81 園島西高校文化祭:調理
「よっしゃぁ、始めるぞっ!」
調理室の真ん中で、よっちゃんはそんな声をあげた。
文化祭開始──より正確に言えば、一般来校者の入場開始のアナウンスはちょうど先程響き渡ったところである。男女混合、少しばかりたどたどしい手つき、そして何より人口密度──と、いつもとまるで違った様相を見せる調理室はその合図とともによりいっそうの活気に満ち、そして各調理班のリーダーたちがひっきりなしに指示を飛ばす。
よっちゃんは言わずもがな、調理班に回された華苗、清水、他数名が陣取っているのはそんな調理室の真ん中の方であった。
いつもはのびのびと使える調理スペースは今日に限って言えばかなり狭く、通路を挟んだ隣で三年生が野菜を炒める音が妙に大きく聞こえるし、すぐ後ろで作業をしている女子生徒のお尻がさっきからひっきりなしに華苗の腰に当たっている。
よっちゃん並みの肉付きをしているな──なんて場違いなことを考えながら、華苗はよっちゃんの言葉を待つ。
「えーと、朝いなかった人たちもいるから軽く説明しとくね! 基本的には調理のわかる人が一人はいるはずだから、その人の指示に従って作業して! 慣れてきたら自分でどんどん動いちゃって構わないから! もちろん、レシピもあるからちゃんと読むこと!」
ぴっ、とよっちゃんは机の上に無造作に置かれた紙を指さす。それは水滴や油シミでいくらか汚れてしまっているものの、読む分には問題なさそうである。すでにかなりの人が読み込んだのだろうか、いかにもそれらしい皺や折り目がいくつもついていた。
「あたしたちの仕事はとにかく作りまくること! お客さんを待たせちゃいけないからね! でも、だからといって大量に作り置きするのも厳禁! 冷めきったのを提供するわけにはいかない!」
特に、ナンの大量の作り置きは避けたい、とよっちゃんは述べた。カレーやミートコーンなら鍋の中で弱火で保温することは可能だが、焼き立てのナンと温め直したナンとでは天と地ほどの差があるのだという。
華苗は食べ比べたことがないのでわからないが、よっちゃんがそう言うのならそうなのだろうと納得した。食べ物に関する知見ならば、よっちゃん以上に詳しい人なんて華苗のクラスにはいないのだから。
「クラスの方で在庫が一定数以下になったらこっちに受け取りに来るってことになっているかんね。理想はこっちが焼き上げた直後に向こうが受け取りに来るって感じかな。……面倒かもだけど、一時間ごとの調理数を忘れずにメモすること。クラスの方では売り上げ数をメモするはずだから、定期的にすり合わせて何をどれくらいのペースで作るのかの最善を弾き出す」
「ず、ずいぶん細かくやるんだね?」
「そりゃあ、ほとんど同じ材料を使うからね。出来るだけ無駄は無くしたいし……華苗だって、収穫の手間はなるたけ減らしたいでしょ?」
「ご尤もです」
「ま、心配しなくていいよ~! その辺の細かい計算とかは男子がやってくれるから!」
「任せろ。一応は調理班だけど、包丁を握るよりこっちのほうが気が楽だしな」
「俺らが調理したら勝てるものも勝てなくなっちまうし?」
どうやら、基本的に男子はこういった計算や連絡係、運搬や皿洗いといった雑用をこなすらしい。一部の例外を除き、調理は概ね女子に任せる──というのが、華苗のクラスの男子の総意らしかった。
「それじゃ、余裕のあるうちに一回通しで作る所を確認しよっか!」
「よろしくお願いします」
まずはナン作り。よっちゃんの合図で男子が材料の山──野菜やコンビーフの缶が大量にある──より白い粉を持ち出す。もちろん、この白い粉は極上モノの逸品、すなわち園芸部で採れた小麦を挽いて作った小麦粉である。
「いーい? 使うのは小麦粉、塩……あと、ドライイーストね。砂糖を入れたりヨーグルトを入れたりすることもあるけれど、今回はわかりやすくこの三つを使うから」
よっちゃんはみんなの前でそれらの材料をボウルへとあける。当然のことながら、小麦粉はしっかりふるってあるし、分量だってばっちりだ。
「で、こねる。……あ、水は少しずつ入れてね。最初は半分くらい入れて、そこからは適宜様子を見て」
