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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
84/129

83 園島西高校文化祭:薫香の茉莉花茶


 教室の中が、大変なことになっていた。


 一番に目に飛び込んでくるのが何人もの小さな女の子。みんながみんな紐を手に取り、思い思いにジャスミンの花を編み込んでいる。


「ねーねー、これでいいの?」


「う、うーん? もうちょっとこう……こう!」


「あーん、ボロボロになっちゃった!」


「ご、ごめん!」


 接客係の女子の一人がにこにこと笑いながら作り方をレクチャーしてはいる。が、子供の元気の良さに振り回されているのか、子供たちから見えない背中の方で【誰か助けて!】とハンドサインを送っていた。


 よくよく見てみると、彼女ら──邪魔にならないように端っこに集められている──のところだけ、少々ジャスミンの花が寂しいことになっている。うっかり摘んでしまったのか、はたまた材料としてそのまま提供したのかはわからないが、いずれにせよあとでなんとかしないとならないだろう。


 次に目に飛び込んできたのが、注文待ちの行列だ。十人は軽く並んでいるだろう。大きなナン──テイクアウトのお客さんが隣を通る度にもっているそれに期待を膨らませていたのか、誰もかれもがそわそわと、落ち着かない様子である。


 そして、最後。インドの遺跡風に改装された教室の、店内飲食スペース。ジャスミンのツタが絡みつき、そしていかにもオリエンタルな柄のテーブルクロスがかけらた机についている二人組。


「よっ、久しぶり……ってほどでもないか」


 エリィとセイン。いつぞやのキャンプの時にお世話になった、組合の人である。


 珍しく二人ともまともな服装をしており、パッと見る限りでは普通に日本に観光に来た外国人のように思える。取り立てて変わったものを持っているわけでもなければ、変わった行動をしているわけでもない。しいて言うなら、外国人とは思えないくらいに日本語が流暢である、というくらいだろうか。


 エリィの服装は、スポーティで涼しそうなカーキ色のジャケットに白いシャツ、デニムのパンツ──と、シンプルながらも動きやすそうな感じであり、まるで休日にショッピングを楽しむ出来るOLかのようになかなか様になっている。少なくとも、あのキャンプの時に見た時代錯誤な格好よりも、何倍も似合っているように華苗には思えた。


 外国人の美人さんは何を着ても似合うな──なんて、華苗はエリィのことがちょっぴり羨ましくなった。


「指名って……もしかして、エリィさん?」


「ん。カナエに会いたくなっちゃったんだ」


 おいで、と言わんばかりにエリィはにっこりと笑って腕を開く。


「ほら、華苗ちゃん! せっかく指名貰ったんだから!」


「客の要望に応えるのがプロってもんだろ?」


 別にここはそういうお店じゃない。ここで売っているのはナンであって、美少女女子高校生とハグできる権利なんかじゃない。


 だけれども、華苗は逆らわずにエリィに抱かれに行った。


「ああ……やっぱりこの小さくて柔らかい感じ……ぎゅってすると落ち着くなぁ……」


「き、気に入って頂けて何よりです」


「それに、すっごく可愛い。おまけに良い匂いがする。服も似合っているし、花飾りもきれいだ。……おでこのそれだけは、ちょっとよくわからないけど」


 女の人にしてはがっしりと逞しいエリィの腕に抱かれながら、華苗はさりげなくもう一人──セインの方を見た。


「……あなたに会える日を、心の底から楽しみにしていました」


「……あう」


 セインもまた、気合の入った服装をしている。それも、気合の入り方がエリィとはまた別方向──ありていに言えば、デートでビシッと決める、いやいや、これからプロポーズでもするんじゃあないかってくらいのものだ。


 華苗には男の人のファッションのことなんてさっぱりわからないが、高そうなジャケットにビジネスマンが愛用していそうなズボンは良く似合っており、仮にここが高級ホテルの最上階にある一流レストランであったとしても、全く問題ないと思えるほどのものである。


「……」


 さて、そんなセインに、どうやらゆきちゃんは見惚れているらしい。今まで見たことが無いくらいに真っ赤になっていて、目がぼーっとしている。


 そして、セインの方もゆきちゃんに見惚れているらしい。一瞬でかぁっと赤くなって目がぎこちなく泳いだし、何かを話そうとして言葉をひっこめる……といった、見た目に反して何とも子供っぽい反応を繰り返していた。


