82 園島西高校文化祭:移動販売
「史香、華苗をよろしくね? 売り子にはぴったりな子だけど、いろいろと心配なところがあるから……」
「任せて。よっちゃんたちも、こっちはよろしくね。どんなに遅くとも一時間以内には戻るから」
「むぅ……」
清水は記録表と金券箱を手に取ると、未だ不服そうに口をとがらせる華苗の手を引いて調理室を出る。もちろん華苗はなされるがままだが、さりとてクラスの意志に刃向かうわけにはいかない。
ここは逆に、驚くほどの売り上げを叩き出して度肝を抜いてやろう──なんて思えるようになった辺り、華苗は成長したと言えるだろう。もし入学当初だったら、きっと一人でオロオロしていたに違いない。
「わ、けっこう人いるね」
さて、そうして調理室の外──すなわち、関係者以外立ち入り厳禁ではない、いわば文化祭真っ只中最前線に踏み入れた華苗と清水であったが、やはりというか、その様相は普段の平和で穏やかな校舎とは打って変わっていた。
まず、人が多い。一年生も二年生も三年生も、特に偏ることなく満遍なくそこらを歩いている。別学年の生徒がこうも廊下に集まることなんて、よほどのことが無い限りお目にかかることは出来ないだろう。
しかもみんながみんな、制服じゃない。もっとこう、派手な格好をしている。
一番目に着くのはやはり、華苗たちと同じようにクラスTシャツを着ている者だろうか。それぞれクラスのテーマカラー(?)のシャツに様々な創意あふれるイラストがプリントされていて、見ているだけで結構楽しい気分になってくる。そのデザインを見るだけで、そのクラスの個性というか気風というか、ともかくそのクラスをそのクラス足らしめている雰囲気を感じ取ることが出来た。
それに加えて、なにやらコスプレじみた格好をしている人がけっこうな割合でいる。
浴衣を着ている者、着物を着ている者、メイド服を着ている者、安っぽい全身タイツの者、甚平を着ている者──はたまた、どこの民族衣装だと言わんばかりの服装をしているものもいる。あっちにいる中途半端な着ぐるみを着た女子生徒は華苗と同じように食品の移動販売をしているし、おそらくは超技術部であろう男子生徒はピエロの格好をして、皿回しをしながら笑顔でビラを配っていた。
スネ毛の生えているメイドさんと、借り物であろう制服のスカートをはいている男子生徒を、華苗は見なかったことにした。嫌な記憶は、さっさと忘れたほうが精神衛生上いいのだから。
「なんかみんな……こう、騒ぐぞーって感じがしてるね」
「うん……あ、でも華苗ちゃん。普通の人もいるっぽいよ?」
なるほど、言われてみれば普通の人──すなわち、ただの部活着姿である人もちらほら見受けられる。パッと見てすぐに判別できるのは合気道、弓道、剣道といった武道部の面々だろうか。彼らもまたお手製の看板を持って宣伝を行っており、道行く人たちに笑顔で声をかけている。
──差し入れとかしたら喜んでくれる、かも?
