61 ひるげ・いん・さまーばけーしょん! ☆
休みの日の昼餉ってだいたい麺類だよね。
写真提供は【谷川山(枯葉山)】さんです。本当にありがとう!
夏休み、と聞いて喜ぶのはおそらく子供だけだろう。だって、社会に出て働く大人には雀の涙ほどの休みしかないし、その休みだって諸々の支度や家族サービスをしているうちにはあっという間に終わってしまうのだから。
お家を守る全国のお母様方にとっては地獄に等しいかもしれない。だって、普段は家にいない子供たちが一日中家でごろごろすることもありうるし、そして何より、昼ご飯を作る心配をしなくてはいけないのだから。
普段なら、自分一人程度適当にパパッと済ませることができる。が、子供たちもいるとなるとそうも言ってられない。
必然的にそうめんの出番が多くなり、つられるように子供たちの文句も多くなり、ついでに、昼食を片付けた数時間後には夕飯のことも考えねばならない。
さて、夏休みに限らずとも、休日の昼食として思い浮かべるものと言えば何だろうか。おそらく大半の人は麺類を思い浮かべるのではないだろうか。
ラーメン、焼きそば、そうめん……基本的には短時間で大量にできるし、工程も単純で後片付けもそれほど面倒ではない。
何が言いたいかって、麺類はお母様方の味方であり、休日の昼食といえば麺類だってことなのだ。
「そんなわけで、今日のお昼はおうどんを作ります♪」
エプロン姿の青梅がにっこりと笑い、三角巾をきゅっと絞めた。華苗もつられるように、エプロンと三角巾を装備する。
ここは園島西高校の調理室。まだお昼にはちょっと早い時間だったが、今日はここにご飯を食べに来たのではなく、ご飯を作りに来たのだ。
入学当初はどうせ大して使わないと思っていたエプロンセットであったが、どうしてなかなか、華苗はこれを重宝している。部活同士の関係上、必然的に使わざるを得ないことが多く、もう小学校と中学校の調理実習を合わせた分よりも多くこれを使っていることだろう。
「おうどんはわかったんですけど……」
「どうしたの?」
華苗はちらりと調理室を見渡した。
よっちゃんに清水、双葉といった調理部やお菓子部の面々がいるのはいい。実質同じ部であるし、メインで作るものがちょっと違うってだけなのだから。調理部がお菓子を作ることもあるし、お菓子部が料理を作ることもある。別にそれをどうこう言おうってわけじゃあない。
文化研究部のおじいちゃんがいるのもいい。おじいちゃんは何でもできる。あと、うどんだって日本食だ。むしろこの中で一番の職人と言っても過言ではない。
調理部とお菓子部を文化研究部と兼部している佐藤がいるのもなんら不思議はない。その妹であるシャリィちゃんだって、おいしいお昼にありつこうと気合を入れてエプロンをつけている。とてもほほえましいことだ。
エプロン姿の最も似合わない男──わが園芸部長の楠がいるのもまぁ、許す。うどんの材料である小麦は園芸部で採れたものだし、楠は青梅からこの調理室を自由に使っていい許可もとってある。
それに華苗だって、楠一人をのけ者にするつもりはない。物々しい無言のプレッシャーを無意識に発しているが、それにだってもう華苗も他の女子生徒もある程度は慣れた。
だが、ここには同じように濃厚な気配をまき散らす、楠と同じくらい調理室の似合わない大男がいる。
「おう、早くやろうやぁ!」
縦にも横にも大きい巨体。腕も足も筋肉の塊であり、ついでに手の甲には黒く太い毛びっしりと生えている。眉毛だって雄々しく……むしろ、猛々しいくらいに太くて濃く、全体的に毛深い。そいつが吠えると、調理室がびりびりと震えた気がした。
「おまえの出番はもうちょい先さね、武」
「いつでも準備はできてるからな!」
人懐っこく熊のような笑みを浮かべたその大男は、つい最近本物の熊殺しとなった──空手道部長の榊田 武だ。
彼の近くには同じように少しくすんだ色の空手道着を纏った空手道部員が数人いる。はっきりいって、むさくるしくて部屋の中の温度が数度上がったかのようだった。
「榊田くんはね、最近ずっと小麦を挽き続けてくれたのよ。私たち、いっぱい使う割には作業する時間が取れなかったから助かったの。だから、今日は空手道部をメインにおうどんをご馳走しようかなって」
実は榊田、ここ最近の筋力強化メニューに石臼を用いた粉ひきを組み入れていた。おじいちゃんがどこからか調達してきた明らかに規格外の大きさを持つ石臼は相当体ができていないと挽くのが難しく、そうでなくともあれほど大量の粉を挽くのはかなりの重労働となる。これを利用しない手はない。
