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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
64/129

63 お祭り準備

久しぶりの三作同時更新。


 園芸部の仕事に休みはない。どれだけ暑い日だろうと、どれだけ寒い日だろうと作物の世話はかかせないし、あやめさんやひぎりさんのご飯やお水を用意せねばならない。他の部活のように定休日なんてものはないし、長期休暇だって関係ない。


 だがしかし、一年のうちにほんの数回だけ、それを忘れていい日がある。


 ぶっちゃけた話、この園島西高校の不思議な園芸部なら一日二日水を上げなくてもまごころさえ込めれば作物は元気いっぱいだし、あやめさんとひぎりさんに関しても、事前にちゃんと準備さえしておけば、御自身でご飯もお水も召し上がってくださる。


 そう、今日というお祭りの準備で忙しいときも、彼女らはとてもとても上品に華苗の前でトウモロコシを召し上がっていられた。


「…おはよう」


「おはよーさん!」


「おはようございまーす」


 華苗は彼女たちの傍らにいる日焼けした大男と元気なサッカー部長に挨拶する。


 あいも変わらず楠はオーバーオールに麦わら帽子姿であり、その暑い日差しを受けたからかすでにシャツはぐっしょりと濡れていた。秋山のほうはいつものサッカージャージではなく自前のシャツを着ているが、やっぱり楠同様にぐっしょりと汗をかいているのが遠目からでもわかった。


こっこっこ──


「あやめさんたち、ここに連れてきていいんですか?」


「…悪いとは言われていない」


 園島西高校の夏祭り──島祭は学校の敷地内で行われる。中庭から校庭にかけて生徒や商店街の人たちの屋台が並び、校庭の真ん中には舞台ステージが設置され、そこで様々なイベントが行われるのだ。


 当然のことながら、華苗がいるのは畑ではなく中庭の一角である。そこでは楠をはじめとした何人もの生徒のほか、見慣れぬおじさんやおばさんが屋台の準備を汗をかきながら行っていた。


「…邪魔にはなってないし、こぼれたトウモロコシを拾ってくださる」


「おかげでこの辺はちょーきれい!」


「……」


 さて、華苗がわざわざ祭りの始まる数時間前にやってきたのは園芸部の屋台の設置の手伝いのためである。いくら華苗が非力でか弱い乙女と言えど、この炎天下の中で先輩だけを働かせることはできないからだ。


「私、なにか手伝えることあります?」


「……」


「うーん、正直あんまりないんじゃね?」


 楠と秋山は協力して屋台の設置を始めた。実行委員会が事前に引いたラインに沿ってキャンプの時に見たような芯材を突き刺し、バサッと明るい色の天幕を被せる。


 留め具や各種の金具を確認すれば、屋台の基礎は完成だ。実にお手軽なものである。


「…机と椅子」


「りょーかいです」


 さらに細々とした作業を二人がする間に、華苗は備品置場から机と椅子を持ってくることにした。チビな華苗には屋台の設置よりもこういった雑務のほうが向いているのだ。


「えっと、持てるの?」


「楽勝ですよ」


 面倒くさいので机二つを重ねて持ち、ついでに椅子もその上に乗っける。係の男子生徒がひどく不安そうな顔をしたが、園芸で鍛えられた華苗にはこの程度朝飯前である。傍から見ると机が勝手に動いているように見えなくもない。


「…ごくろう」


 余裕をもってミッションをコンプリートし、華苗はふうと一息ついた。楠は手早くそれらを並べ、簡易の受付台をつくる。ここでお会計をするそうだ。


 まだイマイチそれっぽさがないが、とりあえずはこれで最低限のことができたと言えるだろう。


「あと、何かあります? うち、トウモロコシ焼くんですよね?」


 手持ち無沙汰になった華苗はちらりと積まれたトウモロコシを見た。楠の背後にはわが園芸部のトウモロコシがこれでもかと積まれており、これからささっと茹でるだけで極上のひと時を提供してくれることは疑いようがない。


 ついでにいえば、屋台の暖簾的なアレにも大きく『焼きトウモロコシ』とある。これで焼きトウモロコシでなければ詐欺ってものだろう。


「…材料はあるが、道具がない」


 焼きトウモロコシの屋台に必要なものが揃っていないのだという。言われてみれば、トウモロコシは腐るほどあるものの、肝心の焼くための網等がない。どうやって調理するのかは知らないが、竈の一つも組めていないのはまるで話にならない。