ほんのちょっぴり頭に浮かんだ雑念を、華苗はぶんぶんと振り払う。今はまだ、その機じゃない。
さてさて、当然のごとく、校舎内を歩いているのは生徒たちだけじゃない。地域から来たと思われる一般来校者があちこちにいる。人数としては出歩いている生徒よりもちょっと多いくらいだろうか。さすがに満員電車ほどとまではいわないものの、廊下ですれ違うのに少々難儀する程度には混み合っている。
華苗にとって意外だったのは、おじさんおばさん世代やおじいちゃんおばあちゃん世代の人が思いの外多かったことだろうか。華苗のおかあさんより一回りくらい年上だろうと思われる夫婦がカチワリ氷を片手に歩いているし、向こうの方では気品あふれる白髪のお婆さん──高そうな着物を着ている──が物珍しそうに辺りを見渡しながらしずしずと歩いている。
「私、てっきり受験生とか近所の子供ばかりだと思ってたんだけど……けっこういろんな人がいるね」
「あー……親とか近所の人とか、部活繋がりでお世話になった人とかを呼んでるっぽいよ。島祭で来た人がまた来てくれたりとかね」
改装された教室もまた、華苗の好奇心を大いに刺激した。どこもかしこも元が教室だったとは思えないくらいに印象が変わっており、天井や廊下を見なければ、ここが学校だとはだれも思わないことだろう。
フランスの貴族の館みたいになっているところもあれば、西部のガンマンがたむろしている酒場みたいになっているところもある。海賊船のような内装になっているところもあれば、もはやコンセプトがまるでわからないところもあった。
華苗も清水も、通りかかった全てのお店に目を奪われ、そして後ろ髪を引かれる。ほんのちょっとだけ、“敵情視察”をしても許されるんじゃないか──なんて、そんなことを二人ともが思った。
「あーっ! なにあれすっごい!」
「──はっ」
そんな二人に、元気な声が群がってきた。
「ねえ! ねえねえ! それってなーに!?」
「あたし知ってる! これってナンってやつだよ!」
小学校低学年くらいの男の子と女の子だ。おそらく、近所の小学校の子供だろう。島祭でも遊びに来ていたのだろうし、それにおじいちゃんたちがちょくちょく公園で面倒を見ているという話でもある。遊びに来ていたとしても、なんらおかしくない。
華苗はサッと周りを見渡す。保護者の姿は見当たらない……が、おそらくそれなりに信用されているのだと思うことにした。
「こんにちは! えっとねぇ、これはナンっていうパンなの。こっちのドライカレーか、ミートコーンってやつと一緒に食べるんだ。とってもおいしいよ!」
「みーとこーん?」
「初めて聞いたー!」
そりゃあそうだろう。だって、華苗たちが作ったものなのだから。
もちろん、大人である華苗はそんなことを口にはしない。ちょっぴり腰をかがめて視線を合わせ、にっこりと自然体で笑いかける。
「こういうやつなんだけど……どうする? ちょっとだけ、味見してみちゃう?」
「するー!」
華苗はナンを一つ手に取り、小さく千切る。ドライカレーとミートコーンのカップをそれぞれ一つずつ手に取って、子供たちの目の前へと差し出した。
いそいそと、競うように子供たちはそれをつける。そのままぱくっと口に入れて、零れ落ちてしまうんじゃないかと心配するくらいに目を見開いた。
「おいしいっ!」
「ウチのカレーと全然違うっ!」
「そうでしょうそうでしょう!」
そうやってきゃあきゃあと心温まる触れ合いをしていれば、目立たないわけがない。子供たちに笑いかけている華苗はさっぱり気づいていないが、若干の疎外感を現在進行形で味わっている清水には、周りの人間……それも、けっこうな数が自分たちに注目していることがはっきりと感じ取れた。
「どーする? 買っちゃう?」
「うんっ! あたし、ミートコーン!」
「俺、ドライカレー!」
「毎度ありっ! 一つ五十円ね! 金券のちっちゃいの五枚分! ……ちゃんと数えられるかなぁ?」