「ちくしょう、ある程度予想していたけど……やっぱりあいつかぁッ!」


「俺たちのゆきちゃんを……俺たちのゆきちゃんを……ッ!」


「あんなゆきちゃんの顔見たくなかった……ッ! 俺だけに見せてほしかった……ッ!」


 男子がバカなことを話しているのが、華苗の耳にわずかに聞こえてきた。一方で女子はケラケラ笑っており、この状況を楽しんでいるようである。幸か不幸か、当事者の二人には全く聞こえていないようだった。


「ゆきちゃんを呼んだのは、セインさん?」


「そうそう。こいつ、学校に来るなりここに直行してさぁ。でも、ユキがいないとわかってめちゃくちゃ落ち込んだんだよ。いないなら呼べばいいのに『仕事をしているのに呼び出したら迷惑がかかる』……なんてずっとうじうじしてたんだ」


 だから、エリィが華苗を呼ぶついでにゆきちゃんも呼んでもらうことにしたらしい。私はカナエに会いたくて来たんだぞ──と、エリィはより一層強い力で華苗を抱きしめた。


 いったいどうしてこうもスキンシップが激しいのかと、華苗は思わずにいられない。外国人だからという可能性もあるが、それにしたってエリィがこうやって接するのは華苗だけだ。案外本当に小さい子供と間違われているんじゃないかと、華苗はひそかにそんなことを危惧する。


「おぉーっ!? なんか面白いことになってんなぁ! このお店、もしかしてそういうサービスあるの!?」


「ゆきちゃん! 生徒の前だよ!」


 ここで、新たな声が乱入してきた。首だけを動かして入り口を見てみれば、そこには明るい笑顔、ふわふわ茶髪の女子生徒が二人いる。抱きしめられている華苗を見て、互いに見つめ合っている二人を見て、弄りがいのあるおもちゃを見つけたと言わんばかりな表情をしていた。


 ただし、その二人もあまり人のことを言えた状態ではない。


 だって二人とも、色黒のおっかない大男に抱き付いている。


「ん゛……! い、いや、これは違うぞ、渚、詩織。先生はただ、この前のキャンプの時のお礼を言っていただけだ」


「そ、そうそう。何も別にやましいことなど……これ、やましいことには入らない……よな?」


「私に聞くな。ちなみに、私は現在進行形でやましいことをしていると思っている」


「やましいことされてます」


 華苗はとりあえず、ノリに流されることにした。よくよく考えてみれば、こんな外国人のべっぴんさんの体を抱きしめる機会なんて、この先何度もあるものじゃあない。だとしたら、楽しめるときに楽しまないと損である。


 その場の空気がだいたいわかったのだろうか。青梅も双葉もにこりと笑って、さもあたり前のように華苗たち──より正確に言うならば、セインとエリィが陣取っていた席へと着く。


 当然ながら、二人に引っ張られていた楠もまた、何を考えているのかわからない仏頂面でその椅子へと座った。その手には、買ったと思しきナンとドライカレー、ミートコーンのセットが乗ったトレーがある。


「お久しぶりです、お二人とも! ……もう、お食事は済まされたんですか? というか、もしかしてデートしちゃってたり?」


「ちち、違うぞ、シオリ嬢! 決してこいつとデートなんか……!」


「こいつ呼ばわりなんて失礼だなあ。……まぁ、たまたま行くところが被ったってだけだよ。私はカナエに会いに、こいつはユキと会いにきたんだ。ちなみに、さっきもうそいつは頂いた」


 慌てるセインに比べ、エリィはその質問が来るとわかっていたかのように余裕そうな態度であった。目線だけを素早く動かしてゆきちゃんの表情を盗み見て、少し詰まら無さそうに息をつく。


 どうやら、華苗と会いに来たという以外に、いろいろとひやかすのも目的だったらしい。


「そういう二人は……まぁ、デートか。この前と一緒だな」


「えへへ、わかります? 最近ちょっと進展して、目線で訴えるだけで腕を組ませてくれるようになったんですよ!」


「今じゃもう、自分の方からあたしたちに会いに来てくれますからね!」


「…………」


 楠の目は死んでいる。そこからは、何も読み取ることは出来ない。


「ただ、なんか楠くん、どうしてもここに来たかったって言ってて」


「楠が珍しく主張してきたからねー。こりゃあ何かあるって思って来たんだけど」


「…例の秘密兵器とやらを、確認しにきた」


 楠はぐるりと辺りを見渡す。


 壁一面──いや、天井にさえ咲き誇っているジャスミン。おいしそうにナンを頬張る一般来校者や生徒。楠の登場により、腰を抜かしかけていた花飾り製作講座受講中の女の子たち。セインとゆきちゃんのやりとりを見て歯をギリギリさせている男子生徒。部長三人の登場にただならぬ何かを感じている接客係。


