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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
85/129

84 園島西高校文化祭:ビフォア・コレクション


「なにあれめっちゃかわいい!」


「ひゅーっ! 絵本の中から飛び出してきたのかい!? それとも童話の世界から迷い込んじゃって来たのかい!?」


「アレを着こなせるとか……本当に羨ましい……っ!」


 華苗の目の前に広がる顔、顔、顔。辺りは熱気で満ちていて、ビリビリとした迫力が華苗の小さな体にはっきりと響いてくる。視線が自分に集中しているのが嫌でも感じ取れ、もはや怒号と言ってもいいくらいの歓声が耳を痺れさせた。


 これだけでもう、華苗にとってはお腹いっぱいだというのに、この上さらに、華苗にはこの大衆のど真ん中を優雅に歩かなくてはならないという使命がある。


 ──どうして私、こんなところにいるんだろう?


 華苗のチキンハートがふるふるとそんなことを訴える。しかしそれでもこれは華苗の仕事であり、役割なのだ。


 そして、華苗は【自分の役割はしっかり果たすべきだ】──ということを、この高校生活の中できちんと学んでいる。


 ──ううん、やってみせる。


 ちょっぴりの好奇と、少なくないほほえましさを含んだ視線。そんな視線を全身に受けて、華苗はきりっと意識を引き締める。堂々と胸を張り、とんとんと背伸びをして、弱気な心を鼓舞していく。


 そしてくるりと一回転し、白いワンピースのスカートをひらひらさせた。


 ──なぜなら、今の華苗は誰にも負けないスターなのだから。


「あっ……笑った顔マジでいい……!」


「目線! 目線こっちちょーだい!」


「きゃあ! 手! 手ぇ振ってくれた!」


 にこっと笑い、ぺこっとお辞儀して。仕上げに麦わら帽子のつばを直せば、もう完璧。


『続いての作品は……【黄色い夏の白昼夢】! こんなの夢かマンガでしか見られない! もはや説明不要! 協力者は《畑の天使》こと園芸部の華苗ちゃん! さぁ、最高の拍手でお出迎えください!』


 少々の緊張感と大いなる羞恥心を身にまといながら、華苗はその赤いカーペット──被服部主催体育館イベント、【ガーデネシア・ウェスト・コレクション】への一歩を踏み出した。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 時は少し遡る。


 あの後──楠たちが華苗の店を出て行った後も、華苗はクラスの一員として精力的に働いた。時には接客、時には運搬、そして時には調理──と、それこそ一通りの業務はこなしたと言えるだろう。


 幸か不幸か、華苗は園芸部だ。だからそれなりに顔が広く、接客においても大体が顔見知りであり、そうでなくとも向こうのほうが華苗のことを知っている。この文化祭では園芸部の野菜が大量に使われていることからも、『改めて礼を言いに来た』、『園芸部が所属するクラスの店はチェックしとかないとね』、『ここなら絶対美味しいに決まっている』……なんて理由で店を訪れてくれる人が少なくなかったのである。


 さらに華苗はおじいちゃんとの散歩や島祭りで、子供相手の対応というものに恐ろしいくらいに慣れてしまっている。だから、子供相手に親しみやすくセールスが出来るし、花飾り作り講座だってお手の物だ。良い意味でも悪い意味でも高校生らしくない体格の華苗に親近感を覚えるのか、他の女子生徒に比べて華苗はかなり子供に懐かれる傾向があった。


 つまるところ、華苗の総合的な接客能力は意外なほど高かったということである。


 そして、園芸部として培った運搬スキルも、華苗の武器の一つであった。


 なんせ、どれだけ大量の物を運んでも息切れ一つしないし、バランス一つ崩さないのだ。おまけに体が小さく小回りも効くものだから、人混みを抜けてすいすい動くことも簡単だ。わずかな隙間さえあれば、華苗にとってはそれで充分なのである。


