80 園島西高校文化祭:始動
よく晴れた晩夏とも初秋ともとれる日の朝。この時期にしては比較的やわらかい朝の陽ざしが園島西高校のちょっと古ぼけた校舎を照らし、穏やかな風がさあっとグラウンドを駆け抜けていく。自然に囲まれた学校だからか小鳥のさえずりは多く、狸かムジナか、ともかく得体のしれない小動物の鳴き声も時折響き渡っていた。
いつもならそれに交じるのは運動部の朝練の掛け声だが、今日は違う。体育館にもグラウンドにも運動着姿の人間は見受けられない。
しかし、決して活気がないわけじゃない。むしろ、いつも以上に活気はある。
それもそのはず。
なぜなら、今日は園島西高校文化祭──【ガーデンパーティ】の開催日であるのだから。
「おお……!」
いつも通りの制服で身を包み、いつもよりだいぶ早めに学校へと来た華苗は、校門のところで思わず足を止めてしまった。
昨日の帰りにもチラッと見たのだが、大きな大きな、それはもう立派なアーチが校門に掲げられている。ベニヤ板やその他華苗が名前を知らない道具を総動員して作られたそれには、カラフルで派手な装飾が施され、真ん中には大きく【Welcome to Garden Party!】と描かれていた。
それはまるで映画の大道具のようであり、とてもたかだか一学生たちが作ったようなものには思えない。全体的にクオリティが高く、もしこれがどこかの昔ながらの遊園地に掲げられていたとしても、華苗は何ら不思議に思わなかったことだろう。
アーチの足の方には堅苦しい字体で【第四八回園島西高校文化祭】と書かれており、それがなんともちぐはぐで華苗は思わずくすりと笑った。
「ほへー……」
その文化祭仕様の豪華な校門をくぐり、華苗は昇降口へと歩いていく。いつぞやの夏祭りと同じように、昇降口に至るまでの道にはすでにいくつもの屋台や出店が準備されており、そこではすでに来ていた学生たちがせっせと朝の準備を行っていた。
夏祭りの時と違うのは、用意されている屋台にまるで共通点が見受けられないことだろう。どこもかしこも個性的な装飾が施されており、見ていてまるで飽きが来ない。異なる文化圏の人間が一斉に集まったかのように、いい意味でごちゃごちゃと雑然としており、華苗に何か大いなる予感を抱かせるには十分なものであった。
さすがにここまで来るともう、あまり情報漏洩の心配をする者もいないのだろう。すでに衣装ともユニフォームともとれるそれに身を包んでいるものもいれば、提供するのであろう飲食物をつまみ食い……否、味見をしているものもいる。
そんな彼らを横目に、華苗は自分の教室へと急ぐ。いつのまにやら歩く速さはいつもの倍近くになっていたが、すっかりお祭りの空気にあてられた華苗はそのことに全く気付かなかった。
「おはよ!」
「おはよー!」
そして、教室の扉を開ける。
目の前には、【自然に飲まれたインドの遺跡をカフェに改装した】というテーマの空間が広がっていた。
まず感じたのは、ジャスミンの強く神秘的な甘い香り。朝の爽やかな気分をよりいっそう強くさせ、そして気分をうっとりとさせてくれる。天井であろうと壁であろうと、どこを見ても白く可憐な花が咲き乱れており、ここが幻の花の楽園か……と言われても、誰も疑いを持たないだろう。
そのうえさらに、花が無いところには緑が生い茂り、その緑の下からは岩壁やレンガのようなものさえ見受けられる。それはクラスの男子たちが工夫に工夫を重ねることで描いた絵の一種ではあるが、こうして入り口から全体を見た場合、少なくとも華苗にとっては本物の岩のように思えた。
そんな自然あふれる空間に、お洒落で優雅なテーブルと椅子がいい感じに配置されている。テーブルはいつもの教室の机ではあるものの、ペイズリー模様の布地をテーブルクロスとして用いることでインドっぽさを演出しており、椅子もまたいつものものであるものの、咲き乱れたジャスミンが巻き付いているために特別感が凄まじい。
