79 文化祭準備・大詰め
夏休みも終わり、とうとう九月が始まった。園島西高校では夏休み中でさえ生徒が学校に入り浸るため、夏休み中と人の出入りはそこまで変わらないものの、やはり授業が始まったからかどくとなくピンと張り詰めたような空気が満ちている。
もちろん、それは決して悪いことじゃあない。夏休み明け直後には【夏休み明けテスト】なる試練が待ち構えているのだから。それを無事に乗り越えるためにも、夏休みでたるみきった精神を引き締め直すことは重要だといえるだろう。
しかし、本当に重要なのはそれじゃない。園島西高校の学生にとっては一番と言ってもいいくらいに重要な──園島西高校文化祭、通称【ガーデンパーティ】がすぐ目の前に迫っている。彼らが気を引き締めているのは、ひとえにこの文化祭への備えのためだといっていい。
テストさえ終われば、後はもう本番までに全力で準備をするだけ。勉強よりもそっちに真剣になっているから授業なんてうわの空で、ノートを取るふりして文化祭のことを考える人間がほとんどだ。
実際、大抵のクラスでは文化祭の準備の痕跡──飾りだとかモニュメントだとか、そういった諸々が教室のあちこちに残されたままになっている。いつもと違うそんな非日常間の中で勉強に集中しろと言われても、それは無理だというものだろう。気が散っているのではなくて、文化祭の方に集中してしまうのである。
それがわかっているからこそ、先生たちもこの期間の授業だけはちょっぴり甘めの態度を取ることにしている。教卓のすぐ近くに塗装したてのモニュメントが置かれていてもスルーするし、教室の後ろの方に意味ありげな置物が置いてあっても見ないふりをする。
そして先生によっては、いつもより少しだけ早く授業を終わらせてくれることもあった。
「──よし、だいぶ早いが今日の授業はこれで終わりにする。この後はそのまま文化祭準備の時間だったよな? ……隣の教室の迷惑にならないならば、始めてよろしい」
文化祭二日前。良く晴れた木曜日の午後。我らがゆきちゃんはそう言ってチョークをケースへとしまい、教科書をパタンと閉じた。
何人かの男子がこっそりとガッツポーズを取り、ノリのいい女子が隣の席の人間とハイタッチをする。あるものはいそいそと工具や絵の具を取りに行き、またあるものは時間が惜しいとばかりに音を立てないように机を動かしだした。
もちろん、華苗も教科書を鞄へと仕舞い、よいしょ、と机を持ち上げて作業スペースを作る。三分もしないうちには机や椅子は教室の隅にまとめられ、そこには広々とした非日常が広がることになった。
「しっかしまぁ、自分のクラスながら……」
ゆきちゃんはぐるりと教室を見渡し、しみじみとつぶやく。
「凄まじい状態だよな、うん」
華苗のクラスでは、インド風カフェをテーマにしてナンを売り出すことが決定している。調理室で作った商品を、接客スペースとして改装したこの教室で売り出すのだ。
そのため、この教室には既にある程度の飾り付けが施されているし、設置予定のちょっとした小道具などのこまごまとしたものがそこら中においてある。それらは決して隠し通せるものではないが、文化祭だからしょうがない。
もちろん、これくらいならどの教室でも同じようなものだろう。ゆきちゃんだって、わざわざそれに言及するつもりはないはずだ。
ただし、このクラスには園芸部である華苗がいた。
「あちこちにジャスミンの花が咲いてるんだもんなあ……なんかここだけ花畑みたいにすっごくいい香りがしてびっくりしたぞ」
「あ、あはは……」
「壁も天井も全部ジャスミンだ。元が教室だったとはとても思えないな」
教室の壁や天井にはジャスミンが茂っていた。緑の葉っぱがちょっと古びた壁を覆い尽くし、そこに真っ白の綺麗な花が咲き乱れている。天井付近では何ともエスニックな感じにジャスミンの枝とも蔓ともとれないそれが伸びていて、自然っぽさを演出していた。
確認するまでもないが、これらはすべてかつて華苗がまごころで成長させたジャスミンである。