「大爺が挽いた分は食わせてくれるって言ってたからな! 俺たちは体が作れて、向こうは粉を手に入れられて、一石二鳥だったわけだ!」
「おかげさまで相当な量の小麦粉を確保できてねェ。私たちがいちいち挽く手間が省けたってわけだ」
さて、話もそこそこにさっそく華苗たちは調理に入る。話しているだけじゃお腹は膨れないのだから。
「まずは粉をこねていきます」
華苗たちはいつものメンバーで班を組む。清水とよっちゃんで細々した材料の分量を量り、華苗と楠とで調理室の隅にどどんとおいてある中力粉を取りに行った。何人前作るのかは知らないが、面倒なので二袋分ほど持っていく。これが意外に重いが、部活で足腰をしっかり鍛えた華苗はへっちゃらだ。
うどんの生地を作るのに必要なのは中力粉、塩、水だ。中力粉は場合によっては強力粉にしてもよく、打粉として片栗粉を使用することも見受けられる。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
(中力粉)
「よっちゃん、材料ってそのまま混ぜていいの?」
「んーん。塩水最初に作るの。重量比で塩と水が1:9くらいかな。この辺は人によって微妙に違うんだけどね」
すでに秤で測ってあったらしく、塩水はよっちゃんの手元に用意されていた。華苗はそれを中力粉の入った大きめのボールに少しずつ垂らしていく。さらに、そこを清水がスプーンで切るように混ぜていった。
これぞ連携作業というものだろう。横にいる大男は気にしないことにする。
「何人前作るの?」
「わかんないから、とりあえず五人前だけ」
中力粉と塩水の割合は質量比で2:1ほどだ。水は必ず少しずつ入れなくてはならず、入れすぎると麺が柔らかくなりすぎてべたべたしてしまう。逆に少なすぎると固くてこねられなくなってしまうしまうので、初心者のうちは厳密に測って入れたほうがよい。ある程度熟練してきたのであれば、その時のコンディションに合わせたほうがおいしいものを作ることができるだろう。
さっさっさ、と粉と水とを混ぜていくと、やがてボロボロ、ぼそぼそした状態になってくる。これは水と粉が均一に混じったというサインで、ここまで来たら旨い具合に纏めて一つの塊にするのだ。ちょっとだけ体重をかけてやると上手くいったりする。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
「こいつをうまい具合にまとめていって……」
「割と手にくっつくよーなくっつかないよーな……」
「加減は結構大事……こんなもんかな!」
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
そんなこんなで出来たのがこの塊だ。この段階では食べ物というよりも出来損ないの粘土といったほうがしっくりくる。
「ここから踏む作業に入るんだけど~」
と、よっちゃんはぐるりと華苗たちを見る。
「そもそも手の力じゃ全然捏ねられないから踏むんだよね。いくら非力でか弱いオトメでも、全体重を使えばそれなりにできるし」
実際のところ、こねるとうどんはかなり固くなる。清水やよっちゃんはともかく、チビな華苗の体重では踏んでも満足に捏ねることができるかどうか怪しいものだ。
「でも都合のいいことに、力持ちがいますのでお願いしたいと思います!」
「…ようやく出番か」
楠は小麦粉の塊をむんずとつかみ、大きなまな板の上で力いっぱいこねる。ぎゅっぎゅっと押し付けたかと思えばばちこーん! と叩きつけたり、見ているこっちが小麦粉のことを心配になってくるようなありさまだ。
「…ふん!」
ぐにゃりと塊が形を変える。
「おらぁ! おらぁ! まだまだいけるぞ!」
榊田を含む空手道部は調理部員に頼まれ、同じように全力で捏ねているらしい。大きな声を上げながら、ばしんばしんとそれを打ち付けている。
ある程度平べったくなったあたりで折り畳み、再び伸ばして折りたたむ。さすがに力があるのか、仕事が早い。
「ちなみに自分たちで踏むこともできるけど、やってみる?」
「……やる」
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