くる、と周りを見れば、壁にはインドっぽい模様や絵が掲げられており、オリエンタルな小物が雑然と並べてありながらも、逆にそれが全体の調和をもたらしている。窓からの光はジャスミンやタペストリーで完全に遮っているため、教室の明かりは天井から降り注ぐオレンジのそれしかない。微妙に薄暗いが、それが返って夕暮れのような、隠れ家の喫茶店のような雰囲気をもたらし、全体に何とも言えない情緒のようなものを与えていた。
改めて見なくても、この上なく完璧な仕上がり。華苗の心臓が興奮により、また少しその鼓動を早くする。
そして、中央にどん、と鎮座するゾウのモニュメント。ばっちりおめかしされたゾウの華苗は、そのまんまるおめめでどこか遠くを見つめている。
なんとなく、華苗はそんなゾウの華苗の頭を撫でて、集まって準備をしている女子たちに声をかけた。
「ねえ、準備はどんな感じ?」
「今のところは順調でトラブルも無い感じ! 材料搬入もオールオッケー! あとは着替えてアクセの準備して、みんなで最終確認してから開会式ってかんじかな! ……華苗ちゃん、シフトいつだったっけ?」
「ん、今日の午前中だよ」
どうやらすでによっちゃんと清水は学校に到着しており、調理室でナンの下拵えやカレーの準備をしているらしい。ただ、現在調理室は他のクラスの人員も集中しているため、手伝いに行くのは不可能に近いとのこと。
ならば、と華苗は身支度を整えようと更衣室代わりの教室へと向かう。
上に着るのはもちろんクラスTシャツだ。黄緑色の地で、表面では黒の切り絵のようなテイストの眼鏡の女神とゾウが躍っている。裏面にはクラスのみんなの名前がびっしり書き込まれており、華苗の名前も下の方に書かれていた。
それがちょっぴりうれしくて、華苗は照れ隠しをするようにそれをすっぽりと頭から着る。そして、カバンからこの日のためにおかあさんと買いに行った一張羅のパイレーツパンツを取り出した。
ひざ下はきゅっと絞られていて、逆に上の方はすこしだぼっと膨らんでいる。普段の華苗なら絶対選ばないようなチョイスだが、オシャレな感じは凄まじいし、なにより民族衣装っぽくてインドらしさを感じなくもない。
「……うん、かわいい」
文化祭なのだから、これくらいおしゃれなのは当然──と華苗は思い切って背伸びしたわけだが、その最たる理由は、この非日常のおめかしをもって愛しの彼に振り向いてほしかったというだけである。
さて、身支度を整えて教室に戻れば、あとはアクセサリーを身にまとうだけ。作ってあったジャスミンの花飾りをヘアゴムのように用いて後ろで髪を束ね、入り口に置いてあった赤いおでこシールをぴとっと額に貼りつけた。
「どお?」
「ばっちぐー!」
鏡を見れば、そこには黒髪のオリエンタルでエキゾチックな女の子がにこりと可愛らしく微笑んでいた。白い花の髪飾りがなんともいえないらしさを醸し出しており、パイレーツパンツがある種の現実味というか、リアリティを与えている。おでこのビンディもどきだけが若干浮いている様に見えなくもないが、それはまぁご愛敬と言うやつだろう。
「華苗ちゃんはズボンにしたんだ?」
「うん、動きやすい方がいいかなって」
その言葉に周りを見れば、各々の女子たちのアレンジポイントが目に飛び込んでくる。特に顕著なのはやはり下に穿いているものだろうか。スカートとズボンの比率は半々くらいではあるものの、ハーフパンツであったりロングスカートであったり、各々がそれらしいチョイスをしているために被っているものはほとんどいない。制服のスカートは一人もいないあたりは、さすがは女子と言ったところか。
もちろん、ジャスミンの花飾りの使い方だって千差万別だ。華苗のように後ろで髪をくくるために使っているものもいれば、シュシュのように手首に巻き付けているものもいる。花畑で遊ぶ少女のように軽く頭に巻いているものもいれば、なにをどうやったのか耳飾りとして用いるものまでいた。
「みんな……すっごいねえ……!」
「女子だけで言うなら、ウチのクラスがダントツでトップだと思うんだけどね……」
「……うん」