華苗にとっても想定外だったのは、あれからまたすこしずつこれらのジャスミンが成長していたことだろう。最初の方はそんなでもなかったのだが、一週間も経つころには明らかに当時よりも緑は深くなり、花の数も増えていたのだ。
今ではもう、床や机さえ見なければ、インドの森の中──いいや、インドの秘密の花園に迷い込んだと間違えるくらいの様相になっている。ゆきちゃんが言った通り、ここがごく普通の教室だとはとても思えなかった。
「で、これからどうするんだ? 正直もう、見た目のインパクトは十分だって先生は思うんだけど」
ゆきちゃんの疑問に答えたのは、当たり前のように全体の指揮を執る柊だった。
「細かい小道具を設置したり、今まで準備できなかった大掛かりなものを仕上げていく感じですね。明日の午後には軽くリハーサルを行いたいので、今日中にお店として見える最低限のところまでは持っていきたいです」
そんなわけで、早速作業が始まった。
まず、女子の中でも手先の器用なものがジャスミンの花で花飾りを作っていく。長く大きく丁寧に編み込めば、あとはそれをアーチのように入り口に飾り付けたり、あるいは適当に天井からぶら下げるだけでもいい。何処からか風が吹き込むたびにふわりと甘い香りもして、天然の香水のような役割も果たしてくれる。
男子は男子でそれっぽい演出を施していく。どこからか持ってきたらしい廃材を使ってインドっぽい置物──彫刻刀を使って彫り込んだ奇妙な木像を作成したり、あまりにもジャスミンが茂りすぎている部分を鋏で剪定したりしていた。
「インドっぽい絵、描けたよ!」
「よっしゃ、一番目立つところに飾ろうぜ!」
やがて、美術部他数名の女子が手掛けたインドっぽい絵──象やインドの女神が踊り狂っているものだ──が完成したらしい。長方形につなぎ合わせた段ボールに模造紙を貼ることで作った即席のキャンパスが、教室の後ろの連絡黒板がある部分に設置される。
この手の絵画は他にもあって、腕に覚えのあるクラスメイトがどんどんとそれらを仕上げていく。それらの絵画に特に統一性は無く、しかしやたらとクオリティだけは高いものだから、飾られたスペースには一種独特の雰囲気というか、いかにもそれらしい怪しげな空気が漂っていた。
「なんか明かりの雰囲気ちがくない? 蛍光灯の白だとインドっぽさいまいちじゃね?」
「あー……どこかにオレンジのフィルムなかった? あれを被せればそれっぽくなるでしょ?」
「それだ」
そんな誰かの発案により、十分後には教室の明かりがすっかりオレンジ色になった。夕暮れのバーにいるかのような、そんな優しくもどこかノスタルジックな雰囲気の色合いだ。
どうやら演劇部あたりが部室から小道具を拝借してきたらしい。即席のもののはずなのに、ずいぶんと様になっている。ちょっと意識の高い喫茶店とかにありがちなやつだな……なんて華苗は思わずにいられない。もちろん、華苗はそんな喫茶店になんて入ったことが無かった。
「手が空いてる人! ここに百均で買ってきたインドっぽい模様の布がいっぱいあるから、タペストリーチックに適当に壁に飾り付けて! あ、テーブルクロスとして使う分は取っといてよ!」
手持無沙汰だった華苗はその言葉に反応して動き出す。ペイズリー模様のそれをどこぞの雑貨屋さんのような感じで壁に飾り付け、その出来栄えに一人でうんうんと頷いた。
ふと周りを見れば、同じように壁を飾り付けているのが何人かいる。どれ、もう一枚ほど……と思った頃にはすでに、全ての布は飾りに使われてしまっていた。
「なーんかちょっと広々としている感があるんだよなァ……。インドっぽさは出てるんだけど、何かが足りないというか……どこか妙だというか……」
「なんだ? ジャスミンだろ、絵画だろ、タペストリーもどきに謎の置物だってある。明かりだってインドの夕暮れみたいだ……けど、確かに妙な違和感が」
「自然に対しての人工物の割合が少なすぎる、ってところか? そのくせ人工物だけ見たらやたら凝ってるから、浮いて見えるんだろ」