 自分と同じ席に着いている、セイン、エリィ、双葉、青梅。なぜか当たり前のように座らせられてしまったゆきちゃん。その濁った瞳でひとしきり部屋の中にある全てを見渡した楠は、最後に──エリィの腕の中にいる華苗を見つめた。


「…ジャスミン。まさか、飾りに使うってのがそれなわけじゃないだろう?」


「そりゃまあ」


「…いい加減、吐け」


「普通に注文してくれれば出しますよ? ……あっ、セインさんとエリィさんもどうですか?」


「ふむ、ジャスミンと言うと……なるほど、アレか。ちょうど私たちも頼もうと思っていたんだ。……よし、せっかくだからここは奢ってあげるとしよう」


 す、とセインが片手をあげる。騎士のような雰囲気の外国人のその動作に、その場にいた大半の人が目を奪われたが、エリィと華苗だけはその指先がわずかに震えていることに気付いた。


「樽……じゃない、ボトル……でもない……ええい、給仕のお嬢さん、《ジャスミンティー》を七人前頼む!」


「ジャスミンティー入りましたぁ! ありがとうございまぁす!」


「ピッチャーでご提供させていただきまぁす! 大口注文ありがとうございまぁす!」


 ちなみに、本来なら支払いは前払い制である。また、大口の注文が入ったからといって、ホストよろしくこんな風に騒ぎ立てたりなんてしない。華苗たちのお店は、いたって健全なお店なのだから。


 それでもこうしてみんながセインに合わせ、そしてセインを立てて大騒ぎしているのは。


 ──ひとえに、ゆきちゃんを応援しているためであった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「おまたせしました! 《ジャスミンティー》でぇーっす! どうぞごゆっくり!」


「…これが、秘密兵器か」


 そうして、七人で雑談することしばらく。やがて華苗たちの目の前に、黄金色とも琥珀色ともとれる、綺麗でキラキラ輝くそれで満たされたピッチャーがやってきた。それは光の当たり具合で色合いが微妙に異なっている様に見え、まるでこの世のものではないかのような神秘的な雰囲気を放っている。


 何より特徴的なのが、今この段階からでもわかるくらいに甘く、神秘的なジャスミンの香だろうか。ナンの香りやドライカレーの香りが辺りには満ちているというのに、それは一切霞むことなく、ただ悠然とそこにあった。


「ほ、本当に私も頂いていいのでしょうか……。その、一応は業務中であるわけですし……」


「私が、あなたにご馳走したいのです。……も、もしかして、ご迷惑でしたかな? その、お茶の一杯くらいなら大丈夫だと思ったのですが……」


「問題ないですよ! 最悪、私たちが無理に誘ったってことにすれば平気です! お客さんのお誘いを断る方が失礼ですし!」


「それに今のゆきちゃんなら、ちゃんと女子高生に見えるよ!」


「こら、先生をからかうな!」


 先輩二人が気を反らしている間に、華苗たちのクラスメイトはこっそりと入り口付近に壁を作り、さりげなくゆきちゃんを外から見えないようにする。ジャスミンティーを持ってきた娘は華苗にこっそり近づき、そして意味ありげに肩を叩いた。


「華苗ちゃん、悪いけどここからはよろしくね? 奢ってもらえるんだから、これくらいは……ね?」


 トレーの下で、彼女の手が動く。未だエリィの腕の中にいた華苗の手に、小さなメモ用紙を握らせてきた。


「……」


【ゆきちゃん がけっぷち】

【うまく とりもて】

【しょうさい あとで おしえて】

【じょうきゃく にがすな】


「……先生想いの、良い奴らだな」


「ええ、まあ」


 メモをぐしゃりと握りつぶし、華苗はそれをポケットに入れる。エリィの膝をぽんぽんと軽く叩き、にこっと笑ってその腕から脱出した。


 机の上にあるのはガラスのコップ。本来なら、ジャスミンティーは紙コップで提供されるはずのものだ。ピッチャーで提供するということ自体がすでにイレギュラーだし、おそらく誰かが機転を利かせたのだろう。


 紙コップじゃあ、せっかくのジャスミンティーの香を十分に楽しむことが出来ないし、その色合いを見るのだって難儀する。透明なコップを使って、光にあてつつ香りを楽しむことこそがジャスミンティーの魅力を最大限に引き出す方法であり、そうすることでムードってものが生まれるのだ。