ちら、と女子たちの視線が向いたその先。
男子が必死になってターバン代わりの布を頭に巻いていた。
「やべえぞこれ……存外難しい……」
「ターバンっていうより出来損ないのミイラ男になってるじゃねえか……」
「そこはせめて忍者っぽいって言ってくれよ……」
当然ではあるが、日本に住むだいたいの男子高校生はターバンを着用した経験が無い。というか、頭に何かを巻き付ける経験……もっと言えば、頭を飾り付けるといった経験が無い。必然的にその手つきはおぼつかないものとなり、どうにかこうにかそれっぽくまとめたところで、滑稽にしか見えなかった。
「ちょっとそこの女子たち! 呆れるくらいなら手伝ってくれよ!」
「ちっ……しょうがねえなあ……」
男子からヘルプコールが入ったため、何人かの女子が助っ人に回る。一人一人を椅子に座らせ、手のかかる子供の身支度を整えるかのように、手早く頭を飾り立てていった。
「これもうさあ、無理にインド風にしないでいっそ海賊風とか、普通のバンダナちっくに仕上げてよくない?」
「うん、絶対その方がいいと思う。端っこの方を余らせるとかすればアレンジにもなるでしょ。客寄せパンダくらいにはなるんじゃない?」
「ひっでえ」
「文句なら一人で準備できるようになってから言いな」
くるくる、くるくる。女子たちの手により、次々に男子の頭がペイズリー模様に染まっていく。最後にきゅきゅっと後ろを結んで、彼女らは仕上げとばかりに適当なおでこシールをひっつかみ、べちっと無造作に彼らの額に貼りつけた。
そしてぽんぽん、と肩を叩いて椅子から押し出し、『ほら、さっさと次』……と、視線で次の男子に合図を送る。たいへん不愛想な美容院のような有様であったが、一人で準備できない男子たちに文句が言えるはずもない。
たった一人だけ、片手で完璧にターバンを巻くことが出来たやつがいたが、それは特別な例だろう。
「……あの」
「……ん?」
ちょんちょん、と華苗の肩が遠慮がちに叩かれる。
大きな布を持った柊が、恥ずかしそうに俯いていた。
「か、克哉くん?」
「あの、申し訳ありませんが、お手を貸していただきたく……」
どうやら、柊も一人でターバンを巻くことが出来なかったらしい。髪はいくらか乱れており、試行錯誤の痕が見受けられた。
ほかでもない自分を頼ってくれたことに華苗は堪らなくうれしくなり、思わずにっこりと笑ってしまう。
「いいよ! はい、座って!」
華苗だって女の子だ。そりゃあ、今どきの女の子に比べればファッションに疎いけれど、頭にバンダナを巻いてあげるくらいなら造作もない。
手早くきゅきゅっと、それでいてなるべく時間をかけるように──どさくさに紛れて手櫛て髪を梳いたりもしちゃいながらも、柊の頭に華苗好みのアレンジを施していく。
「さすが女子だね……こんな面倒臭いの、僕なら一生かかっても出来そうにないよ」
「慣れれば簡単だけどねー……克哉くん、おでこシールはどうする?」
「あー……何色でもいいや。適当に」
「おっけー!」
華苗は赤いそれを選ぶと、そうっと柊の額に張り付けた。
「ん、完璧!」
「……華苗ちゃん? なんか妙に笑ってない? ……も、もしかして似合ってなかったりする?」
「んーん。なんでもないよ!」
華苗がご機嫌なのはもっと別な理由のためだ。柊が鏡を見ればその理由がわかるかもしれないが、見たところで気づけるかどうかまではわからない。
「ともかくありがとうね。おかげで助かったよ。……華苗ちゃんも、すっごく似合っていて可愛いと思う」
「──もうっ!」
いきなりの笑顔の不意打ちに、華苗は真っ赤になった。一体どうしてこのタイミングで、こんな教室の真ん中でそんなことが言えるのか。嬉しさと恥ずかしさのあまり、華苗の心臓はあっというまにレッドゾーンに突入する。
もちろん、そんな華苗が柊のことを直視できるはずもない。どさくさに紛れてぺしぺしと彼の肩を叩き、照れくさくなってそっぽを向いた。
