか?」
「…余裕そうだな」
「……はい?」
「…次、お前だぞ」
言われてみれば、華苗の周りには誰もいない。というか、柳瀬も桜井も佐藤も出番が終わったのなら、次に来るのは華苗しかいない。華苗がこのランウェイを覗ける場所にいられたのは、【もうすぐ出番があるから】だったわけで、一緒にいた全員が役目を果たした以上、華苗の出番が回ってくるのは必然と言えた。
そう、華苗もすっかり忘れ去っていたのだが、本来華苗はこのファッションショーで観客を魅了する側であって、モデルの着ている服に心をときめかせたり、奇想天外な演出に頭を悩ませる側の人間じゃあないのだ。
「…ほどほどに緊張は解けただろう? …なに、夢一たちがあれだけ自由にやったんだ、お前も好きなように振る舞えばそれでいい」
「……まさか」
「…俺は、夢一で遊びたかっただけだ」
いつもと同じ無表情──の中に隠れた、ちょっぴり照れ屋で不器用な優しさ。そんな事実に背中を押され、そして華苗の中に熱い何かが湧いてきた。
震えはすっかり……とまではいわないものの、ずいぶんと落ち着いてきている。思考はさっきよりもよっぽどクリアで、自分がどういう状況にいて、何をすべきか華苗にははっきりと理解できていた。
「──よし!」
先輩がここまでお膳立てしてくれたのだ、ここで臆するのは園島西の生徒としての沽券に関わる。
きりっと表情を引き締め、そして華苗は舞台を見つめる。己が心を震わせて、帽子のつばを直せばもう完璧。
そんな後輩の勇ましい姿に、楠はいつも通りの低い声で告げた。
「──行ってこい」
「──行ってきます!」