「じゃあ、どこかから石でも運んで竈を作りましょうか? 火打石はおじいちゃんから借りればいいし、鉄板くらいなら調理室にもありそうだし……」


「華苗ちゃん、思考がだいぶぶっ飛んできてるぜ?」


「おっと」


 ちょっと前のサバイバルキャンプのせいで華苗の思考がだいぶ偏ってしまっていたが、本来ならば、焼きトウモロコシの屋台に必要なのはバーベキューセットの類や簡易コンロと言ったものである。この平成の時代に火熾しから始めるものではない。


「…じいさんが貸してくれることになっている」


 となれば、おじいちゃんが来るまで待つしかない。なんとなく周りを見渡してみると、商店街の人たちの屋台は生徒が作るものよりもはるかに立派で、これでもかというほどお祭りのオーラを醸し出していた。それに比べると、園芸部の屋台はいくらか貧相に見えてしまう。


「そういえば、秋山先輩はどうしてわざわざ手伝ってくれてるんですか?」


「よっちゃんたちから頼まれたんだ。調理部とかも屋台を出すんだけど、今その下拵えを調理室でしてるらしいぜ。あと、あのへんって男は佐藤しかいないじゃん? さすがに女の子だけじゃ結構ツラいし、俺は暇だし」


 さすが三年生の男子は違うと華苗は感心しそうになるが、これはなにも秋山に限った話ではない。準備の都合上、祭り当日の運動部の校内での活動は禁止となっており、普段何かと協力してもらっている女子たちに応援に呼ばれてしまうのだ。


 よくよく見れば屋台とは関係なさそうな男子が多数準備に参加していることがわかるのだが、今日は部外者も多いために華苗はそれに気づかなかったのである。


「んで、俺と楠でそのへんの屋台は作ってきたって寸法よ。細かい装飾なんかはあっちがやるみたいだけど」


 秋山も楠も調理部やお菓子部には非常に大きな借りがある。向こう側からすればむしろ楠達に借りがあるのだが、それでも気の良い二人は面倒な力仕事をこうして請け負ってくれるというわけだ。


「あとさぁ、女子って今日の祭りで浴衣着るのが多いみたいじゃん? さっさと帰って支度しないといけないんだってよ。華苗ちゃんはどうなん?」


「私も昼過ぎには帰る予定ですよ?」


 もちろん、華苗だって浴衣を着るつもりである。よっちゃん、清水と三人で浴衣を着ようと話も通してあるし、いつもの一年生メンバーでお祭りを巡ろうともすでに計画してある。


 加えて、浴衣姿を見てもらいたい人もいる。


「……なんか、顔赤くない?」


「…こいつも浮かれ始めたか」


 そのことを考えると、華苗の胸はいろんな意味でドキドキしてくる。


 ──彼は可愛いと思ってくれるだろうか、それとも何とも思わないのだろうか?

 

 ──浮かれすぎな軽いやつだと思うだろうか、それともドキッとしてくれるだろうか?


 そんなことばかりが渦巻き、嬉しくなったり不安になったりするのだ。


 少し前までの華苗なら、こんなことなど思いもしなかっただろう。お祭りだって面倒くさいから普通に私服で来ることを選ぶだろうし、おそらく、今日も準備が終わった後そのまま参加していたに違いない。


 だが、今の華苗にはそんな妥協をするつもりはさらさらない。


 帰ったら一番にシャワーを浴びて、スッキリした後に時間をかけて浴衣を着るのだ。おかあさんが手伝ってくれるとはいえ、ヘアセットもある。うかうかしている余裕など一切ないと言えるだろう。


「先輩、早くやっちゃいましょうよ」


「…慌てるな。いずれ、昼には帰すつもりだ」


 さて、華苗がそんな風にやきもきしながら待つこと五分くらいだろうか。どこか遠くのほうで妙に人がざわめく声が聞こえ、だんだんとその音が近づいてくるのがわかる。


 お祭りの喧騒とも違う、もっと別の何かだ。


「……あっ!」


「……おお?」


「…なるほど」


 くるりと三人はその方向へと首を向け、そして納得した。


 それもそのはず、中途半端なコスプレをしたかのような外国人の集団が、屋台に使いそうな道具をもってゆっくりとこっちへやってきていたのだから。


 その先頭に、待ちわびていた文化研究部のおじいちゃんと佐藤がいた。


「よぅ、待たせたねェ」


「アキヤマじゃねえか!」


アオン!