 大きくて重いスイカやメロンを何往復もして何十個も運ぶよりも、はるかに簡単だ──と、華苗は心の中でそんなことを思う余裕すらあった。


 そして、クラスの平均よりかは料理ができる。これはもう、あえてわざわざ語るまでもないだろう。


 結果として華苗は、作ってよし、運んでよし、話してよし──ついでに花の補給もよしと、オールマイティに幅広く活躍できる優秀な即戦力として、忙しく働くことになっていたというわけだ。


 そして、気づけばあっという間にお昼の時間。シフトの交代要員がやってきて、足りなくなった野菜の収穫の先導・補助も行って、さて、これでようやく一息つけると思っていたところ、その人はやってきたのである。


「やっ、華苗ちゃん!」


 にっこりと嬉しそうな顔をしてやってきたのは、他でない被服部長の椿原だった。衣装の一つなのだろうか、クラスTシャツにゆったりとしたスカートをはいていて、なんだかいつもと雰囲気が違う。言葉で表すのは難しいが、旅行先で知り合った地元のおねーさんのようだ──なんて印象を華苗は抱く。


「もしかして、もう時間です?」


「ん。ちょうど近くを通りかかったし、いたら声かけようかなって思ってた」


 売り上げ貢献はまた明日ね、だなんて言いながら、椿原は華苗の手を引いて被服室へと向かっていく。華苗と椿原というちょっと珍しい組み合わせに、道行く人たちが興味深そうに声をかけてきたが、その尽くを椿原はくちびるに人差し指をあてて華麗にかわしていた。


「ほい、到着!」


「わぉ」


 ある意味当然のことだが、被服室の様子もまた様変わりしていた。いつもは大きな作業台とたくさんのミシンが目に飛び込んでくるのに、今日はそれらすべてがキレイに片付けられている。窓際の棚の方にごちゃっと置かれているはずの巻き尺や長い物差しなんかは影も形も見当たらない。


 代わりにあるのは、どこにこんなにしまってあったのか──と叫びたくなるほどの大量のトルソー。もちろん、そのどれもに被服部のみんなが作ったのであろう渾身の作品が着せられている。和風の服も、洋風の服も……異国情緒あふれるオリエンタルな服まで、その種類は多岐にわたり、あまりオシャレに詳しくない華苗の語彙ではとても言い表せそうにないくらいである。


 ただ、やはりというか、部屋その物にはそこまで派手な装飾はなされていない。華苗のクラスや他のクラスのように、かつての面影がまるで感じられない、なんてことはなく、しっかりとここが被服室であるということが感じ取れた。


 手作りであろうタペストリーや、幼稚園で見かけるような布製の飾りが所狭しと飾られていて、落ち着くような、なんとなく懐かしいような、そんな気分に華苗はなった。


 少し古びたブティックのような、あるいは昭和の香りがぷんぷんする公民館の一室で行われるカルチャースクールの発表会。酷く難解な喩えだが、おそらくこれこそが今の被服室を的確に表現する言葉だろう。


「なんか……雰囲気有りますね」


「アタシらなんかは、あんまり気にしないけどね」


 ただそれだけだったら、華苗だってそんなに驚かない。ただ、この部屋には人の気配というのがまるでないのだ。トルソーやマネキンばかりで、動くものがなにも見当たらない。有るべきはずの活気が無くて、ちょっと寂しい気さえする。


 なんだか妙にチグハグで違和感もあって、それが余計に服の迫力を引き立てている。服その物の雰囲気を、何倍にもしている。もし真夜中にこの部屋を訪れてしまったら──と、そんな想像をかきたててしまいそうな、不気味さのそれにも似た何かもそこにはあった。


「一般のお客さんには公開しないんですか?」


「うんにゃ、するよ。ただ、ファッションショーの前にネタ晴らしを喰らったらつまらないでしょ? ショーで興味を持たせて、こっちでじっくり見てもらう。それまではここの出番はないんだ」