ささっと小麦粉と塩水を混ぜ、華苗はそれをポリ袋に入れて新聞紙で挟んだ。踏んでみるとなるほど、最初はどこかふにゃっとしていたが、どんどんと固くなり、ちょっとやそっと力を入れて踏んだ程度ではうんともすんとも言わなくなってくる。低反発枕の超強力なやつを踏んだらきっとこんなかんじなのだろう。
「け、結構きついね……!」
「十分くらい続ければいい感じかな~? 全体がもっちりしっとりしてくればおっけー!」
「華苗ちゃん、疲れてきたら代ってよ?」
かかとを使ってぐりぐりと踏み込んでいくが、すぐに疲れて汗ばんでくる始末。ましてや、夏真っ盛りの人いっぱいな調理室なのだ。あっという間に部屋そのものが暑くなってくる。
この踏むという動作を難しく言い換えると混捏となる。混捏は生地を捏ねる、揉む、叩く、混ぜるといった動作が一度に出来るのだ。
そもそも、なぜうどんを踏んでまで強くこねなければならないのか? それはうどんのコシの強さの秘密──グルテンに関わってくるからだ。
「グルテンをどれだけ出せるかがコシの強さに関わってくるからね~。今はあまり聞かないけど、ひたすら強いコシを求めて強力粉を使うケースもあるんだよ~」
グルテンはうどんのコシの強さを決める成分の一つであり、これの多寡で小麦粉は薄力粉、中力粉、強力粉とわけられる。この辺はまぁ、もはや今更であり常識みたいなものだろう。
重要なのは、うどんの生地を強くこねると生地に水が浸透し、ムラなくグルテンが生成されることだ。さらに、こねることでグルテンが鍛えられ、弾力性が出てくるのである。
「…こんなもんか?」
「いいかんじですね!」
さて、楠がその剛腕で捏ねたうどんも華苗と清水が踏んでこねたうどんも、もっちりしっとりとしたいい感じに仕上がった。華苗たちが踏んだのは楠に比べればいくらかゆるい気がしたが、程度問題だろう。
「そういえば、強くやりすぎるとダメって聞いたことがあるけど、その辺はどうなの?」
「ああ、それは──」
「この後の熟成をきちんとすれば問題ないさね」
ひょい、とおじいちゃんが顔を出した。その服装も相まって、本物のうどん職人みたいだった。
「機械かなんかでプレスすればそりゃあ問題かもしれんが、人間の力程度じゃまず大丈夫だと私は思ってる。固くなりすぎちまうのは、こねた後に十分熟成させずに次へ行っちまうからさ」
おじいちゃん曰く、この熟成工程をじっくりとすることでとぅるとぅるでかつコシのあるうどんになるという。鍛えたグルテンを一回休ませ、正常に近い状態に戻すからだそうだ。
「熟成ってどれくらいするんですか?」
「夏場なら最低でも三十分、冬場なら二時間以上だ」
「そんなにですか?」
「だから私が来たのさね。ほれ、もう十分だろう」
「あっはい」
おじいちゃんがぺしりと叩いた生地は、さっきよりももっちりした感じがする。おそらく、件の熟成とやらをさせたのであろう。
当たり前のように時間を早められたが、華苗ももうあんまり気にしない。作業の時間がちょっと早くなった。ただそれだけだ。園島西高校の部長がすることにいちいち驚いていたら身が持たないのは明白なのだから。
「…相変わらずだな」
「楠先輩がそれを言われましても……」
「華苗ちゃんもそっちに片足突っ込んでるじゃん?」
「史香、片足じゃなくて両足だと思う」
「おい」
空手道部がうるさくうどんを捏ねる中、華苗たちは次のステップに進む。大きな鍋に水を張り、先に備えてお湯を沸かしておくのも忘れない。ここまでくれば、あとはもうすぐだ。
「さぁさぁ、取り出したるはこの伸ばし棒!」
「ここ、本当にいろんな道具があるよね」
まな板に打ち粉を振り、少し平べったくした生地を広げ、よっちゃんがそれを伸ばし棒で広げていく。ぐにーん、ぶにーんとキャンプの時のピザ生地のような感じになるまで薄く、薄く延ばしていく。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
ある程度広げたところでそれをくるりと伸ばし棒に巻き付け、再びぐにーんと伸ばし始めた。実に手練れたワザマエである。
「器用なもんだねぇ……」
「コツがあるのさ!」
この伸ばしの作業の際は、ただ棒を前後に動かすよりも少し横方向も意識し、円を描くようにして手を動かすとうまくきれいに広げることができる。体重を両腕にかけ、流行のエクササイズでもするような気分でやればおっけーだ。
「んで、いい感じに広がったところでたたんで切る」