 光の加減のせいか、少し緑がかった灰色に見える髪の青年が声を上げる。


 そう、彼はこないだのキャンプの時にお世話になった組合の人間、レイクだ。華苗たちと一緒にグラニテのサッカーゲームをした人である。


「レイクさん! 来てたんですね!」


「おうよ! マツカワに誘われてな!」


「やぁ、君たち。久しぶりだな」


 レイクの後ろには、やっぱり荷物を持った組合の人たちがいた。


 熊をやっつけてくれたセインに、ものすごいマッスルボディのバルダス。喫茶店みたいなところにいたアルと言う人に、弓を持っていたちょっと気の弱そうな少年のエリオ。さらには、猟犬のラズも着いてきている。あのとき見た組合の男の人が全員そろっていた。


 職質を喰らってしまいそうな時代錯誤な恰好をしているが、一体どうやってここまで来たのだろうと華苗は不思議に思う。


「…夢一、どういうことだ?」


「いやぁ、人手が足りないから手伝ってもらうってことになったんだよ」


 なんでも、彼らと深い仲である佐藤たちはせっかくだからと屋台やその他の準備を手伝ってもらうことにしたらしい。ちなみに、組合の女の人たちは古家のほうで浴衣の準備をしているそうだ。


「ふぃー……。おぅ、このでっけぇのはどこに置きゃいいんだ?」


「こいつもだ。僕の腕が千切れてしまう」


「…こちらにお願いします」


 バルダスとアルがバーベキューセットと鉄板を園芸部の屋台のところに置く。アルはともかく、バルダスのほうはあれだけ大きな物を持ってきていたというのに息ひとつ切らしていない。さすがというべきだろう。


「にしてもすげぇなぁ! 俺、こんな祭りの準備初めて見たぜ!」


「それにあんな大きな建物で勉強してるなんて、思ってもいませんでしたよ」


「ああ……」


 レイクたちは目に映るものすべてが面白いようで、うまく隠そうとしているがその興奮が華苗にもしっかりと伝わってしまう。


 彼らは普段機械も電波も何もない、文字通りサバイバルな生活を営んでいるため、こういうものが珍しいのだ。その事情を考えると、華苗ははしゃぐ子供を見るかのよう優しい気持ちになることができた。


「ああ、早くはじまらねぇかなぁ!」


「おいおい、こういうお楽しみは待つのが楽しいんじゃないか」


「セイン、正気か? そういやおめぇ、好きなものは最後に食べるタイプだったな」


 日本の祭りにはしゃぐ外国人のお上りさんに見えなくもないが、まだ祭りは始まっていないし、それにしたって大げさすぎである。


「楠、耕輔。準備はどのへんまで終わったのかねェ?」


「調理部、お菓子部、園芸部とあといくつかの屋台の基礎は作ったぜ」


「…細かい備品なんかは向こうでやるそうです」


「大舞台の進捗はどうなっている?」


「…資材が遅れてるだとかで少し予定を押しているそうですが、まもなくとのこと」


「そいつぁ僥倖。じゃあレイク、アル、エリオの三人をここに置いておくから、屋台の仕上げと当番の説明を頼めるかね?」


「…うっす」


「あと、松川教頭を見なかったかね? ここらを飛び回っていると聞いたんだが──」


 そうおじいちゃんが言った時だった。


「おぅい、神家くん!」


「噂をすれば影ってやつだねェ」


 いくらか汗をかいた教頭が小走りで向こうから走ってくるのが見えた。手には書類を何枚も持ち、小脇にはファイルケースを挟んでいる。そこに領収用のようなものや名刺などを確認することができたことから、この祭りのための諸々の手続きなんかで動いていたことは想像に難くない。


 教頭はこちらにつく寸前にスピードを落とし、軽く息を整えてからにこやかな笑みを浮かべる。大人同士がよくやる、偉い人の会話の空気が流れた。


「やぁ、みなさん。お出迎え出来なくて申し訳ないが、ようこそ園島西高校へ!」


「いやいや、本日はお招きいただきありがとうございます」


 セインと教頭が笑いながら握手した。二人とも手は汗ばんでいるだろうに、そんなことなどまるで思わせないさわやかさだ。そのまま二言三言、大人トークの挨拶を交わし、教頭が申し訳なさそうに告げる。


「しかし、祭りが始まるのは夕方頃でしてね。もしよろしかったら応接室にでも……」


「いや、お構いなく。彼に頼まれて私たちも祭りの準備を手伝うことになりまして」


「そんな! 申し訳ない!」


「なぁに、私たちは力仕事が本業です。それに、これもなかなか貴重な体験ですよ」


 教頭とセインの大人トークはまだまだ続く。いい加減飽きてきたのだろうか、秋山とレイクは話を無視して旧交を温めているし、アルとエリオはずっときょろきょろとしていて落ち着かない。ラズに至ってはあやめさん、ひぎりさんと戯れだす始末だ。


こっこっこ──


アオン!