「つっても、無駄に人工物を増やしたら必要以上にゴミゴミしちまうぜ? やるんだとしたら、今とあまり変わらない状態で自然と人工物の調和を……」
「そんな都合のいいもの、あるのか?」
男子の数人が集まって、そんな話をしている。片手に工具やパレットを持っているところを見るに、おそらくこの手の美術に妥協を許せないタイプの人たちなのだろう。ああでもない、こうでもないと全体を俯瞰をするようにチェックし、いかにしてバランスを保つべきか議論していた。
「……待て、アレがあるじゃあないか」
「アレ?」
「原点に帰ろうぜ。……ここは緑が茂った廃墟だ。いや、廃墟だったというべきか。この数日という長い年月で緑がすっかりそれを覆い尽くし、ただの自然になり下がった」
「ふむ?」
「自然と人工物の調和はそこにある。……こいつぁ遺跡だ。遺跡にすれば、自然と人工物が混じっていてもおかしくない。【インドの遺跡を改装したカフェ】……こいつをテーマにすればいいんだよ!」
「……つまり?」
「柱を作ろう。崩れかけのそれでもいい。岩っぽく塗装するか、模造紙に岩肌や煉瓦の模様を描いてテクスチャみたいに貼ればいい。壁もこいつで質感を再現する」
「……おお?」
「全面が緑で覆い隠されているから不自然さが際立つんだよ。緑に適度な隙間を作り、そこから岩の壁が覗いていれば……すべては調和する」
「それだ」
そして、男子の有志が段ボールで柱を作り、テクスチャとしての岩の模様を描いていく。所詮は段ボールのものだから、形を作るだけならそこまで時間がかかるものではないだろう。適当な木材もあるようだし、基礎さえしっかり作ってしまえば、後は問題ないはずだ。
「……」
ふと、華苗は視線を感じた。くるりと振り返ってみれば、やっぱり段ボールやら新聞やらでモニュメントを作っていた女子たちがこちらを見てにやにやと笑っている。
なんだかちょっと面白そうだったので、華苗はその輪の中に飛び込んでみることにした。
「なーに笑ってるの?」
「いや、ちょっと……ね?」
ぽんぽん、と女子の一人がそのゾウ──作っていたモニュメントだ──の頭を撫でた。
大きさとしては、公園によくあるゾウの置物より二回りほど大きいくらいだろうか。とても元の素材が段ボールだとは思えないくらいに精巧に作られていて、何ならそのまま普通にベンチとして使っても問題なさそうなくらいに丈夫そうである。
ご丁寧にも、そのゾウのおでこにはインドのシール──ビンディがつけられ、背中には鞍(?)代わりのそれっぽい布が敷かれていた。
「よくできてるよね、このゾウさん」
「うん。やっぱり演劇部や美術部がいると全然違うよね。中学の時も文化祭ってあったけどさ、規模もクオリティもダンチだよ」
「……で、なんで私のこと見て笑ってたの?」
「……怒らない?」
「内容による」
華苗はさっと近くにあったラズベリーの鉢植えを装備した。いつぞやまごころを込め過ぎてしまい、自由に食べられるように──と教室に持ってきたあれである。
みんなは気が向いたときにそれからラズベリーをもいで食べているわけだが、この鉢には大いなる力が秘められていた。
「今すぐ言わなきゃ、これにまごころこめて蔦でぐるぐるの刑だけど?」
「おねがい、全部吐くからそれだけはやめて?」
ラズベリーのツタはよく伸びる。一度よっちゃんがぐるぐる巻きにされたのを、クラスメイトはしっかりと覚えていた。
「いやね、このゾウの名前を付けようって話になったんだけど」
「ふむふむ」
「【華苗】ちゃんでいいかなって」
「なんですとっ!?」
華苗はまじまじとそのゾウの像を見た。どこをどう見ても、自分と似通っているところなど見つけられない。顔立ちははっきりとわかるほどに違うし、そもそもが人間とゾウなのだ。これで似ているのだとすれば、このゾウは人面象として世の注目を集めることになるだろう。
唯一似ているのだとすればその体格くらいなものだが、それにしたって腑に落ちない。
「一応聞くけど、理由は?」