長方形のそれっぽい感じの包丁を取り出し、よっちゃんはスタタタタ、と目にもとまらない勢いで生地を切り刻んでいく。あっという間に白いそれに縞が入り、一塊の麺が生まれた。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
「あれ、ちょっと細くない? これじゃおそばになっちゃうよ」
「ちっちっち。うどんは茹でると大きくなるの。だから伸ばすときも薄すぎるくらいにするし、切るときも細めにする」
その動きは本物の職人のようで、華苗と清水は思わずその美技に目を奪われる。今ならよっちゃんが老舗うどん屋の秘伝を継いだ跡取りと言われても信じてしまいそうだった。
「佐藤! 大爺! 追加ができたぞぉ!」
「榊田先輩、早すぎますよ!」
「泣き言はいいからさっさと手を動かすさね。こいつらがどれだけ食うのかわからんのだから」
「なんだ、佐藤は切るのが遅いなぁ!」
「じいさんが速すぎるだけです!」
「渚おねーちゃんもじいじと同じくらいですよ?」
「部長と一緒にしないでくれぇ!」
「佐藤くん、がんば!」
ちょいと向こうによっちゃん以上の速さで麺を切るのが三人いた。三人ともが長年修行してきたかのように正確な包丁さばきで、斬られたそれはどれも長さも太さも整っていることが遠目からでも確認できる。一部微妙に歪なのはきっとシャリィが切ったものだろう。
「……今更だけどさ」
「どしたん?」
「お昼のおうどん、手打ちってなんかおかしくない? 普通、茹でるだけのやつ使うよね?」
「…本当に今更だな」
「私としては突っ込むところがそこなのかって気もするけど……。手作りにしたって原料からやるとこなんてないと思うよ?」
「それは普通じゃない?」
「「いや、普通じゃない」」
華苗の意見は親友二人に有無を言わさず却下されてしまった。
「小麦粉も、小麦粉を処理するときに使ったはざも園芸部で採れたものだし」
「これから使う卵だって園芸部のものだしね~。それも、その鶏の餌も自給自足じゃん?」
「むぅ……」
言われてみればかなり深いところからの自家製品である。調理でうどんをつくるとなった時、原料である小麦粉から作る高校生がこの世にどれほどいることだろう?
そうこう無駄口を叩いているうちには麺が切り終わる。パラパラとほぐすと、どこからどう見てもうどんなそれが広がった。太さも均一で、さぁ早く茹でてくれと言っているように華苗には見えた。
よっちゃんはそれをグラグラと沸騰したお湯の中へ投入する。このとき、まな板の上に残った打ち粉も入れておくと仕上がりがいい感じになるそうだ。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
「このまま二十分前後茹でれば完成ね。途中で差し水するくらいで、あとは頃合いを見計らうだけ」
「じゃ、片付け済ませておく?」
華苗の一言に、まだまだ甘いとよっちゃんは返す。甘いも何も、すでにうどんはできたも同然なのだ。
これ以上一体何をするのかと華苗が告げる前によっちゃんは別のテーブル、すなわち空手道部がうるさくうどんを捏ねる正反対へと足を進めた。
「シャリィちゃん、調子はどう?」
「ばっちりですよ、よっちゃんおねーちゃん!」
そこではシャリィ他数名の女子が一生懸命野菜を切っていた。なす、カボチャ、ピーマン、じゃがいも……などなど、この夏園芸部で収穫した夏野菜ばかりがそこに並べられている。
その傍らにはこれまた園芸部のあやめさんとひぎりさんが産んで下さった、たいそう立派で大きな卵が並べられていた。
「…これは?」
「てんぷらを作っています!」
「さすがに具なしは寂しいからね!」
そう、よっちゃんはうどんを茹でる間にてんぷらも作ろうと画策していたわけだ。というか、事前に今日の段取りは部活内で軽く打ち合わせがあったため、知らなかったのは華苗と楠だけということになる。
「これだけ切っておけば、しばらくは持つかと思いまして。僭越ながらお手伝いの真似事をさせてもらいました!」
ぱぁっと笑ったシャリィの視線の先にあるのはカッコよく切られた野菜の山だ。カボチャが薄くスライスされ、ピーマンは種が取り除かれて三分割されている。ナスに至ってはなんか切込みとかが入っていてすごく料亭っぽい。
鍋の中では油がパチパチといい音を出している。どことなく香ばしい香りが漂ってくる気さえした。
「ちゃんと、揚げる直前まで衣は作らないようにしときました!」
「んふ、百点満点! シャリィちゃんはいいお嫁さんになれるぞぅ!」
「やん♪ 冗談がうまいんですからぁ!」