それ自体が非常に微笑ましい光景だと──普通に受け入れて笑顔の一つでも返しておけば目立たずに済んだのに、パニックになっている華苗はそのことに気付きすらしない。クラスのみんなが温かいまなざしで自分を見ていることさえ、まるっきりわかっていなかった。
「──なんだ、みんなもう準備はバッチリか」
そんなクラスメイト同士の交流の中、混じってきた大人の声。この凛々しくもどこか親近感を覚える声音は間違いなく我らが担任の藤枝先生──ゆきちゃんであろう。
そう思った教室の中の全員が、恩師に朝の挨拶をしようと教室の入口へと顔を向け──
──そして、絶句した。
「……なんだよ、お前らもそんな反応するのか」
「あ、ああ、ああ……!?」
ゆきちゃんは凛々しくてきりっとした、見た目だけならクールでかっこいい先生だ。最初はちょっと近寄りがたい冷たい印象を受けなくもないものの、実はちょっと(?)ずぼらで面倒くさがりな親近感を抱かせる性格もあって、男女問わず生徒たちからの人気は凄まじい。
もうすぐ三十路とはいえ先生の中ではまだまだ十分に若い方であり、普通のおじさん先生やおばさん先生に比べれば、華苗たちのように若者に分類される容姿ではある。
しかし、今日のゆきちゃんは、いつもと違う。
「ゆ……ゆきちゃん……!?」
「あ、あなたって人は……!」
わなわなと、男子生徒がゆきちゃんを指さした。
──そう、ゆきちゃんはすっごく可愛くなっていたのだ。
まず、いつものトレードマークである眼鏡をしていない。最近はどこかの誰かさんからもらったちょっと変わったデザインの眼鏡をかけていたのに、今日はどうやらコンタクトをしているらしい。それだけでクールな印象がだいぶ柔らかくなり、普通に優しそうなお姉さんみたいな雰囲気を放つ結果となっている。
もちろん、それだけじゃない。いつもは本当に最低限のお化粧しかしていないのに、今日のメイクはガチだった。いつもはちょっと鋭く見える目つきも目元の化粧で柔らかくしているし、そもそもとしてお肌の輝きが全然違う。あくまでナチュラルメイクレベルとはいえ頬紅もしっかり使っており、その柔らかな赤みは思わず突いて触りたくなるほどである。
おまけにヘアアレンジもガチだ。いつもは教師らしくすっきりと清楚でシンプルな感じなのに、今日は清楚かつオトナっぽいスタイルである。華苗にはそれをうまく形容する言葉を思いつけなかったが、なんとなく美容院のおねえさんのような印象を受けた。
しかも、それでいて指定のクラスTシャツをきちんと着用している。いつもは晒されていない首元もしっかり晒されており、おまけに健全な範囲とはいえ、Tシャツという薄着姿だ。普段は絶対に見ることが出来ない魅惑のうなじがまぶしいし、ちょっとかがめば……なんて、男子でなくともそんなありもしない想像をしてしまう。
そして、ゆきちゃんから漂ってくるなんとなく甘い香り。それはゆきちゃんが身に着けているジャスミンの花飾りから漂うものなのか、はたまた華苗たちではとても手が出せないようなお高い香水によるものなのか。いずれにせよ、その香りにほとんどの男子がドキリと身を強張らせたことは言うまでもない。
ごちゃごちゃ述べたが、つまるところ結論は一つだけである。
「クール&ビューティーな俺たちのゆきちゃんが……!」
「可愛い&優しい系のデキるオトナのおねーさんスタイルになってやがる……ッ!」
「いったいどうして! 何があなたをここまで変えちゃったんだよゆきちゃん!?」
「別にいいだろ。今日は外部からもいろんな人が来るんだし、先生だっておめかしの一つくらいするさ」
そう言ってにこりと微笑むゆきちゃんは、いつもの教鞭をとるゆきちゃんとはまるで別人のようであった。正直なところ、華苗はあの声を聞かない限り目の前にいるその人がゆきちゃんだと判別できそうにない。それくらい、今日のゆきちゃんはいつもと正反対のオトナの可愛らしさに溢れていたのだ。
「……くそう、みんなおんなじ反応か。……なあ、もしかして先生のこれ、似合ってなかったりする?」