 そのうち頭からぱっくりと食べられてしまうんじゃないかと不安になるが、よく訓練された猟犬だからそんな心配などいらないのだそうだ。


「それでは、そういうことで。ちょっと気が早いですが、存分に楽しんでくれるとうれしいですな!」


「ええ、もちろんですとも」


「よし、それじゃあバルダスはあっちで大舞台の設置を手伝ってくれ。忠彦と武もいるみたいだから、そいつらに詳しいことを聞いておくれ」


「おう、ぱぱっと済ませてくらぁ」


「予定が変わったが、セインはこのまま私についてきてくれ。設置にもたついていたりするところを助けにゃならん」


「了解しました」


「レイクさんたちは機材の設置をお願いしますね」


 さて、ようやく長い長いお話が終わり、本格的に華苗たちの準備が始まる。とはいえ、あらかたの機材はそろっているので、あとは細かい修正をして実際にいくつかトウモロコシを焼けば終了だろうか。


「ええと、カナエちゃん? これはどこに置けばいいのかな?」


「あ、そっちのほうに……はい、ありがとうございます」


「この鍋はどこに?」


「その携帯コンロの上でお願いします」


「ふむ、これは”けいたいこんろ”と言うのか」


 働き者の彼らのおかげで、園芸部のほうはあっという間に準備が終わる。トウモロコシを焼くための金網とバーベキューセットを設置し、茹でるための鍋をセッティングをするだけでいいから楽と言えば楽だ。


 あとはこれに火を入れれば今からでも屋台を始めることができるだろう。ちなみに、醤油やみりん、刷毛なんかもすでにしっかりと準備されている。


「鉄板は調理部のほうの屋台に──」


「このでっかいのはどーすんだ?」


「それはうちの屋台ですね」


 意外なことに、文化研究部に屋台に一番手間がかかっている。火は使わないものの、あの大きなわたあめ製造機を使うためだ。お祭りでよく見るアレコレもいっぱい用意されており、加えてこの前の紙芝居の時に使った駄菓子の屋台もしっかりと準備されていた。


「これでひと段落……かな?」


「…あとはモノを入れて試作するだけ、か。おまえのとこはその必要もなさそうだが」


 文化研究部はわたあめのほかにも駄菓子やおせんべいなどを幅広く扱うらしい。基本的には調理済みのものを扱うため、あとは頃合いを見計らって物品を搬入して陳列すればお終いだそうだ。


「…そろそろ時間か?」


「だね。秋山先輩、すみませんが提灯と清掃の当番の説明お願いできますか?」


「まかせろ!」


 さて、もう少しで昼にまわるかどうかといった頃、楠達はそれだけ言って、二人そろって校舎の中へと消えていく。それにつられるようにあちこちからおじさんや生徒が校舎へと向かい、完成しつつある屋台の集落が少しだけ静かになった。


「先輩たち、どこへ行ったんです?」


「責任者会議。屋台を出す人間はみんな説明受けなきゃなんねえんだ。まぁ、ルールの確認と不備やトラブルがないかって進捗聞くだけなんだけど」


 内部の人間だろうと外部の人間だろうと、島祭に出店を出す人間は必ずこの会議に出席しないと出店することは許されないそうだ。ここで参加許可の本申請と許可証なんかが交付されるらしい。


 園芸部も飲食物販売許可や火気使用許可を受けなければいけないうえに、消防講習にも出ないとならないそうである。他の屋台ならば許可を受ける人間と講習を受ける人間は同じでなくてもいいのだが、楠は後輩のためを思って面倒くさい仕事を一身に引き受けているのだ。


「なんつーか、面倒臭え決まりがあるんだなぁ。俺らんとこはそのへん全部適当だぜ?」


 レイクのところと華苗のところを比べられても困る。あっちではそもそもみんなワイルドすぎるから衛生の心配をする必要がないだろうし、火気使用許可にしたってみんなが当たり前のように焚き火をしているのから、そんなのがあったら生活が回らなくなってしまう。