戯れだす二人は置いておくとして。
てんぷらの衣をふわふわのサクッとしたものに仕上げるにはいくつかコツがある。
まず、衣に使われる卵と水と薄力粉だ。衣づくりの鉄板として、溶き卵と水を加えたそれと薄力粉は体積比で1:1であることが望ましいとされているのだが、これをその日のコンディションによって微妙に調整してやることでふわふわなものが作れる。
もちろん、これには熟練の技能を必要とするので素人には向かないだろう。
重要なのは、このとき冷水を使うということだ。卵も冷えているとなおいいだろう。もっと贅沢をいうならば、使う器具や材料全てが冷えているといい。
「ねぇねぇ、なんか全然混ざってないみたいだけど大丈夫なの? ハンドミキサーでも持ってこよっか?」
「史香もまだまだだね! てんぷらの衣は混ぜすぎないのが鉄板なの!」
清水がボウルの中を見て不思議そうに声を上げたが、それすらよっちゃんとシャリィは見透かしていたようで、二人でしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべている。なんだかとってもかわいかったので、華苗はシャリィの頬をぷにぷにしておいた。
衣の作り方もふわふわてんぷらを作るうえでのコツの一つだ。必ず卵と水を溶いた『卵液』を事前に作り、それに薄力粉を振いながら入れるのだ。振い終わった後もがちゃがちゃと全力で混ぜたりなどはせず、ダマが残って粉っ気がある程度でとどめておく。
というのも、全力でかき混ぜると粘りが発生してしまうからだ。このねばりがべしゃっとした衣の原因となり、そして驚くべきことにその主成分はグルテンである。
「グルテン? おうどんのときも出てきたよね。あればあるほどいいんじゃないの?」
「てんぷらだと邪魔者扱いなのさ!」
うどんの時に触れられたように、グルテンは弾力性をもたらす。コシの強さを求めるならばそれでいいが、てんぷらではそういうわけにはいかない。故に使うのはグルテン含有量が少ない薄力粉だというわけだ。
材料や器具を冷やしておくといいのもグルテンの発生を抑えるためである。最初に卵液を作るのも、撹拌によってグルテンが出来るのを少しでも防ぐためだ。衣を粉っ気が残ったまま使うのも、最小限度のグルテンで済ませるためだ。
衣をつくるすべての行動が、グルテンを出さないためにするものだと言っても過言ではない。
「グルテンがあるとね、ねばりが出て揚げたときに水分が抜けきらないんだ。水分を抜け切れるなら理論上はあっても大丈夫なんだけど、現実的に不可能だし。このねばりと水分が抜けきらないってのがべしゃっとした衣の原因なの!」
「ほへー……」
「あたしも最初にその話を聞いたときはびっくりしましたよ! おうどんのときはどうにかしてグルテンを増やしたり鍛えようとしていたのに、てんぷらの時は逆に出ないようにするんですから!」
『てんぷらうどん』という一つの料理の中で、これほど正反対の扱いをされる成分も珍しいだろう。皮肉というかなんというか、華苗はその料理の中に存在する二つの星に因果めいたものを感じずにはいられない。
「衣の作り置きもふわふわ衣を作る上でのNGだかんね!」
よっちゃんは素早く衣を作り、そこに野菜をくぐらせていく。じゃがいもやカボチャは厚めにつけ、ナスやピーマンは気持ち薄目に。トウモロコシや枝豆なんかの変わり種もあるが、どの野菜もが早く黄金の海で日焼けしたいと言わんばかりに、その優しい黄色の水着を身に纏っていった。
──ジュアァァァァ……
「おお……!」
小気味の良い音が響く。ふわっと熱気がその場に人間の額を撫で、汗を吹きださせた。泡がぷくぷくと種にまとわりつき、シルエットをぼやかしている。もう、見ているだけでお腹が空く光景だ。
「ど、どれくらいやればいけるの?」
「慌てない慌てない。火の通りやすいやつで一分ちょい。通りにくいやつでも三分もすれば絶対にいける」
「ま、まとめて入れちゃおうよ……!」
「華苗おねーちゃん、それはやっちゃダメですよー? 油の温度が下がっちゃいますから!」
てんぷらうどんを作る際は、うどんを茹でている間にてんぷらを揚げると時間の無駄がなくて良い。その人の手際の良さにもよるが、なんやかんやして野菜を切り、それなりの量を揚げ終る頃にはちょうどうどんが茹で終わっていることだろう。
「ほい、第一陣できた!」
「さすがです! この衣の仕上がり、確実にお兄ちゃんを超えています!」
「んふ、もっと褒めてくれてもいいのよ?」