「できるもんっ!」
ぴっと差し出されたそれを見て、華苗は清水にアイコンタクトを送る。はっとしたように清水は笑顔を作り、子供たちからそれを受け取った。
──金券はしっかり五十円分。間違いはない。本物のお店を営む人が見たら卒倒しそうな値段だが、間違いじゃあないのだ。
「はーい、落とさないようにね? あと、焼き立てほやほやであっちっちーだから、気を付けるんだよ?」
「うんっ!」
「すっげーっ! でっけーっ!」
子供たちの顔以上もある、ボリュームのありすぎるナン。千切ってディップして食べて、千切ってディップして食べて……そんな行為を三回ほど繰り返しても、まだまだ十分に残っている。これだけでもう、他のものは食べられないんじゃないかってくらいの量があった。
だというのに、子供たちは嬉しそうに笑って無我夢中でそれを食べている。口の端がほんのちょっぴり汚れることもいとわずに、互いのドライカレーとミートコーンを交換し合って、そしてきゃあきゃあとはしゃいでいた。
もし両手が空いていたのなら、華苗はノーモーションで彼らのお口をふいてあげていただろう。
「なんか……華苗ちゃん……」
「どしたの?」
清水が、意外なものを見たかのような顔をして、震える声で華苗に話しかけた。
「すっごく子供の扱い手慣れてない……? 正直、意外過ぎてびっくりしたんだけど。華苗ちゃんってもっとこう、初対面相手には子供でも緊張するタイプじゃなかった?」
「前はそうだったけど……おじいちゃんの散歩や島祭で子供にはだいぶ慣れたからね。というか、まさにその二つでこんなやり取りはいっぱいやったし」
「成長したねぇ……」
「もっと褒めて」
残念ながら、華苗の願いが叶うことはなかった。
「おーい、園芸部! 俺たちにもそれ、二つずつくれよ!」
「私たちもお願いします!」
先ほどの一幕が呼び水となって、わっとお客が群がった。生徒もいるし、一般来校者もいる。あっという間に十人弱もの人に囲まれて、華苗は一瞬パニックに陥りそうになった。
それでなお慌てなかったのは、ひとえに園芸部で鍛えた精神によるものである。
「ドライカレー二つ、ミートコーン二つ、二百円です! ミートコーン三つのお客様は百五十円になります!」
清水がオーダーを聞き、そしてお金の受け取りを行う。華苗は指示通り、言われたものを笑顔でお客さんに渡すだけだ。
「やっぱ焼き立てだ! それにこのデカさ! 園芸部のにハズレはねえな!」
「いや、これはクラスの出し物だろ? ……後で中の連中にも持っていってやろうぜ。はんぶんこするのも楽でいい」
男子生徒がそんなことを言いながら去っていく。それが原因なのかどうかはわからないが、ちょっとは治まったと思った客足が再び伸びてきた。
よくよく見ると、買っていく生徒はその大半が店番──自由時間を満喫しているものではなくて、なんらかの仕事をしている最中の者のようだった。おそらく、比較的手軽に食べられる軽食として華苗たちのナンがあまりにも魅力的に映ったのだろう。
「あーっ! あれだよっ! ゆーくん達が食べてたやつ!」
そして、子供たちネットワークによる口コミなのか、小学生くらいの子供たちまで集まってくる。人がまた人を呼び、評判がどんどん広がって、華苗たちは嬉しい悲鳴をあげることとなった。
「ど……どうしよう、華苗ちゃん! これ、確実に足りないんだけど!」
「ええっ!? あんなにあったのに!?」
今の段階で、並んでいるのは七人。残っているナンは四枚。まだまだ余裕はある……なんて思っていたのに、どうやら一人で複数買う人が思いの外多かったらしい。
と、なれば。
華苗にできることなんて、ひとつくらいしかない。
「ごめんなさい、今ので売り切れになっちゃいました……」
清水が申し訳なさそうに、最後に残っていた二人──お父さんと女の子の親子連れに頭を下げる。父親の方はある程度予想出来ていたのか笑っているが、女の子の方はちょっぴり目に涙をためていた。