「それじゃ、失礼して……」


 ピッチャーを手に取り、華苗は濃さが均等になるようにジャスミンティーを注いでいく。こぽこぽと特徴的な音が静かに響き、ジャスミンの花のいい香りが華苗たちの鼻をついた。


 最後の仕上げとして、華苗はそれぞれのコップにジャスミンの花びらを数枚浮かべさせた。ゆったりと漂う白い花びらは、さながら琥珀の海に浮かぶ白い船のようで、見た目的なアクセントとしても面白いし、なによりとってもオシャレで良い雰囲気になっている。


「へえ……本当にいい香りだ」


「それにすっごく本格的!」


「たしかに、これだけのものはそうそうお目にかかれないだろう……実を言うと、飲むのは初めてなのだよ」


 普通のお茶と同じように淹れるだけ。言ってみればそれだけのことではあるが、たったそれだけのことでこうまで褒めてくれるとなると、華苗としても嬉しくなってくる。


「…これが、秘密兵器?」


 一方で、楠はいぶかしげに目の前のジャスミンティーを見つめていた。きっと、あえて華苗たちがもったいぶった理由がわかっていないのだろう。


 どうせこの唐変木はオシャレな飲み物なんて飲んだことないんだろな──なんて思い当たった華苗は、せっかくなので教えてあげることにした。


「この前摘んだジャスミンあるじゃないですか。あの香りを茶葉に付けて淹れたものなんですよ」


「…ジャスミンの花で出汁を取ったんじゃないのか?」


「出汁って、あんた……」


「……」


 ジャスミンティーとは、その名前通りジャスミンの香りのするお茶のことである。しかし、あくまでジャスミンの香りがするというだけであって、ジャスミンその物をお茶として使っているわけじゃないのだ。


 かつて、ジャスミンティーの作り方の教えを乞いに行ったときのおじいちゃんの言葉を、華苗は思い出す。




 ──ジャスミンティーの作り方かい? 手頃な茶葉とジャスミンの花があれば比較的簡単に作れるねェ。


 ──茶葉、花、茶葉、花……って感じで容器に敷き詰めていくのさ。その状態で二日ほど茶葉に着香させて、花を新しいものに取り換えてやる。三回もそれを繰り返せば充分だろう。あとはその茶葉を使って普通に淹れてやるだけさ。


 ──ああ、注意することがひとつ。着香中、最低でも一日に一回は全体をかき混ぜてやらにゃならん。そうしないとカビちまうんだよねェ。


 ──茶葉は業務スーパーで仕入れるんだろう? 九月になったらそれと……出来れば摘みたてのジャスミンの花を持って来なさい。




 そして、華苗たちはおじいちゃんの言葉に従った。すぐさま業務用の茶葉を手配し、摘みたてのジャスミンを籠一杯にもっておじいちゃんの元へと向かった。


 おじいちゃんはそれを、いかにもそれっぽい容器に詰めてくれた。仕上がったものを少しだけ分けてもらうという条件で、面倒くさい作業を全部引き受けてくれたのだ。


 もちろん、華苗たちだってそこまでおんぶにだっこであるのは心苦しいと思った。だから、一日一回は誰かしらが古家に赴き、ジャスミンの花と茶葉をかき混ぜようとした。


 が、しかし。


 華苗たちは、自分たちが誰に物を頼んだのかすっかり忘れていた。


 そう──古家にはすでに、しっかりと着香された茶葉が出来上がっていたのだ。


「絶対に一日二日で終わる量じゃなかったはずなんですけどね……」


「…案外、毎日かき混ぜるのが面倒だっただけかもしれんぞ」


 楠と同じように『なんか適当に出汁を取れればなんとかなるだろ』……なんて思っていた華苗たちのクラスにとって、作るのに一週間近くかかるという事実は想定外だった。おじいちゃんがいなければまともに作ることはおろか、十分な量を用意できたかも怪しいところである。


 ともかく、そういった紆余曲折(?)を経てようやく完成したのがこのジャスミンティーなのだ。華苗たちの手はあまり加わっていないが、それでも自慢の一品と胸を張って言うことが出来る代物である。


「それでは、さっそく──」


 セインが手を伸ばしたのを合図に、全員がコップを掴む。


 そして、ぐびりと喉を動かした。


「ほわぁ……!」


 鼻にふわりと抜けていく、ジャスミンの甘く神秘的な香り。種類としては同じはずなのに、花から香るそれとは何かが違う。体の内側から染みわたっていくような、体の中がジャスミンでいっぱいになったかのような、そんな錯覚を華苗は覚えた。