「そうじゃない……そうじゃあないんだよ、ゆきちゃん……」
「むしろ似合ってる……すっげぇ似合ってる……不覚にも心臓のドキドキが止まらないくらい可愛い……」
「うん……僕も、一瞬ドキッとしちゃ……いたぁっ!?」
「ふん!」
柊の足の甲に突発的な痛みが走ったけれど、華苗の知ったこっちゃない。文化祭ならよくあることである。
「だけど、だけどよぉ……!」
「俺たちのゆきちゃんが、まるでどこか別の……遠い場所に行っちまったかのようで……」
「いや、別にお前らのものになったつもりはないんだけど」
「ああ……間違いなく……くそっ! こんなのどう考えたって!」
「目を覚ませよゆきちゃん! あんたは騙されているんだ! 騎士様みたいな人なんて、そんな都合のいい人が今どきいるわけないだろ!? 新手の詐欺だよ! 気付いてくれよゆきちゃんッ!」
「いるんだな、これが……というか、大きなお世話だっ!」
ぎゃあぎゃあと、担任と男子生徒の心温まる触れ合いが始まる。ゆきちゃんもなんだかんだで満更でもなさそうで、絶望して現実を認めない男子を諌めながらも、その端々で惚気のようなことを口走っていた。
どうやら、例の彼が文化祭に来るらしい。というか、そうでもなければここまでガチでおめかしをすることなんてなかっただろう。直接本人が言ったわけではないものの、もうその行動だけでクラスメイトの全員がそのことを察していた。
「いやあ、びっくりしたよね~」
「うん……最初見たとき誰だかわかんなかったよ」
「あ」
いつのまにやらよっちゃんと清水が華苗の隣にいた。よくよく見れば、他にも調理室にいたと思しき面々も教室に戻ってきている。どうやらゆきちゃんと同じタイミングで戻ってきたらしい。すでに全員おめかしは済んでいるようで、片手には脱いだばかりと思われるエプロンがあった。
「青梅部長も双葉先輩も、目ぇまん丸にして驚いていたもん。今まであんなガチで化けてきたこと一度もないって」
「職員室でもちょっと話題になってたらしいよ? ……いろんな人から、お相手を撮って来いって言われちゃった」
華苗たちはいつぞやの件のために、相手の顔をバッチリと見ている。それどころか普通に会話をしてさえいる。件の人物を見落とすなんてことは絶対にないだろう。
おまけに、夏祭りの時とは違い、ここはあくまで教室という閉鎖的空間だ。つまり、人ごみに逃げられることも、見失うことも無い。
「……どうする?」
「そりゃあ、ね~?」」
「バッチリ撮ってあとでいっぱいからかうに決まってるよね!」
三人の意見は見事に一致した。三人ともが心の中でほくそ笑み、例の人物がやってきたらクラスのみんなにそれとなく知らせることを決意する。
さて、そんな感じで開会式まで和やか(?)に時間は過ぎていく。すでに全員の身支度は整っており、内装なんかも完璧だ。料理の下拵えもよっちゃんたちがこなしてくれたし、軽く接客の練習だってした。
あとはもう、思い残すことなんてない。
「藤枝先生、もうすぐ開会式なので……最後にこう、気合を入れる一言とかお願いできませんか?」
「お、おう……克哉、お前だけだよ。先生を先生って呼んでくれるのは……」
「みんな注目! ゆきちゃんが大事なことを話すから集まって!」
「おうコラ克哉、お前も敵か」
そして、柊の号令にみんながぞろぞろと集まってくる。はぁ、と小さくため息をついたゆきちゃんは、しかし次の瞬間ににっこりと笑うと、それはもう頼もしい様子で言った。
「よし、お前らとりあえず円陣組むぞ」
「「ほぁっ?」」
「円陣だよ、円陣。よくあるだろ」
担任にやれと言われたら、やらないわけにはいかない。ほんの少しだけ机を動かし、クラスのみんながごちゃっと集まった。
男子は主に男子と、女子は女子とで肩を組み──下心のある男子は悔しそうにしていた──華苗は右によっちゃんを、左に清水を迎える。右側に関しては身長差のために、よっちゃんが腰をかがめてなおぶら下がっているに近い形になっているが、そこはまぁ悲しい運命だと受け入れるほかない。