 そして椿原は、教室の隅っこの──準備室の扉を開ける。しんと静まり返っていた被服室とは裏腹に、準備室は女の子たちのにぎやかな声で満ちていた。


「よう、準備はどんなだい?」


「じょーじょー!」


 華苗と同じように、作品を着こなすモデルとして呼ばれたのだろうか。数人の女子生徒が被服部員によって着せ替え人形にされている。各々クラスTシャツなんかを半ば脱がされつつ作品を試着させられているだけに、男子にとっては夢の光景がそこには広がっていた。


「やっぱ着る人が大事だよねぇ……!」


「いやぁ、服そのもののほうが大事だと思うけど」


 自分の理想のモデルに自分の全力をかけた服を着てもらえるからか、被服部の女子生徒たちは皆うっとりとした表情をしている。中には頬を赤らめ、鼻息を荒くしている者さえいた。


 一方でモデルとして抜擢された人たちは、そんな被服部の学友の姿にたじろぎつつも、どこかくすぐったそうに服を着させられている。苦笑いしながら袖を通しているものもいれば、ノリノリでスカートをひらひらさせているものもいた。


「おっ、華苗ちゃんも呼ばれてたか」


「さっすが副部長だねー!」


「あ」


 そんなちょっぴり姦しい女子生徒の集団の中に、華苗の見知った顔が二つ。剣道部長の柳瀬と、吹奏楽部長の桜井だ。


 もちろん、この二人はモデルとして抜擢されたためにここにいるのだろう。そもそもとして二人とも被服部じゃあないし、ただの物見遊山でここにいるとは考えにくい。この手のイベントの裏側を見るのは確かに楽しいが、全く関係ない第三者が勝手にそれをやるのは盛大なマナー違反なのだから。


 ただ、モデル役にしては不思議な部分が二人にはあった。


「……なんですか、その格好?」


「ん、ちょっとカッコいいだろ?」


「えー? そうかなぁ?」


 二人の体をすっかりと覆っているもの。


 真っ黒で大きな──マントというやつだった。


 イメージとしては、ドラキュラ伯爵が着ているようなそれに近いだろうか。ロングコートと形容するにはいささかシンプル過ぎて、実際、大きな黒い一枚布を体にまとっている様にしか見えない。


 酷い言い方をするのであれば、露出狂の人が好んで着用してそうな感じのアレであった。


「それが作品なんですか?」


「まっさかぁ。こいつぁただの布に軽くボタンとか付けて、マントっぽくしただけの代物だよ」


 華苗の疑問に椿原がけらけらと笑いながら答える。


「さっきも言ったろ? ファッションショーの前にネタ晴らし喰らったらつまらないって」


 聞けば、このマントは体育館への道すがらに作品を晒さないために着用してもらっているらしい。さすがに舞台袖で着替えるには時間もスペースも足りず、かといってここで着替えて体育館に向かうのでは、どう頑張ってもお膳立てしたお披露目の前に作品が観客に知れ渡ってしまう。


 こっそり現場へ向かうこともできない。現場で着替えることもできない。


 じゃあどうするか。


 隠せばいいだけの話であった。


「さすがにこの時期に黒マントは暑いだろうけどさ。そこはちょっと我慢してもらってるんだ」


 なるほど、言われてみれば桜井も柳瀬も──いや、すでに着替え終わっている他のモデル役の人たちも、皆一様に黒いマントを羽織り、若干うっすらと汗ばんでいる。作品を見せないために腕も足も隠しているものだから、マントの中は相当蒸れているのだろう。それこそ、露出しているのは顔くらいなものなのだから。


「部長、あとは軽く化粧すればおしまいですっ!」


「おっけ。こっちも華苗ちゃんで終わりだ。……ちょっと予定より早いけど、準備が出来た人から体育館へ行っちゃって。悪いけど、二年が先導してあげて」


「りょーかいですっ!」


 その言葉を皮切りに、中の人間の動きが変わる。あるものは被服部に連れられて体育館へと向かい、あるものは化粧やヘアセットを整えられ、そしてあるものは興味深そうに華苗の周りへと集まった。