「華苗ちゃんが使うじょうろ、ぞうさんじょうろじゃん? となるともう、ゾウ=華苗ちゃんって図式が成り立つじゃん? じゃあ、この子の名前も【華苗】ちゃんでいいかなって」
「むう……」
「……あと、ちいちゃくて可愛いから」
「小さいってのは余計だよ?」
「…そうか? なかなか筋が通ってる良い名前じゃないか」
「「!?」」
突如聞こえてきた、低く重い声。いつのまにやら華苗たちにぬうっと黒い影が落ち、気づけば色黒の大男が華苗の後ろに立っていた。
突然の登場だったからか、話に夢中になっていた女子のみんなが腰を抜かしている。目をまん丸にして、金魚のように口をぱくぱくとさせていた。
もちろん、華苗はそんな醜態を晒していない。すぐさま振り向き、睨みつけるという芸当をしてさえ見せた。
「楠先輩。なんでウチの教室にいるんですか。スパイ行為です?」
「…言いがかりだ」
我らが園芸部の部長、楠はくいっと顎で隣を示す。ちょっと気まずそうな表情をした柊が、彼方の方を見ながら恐る恐る言葉を発した。
「楠先輩が来たよって声をかけたんだけど……なんか、話に夢中だったみたいで……」
「ううん、克哉くんは悪くないの。いきなり人の後ろに立つ方が悪いんだから!」
「華苗ちゃん、なんかセリフが物騒になってるよ? ……ともかく、時間だからそろそろお願いできないかなって」
その一言だけで、華苗はすべてを察する。慌てたように立ち上がり、そして教室をぐるりと見渡した。ちょうど何人かは手持無沙汰、あるいは後回しにできる作業をしているようで、少なくとも五人くらいはここから連れ去っても全く問題ないだろう。
都合のいいことに、その中にはよっちゃんも清水もいる。これからの予定を考えれば、この二人の助力は欲しいところだった。
「華苗ちゃん、僕の方から声をかけようか?」
「うん、お願い」
ちょっとチキンな華苗の代わりに、柊の方が声を上げる。
「今から園芸部の畑に収穫しに行くよ! 手の空いている人はすぐに来て!」
「…この収穫には文化祭で作物を使うすべてのクラス、部活動が集う。まとまって動くから、はぐれないように」
手持無沙汰だった華苗に、ようやく仕事がやってくる。
それは華苗だけしかできないこと──文化祭の料理に使う、作物の収穫であった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
中庭に、けっこうな数の人間が集まっていた。
各学年から男女問わず満遍なく──人数にして、およそ百人はいるだろうか。サッカー部部長の秋山や茶華道部部長の白樺といったおなじみの面々もいれば、夏休みの差し入れの時ですら顔を見た覚えのない人間もいる。
いつぞやの麦の収穫を彷彿とさせるその熱気に、華苗は否でもこの後に起きるであろう大騒動のことを想像してしまった。
「おっ、園芸部来たぞ!」
「今年もよろしく頼むぜィ!」
元気のいい三年生の男子が声をあげ、それに気づいた他の生徒たちが一斉に華苗と楠に注目した。がやがやとした喧騒が少しずつ収まっていき、やがて大いなる期待感に満ちた静けさが場を満たしていく。
十分に場が落ち着いたところで、楠はその体に響く低い声で告げた。
「…今から畑に向かいます。遅れずについてきてください」
そして楠は、振り返りもせず畑へと向かっていく。見失ったら堪らないとばかりに、みんなはその背中を追いかけた。
「毎回思うけど、なんであの畑って入れる人と入れない人がいるんだろうね~?」
「さあ……? こればっかりは、楠先輩も『何で道に迷うやつがいるのかわからない』って言ってたし……」
「麦の時は割と普通に出入りできてたから、今回は大丈夫じゃないの?」
さりげなく最後尾に移動した華苗たちは、そんな会話をしながら歩いていく。幸いにして畑に向かう途中ではぐれた人はいなかったらしく、いつもの角を曲がったその先では、やっぱり妙に広く感じる畑で先程と同じだけの人間がたむろしていた。
「…基本的には好きに収穫して行ってもらってかまいません。用具はこの後準備します」
「よぅ、俺らは収穫するのは初めてなんだが、やりかたとかあるのか?」