「とりあえず、この時間から園芸部と文化研究部は提灯の設置と清掃の当番らしいので、そっちにいきましょうか」


「あ、それってどれくらいかかります?」


「あー……華苗ちゃんは帰んないとだな。……あれだろ、柊のためにおめかししちゃうんだろ? ん?」


「……ばかぁ!」


 華苗は問答無用で秋山のお腹をぽかぽかと殴りつけた。もはや先輩がどうとか関係ない。このピュアな乙女心をからかうやつなんて、万死に値するのだ。


 されど、にやにやと笑っている秋山は華苗の拳など効いた様子もない。加えて、組合の人たちが非常にほほえましい目つきで自分を見てることに気づき、華苗はその場にいてもたってもいられなくなってしまった。


「私、もういきますから! あとはよろしくお願いしますっ!」


「あっ、あの子意外と足速いね……」


「おいアキヤマ、お前の選択は間違っていないのか? 僕は以前、似たようなことをして座禅とやらをさせられたぞ?」


 ただでさえ小さな背中がどんどん小さなくなって、校門の向こうへと消えていく。真夏の暑い日差しがじりじりとその場の人間の肌を焦がし、つうっと汗を滴らせた。


「大丈夫っすよ。じっちゃん、あれで悪戯好きですし」


 それよりも、と秋山は男連中を引き連れて割り当てられたエリアへと向かう。準備でいくらか汚れた場所を清掃し、提灯を各所に設置しなければいけないのだ。


 園島西高校は設備が充実しているとはいえ、お祭りの時まであたりを強力なライトで照らすのは聊か情緒に欠ける。そのため、美術部や文化研究部がこの日のために大量に用意した提灯を用いて明かりを確保すると同時に、お祭りっぽさを演出するのだ。


 これがなかなかに面倒な作業で、無駄に設置できる箇所が多い分、その労力も計り知れない。幸か不幸か、十分な明るさは確保できるのだが。


「適当に見様見真似でやってくれて全然おっけーですので!」


「ぱぱっとやっちまうか」


 ちょうど太陽が中点を過ぎたころだろうか。秋山たちはもくもくと提灯を設置する作業に没頭し始めた。












「…ふう」


「案外時間かかっちゃったね」


 楠と佐藤はぼやきながら昇降口から外へと足を進めた。責任者会議はすでに何度も言われたことをまた確認しただけで、正直言って出なくてもよかったのではないかと思える内容だったからだ。


 無駄に人が多い分──正確には部外者の出店が多かったため、出欠や進捗状況の確認に手間取ったというのもある。


 消防講習もそれなりに時間がかかり、気づけば三時を過ぎている。島祭開催まであと数時間、と言ったところだろう。


「…腹、減ったな」


「僕もだよ。祭りでいっぱい食べないとやってられないな」


 一度畑により、トウモロコシをリヤカーに乗せる。ついでにサクランボとイチゴを摘み食いして少しばかり腹の虫を黙らせ、今度は古家へと赴いた。


「…人の気配がする」


「まだ準備中みたいだね」


 無駄な疑惑をかけられたらたまらないとばかりに二人はこっそり駄菓子を積み込み、そうそうにその場を立ち去った。幸いなことに、中の人間は準備に夢中で二人がここに来たことなど気づいてすらいないようだった。


「向こうの準備、出来てるかな」


「…八島も帰っただろうし、秋山先輩しかいない」


「……なんとかなってるかなぁ」


「…さぁな」


 がたごと、がたごととリヤカーは音を立てて進んでいく。三時過ぎとはいえ夏のこの時間はまだまだ日が高く、蒸し暑い。まだ大して動いていないというのにすでに二人は汗だくで、彼らが通った後にはリヤカーの車輪の跡のほかにぽたぽたと雫が落ちていた。


「おお、意外とうまく出来て、る……!?」


「…なんだあれは」


 中庭に入った瞬間、彼らは足を止めた。それもそのはず、組合の人間全員がぐてって突っ伏していたからだ。レイクとバルダスに至っては半裸に近い格好で、死んだようにぱたぱたとうちわを扇いでいる。


「よう、マスター……。仕事はきちんとこなしたぜ……?」


 なるほど、確かに清掃もきっちり行き届いているし、提灯の設置も済んでいる。今はまだ明るいからわかりにくいが、暗くなって明かりがついたときは、それはもう幻想的な光景が映ることだろう。