「いえいえ、しょうがないですよ。本店……でいいんですかね? そっちの方に行ってみますから。……ちー、それでいいかな?」
「うー……」
「ね、ちょっと待っててくれる?」
ぶち、と華苗は飾り付けに使われていたジャスミンの花を摘んだ。万が一の時のためにポケットに入れておいた紐を取り出し、そこにジャスミンの花を編み込んでいく。
もう何度もやった作業だ。今更てこずることも無い。
ぶちぶち、ぶちぶち──と、数回ほど花を摘み、そしてくるくるとそれをまとめていく。一分もしないうちには、華苗の手の中にジャスミンの花で出来た白く可愛らしいブレスレットが出来上がっていた。
「はい、どうぞ! これで許してくれるとうれしいな!」
華苗はそっと、女の子の手にそれをつけてあげた。甘く神秘的な香りがふわっと漂い、そして思いがけないプレゼントに女の子は目をこれでもかというくらいにまん丸にする。静かな水面に波紋が伝うように笑顔が広がっていき、華苗の目の前に無邪気な喜色の花が咲いた。
「わぁ……っ! ありがとう、おねーちゃん!」
「気に入ってくれて嬉しいな!」
そして、女の子は上機嫌で去っていく。父親の腕をぐいぐいとひいて、今にも駆けだしそうな勢いだ。華苗はそんな背中に小さく手を振って、そしてぺこりと頭を下げる父親に笑顔を返した。
「……なんだろ、華苗ちゃんにすっごく置いてけぼりにされた気分」
「史香ちゃんも出来るでしょ? それより、すっかり売切れちゃったね」
「そうだねぇ。まさかこんなあっという間に無くなっちゃうとは……」
なんだかんだで調理室を出てから二十分ほどしか経っていない。最初の方はただ歩いていただけだったことを考えると、売切れになるまで十分ほどしかかからなかったという計算になる。もっと人手があったら──もっと接客がスムーズにできていたら、もっと早かったことだろう。
ともあれ、見事目標を達成した華苗たちは調理室へと戻ることにした。これからまた宣伝にでるとしても持ち弾の補充をしなくっちゃあならないし、あるいは普通に調理をするのでも構わない。いずれにせよ、何の策も無しにぶらぶら歩くという選択肢だけは無いと言える。
「向こうも売れ行き良いのかなあ?」
「や。まさかそんな飛ぶように売れて、る、なん……!?」
調理室の前。もうその瞬間に、その大いなる衝撃が華苗たちを襲った。
「おい! ナンの追加まだかよ! 全然足りてないぞ!」
「ミートコーンは!? ミートコーンはどうなってる!? もうさっきのお鍋空っぽになったんですけど!」
「ちくしょう、コンビーフ新しい箱出してくれ!」
「もう!? さっき出したばかりでしょ!?」
調理室の中が、戦争になっていた。みんなが血眼になって野菜を刻み、炒め、そしてナンを焼いている。出来たそばから回収係がそれを回収し──またすぐ次の回収係がやってきた。もはや洗い物をする余裕すらないのか、流しには汚れたままのフライパンだの鍋だのが溢れている。
ほんの三十分前にはあったはずの平和な光景は、もうどこにもなかった。
「な、なにこれ……?」
「見ての通り、すごい勢いで注文が入りまくってるんだ」
「あ、ゆきちゃん」
猫の手も借りたかったのだろうか。いつものエプロン姿のゆきちゃんが、フライパンの水気をタオルで取りながら答えた。器用にもそれと並行してトマトの水煮を作っており、そのたたずまいには熟練の主婦のそれを感じさせる。とても若い女教師とは思えないほどの貫禄があった。
「私がこっちに顔を出した時はそんなでもなかったんだが……ある時からいきなり客足が凄いことになってな。作るそばから売れてくし、供給が需要に追いついていない」
そんなことを言っている間にもナンが焼き上がり、鍋が煮詰まり、そしてできたそれを片っ端から回収係が回収していく。頑張っている人筆頭であるよっちゃんの目はみんな以上に真剣で、周りのことなんて気にした様子も無く野菜を刻みまくっていた。