「…過度に荒らさなければ特には。わからなければ遠慮なく聞いてください。…俺か、八島か、じいさんか……秋山先輩も大丈夫ですよね?」
「あたぼうよ! 園芸部の次の次に畑に詳しい男だからな!」
「…それと、混雑を防ぐために穂積先輩が作ってくれたスケジュールに則って作業をしてもらいます。時間が来たら、必要量の収穫が終わってなくても交代してください。足りない分は全てのスケジュールが終わった後で適宜、ということで」
簡単なスケジュールが口頭にて発表され、そして収穫作業が始まった。各々が必要な作物の元へと赴き、おっかなびっくり、それでいて楽しみながら畑の恵みを籠へと放り込んでいく。
「ねぇねぇ! このメロンってそのまま採っちゃっていいの!?」
「…ヘタやその周辺が枯れているものを選んでください」
「梨は見分け方とかあるのか?」
「…下から持ち上げて、ぷちっと取れるやつを」
「ひまわりは……適当なところで切ればいいのかな?」
「…面倒臭いんで、適当に引っこ抜くなりお好きにどうぞ。なんなら押し倒しても構いません」
楠が忙しそうに収穫のレクチャーをしている中、華苗は園芸部権限で悠々自適に自らの収穫作業を進めていく。ニンジン、トウモロコシ、トマトなどを中心に、あったら便利だろうと思うものを諸々かっさらっていった。
ニンジンはひっつかんで引っこ抜くだけ。トウモロコシも丸々と太ったものをそのままポキッと折ればいい。念のための予備としてジャスミンも摘んでいけば、それでもう百点満点である。
「改めて思ったけど、ホントに新鮮で立派なお野菜だよね~! これだけのもの、スーパーじゃなかなかお目にかかれないよ?」
「おまけにいろんな種類の野菜や果物が当たり前のようにあるもんね……作物の博物館が出来るって言うか、季節感ガン無視じゃない?」
「はは……」
清水が呆れたようにそんなことを言うが、華苗に言ったところでしょうがないことである。所詮華苗は下っ端で、何を栽培するのか決めるのは全部楠なのだ。季節感云々についても、まごころを込めているのだ──と、それ以外に弁明しようがない。
採って採って、どんどん籠や番重へと詰めていく。ある程度まとまったらリヤカーに移して、新たな籠と取り換える。リヤカーにはあらかじめ割り当てられていた別の収穫班の作物も納められ、リヤカーが皆の収穫したそれでいっぱいになったら──穂積の立てた計画に基づき、然るべき場所へと出荷されていくのだ。
いつの間に用意されたのか、大きなリヤカーがパッと見た限りで四つは畑においてある。普段見ない三つについては、もしかしたらおじいちゃんが用意したのかもしれない。
いずれにせよ、畑で精力的に動く高校生たちにより、リヤカーには大地の恵みが少しずつ集まっていた。
もはやただの農業体験をしている学生たちにしか見えないが、それに気付ける者はいない。いや、扱う品種の多さ、そしてその規模や量を考えれば、体験どころか職業としての農業に匹敵しかねない。
少なくとも、『園芸部』の作物の収穫において、人が持ちきれないほど、リヤカーを使って何往復もしなけれいけないほど作物を収穫することはあり得ないだろう。
「ねえ、園芸部の! ここのさくらんぼ、ホントに好きに採っちゃっていいんだよね?」
楠もおじいちゃんも秋山も手が空いていないのか、見知らぬ三年生の先輩が華苗に声をかけてきた。ここらで園芸部としての役割を果たしてみようと思い立った華苗は、この数か月でだいぶ様になってきた笑顔で受け答えをする。
「お好きなだけどうぞ! あ、品種によって味や食感がちょっとずつ違うので、そこだけは注意してくださいね。何ならつまみ食いしても大丈夫ですよ」
「いいの? ……これ、けっこうなお値段すると思うんだけど」
「食べたそばから生りますから」
華苗は近くのさくらんぼをぷちっと採って、そのままぱくんと口の中に入れる。そのあまぁい味にほおを緩めるころには、新しいさくらんぼが何事もなかったかのようにそこでキラキラと輝いていた。
「ね?」
「……」