「……あの?」


「──モデル役は基本的にボランティアなんだよね。お菓子部と違ってアタシたちに出せるものなんてろくにないし。だから作品は出来ても理想のモデルが見つからない、見つかったとしても諸処の事情でモデルになってくれなかった……なんてこと、実はよくあるんだ」


 椿原はまじめくさった表情で言った。


「そんなモデル役の数少ないメリット。互いに話が着いたら作品をそのまま貰える、綺麗なおべべを着ることが出来る、最高の衣装と大舞台で気になるアイツにアピールが出来る、そして──」


「そ、そして?」


 にんまりと、華苗の目の前の被服部長が笑った。


「誰よりも先に作品が見られるのと、可愛いアイツの生着替えが見られることさ!」


「きゃんっ!?」


 がしっと肩を抱かれ、そして華苗はいつの間にか椿原の腕の中にいた。背中から感じる温かさに、どこか安心感を覚える柔らかさ。いつぞやのやつだろうか、椿原からはラベンダーのいい香りがふわりと漂っている。


 まるでおかあさんの膝の上に座っているかのような心地よさに、華苗はついつい意識を手放しそうになった。


「とりあえず、おでこのそのシールを外して……これ、予備とかあるやつ?」


「うぃ」


 ぺりっとおでこシールが外された。


「いーい匂いのする花飾り……こいつもステキだけど、この衣装のお供じゃあないねぇ。……ほいほいっと」


「うぇい」


 しゅるしゅると、華苗のつけていたジャスミンの花飾りが外された。


「クラスTシャツも悪くないデザインだ。この真ん中のはゆきちゃんかね」


「うぇーい」


「華苗ちゃん……すっかり拭抜けちゃって……」


「でもでも、さやちゃんに後ろからぎゅーっ! ってされると、力抜けちゃうよ?」


 それはおそらく、子猫や子狐が親に首根っこをくわえられ、脱力しきっているそれにほど近い現象だったのだろう。少なくともこの段階の華苗には、椿原の束縛から逃れようとする行動も意志も欠片も無かった。


「はい、ばんざーい!」


「ばんざー……はっ!」


 おなかのほうまでぺろりとめくられて、ようやく華苗は我に返る。すでに腕はばんざいの格好を取っているが、だからといってこのまま着替えさせられるわけにはいかない。衆人環視の中で着替える趣味は無いし、華苗は花も恥じらう女子高生なのだから。


「なんだよぅ、着せ替え人形になってくれよぅ」


「ダメですって! 普通に一人で着替えられますからっ!」


「ホントぉ? 円も春香も、一人じゃ着替えられなかったよぉ?」


「……」


「む。それはホントだぞ?」


「なんかよくわかんないのいっぱいあったからね!」


 華苗のいぶかし気な視線に応えて、すでに着替え終わっている二人は朗らかに答えた。お互いにその時のことを思い出したのだろうか、どことなく楽しげに笑っている。いったいどんなハプニングがあったのか、他の人たちもくすくすと小さく笑っていた。


「……そんなすごい衣装だったんですか?」


「まぁ、それなりには、だな」


「一人じゃ絶対無理だった!」


「でも、私のはただのワンピースですし」


「「ケチ」」


 幸か不幸か、どんなに優れている作品であったとしても、華苗が着るのは白いワンピースだ。ぴんと手を伸ばしてばんざいをして、そこからすっぽりと被るだけでだいたいおっけーなのである。


 半ばヤケクソのように華苗は服を脱ぎ、名残惜しそうに口をとがらせる椿原からその白いワンピースを受け取る。髪が乱れないようにちょっぴり注意してがばっとやれば、それだけでもうほとんどの作業は終わっていた。