華苗たちに教えながらも、よっちゃんの右手はリズミカル、かつ力強くそれをこねていた。グッ、グッと体重がかかっている様子が、机を通して華苗にも伝わってくる。
時間にして三分か四分くらい経っただろうか、生地がある程度まとまったところを見計らってよっちゃんはふうと息をつく。
「はい、完成」
「え、もう?」
「うん。あとは適当に……そうだねぇ、四つか六つくらいに千切って丸めて、一時間発酵させれば終わり。発酵したら、ナンっぽく伸ばして、フライパンで両面焼けば美味しいナンの出来上がり!」
こちらが発酵させたナンでございます──と、料理番組よろしくよっちゃんはそれを取り出し、ぺしんぺしんと手の平で打った。丸っこかった生地はあっという間に平べったく広がり、まるで巨人の靴底のような形になる。
実際、その大きさは華苗の顔をゆうに超えているだろう。華苗の顔が小さいのはもちろんだが、ナンの生地そのものも十分に大きいのだ。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、よっちゃんはフライパンにさっと油を敷き、そこにナンの生地を置く。火が通るにつれて焼き立てパン特有の、あの何とも言えないワクワクする香りが漂いだした。
「いい香り……!」
「まだ焼けてないからね?」
表面を焼き上げたよっちゃんは、くるりとそれをひっくり返す。見事な焼き目が華苗の目に飛び込んで、より一層強く香ばしい香りが華苗の鼻に特攻を仕掛けてきた。
「……ん、こんなもんかな!」
「わぁ!」
焼き上げるのにかかった時間は、およそ三分程度だろうか。たったそれだけのことなのに、華苗にはその時間が何よりも長く、遠いもののように思えてしまった。
それほどまでに、目の前で輝くこの宝物がおいしそうなのである。
「焼くときのコツだけど、とにかく生焼けにならないようにってのを意識すれば大丈夫だと思う。焦げ目がついているくらいの方が、ナンとしては一級品だし?」
試作品として焼き上げたその一枚を、よっちゃんは素手で適当に千切った。そのままぽいっと口の中に入れ、何とも嬉しそうに顔をほころばせる。
「……うん、おいしい。さすがあたし!」
「……」
「ん~? なんだよぅ、味見したいのかぁ?」
「……」
「味見したいなら、きちんとお願いしないとね~?」
「くれ」
華苗はよっちゃんを軽く睨みながら、ぱっと口を開けた。身長差がある以上、あの意地悪女の手からナンを奪うのは現実的ではない。だとしたら、いかにも向こうが好みそうなシチュエーションを自ら設定してやればいいだけのことだ──という、実利だけを鑑みた結果の行動である。
「ん、よろしい。あーん♪」
「あむ」
千切られたそれに、華苗はぱくっと食いついた。
「……♪」
カリッとした食感の次に来る、もちっとした食感。食べ応えは抜群で、優しいパンの甘みが仄かに感じられる。焼き立てってことを抜きにしてもその香り高さが素晴らしく、パンの甘さを見事に引き立てていた。
「ほい、あんたらもお口あけろーい!」
「え、わ、私も!?」
「お、俺たちもいいの!?」
「サービスってやつさ! それに、お客さんに食べさせるものの味くらい、知っておかないとね!」
ひょいひょいひょい、とよっちゃんがクラスメイトの口にナンを入れていく。が、今の華苗にはそんなのどうでもいいことだった。未だ口の中にある一切れのナンを丁寧に咀嚼して、出来るだけ長くこの満足感を噛みしめようと努力する。
「あ、ホントにおいしい! 焦げ目のところとか最高!」
「食べ応えもすげえな! なんつーか、食ってるぞって感じがする!」
「カレー無しでも勝負できるじゃん! 俺、これなら何もなくても十枚くらい楽勝でいけるぜ!」
が、悲しいかな、華苗の口は言うことを聞かない。長く楽しみたいのに、気づけば大いなる幸せと共にそれは喉の奥へと消え去ってしまっていた。
こうなったらもう、華苗にできることなんて一つしかない。
「……」
「……あれ? 華苗? なんでまた、当たり前のように後ろに並んでるの? 一番最初にあげたよね?」
「もういっこ」
「……」
「ちょーだい」
よっちゃんの手には、ラストの一切れが残っている。食いしん坊のよっちゃんのことだ、きっと調理部特権で二切れも食べようとしていたのだろう。それを見逃す華苗じゃあない。