そこには常識なんて存在しない。
「あたしも食べよっと」
「あ、ずるい」
ぶちぶちぶちっとよっちゃんが遠慮なくさくらんぼを採る。ひょいひょいひょいっと清水が躊躇いなくさくらんぼを採る。
収穫したはずなのに、なぜか収穫前の倍以上のさくらんぼが樹に生っていた。
「おい……!? なんでシーズン全然関係ないイチゴが普通に食べごろになってるんだ!?」
「しかもこのイチゴ……! 採っても採っても無くならねえ!」
「ピーマンも、カボチャも、トマトも……! 瞬きした隙に新しいのが出来てやがるッ!」
畑のあちこちからそんな感じの歓声があがっている。どうやら、どこグループも滞りなく収穫が出来ているらしい。
「れ……レモンってこんなにたくさん実がなるの? しかもなんか、トゲがすごくない?」
「こっちのナスも……なんかやたらとトゲトゲしてる」
「レモンは元々そういうものなんですよ。気になるなら鋏でトゲを落とした方がいいかもしれません。ナスに関しては新鮮な証ですね」
「こ……この、巨大なキュウリは?」
「成長しすぎちゃった奴ですね。さっさと収穫しないとそうなっちゃうんです。もったいないので鶏小屋の方に置いておいてください」
「……男子の腕くらいの長さがある、けど」
「?」
「なんでそこで不思議そうな顔をするのかちょっとわからない」
まごころがこもったキュウリなのだ、それくらい大きくなっても不思議はあるまい──と華苗は心の底から思った。実際、まごころのこもっていない普通のキュウリであっても、ほったらかしておくとびっくりするくらいに大きくなることはある。これくらいであれば、まだ常識の範疇内であると言えなくもない。
「ひゃあああっ!? ラズベリーのツタが伸びてきたっ!?」
「やんっ! ちょ、絡まってくる!?」
「し、しかもトゲがある!?」
「ちょっと見てないで助けろよ男子ィ!」
ふと、いつぞやどこかで聞いたような悲鳴が華苗の耳に入ってきた。ラズベリーやブラックベリーを植えている辺りが緑に覆われている。収穫していたのであろう人たちがそれらに飲み込まれ、何とか脱出しようと必死にもがいていた。
「な、な、な、なにあれっ!? たた、助けに行かなくていいのっ!?」
「うげ……あれ、動けなくなるしチクチクで最悪なんだよね……」
「そういえば……よっちゃんはやられてたっけ……」
「なんだろうこの人たち、言葉は通じるのに話が通じない」
「「?」」
園芸部の手伝いに来たことがある者とない者とで、認識に大きな違いがあるらしい。特に麦の収穫を戦い抜いた歴戦のツワモノたちは、いくらでも収穫できる作物やベリーのツタがちょっと成長した程度じゃまるで動じず、鼻歌なんか歌いながらほぼ無限に生えてくる作物をひょいひょいと収穫していた。
「お前ら気合を入れろィ! こんなんじゃあ全然足りねえぞ!」
「背負子あったろ! あれ持って来い! 括れるだけ括り付けて調理室送りだ!」
「ばっきゃろう、ぼさっとしてんな! 隙を見せずに連続で狩りまくるんだよ! 奴らに時間を与えたらあっという間に飲み込まれるぞ!」
一方で畑の実態を初めて見たのであろう人たちは、恐ろしいほどに狼狽えていた。咲き乱れるバラやラベンダー、ひまわりにあんぐりと口を開け、いくら収穫しても減らない──それどころか、逆に増えていく作物に腰を抜かし、そしてその様子を当たり前のように受けいれているクラスメイトを化け物を見るかのような目で見ている。
「作物を収穫しているセリフとは思えないんだけど」
「おかしいよ……絶対こんなのおかしいよ……」
「麦の時よりはマシだぜ? あの時はみんな廃人一歩手前になったからな」
「「えっ」」
ともあれ、それからあまり長い時間もかからずに華苗たちの収穫は終了する。まだまだ畑で作業している人間は──作物の運搬をしている人間も含めて──結構多いものの、一区切りはついたといっていいだろう。いい加減みんな慣れ始めてきているし、経験者が少しずつ未経験者の手綱を握り始めている。