「どんなもんです?」


「ん……ちょいちょいそこらを直して……せっかくだから三つ編みで行こうか。あと、ズボンも靴下も脱いで生足出して」


「なんか言い方がおじさんくさい……」


「やーねぇ、何言ってんだい!」


 言われるがままに華苗はズボンを脱ぎ、靴下を脱ぐ。これで正真正銘白ワンピースだけを身に纏った夏の美少女の完成だ。もちろん、髪は椿原が手早く三つ編みにしてくれたので、もういつでも出陣できる状態である。


「やっぱり似合うな……華奢で儚い感じが……こう、守ってあげたくなるような。その上で、健康的なちょっぴりの日焼け……うん、すごくいい」


「肩とか背中とか足とかいっぱい出してるのに、ほんわかした気分になってくるよね!」


「桜井先輩、それってもしかしてケンカ売ってます?」


「やーん!」


 ふざける桜井のマントの端をくいくいひっぱり、華苗はこめかみに小さく青筋を立てた。


 とはいえ、今の華苗の姿を客観的に述べるとしたら、桜井のそれは強ち間違っていない──どころか、まさに的を射た的確な表現だと言えるだろう。


 その詳細については、今ここでは『語ることが出来ない』。ショーの前にネタ晴らしをしてはつまらないのだから。


「さっ、油売ってないで早くいきましょうよ」


「んむ、それもそーだね」


 華苗は素足に上履き、白ワンピースという奇妙な出で立ちになる。柳瀬たちと同じように黒マントを受け取り、その小さな体をすっかり隠すようにして身に纏った。


 別に特別注意しなくとも、華苗の体格ならマントの裾が余って引きずるくらいなのであったが、それでもチキンな華苗は気合が入りに入りまくった白ワンピース姿で学校というホームグラウンドを歩くことに、少なくない羞恥心を覚えたのである。


「それじゃあみんな、着いといで! くれぐれもマントの下を覗かれるんじゃあないよ!」



▲▽▲▽▲▽▲▽



「部長、遅いですよー!」


「悪い悪い、思いのほかここまでの道が混んでてね」


 体育館の裏の舞台袖。結構薄暗く、そして思っていたよりもちょっぴり狭いその場所に、華苗たちは到着した。


 本当だったら体育館の正面入り口からまっすぐこの舞台袖へと向かいたかったのだが、体育館イベントが盛り上がっていたのか、入り口がすっかり人で埋まっていて、まっすぐかつこっそり向かうことは叶わなかったのである。


 しょうがないのでぐるりと回って側面の非常口にも似たそこから入ったわけなのだが、意外にもそのおかげで体育館の中にいるお客さんの目にはほとんど触れずに舞台袖へと入れたというメリットもあった。


 さすがに黒マントの集団が揃って移動していて目立たないわけがない。体育館までの道すがらで妙に注目を浴びてしまったが、椿原はそれを宣伝の機会と捉え、『気になるなら体育館に行きな!』と元気な声をあげていたのを華苗は間近で見ている。そのせいで少しばかり遅れてしまったとも言えるだろう。


 とはいえ、時間的にはまだ少し余裕はある。ここで最後に段取りを確認して、各々の精神統一するくらいの時間はありそうだった。


 実際、すでに集まっている人たち──華苗たちが一番最後だった──は、各々担当の被服部員と最後の確認をしたり、緊張を和らげるためだろうか、伸びをしたり目を瞑って深呼吸をしているものがちらほらと見受けられた。


 狭い場所にたくさんの人が押し込められているからか、辺りはちょっぴり蒸し暑い。おまけに結構な人数が黒マントを羽織っているから、全体的にぼやっとしていて見通しが悪い。その下に着ているものはもちろん、モデル本人のシルエットすらあやふやになっていた。


 唯一はっきり見えるのは、音響係かあるいは照明係か、ともかく有志であろう生徒の顔だろう。何やら難しそうな機械の画面の光に照らされて、その周辺だけは不自然に明るくなっている。