「……くれなきゃ、指まで食べる」
「……はい、あーん」
「わぁい!」
ぴょんと飛び跳ね、華苗はそれに食いついた。満面の笑みであることは語るまでもない。
「……これで子供っぽいって言ったら、怒るんだろうな」
「史香、あえて言ってみてよ……。おほん、ともかくみんなのメイン作業はナン作りになると思う。一時間発酵させなきゃいけないから、基本的に手の空いている人はずっとナンをこね続ける感じで」
「向こうには一枚丸ごと出すんだっけ?」
「そのつもり……だけど、場合によっては半分にする必要もあるかも。キャパオーバーしたらそうやって対応するしかないし。あとは……ドライイーストを使わずに作れないことも無いけど、失敗する可能性は高くなるかな」
「あ、単純にもっと小さく作ったり、薄く作るのは? そーすりゃキャパも増えるだろ?」
「厚さが違うとけっこー食べ応えが変わってくるからねぇ……。それに、火の通し方も変わってくるよ。ま、これは慣れればなんてことないけど……」
「けど?」
「……そんなケチくさいの出てきて、嬉しい?」
「……オーケー、最後の手段ってことだな」
さて、そんな感じでナンのつまみ食い──もとい、調理の段取りの確認を済ませた後は、ドライカレーとミートコーンの制作である。夢心地だった華苗もすっかり正気に戻り、ピンと背を伸ばしてよっちゃんの方へと体を向けた。
「ドライカレーとミートコーンだけど、材料と手順が一部共通だってのは覚えてる? まずは、共通部分から教えていくね」
机に用意されたのは玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、トマト。それにケチャップや醤油といった各種調味料とカレー粉、忘れちゃいけないコンビーフの缶詰だ。
よっちゃんはそこから玉ねぎとニンジンをチョイスすると、それらを猛烈な勢いでみじん切りにしていく。既に手順を知っているのであろう清水はジャガイモを手に取り、皮をむいて小さめに切り、水にさらしていた。
「ちょっと男子ぃ、コンビーフの缶開けといて」
「うぇーい」
口では指示を与えつつ、よっちゃんはみじん切りにしたそれらを油の引いたフライパンへと投入した。ぱちぱちと物の焼けるいい音が華苗の耳に届き、そして調理室の喧騒の中へと消えていく。
「共通事項その一。お野菜を炒める。特に玉ねぎがあめ色になるまでかな。ドライカレーの場合、ここで一緒に小さく刻んだジャガイモも入れる。ミートコーンの場合、ここでコーン。タイミングとか……詳しいことはレシピに書いてあるから、今は作業を見ててね」
野菜にある程度火が通ったところを見計らい、よっちゃんは男子からコンビーフを受け取った。そいつを豪快にぼとっとフライパンの中へと投入すると、いつぞやのキャンプで嗅いだような、肉の匂いがフライパンの中で踊り始める。
「共通事項その二。コンビーフを炒める。コンビーフはほぐすのを忘れないように。全体的に色が変わるくらいまでやればおっけー」
フライパンの中の様相は、華苗の知っているドライカレーのそれとはちょっと違う。挽き肉の代わりにコンビーフを使っているために、その繊維が妙に目立っている。挽き肉と言うよりかはフレークしたサーモンのように見えなくもないが、逆にそれ故面白い印象を与えていた。
「火が通ったら、共通事項おしまいね。……ここまでで何か、質問ある?」
「……え? これだけ? 切って炒めてただけだよね?」
「これだけなんだな、これが。誰でも簡単に作れるってのがコンセプトの一つだしね!」
さすがは調理部だ、と華苗は心の中だけで褒めておいた。口に出さなかったのは、よっちゃんがわざとらしく胸を張ったからである。
「んじゃ、先にドライカレーの作り方ね。炒めたこれに……」
「これに?」
「ケチャップとか醤油とか合わせた合わせ調味料とカレー粉を入れて、いい感じに水分が抜けるまで炒めればおしまい! 理想はペースト状になってることかな!」
「……ミートコーンは?」
「トマトの水煮を入れて煮込むだけ! 水煮の作り方? トマトを洗って切って塩入れて煮るだけ! 仕上げる直前にチーズを入れるのを忘れずに!」