次々とよっちゃんはてんぷらを取り出し、シャリィがそれを受け取っていく。シャリィは頃合いを見計らって火力を調整し、そして天かすを取り除く。華苗と清水はその職人芸をぼうっと見ていることだけしかできなかった。
香ばしいにおいが湯気に混じって広がっていく。誰かのお腹がきゅう、と鳴ったが、うどんを打つ音に紛れて掻き消えていった。
続々とてんぷらが揚げられ、黄金のふわふわの衣をまとったそれらが湯気を出している。黄金郷の人間はこういうものを食べていたのだろうと華苗はぼんやりと思った。
「おうどんどんどん茹で上がってきたよー! 手が空いている人は水洗い済ませちゃってー!」
「麺つゆはこっちで作っておいたさね。よぉく冷やしておいたから各班一人ずつ取りにきなさい!」
「麺の追加持ってきたよ! 空手道部は五人前は食べると思っていいからね!」
「切るこっちの身にもなってくださいよ!」
「おう楠ぃ! おまえやっぱり空手やんねぇか!?」
「…畑の面倒を見るので手一杯です」
いつの間にか姿を見なくなったと思っていたら、楠は空手道部と一緒にひたすらうどんを打っていた。やっぱり力仕事のほうが性に合っていたらしい。
「それじゃあみなさん、ご一緒に!」
「「いただきます!」」
とうとう、華苗の目の前にそれが現れた。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
夏にぴったりの冷たい涼しげな手打ちうどん。机の真ん中には揚げたての見るからにサクサクのてんぷらがある。園島西高校の今日のお昼、てんぷらうどんだ。
「すっごいとぅるとぅる!」
「コシが段違い!?」
「んふふ、もっと褒めろ!」
「…うまいな」
ちゅるんと一口。舌触りが滑らかで、まるで天使のほっぺのようだった。かつおだしを使ったであろう麺つゆのどこか香ばしいとも取れる深い味に、麺の冷たくどっしりとした、それでいて仄かに感じる甘味が絡んでいき、そのまま流れるようにお腹の中へと入っていく。
つるつると喉に流れる麺を噛み切ろうとすると、驚きのコシが歯をぐっと押し返してくる。噛めば噛むほどおいしくなるような感じがして、華苗はもにゅもにゅと忙しく口を動かした。
ちゅぽん、と小さく汁が跳ねる。でも、そんなの知ったこっちゃない。
太く、長くてコシのある麺だというのにどこまでも口当たりがよく、つるんと何の抵抗もなく食べることができる。そののどごしがどこまでも気持ちよく、まさに天に上るかのような気持ちだ。
その涼やかさが、調理で火照った体を冷やしてくれる。なんだかんだで、あちこちで茹でたり揚げたりしてたものだからみんな汗だくだ。そうでなくともうどんを打つのは骨が折れるし、人もいっぱいだったのだから。
「……ん!」
でも、こうやって汗だくで食べるのが一番おいしいのだと華苗は思う。エアコンが効いた部屋でお上品に食べるよりも、こうゆうごちゃっとした空間で、油の匂いと湯気に包まれながらみんなでかっこむのが最高にいい。
「冷めないうちにてんぷら食べちゃって!」
「…やっぱり揚げたてはうまいな」
楠がカボチャのてんぷらを食べるサクッサクッという音が、対面にいる華苗の耳にまで飛び込んでくる。そんな音を聞かされたらたまったものではなく、華苗はナスのてんぷらにお箸を伸ばした。
「ふぉう……!」
ナスの風味とてんぷらの香りが絶妙にかみ合っている。火が十分に通ったナス特有の甘みはそのままに、てんぷらのサクサク感とコラボして面白い食感を醸し出していた。野菜の甘さと油の巧みな香ばしさが為せる至高の逸品だ。
「うっめぇ! 超うめぇ!」
「マジうめぇ!」
「”ぼきゃぶらりー”が少ねぇやつらだな! もっといろいろあんだろ?」
「そういうお前はどうなんだよ!?」
「……婆娑羅でいなせでいぶし銀でグレートにうめぇ!」
「ちゅるちゅるののど越しと、さくさくのてんぷらさんがたまりません! おつゆとおうどんとてんぷらさんが引き立てあっていて、何杯でも食べられちゃいます!」
「……ま、負けた!」
「へへん、さすがあたし!」
「口の周りが汚れてなきゃ決まっていたんだけどねぇ……」
悔しがる一人にお腹を抱えてそいつを笑う空手道部。佐藤がシャリィの口の周りをごしごしと拭き、シャリィはされるがままにんぅ──っと口を突き出していた。
サクサク、ぱくりとあっという間に華苗はそれを食べ、つるつるとうどんを啜る。めんつゆが少々脂っぽくなった口を洗い流し、そして後味がうどんも、てんぷらも引き立てた。