一度しっかりとした指揮系統さえ出来れば、園島西高校の生徒たちは自分で学習し、応用してくれる。それはどの部活の人間でも変わらない。部活動の活動理念がそういったものであるため、自然とみんながそれに適応できるようになるのだ。
「…この調子なら、もう俺がいなくても大きな問題は起きないだろう。…少々まごころがもてあそび気味になっていたが、案外ちょうどよかったかもしれん」
いつのまにやら華苗の近くにいた楠が、ぼそりとそんなことを言った。
「あり、そうなんですか?」
「…この前よりも人数が多かったからな。まごころの総量も増えたし、畑の方もそれに応えようとしてくれたんだろう。…練度があがっていたおかげで、みんなきちんと対応できている。実にいいことだ」
「ちょっとは加減するってこと、しましょうよ」
「…溢れ出るまごころを抑え込むなど、まごころに対して失礼だろ?」
「よう、喋っている途中で悪いが、ちょっといいかねェ?」
と、ここでおじいちゃんが会話に割り込んできた。その穏やかな目は華苗を──正確に言えば、華苗とよっちゃん、清水を見つめている。
いぶかしそうにする楠を目で制し、おじいちゃんはこっそりと、少し小さな声で告げた。
「だいぶ落ち着いてきたし、例の秘密兵器の受け渡しをしたいと思うんだが……」
「…秘密兵器?」
ぱん、と華苗が抵抗の意志を込めて楠の背中を叩く。
しかし、楠は一切の痛痒を覚えなかったらしい。まるで何事もなかったかのようにおじいちゃんに顔を向けたままでいる。
「ああ。ちょいとこの子らに頼まれていたものがあってねェ……」
「じいちゃん! スパイ行為は禁止って約束したでしょ!」
よっちゃんが慌てておじいちゃんの口元をふさぎにかかる。おじいちゃんはケラケラと笑ってそれを受け流した。
「おっと。いけないいけない、つい昔の血が騒いじまった……ゴホン、ともかく例のブツの受け渡しだ。一応、私とシャリィで味見は済ませてある。文句なしの出来栄えだったが……やっぱり、自分たちでも確認したいだろう?」
そう、実は華苗たちはおじいちゃんにあるものを依頼していたのだ。勘の鋭い先輩たちにばバレないように──正確に言えば、顔に出やすい華苗が下手を打たないように、主によっちゃんや清水が主体となって秘密裏に動いていたのである。
そして、その依頼が達成されたというのなら、確認しない道理は無い。
「…俺にも味見させろ」
味見、という言葉に興味を覚えたのか、いつになく楠がくいついた。もしかしたら、秘密兵器と言う言葉の響きにいくらかの脅威を感じたのかもしれない。いずれにせよ、ここでその正体をばらすというのは、華苗たちの手の内を明かすことに他ならない。
当然のごとく、その答えは──
「ごめんなさい、先輩。さすがにそれは受け入れられません」
いたずらっぽく清水が笑う。
「…先輩権限」
「例え先輩でも文化祭なら戦争だって部長が言ってました!」
よっちゃんがその大きな胸を張る。
「…俺の畑で採れたやつ、使ってんだよなあ?」
悍ましい、普通の子供ならチビるような凶悪な笑顔が華苗に向けられた。
それを、華苗はせせら笑うようにして迎え撃つ。
「先輩は興味を示さなかったじゃないですか。それに、食べ物じゃあないですよ?」
「ついでに言えば、あくまでそのメインは──お前の作物じゃあないねェ」
「…………なんだと?」
暑い日差しが得意げに笑う三人娘の顔を照らし、そして畑は歓声に満ちている。大きな白い雲はゆったりと空を流れ、色黒の大男はその濁った瞳で虚空を見つめた。
ここまで来ればもう、思い残すことはない。準備は万端で、もはや明日は最終調整と細かい仕上げくらいしかやることはないだろう。
もちろん、この場にいる全員、最後まで気を抜くつもりはさらさらない。
「さぁ──全力で、楽しもうじゃあないか」
白髪の彼が楽しそうに笑うと、どこからか二羽の鶏の鳴き声がこだました。それはきっと、これから始まる一大イベントの開演のベルだったに違いない。
園島西高校文化祭──【ガーデンパーティ】が、始まる。
次回から文化祭スタートです。