「……あれ?」


 そんな、『モデルとその関係者』しか入れないはずのこの空間に、明らかにそぐわない人間がいるのを華苗は発見する。


「…だいぶ珍妙な格好をしているな」


「楠先輩? なんでここにいるんです?」


 ほかでもない、園島西高校園芸部長の楠その人だ。黒マントを羽織っていないところを見ると、モデルという可能性は無いと言っていい。となると、一体どうしてこんな場所にいるというのか。


「……もしかして、覗きです?」


「…バカ言え」


 ほら、と楠はあるものを取り出した。


「…麦わら帽子と、一輪の大きなヒマワリ」


「おっ、ありがとね!」


 大きな大きな麦わら帽子。華苗がいつも使っている奴じゃないし、楠が愛用している奴でもない。それより一回り大きくて、つばの部分がとても広い。


 マンガやアニメでしか見たことが無いような、いかにもそれっぽい──実用性なんてまるで考えていなファッショナブルな麦わら帽子が、華苗の頭にとん、と被せられた。


「いいねぇ、いいねぇ! あとはこいつに……!」


 椿原がポケットから何かをしゅるりと取り出した。もしここが十分明るかったら、それが幅広な空色のリボンだったということに気付けただろう。


「椿原先輩?」


「楠は道具係として呼んだんだよ。いつもの麦わら帽子もいいんだけどさ、やっぱりオシャレな奴の方がいいだろう? それに、服を引き立てる小道具だって必要だし」


 この薄暗さでは華苗自身がその姿を──完全武装した姿を見ることが叶わないのだが、どうやらそれは椿原にとって些細な問題であったらしい。華苗がちょっぴり不満そうにしていたのを気配で感じ取ったのか、最後にぽんぽんと撫でるようにして麦わら帽子を叩いてきた。


「だいじょうぶ。華苗ちゃんはすっごく可愛い。……あとは、ステージの上から観客の様子を見て判断しなよ?」


「むう……」


「…サンダルもあるからな? こいつはじいさんからだ」


 暗がりの中で渡されたそれを片手に、華苗は少しばかり唇を尖らせる。八つ当たりとばかりに、華苗は楠に文句を言った。


「道具係ってのはわかりましたけど、だからってどーしてここで待機してたんです? ……ホントは覗きなんですよね? ここ、女の子でいっぱいですし」


「…………」


「やーい、むっつりすけべ」


「…………俺がここにいたのは、面白いものを見られるからだ」


 ほら、と楠は暗がりの中であごをしゃくる。もうそれなりに長い付き合いだから、華苗は薄暗がりの中で僅かに見えた動作だけで、楠が何をしたのかほぼ正確に察することが出来た。


「先輩の後ろ、ですか?」


「…ああ」


 ひょい、と華苗は楠の大きな背中へと回り込む。


 そこにいたのは。


「や、やあ、華苗ちゃん……」


「佐藤先輩?」


 部屋の隅っこのほうで、佐藤が膝を抱えてしゃがみ込んでいた。俗にいう体育座り、あるいは偉い人の話を聞く体勢というやつだろう。もちろんと言うべきか、当然と言うべきか、佐藤は華苗たちと同じく黒いマントを身に纏っているため、楠と違ってモデルとして正当にここに呼ばれた人間であることは疑いようがない。


 ただ、なぜか佐藤の全身からは哀愁が漂っており、ただ単にみんなのスペースを考えて縮こまっていた……とはとても思えない。


 楠の背中の方に隠れていたことや、明らかにしょんぼりしていることからも、華苗のその推測は強ち間違っていないように思えた。


「どーしたんです? そんな隅っこの方でしょんぼりしちゃって。……緊張してるんですか?」


「……僕、もうお婿にいけないかもしれない」


「……は?」


 お婿にいけない、とはこれ如何に。女の華苗には男の子の考えていることはよくわからない。お嫁にいけない、ならまだなんとなくわかるが、本来は嫁を貰うべき立場である佐藤が、『婿にいけない』とはいったい何があったというのだろうか。