 その強く、されど優しい香りはこの夏の熱い空気をどこかへと吹き飛ばしていく。目を閉じればインドの秘境──仙人や仙女が戯れる、ジャスミンで一杯の秘密の庭が浮かんでくるようだ。そう思えてしまうほどに、その神秘的な香りはリアルな迫力を持って華苗たちへと迫ってくる。


「想像以上だな……!」


 もちろん、香りだけじゃない。


 そもそもの元となった緑茶の味がジャスミンの風味と見事に調和し、さらなる高みへと到達している。すっきりさっぱりしたまろやかな甘さに花の香に由来する──嗅覚的な甘さとでも言うべきそれが合わさって、言葉にできない幸福感を醸し出していた。


 味と、香り。この二つがもたらす幸せ。うっとりしてしまうような、気分がふわふわしてくるような、そんな感じ。


 酩酊感にも似たそれは、されどお酒がもたらすそれとは決定的に違う。雰囲気と香りだからこそできる、特別なものだった。


「お口の中がさっぱりしていいかんじ!」


「甘いけどすっきりしてるから、ごくごく飲めるね!」


 一口飲めば、香りに酔い。


 二口飲めば、味に酔い。


 三口飲めば、再び香りに酔う。


 花の香りをそのまま雫にしたかのようなそれは、清廉な見た目とは裏腹に、悪魔の誘惑のように惹きつけてくる何かがあった。


「どーです、先輩?」


「……」


「なんでしたっけ? ジャスミンは煮ても焼いても食べられないんでしたっけ?」


「……」


 ちょっぴり得意げになって、華苗は相変わらず無表情で何を考えているのだかわからない楠に問いかける。その瞳はやっぱり死んだ魚のように濁っていて、そこからは喜びも悔しさも読み取ることが出来なかった。


 が、しかし。


「…………悪くない」


 楠の喉はずっと、絶え間なく上下している。表情はすっかり死んでいても、体の動きは正直だったらしい。


「…香りが着くだけで随分違うんだな。…元は業務スーパーの茶葉なんだろ?」


「ですです。予算の関係もあって、いっちばんお安いやつですね」


「それだけ【香り】ってのは味覚に大きな影響を与えるってことだよ! ほら、お菓子にだってバニラエッセンス使うでしょ? あれだっていい匂いするし、使わないとお菓子らしさが半減しちゃってあんまりお菓子っぽくならないんだけど……」


「けど?」


「あくまで香りだけで、バニラエッセンスそのものの味ってのは感じないでしょ? ……それどころか、原液を舐めると苦いからね」


「えっ……」


 双葉から告げられた意外な事実に華苗は思わず絶句した。たしかに、バニラエッセンスのあのお菓子らしい甘い香りは素敵で、あの匂いが無ければお菓子のあの甘さを感じられないとも思うが、それにしたって原液が苦いとはいったい誰が思ったことだろう。


「それに、紅茶だって色がついていて香りが良いだけって言えなくもないからね。香りがあるからそれっぽい味がするように思えるけど、実際は味なんてそんなにしないでしょ?」


「たしかに……鼻が詰まっている時とか、ただのお湯みたいに感じますよね」


 香りがそれだけ感覚としての味覚に影響を与えるのなら、最高の香を持つジャスミンによってつくられたこのジャスミンティーが美味しくならないはずがない。


 ましてや、そのジャスミンを育てたのは他でもない華苗と楠──すなわち、園島西高校の園芸部なのだ。世界のどこを探しても、これ以上に上等の品を見つけるのは難しいことだろう。


 もし、使う茶葉も園芸部の物だったなら。もし、お茶を淹れるのが調理部やお菓子部──あるいは、茶華道部の人だったら。


 今でさえびっくりするくらいに美味しいのに、もっと美味しいジャスミンティーになるんじゃないかと、華苗はそう思わずにいられない。


「先輩」


「…今度、またみんなでジャスミンを摘むか。そんで、じいさんのとこへ持っていけばいいだろ」


「お茶請けは任せとけ!」


「その時は先生も呼んでくれよ?」


 以心伝心。華苗がちょっと上目遣いで視線を送っただけで、我らが園芸部長はその意図を察し、お菓子部長は幸せの時間を約束してくれた。ちゃっかりゆきちゃんもついてきたのはご愛敬というやつである。