「うぉらぁっ!」
「……」
「ドライカレー、できた! ミートコーンも! ナンも! どんどんもってけーい!」
「……華苗」
「……なんでしょう?」
「なんか今、頼子が鍋に材料をぶち込んだ瞬間に料理が出来た気がしたんだけど。先生、ちょっと疲れてるのかな?」
「……」
よっちゃんもたぶん、次期部長候補だ。思えば、キャンプの時に既に似たようなことをよっちゃんはやっていた。
あの丁寧な調理講座は一体何だったのだ──と、華苗はそう思わずにいられない。園島西高校の部活はみんないろいろおかしいとはいえ、部活以外で──今この場でそれをやるのは暗黙の了解に反するのではないか、と華苗は心の底から思った。
「で、でも、このペースならなんとか……」
「ちっくしょう、やべえぞ!」
調理数と販売数のチェックを行っていた男子が、ひときわ大きな悲鳴を上げた。
「このままのペースだとどんなに頑張っても三時……いや! 二時には材料が尽きちまう!」
「……しょうがない、明日の分の材料を今日に回すしかないな」
「ダメだ、ゆきちゃん!」
「ん?」
「【どんなに頑張っても】って言っただろ!? 既にその分は計算に入れている! 今ここにある全ての材料が尽きるんだ!」
ゆきちゃんはあんぐりと口を開けた。華苗もあんぐりと口を開けた。呆然としなかったのは、作業に熱中している人たちだけだ。
そして、絶望はまだ終わらない。
「そ、それなら今からでも収穫に……!」
「カレー粉は? チーズは? コンビーフは? 野菜以外の材料、あの畑収穫できる?」
「ごめん、さすがにそれは無理」
いくら園島西高校の園芸部でも、畑でコンビーフの缶を栽培することは出来ない。カレー粉だったら元はスパイスなわけだし、ひょっとしたらできないことも無いのかもしれないが、いずれにせよ現実的な話じゃないだろう。
お客さんはいるのに、集まりすぎているため供給が追い付かない。供給が追い付いたとしても、そもそもの材料が足りない。人手も材料も現状では不足しており、このままではせっかくのチャンスをみすみす逃してしまうことになる。
しかしながら、天は華苗たちを完全に見放したわけではなかった。
「こんにちは、華苗ちゃん、藤枝先生」
すすす、と華苗とゆきちゃんに近づく影。どこかで聞き覚えのある声だな──なんて振り向いた先にいたのは一人の女子生徒。長く艶やかな黒髪に、どことなく嫋やかな雰囲気。見慣れぬエプロン姿故に一瞬誰だかわからなかったが、彼女は紛れもなく──
「白樺先輩?」
「と、俺もいるぞ」
白樺の隣にいたのは体育教師の荒根だ。はて、ずいぶんと珍しい組み合わせだな……なんて華苗が思っている間にも、白樺はつらつらと言葉を紡ぎ始めた。
「華苗ちゃんのところも材料が危ない感じですか?」
「そうみたいです。……多めに用意したはず、なんですけど。このままじゃ二時ごろには材料が尽きるって」
「うふふ……それじゃあたぶん、お昼まで持つかどうかも怪しいですよ。この時間は……【ガーデンパーティ】全体で見れば、一番お客さんが少ない時間ですからね。時間が経つにつれて、お客さんは加速度的に増えていきます。……初心者さん、判断を誤っちゃいましたね」
「え゛っ……」
上品に笑う白樺を見て、華苗は信じられない気持ちでいっぱいになった。聞けば、一日目の午後から二日目の正午くらいまでが最もお客さんの入りが良く、それから緩やかに客足は衰えていくとのこと。一日目の午前中はいろんな意味で様子見の人が多いらしく、この前哨戦で得られた情報を元に本当の文化祭が始まるのだとか。
「今年は例年以上にお客さんがいっぱい来ているみたいです。……ふふ、最後の文化祭がこんなに大盛況だなんて、いい思い出になりますよ」
「佳恵。お前のことだ、この忙しいときにわざわざそんなことを言いに来たってわけじゃないだろう?」
「あら、やっぱり藤枝先生にはわかりますか?」