「なんです? もしかしてこの暗闇の中でいろいろセクハラされたとか?」


 冗談めかして、華苗はそんなことを口走る。


 意外なことに、それはそんなに間違っていなかった。


「はは……っ。暗闇だったら、まだよかったんだけどね……」


「えっ……」


「僕の衣装、だいぶ特殊なやつでさ。『どうやって着ればいいわからない』って言ったら、『じゃあ脱げ』、『着させてやる』って……」


「……」


 佐藤の顔がこれ以上にないくらいに死んでいるのが、なぜかはっきり見て取れた。


「ナチュラルに服をひっぺがされた。逃げようとしたら、そこにいる強面に取り押さえられた」


「……」


「その後はもう、被服準備室でパンツ一枚にまで剥かれましたとも」


 佐藤は誰もが認めるイケメンだ。優し気な笑顔に整った顔立ち……それこそ、物語の王子様か、一流レベルの誠実なホストと言ってもいいくらいに女受けするイケメンフェイスの持ち主である。


 そんな佐藤を合法的に引ん剥くことが出来るとなって、被服部員たちが少々やんちゃしてしまったらしい。華苗も喰らった「ばんざーい!」はもちろん、母親が幼子にズボンを履かせるようなアレもされたとのこと。


「ぱ、ぱんつ一枚!? そ、それ、本当に大丈夫なんですか?」


「男連中のパンツなんて今更だろ? 体育の着替えの時とか、ドアが開いてるのに平気で着替えているし。騒いではしゃいで腰のところからはみ出ている奴だっていっぱいいるじゃないか。……華苗ちゃんだって、見たことあるだろ?」


「や、まぁ、それはそうですけど……」


 それでも、華苗は基本的にウブなのだ。チラッと目に入ってしまったときはいつだって真っ赤になって、他人が見ていて微笑ましくなるほどぎこちなく顔を反らしている。


「あーんなみっともないもの見せられるんだから、逆にこっちがセクハラでお金貰ってもよくない?」


 椿原も被服部員たちも楽しそうに笑っている辺り、言葉通りの意思があるとはとても思えない。少なくとも佐藤のそれに限って言うのなら、それなり以上に有意義なひと時を過ごすことが出来たのだろう。


「男の子を着せ替え人形にする機会ってほとんどないもんね!」


「しかも、それがあの佐藤くん……! モデルとしては最高峰……ッ!」


「はじらうすがた、とってもよかったです。あと、いがいとしんぷるなふつうのぱんつでした」


「ええ……特売で五枚セットで売られていたやつですからね……。あと、もっとお安いお店教えてくれてありがとうございます……」


「…………な? 面白いだろ?」


「はは……」


 はしゃぐ被服部員たちは置いておくとして、よくよく見れば佐藤以外にも男子の姿は見受けられた。森下をはじめとした見知った顔もいるし、まるで見たことのない人もいる。一つだけ確かなのは、女子に比べて圧倒的に数が少ないことだろうか。


 なんだかんだで被服部もそのほとんどが女子で構成されている。男子に似合うカッコいい服よりも、自分の妄想とあこがれだけを詰め込んだ可愛い服を作る方が好きなのかもしれない。


「さて! はしゃぐのはそろそろおしまいだ! モデルのみんなはこっちに集まってくれ!」


 椿原の一声で、その場にいたモデル──というよりも、被服部員も含めた全員が集まってくる。さすがというべきか意識の切り替えはみんなはっきりできており、落ち込んでいた佐藤でさえしゃきっと真剣な表情になっていた。


「まずはお礼を言わせて。アタシたちのワガママに付き合ってくれてありがとう。……三年にとっては、これが最後だから。自分の理想の人に、自分の全部を詰め込んだものを着てもらいたかったんだ」