ちなみに、清水の反対側の肩は田所と組んでいる。良くも悪くも田所はそういうことを気にしないし、清水も清水で田所ならあまり思うところはないのだろう。いや、ある意味では思うところがあるからこその選択なのかもしれない。
クラス全体が肩を組むという今までにない奇妙な一体感。みんなで肩を組んでいるというこの体勢では、正面の相手の足元か床しか見ることは叶わない。そんな独特の圧迫感がクラスのみんなの奇妙な期待をさらに大きくさせた。
「いいか、よく聞け──」
右側は男子と、左側は女子と肩を組み、男子と女子の懸け橋となったゆきちゃんがはっきりと通る声で言う。
「お前たちの準備は完璧だ。企画の段階でも、実作業においても──正直、先生はこれ以上の案を出せと言われてもさっぱり思いつかない」
ごくり、と誰かが息を飲んだ音が聞こえた。
「思い出せ。これまでどれだけ頑張ってきたのかを。思いだせ。自分たちがどれだけ努力してきたのかを。……提供するレシピを考えた。Tシャツのデザインを考えた。花飾りも作ったし、内装だって見ての通りだ。いかに相手に喜んでもらえるかを考えて、どうすればうまくいくかを考えて……いろんな工夫をした」
「……」
「接客の練習もした。統一感を出すためにいろんな飾りを作った。材料調達のために畑で頑張ったやつもいると思う。……その上で、あえて聞こう」
しん、と鎮まった教室に、その声が響く。
「手を抜いたことが一度でもあったか? ほんの少しでも、やり残したことはあるか? ……これから始まる本番を、不安に思うか?」
──ほんの少しの沈黙。されど、それはすぐに爆発的な声で打ち破られた。
「そんなわけあるかっ! 俺たちを見くびりすぎだぜゆきちゃんッ!」
「そうよ! この日のためにずっとずっと準備してきた! 夏休みだって返上して頑張ったんだから!」
「後悔なんて、あるわけがない!」
「あたぼうよ! 早く本番やりたくて体が疼くくらいだっ!」
みんながみんな、口々に叫ぶ。よっちゃんも清水も、柊やあの田所でさえ。もちろん、華苗も勇気を振り絞り、もはや自分で何を言っているかわからないくらいに精いっぱい叫んだ。
そして、ゆきちゃんはみんなの気迫を吹き飛ばすくらいの勢いで叫ぶ。
「──そうだっ! やるべきことは全部やったっ! もう何もかも完璧だっ! お前たちを一番間近で見てきた先生が保証するっ! お前たちが恐れることなんて何もないっ! だから──!」
ゆきちゃんは、今までで一番大きな声で叫んだ。
「勝ちに行くぞぉぉぉッ!!」
「「おおおおおおおッ!」」
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『──いろいろ長く話したが、そろそろ終わりにしよう。私が言いたいことはただ一つ。この文化祭を心行くまで楽しみ──青春の思い出として強く胸に刻んでほしい。以上の言葉を持って、第四十八回園島西高校文化祭の開催を宣言するものとする』
壇上で松川教頭がお辞儀をし、そして体育館に集った生徒に期待と緊張の入り混じった空気が流れる。
すでに皆の心はここにあらず、抑えきれない熱気に浮かされていた。
《開会式が終了しました。今から十五分後より、一般来校者の入場を開始します。生徒の皆さんは速やかに体育館を離れ、それぞれ持ち場について準備を行ってください。一般来校者のみなさんはもうしばらくお待ちください》
校内にアナウンスが流れ、祭りの空気が伝播していく。期待と緊張を孕んだ十五分はあっという間に過ぎ去り、辺りは一瞬で歓声と喧騒に満ちた。
《たいへん長らくお待たせいたしました。これより、一般来校者の入場を開始します。来校者の皆さんは、最初に金券販売所にて金券を──》
来校者向けのアナウンスが流れ、期待に満ちた瞳の子供たちが校門をくぐっていく。同じくらい楽しそうな瞳をした生徒たちが、暖かにそれを受けいれ、そして大きな熱気が広がっていく。
園島西高校文化祭──【ガーデンパーティ】が、始まった。
おーっ!