本当は敵に塩を送りたくはなかったんですけどね……なんて言いながら、白樺は優しい笑みを浮かべた。
「実は、私たち三年生の方でも材料不足に陥りかけているんです。幸いなことに、今すぐどうにかなってしまうってわけではないのですが……。ともかく、動けるうちに買い出しに行ってもらおうって」
「で、俺が車を出すことになった。ちょっくら近くの業務スーパーまで行ってくる。金と欲しいもののリストさえくれればそっちのも受け付けるぞ。……手持ちがないならちょっとくらいは融通するけど、あんま大金なのは勘弁な!」
「そういうことです。優しい荒根先生は、私たちのために何往復もしてくれるのです……ですよね?」
「お、おう」
よくよく辺りを見てみれば、上級生たちも華苗たちと同じような相談をしているのが見て取れた。華苗たちと違うのは、決して焦ったりせず、冷静に対処しているところだろうか。かなり早い段階で材料不足の危機を予測出来ていたらしく、次善の策として提供する量を少なくしたり、まだ余っている材料を多く用いることで出来る限りの嵩増しを行っていた。
これなら、対応策を練るのにも十分な余裕があることだろう。
「うふふ……貸し一つ、ですよ? 他クラスである荒根先生の協力を取り付けるの、大変だったんですからね?」
どうやら、優しい白樺は困っている華苗たちを見て声をかけてくれたらしい。どうやって荒根にそのアポイントを取り付けたのかはわからないが、自分たちのアドバンテージをかなぐり捨てて手を差し伸ばしてくれたことに、華苗は心の底からの感謝を送りたくなった。
「ありがとうございます! いつか必ず、何をしてでもこの御恩には……!」
「……いま、【何をしてでも】って言いました?」
白樺の目が、きらりと光った。
獲物を狙う獣のように鋭い眼光に、華苗が一瞬すくみ上る。
「華苗ちゃんのところのナン、ちょっとサービスしてもらえたり?」
「ええ、まぁ、それくらいならいくらでも……」
「その可愛くて良い匂いのする花飾り、もらえたり?」
「腐るほどあるのでいくらでも大丈夫です」
「例のブツ──ゆ、優待券とか……!」
「てぇへんだてぇへんだぁ! こいつぁ一大事だぁ!」
ひゃっ、と華苗は思わず耳をふさいだ。怒号に近い喧騒に満ちていたはずの調理室に、さらにそれを上回る大きな声が響いて、みんなの注目がそちらへと集中する。ちょっぴり口惜しそうの表情の白樺ことなんて、誰も見ていなかったのは果たして良いことだったのか悪いことだったのか。
「いったいなんだ……ん?」
「紛れもなく、藤枝先生のクラスの方ですね」
調理室の扉を勢い良く開けたのは、華苗のクラスの女子だった。が、彼女は調理班でも回収班でもなく、クラスで接客をする係だったはずだ。
彼女はつかつかとゆきちゃんの元へとやってくる──前に、ゆきちゃんの方から声をかけた。
「どうしたんだ、いきなり。そんなに注文が入っているのか?」
「そりゃもう! なんか子供たちがいっぱい来てすんごい勢いで注文入りまくってるの! しかも女の子が花飾り欲しいって! 花飾り作り体験講座が開けるレベル……っていうか、今まさにそれやってる!」
が、それだけだったらわざわざこんな風に騒ぎ立てることじゃないだろう。華苗がやった様に、あのクラスの女子なら誰でも花飾りの一つや二つ、簡単に作れるはずだ。それこそ材料なんてそこら中に腐るほど咲いているのだから、ちょっと手の空いている女子が一人か二人いれば、何とか最低限の体裁だけは保てるはずである。
彼女はにんまり笑い、ゆきちゃんを見据える。ああ、これはきっとゆきちゃん絡みのイベントがあったんだな──なんて、誰もが思った瞬間。
彼女はゆきちゃんと、華苗の肩にポンと手を置いた。
「華苗ちゃん! ゆきちゃん! 指名入ったよ! 今すぐ教室に来て!」
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