アツアツのてんぷらと冷たいおうどんの対比が最高だった。
「サクサクもいいけど、ちょっと浸して食べるのも好きなんだよね」
「…家ではむしろ、そういう風にしか出なかったな」
ぺろりとピーマンのてんぷらを平らげた清水が玉ねぎのかき揚げ風てんぷらに
箸を伸ばし、おいしそうにかじりついた。負けじと華苗もそれを掴み、少し麺つゆに浸してかじりつく。
小さな犬歯が衣に触れ、かしゅっと崩れ落ちた。
「……いい!」
衣がふわふわなのは当然だ。玉ねぎの甘みが極限まで引き出されているのも当然だ。軽くてサクサクしていて、本当にてんぷらなのかと疑念さえ出てくる。カシュ、カシュと耳の奥で聞こえる音がたまらない。
空気が含まれたふわふわな衣は特有の香ばしい甘みを孕み、玉ねぎの奇跡のデュエットを組んでいる。麺つゆに浸されてふわふわさを失ってしまった部分は、ふわりと香る奥深い上品な香りを融合させており、熟練を連想させるトリオとなっている。これが嫌いなやつなんていないだろう。
油が少しだけ浮いた麺つゆが愛おしくてたまらない。
「…おかわり、あるか?」
「そりゃもちろん!」
かなり食べ応えのあるうどんだったというのに、よっちゃんも楠もぺろりとそれを平らげ二杯目に入っていた。華苗もまだまだお腹に余裕はあったのだが、あまりにコシが強すぎて顎が疲れてきてしまっている。
「俺にもおかわりくれぃ! まだまだ食いたらん!」
「こっちもだぁ!」
散々うどん打ちをした空手道部はやっぱりお腹が空いているらしく、どんどんのおかわりを所望して忙しく箸を動かしている。元気に食べるその様子をおじいちゃんがにっこりと笑って眺め、調理部員たちは甲斐甲斐しく配膳をしていた。
熊のような榊田にかかれば特大のお椀でもなお小さく見え、それに顔を突っ込むようにして食べているものだからどことなくシュールである。
「…本当にうまいな。箸が止まらない」
「楠くんならそういうと思ってたよ! 愛情込めて打ったから食べて! あ、てんぷらももちろん気合入れたから!」
「…いただきます」
青梅が半ばひったくるようにお椀を受け取り、明らかに他のものよりもワンランク以上は上のうどんを盛り付ける。サクサクの夏野菜のてんぷらを見た目よくその上に舞い降ろし、輝いて見えんばかりのそれを完成させた。
食べた楠の様子など、語る必要すらないだろう。
「うひぃ……手がつかれたぁ……」
「お兄ちゃん、ずっと切ってましたもんね。下手したら五十人前近くやってたんじゃないですか?」
「たぶんそれ以上あるよ……あ、このてんぷらおいしい」
「おぉ! おいしそうな天ぷらうどんじゃないか! 先生の分くらいはどっかにあるよな!?」
「ゆきちゃんの分もちゃんとあるよー! でも、作り方覚えたいって言ってなかった? どうして今日は来なかったの?」
「そりゃ、先生は夏休みでも仕事があるし。というか渚、先生を付けなさいといっているだろう?」
「えへ、ごめんね、ゆきちゃん!」
どうやらわれらがゆきちゃんもご飯を食べにやってきたらしい。早速うどんをもらい、目ぼしいてんぷらを確保している。
その後ろからは教頭と荒根まで続いて出てきた。しかも、荒根の広い背中の後ろには深空先生までいる。
「ほぉ! なかなか変わったてんぷらじゃあないか! 神家くん、こいつを少し貰ってもいいかね?」
「もちろん。どうせ材料はまだまだありますからねェ」
「すっげぇサクサクだな……! 家でやってもこんなうまくはいかないのに……!」
「お店でもこれほどのものを見るのはなかなかないですよね。あ、じゃがいものてんぷらなんて久しぶり……!」
トウモロコシ、枝豆、はてに梅のてんぷらまであっちにはあるらしい。トウモロコシは輪切りにして、枝豆はかき揚げ風にしていただくそうだ。ヤングコーンもそのままてんぷらになっているらしく、ジャガイモはサツマイモと同じような芋天になっているとのこと。梅のてんぷらに至っては想像すらできないが、甘くておいしいという声がちらっと上がったのを華苗は聞きのがさない。
あとで絶対全種類制覇してやろうと、闘志を燃やしながら華苗はちゅるちゅるとうどんをすする。ようやく一杯食べられたので、間髪入れずにお代りの麺を入れ、麺つゆを少し注いだ。
「んまい! んまい! 駅前の有名店よりんまい! ……これを作ったのは誰だ! たまごのてんぷらじゃないか! 半熟トロトロで最ッ高だと!?」