「美味いな……!」


「本当に素晴らしい……!」


 華苗たちのことなんてすっかり忘れてしまったかのように、セインもエリィも夢中になってごくごくとそれを飲んでいる。心の底から美味しいと思っているのか、見ているこっちが清々しくなってくるほどの飲みっぷりだ。まるでコマーシャルに出てくる俳優かのように──いいや、ハリウッドの主演の演技がかすんでしまうほどに、その二人は自然に最高の笑顔を見せていた。


 そんなものを見せられてしまったら、周りにいた人間たちとてたまったものじゃない。


「……すみません、追加でジャスミンティーもらえますか?」


「こ、こっちも……!」


「はいはい、ただいまお持ちします!」


「ジャスミンティー追加、よろしくぅーっ!」


 誰かの声をきっかけに、ジャスミンティーの注文が殺到する。その注文が呼び水となって、並んでいる人たちもジャスミンティーに興味を持ったらしい。先程までと比べて明らかにジャスミンティーの注文が増え、在庫がどんどんと減っていく。


「わたしも、あれ飲みたい」


「おかね、まだあったかな……」


 大人が楽しんでいるものに、子供が興味を持たないはずがない。気付けば花飾りを作っていた子供たちの注目はすっかりジャスミンティーに移っており、全員が手元の作りかけの花飾りではなく、華苗たちの机の上に載っている黄金の液体をじっと見つめていた。


 ちなみに、ジャスミンティーは一杯五十円での販売となっている。ナンと同価格なのはどうなのかという話もあったが、それ以下での値段というのも考えにくかったため、『セットで百円で分かりやすいじゃん!』という安直な理由から決まったものだ。


 オトナにとっては取るに足りないちっぽけな金額。されど、子供にとってはどうなのか。


 なお、園島西高校周辺地域にお住いの子供の大半が、文化研究部主催の散歩による駄菓子販売で、それなりに真っ当な──子供としてある意味模範的とも言える金銭感覚を身に着けていた。


 つまるところ、結論として。


「……足りない」


「おかーさんが来るまで我慢して……それからおねだり……できるかなぁ?」


「……売り切れちゃわない?」


 どこかの誰かさんたちがあまりにも美味しそうに飲んだ影響で、ジャスミンティーは飛ぶように売れていく。バックヤード──そう言えるほどたいそうなものではない──では良い意味でも悪い意味でも悲鳴が上がっており、それがますます、彼女たちの焦燥感を煽っていく。


「……」


「……しょうがない、よね」


 悲しそうに顔を伏せる少女。何度も手の中の金券を数え直す少女。泣きだすものこそいなかったものの、誰もが全身から悲壮感を漂わせていた。


「……ぐ」


 そして、その遠因となった誰かさんは、子供のそういった表情に酷く弱かったらしい。


「給仕のお嬢さん……」


 す、とセインは手をあげる。


「あそこのレディたちに、一杯ずつジャスミンティーを」


「ジャスミンティー入りましたぁ! ありがとうございまぁす!」


「ピッチャーでご提供させていただきまぁす! 大口注文ありがとうございまぁす!」


 紙コップに注がれたジャスミンティーが、女の子たちに配られていく。最初は何が起こったのわからないといった表情をしていた女の子たちだけれども、次の瞬間には、その顔にこの場に咲いているどの花よりも見事な喜色の花が咲き乱れた。


「い、いいの!?」


「やったぁ!」


 よかったねー、なんて言いながら、給仕係の娘がコップに追加のそれを注いでいく。ピッチャーにはまだまだ余裕があったから、いっそ使い切ってしまおうと思ったのだろう。ナンと違って茶葉には明確な基準量が無いぶん、こういったところではかなり融通を利かせることが出来るのだ。


「なんだよ、セイン。ずいぶんと太っ腹じゃないか」


「いや……さすがに、目の前であんな表情をされてはね。もとより大した値段じゃないんだ。せいぜいが銅貨五枚くらいだろう?」


「……どうか?」


「ああいや、なんでもないのですよ」


 女の子の人数はざっと十人くらいだろうか。単純計算で全員で五百円ほどということになる。金額だけ見れば大したことは無いのだろうが、それでも自分からさらりと全員分奢ると言ってのけたあたり、大人の経済力は凄まじく、なにより太っ腹だと華苗は思った。


「それに、こんなに美味しくて素敵な飲み物なんだ。我々だけで楽しむのはあまりにもったいない。楽しみや喜びは分かち合ってこそ……だろう?」


 映画のような、ある意味じゃわざとらしすぎるセリフも、金髪外国人であるセインが言うとものすごく様になる。もとより、セインは見た目も行動も騎士っぽいのだ。その上で言動まで騎士っぽいとなると、まるでセインが本物の騎士かのように──そう言わないほうが不自然のように思えてくるから不思議なものである。