 照れ隠しのようにさらっと告げられた言葉。その言葉にどれだけの重さがあったのか、今の華苗には想像することすらできない。仮に想像できたとしても、きっとその想像を何倍しても、椿原の気持ちには届かなかったことだろう。


「次に最後の確認だ。といっても、自分の番が来たらここからステージに上がって、ランウェイ──ああ、それっぽく道が出来てるからわかると思うけど、そこを歩いて戻って来るだけだ。こっちでも誘導はするから、本当に何も心配しなくていいよ」


 どうやら現在、そのための準備が行われているらしい。ふと気づけば先程まで行われていたイベントの喧騒は聞こえなくなっていて、何やら準備中であるという旨を告げるアナウンスが流れていた。


「あと、出来ればステージに上がった時にパフォーマンスをしてくれ。なぁに、軽く手を振ったり、くるっと回ってスカートをひらひらさせてくれるだけでいいんだ。……もちろん、歩いている時もやってくれていいんだよ?」


 ただし、と椿原は付け加える。


「あくまで作品を彩るためだということを忘れないように」


 アンタに言ってるんだからね、と椿原は付け加える。『抜かりはねェぜ?』って胡散臭い声が返ってきた。ある意味予想通りである。


「戻って来たらステージの端に並んで立って待ってて。そのあとこっちで説明したりなんだりして、それでおしまい。ランウェイからそのまま出口にはける。そのまま解散でいいよ」


「あれ、服はどうするの?」


「それについては担当と話し合ってくれ。アタシのに限って言うのなら、そのまま持ち帰ってもらって構わない。……どうせアタシには着られないやつだし、その子たちも着てくれる人に貰われた方が嬉しいだろうさ」


「あ……最後に、みんなで写真を撮りたいの。終わったら中庭辺りに集合してくれると嬉しいな」


 被服部の一人が声をあげる。お安い御用だ、と声が上がった。


 もうみんな、すっかりその気になっているらしい。この空間に良い意味で緊張感が張り巡らされているのを、華苗ははっきりと肌で感じ取ることが出来た。


 被服部の人たちにとっては、後はもう祈ることしかできない。全力を尽くして作ったそれを、送り出すことしかできない。自分以外の何かに自分の分身に等しいそれをゆだねるのがどんな気分であるのか、園芸部である華苗にはわからない。


 だけれども、その期待と不安を一身に背負っているという自覚だけはある。覚悟といってもいい。だからこそ華苗は精いっぱいのベストを尽くそうと思えるし、こんな自分に期待してくれたその気持ちに応えようと思うことが出来た。


 そしてそれは、華苗だけじゃない。


 モデル役を引き受けた全員が、同じことを思っているだろう。


 部活は違えど、されどここにいる人間は全員園島西高校部活動に所属する人間なのだ。


 言葉にできないその気持ちを、覚悟を、園島西高校生としての「それ」を、心で感じ取ることが出来ていた。


「──会場セッティング、終わったみたいです。そちらの準備が出来次第いつでも始められます」


 連絡を受けた音響係の生徒が、純然たる事実を告げる。その言葉が薄暗い舞台袖に妙に大きく響き、誰かの息をのむ音がはっきりとその空間に木霊した。


「さぁて、ようやっと本番か。──まぁ、アタシらは基本見ているだけなんだけどさ」


 とても似つかわしくない、いっそ獰猛とすら思えるほど自信……いや、野心に近いそれを目に宿し、椿原が挑戦的に笑う。


「最後にこの言葉を送らせてもらおうか」


 そして、華苗たちを鼓舞するように優しく微笑んだ。


「あんたたちは主役だ。最高のスターだ。だから──」


 開幕のベルが鳴る。照明が切り替わり、軽快な音楽が流れだした。


 それは、ステキな宴の夜の始まりを告げるものであった。




「──作品(わたし)と一緒に、心のままに輝いてきてね?」

20180914 誤字修正


 ラベンダーの時のフラグを回収するのに、ここまでかかった。

 五年だ……ッ! 五年だぞ……ッ!

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