「てんつゆや抹茶塩もほしいところだなぁ……。あと、米も欲しい……ついでに持って帰って夕飯にしたい……。こいつを肴にして一杯やりたい……」
「荒根くん、気持ちはわかるが勤務中だぞ? ……ああ、それにしても本当においしいてんぷらだ。昔友人と野草でてんぷらを作ったのを思い出すよ」
「てんぷらと言えば、天かすだけをご飯にこれでもかとのっけた『天かす丼』をよく食べませんでしたかねェ?」
「やったやった! あの時代は貧乏だったからなぁ! 天つゆとかタレとかを思いっきりかけるのが贅沢だったっけ!」
「安くてお腹にたまって、最高のご馳走でしたねェ。ああ、なんだか食いたくなってきちまった」
「……なんで神家くんが知っているのかしら?」
「どこかカボチャのてんぷら余っているところないー?」
「こっちおうどんのストックが切れちゃった!」
「ピーマンのてんぷらならいっぱい余ってるよ……!」
「お兄ちゃん、ちゃんと食べましょうよ。てんぷらだから苦いのだいぶ取れてるでしょ?」
あっという間にてんぷらもうどんもみんなのお腹に入っていく。若干一名、親友に体を押さえられ、妹にピーマンのてんぷらを口に突っ込まれた優男がいたが、誰もがそのひと時を心の底から楽しみ、みんなで作り上げたそれに舌鼓を打っていた。
華苗もさくりとカボチャのてんぷらを頂く。ホクホクの甘さと対照的なサクサクの衣が大変よろしい。
「おかわり! おかわりをくれ!」
「麺つゆはどこだぁぁぁぁ!?」
食欲旺盛な空手道部はもはやわんこそばならぬわんこうどんを食べている。のど越しが最高にいいとはいえ、あれだけの炭水化物がいったいどこに入っていくのかと、華苗は驚きを隠せない。
「もう一杯!」
「こっちも!」
「げっ! ストックが完全に切れた!?」
「ならまた打てばいいんだろう! 俺はいくらでもやってやるぞ!」
「そうさねェ。うどんは打ちたて、茹でたてが一番コシもあってうまいんだ。もう食い終わったし、私がやってやるよ。……先生方も、どうせなら一番うまいのを食べてみたいでしょう?」
「あら、ありがとう!」
「じゃあ、私はてんぷら追加で作るね!」
「大きめのかき揚げを頼むよ!」
「……あ、これ僕切らなくてもいい感じ?」
「喋る余裕があるなら頼むよ?」
「……う、うっす」
「夢一、担任命令だ! 釜たま作ってくれ! 俺あれすっげぇ好きなんだよ!」
「職権濫用はんたーい……まぁ、材料あるし作りますけど」
「おっしゃぁ!」
おじいちゃん他数名が再びうどんを作り出す。たちまち調理室は熱気と油のはじける音に包まれた。
最高級の素材で最高の腕を持つ人間が打った出来立てのうどんに、これまた最高級の素材で最高の腕を持つ人間が揚げたてんぷら。それを一番に楽しむことができるなんて、先生たちはどれほど幸せなのだろう。
ぐらぐらと茹ったそこからうどんが取り上げられ、水洗いをされたのちに空手道部のお椀へと消えていく。水洗いは本来舌触りを良くするための工程なのだが、その手間さえ惜しむ必要が出てくるくらい、状況は切羽詰まっていた。
「…俺たちも少し手伝うか」
「先輩、打つの得意そうですもんね」
「…まぁ、苦手ではないな」
腹八分だし大方満足した、と言って楠は立ち上がる。華苗が確認した限りではお椀四杯分は食べていたのに、それでなお八分というから驚きだ。
そういう華苗も、特大サイズのお椀で二杯ほど食べている。相対的に見ればこちらのほうが不思議だろう。
バンダナをまき直し、伸ばし棒を構えた楠はぽつりと漏らす。
「…時間も惜しいしな。じいさんとの約束があるんだ」
「やくそく?」
「…この後、じいさんたちの散歩に付き合う。…もちろん、お前も付いてこい」
20160403 文法、形式を含めた改稿。挿絵挿入。
おいしいおうどんはさらにアレンジしないとダメそう。
てんぷらもその日の温度や湿度で比率を変えないとダメみたい。
ちなみに、おつゆは園芸部の大豆からできたしょうゆを基調としてかつおだしを用いています。一部を除き、正真正銘、畑からてんぷらうどんを作っています。
冷たいおうどんにアツアツてんぷらはありなのだろうか……?
そして気づく。てんぷらなのにエビも白身もイカもいない!
あなたは何のてんぷらが好きですか? 私は海老天が大好きです。
※20160403追記
おうどんマジおいしそう。とってもとぅるとぅる。そしれおうどん作りの臨場感。最高だね! なお、私自身は手打ちうどんは作ったことが無いという……。ほうとうならあるんだけど。