 「カッコつけやがって」と小さく聞こえたつぶやきを、華苗は聞かなかったことにした。たぶん、まぁ、そういうことなのだろう。


 ふと視線を横にずらしてみれば、ゆきちゃんの顔が華苗たちが見たことのない乙女のそれになっていた。


「まぁでも、美味いことには間違いない。……なぁ、ホントにこんな安い値段で大丈夫なのか? “なん”も“かれー”も“みーとこーん”も……全部食べたけど、どれもこの小さい券五枚分だろ?」


 本当はもっと払うべきなんじゃないか──エリィの顔にはそんなことが書いてある。そんな様子がおかしくて、華苗はくすりとほほ笑んだ。


「だいじょーぶですよ、元値がゼロに近いですし、そもそも利益を上げることを目的としてませんから。……あ、でも、よかったら文化祭アンケートで投票してくださいね!」


 華苗たちにとってはお金なんかよりも、文化祭アンケートの票数の方が重要だったりする。これは文化祭での出店においてどれが一番優れていたのかをお客さんによる投票で決めるものであり、これによって最後の表彰式で涙を呑むか、勝利の美酒に酔えるのかが決まるのだ。


 もちろん、これに関しては先輩も後輩も、友達も恋人も関係ない。どのクラスも、全力でてっぺんを勝ち取ろうと本気で挑んでいる。だからこそ、華苗たちだって事前の情報漏洩が起きないように十分に注意を払っていたし、他のクラスも自らの手の内をギリギリまで明かさないように努力していたのだ。


「ん。今のところはここが一番だからな。……ひいきしたいのはやまやまだけど、勝負事は真剣に、ってのが私たちのやり方だ。そこだけは先に謝っておくよ」


「うちが一番ですから、別に謝る必要ないですよ?」


「おっ、なかなか強気じゃないか」


 とはいえ、エリィたちが訪れた店はここが一番最初のはずである。つまりは、それ相応の大きなインパクトを与えられた可能性はかなり強い。今の華苗にとっては、その事実だけで充分であった。


「……よろしく、ね?」


「あーん、もう……!」


 ──一応念のため、華苗は自分からエリィの背中をぎゅっと抱きしめにいく。勝負に勝つためだったら、華苗は他の女を抱くことも厭わない所存であった。


「はぁい、みんな注目! このジャスミンティーはねぇ、あそこにいる金髪のイケメンさんが奢ってくれたんだよっ!」


「いい子のみんなは、ちゃんとお礼を言おうね!」


 さて、華苗とエリィでそんな茶番を繰り広げていたところ、ぱぁん、と誰かが大きな手を叩いた。何事かと音の方向を注目してみれば、気を利かせたのか、給仕係の女子が子供たちに呼びかけている。


「ありがとー!」


「ありがとうございますっ!」


 子供たちはにっこりと笑ってセインにお礼の言葉を述べ、そしてセインはそんな子供たちに向かって笑いながら手をひらひらと振る。誰がどこからどう見ても、心温まるほっこりとした風景がそこには広がっていた。


「あのね、おじさん!」


 ここで、女の子の一人がとてとてとセインの元へとやってきた。溌剌とした、ちょっとおしゃまな雰囲気の女の子だ。


「おや、どうしたのかね? ……あと、一応ギリギリまだお兄さんのつもりだったのだが」


「お礼、あげるね!」


 女の子は片手に持っていたジャスミンの花飾り──おそらく、自分で作っていた奴だろう──をセインに押し付け、そのままぴゅーっと去っていく。彼女の耳が真っ赤になっていたように見えたのは、果たして華苗の気のせいなのか。


 困った様に笑うセインと、面白いものを見たかのように笑う年上の女達を見る限り、どうやら華苗の見間違いなんかじゃあなかったらしい。


「おー? なんだ、そんな緩んだ顔をして……あんな小さい子に浮気するのか?」


「冗談はよせ、レイクじゃあるまいし……ゴホン、とはいえ、どうしたものかな。さすがに男の私がこいつを貰ってもね」


「つければいいじゃないか」


「いや、でも……」


「ここをちょっと工夫して、ほら、こうすればブレスレットにできますよ」


「おおっ!?」


 ゆきちゃんが、動いた。自然な流れでセインの手からそれを受け取り、器用にちょちょいと弄って、元は髪飾りであっただろうそれを見事にブレスレットへと仕立て上げる。そのまま流れるようにセインの手を取り、きゅきゅっとその手首にブレスレットをつけてあげていた。