「……」
「えらそーなこと言っておいてなんだけどさ、かき混ぜるのと火の番くらいしかないんだよね。味付けに関してはレシピ通りやってもらえればいいし……。心配するのはホント、鍋とフライパンのキャパシティだけだと思う」
「最後の説明、おざなりすぎない?」
「やー、これでも一応はレシピの簡略化、頑張ったんだからね? 本物のガチならもっと手間暇かかるよ?」
ともあれ、簡単であることに悪いことはない。野菜を炒めるだけなら誰だってできるし、ほとんどの作業が並行してできるものでもある。トマトの水煮の実演を見られなかったことだけが心残りではあるが、レシピを軽く見た限りでは、本当に『切って煮る』以上のことはしていない。これなら華苗だって目を閉じたまま作ることが出来る。
「今はお試しでフライパンで作ったけど、煮詰めるときは大きなお鍋でやってね。こっちのフライパンは野菜を炒めるの専用ってことで。そうじゃないと、量を確保するのが難しい」
ドライカレー用の鍋、ミートコーン用の鍋。トマトの水煮を作る鍋に、野菜を炒めるフライパン。用意できた火は四つ……と、お世辞にも十分とは言えないが、それでも一般的な高校の文化祭の規模を考えれば、多い方だと言えるだろう。
材料もあって、設備もあって、手段もわかっている。ここまでお膳立てされたのならもう、あとは華苗たち人間側の努力次第だ。
「おーい、追加分もらってくよ!」
「お、早いね」
ちょうどいいタイミングで、追加分の回収係がやってきた。どうやらもう朝に用意した第一陣が売れたらしい。
「そっち、どんな感じ?」
「オープンしたばかりだからか、思った以上に人の入りがいいな。めっちゃ忙しいってわけじゃないけど、満席で常に数人の行列ができている。そんなわけで持ち帰りの人が多い」
「おっけ、りょーかい」
大きな鍋を二つ。焼き立てナンが山盛りになったトレーを二つ。回収係はそれらを慎重に受け取ると、周りに注意しながら調理室を後にした。
「んじゃ、こっちも追加分作ろっか。このペースなら普通に作り続けても大丈夫でしょ」
「ん、わかった……あれ?」
よっちゃんが──いや、他のメンバーのみんなも、気合を入れて腕まくりをした華苗を面白そうにニヤニヤと見つめていた。
「華苗」
「……なぁに?」
「まだまだ十分余力はある。でもって、仮にも調理班である以上、ここにいる女子はみんなそれを任せられる程度の腕前がある。いいや、切って混ぜて炒めるだけのそれが出来ない女子なんて、ウチの学校にはいない」
「……それで?」
野球場でビールを売っているおねえさんが首から下げているトレー──と、非常によく似たそれが、いつのまにやら華苗の首にかけられていた。
あちこちにジャスミンの花の飾り付けがなされたそのトレーには、派手でポップな字体で【はらぺこゆきちゃん! ~Nan・Cool・Nice!~】と書かれていた。
今更ではあるが、これこそが華苗たちのお店の名前である。【はらぺこゆきちゃん!】までが登録名で、【Nan・Cool・Nice!】がサブタイトル(?)らしい。
ナンの素晴らしさと俺たちのますますの発展を願って付けた名前だ──と、男子が誇らしそうに話していたのを聞いて、タダの親父ギャグなんじゃあないかと思ってしまったのは、華苗だけの秘密である。
「分量は……こんなもんかな?」
「ん。そんなかんじ。ナンは重なっちゃうけど……かさばるし、ここは目を瞑るほかないか」
女子の一人があえて少しだけ余らせていたミートコーン、ドライカレーをそれぞれ紙コップへと注ぎ、そのトレーの中へと敷き詰めていく。よっちゃんも焼き立てナンを数枚ほど小さなトレーに平積みにし、えいや、と華苗の首に提げられているそれに乗せた。
ずっしりと、妙な安定感のある重さが華苗の首と肩にかかる。
ああ、この女はきっと普段からこんな思いをしているのだろう──と、そんなことを考えている華苗を見て、よっちゃんは愛おしい我が子の旅立ちを祝うように笑った。
「──外回り、行ってみよっか! 匂いで釣って宣伝するのは定石だよね!」
長くなっちゃったから二つに分けたっていう。なんくるないさ。