 屋台もあとは商品を陳列すればほぼ終わりのようだ。校庭の大舞台もすでに完成しており、音響器具のチェック段階に入っている。


 他の屋台もおおむね準備を終えているようで、あたりには緩みきった微妙な空気が満ちていた。


「しかしまぁ、ここは本当に暑いね……」


「…そういや、あの森はこっちほどは暑くなかったな」


 彼らは仕事をきちんとこなした。しかし、張り切りすぎて暑さにバテてしまったのである。日本の夏はただ暑いだけでなく湿度も高いため、加減がわからなかったのだろう。


「一応もうほとんどのところは完成段階に入ったからね。私たちがやることはもうないよ」


 一方おじいちゃんのほうは汗の一つもかいていない。流石は歴戦の兵である。


「日が暮れれば、祭りの始まりさ」


「おじいさん……この辺に川はありませんか? 時間があるなら水浴びしたいです……」


「…なぜ川で水浴び?」


「別に、池でも湖でもいいけど……」


 ここで楠は思い出す。組合の人間はまともな文明の利器を使用したことがほとんどないのだと。あの環境下では、むしろ川での水浴びくらいしか身を清める方法はない。


「あっちの部室棟でシャワーを浴びてくるといいさね。どのみち、こんな汗だくじゃおめかしすることはできないからねェ」


「ほう、しゃわーと言うと例のあれかね?」


「ああ。耕輔たちもついでに浴びてきなさい。お前たちの分の衣装だって用意してあるから」


「おっ、ラッキー! でも、じっちゃんは浴びねえの?」


「この子たちの水浴びをさせるとするよ」


アオン!


 ここにはレディが三人いる。男ばかりの中で水浴びをしろと言うのは酷な話だろう。いくら普段から全裸とはいえ、彼女たちだって乙女なのだから。


こっこっこ──


 あやめさんとひぎりさんは『洗わせてあげる』と言わんばかりにおじいちゃんの足もとをこつこつとくちばしでつついた。


 レディチキンでも暑いものは暑いのだ。優雅に水浴びができるとしたら、それに越したことはない。


「シャワーを浴びたら古家に行って着替えるとしよう。さすがにその頃には向こうも準備が終わっているだろう」


「よっしゃ、じゃあさっさと行こうぜ! なんだかんだでオレあそこのしゃわー使ったことなかったんだよな」


「俺なんてその存在すら知らなかったぜ?」


「…………本当に大変な場所にいたんだな」


「……あ、あはは。あんまり気にしないでくれよ」


「なぁ佐藤、これやっぱり使い方とか教えたほうがいい感じ?」


「だ、大丈夫ですよ……たぶん」


 佐藤の予想は色んな意味で大きく外れることになる。意外なことに、彼らは簡単にその使い方をマスターしてしまったのだ。元より、ひねれば水が出るというシンプルな設計である。これくらいであれば、いくら彼らでも使いこなせるというわけだ。


「楠、おめえいい体してんよなぁ。格闘技やってみたりとかしねぇのか?」


「…自分は園芸だけで手一杯ですよ」


「やぁ、これはまた便利なものだ。仕事帰りに浴びれたらどれだけ気持ちいいことだろう」


 むさくるしい水浴びが終わり、みんなさっぱりしてから古家へと向かう。ついついはしゃいで大幅に時間を使ってしまったが、まだいくらか時間に余裕はあった。


 問題なのは、女性たちが未だに着替えが終わっていないということだ。





──くっ……このっ……!


──えい……っ……やぁ……っ……!


──あっ……ちょっ……けっこうキッツい……!




 途中でなにやらちょっとアレな音が聞こえてきたり、着物姿に見惚れた佐藤の意識が飛んだりなどハプニングもあったが最終的に彼らは恙なく準備を終えることに成功する。


 楠達は甚平を、アルとセインとエリオは浴衣だ。おじいちゃんに至ってはいつもと何ら変わりのない姿である。


~♪~♪


 どこか遠くから、誰かの吹く笛の音が聞こえてくる。ぽうっと提灯に火が灯され、薄暗くなった園島西高校を幻想的に彩った。



「さて、それじゃあ──」


「…始めるか」





 じゃり、と楠は一歩を踏み出した。園島西高校夏祭り──島祭がとうとう始まった。






20150321 誤字修正

20160416 文法、形式を含めた改稿。


なんか後半調子悪かったなぁ。

しばらく書かないと鈍るね。


ちょっと面倒くさいけど、お祭りの準備は準備で結構楽しい。

でも、準備中に会議で呼び出されるのは勘弁してほしいよなぁ。

呼び出しがあるときに限って、その人しかできない用があったりするんだもの。

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