 息をのむ音と、きゃあきゃあ騒ぐ声と、怨嗟の籠った歯ぎしりの音。なんだか見てはいけないもののような気がして、華苗はそれから目を反らす。


 ──思っていた以上に、ガチなアレの感じだったのだ。こういうストレートなのを生で見ていられるほど、華苗の経験値は積まれていない。


 いい感じの雰囲気になっているのを邪魔しちゃまずいと思ったのか、はたまたこのまま流れに任せて発展させようとでも思ったのか。青梅と双葉はにやにやしながらナンを齧り、エリィもまたくぴくぴと無言でジャスミンティーを飲む。


 ジャスミンティーを飲みきってしまった華苗だけが手持無沙汰であり、かといって席をお暇するのもなんとなく気まずい。


「ねぇ、華苗ちゃん!」


「ん、なーに?」


 華苗の手が空いたのを見計らったのか、先程まで女の子たちに花飾り作りをレクチャーしていた娘が声をかけてきた。


「ちょっと咲かせて! 足りなくなってるの!」


「あー」


 言われてみれば、花飾り作りが行われていた場所にはもうほとんど花が残っていない。葉っぱの緑でいっぱいで、花弁の白はぽつぽつと混じっているくらいだ。そこ以外の場所はほぼ真っ白──緑白の比率が反転しているだけに、余計にそれが強調されてしまっている。


 結構な量が咲いていたはずだが、どうやらすっかり使い切ってしまったらしい。それだけ花飾りに興味を持つ女の子がいたということだろう。失敗して作り直したり……といったことも考えれば、花が無くなってしまうのも順当な事のように思えた。


「おっけ、すぐやるね」


 がたりと椅子の動く音が、その場にいた全員の注目を集めた。なんかいい雰囲気になっていた二人も、ナンを楽しんでいた三人も、とてとてとそこへと向かう華苗の背中を見つめる。


「……んーっ!」


 自分が見つめられていることにまるで気づいていない華苗は、少々大袈裟な動作で緑の葉っぱをふわりと撫でる。


 暖かな風のようなものが、さぁっと流れて。


 ふわりと、神秘的な甘い香りが香って。


「──ん、かんぺき」


 気付けば、そこにはジャスミンの白い花が咲き乱れていた。


 もはや見慣れてしまった、いつも通りの光景。園島西高校の生徒からしてみれば、びっくりすることではあるものの、特別驚くことのほどでもない。だいたい、この教室の飾り付けだって、同じようにして行ったのだから。


 だがしかし、外部のお客さんからしてみれば──。


「な、ん……っ!?」


「え……っ!?」


 せっせと花飾りを作っていた女の子が目を丸くする。オシャレなテーブルでナンを食べていた中学生風の少年の手が止まる。行列の先頭にいた人は口をあんぐりと開け、ただならぬ事態を感じ取ったのか、後ろの方にいた人はいぶかし気に教室の方へと首を伸ばしていた。


 そりゃあそうだ。いきなり目の前で花が──それも本物のジャスミンが一瞬で咲き乱れたというのなら、誰だって腰を抜かす。それで驚かないのは園島西高校の関係者だけで、不思議に思わないのは園島西高校の園芸部だけである。


「い……今の……!」


「ま、魔法じゃないのか?」


 組合の二人もまた、信じられないものを見たかのように目を見開いている。はて、おかしなことなどあったかしらん──なんて思いつつも、華苗は笑顔で言った。


「やだなぁ。魔法なんてあるはずないじゃないですか」


「いや、でも……!」


 サバイバルキャンプの時だって、これはあった。説明はしていないかもしれないが、この二人は少なくとも初めてなんかじゃあないはずなのである。


 そこのところをはっきりとわからせるために、華苗はあえて宣言することにした。


「──ただのまごころですよ?」


「…だな」



▲▽▲▽▲▽▲▽



 神秘的な甘い香り。咲き乱れる白い花。教室の中の客席は埋まっており、持ち帰りのための行列もそれなりに長い。受付も、運搬係も、給仕係も、嬉しい悲鳴を上げててんてこまいになっている。


 これだけの盛況を見せてなお、まだ本番じゃない。一日目は半分も終わっておらず、二日目だって残っている。


 華苗はにこっと笑ってぺこっとお辞儀をし、そして満足そうに去っていく背中を見送った。


 園島西高校文化祭──【ガーデンパーティ】はまだまだ続く。

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